セブンスターを喫う先生、あるいは黄金瞳の   作:ishigami

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 英雄不明。
 勇者不在。

 四つの分岐点。


 結末はひとつ。

















■■40 fall from your Springs

 

 

 

 ◇

 

 

 

 ほう、と息を吐くと、吹き抜けた風が、白い煙を散らした。黒雲が、どんよりと影を落としている。

 

 ――雨を呼ぶ、風。雨の、前触れ。

 ――季節的には、黒南風(くろはえ)と呼ぶのだったか。

 

 屋上に、白雪軍人(しらゆきむらと)以外の人影はなかった。休校日は解放されていない屋上で一服しているのは、学園に喫煙室がないことと、自室に戻るよりもこちらのほうが近かったからだ。

 

 表情が、どこか浮かない様子なのは、ついこのあいだ上司である少女から押し付けられた仕事が原因であった。

 

 ――「貴方を、生徒会特別顧問に任命します!」

 

 ――「……なんだ、それは」

 

 ――「生徒会特別(・・)顧問よ!」

 

 だから、なんだというのだ、それは。

 

 ――「生徒会特別顧問だってば!」

 

 呆れた。

 

 あれよあれよと、よく分からないうちに外堀を埋められ、用意された生徒会の(いす)に座ることが義務付けられた。

 

 ――俺は、あくまで学園に出向してきた社員のはずだろうが。それを、外部顧問? なんの相談もなく?

 

 非常識だった。

 

 ――「なに考えてんだ」

 ――「そっ、それはもちろん学園のためになることよ」

 

 胡散臭い返答。

 他人事であったなら、どれだけよかったことか。

 

 ――「ムー兄さんには基本的に私のサポートをお願いするわね」

 

 ――「その心は?」

 

 ――「ほ、本当だってば! 疑り深いんだから。ほら、ムー兄さんがいてくれたなら私ももっと楽ができるだろうし……」

 

 慌てた様子で、赤い顔して、らしい(・・・)理由を並べ立てる上司、更識楯無の態度は、白雪軍人からすれば、自然と睨目(ジトメ)を避けられないもので。

 納得など。

 

 ――「これは上司命令です!」

 

 と、言われても。

 

 これまでの生徒会運営に、何か不足があったわけではないのだ。つまりこの役職は、彼女にとっては後ろめたい、私的な動機の裏返しなのだった。

 

 白雪軍人は。そのこと――理由――を、なんとなく察している。察せられる程度には、彼女について理解していた。

 

 自意識過剰。自惚れで終わるのなら、単なる笑い話だが。しかしその可能性は、きっと、おそらく低い。本人は隠しているつもりらしい、少女の瞳の奥の感情色が、もし自分の想像しているとおりだとすれば。

 

 ――匿名(・・)で襲撃の予告があったと、無人機襲撃の裏を明かした時から、そういう視線は感じていた。

 

 

 なんでちゃんと話してくれなかったの。ていうか本当にISと生身で戦うとか馬鹿じゃないの!? ちゃんと私の指示に従ってよ、不安になるじゃない!

 

 お願いよ。約束して……

 

 

 ――今は、前よりもずっと態度が露骨になってきている。ぐいぐい(・・・・)押して来るというか。

 

 具体的に言えば、やたらと自分を傍に置きたがっている。今回のことも、そう。

 

 襲撃の数日前に、生徒会室で、確かにあいつをからかいはした。――それがきっかけか? だとすれば、自業自得か。

 

 ――面倒だと、切って捨てられたなら楽なことはない。あるいは鈍感でいられたなら。

 

 しかし非がこちらにあると言われれば、それも道理だった。火をつけたのは自分なのだから。

 

 ――それに、刀奈だけじゃない。もう一人のほうも。

 

 あのとき、顔をうずめて呟くように言った、箒から言われた言葉を、白雪軍人は聞かなかった(・・・・・・)ことにした。幸いにして言った本人も聞かれたことに気づいていない様子だったが、やはりあの日以来、二人の少女は同じような熱を帯びた視線を向けてきている。

 

 ――かたや篠ノ之束の妹。かたや暗部更識の娘。

 

