セブンスターを喫う先生、あるいは黄金瞳の   作:ishigami

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■■08 彼との邂逅4

 

 

 

 ――彼と過ごした日々を、思い出す。

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 彼と初めて出会ったのは、小学五年生のときだった。

 

 地元の小中一貫学校に通い、冬休みも明けて、肌寒くなった二月の、中頃。

 

 雨が、降っていた。

 

 墓参りに行ってくる。外はなかなかの雨だというのに、大沼六道(おおぬまりくどう)はそう言って町の外れにある墓地にまで出かけて行った。箒は居間で宿題を進めることにし、クマの可愛いマイカップに注いだココアを片手に、上手く集中状態に入れたこともあって、あっという間に終わらせると、ちょうど家主が帰宅したところだった。

 

 タオルを手に持って玄関へ出向くと、

 

「おかえりなさい、先生……って誰ですかそれは!?」

 

 見知らぬ少年――少女? ――を背負った六道がいた。固まった箒に対し、悪びれた様子もなく男は言う。

 

「おう箒、出迎えご苦労。さっそくで悪いんだがこいつ用の布団、出しといてくれねえか」

 

「また先生は、ずぶぬれになって、もうなにやってるんですか!」

 

 傘も差していなかった男に呆れたものの、連れてきてしまったのだから仕方がない。乾いたタオルを押し付けてから指示通りに空き部屋に来客用の布団を敷き、冷えてしまっているだろうからと珈琲を淹れると、六道は自身の大人用の着物に着替えさせた気絶している少年を、用意した部屋に横にならせた。

 

「それで、先生。この人は誰なんですか?」

 

「うんにゃ。わからん」

 

「先生!?」

 

「身分の分かるもんはなんも持ってねえし……つかなあんも(・・・・)持ってねえんだよなあ。まあ、身辺調査とか得意な奴が知り合いにいるから、そいつに頼めばなんとかなるかもだが」

 

「どうしてまたそんな無茶を……先生に何かあったらどうするんですか」

 

「こんなひょろっちいもやし(・・・)にやられるかよ俺が。……墓地で雨ざらしになってたんだ、今にも死にそうなツラしてよ。放っておけるかってんだ」

 

「それは……」

 

「ま、分からねえでもない。怪しすぎるもんなあ、こいつ」

 

 白髪。墓地に倒れていたという、少女のような顔つきの少年。頬はやつれ、酷いくま(・・)がある。身分を示すものは何もない。

 

 完璧な不審人物である。しかし六道には、何か考えがあるらしかった。

 

 取り敢えず目が覚めるまでおめえさんはこの部屋に近づくな。そう、警告されるまでもなくそのつもりであった。六道に続いて部屋を出ようとしたとき、箒は横たわった少年の(まなじり)から――

 

 一筋の雫がこぼれるのを見た。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 翌日。

 

「ただいま……」

 

 学校から帰ってきた箒は、手を洗ってから荷物を置きに行くと、居間で六道が電話中らしく、邪魔をしないよう踵を返したところで。

 

 ()のことが頭をよぎり、足を止めた。

 

 実を言えば。学校でも彼のことが気になっていたのだ。昨日はあれだけ気にしないと考えていた――逆説すれば、気にしないように気にしていたわけだが――時間が経つほどに、やはりあれだけの怪しさ満点要素、無視するのは大人でも難しい。

 

 涙も。――見間違いだったかもしれないけれど、ずっと頭に焼きついている。

 

 そっと部屋を覗いた。

 

 ときおり呻吟の声を漏らすものの、彼はまだ眠っている。音を立てないよう、傍に座った。

 

 綺麗な顔。しかし髪は、老人のような色をしている。肌も。まるで死灰のように白い。

 

「どうして泣いていたの……」

 

 答えはない。ただ、彼の顔を眺めていると。何故だか、無性に苦しくなった。

 

 扉を閉じる。気づかれてはいない。六道が手を挙げた。

 

「おう、おかえり。箒」

 

「ただいま帰りました、先生」

 

 

 二日後、少年が目を覚ました。

 

 

 

 ◆

 

 

 

「名前は?」

 

「………、」

 

 夕暮れどき。

 大沼宅。

 

 居間にて――

 

 大沼六道と少年が向き合っている。

 

「親は?」

 

 無言。

 

故郷(くに)は?」

 

