セブンスターを喫う先生、あるいは黄金瞳の 作:ishigami
――誰かのために「
――三年前。初めて彼女と言葉を交わした。
◆
あるとき。
夕暮れどき。
ある交差点で。
人通りの無い静かな道で。
「やあやあこんにちわ、
「誰だ、お前」
「私? 私はねえ、
女がわらった。
「……篠ノ之束か?」
黄金を宿した左目が、瞬いて見返す。
女は奇妙な笑い声を上げながら近づいてくる。その「格好」も、やはり奇妙な出で立ちであった。
胸元を大きく開けた丈の長いエプロンドレス。
頭頂には人工物とみられる長耳が二つ――モチーフは兎か? ――がつけられており、近づいてようやくそれがカチューシャであると判じられる。しかし時折動くため、見た目通りの「飾り」ではないのだろう。
青年が事前に聞いていた通りであるのなら。
「そう。この間は箒ちゃんがお世話になったからねえ。お礼もかねて挨拶に来てみたんだよ」
「博士がわざわざお礼とは、街中でISに襲われた件についてですか。あれを単なるお世話とは、簡単に言ってくれる――しかし挨拶ね、箒から聞いていた人物像とは似ても似つかない殊勝さだ。さては本物の博士ですか?」
「あはははー、箒ちゃんは容赦ないからなあ。束さんは束さんだから束さんなんだよ? 束さん以外のやつが束さんを名乗ってもそいつは
「なるほどつまりは我思う故に世界で一人だけのウルトラ束ってことですか。真実はいつも一つだと」
「そういうことだよ! でも箒ちゃんはねー、それがツンデレの醍醐味なんだけどまだちょっとツンの時期なんだよねえ、ツンもいいけどデレも見たい、むしろデレ揉みたいあのおっぱいぱい!」
――なんだこいつ。
――予想外のぶっ飛びようだな……
「ねえ知ってる箒ちゃんのおっぱい中一なのにもうあの張り詰めんばかりのバストでしかもまだ成長途上なんだよ!? いくねー、このままだと確実に束お姉ちゃんのぱいぱい超えるねー、だけどそう簡単には負けないんだよ! 箒ちゃんのぱいぱいなんかに負けたりなんかしないんだから! くっ!」
「それで本題は?」
「おう……急に冷静な切り返しを受けたよちょっとびっくりだよ束さん。なんかちーちゃんみたいだよその視線……」
「はあ。そのちーちゃんさんも今の俺と同じ気持ちで博士のことを見ていたのかもしれませんね。なんだこいつ面倒くせえって」
「いやいやあれは愛だよー、愛ゆえの行動だから。人の頭つかんでガチに割りにきたこととかあるけどそれも愛ゆえだから」
「帰ってもいいですか」
「だいぶばっさり斬るよね君! 前フリって言葉を知らないのかなあ……それじゃあ束さん拗ねちゃうぞ、
「きーくん?」
「だって君って七星■■だもんね? だから、きーくん。それにしても……箒ちゃんの周りの奴だからって初めて君を調べたときには驚いたよ! 今回みたいに、ISをすり抜けて操縦者に傷を負わせるとかちーちゃんレベルで人間やめてることもそうけど、それ以前の、君の偽造工作にはこの束さんさえも騙されかけたくらいだ。じきじきに褒めてあげよう! まあ結局は見破っちゃったけどもね」
「何の話だ。俺は
「ノンノン、シラユキ・ムラト――そんな人間は存在しない。あるときパッと生み出された……『あるとき』、日本が
「別人だよ。……七星■■、あいにくと聞いたこともない名前だ。そいつを俺に聞くのはお門違いってものだよ博士」
「またまたあ、とぼけちゃって――お姉さんには通じないんだぞっ?」
「いいや違うね、何故なら」と、語気を強めた。笑顔のまま、博士が動きを止める。「
一歩、近づく。
「たとえ、もし、仮に、万が一、過去に
「ちょっと待った待ったあ! 別に私は君の過去を明らかにするつもりはないんだよ、君がどこでどんなゴミを掃除していようとも私には関係ないから! 私が言いたいのはそっちじゃなくて!」
「なら何の用だ」
「だから挨拶とお礼だって……君のことは知っていたけど、会うまでの理由はなかった。でも、今回のはいい機会だったからさ。それで、箒ちゃんのことを頼もうと思って」
「頼む? 依頼ってことか」
「違う違う、頼むって言っても何か具体的にしてほしいわけじゃないんだよ。ただ箒ちゃんの傍にいてあげてほしいんだ」
「………、」
「私はね、箒ちゃんのことは離れていても
――「篠ノ之束」は傍若無人で、規格外で、まさに災害のようで、人の気持ちが分からず、凡百の人間を見下している。
