029 - Lost in Time
デニム・パウエルは、朝目覚めた時から不思議な感覚を覚えていた。
ヴァレリア諸島の南部にあるガルドギ島。そこにある、かつて『オベロンの真珠』と呼ばれるほどに美しい町並みを誇る港町ゴリアテ。彼はそこで育てられてきた。
優しい父親プランシー、弟思いの姉カチュア、母親はいないが家族三人で仲睦まじく暮らし、親友のヴァイスや友人達にも恵まれて、間違いなく己が幸福であると確信している。
それなのに。この不安は、この絶望は一体なんなのだろう。
「デニム、起きてるの? 朝ごはんよ」
「ね、姉さん……?」
寝室の扉からのぞかせた顔を見て、動揺した様子を見せるデニム。その人は、確かに彼にとっての姉と言える人物だった。いつもと変わらない朝、そのはずだった。
「なぁに? 寝ぼけているの?」
「姉さん……姉さんッ!」
デニムはベッドから飛び起きて、姉の胸元へと飛び込む。幼いころは身長差もあったが、今のデニムはすっかり青年へと成長しており、カチュアの身長を抜き去っている。そんな彼が、子供のように姉へと抱きつく光景はやや異常であったが、カチュアは何も言わずに微笑んでデニムを受け止め、頭を撫でる。
「あら……どうしたの、デニム。何か怖い夢でも見たのかしら」
「姉さんは……ここにいるんだよね?」
「ええ。私はここにいるわ。デニムを置いて、どこかに行ったりしないわよ」
涙声で顔をうずめるデニムをなぐさめるように、カチュアは頭を撫で続ける。その姿は、仲の良い姉弟以外の何ものでもない。
やがて、落ち着いたデニムがゆっくりと顔をあげる。その頬は少し赤くなっていた。
「ごめん……姉さん。でも、なぜか姉さんが……いなくなってしまったような、そんな気になっていたんだ」
「そう……。デニム、それはきっと悪い夢よ。あなたは悪い夢を見ていたの」
「うん……そうだよね……」
なぜか浮かない表情のままのデニムだったが、カチュアはそんなデニムの手を優しく握り、食堂へと導いていく。パンの焼ける香りがふわりと漂い、デニムはやっと表情を和らげる。
「おはよう、デニム。ぐっすりと眠れたようだな」
「え……と、父さん?」
「なんだ、変な顔をして。まだ寝ぼけているのか?」
「父さんッ!!」
先ほどと全く同じ光景が繰り返された。子供のように泣きじゃくるデニムを、仕方ないといった表情で優しく慰める父親。それを優しく見守る姉。
「デニムは怖い夢を見たようだわ。私達がいなくなってしまう夢だったみたい」
「はっはっは。そうか。大人になったと思ったが、まだまだ子供だな」
温かい家族の団欒。それはデニムにとって当たり前だったはずのもの。だが、もはや二度とは取り戻せないと思っていたもの。二つの感情が入り混じりデニムは混乱しながらも、再び大好きだった父と姉に会えた事を素直に感謝した。
港町ゴリアテに、朝の光が降り注ぐ。
夜の訪れまで、あと少し。
--------------------
「ふむ……つまりここは、死者の宮殿の中だという事か?」
「ああ、恐らくな。だが、俺の住んでいた部屋とは少々異なっているが……」
「……このような場所に、本当に人が住めるのでしょうか……?」
二人の男、そして一人の女の声が、一つの部屋の中に響いていた。
「俺が住んでいた部屋は、もっと家具などが置かれていたはずだ。自作のものだがな。この部屋はまるで、俺が住み始める前の状態そのままのように見える」
「……誰かが家具を撤去したのではないか?」
「む、その可能性はあるが……。モンスターは基本的にこの部屋には入ってこない。来るとすれば、俺の配下のように動いていたリザードマン達だが、奴らが俺の命令なしに部屋に入るとは思えん」
男の一人、銀髪の男性が腕を組みながら言った。その深く紅い目は、見る物を虜にする宝石のような輝きを秘めている。その目に負けず劣らず眉目秀麗な顔立ちは、人形めいた造形美を感じさせた。