 齢二十歳に過ぎぬとはいえ、この状況を単純に喜べるほど、能天気な人生は送ってきていない。悩んだところで答えが出るわけでもないが。そもそも、正解などないのだし。

 

 ――それに。

 ――なんであいつらが、俺なんか(・・・・)をそんなふうに見れるのか、いまいち理解できない。

 

 白雪軍人の汚さ(・・)は、誰よりも自覚し理解している。セシリアのように、上辺だけで判断するには、彼女たちは自分との接点がありすぎた。

 

 だから、余計に。ため息。

 

 二本目に、火をつけた。

 

 セブンスター。紫煙。ふと、昔のことが過ぎった。かつて。部隊の仲間。うるさい記憶。笑顔。夜。悲鳴。少女。骸。墓場。雨。悩ましい今のこと。思いこされては、煙のように形も、熱も、薄れ、消える。

 

 感傷的になっている自分が、なんだかおかしかった。

 

 雨の音。つられるように見上げた。今日は、晴れではなかったのか。黒いしみ(・・)が、だんだんと地べたに増えてゆく。鬱々な気になるわけだ、これ以上濡れてしまっては堪らない。

 

 揉み消した吸殻を携帯灰皿に押し込み、施錠された扉を、来た時と同じように閉めた。階段。一歩降りるたび、雨は、激しさを増してゆく。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 生徒会室には、布仏虚ともう一人しかいなかった。

 

 お疲れ。お疲れ様です。視線だけで以心伝心した、白雪軍人は席に着くと、立ち上げたPCを睨んでいる更識楯無へ胡乱な眼差しを向けた。

 

「ムー兄さん。UFOって信じてる?」

「はあ?」

 

 脈絡ない発言。

 

「ドイツに昨日、UFOが現れたって。けっこう噂も広がってるみたいよ。どう、信じる?」

 

 突拍子のない内容。ふざけているのか。それにしては、目も外さず、口調に深刻な響きがある。

 

「なんだ。もしかして、防衛省の人間と話してたのはそういうことか? UFOが攻めてくる?」

 

 万全の盗聴対策が為された学園長室にて、IS学園における実質的経営者轡木十蔵、「暗部」当主更識楯無、そして防衛省から出向いてきた高官が会談を行ったことは知っていた。

 

 会談が決まったのは午前。突然のことであったから緊急を要するのは想像に容易かったが、しかしそれを踏まえても神妙な顔して言ったことが「UFO」とは、どうにも間抜けで、危機感が欠けていた。

 

「これ、見てもそう言える?」

 

 茶化すような物言いに、しかし返ってきたのは、微妙な反応で。

 

 普通なら下手な笑い話だが。つまらないから笑えない、というふうでもない。

 

 後ろから覗き込んだ。鮮明とは言い難い画質の動画が再生され、撮影者らしき人の声が流れ始める。

 

 英語であった。どこかの港町らしい。西洋人の顔が映る。かなり興奮した表情。カメラの手ブレが収まると、海上の、雲一つない空高くにある、奇妙な、異様な、「巨大」な物体を捉える。

 

 

 画面に収まりきらないほど巨大な、黒く発光する浮遊物体が、映し出されている。

 

 

「ムー兄さん。あなたならこれをどう見る?」

 

 更識楯無は。つい先程まで政府高官と交わしていた情勢の、緊迫感を、未だ持て余していた。

 

 情報の収集は指示してある。しかし、まるでフィクションのようだ、と。どれだけリアリティに富んでいても、あまりに現状が創作物(フィクション)めいているせいで疑いが判断に先行してしまっていた。さしずめ良くできたエイリアン映画のエンドロールに「これは実在の記録である」と注釈が出た時の観客の「ええー?」という戸惑いによく似ていた。いやいや、それはないでしょ流石に、と。しっくりこない、腑に落ちないのだ。

 

 一四時間前、現地時刻で一五時三〇分。

 ドイツが未知の勢力の襲撃(・・)を受けた。

 

 ――そして、消滅(・・)しただなんて。

 

 言って、だれが信じる? どう受け止めればいのだ、これを。

 

 ――消滅って、なによ、それ。

 ――はあ?

 ――挙句、それをしたのがUFO?

