――柳クルヴィスが会場内を奔走し、いよいよライブ開演となった。始まる頃にはバックヤードに戻って肩で息をしていたのだが、水分補給と呼吸を整えるなり大きく深呼吸。気合を入れ直す。
「死ぬ……過労で死ぬ……! なんで俺だけスタジオ入り五時からなんだよバカじゃないかな」
ちなみに先日の実労働時間は十九時間。わーお、ぶちころすぞ労基法。私情は置いといて――クルヴィスはチケットを贈ったなのは達がちゃんとライブを観に来てくれていたことに安堵していた。今回の起動実験は失敗するわけにはいかない。仮に、万が一にでも失敗することがあればその時は最悪の事態を招くというだけ。そのリカバーも兼ねている。成功に終われば、それはライブが盛り上がるだけで終わり。そうと願うだけなら安いものだ。
クルヴィスはライブ会場からの歓声と熱気を聞きながら、ツヴァイウィングの歌に耳を傾ける。古今東西、歌には力があると言われた。それはシンフォギアシステムという武器にもなるが、それ以上に心に気力を滾らせる大事な活力剤でもある。この歌を聴いていられるうちは、過労でぶっ倒れそうな時ももう少しだけ頑張れそうな気がしていた。
実は密かに二人のCDも買っていたりするが、奏には秘密である。
とはいえ、誰より早く会場に着いて機材のチェックや実験室の不備がないかも全て確認してある。後はライブが成功に終わるのを祈るだけだ。
観客席を見回りながらクルヴィスは見知った顔を探す。それは意識すれば容易く見つけることが出来た。
「どうも、高町一尉」
「あ、クルヴィスさん。今日はありがとう、ライブのチケット送ってきてくれて」
「いえー! ――なんやクルヴィスさん。わたしら何かしたん?」
「どうもどうも八神三佐。ハラオウン執務官も」
「相変わらずだね、クルヴィスも」
三人もクルヴィスの諜報には世話になっている。特に地上でははやてが世話になった。情報査察部の部隊長、というからどんな胡散臭い人物かと思えば――案の定。しかし、情報の正確さで言えば管理局である以前に信用できた。人脈が広く、顔も利く。今では情報査察部も落ちぶれたというよりは“落ち着いた”という評価で治まっていた。
クルヴィスの居た情報査察部の噂と言えば……“あの部隊長から逃げられる気がしない”“違法寸前まで手段を選ばない”“犯罪者手前の巣窟”等など、黒い噂が絶えない部署だった。
「それにしても今回はどうしてライブのチケットを? クルヴィスさん、こういうイベントとは無縁だとばかり」
「いや、こう見えて結構アクティブですよ俺。時間がないだけで」
かなり切実な問題だったりする。とはいえ人並みにテレビを観るなのは達からすれば、クルヴィスの仕事量は半端ではない。地球に戻ってきてから連絡を取り合ってはいるが多忙なようで中々話す時間が取れなかった。
「ちなみにチケットは俺の全額自腹ですので」
「そ、そうだったんだ……」
このライブに完全聖遺物の起動実験を兼ねていることはなのは達に話していない。オープニングナンバーからフォニックゲインの上昇は確認されている。この調子でいけば起動までのエネルギーは十分に確保できるだろう。
「ところで八神三佐。ヴォルケンリッター達は連れてこなかったんですね」
「そりゃ当たり前やん。クルヴィスさん、チケット三枚しっかりやったし」
「俺の財布にも限界はあるんですよ……」
「ヴィータなんてえらい怒ってたで。「あのクソぎつねケチくせぇ!」とか何とか」
「ひでぇ言われようっすね」
まるで他人事のように聞き流したクルヴィスだが、インカムから流れてくる通信に耳を澄ませた。
《ネフシュタンの鎧、起動を確認! 実験は成功だ》
(ひとまずの山場は凌いだか……)
起動しない、という最悪の事態は免れた――しかし。実験場から慌ただしい様子が耳に伝わってくる。不穏な空気にクルヴィスは一手早く動いた。
「どうも、三人のお力を借りることになりそうです。耐衝撃用意」
「へ? どうしたん、いきなり」
「恨み言とか全部聞きますんで、デバイスの準備だけお願いします――」
《フォニックゲイン、尚も上昇中! ――ネフシュタンの鎧が、起動……いえ、暴走します!》
会場の爆発にライブは中断を余儀なくされた。そして、その聖遺物の起動によって感知される特異災害反応。深い溜め息と共にクルヴィスは思考のスイッチを切り替える。
「皆さん、落ち着いてください! 避難口はあちらです! スタッフの指示に従って移動してください!」
会場の中心地、起動実験室の様子も気がかりだが、そちらは後回しだ。まずはなによりも一般市民の避難が最優先となる。無線で他のスタッフにも指示を出し、三人に目配せするとその意思を汲み取ったのか真剣な面持ちで深く頷いた。
「なのは」
「うん。私達も避難誘導を」
「手分けしましょう。高町一尉は避難誘導を、ハラオウン執務官もお願いします」
「となると、私の仕事は――」
空を見上げる。そこには飛行型ノイズが多数確認された。そして、会場の中心にも大型ノイズ。無尽蔵にも思える物量で特異災害が発現していた。
