無様に泣きじゃくる私の前にベルゼビュート殿が現れた時、ひたすら謝り続けた事を憶えている。その間、彼は黙ってデニムの顔を見つめていた。
遅れてきた彼に対して、どうしてもっと早く、と思わなかったとは言えない。だが、それが完全に筋違いである事も理解していた。彼は私達を信頼して去っていったはずなのだから。
彼はしばらくの間、無表情でデニムと私を眺めていたが、やがて何も言わずにフラリと立ち去っていった。私には、それを止める資格などないのだと思った。
失望させた、そう思った。
次に彼の名前を聞いたのは、同僚の騎士の口からだった。元々はブランタに忠誠を誓っていた騎士だったが、ブランタが没した後、デニムに説得されて王国のために忠義を曲げた男だ。あの決戦の時に、ベルゼビュート殿と一対一の決闘をして敗れたと聞いた事がある。
「ラヴィニス殿、聞いたか?」
「何をですか?」
「『バーナムの虎』が壊滅したらしい」
「…………まさか」
「ああ……あの男だ」
それは始まりに過ぎなかった。
それから度々、彼の事を耳にするようになる。あの人は次々と国内の不穏分子を排除していったのだ。そのおかげで、指導者を失い、まとまりに欠ける私達が空中分解せずに済んだと言える。しかし、その内情はボロボロだった。
誰かが指導者にならねばならぬ、と貴族の一人が立とうとすると、それを他の者達が足を引っ張って妨害する。その繰り返しだった。いずれにしても権力欲にかられただけの彼らでは、国を一つにするなど到底不可能に近い。
デニム一人がいなくなるだけで、こうまで違ってくるのだ。人々が『英雄の再来』を求めるようになるのは、自然な流れだった。それが、人知れず暗躍する『名もなき英雄』へ向けられる事も。
だが、彼は孤高を貫いた。
軍を出て彼についていこうとする者は後を立たない。だが彼はそれを全て断り、追われれば身を隠し、一人で動き続けた。
まさに東奔西走という言葉通り、昨日は東の盗賊団が、今日は西の海賊が、という具合に報告が入ってくるのだ。それが全て一人の仕業によるものとは考えづらく、非公式な武装集団が暗躍しているのではないか、と考えた王国中枢部は警戒心を強める。
そうして彼の身柄には、高額の賞金が懸けられた。
彼を知る者は私も含めて反対したが、疑心暗鬼になった貴族達を止める事などできなかった。
軍を退役する事も考えたが、彼の意思、デニムの遺志を考えると、それもためらわれた。
そして、デニムの死から半月が経とうという頃、その凶報はゼノビア経由でもたらされた。
ローディス教国、二十万の派兵。
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ローディス教国の首都である神都ガリウスを発った二十万もの戦力を擁する『光焔十字軍』は、いくつもの海を越え、およそ一月の船旅を終えてヴァレリア諸島に殺到しようとしていた。
その目的は、教国に歯向かいゼノビアに擦り寄ろうとするヴァレリア王国を支配下に収める事。ローディス教への改宗を強制し属国とするため、神の名のもとに教皇によって発動された『聖戦』だった。
とはいえ、教国の領土面積からすれば十分の一にも満たない小さな島々だ。もはや戦争と呼ぶ事すらおこがましい蹂躙劇が繰り広げられるものと、誰もが予想していた。
「良いか! 糧食はなるべく節約せよ! 極力は現地調達で賄うのだッ!」
「指揮官殿! それはつまり、略奪を良しとするという事でしょうか?」
「うむ、そうだッ! 自由な略奪を認める! この地に住むのは、反乱分子どもとつながり、教国に楯突こうと目論む異教徒たちなのだッ! 徹底的に蹂躙し、我ら教国の力を思い知らせるのだッ!」
王都ハイムから北、ヴァレリア本島の北東部に位置するルッファ海岸に着岸した一団は、船上で臨戦態勢を整え、上陸の準備を進めていた。彼らは本隊に先駆けて上陸侵攻を試みる先遣隊である。
教国の方針は、もはやヴァレリアという国の存続すら認めないほどの徹底的な蹂躙。すでに降伏を伝える使者は送られているが、その受諾を待たずにヴァレリア島全土を攻め尽くすのだ。
