セブンスターを喫う先生、あるいは黄金瞳の   作:ishigami

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■■05 先生、セブンスターを喫う1

 

 

 

 セシリア・オルコットは貴族の名の下に生まれた。

 

 幼い彼女は当主である母親に媚びへつらう「父親」の姿を見て育ち、また事故で両親が亡くなったあとは、オルコット家という「資産」を狙う俗物(・・)たちと渡り合うためにほとんどの場で意識を尖らせて生きてきた。付け入れさせる隙を与えないために当主として相応しい振る舞いや「貴族的」な会話法を身に付け――苦労をしてイギリス代表候補生になったのも、すべては家を守るためだ。

 

 努力家ではある。気負いすぎる性格のきらいはあるが、それでも貴族社会という「波」に揉まれても未だ潰れることはなく、これから先もそう(・・)はならないよう頑張り(・・・)続けるのだろう。何かのきっかけがなければ、死んでしまった母親がなぜ「媚びへつらう」「無能な男」を名門オルコット家の夫として迎え入れ、そしてどうして影口を囁かれながらも最期まで共に在り続けたのかという、場合によってはセシリア少女の「男嫌い」の理由を根幹から崩しかねない事情(・・)にも目を向ける余裕がないくらいには、彼女は張り詰めて(・・・・・)生きていくしかないのだ。

 

 あるいはそんな少女を優しく癒し支えられるほどの包容力を持った男性が現れたなら、いずれ訪れる結末が現時点とは変わることもあるかもしれないが――しかし。

 

 

 そんな事情は、彼女にとってはどうでもいい(・・・・・・)ことだった。

 

 

 セシリア・オルコットは知らない。貴族世界でお上品な社交礼儀の中心地で奮闘してきた彼女は、確かに同年代の娘たちと比べても肝っ玉が座っているし、代表候補生としての知識もきちんと兼ね備えている。貴族という立場ゆえの「危険性」も把握している。だが。

 

 憎悪に染まったどころではない、殺意にまみれた双眸を、彼女は知らなかった。

 

「だれにむかって()めた口をきいたか、りかいしているかメス豚(・・・)

 

 呼吸(いき)が出来ない。肺は、床に叩きつけられた衝撃でまともに機能しておらず――

 

「か、ひゅ……、っ……」

 

 首を締め付けられている。ぎりぎり(・・・・)と、少女はセシリア・オルコットに圧し掛かりながら締めつけを強めていく。

 

喉斬り包丁(カットスロート)の切れあじ。刺し身にしてやろうか」

 

 こわばる。恐怖。

 もがく。混乱。そして。

 

 意識が――

 

 

 

「ド阿呆馬鹿たれ」

 

 

 

 ぽかり、と。静寂化した教室に、間抜けなほどに軽い打撃音が鳴った。

 

「やりすぎだ。ここは戦場じゃない、そう簡単に死体を量産してくれるな」

 

 処理が面倒だ、書類とかも。そう呟いたのは白雪軍人(しらゆきむらと)――IS学園唯一の男性教員であり、凍りついたこの空気を生み出した白雪雫の兄である。

 

「……ごめんなさい兄様」

 

 すぐさま謝罪して立ち上がると、もう一度雫は、今度は生徒たちに向かって頭を下げた。呼吸を許され、涙混じりに喘鳴しているセシリア・オルコットには見向きもしないまま、自席に着く。雫がセシリア少女に掴みかかった際、その中央にいて軽々と席を飛び越えられた生徒は彼女が通り過ぎた瞬間、椅子が引っ繰り返りそうなくらいの過剰(せいじょう)な反応を見せ、やはり大きく響いた。当人は無表情ではあるもの、どこか憮然としたものが醸されている。

 

「あ、え、えっと! だ、大丈夫ですかオルコットさん!?」

 

 殺意に当てられて硬直していた山田真耶が遅ればせながら再起動をし、慌てて駆け寄るも、震える肩を掻き(いだ)くセシリア少女は身体を起こしただけで、それ以上立ち上がることができない。

