艦これ外伝 ─ あの鷹のように ─   作:白犬

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第2話 「秘書艦」

 

 ここはナポリ港、倉庫が建ち並ぶ一角に6人少女のが集まっていた。

 少女たちの出で立ちも潮の匂いの立ちこめるこの場にはふさわしくないのだが、そのうちのひとりの放つ怒りを含んだオーラが、さらに少女たちを周りから浮き上がらせていた。

 

 オーラの主は、小柄な体つきに黒みがかった緑色の髪を短く切りそえ、眼鏡の下の切れ長の瞳が印象的な少女だった。

 黒いビジネススーツにも見える軍服を纏い、胸元に数冊のファイルを抱えている。

 美少女といっても通用しそうな顔立ちだが、いまは憤怒の形相がそれを台無しにしていた。

 

 彼女の名前はトレント。

 

 イタリア海軍所属の『トレント級重巡洋艦』の1番艦であり、ナポリ海軍基地、司令官

付きの『秘書艦』でもあった。

 

 眼鏡を指で押し上げながら、切れ長の目をさらに細めながらトレントは呆れたようにつぶやく。

 

「……どうしたのです、その姿は? 陸上で、深海棲艦にでも遭遇したのですか?」

 

 トレントの怒りの矛先となったスパルヴィエロは、体をビクッと震わせる。

 170センチを越える大柄な体格のスパルヴィエロだが、今ははるかに小柄なトレント

に恐れおののき、身を縮こまらせている。

 

 あちこちに草やら土をこびりつかせ、二の腕や頬、それに鼻の頭に絆創膏を貼ったスパルヴィエロ。

 

 お揃いの薄茶色のセーラー服に身を包んだ4人の少女たちが、その光景を遠巻きに

見ていた。

 体に装着された『艤装』や、腕に下げたバッグや背負った大型のリュックから、今回

の輸送作戦に従事する艦娘たちだろう。

 スパルヴィエロとトレントを交互に見て、何やら小声で話し合っている。

 

「任務を放り出して、いったい貴女はどこで油を売っていたのですか?」

「そ、それは……」

 

 口ごもるスパルヴィエロを見上げながら、トレントは腕に巻いた時計に目をやる。

 

「現在、時間は10時23分……私の記憶に間違いがなければ、本日ヒトマルマルマル時に、

軽空母に護衛された輸送船団がこのナポリ港からサルディーニャ島に向けて出航しているはずですが?」

 

 一語一語、確認するように、押し殺した口調で、トレントは話し出す。

 

「貴女は今、このイタリアが置かれた状況を、本当に理解しているのですか?」

 

 トレントは、指先で眼鏡を押し上げながら沖合に目をやった。

 

 ここ数年に及ぶ深海棲艦と人類の戦いは、艦娘の参入により優位に進んでいた。

 だが、後に“タラントの惨劇”と呼ばれる敗北により、戦局は一変した。

 

 制海権を奪われ、シーレーンを寸断されたイタリアは、深海棲艦たちにより、さらに

ジブラルタル海峡やスエズ運河といった外洋への出口を封鎖され、“地中海”という名の

小さな箱庭に押し込められる運命を強いられた。

 

 その後、占領されたタラント軍港で深海棲艦たちによる、何らかの動きがあるのが

確認されたが、毒性を帯びた障気に阻まれ詳細は分からずじまいだった。

 

 また、地中海に面した国々に対しても、その貧弱な海上戦力が自分たちにとって驚異

に値しないと判断したのか、徹底した残敵掃討を行なうこともなく、深海棲艦に対し

表だった行動を起こすか、外洋への逃避行でも行わない限り、人類側の好きにさせて

いた。

 

 

 

 当初、深海棲艦たちの不可解な行動に、これら当時国の政府関係者は困惑したが、

いつしか、この“檻の中の自由”を、当たり前のこととして、受け入れるようになっていた。

 

 

 

 

 ただ一国、深海棲艦たちに対して唯一対抗し得る戦力、“艦娘”を有するイタリア

共和国を除いては……。

 

 

 

「確かに、私たちの主立った戦場は、地中海近海のみと極めて限定されています。

ですが、それでも深海棲艦たちと戦うには、武器弾薬や燃料は必要不可欠なのは、

貴女も十分に分かっているはずなのでは?」

 

 人間たちの行動に、無関心な態度を見せる深海棲艦たちだが、艦娘たちが艦隊を組み

敵対行動を起こしたり、これらに必要な物資を輸送するとなれば、話は別だった。

 これらの動きを察知すると、深海棲艦たちも艦隊を派遣し、これを阻止しようと、

たちどころに両者の間で激しい戦闘の火蓋が切って落とされた。

 

