「もう……デニムったら……」
雑踏に消えていったデニムの背中を見送りながら、その姉であるカチュアは溜息をついた。ちょっと調子に乗りすぎたかと反省する。
彼女にとって、デニムは弟である。それは、自分が王の娘であり、デニムとは血のつながらない義姉弟である事を自覚しても変わらなかった。彼女のそれは恋愛感情というよりも、家族同士の親愛というべきものである。
ただ、とある日から時折見せるようになった大人びた表情が、どこか自分の知らないデニムであるように感じられて、ついつい過剰なスキンシップをとって安心したくなってしまう。彼に『未来の記憶』がある事は理解したが、やはりどこか遠慮があるように見える。
単純に、デニムの照れる様子が可愛いというのも、理由の一つではあったが。
「……お前らって、本当に仲が良いよな」
「そうよ、私達は姉弟なんだもの。仲が良くて当然でしょう?」
ヴァイスのぼやきのような言葉に、カチュアはにっこりと笑って答える。その笑顔を見て、ヴァイスは慌てて顔を背けた。
女であるカチュアは、ヴァイスが自分の事をどう想っているかなど、とうに知り得ている。デニムがそれを察して二人をくっつけようと画策している事もわかっていた。余計なお世話ではあるが、弟が自分の事を気遣っていると思うとそれも嬉しさに変わる。
「あのよ……デニムって、最近なんかおかしくねぇか?」
「……どういう意味?」
「いや、なんつーか、前よりもハッキリ物を言うようになった気がするしよ。それに時々、俺の事を変な目で見てくるし……あ、いや、妙な意味じゃなくてだぞ?」
「そんな事わかってるわよ。そうね……大人になった、って事かしら。あ、もちろん、妙な意味じゃなくてよ?」
カチュアの切り返しに、顔を赤くするヴァイス。何を想像したのかは明らかだった。基本的に単純で、わかりやすい男である。悪い男ではないのだが、カチュアにしてみれば張り合いがない。
「……この前、デニムと二人で手をつないで歩いてただろ」
「あら、見てたの? やーね、コソコソしちゃって」
「わりぃな。だけどよ、そん時に二人の会話もハッキリとじゃねーけど聞こえたんだよ。……あいつ、逃げたくないって、知ってる奴が辛い目に遭うって、そう言ってなかったか?」
「…………」
「なんの話かはわかんねぇけどよ。俺、アイツのあんな顔は見たことなかった……。あんな、まるでこれから戦争に行くみたいな……」
ヴァイスは沈んだ表情でそう言った。カチュアは内心では焦っていたが、表面には出さない。デニムが未来の知識を持つ事は家族の秘密になっている。広く知られれば、デニムを狙う者が現れるかもしれないからだ。
「……なぁ、アイツの言う『知ってる奴』ってのには、俺も含まれてるのかな?」
「…………そうね。含まれているはずよ」
「そうか……」
結局、カチュアはヴァイスの言葉を否定はできなかった。それを聞き間違いとして誤魔化すのは容易い。だが、あの時のデニムの言葉を嘘にはしたくなかった。
「俺はさ、このまま大人になって、親父の跡をついで仕事しながら……け、結婚して、子供を作って。そうなったらいいな、そうなるんだろうな、って漠然と思ってたんだよ」
「……そう」
「そんな、他の奴がどうなるかなんて、考えてなかった。アイツがなんでそんな事を考えたのか知らねぇけどさ、やっぱ俺ってまだまだだなって……。あー、くそ。何を言いたいかわかんなくなった」
ヴァイスは恥ずかしそうに頭をかきむしる。言葉足らずではあったが、カチュアにはヴァイスが何を言いたいのか何となく理解できた。
恐らくヴァイスは、デニムの思わぬ一面を見て、自分が思っていたよりも子供ではないのか、自己中心的ではないのか、と考えたのだろう。よく知るはずの親友が大人に感じられて、焦ってしまったのだ。
そう感じられる事こそ成長の証なのだが、カチュアはあえてその事には触れずに黙っていた。弟の親友である以上に、一人の男性として見守ってみようという気になっていたからだ。
「……いつかデニムが、あなたを頼る事もあると思うわ」
「え?」
「その時は、デニムに味方してあげて。それがきっと、あなたの為にもなる」
「…………」
カチュアの言葉に、ヴァイスは何やら考え込んだ様子を見せたが、やがてしっかりと頷いた。
