恋ガイル。   作:羽田 茂

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『大学生活』で投稿していた内容に、砂糖と練乳ぶち込んで短編に仕上げました。

そして、私の連載作品『大学生活』を読んで頂いていた方々には、最後に残念なお知らせがあります。


比企谷八幡と雪ノ下陽乃の話。

 

 

輝かしい(笑)高校生活も気付けば過去の産物となりつつある。

 

高校卒業後、親父に家から追い出された俺は、1LDKのアパートの一室を借りて生活していた。

別にボロ安いアパートでも良かったのだが、小町が遊びに来るのでやめた。

しかし……小町まであちら側に付くとは思わなかったよ。お兄ちゃん信じてたのに、私とは遊びだったって事なのね!うおおん!

 

当然の事ながら、大学生になったからといって俺の何が変わるワケでも無い。

ボッチ気質は相変わらずだし、学内でも材木座以外とはほとんど喋らん。

まぁ、だからといって学外は別に……。高校時代交流があったアイツらと疎遠になったかというとそういうワケでは無いし。

まぁ、それはどうでもいい。

 

とにかく、大学一年生としての生活も残り僅かとなった。

 まだ二月ということもあり、冷たい風が葉の付いていない木々を微かに揺らしている。

 お正月も一月前に終わり、周囲はヴァレンティヌスさんの命日を面白おかしく楽しんでいた。実に不謹慎この上極まりない。

そんなカップルの皆さんには是非とも爆発四散して頂きたいモノです。バッドバレンタイン!アーメン!!

 

 一人でラーメン屋に寄り、背脂の入りまくったギタギタラーメンを腹一杯味わった帰り道。俺はそんな事を考えながら散歩をしていた。

 普段なら通ることも無いであろう裏路地に入って少し冒険をしたり、スマホで野良猫の写真を撮ったりする。そんなボンヤリとした、目的意識の無い時間が実に心地良い。

 

 そこで、ふと公園の入り口が目に止まった。

 

 折角だからここも散歩してくか。

 

 そう思い、俺はその公園に足を運ぶ。

池の周りをぐるりと円で囲んだような造りで、定期的に掃除でもされているのか、ゴミ一つ落ちていない。

 今時ここまで綺麗な公園は珍しい。もう少し暖かくなったら戸塚達と来てみるのもいいかのしれん。

 

 そう思いながら、ふらふらと散歩いていると、気付けば赤かった夕暮れはほぼ薄墨に染まり、所々に星が覗き始めていた。

 

 ただでさえ肌寒かった空気が更に冷え込み、思わず身震いをする。

 

「……そろそろ帰るか」

 

 首元のマフラーをグイッと引き上げ、俺はそう独り呟く。

 そして、大きな池の外周をトテトテと歩きながら公園の出口に向かう。そこで。

「ん…?」

気になるものを見た。

人だ。

ベンチの上で体育座りをするように、膝を手でぎゅっと抱きしめながら座り、しゃくりを上げるかのように小さく肩を跳ねさせている。

その顔は膝の間に埋めてしまっており見えないが。ただ、男性からすれば長い髪とロングスカートで、その人物が女性だと分かった。

 

うぉお…面倒くさそうな臭いがぷんぷんする……。

だが。

「ハァ…」

 俺は小さく溜息を漏らし…ベンチに向かう。

 

残念ながら俺はそんな状態の人を見てみぬフリを出来るほど、強固なメンタルはしていない。そんなことをすれば飯が不味くなるのは目に見えている。

 我ながら面倒な性格だと思う。まぁ、そんな自分のことは嫌いじゃ無い。寧ろこの中途半端に優しいところなんて大好きだ。俺まじ八幡菩薩様。

 

俺が正面に立っている事にすら気付かず、女性は絶えず嗚咽を漏らしている。

 

俺はそれにもう一度嘆息し、息を思いっきり吸い込む。

そして、声を掛けようとしたーーその時。

 

 

「ひ…きがや……く…ん」

 

 

弱々しい声が鼓膜を震わせた。

 

 その声

 え……?今の言葉。今の声。でも……そんな馬鹿な。

 

「雪ノ下さん……?」

 俺はそう無意識のうちに、その名前を口に出していた。

 

「え?」

 人物が顔を上げこちらを見る。

予測可能回避不可避というのはまさにこのこと。きっと俺は今までの人生の中で一番驚いた顔をしているだろう。そして、彼女も。

 