 

 氾濫せんばかりの想いはあるが纏めることができず、何かを喋ろうにも口はかじかんだように思うように動かせず、戦慄くしかない。

 

 ようやく、僅かながらにも思考を取り戻したセシリア・オルコットが声を上げた。

 

「あ、貴女は、私にこんなことをしてただで済むと――!」

 

極東の猿(・・・・)。貴女は午前中、織斑一夏をそのように罵倒していましたね」

 

「え、俺!?」

 

 突然名前を挙げられて素っ頓狂な声を出す男子。注目を集め、気まずげに首を縮めた姿はさしずめ亀のようだが。

 

「ご存知ないかもしれませんがISを開発したのは篠ノ之束、日本人です。そして此処IS学園が建造された土地も、やはり日本です。お忘れかもしれませんが世界標準言語はIS発表以降、日本語が主流になっています、貴女の母国語の英語じゃなく。ちなみにお気づきかどうかは知りませんが今貴女が使っている言語、それ、日本語です。イギリス代表候補生である貴女の発言はIS委員会に提出すれば国際問題として一発退場もありうるレベルで大問題ですが報告を上げてもよろしいでしょうか」

 

「―――」血が上り、赤くなった少女の顔が、首に赤い痕を残しながらも蒼白になる。「そ、それは、」

 

「ちなみに録音済みです」

 

 更に言葉を失うセシリア・オルコット。

 

「手際がいいな」

「イェス」

 

 褒められて少し鼻を高くする声。何故録音したのかということは訊かなかった。おおかた高慢ちきで高飛車な相手の弱みでも握っておこうと思ったのだろう、という白雪軍人の想像は実に的を射ていた。

 

 この場に織斑千冬(ブリュンヒルデ)がいれば。多くの生徒が想いを一つにしたが、残念ながら今の彼女は他クラスで教鞭をふるっているし、副担任も巨峰をぶるんぶるん揺らして「あわ、あわ」と慌てるだけ。白雪軍人は雫の行動を簡単に咎めはしたものの、様子は一貫して変わってない。

 

 破綻(・・)のときを想像するセシリア・オルコット。「ぶち殺す」と激怒しながらも一瞬で平静な顔に戻り正論(・・)を捲し立てた白雪雫。黙りこくる両者。横溢する沈黙。緊迫した空気。動かない修羅場。

 

「――で、どうするんだこの状況。おい雫?」 

 

 その瞬間、一年一組は全会一致で「それ言っちゃうんだあ!?」と驚愕した。山田真耶も織斑一夏も例外ではない。本人としては面倒だから口にしただけなのだが。雫もそれを心得ているらしく、

 

「イェス。セシリア・オルコット。私は貴女を嫌悪し、貴女の発言を憎悪します。ですが兄様のご命令ですので生身の貴女をヒラキ(・・・)にするのは自重します。貴女を追放するにしても単にそれだけでは私の気分が晴れません。そこで私は次のように表明します。山田真耶先生」

 

「は――はひ!?」

 

 年上で先生。しかし怖いものは怖い素直な性格の山田真耶だった。

 

「私は白雪雫をクラス代表者として自薦し、一年一組クラス代表決定戦に出馬する意向を此処に示します」

 

 そして――、と少女を睨みつけると、宣言した。

 

「セシリア・オルコットをぶっ潰します」

 

 

 

 ◇

 

 

 

 寮に着くまで、雫は無言だった。騒動のあと織斑千冬に呼び出された彼女は終始無言で「説教」を受けたが――冷静に立ち返ってみれば、殺人未遂とも取られかねない事態であったのに「説教」一つで済むのだから流石は治外法権地帯というべきか――結果的に白雪雫のクラス代表決定戦参入は認められた。理由の一つとして、彼女が「専用機持ち」だからという大人たちの思惑もあったが、白雪軍人から報告を受けた企業(キサラギ)側からすれば自社製品のアピールにも都合がいいので彼らが後押ししたという事情もある。

