艦これ外伝 ─ あの鷹のように ─   作:白犬

12 / 29
第12話 「タラントの惨劇」

       

 

「そう怖い顔をしなさんな、せっかくの美人が台無しだぞ」

 

 バルドヴィーノとしては、場の空気を和らげるために言ったのだろうが、今は逆効果だったようだ。ルイジの顔は、ますます険しさを増す。

 

「なぜ奴を、スパルヴィエロを私の艦隊に転属させるのですか?」

「不満か?」

「私は、理由が聞きたいだけです」

 

 しばらくふたりの間を沈黙が支配したが、老提督は「よっこいしょ」とつぶやき席を立つ。

 

「提督とてご存じのはずです。我が第1遊撃艦隊は、その高速を最大の武器として、今日

まで深海棲艦たちを相手に勝利を重ねてきました」

 

 バルドヴィーノは、ルイジの言葉を聞いているのかいないのか、またキャビネットを

物色しはじめた。

 

「そこに、奴のような鈍足な艦娘が加われば、我々の唯一の長所を殺ぐばかりか、自らの首を絞める結果にもなりかねません」

「しかしのう、お前さんの艦隊は前の戦いで欠員ができたままだ。いつまでも、そのままというわけには……」

「スパルヴィエロでは、トリエステの代わりは勤まりません!」

 

 ルイジはにわかに激昂すると、椅子を蹴り倒さんばかりの勢いで立ち上がるが、すぐにハッとしたような顔をすると、本棚に目をやる。

 棚に書類を収めようと腕を伸ばしたまま、トレントの動きが止まっていた。

 

 その背中が、小刻みに震えていた。

 

「……すまん、トレント」

「トリエステは、艦娘としての使命を全うしたのです。ルイジ、貴女が気に病む必要などありません」

 

 先の深海棲艦との戦闘で、甚大な被害を被り、それがもとで戦死した重巡洋艦トリエステは、トレントの姉妹艦でもあった。

 

 しかも、トレント級の同型艦は、トリエステただ1隻だけである。

 

 気丈に振る舞ってはいるが、妹同然に接していたトレントの心情は察して知るべきだろう。

 

「お前さんたちの気持ちは、この老いぼれにもよう分かる。じゃが、忘れたわけでは

あるまい、あの、“タラントの惨劇”を」

 

 

 老提督の軋むような声に、トレントとルイジが同時に顔を上げる。

 

 

 “タラントの惨劇”それは、イタリア海軍史上、もっとも凄惨な戦いとして歴史に記さ

れていた。

 

 今からおよそ5年前、人類に対し牙をむいた深海棲艦たちに、イタリアは持ちうる全て

のの戦力をつぎ込み反撃したが、その力の差に一方的な敗北を期した。

 

 だが、深海棲艦たちの出現と時を同じくして現れた艦娘たちの活躍により、戦局は一変した。

 陸海空すべての残存戦力と艦娘たちは力を合わせ、勝利を重ね少しずつ深海棲艦たちを追い立てはじめた。

 

 そして2年前、地中海に展開するすべての深海棲艦を殲滅すべく、当時のイタリア

海軍の拠点であり、最大の艦隊泊地でもあったタラント軍港に、作戦可能なすべての艦娘たちが集結していた。

 

 

 この戦いで、全てが終わる。

 

 

 だれもがそう信じていた。だがそれは、儚い夢と散ってしまった。

 

 作戦開始を予定してた前日深夜、闇にまぎれタラント湾に面したイオニア海に、空母を中心とした敵機動部隊が現れ、そこから出撃した多数の深海棲艦側艦載機による爆撃を受けてしまったのだ。

 

 それは完全な奇襲であった。それまで地中海近海に展開していた深海棲艦に空母の姿

は無く、空からの攻撃に対し警戒が手薄になっていため、イタリア側は、さらに甚大な

被害を被る羽目になってしまった。

 

 空母と艦載機による航空戦の優位性を知る空母先進国から見ればあまりにもお粗末な

対応と首をかしげたかもしれないが、これは当時イタリアを取り巻く情勢に問題があった。

 

 イタリアはその国土の半分以上が、イタリア半島として地中海中央に突き出すという

特徴的な地形をしていた。

 有事の際は、このイタリア半島各基地から戦闘機や爆撃機を発進させれば、自国は完全に守れると考えられていた。

 結果、軍関係者は航空母艦の必要性というものに対し、極めて冷淡な対応をし、真剣

に論じることもなくいつしか「空母不要論」まで打ち出されることになってしまってい

たのだ。

 

