祭りの日がやってきた。
この一週間、何もしていなかったわけじゃない。父さんや姉さんと相談しながら、明日の夜にあるはずの襲撃をどう乗り切るべきか考えてきた。そのための準備もしてきたのだ。
『未来』の僕と違って、頼れる仲間や自由になる戦力があるわけではない。真っ向から迎え撃つという選択肢は早々に消えた。そうなると、残る選択肢は限られている。
「どう? 似合うかしら、デニム」
「うん、よく似合ってるよ。姉さん」
「本当? フフッ、嬉しいわ」
新しい服を着てクルクルと回ってみせる姉さんに、思わず笑みがこぼれる。あれからますます距離が近づいた気がするけど、それは姉弟としてであって、僕は姉さんに対して恋愛感情はない。
「そういえば、ヴァイスはまだかな」
「あら、ヴァイスも来るの? てっきり二人っきりで回ると思ったのに」
「ね、姉さん。前からの約束じゃないか。忘れちゃったの?」
「冗談よ。でも私は、デニムと二人の方が良かったなぁ、って思うけど?」
「姉さん……」
僕に恋愛感情はない。ないのだが、姉さんはなぜか姉弟としての必要以上に距離を詰めようとしてくる。それを何とかやり過ごすというのがこの一週間だった。
ヴァイスはきっと姉さんの事を想っている。傍から見れば丸わかりだというのに、『前』の僕は全く気がついていなかった。これは成長したと言えるのだろうか。
僕としては、ヴァイスの方が姉さんに相応しいと思っている。親友であるヴァイスは、本当に尊敬できる相手だったからだ。
バルマムッサの虐殺。ヴァイスは最後までそれに反対し、解放軍を離れる事を選んだ。最初は現実を見る事のできない彼に幻滅したが、今では彼の選択も間違いではなかったと素直に思っている。
ヴァイスは理想を貫く事をあきらめず、追われながらも地道に活動し続けた。それがどんなに難しい事か、今の僕にはよくわかるつもりだ。本当にスゴイ男だと思う。
待ち合わせの場所で白い息を吐きながら二人で待っていると、手を振りながらこっちへ駆けてくる人影が見えた。
「おーい、待たせたなッ!」
待ち人であるヴァイスがやって来た。彼は駆けてくるなり立ち止まると、姉さんの姿を見てカチンコチンに固まってしまった。姉さんの姿はいつもと少し雰囲気が変わっていて、白い毛皮のコートと短めのスカートが女性としての魅力を引き立てている。
姉さんに見惚れてしまったのであろうヴァイスは、頬を赤くしている。それは寒さのせいなどではないだろう。
「遅いわよ、ヴァイス。凍えてしまうじゃない」
「あ、ああ……悪い……」
「ま、いいわ。じゃ、行きましょうよ。ほらデニム、エスコートしてちょうだい」
「う、うん」
相変わらずマイペースな姉さん、ぼーっと上の空のままのヴァイスを連れて、僕は歩き始めた。
空は冬の澄んだ空気に満ちており、雲ひとつ見えない。
まだ、雪は降りそうに見えなかった。
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一隻の船が、港町ゴリアテの存在するガルドキ島の湾岸へと静かに着岸する。
船員によって船から降りるためのタラップが架けられると、そこから一人の人影が島の陸地に降り立った。その者は全身を覆うローブとフードを身に着けていたが、潮風に煽られてフードがばさりとはだける。
その正体は暗黒騎士団ロスローリアン団長、ランスロット・タルタロス。その腰元には光り輝く聖剣が提げられている。バクラムの本拠地であるハイム、彼はそこから遥々海を渡ってこの小さな島を訪れたのだった。
続いて彼の後ろから、一頭の馬が口取りに手綱を牽かれながら陸地に降り立つ。ブルルッと一鳴きしたその馬は、おおよそ普通の馬とはかけ離れた立派な体躯を持ち、赤いたてがみと二本の角のような装具を身に着けている黒馬だった。
やがて、タルタロスの元へ一人の男が足早に近づいてきた。全身黒ずくめの男は、タルタロスの前にひざまずくと報告を始める。
「準備の方は滞りなく進んでおります」
「そうか。例の神父の姿は確認できたのだな?」
「ハッ。伝えられていた通りの風貌です。まず間違いないかと」
「ふん、手間を掛けさせてくれる……。まあ良い、決行は明日の夜だ。そう周知しておけ」
「ハッ!」
返事をした男は、一礼すると立ち上がって足早に立ち去っていった。あとに残されたタルタロスはしばし佇んでいたが、急かすような
「ふん……窮屈な船底に押し込められて不満か。ならば、思う存分に走らせてやろう」
タロタロスは口取りから手綱を受け取ると、馬の立派なたてがみを一撫でする。気難しい気性を持つその馬は、ブルルッと鼻で笑うように鳴いてみせる。
大人の身長ほどはある高さの馬の背に、一気に駆け上がりまたがったタルタロスは、手綱を操作して馬を走らせ始めた。黒馬はそれに応えて、大きな体躯を揺らしながら豪快に海岸を駆ける。
