セブンスターを喫う先生、あるいは黄金瞳の 作:ishigami
セシリア・オルコットは貴族の名の下に生まれた。
幼い彼女は当主である母親に媚びへつらう「父親」の姿を見て育ち、また事故で両親が亡くなったあとは、オルコット家という「資産」を狙う
努力家ではある。気負いすぎる性格のきらいはあるが、それでも貴族社会という「波」に揉まれても未だ潰れることはなく、これから先も
あるいはそんな少女を優しく癒し支えられるほどの包容力を持った男性が現れたなら、いずれ訪れる結末が現時点とは変わることもあるかもしれないが――しかし。
そんな事情は、彼女にとっては
セシリア・オルコットは知らない。貴族世界でお上品な社交礼儀の中心地で奮闘してきた彼女は、確かに同年代の娘たちと比べても肝っ玉が座っているし、代表候補生としての知識もきちんと兼ね備えている。貴族という立場ゆえの「危険性」も把握している。だが。
憎悪に染まったどころではない、殺意にまみれた双眸を、彼女は知らなかった。
「だれにむかって
「か、ひゅ……、っ……」
首を締め付けられている。
「
こわばる。恐怖。
もがく。混乱。そして。
意識が――
「ド阿呆馬鹿たれ」
ぽかり、と。静寂化した教室に、間抜けなほどに軽い打撃音が鳴った。
「やりすぎだ。ここは戦場じゃない、そう簡単に死体を量産してくれるな」
処理が面倒だ、書類とかも。そう呟いたのは
「……ごめんなさい兄様」
すぐさま謝罪して立ち上がると、もう一度雫は、今度は生徒たちに向かって頭を下げた。呼吸を許され、涙混じりに喘鳴しているセシリア・オルコットには見向きもしないまま、自席に着く。雫がセシリア少女に掴みかかった際、その中央にいて軽々と席を飛び越えられた生徒は彼女が通り過ぎた瞬間、椅子が引っ繰り返りそうなくらいの
「あ、え、えっと! だ、大丈夫ですかオルコットさん!?」
殺意に当てられて硬直していた山田真耶が遅ればせながら再起動をし、慌てて駆け寄るも、震える肩を掻き
氾濫せんばかりの想いはあるが纏めることができず、何かを喋ろうにも口はかじかんだように思うように動かせず、戦慄くしかない。
ようやく、僅かながらにも思考を取り戻したセシリア・オルコットが声を上げた。
「あ、貴女は、私にこんなことをしてただで済むと――!」
「
「え、俺!?」
突然名前を挙げられて素っ頓狂な声を出す男子。注目を集め、気まずげに首を縮めた姿はさしずめ亀のようだが。
「ご存知ないかもしれませんがISを開発したのは篠ノ之束、日本人です。そして此処IS学園が建造された土地も、やはり日本です。お忘れかもしれませんが世界標準言語はIS発表以降、日本語が主流になっています、貴女の母国語の英語じゃなく。ちなみにお気づきかどうかは知りませんが今貴女が使っている言語、それ、日本語です。イギリス代表候補生である貴女の発言はIS委員会に提出すれば国際問題として一発退場もありうるレベルで大問題ですが報告を上げてもよろしいでしょうか」
「―――」血が上り、赤くなった少女の顔が、首に赤い痕を残しながらも蒼白になる。「そ、それは、」
「ちなみに録音済みです」
更に言葉を失うセシリア・オルコット。
「手際がいいな」
「イェス」
褒められて少し鼻を高くする声。何故録音したのかということは訊かなかった。おおかた高慢ちきで高飛車な相手の弱みでも握っておこうと思ったのだろう、という白雪軍人の想像は実に的を射ていた。
この場に
「――で、どうするんだこの状況。おい雫?」
その瞬間、一年一組は全会一致で「それ言っちゃうんだあ!?」と驚愕した。山田真耶も織斑一夏も例外ではない。本人としては面倒だから口にしただけなのだが。雫もそれを心得ているらしく、
