セブンスターを喫う先生、あるいは黄金瞳の 作:ishigami
Pardon the way that I stare
There's nothing else to compare
The sight of you makes me weak
There are no words left to speak
But if you feel like I feel
Please let me know that it's real
You're just too good to be true
Can't take my eyes off of you
―――BOYS TOWN GANS/Can't Take My Eyes Off You
◆
癇癪な声が響く。
「だから、そうじゃないって言ってンでしょ!? なんでわかんないのよ!」
夜――
昼間とは異なる、人工灯によって彩られた景観を一望できる場所の一つ。
都内の
「それを何とかするのがあんたの仕事でしょ! なんとかしなさいよ、なんのためにあんたに金払ってると思ってんのよ! クビにされたいの!?」
言い訳の隙を与えず、女は一方的に切る。腰掛けていたソファーにスマートフォンを投げ出すと、募る苛立ちで注いた酒を呷るようにして飲み干し、ちょうど目に付いた鏡へ、カクテルグラスを叩きつけた。
鏡は甲高い音を立てて無残に割れ、グラスの被害はかろうじてひびが入る程度に留まったが、女の苛立ちは収まらない。破片に反射した、顔を包帯で覆った惨めな自分の姿が焼きついているせいだった。
「くそっ!」
長い髪を掻きむしる女の脳裏に、自分の「鼻」をこうした子供のことが蘇る。本来であれば、とっくにあの子供の親の会社は自分のものになっていたはずなのだ。だが思わぬ反撃を受けて、交渉が滞っていた。二つとも手に入れるはずだったのに、片方は少し前の自分のせいで売り飛ばしてしまっていたし――買い戻すことも考えたが、例の商社には連絡がつかなかった――もう一つのほうは意地汚くも
――ここにあのガキがいれば、この鬱憤を思い切りぶつけてやれたのに。
「ったく、あの使えないクズめ……」
最近雇った交渉役の顧問弁護士は、もうクビにしてしまおう。そういえばあの男には幼い娘がいたはずだ。不利益を被ったと損害を請求して、辞めさせる前に、少し遊んでやろうか。さぞ甲高く啼くことだろう。そうだ、いっそあの男の前で辱めてやる。自業自得だ。使えないクズめ。
女は未発達の花を散らす様を想像することで自分を慰撫し、整形手術をしたばかりで未だ取れない包帯の感触に再び高ぶってくるのを感じると、不快な気分を洗い落とすために、浴室へ向かった。汗を流したら、そのあとは「ペット」たちと遊んでやる。あいつらにも飽きていたから、今日は死ぬまでいたぶってやるとしよう。そうして残虐な想像に思考を巡らせる女は、だが、気づかなかった。
その背後で。
――
「………、」
居間に戻った女が最初に感じたのは、涼しさだった。
夜風。バスローブ越しに、火照った身体が心地よい。そこまで考えて、ふと思った。
――窓が開いてる?
振り向いた。
「お帰りなさいませ、ご主人さま」
「闇」。一言で形容するのなら、まさに
闇が人型を象ったかのような。しかし平らではない、充溢する闇を凝縮し更に敷き詰めて立体を獲得したかのような存在感があった。
それは、確かに喋った。よく聞こえる声で、ご主人さま、と。
恐怖か、驚愕か。開いた口が塞がらない女に対して、「闇」は人の頭部に相当する部分の闇を取り除いて見せた。
現れたのは――
それは、人の眼だった。
更に言えば「黄金」の「瞳」であった。
女が知っている――
「まさか」
女が続けるよりも早く。
刈り取られた意識は、呆気なく闇に落ちた。
◆
目覚めて真っ先に感じたのは冷たさと、身動きが取れない感覚であった。
薄らと目蓋を開く。ぼんやりとした視界ながら、シャンデリアの明かりが眩しい。痛みを感じて身をよじったが、金縛りにあったかのように動かない。
だんだんと意識がはっきりしてきた。
椅子に、座らされていた。腕は肘掛部分に括りつけられ、足も拘束されている。照明を遮るように、影がぶれて――
「起きたか」
声。少年の。
――
「……ッ!?」