蹄の音が、平和な港町へと近づきつつあった。
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「ほら、デニム。あ〜ん」
「ね、姉さん……恥ずかしいよ……」
目の前に差し出されたスプーンを、僕は首を振って拒否する。しかし姉さんは、「あ〜ん」と言いながらグイグイと僕の口元へと押し付けてくる。仕方なく口を開くと、スプーンは僕の口に放り込まれた。屋台で売られているシロップ漬け果実の甘い味が口いっぱいに広がる。
「おいしい?」
「う、うん……」
「そう、良かった。ウフフ……」
「カ、カチュア……俺にも一口……」
「あら、あなたは自分のがあるじゃない」
「…………」
姉さんにバッサリと断られたヴァイスは、がくりと肩を落とす。見てるこちらが辛くなってくる。『前』の僕は、どうしてこんな状況でのほほんとしていられたのだろう。
「あ、そ、そうだ。僕、ちょっと買い物に行ってくるよ」
「え? そう、じゃあ私もついていくわ」
「い、いやっ! 姉さんはここでヴァイスと待っててよ。すぐに戻ってくるから……!」
姉さんの返事を待たずに、僕は走り始めた。背後から呼び止める姉さんの声が聞こえたが、足を止めなかった。ヴァイスと二人きりにしてあげれば、進展があるかもしれないと願いながら。
一年に一度の祭りだけあって、島中の人がいるのではないかと思うほどごった返している。島の外からも人が集まっているのだから仕方ない。何度か危うくぶつかりそうになりながら、僕は人混みの中を駆け抜けた。
メインストリートを抜けて、裏通りに飛び込むと人気は少なくなる。やっと落ち着いた僕は、息を整えながら人心地つける。どうしてこうなってしまうんだろう。僕はヴァイスを応援したいのに。
溜息を吐きながら、裏通りの入り口からメインストリートを行き交う人々を眺める。
家族連れ、カップル、親子、誰もが楽しそうな顔で話したり屋台を覗いたりしている。場所柄、ウォルスタ人がほとんどであろう。今この瞬間だけは、みんな嫌なことを忘れて祭りを楽しんでいる。
もし暗黒騎士団がやってくれば、この平和な光景はあっという間に失われてしまうのだろう。それを防ぐために、僕がしっかりしなければならない。
気合を入れ直していると、裏通りの奥の方から悲鳴が聴こえてきた。祭りとなると、はしゃぎすぎる不埒者が出てくるのもお決まり事だ。
放っておくわけにもいかず、僕は悲鳴の聞こえた方向へと走り出した。まばらにいる人々も、悲鳴が聞こえたのか同じ方向を向いている。
「まっ! 待ってくれッ! 悪かった! 俺達が悪かったからッ!」
「謝るくらいなら、最初からするんじゃないッ!」
「ヒエェッ!!」
何人かの野次馬に囲まれるようにして、地面に這いつくばっている数人の男と、その男の一人の胸ぐらを掴み上げる女性の姿があった。先ほど聞こえた悲鳴は、男のものだったようだ。
僕はその女性の姿を見て、固まってしまう。
「アロセール、もうそのぐらいでいいじゃないか。謝ってるんだから」
「兄さんは黙っててちょうだいッ!」
女性の隣に立つ気の弱そうな男性がそれを止めようとしているが、女性は全く言う事を聞こうとしない。二人は兄妹のようだが、力関係は明らかだ。僕たち姉弟といい、いつだって女性は強い。
そうだ、彼女はアロセールさんだ。『未来』の僕の手による虐殺によって兄を失い、復讐者として僕の前に立ちふさがった彼女。後に和解して解放軍に加わってくれたが、戦いの中で命を落とした。最後まで、兄を手に掛けた僕の事を許してはくれなかった。
一見すると華奢に見えるアロセールさんは、片手で軽々と男を掴み上げている。赤髪が特徴的な彼女は、確か僕と同じぐらいの歳だったはずだ。その隣に立っている兄も同じ赤髪で、こちらは長身で頼りがいがありそうに見えるが、気弱な態度がそれを台無しにしている。
大体の経緯がつかめてきた。恐らく、地面に寝ている男たちが兄妹にちょっかいを出そうとして返り討ちにあったのだろう。数で勝っているからと舐めてかかったのかもしれない。
とにかく、そろそろ止めに入らないと。
「あの、その辺にしておいてはいかがでしょうか?」
「なに? あなたもこいつらの仲間かしら?」
「え? いや、違いま――――うわっ!」
否定しようとした僕に、アロセールさんは掴み上げていた男を投げ飛ばしてくる。慌ててそれを受け止めると、彼女は死角から僕の脇腹に一撃を入れようとしてきた。
これでも、幾度もの戦いを潜り抜けてきたのだ。経験が僕を動かし、彼女の拳をとっさに腕でガードする。強烈な一撃ではあるが、今の彼女はまだ『雷神』と呼ばれる前の女性にすぎない。なんとか耐えられた。
