「……私は………」
プラネテューヌでネプギアが茫然自失で自分の手を見る。
『ーーーー殺す!』
「っ……!」
分かり合いたい、そう願ったはずなのに制御できなかった。自分の中で弾けた怒りをネプギアは暴走させてしまった。
後ろではネプテューヌが静かに立っていた。
ネプテューヌはすぐに涙をふいて気丈にしている。それはきっと、たくさんの理由があるはずだ。
でも、ネプギアはネプテューヌのように表面を繕うことすらできなかった。
朝日がプラネテューヌを照らす。夜明けだ。
国中が光に包まれ、また新たな1日が始まる。ミズキの作戦が成功していれば、ビフロンスの野望を打ち砕いた日にもなる。
「ミズキ……」
ネプテューヌがそっとその名を呟く。
その時、朝靄に包まれて誰かを抱えた人影が見えた。
「アレは……」
「…………」
ミズキだった。
マジェコンヌを抱えたミズキが静かにこちらへ歩いてくる。
「ミズキ……ミズキ!」
「ミズキさん……」
ネプテューヌとネプギアがミズキに歩み寄る。
その手に抱えたマジェコンヌを見て、それからミズキの顔を見た。
ビフロンスの所にいたはずのマジェコンヌを連れ帰ってきたということは、つまり……!
「……ごめん」
しかしミズキはネプテューヌとネプギアから目を逸らした。
「ごめん……!ビフロンスの復活が、始まってしまう……!」
「………!」
ギリギリと歯を食いしばるミズキ。その時、ネプテューヌとネプギアは視界が暗く澱んでいることに気付く。
「……煙……?」
「お姉ちゃん、これ……」
振り返ったネプテューヌとネプギアはその黒い靄の発生源を見た。
ジャッジが死んだ場所。そこから暗く淀んだ空気が広がっていっている。風に乗り、空気の流れに逆らわずに黒い空気は広がっていく。
まだ誰も知らないが、この瘴気は各国の四天王の死骸全てから湧いていた。まるで腐った魂が国を覆うように走る様を誰も止められない。
「何が始まるんだ……くそっ」
ミズキは吐き捨てるように文句を言うことしかできなかった。
ーーーーーーーー
「……ん、あぁ……」
巨大な試験管のようなパイプの中の全裸の女が目を覚ます。
液体に満たされながらも呼吸に苦しむ様子はなく、むしろ深い眠りから覚めたかのようにすがすがしい顔をしている。
「おは、よ」
パイプが割れ、全裸の女……ビフロンスが地に足を付ける。
「かつて神の子である救世主は復活したらしいけれど……時間がかかりすぎね」
そして粗末なボロ布を身に纏う。
「救世主はこうでなくっちゃ」
そして体の調子を確かめるように歩くビフロンスは目の前のコンソールを指先で叩き始める。
パスワードを入力。エンターキーを押すとともに絶望の未来が始まる。
「全世界に媒体は広がった……ついに私の計画が始まる」
ビフロンスの足元からふわりと何かの力場が生じてギョウカイ墓場を覆う。
「夢のフィールド……展開」
パチン、と指を鳴らすビフロンス。それが全ての終わりを告げる小さな小さなヒビの入った音だった。
ーーーーーーーー
「ごめん……本当に、僕は……」
「謝ることはありませんわ。そのような卑劣な手……」
「ビフロンスもなりふり構っていられていない、って感じね。何が何でも、私達に勝つ気よ」
謎の黒い霧が全世界を包むという異常事態にプラネテューヌに全女神が集まった。
何かあった時に分散してはいけないという考えもある。恐らく今頃はビフロンスが復活している、もう世界のどこにも安全なところなどないのだから。
「この黒い霧、何かあるわよ。確実に」
「でも、扇風機でも何でも動かない霧だし……これじゃ手の施しようがないよ」
最初、この黒い霧は毒かなにかかと思っていたが人体には少なくとも今のところ無害、さらにこの霧は風に乗って動くわけではなく、むしろ自分の意思で動いているようにも感じた。
防げない。この黒い霧は退けることもなにもできていなかった。
「先手を打つか、待つか……」
「待つのは悪手ですわ。手遅れになった時はもう遅いですもの」
「けど、みんなは……」
傷だらけだ。
ミズキがパッと見ただけでも完治に数ヶ月かかるような怪我をしている者が数人いる。オマケに四天王との激戦で疲労も溜まっている。装備が壊れた者もいる。
「心配しなくていいのよ。万全な状態で戦えるなんて、最初から思ってなかったし」
「装備なら、今もいーすん達が頑張って直してるしね!」
だが、やはり疲労と怪我はどうにもならない。すぐに手を打つべきかもしれないが、ここは少しでも傷が癒えるのを待った方がーーーー。
「……ロム?」
「はあ、はあ………え?」
「ロム、どうかした?凄く辛そうで……」
「だい、じょうぶ……執事さん……少し、疲れた、だ……け………」
「ロムっ!?」
ロムがふらついて倒れた。
地面に倒れたロムをすぐに抱えたが、ひと目でわかるほどに顔色が悪い。
「ロム、ロム!?」
「執事さん……お、おかしいの………体に、力が……」
「いいから、楽にしてて。今運ぶから……」
「あ、あれ……?ごめん、執事さん……私、も……」
「ラム!?」
続いてラムもふらついて倒れた。ラムは目を覚まさない、気絶している。
「ロム、ラム……!?どこか怪我したの……!?」
「ち、違うの……お姉ちゃん……凄く、辛く、て……」
「ちょっと、ロ…ム……っ!?」
ロムに駆け寄ったブランまでも踏み出した足に力が入らずに転んでしまった。
「ブラン、ブラン!?」
「な、んで……立て、ない……」