更識の情報でも、箒の発言からも。そうであるという認識を持っていたのは青年に限ったことではない、今なお世界中が探しているこの人物は「マッドサイエンティスト」の称号に相応しい存在であるはずだ。
――では目の前で妹の身を案じているこの人は、いったい何なのか。
「……博士は先ほど、俺が七星何某であると言いましたが。そいつは危険なのでしょう、仮に俺がその人物ならば、危ういとは思わないんですか、大切な妹の傍に置くことを?」
「君は敵なの?」
底冷えしたような眼差し。同一人物とは思えないほどの。豹変。
――ああ、そうか。
青年は内心で冷や汗をかく。もう少しで勘違いするところだった、と。
――どちらもそうなのだ。マッドサイエンティストとしての側面も、妹を案じる姉としての側面も。
好奇心と愛情。出力が規格外なだけだ、それ以外はほかの人間と変わらない。そう考えると、「篠ノ之束」の姿がはっきりと見えてくるような気もした。この短時間で、共感の意さえも湧いてくるほどに。
「いや……敵では、ないですね。家族、そうですね、そのようなもの、かな」
「敵ならこの場で消してる、今すぐにでも、ね。箒ちゃんを利用しようとしているつもりなら、そうする用意もあったけど……君は今までそうしてこなかったし、いま君が居なくなると箒ちゃんもきっと悲しむと思う。私は一度、箒ちゃんの世界を壊してる。もう一回やったら、たぶん二度と私のことお姉ちゃんって呼んでくれなくなるだろうね。それは――嫌だな」
「敵じゃありませんよ。箒は……妹みたいな存在だ。守るべき対象です。言われるまでもない、今まで通り、あいつのことは守りますよ」
「そっか」
「大切なんですね」
「そりゃあね。たった一人の妹だもん。
「分かる気もします」
「――ふうん?」
「意外ですか?」
「うん」
「質問を一つ。いいですか?」
「なに。つまんないのはやだよ」
「博士は……仮に人類と箒の命を天秤に掛けるしかない状況に陥ったとしたら、どちらを選びますか?」
「箒ちゃん」
微塵も躊躇いはなかった。
「二択しかないのならね。でも人類にちーちゃんが入るのだとしたら――ちーちゃんが人類に組するかどうかの議論は置いとくとして――助けるよ」
――やはり。この人は。
「本気で言っているんですよね」
「もち!」
「……博士」感嘆の息を漏らした。「俺は貴女を尊敬するよ。正直言って、羨ましいとさえ思う」
「うにゃ?」
女は目を丸くして、確認するように何度も瞬きした。
「ほんと? 本気で言ってる?」
「ほんと。もち、です」
「そんなこと言われたの初めてだよ……君、変わってるって言われない?」
「博士に言われたくないなあ」
互いの瞳を覗き込んで。
くつくつと。
わらいあった。
「やっぱり私の目に狂いはなかったよ……それにきーくんって、もしかして私とおんなじタイプの人間なんじゃないかな?」
「俺は博士ほど何でもはできませんよ。探究心も強くない。知らないことも、多い……」
「お世辞で言ってるんじゃないよ、私とまともに会話できるなんてちーちゃんくらいなんだから。私を僻むでもなく、怖がるでもなく、企むでもない。やっぱり変わってるよ。君に頼んでよかった」
「俺も、貴女と話せてよかったです。箒のことは、任されました」
うんうん、そっかそっか。女は頷いて。
満面の笑みを浮かべて身を翻してから、顔だけをこちらへ向けて言った。
夕焼けを背景に――
「その言葉、くれぐれも忘れないでよねきーくん。もし箒ちゃんを泣かせたりしたら……きーくんと言えども、そのときは」
殺すよ。
◇
「――へえ」
「これはなかなか、スキャンダラスだな」
向き合うPCの画面には、一枚の写真。
鞭を持ったボンデージ姿の女が、社長室と思しき場所で土下座している全裸の小太りの男の尻を、赤いヒールで蹴り上げたまさにその瞬間を記録したものである。
女は素顔であり、目鼻顔立ちは歪んだ笑み同様にはっきりと映っていた。それは、化粧品会社「ViBi」のホームページにて紹介されている女社長の微笑と危険なほどに一致している。
他にもある。ボールギャグを噛まされたやはり全裸の恰好の別の女が手足を柱に固定されている写真であったり、後ろ手に組まされ、酷い痣を作った女の顔をアップで撮影したものや、動画では、複数の女たちが罵声を浴びせながら拘束された男を囲んで殴る蹴るを繰り返し、男の、耳を塞ぎたくなるような悲痛な鳴/泣き声と、強いているらしい「ありがとうございます」の台詞が更に女たちを昂ぶらせるらしく、行為はますますエスカレートしていった。