 

 バカバカしいと、一蹴するのは簡単だが。事実を確認し、驚異分析するのは更識の仕事でもあった。

 

 現段階で事実認定できるのはドイツ領空でIS戦闘が行われたということだけだ。また、多くの人間がドイツに突如出現した未確認飛行物体を目撃した、というのも、事実(・・)である可能性を否定できなかった。

 

 ドイツ政府は今なお沈黙している。日本政府はこの異常事態に対し、やはり戸惑っているらしかった。

 

「ムー兄さん?」

 

 白雪軍人に訊いたのは、自分が狸に化かされているわけではないと確かめたかったからだ。自分の判断力がおかしくなったわけではないと。

 

 しかし。

 

「―――」

 

 振り返って見た、彼の表情は。

 

 更識楯無の想像していた、わらう、呆れるの、いずれとも違っていた。

 

「馬鹿な」

 

 蒼白(・・)

 

「え?」

 

「いや……」引きつった様子で。「なんでもない」

 

「どうしたのよ」

 

 怪訝な視線を向けられている、白雪軍人は取り繕うのが精一杯で、その思考はまったく違うものへ向けられていた。

 

 ――思い出した(・・・・・)

 

 何故だ。

 

 

 黒い太陽(・・・・)

 ()違う(・・))。

 159(ワンハンドレット・フィフティー・ナイン)。 

 

 

 どうして(・・・・)なんで(・・・))。

 俺は、あのこと(・・・・)を。

 

 思い出した?

 

「ちょっと、本当に大丈夫?」

 

 我に返った。大丈夫だ。気遣われている。笑った。俺は、大丈夫だ。頭痛(・・)。何か、ひやりと熱い、恐ろしいものに引っ張られかけた感覚があとを引いていた。キモチワルイ(・・・・・・)。不味い珈琲の、だま(・・)のような不快感と。

 

 古傷が。哭いているような。

 

 痛み(・・)が。

 

「なんでもない」

 

 かぶりを振った。もう一度、画面を見る。ただのフェイク動画だ。なんでもない映像のはずだ。

 

 布仏虚までもが、心配するような顔をしている。心配しすぎだ。大丈夫だ。心配いらない。きちんと、笑えているはずだ。頭が痛い。

 

「………、」

 

 着信音。

 

 更識楯無は訝しがっていたが、ちょうど「更識」の専用回線から入ってきた連絡に、嘆息しつつ、止む終えず出た。

 

 そして。

 

「―――――はあ!?」

 

 少女の叫びが響き渡り、青年が反射的に顔をしかめた。

 

「そんな――それじゃあ彼は、無事なの!?」

 

 ほとんど怒鳴るように携帯に問うが、その形相はみるみる深刻化してゆく。

 

「……っ、すぐに探し出しなさい!」

 

 通話を切ると、更識楯無は拳を強く握り締めた。歯軋りが漏れそうほど噛み締め、頭に血が上っていることを自覚すると、力みを解くように大きく深呼吸し、説明を求める視線に対して、苦々しく答える。

 

「一夏くんが、外に出てるのは言ったわよね。その護衛についてた部下からの報告よ。彼がいるショッピングモールが、倒壊した」

 

「――な、」

 

 誰一人として、想像もしていなかった事態に、絶句していた。

 

「それは、どういう――」

 

「分からないわよ。突然地震が起きて、建物全体が崩壊したそうよ。今、一夏くんが無事かどうかを確認させてる」

 

 見合わせた。

 

「……とりあえず、支援要請が来ると思う。学園(うち)としても、そのための対応も取らないといけないわね」

 

 頷く。

 

「私は情報を……」

 

 

 着信音。

 

 

「今度は何よ!?」

 

 学園専用の携帯に出た、更識楯無は。

 

 またしても、悲鳴を上げていた。

 

侵入者(・・・)!?」

 

 悪夢としか言い様のないタイミングでの報告に、血管が切れそうになりながら――

 

 

 爆破解体するような轟音(・・)振動(・・)が、建物を揺らした。

 

 

「侵入者は!? ……一人!? なに、よく聞こえなかった、もう一度言って!? ――ヒト(・・)!? 空を飛んでる(・・・・・・)!?」

 

