セブンスターを喫う先生、あるいは黄金瞳の 作:ishigami
I don't know what to take
Thought I was focused but I'm scared
I'm not prepared
I hyperventilate
Looking for help somehow somewhere
And no one cares
I'm my own worst enemy
―――Linkin Park/Given Up
◇
更識楯無は思う。
――「この世には『狂気』がある」。
彼女が先代の「楯無」からよく言って聞かされたことは、自分らがくすんだ川のなかで共生していることを自覚しなければならぬという言葉だった。それは更識家を率いる身として常に向き合い続けなければならない現代の社会的病理であり、先代の言には、敵を知ることで「己」の見識を戒めるという意味も込められていたのだろう。
だからこそ現代の狂気を象徴する一つが、「IS」という、世界の規律を破壊した兵器である事実はまず疑いようもなかった。篠ノ之束という「天災」がもたらした「規格外」は従来の人間社会を劇的に一変させ、仮に開発者がオッペンハイマーのように戦後世界の修繕へ力を注いだのであれば状況は異なったのかもしれないが――そんなことはさっぱりなかった。天才は天災で奔放で、大多数側の事情などお構いなしだった。
十代の少女たちがスポーツ感覚で大勢を殺戮し得る兵器を駆使して「試合」するという状況は大いに狂っているのだろう、それを観戦し応援し企業までもが参入し大人たちが推奨するさまはドコの「華麗なる殺人」だと皮肉ってやりたいが――あれはフィクションのブラック・ユーモアだからよかったのだ――今や「狂気」は常識に取って変わっており、こうしてまた一人、狂気の意思たちが作り上げた学び舎で、「試合」というルールから逸脱した襲撃者と、何を間違ってか世界で唯一ISを動かせてしまった少年が
「ままごとやってんじゃないわよ。あなたには任せられない」
声だけで灯火をかき消さんばかりの、強い口調で。モニターに映る織斑一夏が、怯んだ。そこに、隙を見る。畳み掛ける。
「気づいてないでしょ? 鈴音ちゃんが今どういう状況なのか。あなたたちのIS情報はこっちでもモニタリングできるのよ。あなたの幼馴染は、機体もそうだけど、本人も甚大なダメージを受けている」
「嘘よ!」凰鈴音が叫んだ。「ふざけないで、どこのどいつだか知らないけどね! 勝手なこと言ってんじゃないわよ!」
あと鈴音ちゃんって呼ぶな馴れ馴れしい! 声を張り上げる少女をさらっと無視し、更識楯無は続ける。マイクを握る手に自然と力が入った。
「あなたの身勝手に付き合わせるのは止めておきなさい。あなたは英雄的行動をしてみたいのかもしれないけれど、私たちにはそれをさせてあげるだけの余裕なんてないのよ」
「聞く必要ないわ! やるって決めたんでしょう一夏、あたしたちで!」
「鈴……」
「戦ってるのはあたしたちなのよ! 部外者は引っ込んでなさいよ!」
まずい。織斑一夏だけならまだしも、凰鈴音まで想像以上にやる気になっている。一度認めているぶん余計に自分からは引っ繰り返せず、懸想している相手だから、なおさら意固地になっているのか。
――部外者ですって? 何のために私がこんなに胃を痛めてるのかさえ知らないくせに。もしそうならどれだけ良かったことか、でも残念なお知らせよ、ええ、私は、思いっ切り関係者よ!
舌打ちを抑えた。ダメよ、冷静になりなさい。言い合いは避けないと。かぶりを振った。次なる
思考と同時に次なる一手を繰り出す更識楯無。
その、背後で。
「織斑先生。
白雪雫が中央制御室から去って間もなく、この場にいたもう一人の一般生徒であるセシリア・オルコットが声を上げた。別モニターに映る、織斑千冬と向かい合って言う。
「私の『ブルー・ティアーズ』は一対多数に向いたISですので、雫さんたちの戦闘に参加するとなると、悔しいですがかえって邪魔になりかねませんけれど………シールド突入時の
学園に点在する三つの脅威。セシリアは自分に今何ができ、そしてできないのかを考えていた。
頭にあったのは「
恐怖は無論、ある。
無いはずがない。それでも。
立ち向かう、白雪雫の姿を見て。
覚悟を――決めたから。
「それは……正直言うと、助かります。何にしても人手は必要です。でも、いいんですね、危険ですよオルコットさん?」
織斑千冬と、山田真耶の、必要とは言え生徒を危険に晒すという行為に忸怩たるものが滲んだ表情へ、
「もちろん承知の上ですわ。でも、その代わりというわけではないのですけど、一つ。お願いを聞いて下さらない、白雪先生?」
打つ手を止めて、
「
彼は。この一風変わった「お願い」に虚を突かれたような顔をしてから、口元を緩めると。
くつくつと、風船から空気が抜けるように強張りを解いてから、やがて小さく首を振った。
――呆れられてしまったかしら?
