風を切る音とともに、瀕死の駆逐艦の目に深々と
鯨を思わせる巨躯を一度だけ震わせると、駆逐艦は腹を見せ、ゆっくりと水底
へ沈んでいった。
辺りには、沈んでいった他に、背中に無数の銃痕を穿かれた駆逐艦が青黒く染まった
海原を漂い、その周辺に4つの黒煙が、この場に未練でもあるかのようにゆらゆらと
揺れている。
少し前まで、この海域を我がもの顔で闊歩していた深海棲艦たちの『なれの果て』で
あった。
身体のラインがくっきりと浮きだし、すらりとした二の足がむき出しになった濃紺の
ボディスーツに、カーキ色のイタリア海軍のジャケットを身につけた艦娘が、一切の
感情を押し殺したような顔で凄惨な戦場を見渡していた。
腰まで伸びた黒髪が、潮風に揺れている。
スパルヴィエロほどではないが、かなりの長身の持ち主であり、軽く日に焼けた肌と、引き締まった肢体、凛々しい顔立ちが印象的な女性だった。
身につけた艤装から察するに、巡洋艦クラスの艦娘だろうか、残敵の有無を確認する
ため、茶色ががった黒い瞳で周りを見渡していたが、警戒を解くと、両腕をだらりと下げ視線を移した。
そこには、体のあちこちに傷を負い、原型を留めぬほど破壊された飛行甲板にしがみつくようにして、スパルヴィエロが波間を漂っていた。
「よくもまあ、これだけの損傷を受けて持ちこたえたものだな」
「……頑丈さなら、ルイジといい勝負かもね」
今少し前に、夢から覚めたかのような寝ぼけ声が聞こえ、ルイジと呼ばれた艦娘が
雷光のごとき疾さで振り返る。
いつの間にかその手には、さきほど駆逐艦をしとめたものと同じ短剣が握られていた。
突きつけられた切っ先など気にした様子もなく、その声音にふさわしく、とろんと
した半開きの目をした少女が、ルイジを見上げていた。
「ふぅ、気配を消したまま、背後に立つなといつも言っているだろう、アルマンド?」
「……別に消してない」
その表情同様、どこか間の抜けた声を耳にしたルイジは、素早く構えを解き軽く肩を
すくませると、頭上を降り仰いだ。
フィアットCR42の編隊が、スパルヴィエロの頭上で心配そうに旋回を続けている。
「聞こえるか? スパルヴィエロの艦載機」
【ああ、よく聞こえるぜ】
ルイジの通信に、指揮官機だろうか、一機だけ赤く塗装されたフィアットCR42が返答
してきた。
【救援、感謝する】
「気にするな、我々は任務を遂行したまでだ……予定外ではあったが、な」
多少、皮肉を込めてつぶやくと、ルイジは東の方角をちらりと見た。
「どうだ、ナポリまで燃料は持ちそうか?」
ため息が聞こえ、すぐにネロから答えが返ってきた。
【今から引き返せば、ギリギリといったところだな】」
「そうか、ならばお前たちは至急帰還しろ、この『お荷物』はこちらで何とかする」
【……分かった。全機、帰投する】
ネロは愛機の翼をバンクさせ、合図を送る。一斉に編隊はナポリ目指して進路を
変えた。
【そうそう、ひとつ言い忘れたことがあった】
「ん、何だ?」
部下に、スパルヴィエロの救出を指示しようとしていたルイジは、ネロから突然通信
が入り、怪訝そうな顔になる。
【今度、おれの前で
ネロの激しい怒りを含んだ思念の強さに、第1遊撃艦隊の他の艦娘たちが、いっせいに
体を震わせ作業する手を止めると、頭上の深紅の機影を振り仰ぐ。
「それは済まなかった、肝に銘じておこう」
ルイジは、編隊が去っていった方角に目をやりながら素直に謝罪の言葉を口にしたが、ネロはからの返事はなかった。
◆◆◆
「さて、そういうわけだ。あの妖精どのの逆鱗に触れ、さっきの駆逐艦みたいな最後を迎えたくなければ、そちらのお嬢さんは丁重に扱わんとな」