「イェス。セシリア・オルコット。私は貴女を嫌悪し、貴女の発言を憎悪します。ですが兄様のご命令ですので生身の貴女を
「は――はひ!?」
年上で先生。しかし怖いものは怖い素直な性格の山田真耶だった。
「私は白雪雫をクラス代表者として自薦し、一年一組クラス代表決定戦に出馬する意向を此処に示します」
そして――、と少女を睨みつけると、宣言した。
「セシリア・オルコットをぶっ潰します」
◇
寮に着くまで、雫は無言だった。騒動のあと織斑千冬に呼び出された彼女は終始無言で「説教」を受けたが――冷静に立ち返ってみれば、殺人未遂とも取られかねない事態であったのに「説教」一つで済むのだから流石は治外法権地帯というべきか――結果的に白雪雫のクラス代表決定戦参入は認められた。理由の一つとして、彼女が「専用機持ち」だからという大人たちの思惑もあったが、白雪軍人から報告を受けた
「あ、おかえりー」
彼女の容姿、声質、振る舞いや雰囲気には、対峙する者の気をなんとも緩くしてしまうような効果がある。それは少女の生来の気質でもあるし、意図的にそうするよう振舞っている節もあった――言わずもがな彼女もまた「更識」の関係者なのだ――が、今回ばかりは骨が折れそうだ、と本音は内心でため息をついた。
「しずちゃん……」
「本音さん。私のベッドはどっちですか?」
「え? あ、どっちでもいいよー。しずちゃんの好きな方を――」
「では私はこちらで。本音さんは窓際のベッドでも?」
「あー、うん。いいよー……」
てきぱきと荷物を広げていく雫に、本音は何を話すべきか思いつかない。
――悪い子ではないのだ、そこだけは誤解しちゃいけない。
谷本癒子や相川清香が
――しずちゃんは誤解されやすいだけで、本当にいい子なんだよ……
周りがどのように感じていたとしても、それでも。白雪軍人と共にいる白雪雫がかつて垣間見せた本当に幸せそうな表情を目撃したことがある本音には、彼女が孤立してしまう事態だけはなんとしても避けたかったのだ。
目の前の少女がそんな決意を秘めているとは露も知らず、雫は次々と同居人との生活習慣の確認を進めていく。
互いの入浴時間の調整なども終わると、雫はすっくと立ち上がり、では兄様に会いに行ってきますと扉に手を掛けた。
「ま、まってしずちゃん」
「――?」
「あ、あの」何か言うべきではないのか。だとしても何を言うべきなのか。「その――しずちゃん」
「イェス」
「こ、これからよろしくね? ムーくんさんにも、よろしくって。あと私のことは本音でいいよ? それと、……いってらっしゃい」
当たり前の事しか口にできなかった。それでも。
「―――イェス。これからよろしくお願いします
小さく驚いたように目を開き、それから微かに笑みを見せた。何よりも、こちらを名前で呼んでくれた。
扉が閉まる。本音は。気難しい子犬がちょっとだけ心を開いてくれたような感じがして、自分の頬が緩んでいることに気づいた。もう一度「いってらっしゃい」と呟く。
「……よぉーっし、それじゃあ、お風呂に入っちゃうぞー!」
がおー!
なんだかうまくいきそうな気がした。
◇
職員専用寮。
白雪軍人の部屋にて。
「では社長は全面的に応援してくれるということですか?」
「ああ。それから、あの人からの伝言だ。やるからには、必ず勝て――だそうだ」
白雪雫は。
「むろん勝ちます。だから見ていてください兄様。私が必ず、あの女をぶっ潰しますから」
かつて、命ぜられるがままに殺してきた機械のようだった「あの頃」とも違って、明確な殺意と「熱」を抱きながらも。
毒花のように
◇
その日。夜も深まった頃。
見回りを終えた学園唯一の男性教員が一人、まだ肌寒い屋上で紫煙をくゆらせながら義妹の真っ直ぐに歪んだ性格を想い、学園初日から疲れたようにため息をこぼした事を、知る者はいない。