ブランも抱えたミズキだが後ろからドサドサと倒れる音が聞こえる。
その音に背中に冷たいものが走る。
信じたくなくて恐る恐る振り向くとそこには倒れたユニとネプギア、そして座り込んだネプテューヌとノワールがいる。
「みんな!?」
「これは……なに、が……」
「ベール!?」
ベールまでもがドサッと倒れ込んだ。
「おかしい、よ……なに、この、感じ……」
「ネプテューヌ、安静にして!今みんなを介抱するから……!」
「た、大変ですみなさん!」
「イストワール!みんなが大変なんだ、早く!」
イストワールが部屋に駆け込んでその状況に絶句する。
「もう、遅かった……!」
「遅いって、何がっ!?」
「各国のシェアが……!急激に低下!さらに……!」
「シェアが……!?」
「なる、ほどね……!これは、シェアが消えた疲労感が……」
「ノワール、喋らないで!」
ミズキが倒れたみんなを壁にもたれるようにして座らせる。気絶したラムは眠らせたが、それ以外もいつ気絶するかわからないほどに衰弱している。
「さ、さらに……!」
「まだなにかあるって言うの!?」
「おい、ミズキ!これを見ろ!」
イストワールと同じように部屋に入り込んできたジャックが端末を体を使って投げ込んでくる。
それをキャッチしたミズキはそこに映っている光景を見て目を見開いた。
「これは……!」
街で泣き叫ぶ人々。悲哀に満ちた目で街を徘徊する者、発狂したように笑い続ける者、小さく隅にうずくまって啜り泣く者、様々だ。
まさに阿鼻叫喚、この世の終わりでも告げられたような世界中の人々が映し出されていた。
「これ……幻じゃ、ない……よね……?」
「原因は不明!だが、何かしらをされたのだ!これは全ての国の全ての場所で起こっている事案だ……夢ではない!」
「っ、なにを……!なにをしたァァァァッ!ビフロンスゥゥゥゥッ!」
ミズキが叫ぶ。
どういうことかはわからないが、国民のほとんどが絶望に包まれ、その影響でシェアが消えていっている。このままでは、待っているのは女神の死、そして絶望の未来。
「教えてあげましょうか?」
「ッ!」
ミズキが声に振り返る。
そこにはドアの入口に体を預けた……ビフロンスがいた。
『………!』
「ッ、お前ぇぇぇっ!」
全員が戦慄する中ミズキだけが威嚇する犬のようにビフロンスを睨みつける。
「いつの間に……!」
「簡単だったわよ、教祖ちゃん。ちょっとばかしセキュリティ甘いんじゃない?」
ジャックがイストワールの前に立ちはだかり、ミズキも動けない女神を守るように前に立つ。
「私の絶望の罠。その全貌、今こそ晒してあげるわ」
ビフロンスがニタリと笑う。
「まず、私はこの世界中全員の記憶制限を解除したわ。そこに生まれる強烈な違和感とその後に生まれる罪悪感は心のガードを甘くした」
記憶制限。
さんざんに苦しめられた数年間の記憶消去だ。ビフロンスはそれを自らの手で解除した。
「そしてそこにつけ込んだのは私の思考」
ビフロンスはトントンと頭を指さした。
「全世界に私の思考とそれが生み出すビジョンを強制的に見せている最中よ、今は。アナタ達は記憶制限を自力で破ったからガードが硬いけど……あれだけ心が弱くなっていれば忍び込むのは簡単」
「毎度毎度、理解の及ばないことをする……!」
「それを可能にするのがこの黒い霧というコード!そして発信源はギョウカイ墓場の……夢のフィールド!」
「夢のフィールド……!?」
「ええ!そのフィールドでは夢が叶う!思考が現実に!想いは形になる!そこに陣取った私の願いはこういう形でこの世に現れる!」
夢のフィールド……とやらで願ったビフロンスの絶望を伝えたいという願い。それは本来なら夢のフィールドに入った者だけに適用されるものだった。
だがその効果を広げるこの黒い霧。それがビフロンスの作った全世界の人間を閉じ込める檻だったのだ。
「来るなら来い……!僕が倒す!」
「まだ話は終わってないわ。絶望に呑まれた人間たちはどうするか……そう、信仰を失う。極限状態の中で人は神のことなど頭から抜ける」
「だから、シェアが……!」
「ええ。だからコレは宣戦布告というより……脅迫よ、ミズキくん?」
「……っ!」
「私が人質にとったのは全人類。救いたいのなら……ギョウカイ墓場にいらっしゃい。歓迎するわ」
そう言ってビフロンスは扉の向こうに消えていく。
しかし、走り出して追いかけようとするミズキの手が誰かに掴まれた。
「ノワール……!離して!僕は……!」
「熱くならないでッ!」
「っ!」
「はあっ、はあっ……頭を冷やしなさい、私に、考えがあるわ……」
「考え……?」
力を振り絞ったノワールのおかげでいくらか冷静になったミズキはしゃがみこんでノワールと目線を合わせた。
「この通り……私達は全くもって役に立たない……足でまとい、よ……」
「そんなこと……!」
「いいから聞きなさい。……ここまでは、悔しいけど……多分アイツの手のひらの上。でも、アイツが知っていない切り札を……私達は、持ってる。アイツの計算を狂わせる要因を……」
「切り札……?」
「そう、よ……」
ノワールが少し躊躇ったように目を伏せてから顔を上げてミズキの目を見る。もはや喋るだけでも苦しいノワールは言葉を絞り出して対策を伝える。
だがその考えは……到底受け入れられないものだった。
「私を殺しなさい……ミズキ」
「………!」
「ゲハバーン……アナタに、託した、その、剣で……」
とりあえずここでおしまい。次もまた一ヶ月後です…