 沈黙。

 

「じゃ出身国は?」

 

 静寂。

 

 ため息――

 

「おい。なんとか言えよ。口が利けねえわけじゃあねえだろう。実際、墓地じゃあ流暢(・・)に喋ってたじゃねえか」

 

 無言。

 

「いつまでもだんまりを競おうって魂胆か、この大沼六道を相手に? いいぜやったろうじゃねえか」

 

 

 無言。

 沈黙。

 静寂。

 無言。

 沈黙。

 静寂。

 無言――

 

 

「……埒があかねえや。おい箒。お前からもなんとか言ってやれこの坊主に」

 

「わ、私ですか」

 

 遠巻きに隠れて窺っていたら飛び火した。

 

 顔を覗かせると、視線が合う。鋭い眼光。異色の、左目。

 

 ――本当に金色なんだ。

 

 白髪。綺麗な黄金の瞳。紛れもなく「麗人」であろう。やつれてはいるが、憂鬱げな表情と着物姿が相まって、匂い立つ色気のようなものがある。

 

 箒の感覚からすれば、彼は「非現実そのもの」であった。

 

「あの、その……」男の無茶な振りにも、なんとか答えようとする姿勢が生真面目な性格を表している。「お、お墓にいたってことは、誰かに会いに来たってことですか」

 

 一瞬、変化が。

 

 箒には分からずとも、僅かに動じた瞬間を、六道は見逃さなかった。

 

「身内が眠ってるってことか」

 

 無言。頑として答える気はないらしい。

 

「仕方ねえな」と、ため息を吐いて。「いつまでも喋らんもんを喋らそうとしても喋らんだろうし、今日のところはこれくらいにしとくか。箒。飯にするから、手伝えー」

 

「はい」

 

 このまま少年を放置するのかと思いつつ、台所へ移動しようとしたところへ。

 

「シラユキ、ムラト」

 

 掠れた声。ずっと沈黙していた少年の。驚いて、振り向いた。彼が本棚(・・)を見つめていたことには気づかないまま。

 

「名前だ。シラユキ、ムラト」

 

「お前のか?」

 

 頷く。項垂れるといったほうが正しい様子で。

 

「分かった。シラユキムラト。ムラトか? 少し待ってろ、飯にするから」

 

 ―――。

 

 そして。

 

 その日以降も、白雪軍人は屋敷で暮らすようになった。あるとき大沼六道が学校から帰宅した箒に「こいつも住むことになったから」とあっけらかんと笑った際には、素性も知れない人間を「篠ノ之束の妹」の傍においてもいいのかと子供ながらに思いはしたものの、決定権は六道にあったし、両者のあいだでどのような遣り取りが交わされたかは不明であったがそれ以外にはこれといった環境の変化も起こらなかった。

 

 朝早くに目を覚まし、朝早くから木刀で素振して鍛錬をこなし、六道の作った朝食を一緒に摂り、学校へ行き、剣道部での活動を経て、帰宅し、夕食を済ませてお風呂に入り、しっかりと疲れを癒すために二一時、遅くとも二二時にはベッドへ入る。

 

 箒が学校へ行っているあいだ、六道は主に畑作業をしていた。町の外へ出かけることは滅多になかったし、町の飲み仲間と過ごすことはあっても夕食時には必ず家に戻った。

 

 では白雪軍人が何をしているのかというと――

 

「何をしている」

 

 夜。

 

 風呂から上がった箒は、濡れた長い髪を乾かしながら、湯冷ましになんとなしに道場へ足を運ぶと、気配を感じてなかを覗いた。

 

 木刀を手にした白雪軍人が、中央に立っている。箒は不審な目をするも、暫くして奇妙なことに気づき、そして見開いた。

 

 立ち姿が。ただ立っているようにしか見えないのに、「隙」がないのだ。重心が据わっている。ブレ(・・)がない。

 

 屋敷に住まうようになってから隠すようにしていた、左目の医療用眼帯は今は外されていた。

 

 振り上げる。振り下ろす。行ったのはたったそれだけの動作。しかし、それだけで解ってしまった。

 

 剣先は微塵もぶれず、刃音は刃に吸われたかのように静かで、まるで空気の一部として溶け込んでいるかのように、ぬらり(・・・)と空間を斬った。繰り返す。再生したかのように、寸分狂わず太刀筋は再現される。

