「こちらでお待ち下さい」
「恐れ入ります」
客室を用意するのに少し時間がかかるという事で、その間は別室で待機する事になった。すぐに結論が出るとは思っていなかったが、ロンウェー公爵からの一晩待ってほしいという申し出は内心驚いている。
案内役の兵士に連れられて、僕達三人は城内の一室へと落ち着いた。見張りと思われる兵士が僕達の一挙手一投足をじっと見つめている。
ウォルスタとバクラムの同盟は、戦争が本格化する前の今だからこそ打てる一手だった。暗黒騎士団の襲撃も防いだため、現時点でウォルスタとバクラムの間に直接の利害関係はない。
もちろん、僕としても葛藤はあった。『前』の僕にとって、最後の敵がバクラムでありブランタだったのだ。奴にはドルガルア王の娘である姉さんの存在を隠し、内戦を激化させたという罪がある。全ては己が権力を握るためで、そこに同情の余地はない。
ブランタのような己の保身と既得権益の確保しか考えない貴族達の横暴には虫酸が走る。だが、バクラム人全体をそれら一部の権力者と同一視するのは間違っている。そう考えてみると、バクラムと手を結ぶという案も冷静に考えられた。
一度は、ヴァレリア全体を統治する立場となっていたのだ。もう僕には、バクラム人やガルガスタン人を単純な敵として考える事はできなくなっていた。
「公爵閣下は冷静に話を聞いてくださったな」
「ええ。思っていたより、ずっと理知的な方だったわ」
父さんと姉さんは満足そうな顔で話している。確かにロンウェー公爵は冷静だった。『前』の僕達が助け出した頃よりも余裕が感じられる。一度敵軍に敗れて捕虜にされた経験が、公爵に焦りを生み出したのかもしれない。それがなければ、クーデターも起きなかったのだろうか。
兵士の見守る中、三人で当たり障りのない会話を続けていると、扉がノックされた。兵士が扉を開き、そこから現れた人物の姿を見て、僕は息を呑んだ。
「お初にお目にかかる。私はレオナール・レシ・リモン。アルモリカ騎士団の団長を務めています」
「レオナール、さん……」
「うん? どこかでお会いしたかな?」
思わず彼の名を口走ってしまった僕に、レオナールさんは怪訝な顔を向ける。しまった。
「いえ……失礼しました。その、シドニーとアロセールさんから伺っていたので」
「なッ! ア、アロセールの……! ……ゴホン。失礼した」
レオナールさんは突然出されたアロセールさんの名前に動揺して赤面している。何とか取り繕っているが、視線は右往左往している。姉さんがニマニマと笑みを浮かべているのが横目に見えた。
「あぁ、その。……あなた方に二、三伺いたい事があって参りました」
「はい、何でしょうか?」
いまだに落ち着かない様子のレオナールさんだが、質問の内容によっては僕達が窮地に陥る可能性もある。かすかに緊張しながら、質問を待ち受ける。
「先日、ゴリアテの広場にて、ローディスの間者に対する呼び掛けがあったと聞いております。目撃者の話によれば、それを行なった人物はプランシー・モウンと名乗っていたと」
「…………」
「ローディス教国といえば、バクラムの後ろ盾となっているはず。その相手がどうしてブランタ摂政の弟である貴方を狙うのでしょうか? ……あなた方は一体、何を考えているのです?」
レオナールさんの鋭い問いは、予想通り僕達を窮地に追いやった。やはりゴリアテでの騒動は知られていたらしい。ロンウェー公爵の様子だと知らないように見えたので、油断していた。
「……それをお話するには、そもそもローディスがなぜバクラムを支援しているのか、という点を説明しなければなりますまい」
父さんの言葉に、レオナールさんは虚を突かれた表情となる。
「それは一体……? ローディスは、バクラムからの要請があって支援しているのでは?」
「それだけで筆頭騎士団を動かすと? 信頼厚い教皇の右腕を、わざわざこの小さな島国に派遣するでしょうか?」
「……確かに、それは不審な点ではありますが……」
「ローディスにはローディスの狙いがあり、この島に戦力を派遣したのです。だからこそ、暗黒騎士団は独断で行動している。私を狙うのはローディスの意思であって、バクラムの意思ではありません」
「…………」
レオナールさんは言葉を咀嚼するように押し黙った。ローディスの狙いとは一体なんなのか、それを思案しているのだろう。だが、姉さんの正体を知らなければその答えにたどり着く事はない。
「申し訳ないが、ローディスが何を考えて私を狙っているのか、それをお話する事はできません。これは、兄とも約束した事です。ですが、私達の目的はあくまでヴァレリアの平和。ローディスからの干渉を受け続ける事は、ヴァレリアにとって良いとは思えません」
「……元はといえば、ローディスを引き込んだのはバクラムでは?」