「……貴様の言う事を信じぬわけではないが、そもそも、どうして死者の宮殿などという場所に転移させられたのだ。この場所に関係の深い貴様の仕業ではないのか」
もう一人の男、片目に黒い眼帯をした隻眼の男性が、感情を込めぬ口調で言う。やや青みがかった銀の長髪を持つ彼は、三十代後半ほどに見える。渋みと苦みを漂わせる険しい顔立ちだった。
「いい加減にしなさい。ベル殿は知らぬと言っているでしょう。そもそも、あなたがハイムにやってこなければ、こんな事にはならなかったというのに!」
そう食ってかかったのは、最後の女性。やや茶を帯びた銀髪をショートカットにしていた。目鼻立ちのハッキリとした美人と言える。紅目の男性に寄り添うように腰掛けている。
「ふん。それを言うならば、貴様があの場に現れなければ、私はこの男に負けていただろうな。感謝するぞ、女よ」
「くっ……こ、この! 私はラヴィニス・ロシリオンよ! 変な呼び方をしないで! そもそも、あなたは一体何者だというの!」
「フッ。これは淑女に失礼をしたな。私はランスロット・タルタロス。ローディス教国の暗黒騎士団、その団長を務めている」
「なっ! あ、あなたがあの暗黒騎士団の……!?」
慌てて立ち上がって構えようとするラヴィニスの肩を、抱くようにして押さえる隣の男性。
「ベル殿! どうして止めるんです!?」
「落ち着け、ラヴィニス。君の気持ちもわかるが……この男は丸腰だ」
「えっ?」
ラヴィニスは驚きの表情でタルタロスを見やる。その腰にあるべき剣は存在しておらず、他に武器らしきものも見当たらない。確かにタルタロスは丸腰であった。騎士として生きてきたラヴィニスにとって、丸腰の相手を攻撃するのは恥ずべき事である。
「ふん……。どうやら、アンビシオンは一緒に転移されなかったようだな。私の手元を離れていたためか知らんが……」
タルタロスは無表情で自分の空っぽの手を見下ろす。その表情や口調にこれといった感情は表れていないが、目をよく見れば複雑な色を覗かせていた。
「……まあよい。私はここから出なければならん。ベルゼビュートとか言ったな。貴様はこの死者の宮殿を出る道も知っているのだな」
「ああ、知っている」
「…………一時休戦といこう。貴様もここから出なければならぬだろう?」
「なっ! 何を偉そうに……!」
「貴様は黙っていろ、女」
「だから、私はラヴィニスよッ!!」
タルタロスとラヴィニスの、犬猿の仲のような口争いに挟まれたベルゼビュートは、ひとつ溜息をついてから立ち上がると、ラヴィニスの頭をひと撫でする。
「……行くぞ。外に出てみなければ、ここが本当に俺の知る場所かもわからん」
頭を撫でられたラヴィニスは、緩みそうになる頬をこらえながらベルゼビュートを追いかける。その際、タルタロスにひと睨みするのを忘れない。タルタロスはそれに何も言わず、寄りかかっていた壁から立ち上がって歩き始めた。
不思議な組み合わせの三人組による、ダンジョン攻略が始まった。
--------------------
やっほい、久しぶりの死者の宮殿だぜ。まさかラヴィニスちゃんと一緒に来れるなんて思わなかったなぁ。よくわかんないけど命も助かったっぽいし、よかったよかった。余計な奴がくっついてきたけど。
相変わらず暗くてジメジメしているが、俺からしてみたら勝手知ったるという奴だ。だが、ラヴィニスからしてみればそうではないらしく、先ほどからビクビクして周りをキョロキョロとしながら歩いている。その手は、俺のローブの端をちょんと握っている。かわいい。
これは、もしかしてお化け屋敷シチュエーションというやつではないのか。お化けに驚いた彼女が、彼氏に密着して……うへへ。でも、このダンジョンにお化けなんていないしなぁ。ゴーストとかは、単なるモンスターだし……。
「な、なんだか不気味なところですね……」
