セブンスターを喫う先生、あるいは黄金瞳の   作:ishigami

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■■27 痛みと共に思い知れ

 

 

 

 ◇

 

 

 

「入るぞ」

 

 箒は。一旦Aピットの休憩室から出ると、深く息を吸って――ある種の覚悟をして――今度(・・)は事前にそう声をかけてから、スライドドアを開いた。

 

 中では。

 

 非常に居心地を悪そうにしている男女が、先ほど(・・・)見たときよりも距離を開けて佇んでいる。

 

 ――気まずい。

 ――すっごく気まずい。

 

「あー、ごほん」棒読みで。「その、いいだろうか。話しても」

 

「おっ、おう。なんだ?」

 

 織斑一夏は誤魔化しきれていない平然ぶった声で応え、凰鈴音は顔を背けたまま、しばらくしてから頷いた。両者の顔は赤い。

 

「その、だな。一夏。お前、どうせこのあといつもみたいにシャワーを浴びるつもりなのだろうが……私だって今日は早く汗を流したいんだ。だから、先に入るのを譲るぶん、さっさと済ませてくれるとありがたいのだが」

 

「おおっ、そっか。わるい、そうだな。じゃ、じゃあ俺はもう行くよ、うん。その……じゃあ、鈴。話はまた、あとで」

 

 ぎこちない様子で。振り返ることなく、織斑一夏は出て行った。遠ざかる足音。

 

 残されたのは、意気消沈状態の凰鈴音と、その元凶である箒のみ。

 

「………、」

 

 ――どうしよう。どうする?

 

 箒は思考する。このまま立ち去るのは、確実にこの少女との関係に軋轢を生むことになるであろうから却下。――では?

 

「鈴、その……」

「――いいわよ、別に」

 

 遮って。腰に手をやり、凰鈴音はしかめながら箒を見た。

 

「悪気があってやったんじゃないでしょうし。間が悪かっただけだから。ええ、そう思うことにするわ」

 

 深々とした溜め息。罪悪感を掻き立てられる。

 

「すまない……」

 

「いいってば。それよりも、訊きたいことがあるんだけど?」

 

「なんだ」

 

今の(・・)、どういうこと?」

 

「は?」

 

 表情は莞爾(にっこり)としていながら。

 

 全く笑っていない目で、こちらを見つめている。

 

 

 

 ◇

 

 

 

「――つまり同じ部屋で暮らしてあまつさえシャワーも一緒に使っている?」

 

「誤解するような言い方をするな。ここからだと一番近いシャワールームは部活棟のしかないし、しかもあそこは女子専用だ。あいつが使えるのは寮の部屋のだけ。それだけだ。――あと顔が近い、鈴! もう少し離れろ」

 

「……やっぱりあんたって、一夏のこと」

 

「ド阿呆馬鹿たれ」

 

 自身のよく知る人物の口癖を真似ながら、依然と近かった少女の額に、ぽかり、とチョップを入れた。

 

「……それはないよ。昨日会ったときに言っただろう、そんなんじゃないと」

 

「でも……」

 

 不安そうに揺れる瞳。ちょっと前まで、こちらを詰問攻めしていた相手だとは到底思えないほどに。そうさせている理由は、明白であった。

 

 ――恋、しているんだなあ。

 

 漠然と、少女を見ながらそんなことを思った。そして何故だか急に、物悲しい気分に襲われた。痛み。胸の奥が、痛む。疼く。これがなんであるか、箒は知っていた。だからその先(・・・)をそれ以上考えないように、苦笑で取り繕って、

 

「それともなにか? あいつに近づく女なら、誰彼構わず疑う対象になるのか?」

 

 凰鈴音(こいするオトメ)は言い返さない。自覚は、あるのだろう。落ち込んでいる。

 

「……あいつは特殊な事情で此処にいるんだ。なんせ男で初めてのISパイロット。誰も想定していなかった。部屋が一緒なのは、見ず知らずの女だらけの環境の中で私とあいつには幼馴染という接点があったから、せめてあいつの精神衛生に配慮するかたちで今のようになったというだけのことだ」

 

 それにハニートラップを警戒する意味もある……、と言いかけて、口をつぐんだ。

 

 実際のところ、箒にも現状に対して言いたいことが山のようにあった――部屋が一緒だと知らされた際には「学び舎で男女を同じ部屋にするなんて頭おかしいだろ、ならせめて一人部屋にしろ!」と真っ先に織斑千冬に抗議してブリュンヒルデを驚かせたくらいだ――が、聞けば織斑一夏の精神衛生と護衛の観点に基づいた事情を明かされ、そのうえで協力を求められてしまい、断ることもできず、結局は黙っているよう言い含められてしまったのである。