「ドルガルア王の死後、国内の混乱に付け込んでローディスが干渉してくる恐れがありました。下手をすれば治安回復の名目で軍隊を派遣され、ローディスの植民地となっていたかもしれないのです。兄はそれを恐れ、ローディスからの干渉をコントロールするために敢えて泥をかぶりました」
『前』の僕がブランタと対峙した時に、ブランタ自身が告白した事だ。奴の言葉がすべて真実だったとは今でも思っていないが、ローディスの戦力を招き入れた理由については真実だったのだと思う。そうでなければ、権力欲の強いブランタがわざわざ外部の大国の勢力を招き入れるはずがない。
「……あなた方は、ローディスの排除を狙っている。そう考えてよろしいか?」
「そう考えて頂いて構いません」
レオナールさんと父さんが視線を交わしている。二人の間には緊張感が張り詰める。ずっとゴリアテで神父を続けてきた父さんではあるが、元はハイムで魑魅魍魎を相手に立ち回っていたらしい。レオナールさんの威圧を含んだ視線を受けても、毅然とした態度を崩さなかった。
やがて根負けしたようにレオナールさんがふっと空気を緩めると、ため息を一つついて立ち上がった。
「私とて、ヴァレリアを思う気持ちは同じです。ですが、公爵閣下は……」
「閣下は賛同してくださらないでしょうか?」
「……私の口からは何とも。では、失礼いたしました」
レオナールさんの後ろ姿を見送り、僕達は目を合わせて息を吐いた。
やれやれ、心臓に悪いな。
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「閣下、こちらにおられましたか」
「レオナールか」
アルモリカ城の城壁から城下町を眺めていたロンウェー公爵は、背後からの声に肩越しに振り返る。
「あの者たちに話を聞いて参りました。プランシー殿の話によれば――」
レオナールはプランシーとの会話を一部始終説明する。話を聞いた公爵は一つ頷くと、ご苦労と言ってレオナールを労う。レオナールは頭を下げると、そのまま公爵の後ろに控えた。
「……ローディスの狙いか……」
公爵の頭に様々な可能性が浮かんだが、どれも大国の狙いとしては小さすぎる。ありえるとすれば、このヴァレリア諸島の覇権を握る事だろう。ヴァレリア王国は、小さいながらも海洋国家として貿易で栄えてきた。その利益を独占できるのであれば、大国が動く動機になりうる。
ウォルスタが生き残ったとしても、ローディスに支配されてしまえば奴隷同然だ。植民地として支配されたニルダム王国の凋落は、ロンウェーの耳にも入っている。
「……クララ」
彼の口から思わずこぼれ落ちた名前。それは、彼の愛した孫娘の名前。娘に乞われて、三日三晩悩んだ末に考えた名前だった。生きていれば、今年で五歳になる。
そのつぶやきを耳にしたレオナールは、苦い顔となって公爵の足元にひざまずく。
「閣下……どうか。どうか、ウォルスタの未来をお考えください。閣下が後ろを向き続ける事など、ご家族も望んではおらぬはず」
レオナールの諫言に、ロンウェーは顔をしかめる。握りしめた拳に力がこもった。
「なぜ……なぜ、娘たちなのだ。なぜ犠牲にならねばならなかったッ……! 娘をハイムに嫁がせなければッ! 貴族として家を保つために、我が娘を犠牲にしたのだッ! ワシが……! ワシが、娘を……!」
「……どうか心をお鎮めください……」
レオナールは、ロンウェーの嘆きに答える言葉を持ち合わせていなかった。
デニム達がどれだけ暗躍しようとも、内乱の犠牲者はすでに発生している。遺された者たちは悼み、ひたすらに戦争を、その原因となった相手を憎悪する。
憎しみの鎖は太く繋がり、簡単には断ち切る事などできない。
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港町オミシュ。荒くれ者が集うこの町のルールはシンプルだ。
「……次は誰だ? まとめて掛かってきても構わんが」
「な、な、なんだコイツ! クソッ、化物め! おめぇら、一斉に行くぞ!」
男の呼び掛けに複数の野太い声が返事する。それぞれが得物を構えてジリジリと輪を狭めてくる。さっきまでは余裕ぶってニヤニヤと笑みを浮かべていたが、すでにそんな余裕は微塵もなくなっている。
「オラァァァッ!」
「死ねェェェッ!」
言葉通り一斉に四方八方から襲いかかってきた男たちを片っ端から槍で打ち落としていきながら、俺はため息をついた。なんでこんな面倒な事になってしまったんだ。
オミシュの港に着いてどうしたものかと思案する俺達に、男の集団がニヤニヤ笑いながら話しかけてきたのだ。どうやらデネブさんとラヴィニスに釣られたようだった。
当然ながら無視していると男たちは激昂して襲いかかってきたので、俺達も応戦。気がつけば街中の荒くれ者どもが集まっての大乱闘になっていた。スマッシュ兄弟かな?
