セブンスターを喫う先生、あるいは黄金瞳の   作:ishigami

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■■26 ハートに火をつけて

 

 

 

 昼。

 

 晴天に届かんばかりに――

 

 

「他の人に屋上にいるって聞いて、慌ててラーメン食べ終えてこっちに来たんだからね!」

 

 

 柔媚とは真逆の表情で言い放った、凰鈴音であったが。

 

「………、」

 

 口にモノを入れていた織斑一夏は、まずはきちんと飲み干そうと「もごもご」させていたため、当然のことながら会話は途切れてしまい。

 

「………………、」

 

 少女は。外連味を意図したようなポーズのまま佇立し、さながら張り切ってやってみたのに、そのぶん噛み合わなかったときの一層の悲壮感のようなものが、なんとなく微妙になりつつある空気に滲み出してきていて、そろそろ誰かがフォローに回るべきなんじゃないか、お前やれよ、と雫が箒と互いを目で牽制し合っていたとき、やっと少年が頷いた。「おう鈴、朝ぶりだな」

 

 悠揚に、何事もなかったかのように応える。

 

「……もう、いいわよ」

 

 毒気を抜かれた凰鈴音はため息を一つ。そしてラウンドフレームの色付き眼鏡を掛けた、学園唯一の男性教師である白雪軍人(しらゆきむらと)のほうを見た。

 

「ていうか、なんで教師と一緒に食べてんの? 箒さんまで……」

 

「それは、まあ――」

 

 顔を見合わせる。どこから説明するべきか。

 

「いつの間にかこうなっていた。特に問題もなかったから、こうして今に至っているわけだよ、(ファン)

 

「ふうん?」

 

 疑るような視線。小柄な体格のわりに、目力は強い。白雪軍人からすれば、後ろめたいことがあるわけでもないし少女の反応はよくあるそれであったため、さして気にする素振りも見せず、生徒間のやり取りになるであろうことを察し、黙々と自身の弁当を進めた。が。

 

 気に食わなかったのは、むしろ妹のほうであった。

 

「いきなり現れて難を付ける気ですか。ご飯がまずくなりそうです。というか教師に対してその不遜は態度は如何なものでしょうか」

 

「あんたは?」

 

「白雪雫。兄様の妹です」

 

「はッ――」思わず、といったふうに噴き出した。「アニサマ(・・・・)?」

 

「あの……」

 

「何がおかしい、ちみっこ(・・・・)

 

「ちみっ――!?」

 

「……あれえ?」

 

 身を乗り出そうとした、その手前で。

 

「おい、ここで揉めるなド阿呆馬鹿たれ」

 

 低い声で、一喝。

 

 少女らは一瞬、校内秩序を乱す存在へのカウンターたる織斑千冬(ブリュンヒルデ)と同種の()を感じ、冷たく鋭いものが神経を撫ぜたように、身をすくませた。慣れもあり、すぐに冷静を取り戻した雫とは違い、凰鈴音は一転、向ける瞳の奥に怯えのような光を過ぎらせる。()を感じていなかった他の生徒たちは気づいてない。

 

「本当だよ。周りに迷惑だって」

 

「な……、なによその反応……あたしに会えたってのに、嬉しくないの?」

 

「嬉しいに決まってるだろ。でも鈴の態度だって問題だ」

 

 なによ……、と俯いてしまう少女。簪とセシリアは、どうすればいいのかと戸惑っている。他二人は呆れており、もう一人は睨んでいた。

 

「ああそうだ、みんなに紹介しないとな。こいつは凰鈴音。俺の幼馴染で、友達だ。こうして話すのは一年ぶりだな」

 

 ほら、元気出せよ。みんな怒ってないから。織斑一夏がなだめるように言い、このままじゃだめよ、だめ、とぶつぶつ呟いていた少女はそれから意を決したように面を振り上げ、炯々とさせたその双眸を、テーブルに着いて見守っていた彼らへと向けて、

 

 

「っ……耳の穴かっぽじってよく聞きなさい! 何を隠そう、このあたしこそが凰鈴音! 中国代表候補生、そして一夏の唯一の……大切かつ掛け替えのない存在(ザ・ワン・アンド・オンリー)の――幼馴染よ!」

 

 

「お、おう? そうだな」でも、と少年は何気ないふうに継いだ。「唯一じゃなくて、幼馴染なら箒だって同じなんだが」

 