これは、早々の降伏を認めたニルダム王国で反乱の動きが見られる事が一因だった。その反省を活かし、教国の強大さを嫌というほど理解させて反抗心を削ぐ。それが教国の狙いだった。
だが、彼らには一つ、計算違いがあった。
「ゆくぞッ! 全軍上陸し、内陸へと侵攻せよ!」
部隊を指揮するコマンド級の騎士は、馬上で剣を抜いて高く掲げる。剣の刀身が太陽の光を反射して煌めいた。少しのタメのあと、剣を一気に振り下ろす。
「進――――」
そして、彼の意識はそこで途絶える事になる。
彼が号令をかけようとした瞬間、空から
見事な碧色のそれは、騎士の身体を真っ二つに引き裂き、それに留まらずに馬の背中を貫く。勢いそのままに槍が地面にまで達すると、爆発したかのように地面が吹き飛んだ。周囲にいた兵士達は巻き込まれ、生き残った者は皆無に等しい。
「…………え?」
先に突出していた兵士達が、大音量の爆音と土煙に振り向く。そこには、まるで星の欠片が降ってきたかのように、大きなクレーターが形成されていた。
だが、彼らがそれを理解した時にはもう手遅れだった。次の瞬間には、彼らへとほぼ同時に大きな衝撃が叩きこまれ、水平線の彼方へと粉微塵になって吹き飛ばされる。彼らが存在していたはずの場所には、怪しい紫色の光が軌跡として残されていた。
姿の見えぬ攻撃に怯えた兵士達は、自然と背中を合わせて円陣を組む。だが、それをあざ笑うかのように、円陣はみるみるうちに削り取られていく。兵士達はすっかり怯えきって、歯をカチカチと鳴らした。
残された数人が、ぼんやりとだけ、紫光を放つ人影を目撃する事になる。もはや正常な思考を保つこともできない彼らには、どうしてもそれが人間のものには見えなかった。
最後に残った一人が、ポツリとつぶやく。
「……オウガ……」
その後、先遣隊全滅の知らせが、斥候によって本隊に届けられた。
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どうしてだ。どうして。
俺は終わらない戦いを続けていた。もはや、殺した敵の数などいちいち数えていない。今の俺にとって、敵の顔はすべて同じように見えた。ジャガイモか何かだ。
あれから、大好きだったはずのドラゴンやグリフォンも食べていない。すっかり喉を通らなくなっていた。食べなくても生きていける身体でなければ、とうの昔に野垂れ死んでいただろう。
敵の上陸しそうな場所、敵が攻め込みそうな場所。見つけた端から全滅させていった。だが、それでも敵の勢いは止まらなかった。敵も、俺が一人で動いている事は薄々察しているらしく、戦力を分散させて攻め込んでくる。俺一人でできる事など、たかが知れていた。
敵によって蹂躙された村や町を、いくつも後になってから発見した。それを見るたびに、デニムの思いが踏みにじられている気がして、俺はますます敵を殺す事に過熱した。
いつしか、声が聴こえるようになっていた。
俺を遠くから呼ぶ声だ。
その声は誘うように、俺に呼びかけてくる。
時には地の底から這うように、時には空の上から手招きするように。
デニムの声も聴こえた気がした。
俺は、少しずつ、少しずつ、その声に耳を傾けていった。
そうすればするほど、身体の底から力がみなぎってくる気がした。
槍がさらに軽く感じ、一振りするだけで大勢の敵を殺す事ができた。
そしてある時、ふと思った。
どうして俺は戦っているのだろう。
デニムを、嫌がるアイツを王に仕立てあげた民衆。
くだらない内輪揉めで、いつまでもまとまらない貴族達。
そんなヤツらのために、どうして戦っているんだろう。
全てが馬鹿らしくなりかけたその時、俺は見覚えのある女性に再会した。
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教国の侵攻が始まってから数日が経つと、次第にその状況が明らかとなってきた。
それは、例の『名もなき英雄』が孤軍奮闘し、教国の先遣隊をことごとく全滅させているという、にわかには信じられない情報だった。だが、多くの目撃証言がそれを裏付けていた。