 破壊音。

 破壊音。

 

 銃声を交えて。

 

「迎撃部隊は何をしている――」

 

 音は、確実に。

 近づいてきていて――

 

 破壊音。

 

 破壊音。

 破壊音。

 破壊音。

 破壊音。

 破壊音。

 破壊音。

 破壊音。

 

 破壊音。

 

 

「―――――――みぃつけた」

 

 

 屋根が破かれ。

 空が、現れた。

 

 三日月が、わらっている。

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

「―――――――――――――――――」

 

 

 居た(・・)

 そこ(・・)に。

 

 

 そこには、少女が。

 

「何よ」

 

 宙に浮かび、佇んでいる。

 

「なんだって言うのよ」

 

 見上げていた。

 雨を背景に。

 

「冗談じゃないわよ、あなたは――!?」

 

 金色(こんじき)の長髪。

 雪花石膏(アラバスター)の白い肌。

 

 月の如き黄金の双眸(・・・・・)は、さながら太陽の代わりに。

 

 こちらを、見下ろすようにして。

 

「――――――――――」

 

 青年は、呼吸すら忘れて。

 

「まさか」

 

 少女が何者か、白雪軍人が知るはずはなかった。会ったこともなければ見たこともない相手なのだ、完全に初対面なのだ。

 

 だというのに(・・・・・・)

 

 ――気づいた、わかってしまった。

 ――俺は、こいつが、誰であるのか。

 

 接点はなく。ともに、瞳に黄金(・・)の輝きを宿していること以外に、接点や、共通点など、ありはしないというのに。

 

 それでも。

 

 ああ――なんということだ、それ(・・)こそが、何よりも。青年に、痛烈な驚愕と「確信」を抱かせる理由でもあった。

 

 あるいは。

 

 自らの内に在る、かつて失い錆び付いたはずの「領域結合」が少女と相見えた瞬間に再び共振反応を訴え始めたという事実が、否応なく、この認めがたい悪夢のような予感が現実であることを裏付け、気づかないことを許さなかった。

 

 

 雨が、降っている。

 

 

 もはや、人の声も、雨の音さえも耳に入らなかった。

 

 思考のすべてが囚われていた。銃声が轟き、銃弾が少女に襲いかかり、しかし手前で弾かれるようにして逸れ、傷一つさえ刻むこと叶わずに、むしろ攻撃していたISパイロットの肉体が膨張し爆散し、血まみれの肉塊と化したそれが片手間に生徒会室に投げ込まれた瞬間にも、視線は、取り憑かれたように片時も動かせなかった。

 青年を呼ぶ声にすら、反応できず。

 

「おまえ、は」

 

 その顔。その瞳。外見的特徴はもとより、魂に刻印されたあかし(・・・)が、雄弁に答えを告げている。

 

 

 

スプリング(・・・・・)――」

 

 

 

 少女が。わらった。

 

 衝撃。

 

 身体は、宙にあった。回転する視界。風の音。遠くに、生徒会室が見えた。数一〇メートル。壁を突き破り、放り出されたのか。重力。地上が近い。使わざるを得なかった。サイキック。体勢を修正。受身。間に合わない。地面。

 

 衝撃が、きた。肩。背中。腰。全身。ボールのように弾み、跳ねる。耐えた。擦過。打ち、勢いが死ぬまで転がり続ける。

 

 止まった。止めていた呼吸が、うまく再開できない。苦しい。震えた。頬を叩く。雨。切れた傷口から、滲んで滴っている。立ち上がれない。

 

「フェブラリー」

 

 声。彼女の。

 見上げた。

 

 微笑んでいる。

 

 ――ああ、間違いない。

 

 疑うことは、なかった。初めから、分かっていたことだ。

 

 白雪軍人が知らない、七星■■の夢に出てきた、フェブラリーの()

 

 あの人と同じ、大切な、家族の。

 

 春の名を冠する少女(・・・・・・・・・)

 

「今日はね、挨拶に来たのよ」

 

 少女は。

 なんのてらいもない口調で。

 

 

「私ね、これから世界を滅ぼすわ」

 

 

 そう、告げた。

 