 ぴきり(・・・)、と。

 

 一人だけ空気に水を差したことに、少年はやはりというべきか気づいていない。少女が意を決して――期待を込めて――口にした言葉の「意味」にも。

 

 引きつった顔は、いっそ哀れでさえある。

 

 複数のため息が重なった。

 

「え? え? なんだよ――?」

 

 滑稽ですね、と雫は横目に思いながらも、流石に口には出さなかった。

 

 

 

 ◇

 

 

 

「へえ、唐揚げ? 美味しそうじゃない。あんた作ったの?」

 

 しかし。打たれ強いというべきか、あるいは予想の範疇であったのか。少女は織斑一夏の反応にもけろりとしていた。

 

 そればかりか、より積極的に迫り始めたほどであり――

 

「まあな。みんな弁当を持ち寄ってるから、俺だけ違うってのも嫌だったし。……というか少し離れろよ」

 

「なんで。あたしが座れないじゃない。このまま突っ立ってろって?」

 

 ぼそり、と。「突っ立ってればいいんじゃないですか」

 

「あんたには訊いてない、アニサマー(・・・・・)

 

ああん(・・・)?」

 

「おいおい喧嘩するなよ、鈴も、白雪さんもさ……頼むから」

 

「貴方には関係ない」

「引っ込んでなさいよ」

 

「えぇぇ……先生、何とかしてください!」

 

「面倒だな、おい。――雫、そう何度も絡むな。相手の一言でいちいち取り乱すようでは駄目だぞ。凰も……織斑を探していたということは、用があったんだろう。ここで済ませるか、出直すかしてくれないか」

 

「なんであたしが……」

 

「おい女、兄様が言っているのにさっきから嘗め過ぎだ、ぶち(・・)――」

 

「こら」

 

「いでっ! ……うう」

 

「ははは。雫、少しは覚えようね……」

 

「簪までそんなことを言うんですか!?」

 

「いい加減にしろお前ら」

 

 ―――。

 

「ふんっ、馬鹿らしい……一つもらうわよ――」サクサクとした、小気味いい音。芳ばしい香りと肉汁が口のなかに広がる。「あ、美味しい。やるわね、あんた」

 

「おい、素手で食うなよ……」

 

 織斑一夏の横に、ほとんど肩が触れそうなくらいの近さで強引に座った凰鈴音は、てらてらと油の光る指を、覗かせた赤い舌でちろりと舐め取り、ところで、と(おとがい)を上げ、挑発するような目線をして言った。

 

「ねえ一夏。何かあたしに訊きたいこと、あるでしょ?」

 

「そりゃあ、さ」若干仰け反りつつ、「訊くの遅くなったけど、元気にしてたか? いきなり現れるんだからさ。いつ帰ったんだ? 親父さんは元気か? というか、代表候補生って本当かよ」

 

「本当よ、ていうか嘘なら大問題でしょ。元気なのは、見ればわかるでしょ。びっくりしたのはあたしだってそうよ。ニュースで、あんたがIS動かしたって知って。大変だったんだから」

 

「それは、ご迷惑おかけしました……?」

 

「そうよ、まったく」

 

「いやおかしいだろそれ」

 

 軽口の応酬。少年にとっては、一年ぶりだからであろうか、懐かしく感じられた。自然と笑みがこぼれる。

 

「そんなことよりもさあ、一夏。あんた――クラス代表なんだって?」

 

「おう。誠に不本意ながらな……」

 

 喋りつつ、少年は元凶である二名に視線をやるものの、一人はどこ吹く風といった様子で箸を進めており、もう一人は明後日の方向に逸らしている。直後に、

 

「だ、だったらさあ、提案! あるんだけど! どう!?」

 

 気忙しげな、食い気味の笑顔で迫られた。

 

「い、いやどうって、なんの提案だよっ?」

 

「ISの操縦! あ、あたしが見てあげてもいいわよ!?」

 

「えっ? ああ、そりゃ――」少女の勢いから逃れるように、織斑一夏は再び雫とセシリアを見た。「助かるけど。俺、今はこの二人に指南してもらってるからな……」

 