「ノイズの駆除やな。ぎょうさん来とるなぁ。近くで見るの初めてや」
「生身で触れたら即アウトなのでくれぐれも細心の注意を払ってください。こちらクルヴィス! お客さんの避難誘導を! スタッフ片っ端から動員! 怪我人の救護も!」
「皆さん、こっちです! 危険ですので押さないでください!」
「お子さんや年配の方には手を貸して!」
なのはとフェイトの二人もスタッフと一緒に避難誘導を行う。だが、それでも我先にと逃げようとする観客にクルヴィスは舌打ちをしてピアスを指先で叩いて起動する。待機形態であっても発動可能な魔法を発動させた。それは、魔導師であれば通用せずとも対策を持たない一般人であれば通用する初級中の初級魔法。
指を鳴らし、空間に漂う微量な魔力に伝播させる。催眠術のようなものだ。無意識下に語りかける意思誘導は、簡潔にただ一言。“落ち着け”というだけ。たった一言、それだけで駆け出そうとする足は鈍り、途端に狼狽する。そこへ避難誘導の指示が来れば従う他にない。
「流石やな、うちらはそういうの出来へんし」
「ま、努力の賜物ですわな。俺は“こういうの”の方が得意ですので」
ポケットを探り、ちゃんと“ブツ”が無事な事を確認してからクルヴィスはその場から駆け出していた。まだ指示の届かない観客達へ向けて先程の魔法を繰り返す。その様子を観ていたはやてだけが気づいていた。観客席の背もたれを次々と飛び移りながら軽快に会場を駆け回るクルヴィスに。
「噂通りの狐やな……」
自分が“ちびタヌキ”ならば、クルヴィスは“ごんぎつね”だ。そんなことを思いながら、はやては会場の中心に集まっているノイズに視線を向ける。だが、ノイズの意識は観客よりも別なものに集中していた。眉を寄せて目を凝らす。
シンフォギアに身を包んだツヴァイウィングがノイズ達を蹴散らしていた。それでようやく合点がいった、どうしてクルヴィスが突然ライブのチケットを贈ってきたのかを。
「はっはぁん、そういうことやんなぁ? そうなら後で奢ってもらうで、クルヴィスさん!」
首元から下げた剣十字のペンダントを取り出す。観客は幸い、中心から目を背けてスタッフの誘導に従っている。だが、はやての目に留まったのは向かい側の観客席に棒立ちの少女。自分と同じようにノイズと交戦しているツヴァイウィングの二人を見ていた。
「アカンて!? 何突っ立っとるん!」
はやてが慌てて駆け出す。クルヴィスにも念話で一応催促しておいた。ノイズが気づく前に自分が間に合うかどうか――シュベルトクロイツを起動させる。
その反応に、ノイズ達が振り向く。特異災害へ向けた魔術の威力は管理局でも確認されている限り、ほぼ効果はない。“特定の状況を除いて”は。
(感謝するで、特務次元航行隊!)
特務次元航行隊からの近年の報告曰く――『唄が聞こえる限り、特異災害に魔術は有効打となる』という。だが、それはあくまでも管理局の技術頼りではないことから認知されていない。
ノイズと交戦するにはシンフォギア装者との連携が必要不可欠という事を知らなければ、はやてもデバイスを起動などしない。
『クルヴィスさん、聞こえとるか! 避難遅れとる子おるで! はようこっち!』
『俺の身体は一つしかないので無茶言わんといてくださいな!?』
『アホか! 人の命掛かっとる時くらい男見せてくれたってええやんか!』
『平々凡々に過度な期待は勘弁ですッ!』
ツヴァイウィングの二人はノイズの数に分断されてしまっている。そこへはやてはフリジットダガーを向けて射出した。バリアジャケットはまだ装着していない。夜天の書も本調子ではない為、大規模魔法などの制限は掛かるもののノイズ相手ならば十分通用する。
「新手か!?」
「味方や。うちは八神はやて、クルヴィスさんのお仲間や。よろしゅうな、風鳴翼ちゃん」
「防人の
「必要やろ。自分の命捨てたらあかんよ」
「私よりも奏が……!」
少女の助けに向かうよりも先に、ノイズの大群が眼前に立ちはだかる。一掃させるには詠唱が必要となるが、そんな余裕を与えてくれるほどの慈悲など持ち合わせていない。飛行型ノイズを迎撃するはやてが歯噛みする。大型ノイズの背後、向かいの観客席に立っている少女がようやく逃げ出そうとしていた。
その直後、戦闘の余波で脆くなっていた足場から落下する。瓦礫に身体を打ちつけて倒れるも、すぐに逃げ出そうとしていた。だが足を挫いたのか思うように走れていない。
『クルヴィスさん!』
『だぁー、もうッ! わぁってますがなッ!! こっちもそろそろ一段落、そうしたらそっち行きますよ! 場所は!』
『ノイズ近辺や、助けられへんかったら覚悟しとき』
『俺の苦労を誰か察して』
泣き言を言いながらもクルヴィスは残りの避難誘導を他のスタッフに任せて逃げ遅れている人々を探す。そして、ノイズ達の群れに目を向ければ、奏が戦っていた。ポケットに忍ばせていた物を取り出す。
「……後でメチャクチャ怒られんだろうなぁ、俺」
それでも、死んでもらっちゃ困るのだ。クルヴィスは会場の中心地に向けて駆け出していた。