「――――――――――――――――――――――――――――――――――」

 

「次元の穴を開けたの。アンドラスを呼んだわ。穴はじきに世界中に広がる。大量のアンドラスがこの世界に侵攻してくるでしょうね」

 

 わらっている。

 わらっているのか。

 

 こちらを見下ろして。

 

「な……、」

 

「喋っていいなんて、言ってないでしょ」

 

 瞬間。

 

 腕が、ねじ切れた。

 

 

「■■■■■■■■■■■―――――――!!」

 

 

 鮮血。

 

 自分のものとは思えない声が、出た。眼前に、降って転がったのは、人間の腕だ。肩から切断された、俺の腕(・・・)だ。

 

 わらい声。

 

「あらごめんなさい。ちょっと手が出ちゃった。反省。ごめんなさいね、それじゃあお詫びと言ってはなんだけど、いま、何を訊こうとしたのかしら?」

 

 楽しそうに、少女はかしげた。

 

 青年は、ふるえていた。

 

「言えよ」

 

「■■■――――――!!」

 

 脚の骨が、圧し砕けた。

 

 噴出する。血の海ができていた。

 

 意識が、遠のく――

 

「あらあら。血が出てるわね。止めないの? 死んじゃうよ、ねえ。できないのなら、私がやってあげる」

 

 わらい声。

 

 

 ()

 

 

 傷口が、灼かれた(・・・・)

 

「――――――――――――――――――」

 

 意識を失うことすら、許されない。もがくだけだ。もがいたところで痛みは消えてくれない。

 

 何の抵抗もできなかった。のたうち回る。飛び散った。理性が、自己が、嬲られ、蝕まれてゆく。

 

 煙があがっていた。腕。肉の、焼け焦げた臭い(・・)が。

 

「ほら、言いなさいよ」

 

 顎を、震わせながら、なんとか絞り出した。

 

「な、なんの、ために……」

 

「うん? なあに?」

 

「どう、して。そんな、こと……」

 

 少女が、わらった。

 

「ステイシスのためよ」

 

「―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――」

 

 わらいながら、言った。

 

 

 

 取引したのよ。悪魔と。

 諦めない限り願いを叶える方法を教えてくれる悪魔。私は世界を滅ぼさないといけない。そうしないと願いを叶えられないから。私はそのためならなんだってするのよ、フェブラリー。誰を殺そうが厭わない。特別に、あなたに私の願いを教えてあげる。私の願いはね――

 

 全人類の命と引き換えに(・・・・・・・・・・・)ステイシスをこの世に蘇らせる(・・・・・・・・・・・・・・)こと。

 

 私にとってあの人は、世界よりも重く尊い。だからこの対価が選ばれたんだって。

 まあ、当然のことよね。

 

 ダイスは投げられた。目はもう出ている。

 あとは滅ぼすだけよ。

 

 

 

「―――――――――――ぅ、ぁ…」

 

「あれ? どうしたのフェブラリー。泣いてるの? どこか痛いの? なにか嫌なこと(・・・・)でもあったの」

 

 少女が、わらっている。

 

「ぅぁ――――――――ぁぁぁ………」

 

 ふるえていた。

 

 わからない。自分が、どんな顔をしているのかもわからない。

 

 

 発作的情景(フラッシュバック)

 

 

 指先が、冷たかった。耐えろ(・・・)。耐えられるはずだ、と自分に言い聞かせた。なにを耐えようと(・・・・・)しているのかもわからないままに、ひたすら、耐えた。ふるえながら。耳をふさいで。過ぎ去るのを待った。

 

 くるしみ。熱。幻臭。声。痛みが、えぐり、ねじ込まれた。耐える。過ぎ去ることはない。耐える。何かが、破れかけていた。きしむ。圧し潰される。だめだ。無理だ。呑み込まれる。止まらない。止まって、くれない――

 

 涙が、流れた。だめだ。もう、耐えられない。ほかのことなら耐えられる。どんな苦しみでも耐えられるのに。なぜだ。どうしてだよ。こんなこと。どうすればよかったんだ。あふれ出した。悲鳴を上げていた。おれは。耐えられなくなった。もう、誰の声も聞こえない。

 

 おれは――

 