 凰鈴音は。まず笑みを打ち消して薄い褐色肌の少女を睨むと、次に箒越しに見えるセシリア少女を捉え、間を置いてから、「誰?」と小首をかしげた。それまでとは違う明らかな素の反応に、完全に眼中の外にあったと思い知らされたセシリアは額に青筋を浮かべる寸前であったが、意中の男性がすぐ傍にいる手前はしたない真似は出来ぬと思いとどまり、社交界で身につけた笑顔の仮面を咄嗟に被ると、常に優雅たらん、と自身に暗示をかけつつ、挨拶を返す。

 

「セシリア・オルコットですわ。イギリス代表候補生。ご存じなかったのかしら、中国代表候補生さんは?」

 

「知らない。他の国とか、あたし興味ないし」

 

「……っ、」言葉に詰まっても、亀裂が走っても、体裁は守り続ける淑女の鏡。「そっ、そうですの。興味、興味ですのね……? 興味……興味がない? ふ、ふふふ、ふふふふふふ……」

 

「正気を保って、オルコットさん。……私は更識簪。ちなみに日本の代表候補生、です。よろしく」

 

 やっと自己紹介できた、と実はこっそり胸を撫で下ろした簪である。

 

「ふーん。ま、どうでもいいけど(・・・・・・・・)

 

「――――」

 

「あんたたちが一夏に?」

 

「……ええ。そうですの。私たちのクラス代表ですから。クラス対抗戦(リーグマッチ)も近いですし、専用機持ちの経験を活かして鍛えて差し上げているんですの」

 

「アニサマも専用機持ち?」鼻で笑った。「あんたたち、そんなに強そうには見えないけどね」

 

「こいつ今すぐ死体置き場(モルグ)で永眠させてやろうか……!」

 

「雫、待て――落ち着け、まずはその銃をしまえ」

 

「ですが兄様っ、このクソメス豚が!」

 

「ふふふふふふふふふふ……」

 

「堪えろ、堪えるんだセシリア――っ!」

 

「なに、文句あんの? あたし強いから、戦ったらあたしが勝つよ。一夏だって強いほうに教えられたいでしょ? だから、一夏がどうしてもって頼むなら、あたしが教えてあげるけど」

 

 軍人なんとかしてくれ! と箒は頼みの綱を見やるが、彼は気に食わないそして度重なる挑発言動に爆発間際であった雫を抑え込んでいるため、セシリアにまで手が回らない様子であった。

 

 臨界点待ったなしの状況――

 

「おい。さっきから失礼だろ」

 

 しかして打開したのは、顔をしかめて苦言を呈した織斑少年であった。

 

「鈴、お前どうしたんだ? この二人はわざわざ俺に教えてくれてるんだ、言わば師匠だ。なのに何でそんな煽るようなこと言うんだよ?」

 

「なっ、なんでって……」

 

 まるで背後から銃弾をもらったかのように、凰鈴音は硬直した。勢いは不自然なほど一瞬でなりを潜め、俯いた前髪で両目を隠し、そのまま黙ってしまう。

 

 急激な変化に、他のメンバーが戸惑うなかで。

 

 ――そう。そっか。

 ――そっちに味方するんだ。

 

 何事かを呟くと。ぱっと立ち上がり、少女は織斑一夏から距離を取った。ばつの悪そうな表情をしている。

 

「……そうね。言いすぎたかもね」でも、と踵を返しつつ言った。「あたしのほうが強い」

 

「おい――」

 

 一夏、またあとでね。

 

 そう、ツインテールをなびかせながら。小さな背中の少女は、足早に屋上から去って行った。

 

 

 あとには戸惑ったような空気が残されている。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 放課後。

 

 第三アリーナ――

 

 

 空中を支配するが如く座し、対峙している、影は二つ。

 (しょうねん)と、(しょうじょ)の。

 

 手にきつく握られた長大な刀剣を、鏡に映したかのようにそっくり互いに中腰に構え、睨み合い――

 

「――()ァ!」

 

 裂帛の声、動いたのは「白」。騎士を連想させる形態の、空戦最強と称されし兵器の後部推進翼から生み出された駆動音、一拍、そして爆発的な直線軌道を描く――瞬時加速(イグニッション・ブースト)は鋭槍のように。

 

 対して「黒」、鎧武者の如き威容は「白」の一拍の隙に回避行動を選択。推進翼を全開操作して移動した先は右左、そのどちらにもあらず、上手(かみて)であった。

 