「そうか。慣れれば大した事はないんだがな」
「ベル殿は、このような場所でずっと過ごしていたのですね……。それも、ずっと一人で……」
俺の身の上については、ラヴィニスにも説明してある。俺がダンジョンに三年間閉じ込められていて、それ以前の記憶がないことも彼女は知っている。実際には前世ともいうべき記憶があるけど、そっちもその内話さないとなぁ。やっぱり彼女に隠し事はよくないよな……えへへ。
「む……スケルトンか。久しぶりだな」
「えっ?」
負の気配に気づいて立ち止まる。足元に転がっていた骸骨がカチャカチャと音を立てながら動き始めた。
「キャアッ!」
ラヴィニスが俺の腕に抱きついて密着してくる。俺の腕は、至福の感触に包まれた。俺のテンションは一気にうなぎのぼりだ。今なら、なんだって相手にできる気がする。
「下がっていろ、ラヴィニス。こいつらはなかなか手強いからな」
「は、はい……すみません……」
ラヴィニスは頬を赤くしながら、後ろに下がった。そういえば、タルタロスは何しているのかと見てみれば、奴は俺達から少し離れたところで腕を組んでいた。空気の読める奴だなぁ。
組み立て終わったスケルトンが、相変わらず手品のように取り出した両手剣を持って襲いかかってくる。俺も愛用の槍を構えて迎え撃った。
あれ?
まずは様子見、と槍を払ったところ、スケルトンは避けることも防ぐこともできずに食らってしまう。まるで積み木が崩れるように骨がバラバラになって地面へと飛び散った。
おかしいな、弱すぎるぞ。このフロアのスケルトンは、俺と戦いまくって歴戦の戦士みたいになってたはずなのに。偶然か、俺が強くなったのか。それとも、俺のいない間に怠けてたせいで弱くなったのかな。
「……まあ、いい。敵が弱いにこしたことはない」
「さすがはベル殿…………どうしたんですか?」
こちらにキラキラとした目を向けてきたラヴィニスは、首を捻っている俺を見て訝しげに聞いてくる。俺は何でもないと首を振りつつ、先を急ぐことにした。
俺の中で、なんとなく、何が起きているか予想がつき始めていた。
俺達はそのまま、順調にいくつかのフロアを昇っていく。途中に出会ったモンスターは、容赦なく払い飛ばしていった。それというのも、俺と仲の良かったリザードマンやフェアリー、グレムリンなどが、俺を見るなり襲いかかってきたからだ。
ますます確信を深めながら、それを確かめるために、とある場所へ立ち寄る事にした。
「ちょっと回り道になるが、寄りたい場所がある」
「え、どこへ寄っていくんですか?」
「…………死者宮名物行き倒れ横町」
「は?」
「俺の友人が営んでいる、ショップだ」
「こんなところに……ショップですか……?」
ラヴィニスは首を傾げていたが、本当に存在するんだよ。嘘じゃないよ。俺だって最初見つけた時は驚いたんだもん。スケさんとカボさん、元気かなぁ。
後ろで話を聞いていたタルタロスへも一応確認すると、特に異論はないらしく頷いている。まあ、誰だってこんなところにショップがあると聞いたら、行ってみたくなるよなぁ。
出口への最短ルートを外れて、最寄りのカボさんのショップへの道を進んでいく。
--------------------
「いらっしゃいませカボ〜 『死者宮名物行き倒れ横町』へようこそカボ!」
「カボチャが……喋ってる……」
ラヴィニスがぽかんと口を開けている。カボさんは、頭がカボチャになっている不思議な種族なのだ。パンプキンヘッドというらしい。
俺ははやる気持ちを抑えながら、ゆっくりとカボさんに問いかける。
「カボさん……俺を覚えているか?」
「カボ? お客さん、初顔カボ〜。カボの名前、なんで知ってるカボ?」
「そうか……」
落胆を隠せない。カボさんの記憶から、俺の事がすっぽりと抜けてしまっている。