 

 ――「愛しているわ」

 

 

 笑顔。

 

「ステイ、シス」

「お前があの人を呼ぶなよ!」

 

 憎悪の双眸。

 

 

「お前が、ステイシスを殺したくせに!!」

 

 

 不意に、少女が見上げた。

 

 遠くから、飛行体が迫っている。学園の迎撃部隊ではない。操縦者を必要としない、独立思考型のIS。数は五。

 

 もし織斑千冬がこの場にいたならば、誰が送り込んできたのか直ぐにでも分かったはずだが。その人物が、織斑一夏の義手に組み込まれていたセンサーによって織斑千冬の身に何が(・・)起きたのかを知り、それを引き起こした少女を殺害するべく送り込んできたと知ったところで、少女にはなんの関心も湧かない、どうでもいい感情の発露でしかなかった。

 

 電磁砲。弾雨が一斉に迫る。

 少女は。

 

「邪魔だ」

 

 呟くと。

 

 精密照準の殺意が殺到した。炸裂。

 

 そこに、少女はいない(・・・)

 

 砲身が空を向いた。その先に、ハイパーセンサーをすり抜けて一瞬で転移(・・)した少女が浮かんでいる。手を伸ばした。

 

 女王のように、命じる。

 

「潰れろ」

 

 三体のISの動きが、止まった。

 

「潰れてしまえ」

 

 軋む音。悲鳴のような。

 

「邪魔だ!」

 

 ひしゃげ、捩じ曲がり、引きちぎれる。

 

 爆発。

 

 ――馬鹿な。

 

 残骸が、墜ちてくる。

 

 薙ぐようなレーザー攻撃が、崩落した校舎を焼き払った。二手に分かれた無人ISに、動揺はない。すかさず、相互の位置を完璧に把握した波状攻撃を仕掛ける。

 

 その背後に、いつの間にか(・・・・・・)少女がいた。

 

「のろま」

 

 ISを掴み(・・)、投げ飛ばす。避けることさえ許されず、ISはもう一体と激突した。

 

 少女が手を伸ばす。指先の空間が、ふるえた。収束(・・)。一秒と掛からない。

 

 (いかずち)の光が、ISを貫いた。

 

「―――うそ…」

 

 誰かが言った。呆然と、誰もが見上げていた。

 

 機能停止した二体の残骸が、地上にバラバラになって墜ちてくる。

 

 誰もが気づいていた。あれこそは、つい先日IS学園を恐怖に陥れた襲撃者であると。

 

 その襲撃者たちが、手も足も出なかった。

 

 たった一人の少女に。

 ISを装うでもない少女に。

 

 

 蹂躙された。

 

 

 圧倒的に。

 一方的に。

 

 ――あれは、本当に人なのか。

 ――化け物、じゃないか。

 

 恐怖が、あらゆる者たちの脚を縛っていた。

 

 誰一人として、白雪軍人を救おうなどとは思わなかった。

 

 思えるはずがなかった。動けるわけがなかった。

 

 ただ一人(・・・・)を除いて――

 

 

「離れろ!!」

 

 

 白雪雫。白雪軍人の妹が、突撃していた。

 

「『フロウ・マイ・ティアーズ』!!」

 

 全身装甲。紺のIS。手には、「回転式九銃身機関銃(ブレス・オブ・ヒュドラー)」。銃爪を引き絞る。

 

 咆哮。

 無数の弾雨が、あらゆる構造物を粉砕してゆく。

 

 しかし。

 

 少女には届かない。

 

「兄様――!」

 

 「高機動分裂誘導弾(アイ・カム・ウィズ・ザ・レイン)」。分裂する三八四の弾頭が圧倒的殲滅力で仇敵を襲う。逃れる隙間は、ない。

 

 瞬間移動(テレポート)

 

「あに――」

 

 眼前(・・)に、少女。

 

 雫の思考が、止まった。

 

「へえ、確かに――」

 

 止まった思考、しかし肉体は自動的であった。

 

 「喉斬り包丁(カットスロート)」。一閃。

 

 首を、落とす。

 

「ちぃッ、」

 