 

「それに……、なによ?」

 

「いや、まあ、ともかく」思い出し、疲れたように首を振り、「……確かに、一緒の部屋だと大変なことは結構あるし、そもそもあいつは男子だ。気にするなというほうが無理な話だ。だが、事情が事情なだけに、決められたことだからな」

 

「……そっか」

 

 凰鈴音は。ふうん(・・・)、と思案げに呟いてから。「分かった」

 

「ん? 何が……、おい?」

 

 ぶつぶつと。

 思考に没頭するように、箒の声を素通りにして。

 

 少女は出て行った。

 

「………、」

 

 一人になった箒は。見送った少女の後ろ姿に、どうしてか無性に不安がこみ上げてくるのを感じた。

 

「分かった、って……」

 

 ――いったいなに(・・)が「分かった」というのだ?

 

 

 

 ◇

 

 

 

 その疑問はすぐに氷解した。

 

「おい」

 

 寮の熱いシャワーで汗を流し、さっぱりとした気分になった箒は、今日も雫の料理研究会に向かうために、ISの教本と向き合っている織斑一夏に一声かけてから、部屋の扉を開けた――

 

 そして待ち構えるように仁王立ちしていたツインテールの少女に、自分のテンションが下がるのを感じながら、声を低くして訊ねた。「なにしてる、お前」

 

「なにって、見ればわかるでしょ」

 

「分からんから訊いている」

 

 髪を「ぴょこぴょこ」動かして。凰鈴音は背負っていたバックパックを親指で示してから、にやりと笑い、

 

「あたしと部屋交換しよ、箒さん?」

 

 不安的中。

 

「…………はあ」

 

 額に手をやり、仰ぎ見る。「馬鹿ものが……」

 

「何よその言い方。だって色々と気苦労が絶えないんでしょ? あたしは一夏と気心の知れた間柄で、精神衛生配慮ってことなら条件は満たしてる。幼馴染だもん。箒さんは現状に不満があるみたいだし、だったらあたしと代わるのに問題はないはずでしょ。あたしの心配ならいらないわよ、あたしなら大丈夫! 相手が男子でもぜんぜん気にしないし、むしろ一夏なら、望むところよ!」

 

「あのな――」

 

「どうした箒………って鈴?」

 

「あっ、一夏! あたしね、こっちの部屋に引っ越すことにしたから」

 

「は?」

 

 ぱっと花が咲くような笑みで言われ、やはり先ほどのやり取りが後を引いているのだろう、一瞬どぎまぎした織斑一夏は赤らみながら、隣で呆れている箒に「どうなってんだ?」と尋ねるが、彼女もまた「どうしてこうなった」とこの状況に混乱していた。

 

「言いたいことがありすぎて、何から言えばいいのか……」

 

「なによ、何か問題ある?」

 

ありあり(・・・・)だ馬鹿もの。むしろなんで無いと思った」

 

 何を根拠にそんなに自信に溢れているのだ。

 

「どんな思考回路でこの答えにたどり着いたのかまったくさっぱり分からないが……そもそも大前提として、寮部屋を決定するのはお前や私、もちろん一夏でもない。決めるのは寮長(・・)だ。だから――そうだな、もし本当に部屋を変えるつもりなら、まず寮長を相手にしろ。私たちに言われたってどうしようもない」

 

 腕を組みながらそう告げた箒に、腕を組むことでより強調された彼女のふくよかな胸部を目の当たりにして、一気に剣呑な目つきになった凰鈴音が「寮長って誰よ」と、口を尖らせて言う。

 

「えっと確か、寮長ってちふ……織斑先生だよな?」

 

「そうだ」

 

 その名前が口にされた瞬間、勝気な顔が、露骨に青ざめたのが分かった。

 

「お、織斑先生って……」恐る〃々といった調子で、「千冬さんのこと、よね」

 

「うむ」

 

 頷く。

 刹那、硬直するツインテール。

 

 言葉をなくし、呆然とうつむき、拳を握って肩を震わせる少女。まるで巌巌(がんがん)たる雪山を登っていたのに頂上間近で先行する登山仲間の悪意によって繋いでいたロープを切断されてしまったかのような絶望の表情。何がなんだかわかっていないが本質的な元凶である織斑一夏でさえ同情する視線を向けており、