 

「あ、おかえりー」

 

 同居人(ルームメイト)である布仏本音は、いつものように柔らかな声をして雫を迎え入れた。

 

 彼女の容姿、声質、振る舞いや雰囲気には、対峙する者の気をなんとも緩くしてしまうような効果がある。それは少女の生来の気質でもあるし、意図的にそうするよう振舞っている節もあった――言わずもがな彼女もまた「更識」の関係者なのだ――が、今回ばかりは骨が折れそうだ、と本音は内心でため息をついた。

 

「しずちゃん……」

 

「本音さん。私のベッドはどっちですか?」

 

「え? あ、どっちでもいいよー。しずちゃんの好きな方を――」

 

「では私はこちらで。本音さんは窓際のベッドでも?」

 

「あー、うん。いいよー……」

 

 てきぱきと荷物を広げていく雫に、本音は何を話すべきか思いつかない。

 

 ――悪い子ではないのだ、そこだけは誤解しちゃいけない。

 

 谷本癒子や相川清香が引いていた(・・・・・)理由は察せられる。というか、誰だって引くだろうあれ(・・)は。あんな発言を投下されたとあっては、みんな距離を取ろうとしても不思議ではない。彼女の動機が、たとえ親愛なる対象を侮辱されたからであったとしても。

 

 ――しずちゃんは誤解されやすいだけで、本当にいい子なんだよ……

 

 周りがどのように感じていたとしても、それでも。白雪軍人と共にいる白雪雫がかつて垣間見せた本当に幸せそうな表情を目撃したことがある本音には、彼女が孤立してしまう事態だけはなんとしても避けたかったのだ。

 

 目の前の少女がそんな決意を秘めているとは露も知らず、雫は次々と同居人との生活習慣の確認を進めていく。

 

 互いの入浴時間の調整なども終わると、雫はすっくと立ち上がり、では兄様に会いに行ってきますと扉に手を掛けた。

 

「ま、まってしずちゃん」

 

「――?」

 

「あ、あの」何か言うべきではないのか。だとしても何を言うべきなのか。「その――しずちゃん」

 

「イェス」

 

「こ、これからよろしくね? ムーくんさんにも、よろしくって。あと私のことは本音でいいよ? それと、……いってらっしゃい」

 

 当たり前の事しか口にできなかった。それでも。

 

「―――イェス。これからよろしくお願いします本音(・・)。それでは、いってきます」

 

 小さく驚いたように目を開き、それから微かに笑みを見せた。何よりも、こちらを名前で呼んでくれた。

 

 扉が閉まる。本音は。気難しい子犬がちょっとだけ心を開いてくれたような感じがして、自分の頬が緩んでいることに気づいた。もう一度「いってらっしゃい」と呟く。

 

「……よぉーっし、それじゃあ、お風呂に入っちゃうぞー!」

 

 がおー!

 

 なんだかうまくいきそうな気がした。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 職員専用寮。

 

 白雪軍人の部屋にて。

 

「では社長は全面的に応援してくれるということですか?」

 

「ああ。それから、あの人からの伝言だ。やるからには、必ず勝て――だそうだ」

 

 白雪雫は。

 

「むろん勝ちます。だから見ていてください兄様。私が必ず、あの女をぶっ潰しますから」

 

 かつて、命ぜられるがままに殺してきた機械のようだった「あの頃」とも違って、明確な殺意と「熱」を抱きながらも。

 

 毒花のように嫣然(えんぜん)と微笑むのだった。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 その日。夜も深まった頃。

 

 見回りを終えた学園唯一の男性教員が一人、まだ肌寒い屋上で紫煙をくゆらせながら義妹の真っ直ぐに歪んだ性格を想い、学園初日から疲れたようにため息をこぼした事を、知る者はいない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

















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