 

 その技術。繰り返される毎に、ありえない、という思いが強くなる。それは、不意打ちにも似た感情であった。

 

 構えを変える。木刀を中段にし、今度は踏み込む。袈裟懸け。

 

 ――轟、という悲鳴。

 

 返し。

 跳ね上げる。

 

 ――暴、という絶叫。

 

 「静」に対する、「剛」の動き。剣尖に秘められた威力は巌でさえも砕くさまを思わせる。

 

 いかなる体術かは不明ながらも、位置はいつの間にか最初に戻っていた。

 

 振り向かれる。左目の黄金が、こちらを射抜く。

 

 ――気づかれた。それとも最初から気づいていたのか。

 ――気づいていたのなら、あるいはこうして私に見せつけるつもりだったのか。

 

 唇を噛んだ。心は呆然と見つめていた最中にも、観察眼は働いていた。そして今の自分にはああ(・・)はできないと理解できてしまった。その差を、思い知らされる。だが、このまま無視することはできない。あまりにも、大きすぎて。

 

 発した言葉は、剣呑な響きを含んでいた。当初の敬語は何日か過ごしているうちに止めていた。白雪軍人がそれについて何か言うこともなかったし、六道も特には触れなかったからだ。

 

 白雪軍人。分からないことだらけの少年。歳は、箒よりも上ということだけは分かっている。

 

 ここでの暮らしにもようやく慣れてきた。これが日常であると思うことができるようになった。そこへ急に現れて、目の前で自分よりも優れた「剣」を操ってみせた少年。

 

「お前は……なんなんだ!?」

 

 白雪軍人は答えない。答えを聞くよりも先に、箒は自室へと飛び込んだ。

 

 残された彼の表情も、知らぬまま――

 

 

 

 ◆

 

 

 

「ごちそうさまです……いってきます」

 

「おう。気を付けてな」

 

 あの日以来。

 

 箒と白雪軍人は、ただでさえ少なかった会話が皆無へと成り果てていた。意地を張っているという自覚はある。冷静に考えれば、悪いのは一方的に激昂して、無視する態度を取り続けている箒である。けれど。納得と理解は別物だ。

 

 授業を受けている最中にも。友人と話している間にも、ふとした隙間に入り込んでくる――あのときの「剣」が。

 

 ――美しいと思った。あれが真剣であったならどれほどのものだろう、とも。

 

 敵わないと感じた。もとより剣道とは――「道」の名の付くものの多くはそうだが――表向きの単純な技術追求ではなく、研鑽を経て人間の精神を鍛えるための、人の在り方を求める道という側面が重要視される。なればこそ最大の敵は自分自身であり、白雪軍人に対しては「嫉視」ではなく「憧憬」や「発揚」を抱くべきなのだ。

 

 ――わかっている。ちゃんとわかっている!

 

 だが剣を手に取ると、どうしてもあの姿が――あの「剣」が――黄金の瞳が――脳裏をちらついて離れない。そのような状態で部活に集中できるはずもなかった、この前は夢にまで見たほどなのだから。そうしてため息をついて、とぼとぼと自宅に帰ればそこには元凶が居座っている。

 

 そんな日々を繰り返していれば、日進月歩を目標に掲げた鍛錬の積み上げも、まるで成果に繋がらないような気さえしてくる始末。

 

 納得と理解は別物。しかしこの「意地」は、いつまでも貫けるものではない。分かっていた。

 

 だから。

 

 ―――。

 

 学校からの帰り道であった。

 

 たまたま外を歩いている白雪軍人を見かけた箒は、この偶然を機に、なんとか関係の修繕を図りたいと思い、着物姿の彼を追うことにした。

 

 日も暮れ始めている時刻に、屋敷とは反対の方向へ向かっている。手に提げられていたのは――

 

「手桶と……ひしゃく?」

 

 気づかれないようにあとを尾行(つけ)る。

 

 ――なぜだ、普通に声をかければいいではないか。なぜ気づかれないように、黙ってこそこそとしているのだ。

 ――しかし、まず、謝るにしても、なんと言って話せばいい?

 ――いきなり謝るのか? 困惑するんじゃないか? 謝って、それで許してもらえるのか?