 構えた刀剣――「雪片弐型」――は刃をなぞるように発光しており、振り下ろした先に、しかし敵の姿は無く。掠めることさえ叶わず、されど体勢を立て直すべく反転しようとした「白」は、同時に、背中。衝撃で穿たれる。

 

 上座へ逃れた「黒」の突撃銃「焔備」二挺による弾雨である。「白」は機体が持つ「雪片弐型」を介した特殊機能を中断させ、すぐさま滑走するように左回りに回避し――追尾され――ながらも一旦距離を測り、推進翼全開/再接近を試みる。

 

 反動。弾雨。電子画面(ウインドウ)の残存動力数値(シールドエネルギー)がみるみる削られる。構うものかと疾駆。たどり着く。

 

 眼前に、「黒」。疾ッ、と唯一の武器である「雪片弐型」を振り下すも――

 

 「黒」、直前まで空薬莢滝のごとく排出していた二挺「焔備」を、相手が迫り来ると見るや瞬時に粒子へ変え、再び刀剣――「葵」に持ち替え、迎え打った。

 

 接触。鍔迫り合い。押し返す/押し返される。拮抗。少年と少女は転瞬、互いの形相を認め合う。

 

 雄叫びは同時。

 共に引かず。

 

 

 唐竹。袈裟懸け。刺突。捌く。右回避、逆袈裟。右薙ぎ。後退。捌く。左回避、右斬上。胴斬。袈裟懸け。刺突。刺突。逆袈裟。捌く。捌く。後退、左斬上。捌く。右薙ぎ。逆袈裟。刺突。唐竹。逆袈裟。袈裟懸け。

 

 

 鍔迫り合い。出力最大。押し込む。

 

「このまま――!」

 

 均衡はすぐに崩れた。「白」、加速と出力の優位性から「黒」を上から圧し始め、地上へ叩きつけんばかりに最大出力、逃さない。ここぞばかりに「切り札」――「零落白夜」――を起動。発光する刃。

 

 だが「白」の機体は突然、狂ったように加速する。その直後、腹部が爆ぜた。引きちぎられるような衝撃。景色が縦に回り、余波で機体が浮き上がったようになる。

 

 ほんの僅かな一瞬「白」に抵抗するのを止めた「黒」の脚が、「白」の腹部に突き刺さっていた(・・・・・・・・)。身体が折れ曲がり、見開いた少年の口からは潰れた蚊のような声しか出ない。

 

 密着状態、しかも最大出力で蹴り(・・)上げられたため搭乗者保護機能を貫通するほどの威力となった一撃は、直前に加速したことも相まって「白」を操縦者の思考ごと蹴り飛ばし、近づいていた地上へと叩き落とした。

 

 激突。地響きを伴う轟音。

 

 粉塵。沈黙。

 

 対して「黒」は空中で一回転、推進翼を再度全開にして高みへと移動し、背部に量子の光――六連装誘導弾射出装置(ミサイルポッド)「吹雪」を出現。高速演算/目標補足(ターゲット・ロック)

 

 発射(ファイア)

 

 一斉に叩き込まれる高性能誘導弾。

 粉塵のなかへ――炸裂。

 

 爆発。

 爆発。爆発に次ぐ――

 爆発。

 

 爆炎。破壊音。

 

 背部から消滅する「吹雪」。「黒」、次いで両手に「焔備」を出現。精密射撃補助機能(センサーリンクシステム)に従って照準(サイト)を広範囲に膨れ上がった粉塵へと合わせ、駄目押しとばかりに引き鉄。間断なく撃ち続ける。

 

「……………、」

 

 しかし。

 

 

 まだ、試合は終わっていない――

 

 

「――――おおおォッ!」

 

 飛び出す(・・・・)。粉塵、尾を引きながら「白」は弾雨より脱出。回避運動。

 

 見上げた。「黒」を駆る少女は依然と健在であり、こちらを見定めるようにして見下ろしている。二つの銃口から、硝煙を漂わせながら。

 

 「白」を(よろ)う少年が目をやった電子画面(ウインドウ)には煌々とした文字で、残存動力数値(シールドエネルギー)が既に「四分の一」も残ってないという事実が表示されている。

 

 少年は、歯噛みした。視線を、手元の刀剣へ落とす。

 

 きつく、締め付けた。

 

 ――あと一撃、「零落白夜」を入れれば勝てるのに!