跳ね起きた。実際は揺るぎない拘束に、ぎしり、と拘束用金属椅子のスプリングが音を立てただけだったが。
裸だ。バスローブは剥ぎ取られている。身体を隠そうにも、身動きが取れない。
そして眼前。影、ではない。立っていたのは少年だ。白髪の。
黄金の瞳が、こちらを見下ろしている。
拷問部屋であった。
「あ、あんた……こんな、……あっ、あ――!?」
少年の背後。「ペット」たちの檻が、開け放たれていた。中には誰もいない。
檻のなかには、死体だけだ。首をありえない方向に捻じり殺された少年少女。「ペット」たち。表情を恐怖に固めたまま、人形のように硬くなっている。そして生命を持たないという点において彼らは人形と同じ、単なる人型の肉塊であった。
――なんで。なにが。どうして。
――なにをした、こいつ。
「あ、あんたが……」
「
「は、はぁ!? あんた、なにっ……」
訳が分からない。ただ、恐怖だけがあった。
――マズイ。ヤバイ。
――
身体を動かそうとする。必死に。懸命に。
だが。
ぎしり、とスプリングが軋むだけだ。少し揺れるだけ。これまで多くの「ペット」たちを拘束してきた金属椅子は、たとえ誰がそこに座ろうとも、いつだって完璧に機能してきた。今も、そうだ。金属の冷たさで、全身を掴んで放さない。
「俺が質問をする。あんたはそれに答える。あんたが答えを渋るたびに、俺はあんたの指を斬り落とす」
どこからともなく現れた包丁が、宙に浮かんでいた。まるで安いホラー映画を下手なVFXで撮影したような光景。しかし包丁が独りでに女の左手の――拘束された――人差し指に触れ、ひやりとした感覚を伝えた瞬間、紛れもなく
悪夢を見ているようだ。女が凍えるように震え始めると同時に、少年は感情を排した声で告げた。
「一〇回だ。一〇回だけあんたに質問する。その間に答えないのなら、あんたは全ての指を失う」
「……ふざけんな、お前! 私にこんなことして――」
「一回目の質問だ。俺の親を殺した関係者。そいつらの名前ぜんぶを言え。どこに住んでいるのか。何をしているのかも」
「絶対殺してやる、お前殺してやるからな!」
包丁が刃を起こし、
指を突き裂いた。
「■■■■■■■■■■■■■!!」
突き刺し。溢れ出る。包丁が、骨に触れた。指骨と中手骨のあいだ。
下へ――
突き刺す。突き刺す。突き刺す。突き刺す。
「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■!!」
「……二回目の質問だ。俺の親を殺した関係者。そいつらの名前を言え。誰が仕組んだ? どこに住んでいる?」
ちぎれた指が、水気を含んだ音を立てて足元に跳ねた。荒々しい切断面からは血に塗れた骨が覗き、滴っている。
「ぁ――ぁぁ―――」
痛みで。すべてが、吹き飛んでいた。虚勢さえも。もがくという次元ではない、全身が跳ねようとしていた。しかし拘束された身体では、せいぜいスプリングを軋ませるくらいしか出来ない。
包丁が、左手の薬指に触れる。
「まっ、待って、待って待って待って、待って、待ってよ――!」
突き刺す。
「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■!!」
◆
「強情だな。それとも馬鹿なのか。あるいは助けを待っているのか、誰かが悲鳴を聞きつけて助け出してくれると? 生憎だが、ここは防音設備がしっかりしている。あんたが言ったことだ。何をしたって気づかれることはない――何があろうとも……、誰がどんな目にあっていようとも、誰も、気づかない。あんたが言ったことだ。あんたが、俺に、そう言ったんだ!」
「分かった、言う、言います、言いますから、だから――!」
突き刺した。
「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■!!」
少年は。自分を貶めた元凶が顔を
アンモニア臭がしている。女の股の毛が黒く濡れていたが、本人に気にする余裕はない。
「しゃべります、しゃべりますから……おねがいします、おねがいします、おねがい……」
「なら、話せ。指を全部を失う前にな」
「しゃべります、だからやめて、やめて……」
―――。
「それで全員か」
「はい。そうです。全員です……」
