セブンスターを喫う先生、あるいは黄金瞳の   作:ishigami

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■■18 悪い奴ほどよく眠る2

 

 

 

 時刻が昼を回った頃、雫から連絡があった。二つ返事をして屋上へ向かうと、いつもの(・・・・)メンバーが待機していた。

 

「先生!」

 

 織斑一夏。IS学園唯一の男子生徒がこちらに大手を振って叫んでおり、否応なく注目を集めてしまったせいで更識簪にたしなめられている。

 

 屋根付きテーブル席には篠ノ之箒、セシリア・オルコットも同席していたが、白雪軍人(しらゆきむらと)を目にするとぱっと表情を明るくしたものの、次の瞬間には曇らせていた。妹である雫だけは忠犬のように駆け寄ってきて、

 

「お疲れ様です、兄様」

 

 無表情の何処に隠していたのだというほどの満面の笑みを浮かべる。尻尾があれば、猛烈に振れていたのは確実であろう。

 

「あの、白雪先生。お身体の具合が急に悪くなったと聞きましたが」

 

 簪の隣の雫の横に腰掛け、雫から手渡された弁当を開けたとき、おもむろにセシリアが言った。

 

 ――なるほど、そういう説明をしたのか。妥当なところだな。

 

「体調不良というのは正しくない」

 

「どういうことだ?」

 

 箒を含めた全員から、白雪軍人の一挙動に注目が集まっているのを感じる。雫には「心配はいらない、仕事だ」というメールを打っておいたものの、具体的なことまでは明かしていなかった。

 

「心配かけたかな。ちょっと部屋の環境が汚くてね――ゴミ掃除をしていた。なかなかやっかいなやつがいてね。俺は少し変わった掃除の仕方をする。それに手間がかかってしまったというわけだが、手間の甲斐あって万事は解決した。今のところは、もう悩まされることもないだろう。簪は俺のやり方を知っているよな?」

 

 突然呼ばれて驚きはしたものの、その意味を察した途端に納得の色が表れた。そういうこと、と頷いている。

 

「え? でもゴミ掃除って、それだけで授業……」

 

「織斑一夏」

 

「は、はい!?」

 

「兄様が済んだと言っているのですから、もう済んで終わったことなのです。兄様の言葉を蒸し返すつもり……」

 

「雫」

 

「兄様?」

 

「このから揚げ、旨いな。よくできている」

 

「イェス。自信作なのです。お口にあったようなら何よりです!」

 

 矛先が変わり、蛇に睨まれる呪縛から解かれると、少年はあからさまに安堵の息を漏らした。冷や汗。これ以上この話題を訊くのは止そう、と内心で決意する。

 

 一方なんとなく「何かしていた」と勘付いたらしい箒とセシリアは青年に対して無言の視線を送り続けていたが、白雪軍人に答える気がないことが分かると、ため息を一つして。

 

「体調を崩したとかじゃないのなら、いいか……」

 

「ですわね……」

 

 図らずとも意見が一致して、顔を見合わせる。どちらかが何かを切り出す前に、

 

「そういえば此処に来るまで嫌に注目を浴びていたような気がするんだが、何かあったかな」

 

 と、渦中の人物は白々しいにもほどがあることを言ってのけた。目に見えて二人が慌て出す。

 

 ――もしかして軍人さんは気づいていらっしゃらないの!?

 

 実のところ一限目の授業が始まる前から、週刊誌で報じられた「男性教師S」の話題は学内に広まりつつあった。当然のことながら箒とセシリアの耳にも入っていたが、幸運というべきか、騒動の現場にいた生徒の一人は一年一組の人間で、彼女から真偽を聞いたときには大いに激怒した――しかし一番腹が煮えくり返っているはずの雫が「兄様に迷惑がかかるから」という理由で冷静な態度を示したことで、問題を起こした二年生の教室に乗り込むような真似は控えることにしたのだ。

 

 ――どうしよう、もし気づいていないのだとしたら……

 ――なんと伝えればいいのだ……

 