 

 「白」に備わった「単一仕様能力(ワンオフ・アビリティー)」――「零落白夜」。エネルギー性質のあらゆる対象を無効化/消滅させる能力。

 

 一撃(・・)必殺(・・)の機能。当たれば相手に甚大なダメージを与えることが出来る。代償に、自分のシールドエネルギーを消費するという凄まじいデメリット(・・・・・)を持つ、いわば諸刃の剣であったが。

 

 「白」は既にこの切り札(いちげき)を、最初の頃に「黒」に叩き込んでいた。

 

 「零落白夜」が斬り、ただの一撃で、相手の残量は半分を切ったはずである。

 

 だが。二度目となると当然のことながら相手も警戒しており、しかも「零落白夜」は起動するたび見た目が変化してしまうので必ず察され逃げられてしまっていた。機体出力で上回っているため強引に詰め寄ることもできるが、操縦者たる少年の力量では「一撃」で仕留められないゆえ「詰め」となる場面まで持っていけず、剣戟を交わす途中でいなされて反撃されるか、離脱されたのち「焔備」と「吹雪」の餌食となってしまう。

 

 それの、繰り返しであった。

 

「どうした。来ないのか」

 

 暫時して。少女の声。

 

 少年のなかで、当初の浮かれた気持ちはとっくに消え失せている。

 

 

 制限時間が、刻々と迫っていた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

「――そこまで」

 

 

 高速機動で打ち合っていた、「白」と「黒」のISが静止した。

 

「時間切れです。シールドエネルギーの残量ですが……」

 

 地上に降り立つと、互いに向き合う。

 

「勝者は――織斑一夏」

 

 頭を下げた。剣道の試合のときのように。

 

「今日はこれくらいで終わりましょう」

 

 余喘という形容はオーバーであったが。息も絶え絶えに、汗だくになっている織斑一夏は開放回線(オープンチャンネル)から掛けられた雫の言葉に、なんとか絞り出すようにして応じた。

 

「ご指導……ありがとうございました」

 

「それでは私たちは先に戻っておりますわね」

 

 涼しげに言った、「ブルー・ティアーズ」と「フロウ・マイ・ティアーズ」がBピットに帰還する間もまだ動けずにいた「白式」に、

 

「……まだまだサマになっていないな」

 

 少し乱れた息でそう告げたのは、純国産ISで安定した性能を誇り、学園では訓練機として使われている第二世代ISの量産機種「打鉄」に搭乗している箒である。以前からしていた貸出申請がようやく通ったため、せっかくだからと一年一組の専用機持ちたちの訓練に混ぜてもらっていた。

 

「そういう……箒は、なんで、そんなにぜんぜん疲れてないんだ」

 

 実戦仕様で圧倒的な火力を誇る「フロウ・マイ・ティアーズ」、遠距離戦メインで巧みなビット操縦によりまったく近づかせない「ブルー・ティアーズ」のそれぞれと一対一で戦い、まるで何かの鬱憤を晴らすかの如く、いつも以上に苛烈に責め立てられた織斑一夏であったが、自分ほど激しくはないとは言えそれなりに容赦なく攻撃されていた箒がこれだけ元気なのは、彼にとっては不可解でしかない。

 

 加えて最後の試合で、あれだけの戦闘をしたばかりだというのに。

 

「そう見えるか? まあ私は剣道で鍛えているからな。けっこうきつめな訓練ではあったが、泣き言を言うほど辛くはない」

 

「まじかよ……」

 

 ――どんな鍛え方してんだよ。

 

「いつまでもヘタレているなよ。私も戻る。反省会は、またあとでな」

 

 (ひるがえ)った「打鉄」が、Bピットのほうへと消える。

 

 残された少年は息を整えると、重い足取りでAピットへと向かった。

 

 ―――。

 

 ISを解除。それまで機能していた補助が消失し、一気に泥のような疲労がのしかかってくる。床に膝がつきそうになるのを懸命に耐えながら、震える脚を動かし、ようやくベンチに腰を下ろした。深い――息を吐く。

 

「……くそっ……」

 

 こぼれるように。呟いていた。

 

 ――疲れは、確かに凄まじい。

 

 加減知らずの威力を叩きつけられ、穿ち貫かれ、爆撃され、まず逃げ延びることを考えなければ即座に撃墜されるような内容であった。僅かな隙を突かなければ反撃すら不可能な訓練。しかし、今日ほどではないにしろ普段から味わっている疲れでもある。

