真の正しさ、100%の正解といったものは、実際に存在しない。
また、何でも解決する魔法の道具も、夢の技術も存在しえない。
ましてや、一つの研究に対してなりふり構わず一人で没頭することも推奨されない。
これらは一般に研究者の像に“求められがち”であるが、研究者の本質ではない。
我々が追及する物は、知への貢献である。
問題を見つけて解決するだけでなく、次へのステップを生み出すのが、知の貢献である。
大事なのは自身の研究が、どれだけ他の研究者の次の研究へとつなげられるか、である。
今、艦娘の研究に必要なものも、この“次“を生み出す姿勢にある。
*絶望の国の希望の艦娘たち 9.Dreams Are More Precious ①*
昭が目を覚ました時は既に、朝になっていた。
何か違和感を感じて、周りを見渡す。
すると、空ベッドに見知らぬ少女が眠っているのを見つけた。
眠っていて少女の瞳は見えないが、高校生くらいの身長で、ショートカットの桜の髪をしている。
恐らく建造艦であろう。
もう体が出来上がっているようにも見える。
普通はこんなに、体の出来上がりが早いのだろうか。
「おはよう」
「おはよ」
声の方を見ると、長月が椅子に座っていた。
「彼女が気になるか。彼女は軽巡多摩の艦娘だそうだ。一日もすれば目覚めるだろうな」
「多摩って、猫か」
「軍艦は土地の名前から来ることが通例でな。彼女は多摩川から来ているのだ」
球磨型軽巡洋艦の2番艦、多摩。
姉や妹たちは相当の曲者であることが、艦娘として既に知られている。
それでも多分、猫ではない、はずである。
「陸奥も陸奥国から来ているのだからな」
「ああ。そうだった、ね」
多摩ほどのインパクトはないが、陸奥も土地の名から来ているのだ。
陸奥としても自身の名に思う所はある。
「さて。それで、昨日のことはどこまで覚えているか」
と、長月はこっちをじっと見ているが。
「陸奥の話をしていただろう。他に何があったっけ」
戦艦陸奥の話をしていたのは覚えている。
が、それ以降はあやふやである。
「そうか。建造もいよいよ本番ということだ」
長月は姿勢を改める。
大事な話をするときの癖なのだろうか。
「これから毎晩、妖精さんから艦の記憶が運ばれてくる。心しておくがいい」
「心しておけと言われてもな。何度も言わなくたって解っているって」
「本当に解っているのか?」
長月としては、昭の態度は少し軽すぎるように思えるのだ。
青葉や室井提督とまでは言わないが、もっと建造を重要に受け止めて欲しいのだ。
「陸奥の記憶をどこまで感じている?」
戦艦陸奥の記憶。
昭自身は陸奥のことを詳しく知らないが、それでも知っていることが増えた気がする。
第三砲塔の爆発、残された者たちの数々の無念。
そして、自分だが自分でないという感情。
これが陸奥の記憶なのだろう。
「そんな感じは、しないこともない、かな」
「ふむ、戦艦の建造の、初期の初期だからな」
長月が見るに建造ペースが遅いので、記憶の流入もゆっくりのようだ。
艦の規模が大きさというのは、燃費や修復速度など、様々な性能に影響することが判明している。
「繰り返すが。昭はいずれ、その記憶に飲まれ、埋もれていくことになる。今の内に済ましておきたいことを、早めに終わらせておいた方が良い。これは私からのお願いなのだ」
やりたいことを済ませろ。
確かに、昭がやりたいことはまだある
「済ませろって、面会とかか」
「そういうことだ。この機会を大事にするといい」
だが時間は少なく、できることはあまりにもないようにも思える。
これも人生だろうか。
「じゃあまず、朝食を食べに行くか」
「そうだな。私も腹が減った」
そうして、朝食である。
夕張は既に食べ始めている。
今日はサンドイッチのようだ。
「おはよう。昭さん」
「おはよ」
「今日の予定はわかっているよね」
「はいはい。十時からだろう」
しばらく間があって、夕張はため息をつく。
「予定通り面会はあるんだけど。その。言いたくないんだけど。親御さん。お母さんが来ているんだけど、取り乱しているみたいだから。ね? 気を付けて?」
「だろうね」
昭は頷いている。
あまり気にしていないようだ。
「おいおい。大丈夫か?」
「まあ。なんとかなるだろうさ」
正直に言うと、あまり好ましくはない状況だ。
昭としても、母とは落ち着いた時に会って、色々話したかった。
欲を言うならば、離婚した父や、父についていった姉もセットで、直接別れを言いたかった。
だが、面会をすると言われた時から、わかりきっていたことだった。
昭の母は、強かな人間だ。
昭の父から慰謝料をもぎ取り、新たに仕事をはじめ、昭との生活を確保できていた。
だが、普通だ。
個の力は強かったが、他の人の手を借りることには躊躇していた。
何故そうなのかは、昭にはわからない。
ともかくどこにでもいるような人だった。
要するに、自身の感情を、肝心なところで抑えられないのだ。
そのため、昭の教育にも限界が見えていた。
やりたいことをお金の問題で泣く泣く諦めさせることも多かった。
周りの人間に頼っていれば、もっといい生活ができていたのであろうに。
だから、その。
息子の変容に、大事な息子を奪われることに取り乱したとしても。
姉や父を連れてこないとしても。