「ああもうッ! キリがないッ!」
ラヴィニスは突剣を素早く動かしながら、襲いかかる男たちを次々と穴だらけにしていく。倒された男のうち何人か嬉しそうな表情をしているのは多分気のせいだろうか。
「うおおッ! 俺は関係ねぇだろッ!」
そう言いながら走り回っているヴァイスは、ゴツい男たちから逃げ回っている。あれぇ、デニムの親友だから、もっと戦えるのかと思ったのに。がんばれ、ヴァイス。
なお、デネブさんはいつも通り上空で応援していた。楽しそうでいいですね……。
最終的にはオミシュの広場にボロ雑巾のようになった男たちの山が築かれた。途中、親分っぽいのも登場したが一緒に片付けている。いちいち名乗りを上げてくれたが、ちっとも覚えていないな。
荒くれ者の街だが女や子供も住んでいるらしく、建物の窓や陰からチラチラと顔を覗かせている。その中で俗にいうストリートチルドレンのような子供たちが、物陰から顔を輝かせながら俺を見ていた。
「つえー」
「すげー」
単純な賛辞だったがその分単純に嬉しくなった俺は、肩に掛けていた袋からドラゴンの燻製肉を取り出す。船の上で暇だったので、せっかくの肉が痛まないようにと作ったものだ。子どもたちの視線は完全に燻製肉に釘付けになった。
手招きしてやると、わっと一斉に子どもたちが集まってきた。燻製肉を切り分けながら子どもたちに与えてみると、子どもたちは口々にお礼を言ってきた。隣にいるラヴィニスは複雑そうな表情をしている。子どもたちは誰もがみすぼらしく、日々の糧にすら困っているのは明らかだ。
子どもの中には、口が聞けないのか身振りでお礼を伝えてきた女の子もいた。頭を撫でてやると、最初はビクリと震えて緊張していたが、ニッコリと微笑んだ。
「――――偽善だな」
背後から聞こえてきた小さな声に振り向く。そこには、昼間だと言うのに酒瓶を脇に抱えて、顔を赤くしながらグダリと地面に座っている爺さんがいた。
赤いカウボーイハットのような帽子をかぶり、白い髭を生やしている。一見するとただのオシャレな爺さんだが、よく見ればタダ者ではなさそうだ。
「お前がそいつらに肉をやったところで、野垂れ死ぬのが少し延びるだけだ」
「…………」
「下手に希望を持たせるぐらいなら、見捨てた方がマシだな」
「な、なんですッ! さっきから聞いていれば!」
ラヴィニスが我慢できないといった様子で噛みつく。だが、俺は片手でラヴィニスを制止して首を振る。この爺さんの言っている事は間違いではない。
「……彼の言う通りだろう。俺のやった事は自己満足にしか過ぎん」
「ですがッ……!」
「俺たちが本当にすべきなのは、さっさと戦争を終わらせる事なのだろう。そうすれば、少なくとも戦争で親をなくす子どもは出なくなる」
「…………」
ラヴィニスは唇を噛んで、それ以上は何も言わなかった。彼女もそれが正しい事はわかっているのだろう。ま、俺はやらない善よりやる偽善なタイプだし、別にいいんだけどね。
「は〜、あなた達って本当に行く先々でトラブルばっかりね。ま、おかげで退屈しないけど」
空から脳天気な声が降りてきた。暗い雰囲気を簡単に一掃してくれる彼女の存在は正直ありがたい。
「あら、イケメンなオジイちゃんね♥ どっかの誰かさんとは大違い。私と帽子が色違いね♪」
「……随分とまあ、賑やかだな。見るからに魔女って感じだが」
「そうよ。アタシは魔女のデネブちゃん。よろしくネ♥」
デネブさんがくるりと回ってみせる。爺さんは呆れた表情になった。口のきけない女の子は、ホウキに乗って飛んできたデネブさんを見て口をポカンと開いている。
「はぁ……はぁ……なんで……こんな目に……遭うんだよ……」
肩で息をするヴァイスがノロノロと戻ってきた。なんとか無傷で切り抜けたらしい。まだまだ鍛錬不足だな。あとでしっかりと絞ってやろう。
「それにしても海賊の住む町とは聞いていたが、随分と手荒な歓迎だったな。これで少しは大人しくなってくれれば良いのだが」
「あのなぁ……お前らはこの街の主だった連中を軒並み片しちまったんだ。お前らにケンカ売る度胸のある奴なんかもういねぇよ」
赤ら顔の爺さんが、呆れた表情でツッコミを入れてくる。
「む、そうなのか。ではこの街に少し滞在しても安全そうだな。船を修理せねばならんと言うし」
船乗り達によれば、嵐によって操船に必要な舵が壊れてしまったらしい。帆の向きである程度は操作できるが、修理しなければ長期の航海は難しい。幸い修理に必要な道具や材料は揃っているらしいので、数日あれば直せるだろうとの事だった。
「……お前らがいれば、当分はこの街も落ち着いてるだろうな」
「ところでご老体の名前は? 俺の名はベルゼビュート。好きに呼んでくれ」
「…………名前なんか、忘れちまったよ。俺はただの老いぼれだ」
そう言って立ち上がった爺さんは、酒瓶片手にフラフラと立ち去っていく。
その後ろ姿を、女の子はじっと見つめていた。
ロンウェーさんが内戦で娘と孫を亡くしたのは公式設定です。やっぱ単純なキャラなんていないんやなって……。
既定路線通り海賊の町で頂点に立ったベルさん一行。お爺ちゃんは誰なんでしょうね?(すっとぼけ)