 

「そんなのって……」

 

 少女はいっそう身を震わせると、次の瞬間には、つんざくような絶叫を迸らせた。

 

「そんなのって――ないわよ! ざッけんな! はあ!? 無理じゃない、それ! 無理!」

 

「まあ、千冬姉だからな……」

 

「どうしろっていうのよ!?」

 

「私に訊くな」

 

 現実は非常である。

 

 少女の、仁王立ちしていたときの余裕は既にぼろぼろに崩れ去っていた。代わりに絶対の自信を持って挑んだ自慢の計画があと一歩のところでご破産した人間特有の虚ろな瞳に陥りかけている。とぼとぼと、覚束無い足取りで来た道を帰るべく、歩き始める。

 

 悲壮感あふれるその後ろ姿は、現実を告げたこちら側が不正を行ったような気持ちを誘引させ、箒としてもピット休憩室での一件がある、流石にこのまま「悪いな」と一蹴するのは心苦しくなり、思わずというように落ち込んだ背中を呼び止めていた。

 

「ま、まあそこまで代わりたいというのなら、私は、別に協力しても構わないんだが――」

 

「ホント!?」

 

 振り向いた少女は、一転して破顔する。そして水を差すように、織斑一夏が今さらの疑問を呈した。

 

「二人共さっきから言ってるのって、つまり鈴が箒と部屋を交換したいってことなんだよな?」

 

「だからそう言ってるじゃない!」

 

「俺の意見っていうのはどうなってるんでしょうかね……」

 

「はあ? なに一夏、あたしとじゃ嫌だって言うの?」

 

「いやとかそういうんじゃなくて……」言い淀みながら、「箒は、それでいいのかよ?」

 

「そうだな。個人的には、変わってくれたほうが楽ではある」

 

 少年は。予期していなかった暴露に軽く怯み、目を白黒させたあと。表情を暗くさせて、

 

「……なんか俺、気に障るようなことしたか?」

 

「お前のせいじゃない。いや、そもそもがお前のせいではあるのだが」

 

「なんだよそれ」

 

「元凶だろう。それくらい考えろ、鈍感」

 

「はあ――?」

 

「うぬぬ……ちょっと、だから結局どうなのよっ?」

 

 噛み付きそうになった凰鈴音の前で「パン!」と手を叩くと、箒はいつまでも廊下で話し込んでいるべきではないと判断し、黙った二人を見比べてから、

 

「とりあえずだ。私個人としては、交換の提案もやぶさかではない、あくまで個人としてはだ。一夏は?」

 

「俺は……なんか、急過ぎて納得いかないんだが」後ろ髪を掻きながら、「でも鈴だし、代わるっていうなら、俺のほうには問題ないかな」

 

「そうか。ともかく、この提案最大の難関は織斑先生の説得だな。交渉役は、当然だが発起人である鈴が妥当といったところだろう。交渉の場には私も参加したほうがいいか?」

 

「……そうね。お願いするわ」

 

「俺も行くよ」

 

「ありがと。……ふふっ、やった。やったわ! これで、ようやく……っ!」

 

「ところで、お前のルームメイトは了解しているのか?」

 

 凰鈴音は。喜色の滲んだ表情を、ぴたり、と止めて。

 

「………あー、」視線を右往左往させ、「そ、それはもちろん。もちろんそうよ! 手抜かりはないわ」

 

「つまらん嘘をつくな」

 

 冷や汗まで浮かべて、誰がどう見ても挙動不審であり明白であった。

 

「まずはルームメイトと話してからだな」

 

 またしても気落ちした様子。心なしかツインテールまでもがより垂れ下がっている。本当にテンションの上げ下げが激しい少女。そんな彼女を、少し来い、と少年から距離を取って呼び寄せた箒は、声を潜めて、実は気がかりであったことを訊ねた。

 

「少し焦り過ぎだと思うぞ」

 

「なによ……」

 

「どうしてそこまで急ぐんだ。何か理由があるのか?」

 

 口を閉ざした少女は。一度箒を見やってから、突然内緒話を始めたこちらを不思議そうに眺めている織斑少年の前に立ち、

 

 

「一夏。前にした約束(・・)、覚えてる?」

 

 

 毅然とした瞳で見つめて。深刻な声をして、訊いた。

 

「約束?」

 

「うん。空港まで見送りに来てくれた、あの時にした、約束」

 

