艦これ外伝 ─ あの鷹のように ─   作:白犬

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第4話 「悔恨」

         第4話 「悔恨」

 

 

「お疲れさん、どうだい、お前さんも一杯?」

「いえ、勤務中ですので」

 

 差し出したグラスに見向きもせず、きっぱりと拒否されたバルドヴィーノは肩をすくめる。

 

「つれないのぉ、少しは老い先短い老人につきあってもいいじゃろうが」

 

 ブツブツと小言をつぶやくバルドヴィーノを尻目に、トレントは老提督の背後に回ると、大きな窓を開けはなった。

 窓の外には、青と緑のコントラストが美しいティレニア海が一望できた。

 潮風が新鮮な空気を部屋に運び込み、部屋にわだかまったアルコールの匂いを掻き消

してゆく。

 

「それより……少々、量が過ぎませんか?」

 

 トレントはそう言いながら下を見た。

 正面からは見えなかったが、バルドヴィーノの足下には空になったワインのボトルが

2本ほど転がっていた。

 

 昨日、執務室を出る際にチェックしたときには、確かにこんなものはなかった。

 

「なあに、お今のわしにできるのは、コレぐらいじゃからのぅ」

 

 カーテンを引こうとしていたトレントの動きが止まる。

 トレントの気配から何かを察したのだろうか? バルドヴィーノは持ち上げたグラスを机に置くと、うなだれてしまう。

 

「……すまん、お前さんたち艦娘は、命がけで戦ってくれておるというのに、今のは

言い過ぎじゃった」

「いえ、気になどしてはおりません」

 

 そう言いながら、トレントは珍しく微笑んでみせるが、老提督はグラスに満たされた赤い液体を見つめ、黙ったままだった。

 

 

 トレントは、バルドヴィーノの胸の内を知っているだけにやるせない気持ちになり、

そっと目を伏せた。

 

 

 今から数年前、何の前触れもなく世界各地の海上に、異形のモノたちが現れた。

 そしてソレは、警告ひとつ発することなく世界に対して戦いを挑んできた。

 

 当時国は慌てふためいたが、何とか混乱を収めるとすぐに反撃に移った。

 

 だが、結果は惨憺たるものだった。現有する陸海空、すべての兵器の威力を持っても、後に『深海棲艦』と呼ばれるこの異形の存在に、傷ひとつつけることはできなかったのだ。

 

 瞬く間に、『海』という世界最大の領土は深海棲艦たちの手に渡り、人間は陸地の奥へと追いやられた。

『滅び』か『餌となるか』、この過酷な選択を迫られ、人々の心が絶望に覆われようとしたとき、彼女(・・)は忽然と現れた。

 

 

 その少女は、深海棲艦に破壊され、わだつみへと消えていった軍艦の名を口にし、

身にまとった『艤装』と呼ばれる武器を使い、襲いかかってきた深海棲艦を苦もなくた

おしてしまったのだ。

 そして、その日を境に、自らを軍艦(いくさぶね)の生まれ変わりと名乗る少女たちが、ひとり、またひとりと現れのだ。

 

 

 後に、艦娘(かんむす)と呼称されるよになった少女たちは、その日を境に世界規模で現れ、一斉に深海凄艦たちに対し反撃を開始した。

 

 世界に一条の希望の光が射し込むが、同時にそれは小さな軋轢を生み出すことになった。

 

 深海棲艦に立ち向かうことができるのが、艦娘のみとなった現在では、各国の軍隊は

もはや張り子の虎であり、現状では艦娘たちのサポートをするための存在でしかなかった。

 

 トレントの目の前にいるバルドヴィーノも、かつてはイタリア海軍の全艦艇を率いて

深海棲艦と戦ったが、まるで歯が立たなかった。

 

 多くの部下を死なせ、バルドヴィーノは自身の無力さに絶望し、それ以来、酒に逃避

の場を求めた。

 

 そんな老提督の心情を痛いほど理解できるからこそ、駄目だとは分かっていても、トレントは彼から酒を取り上げることができなかった。

 

 

「わしのことなら、心配はいらんよ」

「へっ?」

 

 いきなり話しかけられたトレントは、間の抜けたような返答をしてしまい、慌てて口元を隠す。

 そんな彼女を、バルドヴィーノは優しげな眼差しで見ていた。

 

「すべては過去の話じゃ、今はお前さんたちの手助けを……わしに出来ることを精

一杯やるだけじゃ!」

「提督」

 

 そう言いながら、バルドヴィーノは部屋中に響くほどの大声で笑いだす。

 つられて、トレントの口元にも笑みが浮かぶ。

 