 このため、直線距離でたかだか400キロしか離れていない、イタリア海軍が総司令部を

置くナポリから、主力艦隊の泊地があるサルディーニャ島までの間ですら、輸送任務に

従事する艦隊を護衛する艦娘は、無くてはならない存在だった。

 

 今のイタリア海軍が置かれた状況を考えれば、今回の一件はどう考えても、スパル

ヴィエロに落ち度があった。

 

 何を口にしようが、文字通り言い訳にしか取られないだろう。

 

 スパルヴィエロはうつむき黙り込んでしまうと、それを見ていたトレントの目がわずかに細まった。

 

「どうやら貴女には、艦娘としての適正が欠けているようですね」

 

 感情のこもらぬトレントの口調に、スパルヴィエロは驚き顔を上げる。

 

「今の貴女には輸送船団の護衛など、到底任せられません。提督に護衛の艦娘の変更を

具申してきます」

「まっ、待ってください!」

 

 スパルヴィエロの懇願にも耳を貸さず、トレントは黙ったままその場を離れ始めた。

 意を決したような顔になると、スパルヴィエロはトレントの後を追い、その腕をつかんだ。

 

「待ってください、トレントさん!」

 ようやくトレントは歩みを止めると振り返った。だが、その瞳には冷たい光を宿し、

口を開こうともしない。

 

「あ、あの、本当にすみませんでした。今後は二度と任務に支障を来すような真似はしません……だから、だから今回の船団護衛は、わたしにやらせてください、お願いします!」

 

 スパルヴィエロはそう言うと、深々と頭を下げた。腰まで伸びたポニーテールが、反動だらりと前に垂れ下がる。

 まるでそれは異様に長いちょんまげか、金色の像の鼻のようだった。

 

 トレントは、しばらく左右に揺れ動くスパルヴィエロのポニーテールを目で追っていたが、やがて軽く頭を振ると、ようやく口を開いた。

 

「痛いです」

「へ?」

「腕……」

 

 スパルヴィエロは、ようやくトレントの腕を力任せに握りしめたままなのに気がついた。

 

「はわわ、す、すみません秘書艦殿」

「まったく、凄い握力ですね。腕が潰れるかと思いましたよ」

 

 ようやく自由になった腕をさすりながら、トレントはスパルヴィエロを睨んだ。

 

 感情というものをあまり表に出さず、任務に私情を挟むことなく淡々とこなす姿から

『氷のトレント』とあだ名される艦娘の瞳に、つい先ほどまでの浮かんでいた冷たい光

が消えていた。

 

「いいでしょう、不本意ですが、その熱意に免じて今回は貴女に任せます。ですが、二度目はありませんよ?」

「あ、ありがとうございます、秘書官殿!」

 

 パッと顔を輝かせるスパルヴィエロを見上げ、トレントは小さく息を吐く。

 

「……では、定刻よりだいぶ遅れてしまいましたが、これよりスパルヴィエロ以下、輸送

船団はサルディーニャ島へ向け、定時輸送に出航してもらいます」

「はっ、スパルヴィエロ、これより輸送船団護衛の任につきます」

 

 スパルヴィエロはピンと背を伸ばし敬礼すると、埠頭めがけて走り始める。

 

「ちょっと待ちなさい」

 

 いきなり呼び止められ、スパルヴィエロの動きが止まる。

 

「は、はい、何でありましょうか、秘書艦殿?」

「貴女、何か大切な物を忘れてませんか?」

 

 スパルヴィエロは額に指を当て考え込む、トレントはそれを見てこめかみをピクピクと痙攣させ始める。

 

 

「……貴女、艤装は? サルディーニャまで、ざっと400kmはありますが、まさか泳いで

いくつもりですか?」

 

 

 スパルヴィエロは、ゆっくりと自分の体を見下ろす。

 

 ノースリーブの白いYシャツに赤を基調としたいネクタイ、そしてストライプの入った

緑色のミニスカートが潮風に揺れている。

 だが、目を皿のようにして見まわしても、艦娘にとってのアイデンティティとも言える艤装は、パーツひとつ見当たらなかった。

 

 やがてゆっくりと顔を上げると、そこには怒りと呆れを程良くミックスさせたトレントの緑色の瞳が、自分を睨みつけていた。

 

 ついに我慢できず、お腹を抱えて笑い出す輸送艦娘たちの声を背に、スパルヴィエロは顔を真っ赤にして駆け出す。

 

 

 

 

「す、すみません、すぐに用意してきますーッ!」

 

 

 

 

 悲鳴にも似たスパルヴィエロの声が、ナポリの港に響きわたった。

 


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