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「あ〜、良い天気ね〜♪」
「デネブ殿、そんなに身を乗り出しては危ないですよ」
ラヴィニスがデネブを注意した。しかしデネブは「へーきへーき」と言いながら、船べりに腰掛けて足を外側に投げ出している。本当にマイペースな魔女っ子だなぁ。海風でスカートが……めくれない。
ちなみにタルタロスは、出発した時から船室にこもりっぱなしで出てこない。あいつ船酔いでもしてるんじゃないだろうか。あとでお見舞いにいってやろう。
なんとか船の足を調達した俺達は、ヴァレリア本島の西側を大回りして迂回しながら、南にある港町ゴリアテを目指している。最初は渋られたが、途中で狩ったドラゴンの皮や魔石を渡したら大喜びで船を動かしてくれた。肉は渡せないがな。
地竜の月までは、今日を入れてあと三日。このまま順調に行けば十分に間に合うペースだ。
「まったくデネブ殿は……」
「そうカッカするな、ラヴィニス。ほら、座って少し落ち着くといい」
そう言いながら空いている隣を指し示すと、口をとがらせていたラヴィニスは黙ってそこに腰を下ろす。潮風に混ざって、ふわりとラヴィニスの匂いが鼻をくすぐった。女の子って、どうしていい匂いがするんだろうな。
ラヴィニスは体育座りのように折り曲げた足に顔をうずめて、こてり、と俺に寄り掛かる。かわいい。
「……ベル殿は、不安ではないのですか?」
「む?」
「これから先の事です。デニムを救えたとして、その先には再び、血で血を洗うような戦いが待っているはずです」
「……そうだな。不安でないといえば嘘になるが……。まあ、何とかなるだろう」
「どうしてですか?」
「ラヴィニスがいれば俺は何でもできるからな」
「…………」
俺がそう答えると、ラヴィニスは顔をうずめたまま動かなくなった。ちょっと臭かっただろうか。いやいや、でも本当の事だしな。なんなら、もう一回ドルガルアをぶっ飛ばしてこよう。
「……ベル殿は――――」
「海賊だッ!!」
ラヴィニスの声を打ち消すように、船員の一人が大声で叫んだ。そういえば、この島は海洋国家だけあって、海賊が結構いるんだよな。内戦が終わった後の治安回復のために、俺も結構な数を退治したのを覚えている。
見れば、確かに二隻の船がこの船を挟み込むようにして近づいてくる。黒い帆を張っていて、一目で海賊船だとわかる。自己主張の激しい海賊どもだなぁ。
「海賊か。ずいぶんとわかりやすいが……」
「この辺りに、海賊どもが集まる港町があるんでさぁ。奴ら、我が物顔でこのオベロ海を荒らし回ってやがるんで、こっちも迷惑してるんですよ」
船員の一人が事情を説明してくれる。そういえばそんな噂を耳にした事もあったなぁ。海賊が集まる町とか、ちょっと興味があるわ。やっぱり手足が伸びたりする奴がいるんだろうか。先を急いでなければ寄ってみるんだが。
やがて近づいてきた二隻のうち片方の船から、フック付きのロープがいくつも投げられて固定される。海賊達がこの船へと乗り込もうとしてきているようだ。船べりに腰掛けていたデネブさんは、とっくにホウキに腰掛けて空中に退避していた。
「賊ならば、容赦はいらんな」
「ベル殿……?」
立ち上がった俺は、肩に掛けていた愛槍を片手に掴み、そのまま槍投げの要領で海賊船に狙いを付けて投げ放つ。放たれた槍はパァンという音を遅れて鳴らしながら、海賊船の横腹に命中した。
「えぇッ!?」
槍はそのまま船を貫通し、大きな水柱を作る。うむ、ストライクだな。
大穴が開いた海賊船はそこから一気に海水が流れ込み、渦を作りながら海中へと沈んでいく。当然ながら、船に乗っていた海賊たちは海の藻屑となっていく。あっ、真っ二つに折れた。うーん、タイタニック。あとでラヴィニスと二人でタイタニックごっこしよっと。
来い、と念じると、ぶん投げた槍は海面からザパァンと水しぶきを飛ばしながら顔を出し、一人でに俺の元へと回転しながら戻ってくる。黒くなったら、いつの間にか俺の言う事を聞くようになってたんだよな。ペットみたいで可愛い槍だぜ。
「な、なんで槍が勝手に……」
「わからんが、便利だから良いだろう」
「えぇ……」