 悩める少女たち。その横で、

 

「知らないんですか!? 昨日、白雪先生に絡んでた二年生がいたじゃないですか。あの人たちが、先生のこと週刊誌でデタラメに話して、それが記事になってるんですよ」

 

「一夏――!?」

「一夏さん――!?」

 

「なっ、なんだよ二人して、急に……!?」

 

「馬鹿っ、お前はっ、ほんと、馬鹿か!? 馬鹿なんだな、馬鹿! 馬鹿だったなそういえば!」

 

「ばっ、馬鹿ってなんだよ!」

 

「そういうところだ! 私より空気読めないとかほんと、お前、筋金入りの馬鹿だろう!」

 

 ぽかぽか殴る。

 

「ほんと信じられませんわ、信じられませんわ一夏さん貴方、本当に……素で言っているんですの?」

 

「だからなんだっていうんだよ!?」

 

「何を騒いでるんだ。記事のことなら知ってるぞ」

 

 

「えええええええええ――――――!?」

 

 

 絶叫。雫が睨みつける。簪は青年がからかっているのだと察していて、苦笑いで事態を見守っていた。箸を進める。

 

「知らないはずないだろう、むしろどうしてそう思った。朝一番に織斑先生に言われたよ」

 

「で、でしたら先生は、これからどうなさるおつもりなんですの? 向こうは完全に先生を社会的に葬り去る気で……」

 

「問題ない」

 

 白雪軍人は。静かな笑みを湛えて断言した。

 

「出版社は、記事が間違いであったと気づけば、すぐに(・・・)でも撤回するさ――明日にでも、ね」

 

「でも……」

 

「対応ならもう終わっている。部外秘だから、内緒だけどね」

 

 更識での「規格外」の性能を知っている少女二人を除いた三人は、目の前の彼の振る舞いが理解できないと言いたげな顔であり当人よりも余裕がなかった。それは望むところではなかったため、

 

「ところで織斑。クラス代表として、専用機持ちたちに鍛えられているそうだが、その辺りどうなんだ?」

 

「え――?」

 

 あからさまな話題転換であったが。兄の望みを察した雫が「へたっぴです」と容赦なく評し、少年が「まだ操縦し始めで慣れてないんだ」と答えると「言い訳でしょう、昨日なんか地面に激突していましたし」とばっさり切り捨てたことで、この会話をきっかけに話題は次の内容へと移り変わり、結局明確な対応については知らされないまま昼食は終わりを告げたのだった。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 次が「実技」の授業である簪と別れて、職員室の途中まで五人で歩いていたときであった。

 

白雪軍人(・・・・)!」

 

 突然、廊下の影から現れた少女が。振りかぶり、手に握った銀色(・・)を――

 

「軍人!」

「先生!」

 

 振り下ろすよりも早く。

 

 前に出た雫が、腹部へ打撃を放った。浮きかけたその身体を、腕をつかんで手繰り寄せる。膝蹴り。鳩尾を抉る。更に、回転を乗せた肘打ちを食らわせ、仰け反ったところへ前蹴り。突き飛ばした。

 

「っ、ぅ――」

 

 勢いよく背中から叩き付けられた少女は衝撃のあまり滑るように転がり、起き上がることができない。

 

「私の前で兄様に手を上げようなど……ぐこうにもほどがある、万死にあたい――」

 

「だから殺すな、ド阿呆馬鹿たれ」

 

「いでっ! ……うう、兄様……」

 

 鮮やかな連撃であった。三人は目を白黒させて立ち尽くすと、無傷の白雪軍人を心配するべきか、それとも仰向けに倒れている襲撃者(しょうじょ)のほうを助けるべきか、視線を両者のあいだで行ったり来たりさせていた。ほかの生徒たちも、唖然としている。

 

「まあ手加減したようだからいいものの……」

 

「あれで手加減!?」

 

「当然です。白雪雫は兄様から言われたことを(たが)えはしません。ところで……お前たちも兄様に(あだ)なすやからか?」

 