死者の宮殿を出てからしばらく経ってはいるが、常連となって毎日のように通い詰めた俺の事を忘れるとは思えない。『ベルっち』と呼ばれるほど仲が良かったのに、見知らぬ他人として接されるとかなり堪えるな……。
「……俺の名はベルゼビュート。好きに呼んでくれ」
「おおっ、カボはカボさんと呼んでほしいカボ〜。ベル……ベル……え〜と……ベルっち、よろしくカボ〜」
……やっぱり、単に記憶力が悪いだけかも……。
「あ、あのっ! 私はラヴィニス・ロシリオンと申します!」
「わ〜、ラミア以外の女の人は珍しいカボ。よろしくカボ! え〜と、ラヴィニスちゃん!」
「わ、私は『ラヴィっち』じゃないのですね……」
ラヴィニスはなんだかしょげている。かわいい。
「このような場所でショップだと……? 一体、どのような客が来るというのだ……。そもそも、仕入れはどのようにして……」
離れたところでショップに並ぶ商品を眺めているタルタロスが、ブツブツと独り言をつぶやいている。どうでもいいけど、俺には全て丸聞こえだからな。
「……カボさん。一つ聞きたいのだが、これまで他の人間がやってきた事はあるか?」
「カボ? う〜ん、あったような、なかったような……わからんカボ!」
「そうか。では、売れ筋の商品はなんだ?」
「そうカボね〜。やっぱりキュアリーフとかキュアシードなんかがよく売れるカボ。あとは、ゼナの果実酒とかイルミナの蜜酒とかを飲みにくる人も多いカボね」
「……オーブやドラゴンステーキは置いてないのか?」
「そんな貴重品、取り扱ってないカボよ〜! あんな凶暴なドラゴンを倒すなんて、無理に決まってるカボ!」
「……そうか」
やっぱり、おかしい。俺がいた頃は、狩ったドラゴンをよく持ち込んでいたのだ。ドラゴンステーキは俺が食ってしまうから無いのは当然として、ドラゴンの胃から取り出せる魔石で、カボさんはよくオーブを作っていた。
オーブを使うとなんだかスゴイ魔法が使えるので、かなりの売れ筋商品だったはずだ。悪戯好きのグレムリンが使ってきたので、かなりキツいお仕置きをした覚えがある。
「……何か、わかったのですか?」
ラヴィニスが不安そうな表情で見上げてくる。タルタロスも聞き耳を立てているようだ。
俺は頷き返すと、仮説を話してみる事にした。
「……俺達が目覚めたのは、俺の知っている小部屋に間違いない。そして、ここが死者の宮殿である事も間違いないだろう」
「しかし、そうなると……」
「ああ。だとしたら、なぜ俺が作った家具が存在しないかという事になる。それに俺はな、ここに住んでいた頃はこのショップの常連だったのだ。カボさんの記憶力が悪いのでなければ――」
「カボの記憶力は悪くないカボ!」
「――すまない。だとするなら、そもそもカボさんは俺に会った事がない、という事になるな。道中、モンスター達に襲われたが、以前は仲が良かったはずの奴らも俺の事を忘れたように襲いかかってきた」
「……え? え?」
俺の説明に目を回しているラヴィニス。混乱しているようだ。
その先を口にしようとしたところ、タルタロスが口を挟んできた。
「――なるほどな。つまり、我々は『時の迷子』というわけか」
「……ああ。かもしれん」
「ちょ、ちょっと、お二人だけで納得しないでください……」
頬を膨らますラヴィニスちゃん、ほんと天使みたい。
俺は微笑みながら、ラヴィニスにわかるよう噛み砕く。
「……つまり俺達は、過去に戻ったのかもしれない、ということだ」
やっと原作主人公が戻ってきました。夢か現か幻か……?
デコボコ三人組は、謎の一端にたどり着いたようですね。トリオ漫才かな?
いつも、感想や誤字報告をありがとうございます。
誤字報告機能の方は返信ができないためメッセージにてお礼させて頂いておりましたが、なんだか大げさで鬱陶しく思われるかと思い、この場でお礼を申し上げさせて頂く事にいたしました。
非常に助かっております。ありがとうございますッ!