 この偏った思想は、日英米といった列国が多数の空母を保有し大戦に参戦したのに対し、イタリアが艦隊随伴可能な空母を、当時試験的に『アクイラ』しか建造なかったという事実が、如実に物語っていた。

 

 作戦当時、タラント軍港に集結していた艦娘たちは、必死の反撃を試みた。

 何発もの照明弾が打ち上げられ、白光を背に迫りくる敵艦載機に、艦娘たちは広角砲や機銃、なかには当たらぬのを承知の上で、主砲で狙撃を試みる戦艦型の艦娘までいた。

 

 だが、あまりにも比我の戦力差が開きすぎていた。落としても落としても敵艦載機は

雲霞の如く現れ、艦爆の投下する爆弾の黒煙が上がる度に、そして艦攻の放つ魚雷に

よる水柱が上がる度に、艦娘たちの姿は、ひとり、またひとりと海上から姿を消していった。

 

 このままタラントに留まることは、死を意味する。

 

 イタリア海軍の総司令官として、戦いの指揮をとっていたマリオ バルドヴィーノ大将は、タラントを放棄し、艦隊をナポリ港まで後退させることを決意した。

 

 だが、目の前に展開した敵機動部隊を突破することは、容易なことではなかった。

 

 損傷の激しい艦娘たちを庇うように、空母アクイラや戦艦ヴィットリオ・ヴェネトら

残存主力艦娘が獅子奮迅の活躍を見せ、深海棲艦の包囲網を突破し血路を切り開いたが、かろうじてナポリ港に辿りつけた艦娘たちは極わずかであり、生き残った大半も、みな満身創痍といった有様だった。

 

 この戦いで、タラント軍港は還付無きまでに破壊され、いまでは、地図にその名が記

されただけの存在となってしまった。

 そして、深海棲艦にタラント軍港を事実上占領されたため、イタリアは、半島南端の

地域や、決死の逃避行の際、その下に位置するシチリア島までを失うことになってしま

った。

 この海戦の後、地中海東側にあたるイオニア海をふくむ広大な海域は深海棲艦側の手

に落ちてしまったのだ。

 

 この日、イタリア海軍とそれに所属する艦娘たちは、歴史的な大敗を喫した。

 

 生き残った艦娘たちや、将兵たちはこの戦いを“タラントの惨劇”と呼び、屈辱ととも

にこの名前を胸に刻み込んだ。

 

 

 

「もちろん、あの大敗の責任は、全てわしにある」

「提督!」

「それは違います!」

 

 神妙な顔つきで、バルドヴィーノは言い切った。

 ルイジとトレントが間髪入れず否定するが、老提督は沈痛な面もちを崩さない。

 

“タラントの惨劇”は、確かにこの戦いに加わったものたちの油断と慢心さが招いた結果

といえた。

 だが、ここまで被害を拡大してしまった最大の理由は、

当時のイタリア海軍に蔓延していた“戦闘の要訣は高速戦艦と高速巡洋艦にあり、戦いは

迅速な機動性と、主砲による強力な一撃をもって決すべし”という凝り固まった思想に

こそ問題があった。

 

 そして、当時の総司令官であるバルドヴィーノでさえ、この考え方の信奉者であった。

 

「三度にもわたって行われた“地中海海戦”そして、あの“タラントの惨劇”、わしが

もう少し早く、空母を主力とした航空戦の有効性に気づいておれば……」

「それは、わたしたちも同じ思いです。おのれの力を過信し過ぎなければ、あのような

結果にはならなかったでしょう」

 

 ルイジは唇を噛みしめ、拳を握りしめる。

 

「ルイジの言うとおりです……それに、提督はもう十分に罪を償われました」

 

 トレントの言葉に、老提督は静かに首を振った。

 

「わしが大将から小将に格下げされたからといって、そんなものは、なんの罪滅ぼしに

もならんよ、それにな……階級が下がるぐらいで、死んでいった将兵や艦娘たちが生き返

るというのなら、わしはただの一兵卒になってもいいぐらいじゃ」

 

 過去数度にわたる、深海棲艦たちとの戦いにおける大敗により、イタリアの軍事力は危険なレベルまでに低下した。

 そしてそれ以上に懸念されたのが、国民に与えた心理的影響だった。

 数度に渡り、深海棲艦たちとの戦闘に敗北したという事実は、国民たちを打ちのめした。

 世論に与えた影響は計り知れず、このままでは、国民たちの怒りの矛先が深海棲艦よりも政府に向けられるのは、火を見るよりも明らかだった。

 