「ひ……っ」

 

 廊下の影を見やる。隠れていた二人の女子――見間違うはずもない、三人組のうちの二人――が真っ青になりながら震えていた。目の当たりにした暴力(・・)と、それを演出した少女に射すくめられて、逃げ出すこともできずにいる。

 

 白雪軍人はひとまず倒れている少女に近づくと、大丈夫かと声を掛けた。すると喘ぎ〃々の掠れた声で、

 

「あ、あんたが……」

 

「うん?」

 

「あんたが、やったの(・・・・)?」

 

「はあ?」

 

「ママから、電話があって……写真も、ぜんぶ、あんたが、――あんたがやったんでしょ!?」

 

 睨みつけられる。効果(・・)は、早くも出ているらしい。青年は目を細めると、ほかの人間には気づかれない、しかし少女にだけは見えるよう、ほんのかすかに口端を釣り上げた。声も潜めて、

 

「違う。お前がやったのさ」

 

「やっぱり……あんたが……あんたのせいで……くそっ! あんたの――」

 

「なんのことだかさっぱりだぜ。言いたいことはそれだけかな?」床に落とした(はさみ)を拾い上げると、「傷害未遂、悪いけりゃ殺人未遂だ。凶器を準備していたことから見ても、計画的な犯行かな。馬鹿をやって下手を打った。救えないね……」

 

「ふざけんな……ふざけんなよ――お前のせいだ、お前の……お前のせいだ……お前の……」

 

 嗚咽しながら繰り返すばかりの少女を無視し、振り返った。二人組を見る。「君たちはどうだ。なにか弁明は? 友達なんだろう」

 

「ち、違う……」

 

「ほう?」

 

「わ、私たちは……違います。私たちは知らない、友達じゃないです!」

 

「そ、そうです。関係ないわ、私、そんなやつの友達なんかじゃない! 一緒にしないでください!」

 

「―――」

 

 まさかの発言に、愕然とする少女。涙も止まっていた。

 

「あ、あんたたち――」

 

「知らない、あんたなんか知らない! やめてよ、なに気安くこっち見てんの!?」

 

「なっ、んで、私をっ、裏切るつもり――!?」

 

「知らないよ!? あんたなんか友達じゃない! あんた頭がおかしい(・・・・)もん! き、気持ち悪い……」

 

「ふっ――ふざけんな、ふざけんなよお前ら!!?」

 

 ――みにくい。

 

 醜悪。その一言に尽きた。織斑一夏が、彼女らを諌めようとしたところで、

 

「何事ですか……って白雪先生!?」

 

「どうも山田先生」

 

「どうもって……何の騒ぎですか。それにこの子たち、昨日の――まさかまた!」

 

「ご名答」鋏をちらつかせ、「危うく刺されるところでした。まあうちの優秀な妹のおかげで怪我はありませんでしたが」

 

「優秀な妹……えへへ……」

 

 撫でられながら、照れる雫の一人だけ場違いな態度に、もはや呆れるしかないクラスメイトたち。やめなさい、という一喝を受けて女子三人組は、睨み合いながらも口論を中断する。

 

「まったく何を考えているんですか!? こんなものまで持ち出して、人を傷つけようだなんて……」

 

「山田先生。状況説明については、放課後でも構いませんか? 授業の準備があるので」

 

「そ、そうでしたね。分かりました……とりあえずこの子たちは私が懲罰房のほうへ連れて行きます。担当の先生にはこちらから伝えておきますから」

 

「ありがとうございます」

 

「山田先生! 俺も、見てたから証言できます」

 

「私も……」

 

「わっ、(わたくし)もですわ……」

 

「分かりました。皆さんにもあとで協力お願いしますね。あ、そうです! 先輩――織斑先生が先生のことを探していましたよ。すっごく……怒ってました」

 

「――――ははは……分かりました。あとはよろしくお願いします」

 

「許さない……」

 

 歯を剥き出しにして。山田真耶に起こされた少女がヒステリックに叫んだ。

 