「………、」
四〇か五〇くらいの男が。全裸で。女たちに執拗に嬲られて、嘲笑われて。汗と涙でぐちゃぐちゃになった顔。何度も踏みつけられる。ありがとうございます、と叫ぶごとに懸命に笑顔を作ろうとする。キモイんだよ、となじられるごとにありがとうございます、ありがとうございますと――
映像を停止した。
「は……、」
会社から入手した情報を足掛かりに、女社長の自宅PCへと侵入して調べてみたところ、けっこうなものを掘り当ててしまった。
これらを名前付きで公表すれば、会社や、女社長の地位は瞬く間に失墜するであろう。だが、それだけで終わらせるわけにはいかなくなった。
映像を見て、義憤に駆られたわけではない。男には、もしかしたらこうしなければならない事情があったのかもしれないのだ、たとえば事業に出資してもらうためにスポンサーの機嫌を取る必要があったからだとか――理由は、いくらでも考えつく。
だから。
これは、「義憤」ではない。
これは――
映像に触発され、忌々しい記憶が脳裏をかすめる。かつて清算したはずの「怨恨」が再び蘇ってきたからこその「決意」であった。
――ゴミカスどもが。犬のクソにも劣る虫けらどもめが。
冷静さを失ってはいない。やるべきことをやるだけだ。そして白雪軍人は必ずそのようにやり遂げるのだ。
データをコピーし、ハッカーは検索を再開する。
―――。
あらかた集め終えると、自宅のモデムから情報を抜きだし、今度は騒動のきっかけとなった少女のスマートフォンへとクラッキングを仕掛ける。
あっさりと侵入を果たすと、メールや保存されている動画類を一覧した。
「親が親なら、子もまた、そうか」
ぼろぼろに切り裂かれた体操着姿の少女が、トイレで女子たちに囲まれながら正座させられている画像。場所はIS学園ではないことから、中学生時代のものなのだろう。その後の展開は容易に想像できるものであった。
「まったく……
メールのなかには男性教師に関するものもある。どうやら他の学校の生徒と思しき相手からは、「あのクソ生意気な雄を奴隷にして泣きわめかせてやる」といった少女のメールに対し、同調するような返信が送られてきていた。盗まれるとは思いもしていない彼女らの「会話」を、白雪軍人は冷笑を湛えながら目で追うことにする。
暫くして――だいたいの「証拠」を揃え終えると、次は「ViBi」に投資している筋から辿って行きついた所属女権団幹部メンバー(いずれも会社持ち)の公的私的それぞれのPCへと侵入する。
惨状はこちらのほうが上であった。なにせ桁や規模が違う。「恐喝」、「詐欺」、「暴行」、「隠蔽」、「賄賂」――掘れば掘るほど湧いてくる不正を指示する証拠、隠語を使ってはいるが見る者が視れば分かる「麻薬売買」の遣り取り、そして挙句が履歴から判明した「殺人依頼」。調べてみると、メールに書かれていた
「………、」
もはや画面越しでも口を開くだけで穢れが入ってきそうな悪辣加減。物を言う気さえも失せるほどに
「下衆が……」
これだけの「証拠」がありながらもプロテクトがお粗末なのは、自分たちは万が一にも
――これからは違う。
心地よい「妄想」から引きずり下ろされ、冷たく薄汚い地べたを這いずり回って生きることになるだろう。白雪軍人は、ふつふつと腹の底で黒く
――「殺した方が世のため人のためって奴はどうしたっているもんだよ」
ああそうだそのとおり。死んだほうがいいやつは、確かに。いるよ。
――だが
こいつらは違うのか。問いかける。こいつらは、誰がどう見ても苦しんで死ななくちゃだめな奴らじゃないのか。
これまでも問いかけてきた。本人ではない、記憶のなかのあの男に。何度もそういう場面があった。よく知った街のなかでも、異国の砂漠の地でも。そのたびに、回答は同じだった。
記憶のなかのあの男は答えない。何故ならその正体は白雪軍人の考えを投影したものに過ぎないからだ。
青年は。自分自身がどうしたいのかを再確認し、それから表向きは「事故死」した男性の遺族を想った。
「―――」
息を吐く。もう一度。ゆっくりと深呼吸をする。
瞑っていた瞳を、開いた。
「作戦を変えよう」
当初の予定であった不正を暴いて失脚させて牢屋に入れるという案を、取りやめる。