 これらを何とか回避するために、政府はスケープゴートとして、バルドヴィーノの

速やか処分を検討し始めた。

 

 だが、それを知った生き残りの将兵や艦娘たちが、いっせいにこの決議に異を唱えた

のだ。

 

 ほんらい、このような行為は国に対する背信行為以外のなにものでもなかったが、

政府や軍部も、バルドヴィーノの助命を願う声の多さに、これらを無視することができ

ない状況に陥ってしまった。

 

 この異例ともいえる嘆願を、内心快く思わなかったイタリア政府と軍上層部だったが、国民や将兵たちの戦意高揚のために“英雄”が必要だということも十分に理解していた。

 結局、降格という異例ともいえる軽い処分を受けた後、マリオ バルドヴィーノ少将は、イタリア海軍総司令官の地位に返り咲いた。

 

 

 

 ともすれば、折れ砕けそうな心にさらに鞭を打ち、悲しみに押しつぶされそうな心を酒で薄めながら……

 

 

 ルイジたちは、この傷心の老提督の胸の内を知ればこそ、他にかけるべき言葉を

思いつかなかった。

 空になったグラスを黙って見つめていたバルドヴィーノが、ふいに顔を上げた。

 

「だからこそ、な、タラントの奪回、そしてこの地中海から深海棲艦どもを一掃することが、わしにできる唯一の贖罪だと思っておる」

 

 バルドヴィーノはそう言うと、真っ向からルイジの顔を見る。ルイジも黙したまま、

老提督の瞳を見つめ続けた。

 

 数分の沈黙の後、ルイジはようやく口を開いた。

 

「そのために、スパルヴィエロの力が必要だと?」

「うむ、それにな、あの嬢ちゃんには自分の短所を補ってあまりある長所がある」

「それは、いったい……」

「それについては、お前さんが自分の目で見極めるしかないのう。それが、旗艦としての力量というのもじゃよ」

 

 どこか挑発的なバルドヴィーノに、ルイジは覚悟を決めたような顔をすると、席を立ち、凛とした声で叫びながら敬礼をする。

 

「分かりました。スパルヴィエロの第1遊撃艦隊への編入の件、了承いたしました」

 

 バルドヴィーノは満足げにうなずくと、トレントに目配せした。

 

「あれをルイジに渡してやってくれ」

 

 トレントはうなずくと、手にした薄いファイルを差し出した。ルイジは怪訝そうな表情を浮かべながら、それを手にした。

 

「これは?」

「あの嬢ちゃんの、過去8、いや今回のを入れて9回の輸送船団護衛に関する資料じゃよ」

 

 パラパラとページをめくっていたルイジの手が止まり、その顔が困惑に彩られる。

 

「なぜ、これをわたしに?」

 

 バルドヴィーノは質問には答えず、口ひげをいじっている。

 

「そういえば、あの嬢ちゃんが入渠してどれぐらいたったかのう……」

 

 老提督の言わんとすること理解し、トレントが口を開く。

 

「医長の話では、スパルヴィエロの損傷が完治するまでに、あと3日はかかるという

報告が入っています」

「ちょうど良い。当座の作戦行動はボルツァーノの第2遊撃艦隊に任せるとして……

そういえば、お前さんの艦隊で傷を負った者はおるのか?」

 

 ルイジは首を横に振る。

 

「いえ、幸いなことに、今回の戦闘で損傷を受けた艦はおりませんでした」

 

 老提督は、ルイジの返答に満足そうにうなずいた。

 

「そうか、では3日では十分とはいえんだろうが、ルイジの艦隊にはスパルヴィエロの

損傷が回復するまでの間、しばらく休養してもらうとするかの」

「しかし……」

「詳しい話は、スパルヴィエロが回復してからにするとしよう。ルイジは、その間に渡

した資料によく目を通しておいてくれ……お前さんが想像するより役に立つと思うぞ、

あの『お荷物』は」

 

 ルイジは、この老獪な提督の真意を計りかねず、疑問を口にだそうとしたが、バルド

ヴィーノは片手を上げてそれを制した。

 

「話はこれまでじゃ。なにせわしは、誰かさんが壊したドアやら机の修理で、これ

から目が回るほど忙しくなるからのぅ」

 

 

 

 どうにも煙に巻かれた感じがするが、こと部屋の現状に関してはルイジも負い目を感

じているだけに、これ以上我を通すわけにも行かず、納得はいかなかったが、とりあえず執務室を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。