「許さないから、お前――ぜったい後悔させてやる!」

 

「いや、無理だろ」

 

 白雪軍人は。冷ややかな目を向けると、

 

「今の君は犯罪者だ、大勢が君の凶行を目撃している。昨日の今日で、誰が信じてくれると言うんだ? まあ……思うだけなら勝手だからな。頑張って減刑に励むといい。リボンを、タイト(・・・)に締め直して、な」

 

 すれ違いざまに、呟いた。

 

「では。善い一日を」

 

 

 

 ◇

 

 

 

 夜――

 

 食堂を貸し切って開催された「織斑一夏クラス代表就任パーティー」が盛り上がりを見せている同時刻、屋上にて。

 

 静寂のなか。暗闇に、ぽつりと点のような灯りが動いていた。

 

「………、」

 

 扉の開かれる音。靴の、地面を打つ音が響く。目を上げた。

 

「――お前は」

 

 女の声。

 立ち止まり、向かい合う。

 

「白雪軍人」

 

 聞き覚えのある声。思い起こされたのは背の高い、釣り目の美女のこと。年齢は不詳。出自も不明。黒のショートカットで、右の目元には泣きぼくろがある――しかし目の前の女は長い髪を揺らしていた。月も隠れており、暗がりで、表情はほとんど窺えない。だが。

 

「久しぶりですね。隊長」

 

 応えた。

 

 村雨有理(むらさめゆうり)は、笑ったのだろうか。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 (リッド)を開け、風から護るように手で覆いながら、着火した布芯に顔を近づける。咥えた煙草から紫煙が立ち上ると、鷹の意匠が刻印されたジッポライターを内ポケットへとしまった。

 

 長い沈黙。ときおり強い風が吹いて、肌を冷たく撫でる。

 

 男女は柵に寄りかかりながら、少し距離を開けて並んでいた。かろうじて、互いの表情が見える位置で。

 

 何を話すでもない。二人とも気兼ねなく煙草を喫うために屋上へ出てきて、たまたま顔を合わせただけなのだ。用が済めば、そういうふうにして去るはずであった。

 

「……なあ」

 

 だから、青年は意外に思った。女のほうから切り出したことが。

 

「はい?」

 

「あ?」

 

 凄まれる。

 

「なんだよ」

 

「いえ、そっちが言ったんでしょう……」

 

「何がだよ。私がなに言ったよ」

 

「はあ」

 

「あんだよそのため息。私にため息とか偉くなったな」

 

「言いたいことがあるなら言ってください。ないのなら……、」

 

「なんだよ。ったく、可愛げのねえ……」

 

 相変わらず面倒な性格をしていた。仕事以外だと何か伝えたいことがあってもなかなか切り出せず、だからといって話しかけてきてもすぐには本題に入らない。残念美人と呼ばれる所以である。そのくせ、一度腹を決めるとそのまま直球を放ってくるのだ。

 

 煙草が半分ほど灰になった頃、

 

「派手にやったもんだよな」

 

「何がですか」

 

「とぼけんなよ」

 

「……誰から?」

 

「楯無のお嬢様から。……嘘だよ、週刊誌にお前のことが載った翌日に、お前をハメようとした奴らがまとめて殺された、社会的にだ。もう生き返ることもねえだろうな。そんなことが出来るのは、白雪軍人以外に私は知らないね。直ぐに分かった」

 

「知りませんね」

 

「あっそ……ま、好きにとぼけてろよ。私はそう思うことにする」

 

「ご自由に」

 

「もちろん。ご自由にするさ。そのつもりだ」

 

 再び沈黙――

 には、ならない。

 

「なあ軍人」

 

 続けて訊かれた言葉のほうが、本題なのだと分かった。

 

 

「――恨んでいるか?」

 

 

 口を開く、よりも先に。扉の開く音。

 

「白雪軍人!」

 

「織斑先生……」

 

「貴様、今日一日でいったい何回私に怒鳴られれば気が済むんだ!?」

 