微かに不安がもたげるが、白雪軍人はセシリアと向き合うと、鷹揚に頷き、そしてやさしく、やわらかい笑みをして、
「ああ。……君がそう望むのなら。セシリア――
――その響き。
ぶるり、と。背筋が震えた。
――彼に呼ばれて、言われたという事実だけで、ああ、こんなにも特別な響きを以て、甘美に、私の耳朶を震わせる。
気が付けば、綻んでいた。笑顔が、勝手に
――胸の奥から、込み上げてくる温かいものがあって。力をくれる。
――これは、ぜったい、応えなくっちゃ、ダメですわね。
「……はい!」
晴れやかな、生き生きとした気分に満たされた少女は、赤らんだ、満面の笑みで「お願い」に応えるのだった。
「万事は請負いましたわ。このセシリア・オルコットにお任せあれ!」
状況は、光明の兆しが見え始めている。
だが。
マイクの切断音が響く。
「――ったく、取り付く島もありゃしないわ。ほんっとに、織斑先生はいったいどんな教育をしてきたのかしら、ぷんぷん!」
少女が去って間もなくすると、更識楯無は当てつけのように愚痴をこぼした。
「すまない……」
「いいですよ、言ってみただけだから。べつに、冗談ですよ。笑えない冗談ですけど。笑えもしない冗談って虚しいわよね」
「本当に……」
「会長! 第一迎撃部隊から通信! 北第一校舎にて敵個体Bを発見、戦闘に入りました!」
「こっちはやっとね。了解よ、必ず仕留めるように言って。第二部隊の状況は?」
「依然交戦中、なお作戦領域は東第四校舎方面へと移動しています!」
「拙いわね――避難施設が近くにある。押し留めるように指示して」
「了解しました!」
「楯無、できたぞ」
「え!? ホントに!?」
「ああ。
「っ――少しでも余裕のある子は
「どこだ、箒――」
矢継ぎ早に変化するモニター。
第二アリーナ近くから洗って、次々と無人の廊下を映し出す――
「いました!」
生徒が叫んだ。
「南第一校舎二階、実験棟の――ああ!? あ、ISです! ISがいます! 篠ノ之箒ともう一人、それに、ISです!!」
「そんな、嘘よ――だって、襲撃者は三体のはずじゃ。……
「楯無、ここは任せる。情報は無線のほうで知らせてくれ」
「ちょっとムー兄さん!? どこ行くの!?」
「決まってるだろ、箒のところだ」
それ以外に何がある、というような顔をして、言う。
「そんな勝手に、私の指示を……ってああもお勝手に行くなバカ―――!」
「通信入りました、あの……突撃作戦の準備が完了したそうです」
「あのバカッ、あのアンポンタン、スカポンタン絶対に許さないんだから! なんで私の周りには人の話を聞かないやつばっかり……覚えてなさいよ……なに、完了した? 分かったわ、ならそのまま指示を出すまで待機よ、いつでも出られるようにね」
「は、はい……了解です」
「まったく、もうっ――展開中のIS部隊に連絡して、篠ノ之箒ともう一人の身柄をすぐに確保するよう通達!」
「か、会長!」
「今度は何よ!?」
「カメラが新たなハッキングを受けてます!! 物凄い速度です、このままだとまた――」
「――――」
絶句し、威嚇するように歯を剥き出しにした状態――恐ろしい笑顔――で硬直した生徒会長は、胃が
そんな、てんやわんやな自分たちの様子を、
「――ふふ」
笑い声、だった。
IS学園から遠く離れた――あらゆる監視と諜報から偽造された、誰にも探し当てられない秘密の場所にて。
二七〇度を三〇以上の
「まあ、及第点ってとこかな。この程度も出来ないんじゃ箒ちゃんの隣にいる資格なんてないもんね。さあて、いよいよお姫様の救出かな? ここまでお膳立てしたんだから上手くやらなかったらきーくん許さないんだからね? しくじったらぶっコロ、だぞー?」
笑みを、まるで悪戯の結果を期待するような
「じゃあそろそろ、こっちもお終いにしようか」
そう、呟いた。
◇
第二アリーナ――
「白」と「赤紫」が入り乱れ、空間をかき回す破壊音はさしずめ輪舞曲か。