「比企……谷……くん?」

 

 そう、嗚咽を漏らしていたのは、常に顔に分厚い仮面を貼り付け、不敵な笑みを見せ、彼女を知る者から魔王とさえ呼ばれて、畏怖されていた雪ノ下さんだった。

 

 彼女の顔も俺同様に驚愕に染まっており、俺の顔を見ながら、ぱくぱくと口を開けたり閉めたりと繰り返していた。

しかし、すぐにその顔がぐにゃっと歪み、泣いていたのだろう、ただでさえ赤い彼女の瞳から、再びぼろぼろと大量の涙が溢れてきた。

 

 雪ノ下さんが泣いている。

 

その光景に驚きのあまり俺が固まっていると、

 

「え…?うぉッ!?」

雪ノ下さんが突然俺の胸に顔を埋めるように、勢いよく抱き付いてきた。

 

「ひき……うぅ…ヒグっ……ああうッ…」

 

 彼女は俺のコートを握りしめながら再び嗚咽を漏らし始める。

 その姿があまりにも儚く見えて、俺は無意識のうちに雪ノ下さんの背中に手を回し、そっと抱きしめていた。

 

 やってしまってから気付く事の重大さ。

 

 俺なに雰囲気に呑まれて魔王様抱きしめてんの?

 

 雪ノ下さんも顔を上げ、きょとんとした表情でで俺を見てきている。

 その顔は涙の所為なのか微かに赤い。

 

 俺は死を覚悟しする。

 ああ、お母様、カマクラ、そして小町。お兄ちゃんはもう帰って来ないかもしれませ。先立つ不孝をお許し下さ。

 

 

「……助けて」

 

…え?

「……ねぇ……比企谷…くん……。……助けてよぅ………」

 

 冷水をかけられたかのように、頭が冷めていく。

 まさか、あの雪ノ下さんがここまで弱ってしまうような大きな出来事があったのだろうか。

 

 いや、そんなこと今いくら考えた所で答えは出ない。

 それよりも今すべきことは………。

 

 思考が冷静になってから気付いたが、彼女の体は酷く冷く、よほど長い時間、冬風に晒されていたと推測できた。

 

 このままでは確実に……いや、既に手遅れかもしれないが……、体調を崩してしまう。今すぐ、どこか暖かい所に移動するべきだ。

 

 運が良いことに、俺の住んでいるアパートがここから大体1キロくらいの距離にある。雪ノ下さんをおぶってでも15分程度で着くだろう。何気におぶることを前提で考えているのは、今の雪ノ下さんは歩かせるのも憚られるほど弱ってるように見えるからだ。だから、他意は無い。無いからな?嘘じゃないよ。

 

 俺は陽乃さんの肩を掴み、体から引き剥がす。

 すると陽乃さんの目が驚愕に一瞬見開き、すぐにその顔が深い絶望に歪んだ。

 

 しかしここで彼女の心配をして、立ち往生しているわけにもいかない。俺はそんな顔をさせてしまった罪悪感を抑え込み。素早く要件を伝える。

 

「雪ノ下さん、あなたを今から俺の住んでるアパートに連れて行きます」

 

 その言葉を聞いた雪ノ下さんの顔に深い安堵が浮かぶ。

 

「うん……」

 彼女は何度も首を縦に振る。その姿はまるで幼子のようだ。

 俺は雪ノ下さんから完全に手を離し、彼女に背を向け屈み込む。

 

「………比企…谷くん?」

「乗ってください」

 

 その言葉で雪ノ下さんは俺が何を言いたいのか理解し、おずおずと俺の背中に身を預けてきた。

 そしてその顔を俺の背中に擦り付け、埋めるるようにする。

 

 俺は背中に当たっている柔らかい二つのメロンをできるだけ意識しないようにしながら、アパートに向かって歩き出す。

 

 歩いてる最中も嗚咽は聞こえてきた。

 

 俺の背中で揺られているうちに、再び感情が溢れ出したようだった。

 本当に彼女が俺たちが知っている雪ノ下さんだろうか、そう疑ってしまうほど弱々しい。その姿に強い庇護欲が湧いてくる。

 

 歩いていると、次から次へと色々な憶測、妄想が頭の中を行き交う。

 

 気が付くと、雪ノ下さんから嗚咽は聞こえなくなっていた。

「寝ってしまったのだろうか」と思っていると、

「」

後ろからぽしょりと小さな声が聞こえた。

 