あの人にそこまでさせている自分が、この期に及んで一つにまとまる事のできない私達が情けなくて、私はすぐにでも彼の下へと飛んでいきたい気持ちになった。だが、そうしても足手まといになる事は明らかで、歯噛みしながら軍をまとめる事に注力しつづけた。
教国からの使者の要求は簡単なものだった。無条件降伏。当然ながら、貴族達の間で喧々諤々の議論が交わされた。多くの貴族が降伏に賛同したが、一部の強硬な貴族達や軍内部では徹底抗戦の声も大きく、簡単には結論が出そうになかった。
そうしている間にも教国の本隊は近づいており、日に日に上陸する戦力は増えていく。もはや、あの人一人の力でどうこうなるような状況ではなく、王国軍もそれを黙ってみているわけにはいかなかった。
いつまでもまとまらない貴族達に業を煮やし、一部貴族と軍によるクーデターが発生。その陰には、一人で奮闘を続ける『名もなき英雄』の影響が大きかった。かの英雄へ傾倒する者も多く、彼一人に自国が守られている事への不甲斐なさを感じる者が多かったのだ。王国は徹底抗戦を選択する事になる。
その日から、ヴァレリアの終わらない戦いが始まった。
現在の私は、王都ハイムに近いバーニシア城の警護隊長を任され、その任にあたっている。この城を奪われれば、教国にみすみす橋頭堡を与える事になる。重大な任務だ。
だが私はといえば、あれ以来ふ抜けている事を自覚していた。その原因は明らかだ。今だって、バーニシア城の城壁の上で、彼の事を考えている。
「…………ベル殿……」
頬をなでる風が心地よいが、幼い頃から共にしてきた長い髪はもう風になびく事はない。デニムを亡くした際にバッサリと断ってしまったのだ。短くなった髪は、どこか寂しい。
彼と旅をした数日間を思い出す。
あの時にはまだデニムも生きていた。思い返せば、デニムが本心からの笑顔を見せたのは、あの旅が最後だったかもしれない。ベルゼビュート殿の豪胆で野放図な振る舞いや、ニバス殿の意地悪でどこか憎めない言動には散々振り回された気がするが、それも今では楽しい思い出だった。
どうして、こうなってしまったのだろう。
楽しい思い出と現状の落差に、私は膝を折りたくなる。だが、それが許されるような状況ではないのだ。デニムの遺志として、私はこの国を守らなくてはいけない。それがあの人の意思でもあるはずだ。
思わず零れそうになった雫を拭いとっていると、敵襲を知らせる鐘が鳴り響いた。気持ちを切り替えて城壁の上から目を凝らしてみれば、遠方に教国軍と思われるいくつもの馬影と砂埃が見えた。
警備隊長として命令を出していく。あらかじめ手順は指示しておいたが、私が着任してから初めての交戦であり、兵士達は浮き足立っている。私が浮ついていれば、彼らも不安になってしまう。懸命に平常心を保ちながら接敵に備えた。
あと数十秒で弓の攻撃範囲に入る、という頃、敵の軍勢に異変が起こる。
各所で爆発のような土煙が舞い起こり、兵士達が紙切れのように空高く吹き飛んでいる。それはまるで、見えない巨人が足踏みをしているかのような光景だった。
次々と起こる爆発に、敵軍の士気は完全に崩壊しつつあった。一部はすでに戦意を失い、撤退の動きを見せている。追い討ちのチャンスではあるが、この城からでは弓は届かない。
私は決断し、騎馬隊を率いて打って出る事にした。そこに、あの人がいるのではないか、という淡い期待がなかったと言えば嘘になる。
だが、城から出た私達を待っていたのは、人の死が蔓延する魔界のような光景だった。
もはや動く人影はほとんどなく、かすかに聞こえるのはうめき声。赤く染まった大地には、大勢の死が横たわっていた。それは、私が見たどの戦場とも違う、この世の終わりのような光景だった。
率いてきた騎馬隊の新兵には、吐き出すものもいる。私も口元まで酸っぱいものが込み上げてきたが、必死でこらえた。一体どうすれば、このような光景が作り出せるのか。本当に人の所業なのか。頭に浮かんだ疑問を打ち消すのに必死だった。
グシャリと、何かが潰れるような鈍い音が聞こえて、そちらを振り返る。
そして私は、ついに再会する事になる。
そこに立っていたのは、一人のオウガだった。
私と同じ色だった美しい銀髪は、すっかり血に染まり赤くなっている。