彼女は、そんな僕の動きに驚いた表情を見せた。
「あら……。見た目によらず、やるのね」
「ハハハ……こう見えてもギリギリでしたよ。その、争うつもりはないのですが」
「そうだよ、アロセール。いきなり殴りかかるなんて、女の子のする事じゃないぞ」
「う……。わ、わかったよ……」
なぜか急にしおらしくなったアロセールさんにホッとしつつ、男の身体を地面に下ろす。男はいつの間にか気絶していたようだ。
「ごめんね。うちの妹が迷惑を掛けた。怪我はなかったかい?」
「え、ええ……。大丈夫です」
アロセールさんの兄さんに謝られて、変な気分になりながら答える。本当なら、僕が謝らなくてはいけない相手なのに。いくら謝っても足りない相手なのに。
「ほら、アロセールも」
「う……そ、その……悪かったわ。いきなり殴ったりして」
「はは、しょうがないですよ。男に囲まれたら、誰だって気が立ってしまうと思いますし。かよわい女性となればなおさらでしょう」
「か、かよわい……」
照れたアロセールさんは黙り込んでしまった。『前』の時は、いつも警戒心を隠さずに接されていたから新鮮な反応だ。こんな女性を、復讐者にしてしまった事を本当に申し訳なく思う。
兄がそんなアロセールさんを見てクスリと笑い、僕に握手を求めてきたので応じる。
「僕はシドニー・ダーニャ。こっちは妹のアロセール。クリザローから来たんだ。よろしくね」
「あ、はい。僕はデニム・パウエルといいます。このゴリアテに住んでいます」
「なんだか堅いね。たぶん歳も近いし、敬語は要らないよ。ゴリアテの祭りは久しぶりに来たけど、やっぱり綺麗な町だよね。毎日見られるなんて、うらやましいな」
「いえ、さすがに見慣れま……見慣れるよ。それを除けば田舎町だしね」
アロセールさんの兄、シドニーは親しみやすい人だった。罪悪感が胸を苛むが、なんとか平常心を保って応対できた。シドニーは、まだ黙り込んでいるアロセールさんを仕方なさそうに見る。
「まったく、アロセールももう良い歳なんだから、そろそろ落ち着いてくれないと」
「だ、だって、しょうがないじゃない。こいつらがナンパなんかしてくるから」
「かわいそうに……。アロセールの本性を知ってれば、声なんか掛けなかったろうに」
「に、兄さんッ!」
「ははは」
二人はどこからどうみても仲がいい兄妹だった。
「デニムくん、世の中にはこんなアロセールの事を好きになってくれる奇特な男性がいるんだよ」
「ちょ、ちょっと! 彼の事はいいじゃない!」
「レオナールさんも、何を考えてアロセールを選んでくれたんだろうね」
ドキリと胸が跳ねた。レオナール?
「そ、そのレオナールさんというのはもしかして、アルモリカ騎士団の?」
「おや、知ってるのかい? これは驚いたな。そうだよ、アルモリカ騎士団の団長のレオナール・レシ・リモンさんだ。アロセールとは偶然知り合ってね。それ以来、物好きな交際が続いてるというわけさ」
「もう……別にいいじゃない。彼は忙しいから、あまり会えないのよ。この祭りも一緒に来たかったのに……」
そうだったのか。アロセールさんとレオナールさんが恋人関係だったなんて全く知らなかった。
指導力不足が浮き彫りになったロンウェー公爵の暗殺を企図して、その罪をすべて被る事を選んだレオナールさん。僕にすべてを託した彼は、一体どのような気持ちで逝ったのだろう。アロセールさんという恋人を残していく事に、後悔や未練はなかったのだろうか。
アロセールさんにとって僕は、兄と恋人を殺した憎い相手だったはずだ。『未来』の話とはいえ、罪悪感が重くのしかかってきた。
「ん? どうしたのかい? 顔色が悪いよ」
「いや……。そろそろ僕は戻らないと。連れを待たせてるんだ」
「おや、そうなのか。それは引き留めて悪かったね。じゃあ、お互いに祭りを楽しむとしようか」
「……うん。あ、そうだ。二人はいつまでゴリアテに滞在する予定なの?」
「残念ながら、僕達は明日の日中にはゴリアテを発つ予定なんだ。僕としてはもうちょっと楽しみたかったけど、アロセールが早くレオナールさんと会いたいみたいでね」
「もうッ! 兄さんッ!」
「ははは」
良かった。明日の日中なら、襲撃の頃には居ないはずだ。二人が巻き込まれる心配はない。
安堵しながら二人に別れを告げて、僕は表通りへと戻る。こんなところでアロセールさんと出会うなんて、『前』の僕の経験にはなかった事だ。
僕の行動によって、僕の知る未来から少しずつズレはじめている。
その事に希望と、そして若干の不安を覚えながら、姉さん達の元へと急いだ。
アロセール姐さんと、その兄シドニーでした。兄は原作未登場のため独自設定です。
デニムくんは色々と大変そうですね(ゲス顔)