 外した。既に、間合いからは離脱している。いつの間に。ISよりも速いかもしれない。外れた分裂弾が、あらぬ方向を爆撃した。地響き。

 

「凄い殺意ね。そう、お前が……」

 

 殺す(・・)殺してやる(・・・・・)。こいつは殺さないといけない(・・・・・・・・・)絶対にこの手で殺してやる(・・・・・・・・・・・・)

 

 「四つの、あるいは力ある花弁(フォース・ペタル)」ならば封じ込めて殺れるか。展開を検討。だが。

 

 雫は、今すぐ臓腑の底から突き上げてくる憎しみに身をやつしたいという欲求を懸命に押し込めて、倒れ伏している兄の下へと降り立った。少女は、皮肉そうな顔をしながらも、距離を詰めてくる様子は見せない。

 

「兄様!」

 

 うずくまり、呻いている。切断された腕が、近くに転がっていた。足も、おかしな(・・・・)方向にねじれている。なんということだ。

 

「ああ――ああ兄様、兄様っ、どうか、どうかしっかり、しっかりしてください、兄様……っ!」

 

 近接武装のみを部分展開で残し、ISを解いた雫は、憎悪と悲しみと憤怒で気が狂いそうになりながらも、誰よりも苦しんでいる青年へと必死で呼びかけた。

 

 触れる。動かそうとすると、辛そうな声をあげる。泣きたくなった。なんでこの人がこんな目にあってるの。私はなにをしていたのだ。ハイパーセンサーは片時も少女から認識を外しておらず、また一方で兄の身体がどう(・・)なっているのかを、機械的な冷徹さで余すことなく知らせてくる。胸を、引き裂かれるような苦しみが襲った。

 

 ――部隊は何をやっている、棒立ちか、使えないクズどもが!

 

 どうすればいい。どうしたら。殺す。あいつを殺す。そうだ。あいつは、殺す。でも、兄様が。そうだ。兄様をどうにかしないと。手当。どうする。どこでならできる。避難。そうだ。此処から、兄様を安全な場所へ。

 

 ――出来るか、私一人で?

 

 出来る、と即断した。クズどもなんざ当てならない!

 

「……よく似てる」

 

 何事かを呟いた、少女を雫は睨みつけた。離脱するタイミングを推し量るために。

 

「ええ、本当によく似ている(・・・・)。どこで見つけたのかは知らないけど。でも――偽物だ、容姿だけのまがい物だわ、お前」

 

「……殺してやる」

 

「こっちの台詞よ、贋作女。ここで殺してやりたい。だけど……まだ。お前がそいつにとって有効な駒であることは確かのようだから。――ねえ、フェブラリー?」

 

 ふるえている青年へ、少女はやさしく(・・・・)声をかけた。

 

「人形あそびで自慰に(ふけ)るなんて実にあなたらしいと思うわ。そんなあなたに朗報よ。次の春は訪れない、でも、あなたを殺すのは最後にしてあげる。あなたには最後まで見届ける義務がある。だから、勝手に殺されたりしないでよね?」

 

 ああ、でも――そういえば、やっぱり、だいじょうぶかな。身を翻し、凄惨な笑みを浮かべた。

 

 

「だってあなた、ステイシスを見殺しにして世界を救った英雄様(・・・・・・・・・)だものね?」

 

 

 バイバイ、クソ野郎。

 

 

 

 

 

 そして、少女は消えた。

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 雫は。武装を解除したのち、再度ISを鎧おうしたところで、同時に近づいてきたISに視線を飛ばした。煮え滾るような怒りを、この後に及んで隠そうなどとは思わない。

 

 降り立ったのは更識楯無と、「ブルー・ティアーズ」を鎧ったセシリア、そして彼女に抱えられていた簪であった。学園の迎撃部隊も並ぶ。

 

「……早く、搬送を――」

「どういうこと」

 

 更識楯無が、横たわっている白雪軍人を射抜いた。セシリアと簪は、怯えたような目をしている。

 

「どういうことなの。説明して、ムー兄さん」

 

「いま、ここで訊くことですか」

 

 緊迫した空気。

 

 肌が、ひりつく。

 

「答えて。……答えなさい。アレ(・・)は、なんなの」

 

「更識楯無」

 