 

 だから、少年のなかでくすぶっている感情は、自分をストレス発散に利用した彼女らへの恨み言ではない。

 

 ――箒。あれほど動けるなんて。

 

 前に彼女から聞いていた、篠ノ之箒のIS適正値は「()」。織斑一夏と同じである。だが、ISの操縦はまだ数度しかしたことがないはずなのだ。

 

 対して自分は専用機持ちたちに鍛えられている。更に自分には、「白式」という専用機が与えられてさえいる。

 

 なのに――倒しきれなかった。

 

 一対一で、明らかに条件はこちらのほうが有利だというのに、時間切れ(・・・・)での勝利に終わった。

 

 ――勝利?

 ――こんなのが、勝ち(・・)かよ。

 

「俺が」

 

 これまでも焦りは感じていた。ただでさえ周囲の人間は知識で進んでいる、自分も遅れを取り戻したいと思っていた。その根底にあるのは「焦り」だ。だが、今回思い知ったのはその比ではない。覚える専門用語が多すぎるだとか、周りが女子ばかりの環境で集中できないだとか、それらどんな言い訳も意味を為さない。

 

「……俺が一番、弱い(・・)のか」

 

 スライドドアが開いた。

 

「一夏、お疲れ――?」

 

 他人の身体のように、びくり、と震えた。

 

 面を上げると、知った顔で。息を呑む。

 

「……どうかした?」

 

「鈴か。いや、なんでもない」不都合なことを隠そうとするかのように、織斑少年は声を明るくした。「鈴が、なんでここに?」

 

「これよ」

 

 手に握られていたのは、スポーツドリンクとタオル。

 

「おお。サンキュー」

 

 立ち上がって受け取り、ねっとりとまとわりつくような汗を拭い、それから一気に仰ぐように半分飲み干した。息が続かなくなり、空気を求めて深呼吸すると、少し、気分が良くなる。

 

 そこで、目の前の少女が嬉しそうに肩を揺らしていることに気がついた。

 

「なんだよ、笑って」

 

「なんでもなーい」

 

 そう言った、彼女の笑っている姿は、それまで認識してきた「中学の頃までの凰鈴音」像とは異なっているような気がして。不意に少年は、何故だか、動揺してしまう。

 

 ――あれ?

 ――こいつって、こんなに……

 

「ねえ一夏。一年、だよね」

 

「え?」

 

 呆けた答えになってしまったが。少女は横を向いていたせいで、それに気づいてない。

 

「だから、一年ぶり、だよね。一年離れてさあ、……私がいないと、さみしかった?」

 

 ――え?

 

 織斑一夏は。

 

 ――え? え?

 

 緊張していた。わけもわからぬまま。

 

 沈黙が降りた。上目遣いで見つめてくる少女。まるで吸い寄せられるように、目を逸らせない。普段の勝気な表情からは想像もつかないほど、しおらしい顔。頬は赤みをさし、薄い桃色の唇を僅かに開きながら、健康的な白い歯を微かに覗かせて、何かを期待するかのように、こちらを……

 

 ――え、なんだ、これ。

 

 思考がちゃんと回らない。疲れのせいか。しゃんとしろよ、そう頭の隅で思えども。パニックを起こしたように。

 

 ――なんだ、え? どうしたんだ、俺。

 

 心臓の音が、試合をしているわけでもないというのに速まっている。誰かに聞かれてしまうんじゃないかというほどに、高鳴っている。熱い。顔。きっと、今も自分の顔も、そうだ。赤いはずだ。

 

「あ――ぇっと、そう、だな……」

 

 知らず、唾を呑んでいた。水分補給したばかりだというのに、もう舌が乾いている。ペットボトルを握る手に、力が入った。

 

 ――分からない。分からない、けど。

 

 沈黙の意味。今の自分を占める、この感情の正体がなんなのか。知らない。でも。

 

「俺は……」

 

 

 ぷしゅっ。

 

 

「いち……………………………あ、」

 

「……え?」

 

「―――――」

 

 

「………………………すまない、間違えたようだ……」

 

 

 スライドドア。

 再び「ぷしゅっ」と、炭酸の抜けるような音を残して。

 

 気まずそうな顔をした箒が、後退りしながら出て行った。

 

 

 沈黙。 

 

 

 

「………」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





new! 「 ■■フラグが立ちました! 」














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