「そういえば、今日はずいぶんと、遅かったな?」

 

 またいきなり話題が変わったが、トレントは今度はさっきのような無様な姿は見せなかった。

 

「申し訳ありません。少々予定外の事態が起きまして……」

 

 トレントは頭を下げながら、ようやく話が自分の望む方に向かい、内心胸をなで下ろし

ていた。

 

「また、あの()ちゃんかい?」

「はい」

 

 バルドヴィーノは少し顔をしかめると、グラスの中身を一気に空ける。

 

「提督、実はその件でお話があります」

「何じゃ、あらたまって?」

 

 トレントは、真顔でファイルから一枚の紙を抜き取ると、机の上に置いた。

 老提督は、指先でそれをつまむと目の前に持ってくる。

 

「おお、これか。それで、これに何か問題でもあるのか?」

 

 目の前に押し返された指令書を見るや、トレントの顔色がわずかに変化した。

 

「問題って……今のスパルヴィエロにできるのは船団護衛が関の山です、この指令書に

記されたような任務が遂行できるとは、私には思えません」

 

 詰め寄るトレントに気にした素振りもみせず、バルドヴィーノは空になったグラスに、並々とワインをついでいく。

 

「そうかのぅ、だが、あの嬢ちゃんは、いままで与えられた任務はきっちりこなしておるぞ」

 

 トレントは黙り込んでしまう。

 

 たしかにスパルヴィエロの空母としての能力は低く、同じ艦娘たちからも『お荷物』

呼ばわりされている。

 だが、こと船団護衛の任務に関していえば、ここ2ヶ月の間に8回出撃し、うち2回は深

海棲艦と遭遇しているというのに、実質的な被害をゼロに押さえていたのだ。

 

「しかし」

  

 まだ納得がいかない様子のトレントに、バルドヴィーノは肩をすくめ、グラスを持ち

上げた。

 

「お前さんだって、ウチの台所事情(現有戦力)は理解しておるじゃろう?」

「それは……ですが、どうしても私には理解できません」

「何をじゃ?」

「提督が、必要以上にスパルヴィエロを擁護しているようにしかみえない事がです!」

 

 トレントは声を張り上げると、机に両手を叩きつけた。

その剣幕に、口元に持っていき

かけた、老提督の手が動きが止まる。

 

「も、申し訳ございません、私……」

 

 思わず激高してしまったトレントは、今度はあたふたしながら頭を下げる。

 

「はっはっはっ、『氷のトレント』と呼ばれるお前さんが、こうも感情を露わにする

とは、珍しいこともあるもんじゃな?」

「か、からかわないで下さい……」

 

 羞恥に頬を朱に染め、うつむいてしまったトレントを、老提督はまるで、孫でも見る

ようなまなざしで見ていた。

 

 

(……確かにわしは、あの嬢ちゃん、いや『スパルヴィエロ』に負い目を抱いて

おるかもしれんな)

 

 

 

 

 

 

 

 どこまでも続く鉛色の空を背に、深海棲艦たちが大挙して進軍してくる。

 その進路上には大型の船が一隻、船体の大部分を海面に没し、傾いていた。

 深海棲艦たちは、ソレが何の障害ももたらさないことを察知すると、左右に分かれ

船を迂回しはじめた。

 

 次の瞬間、船は巨大な光の玉と化した。

 

 目も眩むほどの閃光が辺りを包み込み、立っていられないほどの振動が、足下から

這い上がってくる。

 

 鼓膜を破らんばかりの轟音が轟き、巨大な火柱と黒煙が上がり、海と空とをひとつに

繋いだ。

 

 

 

 

 

「提督!?」

 

 目を開けると、すぐそばに、不安そうなトレントの顔があった。

 

「あ、ああ、心配ない、ちょいと昔の事を思い出しておってな」

 

 老提督は軽い口調でそう言うと、グラスの中身を一気に喉に流し込む。

 

 

 

 ワインは、その色と同じように血の味がした。

 

 

 

 老提督は思わず顔をしかめるが、まだ表情を堅くしているトレントに気づくとニコリと笑い、グラスをひょいと持ち上げた。

 

 

 

「まあ、『お荷物』だろうが何だろうが関係ない。あの嬢ちゃんも艦娘じゃ、やって

もらうしかないんじゃよ」

 

 

◆◆◆

 

 

 

 

 

「くしゅん!」

 

 ちょうど同じ頃、ナポリから100キロほど離れた地点。

 

 洋上を疾走する一団から、スパルヴィエロの盛大なクシャミが響きわたった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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