「答えなさい!」

 

 量子の光が、水色に収束した。

 

「―――ッ!」

 

 「霧纏の淑女(ミステリアス・レイディ)」が、「蛇腹剣(ラスティー・ネイル)」を突きつける。喋ることも叶わない青年へ。

 

 それを、電光剣(プラズマブレード)が阻んでいた。

 

「どきなさい、雫!」

 

おろか(・・・)イカレ(・・・)クズ(・・)。どこまでだ。殺してやろうか馬鹿女!」

 

 セシリアは動けず、迎撃部隊の数人は慌てて武装を展開しようとして――

 

「お姉ちゃん、やめて!」

 

 簪の悲鳴が、皆の動きを止めていた。

 

 泣いていた。

 

 妹の姿に、更識楯無は。

 

「………、」

 

 俯き、きつく唇を噛むと、それからISを解いた。部隊へ、ぽつぽつとした声で「彼を治療室へ運んで」と指示を出す。

 

 部隊が動き始めると、雫は更識楯無のほうを見ずに、直ぐさま青年の前で膝をついた。

 

「私が運びます。あなたたちは信用できない」

 

「な――」

 

「さっきもただ眺めているだけだった。兄様が嬲られるのを止めようともしなかった」

 

「そっ、それは――」

 

 非難をありありと乗せた言葉に、咄嗟に「近寄ろうにも、仲間が殺されたことで連携が乱れたんだ」と言おうとした隊員は、しかし殺意に満ちた雫の双眸に声を失った。

 

 だが、こんなにも近くで行われたやり取りでさえ、今の青年には、理解できなかった。

 

 彼は、ふるえていた。雨に濡れて。

 涙を流していた。

 

 セシリアは憧憬を抱いていた彼の姿に呆然と立ち尽くし、更識楯無は苦渋の滲んだ顔をして青年を見つめ、簪は声を上げて泣いていた。

 

 そして箒は崩れ落ちた校内から、嬲り殺されようとしていた青年を眺め、一歩も動くことができずに、ただただ、しゃがみこんでいた。

 

「安心してください、兄様」

 

 雫は、もうぼんやりとしか目を開けられない青年を抱き寄せ、守るように優しく呟いた。

 

「たとえ世界が敵に回ったとしても」

 

 ――やめてくれ

 

「私だけは」

 

 ――その声で、その顔で

 

「ぜったいに」

 

 ――あの人と、同じ、笑みで

 

「あなたの味方ですから」

 

 

 ――おれに、そんなこと、言わないでくれ

 

 

 発作的情景(フラッシュバック)

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

「私は、どうしたらあなたのお役に立てるのでしょうか」

 

「俺が、そうしろと言えば、お前はなんでもするつもりか」

 

「あなたに救われた命です。あなたのために使いたいのです。他には、私には、なにも残っていないから……」

 

「………、」

 

「お願いです」

 

 ―――。

 

「跳ぶか、跳ばないか。違うな。跳べるか跳べないか……それが問題だ。お前はきっと跳べる人間だ、俺は、」

 

「………、」

 

「俺は……今は、どうなんだろうな。かつてとは、違う、あまりにも。……何もかもが。今は、もう――」

 

「マスター。でしたら」

 

 その日、一つの誓いが生まれた。

 

 

「私がマスターと一緒に飛びます。私が、マスターの翼になります!」

 

 

「――――」

「………、」

「………、は」

 

「マスター?」

 

「はは、はははっ。――そう、かよ」

 

「はい」

「そうか」

「………、」

「……そうか。なら」

 

 好きにしろよ(So be it).

 

「……イェス!」

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

  愛しているわ。

 

 

 少女が言った。

 

 

  愛しています、兄様。

 

 

 微笑んでいる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





 ◇ ◆ ◇

 かくして。

 勇者は間に合わず、英雄は敵わなかった。
 その結果の、敗北だった。
 人類の滅亡だった。

 だが。

 それを、認めぬものたちがいる。
 人によって生み出され、人によって滅ぼされたものたち。
 心もつ兵器と呼ばれた彼ら、彼女らは。

 それでも。
 再び。

 証明を繰り返す。

 ――異なる結末を目指して















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