ルイジはそう言いながら振り返ると、手招きをはじめる。
同型艦なのだろうか、同じ艤装を身につけた3隻の駆逐艦型艦娘は、自分たちにお呼びがかったことに気づくと、一様に困惑の表情を浮かべた。
「エスペロ、オストロ、あいつを助けてやれ」
「「え~、あたしたちが~?」」
ルイジに名を呼ばれた小柄な少女たちが、そろって不満そうな顔をする。
赤毛のショートカットを揺らしながら、同じ色の大きな瞳……いや、同じなのは
それだけではなかった。双子なのだろうか、ふたりの顔立ちはうり二つだった。
「命令だ!」
まだ何か言いたげな様子だったが、ルイジが強い口調で一括すると、ふたりは渋々と
進み出てきた。
「まったく、さっさとナポリに戻ってシャワー浴びたかったのに、迷惑な話よね……い
くよ、オストロ」
「了~解ッ!」
ブツブツと言いながら、それでもエスぺロとオストロは半身がかろうじて浮かんでいるスパルヴィエロを助けるために素早く近づく。
左右から彼女を抱き抱えようとしたエスペロとオストロだが、外見からは想像もできないスパルヴィエロの重さに慌てふためく。
「な、何コイツ!?」
「お、重ッ!?」
みるみる2人の脚が、波間に没し始める。
「ちょ、ちょっとトゥルビネ、ぼけ~っとしてないで手伝ってよ!」
ついに膝下まで沈みはじめ、エスペロが悲鳴に近い声を上げる。
「は、はい!」
3隻いた駆逐艦の最後の1隻、トゥルビネと呼ばれた少女が、ウェーブのかかった銀髪
を揺らし、鳶色の瞳をぱちくりさせながら慌ててスパルヴィエロの後ろに回り込む。
「いい? 合図したら機関全開よ!……せーのッ!!」
エスペロのかけ声とともに、オストロとトゥルビネが全身に力を込める。
3隻の駆逐艦が力を合わせ、ようやくスパルヴィエロを海面から引き上げることに成功した。
「ふ、ふぃ~、どうにか立て直した……」
「持ち上がったか。じゃあ、そろそろ行くぞ」
「ちょっと待ってよ、ルイジ。このままコイツをナポリまで
「まあ、あの妖精から爆撃されてもいいというならば、このまま放置していっても私は
いっこうに構わないがな」
涼しい顔で即答するルイジに、エスペロが不満げに唇を尖らす。
「ちっ、あだ名だけかと思ったらこの空母、物理的にも『お荷物』じゃない」
「オストロちゃん、それは言い過ぎだよ」
必死にバランスを取りながら、トゥルビネは頭上を見上げ、オストロをなだめすかす。
おそらく、ネロが戻ってきてないか心配になり、確認したのだろう。
エスぺロとオストロは、忌々しそうにスパルヴィエロを睨みつけていたが、やがて観念したのか進路を変えた。
前衛と後衛を軽巡が固め、
接近するという変速的な輪型陣をとったまま、ルイジの艦隊は一路ナポリを目指し始める。
ルイジは波頭を蹴散らし海上を疾走しながら、横目で意識を失ったままのスパルヴィエロを無遠慮に眺め回した。
「
「い、いま…何か……言った?」
ジャンケンで負けてしまい、スパルヴィエロの両手を引くという比較的楽な役をオストロとトゥルビネに取られ、スパルヴィエロを背負うような形になったエスペロが息も絶え絶えに尋ねてきた。
「いや、何でもない。それよりもう少しでナポリに着くぞ、がんばれ」
ルイジは白い歯を見せながら、エスペロに手を振った。
だが、ようやくナポリに戻ったルイジの元に、一通の指令書が届けられ、それに目を通した彼女の顔から、みるみる血の気が引いていった。
それはルイジの、いや、第1遊撃艦隊の運命を分かつほどの衝撃的な内容だったのだ。