常に微笑をたたえていた口元は、鋭い牙が見え隠れしている。
宝石のような透き通った紅い目は、血走って殺気がにじみ出ている。
天上の衣のようだった衣服は、黒く染まりボロボロで意味をなしていない。
額からは一本の黒い角が生え、皮膚は黒ずみ不浄の者を思わせる。
だが、その顔を見間違えるはずもない。
その人は、私が初めて愛した人だったから。
「……ベル……殿……?」
私が声をかけると、彼はピクリと肩を震わせてゆっくりと視線を合わせる。その目はもはや焦点もあっておらず、ただただ敵を探して動いているように感じた。
「…………ラヴィニス……カ……」
低く魅力にあふれていた声は、まるで地の底から響いてくるようなおぞましさがあった。だが、そんな事よりも、私の事をまだ忘れていなかった事に安堵をおぼえた。
「どうして……そのような姿に……」
「…………」
私の問いには答えず、彼は再び敵を探す作業に戻ろうとする。彼が手に持っている槍はかつての美しい緑碧ではなく、黒と赤のマーブル模様になっていた。
「ベル殿ッ! もう……もう、相手は抵抗しておりません……これ以上は……」
「…………」
だが、彼は動きを止めようとはしない。それどころか、まだ息のある敵兵を見つけると、その槍を大きく振りかぶってトドメを刺そうとする。
私は慌てて彼に飛びついて止めようとしたが、彼の身体に触れそうになった瞬間、衝撃を受けて吹き飛ばされる。怪我をするほどの強さではなかったが、私は地面へと無様に転がり倒れる。周囲にいた騎馬隊の兵士達が慌てて近寄ろうとするが、手を出さないように合図をする。
ノロノロと起き上がる私に向けて、彼は憎しみを込めた鋭い目を向けてくる。
「…………ラヴィニス…………オ前マデ……邪魔ヲスルノカ……」
「……ち、違います! 私はただ、無抵抗の相手をなにも殺す事はないと……」
「…………殺ス。奴ラハ……一人残サズ…………」
「ど、どうして……? どうしてそのような事を……? 確かにローディス軍は敵ですが、彼らはモンスターではないのです。降伏するなら、受け入れなくては……」
「…………」
「……何が貴方をそこまで変えてしまったのかは、わかりません……。ですが、ベル殿のおかげで多くの民が救われているのです。どうか……どうか、正気に戻ってください……」
「…………正気……ダト? 俺ハ……正気ダ……。オカシイノハ、コノ世ノ中ノ方ダ……。デニムガ死ネバ、次ノ英雄ヲ求メル、無責任ナ民衆……奴ラガ、デニムヲ殺シタノダ……」
駄目だ、と思った。そっちへ進んではいけない、と。
「ベル殿ッ……! いけません、それは――――」
「デニムハ……何ノタメニ死ンダ……。俺ハ……何ノタメニ……戦ッテイル……?」
彼がそう自問すると、次第に彼の身体に変化がおとずれはじめる。黒ずんでいた肌の色が濃くなっていき、紫色へと変化していく。彼の額に生えていた角も、ますます太さを増していく。手足からはメキメキと音を立てて、鋭い爪が生え始めている。
彼は、もはや人に絶望し、人をやめようとしている。
そう直感した私は、再び彼に飛びついていた。彼を引き留めたい、その気持だけが私を突き動かしていた。今度は弾かれず、彼の変わりゆく肉体を必死に押さえようとする。
「アア……! アアアァァ……!!」
「駄目……! 駄目ですベル殿ッ! 戻ってきてくださいッ!」
「ウ……ウウウ…………ドウシテ……! ドウシテ、アイツダケガ……!!」
このままでは抑えきれない、と思ったその時、私達のすぐ側の中空から光の玉が現れる。それは、私の記憶に間違いがなければ、転移石などで見られる転移魔法の光だった。
光の中から現れたのは、一人の老人。かつてアルモリカ城で出会った彼の名は占星術師ウォーレン。彼は状況を見てすぐに理解したのか、私に声をかけてくる。
「時間がありませんッ! 私が『魔』を抑えますので、ラヴィニスさんは彼に声をかけ続けてくださいッ! どうか彼が人としての正道に戻れるよう、希望を取り戻せるようにッ!」
ウォーレン殿の言葉に、私は一も二もなく頷いた。
オウガさんはオウガさんになってしまったようです。
高まるヒロイン力。次回、ラヴィニスさん回。