「約束……」

 

「お、覚えてないの?」

 

 頼りなげな声。瞳が揺れる。しかし「いや、覚えてるぞ」と織斑一夏が言ったことで、満面の笑みへと変わり――

 

「あれだろ? 鈴の料理の腕が上がったら毎日酢豚を……」

 

「そうそれっ!」

 

「ああ、だよな。確か、おごってくれる(・・・・・・・)んだよな?」

 

 

「――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――()?」

 

 

 場が凍りつく。

 

 地雷(・・)を踏んだことに、少年一人だけが気づいてない。普通に話し続ける。

 

「だから、鈴が料理できるようになったら、俺に飯を奢ってくれるって約束だろ?」

 

 ここのところ「関羽」に頭をぶっ叩かれるのが続いたから心配してたけど、俺の脳細胞はしっかりと仕事してくれているんだなあ。褒めてやりたいぜまったく。

 

「……………、」

 

「ん? ――どうした鈴そんなに俯いて」

 

 張り詰めた空気を察しないまま。少年は黙りこくった少女に喋りかける。ひしひしと醸し出されていた雰囲気を見逃したまま。

 

「―――――ッ!」

 

 凰鈴音は。震える唇をきつく結び、愛憎反転させたような煮え滾る眼差しで織斑一夏を射抜くと、一歩二歩後ろに下がり、髪を逆立てた状態で、助走し、一気に肉薄し、体重を乗せて――

 

 少年をぶん殴った。

 

 平手打ち、などという甘い次元ではない。正真正銘、拳を作っての「ぶん殴り」である。綺麗に頬に入った右ストレートは体格差の不利など関係なしと言わんばかりに織斑少年を文字通り「吹っ飛ばし」、冷たい床に顔面から叩きつけた。

 

「っ――てェッ、なっ、なんだよ!?」

 

「サイッ……テイ!」

 

「はあ――?」

 

「女の子の約束を……それも本当に大切な約束をちゃんと覚えらんないなんて、ほんッと、最低なヤツね! 男の風上にもおけないヤツ!!」

 

「なっ、なっ、なっ……!?」

 

 近所迷惑度外視で叫び散らすと、涙混じりの双眸で少年を睨み、そのまま嵐のように凰鈴音は走り去った。ゆっくりと身体を起こした織斑一夏は、「なに怒ってんだよ……」と赤くなり始めている頬に手を当てて、少女の消えた方向を呆然と眺めている。

 

「おい一夏」

 

 この後に及んでまだ理解しない姿は箒からすると間抜け以外の何者にも見えなかったし、真実痴話喧嘩と言われるのも無理はなかった。擁護しようがない――だがそれは凰鈴音が織斑一夏に好意を寄せているという情報を事前に知っているからこその話であった。

 

 ――毎日酢豚か。たぶん、「味噌汁」の……アレンジのつもりなのだろうが。

 

 結論だけ言えば、凰鈴音は失敗したのだろう。彼女が相手にしている人間は常人とは比較にならないほどの筋金入りの「鈍感」であるということを失念していた。その最も重大で重要な点を想定していなかったのは、彼女の落ち度だ。

 

 織斑一夏は凰鈴音との「約束」を理解するには鈍すぎたし、凰鈴音は織斑一夏が理解できるようにきちんとしたカタチで「約束」をしなかった。その結果が「これ」である。

 

 どちらも気の毒と言えなくはなかったが。

 

 馬鹿ものが。声には出さず、独りごちた。

 

「箒……いったい、どうなってんだよ?」

 

 騒ぎを聞きつけ、部屋から顔を出して窺う生徒がちらほらと出始めていた。このまま居て、痴話喧嘩の一役に数えられるようなことがあったのでは堪らない。

 

 とりあえずは――

 

「簡単な話だ。一夏、お前は最低ということだな」

 

「なんでだよ!?」

 

「自分でよく考えるんだな」考えてどうにかなるとも思えないし、分からない人間に悔悟などしようもないが。「じゃあ私は、雫のところへ行くから」

 

「ちょっ、おい――!?」

 

 少年の悲鳴を無視して。

 

 ため息。

 

 

 ――もうなんか色々と疲れた。

 ――ああ、甘いものが食べたい。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 翌日、クラス対抗戦の組み合わせが張り出された。

 

 一年一組クラス代表「織斑一夏」の一回戦の対戦相手は――

 

 

 凰鈴音その人であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





 理由なき暴力はいけません(反語)。















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