せっかくの機会を台無しにしようとも。
まあ、そうなるな、となって当然のことであった。
この体は戦艦娘、陸奥のものだ。
女の身でありながら、頼もしさを感じさせる肉体。
なるほど、陸奥を名乗るにふさわしい体なのだろう。
だが、その体が、とても頼りなく、虚しく思えるのは何故なのだろうか。
この身でできることは、あまりにも少なすぎるように思える。
自分ができることは所詮、こんなものなのだ。
何もかも、全てはわかりきっていたことなのに。
どうしてこう思わなければならないのだろうか。
そうして、昭の前には泣き崩れた母がいた。
「母さん」
昭に母は抱き着き、すすり泣いている。
会話はできそうにない。
「母さん」
突然、昭の母は、昭の元を離れ、部屋の外へと駆け出していった。
昭の姿に耐えられなくなったのだ。
「母さん」
昭は呆然とそれを見て、手を伸ばすしかできなかった。
昭の手元には、携帯が置いてある。
「夕張、追うぞ」
「う、うん」
長月たちが追うことになる。
が、長月は駆逐艦で速力はあるが、陸ではせいぜい子供相当のスピードしか出せない。
速力と足力は比例しないのだ。
「くっそぅ、早い」
「お、置いてかないでよぅ」
「言ってる場合かっ」
夕張もまた、足が速くない。
なぜか海では、高速艦との艦隊行動に問題ない速度を出せるのだが。
陸ではどうも、どん臭かった。
「しまった。鎮守府から出られた」
ここの警備は、入るのは難しいが、出るのは簡単だった。
しかも人間に限っては、特に。
「やむをえん。追うぞっ」
「待って。流石に私たちが追うのは不味いってば」
艦娘は、鎮守府の外に軽々しく出ることができない。
しかも、この状況は不味い。
何しろ艦娘が人間を追っかけまわすのだ。
有らぬ誤解を受けてしまうかもしれない。
特に、昭の周りの人間は色々な人間に警戒されているのだから猶更だ。
それに、残された建造艦はどうするのだ。
彼女らを誰が見張るのだ。
「クソッ。本当に。ままならんぞ」
「長月、どうしよう?」
夕張がうろたえながら聞く。
長月は深呼吸をして、気分を落ち着かせる。
落ち着け。
別に、自分たちが何でもをする必要はないのだ。
「軍に、尾崎提督に、連絡だ。軍の方で、親御さんを保護したほうがよさそうだ」
「わかった。連絡するね」
長月はため息をついた。
しかし、眠気がキツイ。
が、ここはまだ辛抱だ。
昭の面倒も見ないといけないし、自分は一旦戻るとしよう。
「毎度毎度思うのだが、もうちょっと綺麗に面会、とできないものか」
艦娘の存在は世間にある程度理解はされてきた。
艦娘自身による地道な広報活動を繰返し、今の地位を保っている。
艦娘の活動は、ある程度、国民に歓迎されているようだ。
が、それでも建造自体は忌み、嫌われているのが実情である。
こればっかりは軍部も、どう説明するべきか判別できていないのだ。
そのため、未だに解決策を打ち出せないでいる。
長月としても、色々手回しをしているのだが。
それでも今のところ、提督に意見をするのがせいぜいだ。
それでも、まあ、今回の面会は、会えただけまだマシな方なのだろう。
酷い時には、建造艦や長月たちが罵倒される。
加古の時は面会すら実現しなかった。
本当に、どうしてこうなった。
「長月はテレビドラマみたいな感動シーンを見たいの?」
「いや、そうではなくてな」
長月は否定をする。
が、はたして本当にそう思っているのだろうか。
テレビほどではないが、ああいったものが美しいのは確かなのだ。
「あー。うん。だが、ひょっとすると。そう思っているのかもしれんな。現実も、ああ在るべきなんだろう」
これだから建造は嫌なのだ。
塗りつぶされる若者の将来、残された遺族たちの感情。
どっちも見ていて、いたたまれないのだ。
「しょうがないでしょ。ここは現実なんだから。映画やドラマみたいな状況なんて、ある訳ないじゃない」
神や主人公はいない。
この世に妖精さんはいても、人間に悪影響を及ぼしていることは否定できない。
御都合主義なんてもってのほか。
だからこそ皆が、ヒーローや奇跡が望むのだ。
何故なら、それが彼らの希望だから。
「そういや青葉は? 朝から見ないわね。青葉はこういうのを見たがっていたと思うのだけど」
青葉も喜んでという訳ではないが、こういった状況に興味があったはずだ。
居ないのは、どういうことだろう。
「青葉は、今、呉鎮守府本部の方にいる。偶々、兼正提督が来ているからな。司令官に会うつもりなのだろう」
それを聞いて夕張はため息をつく。
昨夜のことは長月から聞いている。
青葉は恐らく、建造の本質を兼正提督から聞くつもりなのだろう。
「ホント。難儀な性格をしているわね。余計なことに首をつっこまなければいいのに。どうせ、コレも後からビデオで見るつもりなんだろうし」
建造はしつこいようだが、残酷な過程である。
結末は約束されているが、それ以外はそうでない。
何が起ころうと、誰が泣き叫ぼうと、誰も望んでなくとも。
建造は、ただ、あるのだ。
そんなことに首を突っ込む必要も責任も、彼女にはどこにもないはずなのだ。
「艦娘のことは、私が首を突っ込んでいればいいのよ」
夕張は本気でそう思っている。
建造の良いも悪いも、彼女は全てを引き受けたがっていた。
「皆、何でも一人でする必要は、ないのだがな」