――こいつらを、この下衆どもを。牢獄の如き「安全」を保証された場所に閉じ込めて、それで終わりになどしてやるものか。
◇
決定してしまえば。あとは速やかに実行された。
世界の軍事ネットワークに並列でクラッキングを仕掛けてミサイル二〇〇〇発以上を日本に発射させるような腕前の「博士」に褒められるくらいの力量を以てすれば、
まず行なったのは女権団幹部たちの口座から資金を移す作業。調べ上げた銀行口座から、海外に開設した「ラビットフット」名義の
次いでゴシップ系から硬派な路線と種類を問わず、一〇〇近い「ニュース」を扱う雑誌の出版社に「女社長のスキャンダラスな性活」と題したメールを同時に送信。添付した画像や映像は言わずもがな「性活」の証拠もろもろであり、縛られていた女性や跪かされていた男性の顔には人相が判らないようモザイクをかけてあった。
そして送信先の中には、今回の騒動で一役を担った出版社の名前も含まれていた。この一社にだけは「記事」を指示した証拠のメールと共に、世界的に有名なハッカー集団の名前を騙り「真実を捻じ曲げて報じるのがメディアの仕事であるというのならこちらにもそれなりの考えがある。公然と侮辱し世間を扇動しようとした罪は重いが、男への
それから間もなく「ViBi」ホームページの管理者権限を奪取してサイトを乗っ取ると、白いスーツ姿で微笑している女社長の写真の直ぐ下に大画面で
ページジャンプすると、既に改竄されて
これだけでは終わらない。
履歴から調べ上げた各々の取引先や親しい間柄の相手のスマートフォン/PCに、「本当の私をみて」というタイトルでサイトに公開したのと同じ動画や画像を送り付けた。これによって関係者らは今後、二度と彼女らと関わりを持とうとしなくなるか、あるいは脅迫のネタとしてこれを有効に活用するべく頭を巡らせるようになるであろう。
当然のことながら、元凶たる少女も例外ではない。スマートフォンが着信した新たなメールを――タイトルに怪訝そうな顔をしながらも――開き、自分の母親がボンデージ姿で鞭を振るっている映像を目の当たりにした彼女は、いったい何を思うだろうか。同じ頃すぐ傍では、彼女の友人が、少女の過激な内容のメールと少女の母親の衝撃的な格好を目の当たりにして、それからどんな行動を取るだろうか。
仕上げとして。女権団に対して不満を持つ人たちの「掲示板」に両方のサイトのリンクを貼り、これを拡散するよう広めた。暫くしてサイトのアクセスカウンターを見直すと、桁数は狂ったように跳ね上がっていた――
「さて」
総仕上げに。事故死した「男性」の妻のPC宛に、これまでの女権団の「不正」を証明する「大容量データ」をまとめて送りつけた。メッセージも添えて。
復讐の剣はあなたの手に。
選ぶのもあなた――
白雪軍人の今回の目的は。あくまでも名誉の回復、及び指示した企業への報復である。決して悪党の粛清ではない――偶然の発見に始まり、こうして「手段」を用立ててやったまではいいが、肝心の「復讐」は、しかるべき人間にのみ許された「権利」であることを忘れてはいなかった。直接の「大義」を持たない白雪軍人が横から出張って
たとえ遺族が刑事事件として明らかにしたことで他の女権団から復讐の標的にされかねなかったとしても――公表する、しないにせよ――最終的に決断するのは、遺族以外にはありえなかった。
とはいえ。万が一、本当に標的にするようだったら、個人的な動機から、そのときは
――それくらいの支援なら、お節介には当たらないだろう。
これにて報復作戦は終了。
PCの電源を落とす。肩と首を回した。こきり、と音が鳴る。くきり。
ソフトパッケージから振って出し、咥えた。携帯型空気清浄機を起動。慣れた手つきで指を鳴らす。
着火。燃え上がる音が収まると、ゆるやかに紫煙が立ち上る。
喉の渇きを覚えた。
珈琲を注いで、ベッドに腰掛けるとくつろぎ体勢を取る。ぼんやりと煙を眺めてみる。
「………、」
もしかすると、罪悪感のようなものに襲われるかもしれないと心の何処かで構えていたものの、そんな気分にはならなかった。疲れただけだ。汚いもの、くだらないものを見て、ただ……、疲れを覚えた。
静寂。微かに、清浄機の駆動音が紛れている。それ以外には何もない。
「………………、」
暫く、ずっとそのままでいた。
我こそは「スーパーハカー」。