突撃の前フリを繰り返すこと数回。求めたのは最良のタイミングと位置、距離。必勝へ通じる隘路は一瞬だろう、その
チャンスは一度きりだ。
――「あなたにヒーローは任せられない」
更識楯無。生徒会長。学園最強の称号を持つ二年生。先輩。
辛辣な言葉だった。なぜ一度しか会ったことのない相手に言われなくてはならないのか。反発心が沸き起こると同時に、自分のなかの後ろめたい部分を指摘されたような気がして、咄嗟に言い返すことが出来なかった。
答えに窮した少年の代わりに、相棒である少女が答えた。邪魔をするな、これはあたしたちの戦いだ。怪我をしていると更識楯無は言っていた。もしかすると予想以上に危険なのかもしれない。ふと、寒気のする予感がしたところに、
――「あたしを信じなさい、一夏。あたしがあんたを信じるように!」
まるで臆さない、透徹な瞳をして彼女は言った。だから少年は、僅かでも疑った自分を恥じ、強く思い直した。
――「ああ。……信じるからな、鈴!」
戦っているのは自分たちであり、彼女は自分の背中を預ける
――勝つんだ。
勝って、そして証明するのだ。決して守られるだけの自分ではないと。
少年は、自身の感覚が過去最高にISと一体化していることに気づいていた。
やがて――
幾度目になるであろう円盤の残骸が、火を噴きながら落下した。一つ/切断、二つ/両断、三つ/割断――四つ。瞬く間に木ッ端となる。空を彩る花火と違って危険極まりない爆雷の合間をプレッシャーと共に掻い潜り、ついに「白」が動いた。
「
掛け声と共に、素早く、
「
「
「赤紫」、力強い声で。高速機動下での衝撃砲。体勢反転。
円盤を撃墜。撃墜。炸裂。回避。回避。爆風。衝撃。炸裂。爆風。撃墜。撃墜。撃墜。撃墜。撃墜。撃墜。撃墜。撃墜。撃墜。熾烈に。苛烈に。
「
爆炎を掻い潜る。「白」も止まらない、文字通りの全力疾走。常に「白銀」の背後を取るべく立ち回る。攪乱せよ。
「
「
吼える。叫ぶ。自らを奮い立たせるために。雄々しく。猛々しく。
強く!!
「
そして。
「
まさに一瞬。隘路への挑戦。
被弾も厭わぬ強行突破、全身全霊、電光石火、加速を乗算した渾身の一撃が「白銀」のシールドを鋭く斬り裂き、
「俺たちの、
「甲龍」は動かなかった。
「―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――■■■」
「甲龍」は動かず、強行突破の直前に突然大出力のビームによってシールドを貫かれ甚大な被害を受けたことで視界も意識も真っ白に染まり、
「白式」もまた突撃間際に立ち塞がった円盤を両断しようとした瞬間に独りでに分割した円盤から放たれたビームで穿たれて動きを止めてしまい、
「―――――」
「白」は。
「白」が逃げようとするよりも速く、刀剣を握った利き手を掴まれて。
「白」を握る「白銀」の掌が「閃光」を放つよりも先に、「雪片弐型」を振るうことが出来なかった。
逃れられなかった。
息も、つかぬうちに。
それは一瞬で、肉を伝い――
骨を貫き――
潰し、
砕き、
融かし――
「―――」
青白い火花。
「―――――ァ」
声。引き攣った喉。誰の。わからない。判らない。思考は停止している。わかるのは一つだけ。熱。
灼熱。
火のように熱い。燃えるような赤。
赤。
血のように赤い赤。
血。露出した肉。赤。飛沫。
「ァァ―――――――――ァ、」
次の瞬間。
「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■」
絶叫が迸った。
――
ヒーローは、まだ。
現れない。
◇
「―――は、はい!?」
通信。
「箒か!?」
「ひゃッ、ちがいみゃしゅ!」
「……誰だ、お前」
「ああのッ、わたし、ティナ・ハミルトンです……あの、その、私たち、その!」
「落ち着いて話せ」
「あの……お願いします!」
泣き縋るような声をして、少女は言った。
――箒さんを助けてください!!
◇
「ああ」
助けるよ。
必ず――