 かんかん(・・・・)な様子で現れた織斑千冬であったが、傍に立っていた村雨有理を目にすると、流石に声を抑えて、しかし剣呑な目つきは止めなかった。

 

「ここにいると誰に聞きましたか」

 

「山田くんだ! 部屋を訪ねたがお前は留守にしていたから……」

 

「なるほど」

 

「聞きたいことがある。答えろ、……あれ(・・)はお前がやったのか?」

 

 代名詞ではあるが。奇しくもその質問は、先ほど青年の隣に立つ女が口にしたのと同じ内容であった。間が悪いとしか言えない登場に、横からは気まずい雰囲気が伝わってくる。

 

「どうでしょうね……」

 

「おい!」

 

「マインスイーパってあるでしょう」唐突な言葉に、顔をしかめる織斑千冬(ブリュンヒルデ)。それを無視して、諳んじるように続けた。「あれと同じです。ゲームをしたいのなら、最低限のルールは理解しておかなくちゃだめだ。今の時代、どこに爆弾があるかなんて判らないですからね。気がつけば足元に地雷、なんていうこともありえない話じゃない」

 

「何を言ってる……」

 

「知らなかったじゃ済まされないということは、ある。そして今回、あの生徒は地雷を踏み抜いた……そうとは知らずに」

 

 白雪軍人は。小さくなった煙草を、宙へと弾き飛ばした。思わず目で追った織斑千冬の眼前で、

 

 炸裂(・・)する。

 

「なっ――」

 

 爆発(・・)閃光(・・)

 

 目が眩むほどの、一瞬。闇を照らし、浮かび上がる表情(・・)があった。しかし目を奪われていた女は、それに気付かない。即、闇。見えなくなる。溶けるように。

 

 灰さえも残らなかった。焦げた臭いも、流されてすぐに消える。初めから何もなかったかのように。

 

「……とまあ、そういうことです」

 

「な、なっ、……お前っ!」

 

「質問の答えは以上です」唇に指を当てて、微笑んだ。「トリックの中身は秘密。おやすみなさい織斑先生、隊長。そうだ、その髪型、似合ってますよ」

 

「おい待て――!」

 

 さっさと行ってしまう青年に、慌てて女のほうを一瞥した織斑千冬は、翻った足取りは荒々しく、屋上を去っていった――

 

 あとには沈黙と、女が一人。暗がりに佇んでいるだけである。

 

「……言うのが遅えよ。あと、()だよ……」

 

 風に吹かれた言葉が、届くことはない。

 

 村雨有理は。出て行った彼の後ろ姿に、かつての記憶を思い起こしていた。

 

 ――あの酷い夜の記憶。

 ――「ごめん」

 

 はだけた服を留め直し、部屋を出て行こうとする彼へ。女は絞り出すような声をして言った。

 

 最年少で「チーム」に加入した少年。最も謎に包まれた彼。大人ぶっていたが、子供らしい面もあった。衝突することはあれど、関係はむしろ良好なほうだった。

 

 ある任務の最中に「チーム」の三人が死んで、二人は生き残った。自分たちだけが、生き残った。彼は、そのときの片割れだった。

 

 ――自暴自棄に陥りかけていた。自分の判断ミスで彼らを死なせたと。あれが最善であると分かりながらも、認めることはできなかった。受け入れ難かった。

 

 少年は、それでも落ち着き払っていた。それをいいことに、女はその日の夜、子供のように彼に当たった。異常な状況下で、目を伏せる彼の佇まいは奇妙な色気――官能的なにおい――に満ちていて、女のなかの暴れ狂わんばかりだった破壊欲求がついに抑えきれなくなった。気付けば、彼を組み伏せていて。乱暴に服を破り捨てた。獣のように――

 

 すべてのこと(・・)が終わったあと。振り返ったときの、あの凍てついたような双眸を覚えている。

 

 ――「気にしないでください、別に。隊長は悪くありません。悪いのは、助けられなかった俺だ」

 