「なるほど。
「本当です。嘘なんかついてません、本当なんです」
「嘘をついたのか?」
「ついてません本当です! 本当なんです、信じてください、おねがいします、私は、嘘なんか……」
「そうか。それで、本当に信じると思ってるのか?」
飛び散った血でまみれている女が、硬直した。見上げたまま、鼻から涙を流したまま、息の詰まったような声を漏らす。
「俺の親を殺したな。俺を何回レイプしたか覚えてるか? 俺を海外に売り飛ばそうとしたよな。そんなヤツの言うことを信じられるとでも思うのか? それに……、なんだと、自分はただ、命じた
わななくように。少年は、震えている。
恐怖、歓喜。そのどちらでもない感情によって。
震えている――
「
「わた、私、わたし、は……」
「父さんも、母さんも。おまえが殺した。おまえが奪ったんだ。あの人たちはもうどこにもいない――あの暖かな場所も……おまえが奪ったからだ。おまえが。おまえのせいで……それなのに、おまえは」
「ち、違う、違うんです、ちがっ、お願い、おねがいします、信じてください、違うんです……っ」
「おまえの言ったことが真実だとしよう。だが、
「お願い、やめて、やめてください、お願いします、だって、わたし、喋った……、いっ、言われたとおり、喋ったのに……っ!」
「喋ったから、なんだ。俺が一度でも、喋れば助けてやるなんてこと、言ったか?」
「え――?」
「おまえは、最初から殺すつもりだった。当然だろう? おまえが、おまえたちが、先に始めたことなんだから。おまえは俺を殺せなかった。おまえは俺に捕まったな。だから、おまえは、どうあっても。――ここで死ぬんだよ」
愕然としていた女の顔が。
絶望に染まり――
「ふっ……ふ、ふざ、き、――ざっざけっ、んな、ふざッけんな、お前――!」
「痛いか。苦しいか。そう。でも、足りないな。指はまだまだ残ってる。足の指も含めれば、いっぱい残ってる。まずはそれからだ」
「悪魔……この悪魔! 地獄に墜ちろ! 殺してやる!」
「もっと痛がれ。もっと苦しめ。もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと苦しみ抜いて、苦しみ尽くして――」
それから死ねよ、ご主人さま。
◆
空中に、吊られている。
シャンデリア。
血まみれの肉体が、揺れている。
吊られているのは、女であった。
首と繋がれている縄は、女の毛髪と同じ色をしている。女の頭皮からは彼女が念入りに手入れしていた自慢の髪がすべて
「…………………、」
両手足を失くした女は、しばらく
泡を吹いている。窒息したのか。あるいは大量出血で、ショック死したのか。
少年にとってはそんなこと、どうでもいい話であった。
檻のほうを見やる。女がシャワーを浴びていた隙に、この秘密の拷問部屋に侵入し、殺した彼ら。
彼らは突如として現れた、売り飛ばされたはずの少年に驚愕し、加えて一人で現れたことで、自分たちを救助しに来たのだと初めは勘違いしていた――そしてそうではないと知り、絶望しながら殺された。
助けに来てくれたんじゃないのか。なんでだよ。仲間だろう!?
それは、都合の良すぎる展望であった。自分をさんざん犯した相手をどうして助けなくてはならない。命令だったから? 本当はやりたくなかった? そんなのは関係ない、「彼女」に救われ、両親に育てられたこの肉体を蹂躙した時点で、彼らは拷問部屋のあるじの女と同列であった。恨み以外、憎悪以外の感想を抱くはずがなかった。
自業自得だ。
因果応報。
だから――
悲鳴。呪詛の声を叫ぶ彼らを。
涙する彼女らを。殺したのだ。
「……………っ、」
少年は。突かれるようにこみ上げてきた感情を、唾ごと、飲み干した。
震えている。手が。肩も。
寒さのせいだ。火照っているのに、末端は締め付けられるように冷たい。震えているのは、吐息さえも白むような寒さで満ちた部屋に長く居続けたせいだった。決して、それ以外が原因というわけではなかった。何故なら、この行為は
そうだ、これは正当なのだ。奴らに罪を償わせる――そのためにこそ自分は生き長らえたのだ。
「――さよなら」
そして。
第一の復讐を果たした少年は、忌まわしき秘密の拷問部屋から姿を消した。
次の
◆