戻ってきた槍をキャッチして撫でてやりながら、反対側のまだ無事な方の海賊船を眺める。片割れが沈没したのを見て、船内は大騒ぎになっているようだ。
さっさと片付けるか、と思いながら槍を構えると、投げる前に海賊船から白旗が揚げられた。この世界でも白旗が降参を表す事に変わりはない。構えていた槍を下ろした。
「海賊のくせに投降するとは意気地がない奴らだな」
「いえ……あんな光景を見たら、誰だって投降するのでは……」
ラヴィニスがぽつりとつぶやいたが、俺は聞こえないフリをした。
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「俺は殺されてもいい。だが、こいつらは逃してやってくれ」
「そりゃねぇぜ親方ァ!」
「そうですぜ、ダッザの親方! 俺らは一心同体、死ぬ時は一緒だって言ったじゃねぇですか!」
俺達を襲った海賊の頭領はダッザというらしい。子分達には随分と慕われているようだ。海賊たちは大人しく縄で縛られて裁きを待っている。
「賞金首なんだろうが……いちいち連れていくのは面倒だな」
「時間がないですからね……。いっその事、処分してしまっても良いのでは?」
ラヴィニスの言葉は冷たいように聞こえるが、この世界の倫理観では別におかしいものではない。そもそも王国が分裂状態にあって、まともな司法機関など存在しないのだ。裁きを受けさせるといっても、海賊などは打ち首が基本である。
「ま、待ってくれ! 親方には帰りを待つ女がいるんだよッ! 妊娠してて子供もできるんだ!」
「頼むッ! 親方を助けてくれ! 俺達はどうなってもいい!」
むぅ、女子供の話を聞かされると弱いな。嘘の可能性もあるが、どう判断すべきか。
「それならば、最初から海賊などしなければ良かったのだッ! 都合が悪くなったら命乞いなど、虫が良すぎる! 自業自得だろうがッ!」
ラヴィニスが怒りの声をあげる。完全に正論である。生真面目な彼女は、賊の類を許せないのだろう。
「まあ待て、ラヴィニス。ここは一つ、見逃してやろう」
「えっ……? で、ですが、この者たちはどうせすぐに強奪を繰り返しますよ?」
「そうなったら、こいつらは俺が責任を持って追い込んでやろう。魔界だろうが天界だろうが、どこへ逃げようと追いかけてやる。この槍がいつ降ってくるか怯えながら暮らす事になるな」
「ヒェッ……」
「フィラーハ様ァ! 悪魔だ、悪魔がいるッ!」
俺の殺気を込めた言葉に、海賊たちは顔を蒼白にして肩を寄せ合って震えている。頭領のダッザも顔を蒼くしながら二度三度と頷いている。
「わ、わかった。海賊稼業は廃業にする。荷運びでも何でもして地道にやる。男に二言はねぇ」
「親方ッ! 俺達も! 俺達もついていきますッ!」
「どうせ死ぬはずだった命だッ! 親方のために使いますッ!」
「おめぇら……馬鹿野郎どもめ……!」
なんだか茶番劇を見せられてしまった。ちょっと脅しの効果がありすぎたか? 横に立っていたラヴィニスは、処置なしといった様子で溜息をついて首を振った。
俺もこういう偽善行為はあんまり好きじゃないが、生まれてくる子供に罪はない。このご時世だと片親がいないなんて珍しくはないのだろうが、それでも両親がいたほうが良いに決まっている。
「ふぅ〜ん。ベルちゃんも優しいところがあるのねぇ」
「船一隻を沈めた相手に言う言葉ではないだろうが……」
「あら? 照れてるの? カワイイ♥」
デネブさんがのからかいを受け流そうと思ったが、相手の方が一枚上手だった。ちょっとこの人、強キャラすぎませんかね……。
解放した海賊たちは、俺に頭を下げながら船に戻っていく。頭領のダッザも、俺に深々と頭を下げた。
「あんたのおかげで助かった。あんたには返しきれねぇ恩ができちまったな。もし力が必要なら声を掛けてくれ。海賊は廃業するが船なら用意できる」
「ああ。お前も妻と子供を大事にするんだな。いつでも見ているから、覚えていろ」
「へへ……おっかねぇな。わかってるよ。あいつらを不幸にするつもりはねぇからな」
そう言ってダッザは笑ってみせた。
髭面のオッサンの笑顔なんて別に嬉しくないぞ。
おや、ヴァイスくんの様子が……?
原作だとダッザさんより奥さんのヴェルドレさんの方が印象深いキャラですね。