 

 悩んでいるうちにもずんずんと進む、距離が広がる。そのぶん箒は自分の決意が引き伸ばされているような気がして、是が非でも見失うことのないように――とはいえ周囲に隠れるものなどないのだから、まずそんな事態はありえないのだが――追いかけた。

 

「ここは……」

 

 たどり着いたのは、町の外れ。墓地であった。少年が見つかった場所でもある。

 

 白雪軍人が石畳の階段を登り終える。箒は、未だに声をかけることができずにいた。しかし一方では、今は謝意よりも、好奇心の方が優りつつある。何の用で此処へ来たのか。やはりこの地に身内が眠っているのか。浮世離れした彼の素性が、秘密が目の前にあるような気がして、胸が高鳴った。

 

 木々が揺れる。肌を撫ぜる、冷たい風。石畳を踏みしめて、登った。

 

 ――その姿を見る。

 

 墓地。骨だけとなった人たちを葬り、巨大な石で埋めた場所。死者たちの、眠る場所。

 

 顔は見えない。木々で陽は遮られ、夕闇で辺りは沈んでいる。ある墓石の前に、彼は立ち、柄杓から水を注いでいた。

 

 何度も。何度も。

 

 〃、

 々――

 

 そして手桶を置くと、ゆっくりと振り返り、箒を見た。

 

 左目だけが、輝いている。

 

 心臓が飛び上がる。しかし彼は無関心に視線を戻すと、再び墓石を見つめていた。

 

 おずおずと近づいた。好奇心。熱は、彼の立ち姿を見たときから既に失われている。代わりに、見てはいけないものを見てしまったような気まずい想いがある。

 

 傍に、立った。

 

「誰の、お墓なんだ……?」

 

 声が、震えていた。

 

 答えは、ない。

 

 やはり、許してはいないのだ。そう、諦めかけた箒に。ぽつり、と――

 

「俺が倒れていた場所だ。放置されているのもあれだから、こうして代わりに俺が世話している」

 

「そ、そうか」

 

 ――今しかない。

 謝るなら、今しか!

 

「あ、あの」

 

「俺が何者か。そう訊いたよな」彼は静かに言った。あの日の、八つ当たりのような質問の答えを。「……わからないんだ。もう、わからなくなってしまった」

 

 その横顔が。

 何故だか、涙を流していたときの表情と重なった。

 

「悪い。でも、こんなことしか答えられないんだ。今の俺には……」

 

「ちがう」強く、さえぎった。「ちがう、謝らないで。私は、私が、貴方に謝りたくて。ひどいことを、してしまったから」

 

「いいさ」

 

 沈黙。気まずい想いは、まだ拭えなかったけれど。

 

 白雪軍人。謎の多い少年。それでも。少女は、心なしか。

 

 今は、こうしていられるだけで――

 

 

「箒」

 

 

「は、はい」

 

「教えてやろうか」

 

「な、なにを?」

 

「お前の剣には、むら(・・)がある。力だけで振るっているだろう。力任せでない振るい(かた)というものなら、教えられると思う」

 

 脳裏に蘇る。

 

 ――あのときの剣筋が。

 

「い、……いいのか?」

 

「ああ」

 

 箒は。

 

「………………よろしくお願いします、先生」

 

「先生はよせ。軍人(むらと)、と。それが俺の今の名前だ」

 

「わかった。……軍人。頼む。貴方の剣を教えて欲しい」

 

「ああ」

 

 

 よろしく、箒。

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 目が覚めた。

 

 天井。

 

「―――」

 

 隣のベッドでは、幼馴染の織斑一夏が寝付いている。

 

 ――懐かしい夢だった。

 

 箒は。

 

 同居人を起こさないよう静かに移動すると、洗面所で顔を洗ってから、屋敷より持参した木刀入りの杖袋と道具袋を掴んで、剣道場へと向かった。

 

 認証スキャンをパスして入ると、剣道部員に解放されている道場にはまだ誰の姿もなく、箒は更衣室で着替え終えると、準備運動をしてから、独り、いつものように素振りを始める。

 

 かつて彼から指摘された注意点を、忠実に守りながら。

 

 

 ただ、ただ、黙々と――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





 大沼六道宅に置かれている書籍リスト。

1.「帝国軍人の反戦 - 水野広徳と桜井忠温」
2.「雪の女王 - アンデルセン童話集」
3.「白鯨」
4.「見た目が子供の実は名探偵」な漫画。













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