「 ■■区 連続猟奇殺人 未だ犯人捕まらず 」
一日、■■区在住の会社経営者□□□さんと、同じく会社経営者の▲▲▲さんが同じマンションで遺体となって発見された事件で、捜査本部は先月三〇日に発見された△△△さんとその秘書である×××さんの両遺体との損傷状態に共通点が見られることから連続猟奇殺人事件として捜査を進めていることが、捜査関係者への取材で明らかになった。……〈中略〉……被害者四人の共通点として「女性権利団体」に所属していることが指摘されており、元捜査官の警察ジャーナリスト○○○氏によれば被害者の遺体には通常では考えられないような傷痕が残されていたことから、激しい恨みによる犯行という可能性を……〈中略〉……市民からは不安の声が上がっている。また被害者の所属する「女性権利団体」は今回の事件に対し、今日の午後にも異例の記者会見を開くとの声明を発表しており、これに注目が集まっている――
◆
昼。
怒声が飛び交っている。その隙間を縫うようにして疾走する、一つの影。「闇」そのものの人型があった。
――五人目だ、ここで。
罵声をあげながら、警備会社の人間が警棒を振りかぶる。
だが、遅い。振り下ろすよりも先に、擦れ違いざまに一撃。昏倒させる。
三人目の自宅に潜り込んだ際には、当然ながら警備員などいなかった――更に四人目が同じ部屋にいたことで、こちらとしても手間が省けた――が、今回は計六人の護衛がついていた。
しかし、けっきょく最後の一人も、こうして地に伏している。「
護衛たちは、みな死んではいないが、意識を失っていた。守る者は、もはや誰もいない。
守る者を失った、守られていたはずの女は、口を閉ざすことが出来ないまま立ち尽くしている。見覚えのある顔だ、かつて女たちと一緒に自分を辱めたうちの一人。五人目の標的。
殺された被害者と自分の共通点に気付いたのか、今日は自宅で仕事をすると選んだのが女の運の尽きであった。震える声で、女は記憶と様変わりした白髪の来訪者に訊ねる。
「あんたは、
「
復讐者の、黄金の瞳が女を射貫いた。
◆
四人目までとは違い、苦しめるための拷問に時間を掛けることは出来なかった。定期連絡が途絶えたことを不審に思った警備会社の本部が、警備員を送り込んできたためである。
それでも少年は誰に「連続殺傷猟奇殺人」の犯人であると疑われることもなく「現場」から姿を消し、今は街中に設けられた自然公園のベンチに座って、コンビニエンスストアで購入したオニギリを頬張っていた。
――あと一人だ。最後の一人。
――あいつを殺せば。それで、やっとだ。
頬張る。味など分からなかった。栄養を蓄える。それだけだ。
一人目を殺した際に、大量に発見されたであろう「ペット」の死体について誰も言及していない点についても。自分の戦うべき相手が、どこまで腐った権力を伸ばしているのかも。すべて。
――やっと。
――やっと、終わる。
――やっと……
――やっと、終わる。
終わって……
だけど。
――
頭痛。手が、震えている。寒いからだ。寒いだけだ。
「先なんて要らない。今は、今のことだけ考えていればいい。
手首を押さえつけて。
言い聞かせるようにして、呟いた。
少年の声を気に留める者は、誰もいない。
◆
街頭の大型ビジョンに、女が映っていた。
「皆様初めまして。●●●と申します。このたびは私どもの会見に集まっていただきありがとうございます――」
着飾り、化粧した、その女の顔に。見覚えがあった。
――六人目。
「私たちは連日世間を騒がせている連続猟奇殺人事件の犯人に対して、強くメッセージを――」
女は、初めから「犯人」を男と断言しながら話し続けた。まるで強く果敢な指導者のように。
社会を混乱に貶め、転覆を企む異常犯罪者。この世の害悪。あなたのような卑劣漢には相応しい末路がもたらされる。
私たちにはより良い社会を作ってゆく義務がある。我々は決して屈しない。私は逃げも隠れもしない。犯人に告ぐ。私の声を聞いていますか。こそこそと隠れてしか強気に出れない臆病者。あなたには必ず正義の鉄槌が下される。この国はあなたを決して逃さない。
――
――
少年は。
――「
見下ろしている女を見上げ、睨めつけながら。
今は白い手袋と白い仮面をして、醜い姿を隠しているあの女のことを。
「
必ず――