 違う。それは、違うのだ。悪いのは、誰がどう見ても私なのだ。なのに、どうしてお前が謝るんだ。

 

 ――「それに」

 

 ごめん。ごめんなさい。本当は、お前を傷つけるつもりは――

 

 ――「男だろうと、女だろうと、犯されるのには慣れてますから」

 

 誰も知らない最悪の記憶。戻れない過去。あの日、女は彼を傷つけてきた獣どもと同じことを彼に強いた。大切だった。仲間だと思っていたはずなのに。彼は、気にしていないというふうだったけれど。

 

 ――直ぐに立ち去るべきだった。なのに未練がましくも会話を続けようとした。

 ――恨んでいるか、だと? 馬鹿か、私は。恨んでいないはずないだろうに。

 

「………、」

 

 屋上を去る前、どうして彼はあんなことを言ったのか。いっそなじってくれたなら、少しは精神状態も違っただろうに。あるいは、それが彼の「復讐」なのか。無意識に、糸口を探ろうとしている自分に気がついて、罪悪感。思考から滲み出る浅ましさ。やましさが込み上げてくる。短くなった煙草をもみ消した。

 

 いよいよ夜も、冷え込んできていた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 結論から言えば。白雪軍人の名誉問題は一夜のうちに解決した。

 

 問題の週刊誌が出版された翌日には出版社の公式ホームページやツイッター上で「昨日発売されました週刊誌にて、男性教師の記事に関する不適切な内容がありましたことを深く謝罪致します」の文から始まり、一連の報道が「生徒」の一方的な視点で実際とは掛け離れた主張であったことや、記者側が「スクープ」を求めるあまり事実確認を怠ったがゆえに起こったことであると釈明し、担当記者を適切に処分し此度の週刊誌を自主回収したうえで、今後は再発防止に努めていくといった旨が発表されたことにより、女権団や一般人からの苦情は数日のうちに皆無となり、瞬く間に「白雪軍人」は世間から忘れ去られていった。

 

 ところで。ここまでスムーズに解決したのには、世間の関心が既に男性教師の事件よりも遙かに刺激的な「事件」のほうへと向いていたからという理由も後押ししていた。

 

「 人気化粧品会社社長 プライベートな性活 セキララ流出 」

「 女性権利団体 暴かれた闇 不正の数々 」

「 やりたい放題の女権団 代表、幹部ら逮捕へ 過去最悪規模の組織犯罪の可能性 」

 

 後日、話題の女権団に所属していた多くの経営者らは家族共々に社会復帰が不可能なレベルで「傷」を負い、二度と表舞台に現れることはなかった――なかには特殊(・・)な性癖を持った特別(・・)な客層向けのビデオに出演する者もいた――が、トップを挿げ替えた企業は多くあったものの、結局は「ViBi」を含んだそのほとんどが倒産を余儀なくされ、ある女尊男卑思想の生徒(のちに生徒ですら無くなる)がとある男性教師に対して仕掛けた「ゲーム」を発端とした騒動は、ついには世間の女権団への風潮にも大きな変化を生じさせることとなる……

 

 ともあれ。そんな動きには特に関心もない、白雪軍人はいつもと変わらない毎日を送っていた。

 

 朝早く起き、室内でトレーニング後、汗を流し、朝食を作り、スーツに着替え――

 

 午前の授業を終えると、昼は妹たちと屋上で食事し――

 

 放課後は授業のための資料作成などを終えると、ときに「企業」とも連絡を取りつつ、自室で一人かあるいは複数で夕食を摂り、シャワーを浴びたあとは、ストレッチで十分に身体をほぐし――

 

 夜はベッドに横たわって、ぐっすりと眠りにつく――

 

 そして。

 

 

 

 ――「悪夢」を見た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





 キャッチコピーは「大概悪人」。誰がラブコメするっつたんだよ!

 次回から「復讐篇」開始です。
 如何にして「彼」は「白雪軍人」と成ったのか――

 なお本作には過度な残酷描写が含まれます。
 ご注意ください。













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