 今何と言ったのだろうか。

 そう思ったが、俺は聞き返したりなどしなかった。きっとそれは無粋な行為だろうから。

 

 

 ふと夜空を見上げる。

 冬の澄み切った空には、点々と輝く星が見えた

 

 

 

 

  ×   ×   ×

 

 

 

「………ありがとう、比企谷君。ごめんね…、お風呂まで借りちゃって」

 

 陽乃さんが俺のシャツ一枚だけ着て洗面所から出てきた。

 普段の俺ならここで、いかにも童貞らしく、顔を真っ赤にして慌てるのだろうが、今はとてもじゃないがそんな気分ではなかった。

 

 そんな俺の雰囲気を察したのか、雪ノ下さんがふざけた表情を蔵い俯く。

 それを見届け、俺は口を開く。

「雪ノ下さん」

 

「何かな?」

「いつ帰るんですか?」

 

 その問いを聞いた瞬間、何を想像したのだろうか、陽乃さんの表情が恐怖と怯えで歪んだ。

 いつもの分厚い外面がまるで着けれていない、コレでは一般人以下どころか下手したら小学生以下だ。

 

「いや、別に今すぐ出て行けーみたいなことではありませんから」

すぐさま俺は自分の発言のフォローに入る。

彼女のあんな表情を見せられていると、良心がキリキリと痛んでキツイ。

 そのフォローの甲斐あってか、雪ノ下さんの表情から恐怖と怯えが抜けた。

 

 しかし、今度はその表情が曇り、口をもごもごとさせ始める。

 何か言い難いことでもあるのか、しきりに何かを言おうとするように口を開きかけるが、すぐにまたその口を閉じるということを繰り返す。

 

 その行為を繰り返す度に、少しずつ彼女の表情に焦りの色が出始めた。

 

 とりあえず、一度彼女をリラックスさせたほうが良いかもしれない。

「雪ノ下さん」

 俺が一度そう彼女の名前を呼ぶと、彼女はビクッと肩を跳ねさせた。

 そんな彼女に近づき、その頭をそっと撫でる。

 

 雪ノ下さんはそんな俺にぽかんとした顔をしていたが、すぐにその瞼を閉じ、気持ち良さそうに目を細めた。

 

 日々小町に鍛えられていたお兄ちゃんスキルを、まさか魔王相手に使う日がくるとは……。

 いや、今の彼女を魔王と言うにはあまりにも違和感が…。

 

 しばらく撫で続けていると、おずおずと雪ノ下さんが俺の服の端っこをぎゅっと握り締めた。

そしてとゆっくりと口を開く。

 

「しばらくは帰りたく無い………の」

 

 大きな語弊を生みかねない彼女の言葉。

 

「そうですか…ならしばらくここに住みますか?」

 

 俺はそう返す。

普段の俺からは考えられない強気な言葉。何なら自分自身が今の自分を信じられないまである。

 

 案の定雪ノ下さんは、これでもかと目を大きく見開きながら、俺の顔を凝視する。断られるとでも思っていたのだろう。

 

「……君本物の比企谷君?まさか偽物?」

 

 酷い言われようだ。

 

「本物ですよ……まぁ、アレです。…落ち着くまでずっとここに住んで貰って構いません」

 

 俺はそう言いながら、そっと自分の手を彼女の手に重ねた。

 するとまたも彼女の顔が驚愕に染まる。

 

 今日の雪ノ下さんは何故かよく驚く顔をする……あらら、とっても不思議。と、そんな白々しい事を思う。

 

 

「それじゃぁ……お言葉に甘えちゃおうかな…」

 彼女はしばらく顔を俯かせ黙っていたが、しばらくすると顔をそっと上げ、そう上目遣いで言った。

 

 白く縮こまった身体は、薄氷のように、今にもひび割れて壊れてしまいそうだと思ってしまう。それ程までに今の彼女は儚く見えた。

 

 俺が黙ってしまうと、会話は途切れてしまい、聞こえてくるのは二人の微かな心臓の音と、小さな呼吸音、そして衣服が擦れる音のみとなった。

 沈黙の中で、俺は今日の自分自身の行動を振り返る。

 

 ああ、言われなくても自分が一番理解している。まったく今日の俺は俺らしくない。そんなこと俺が一番分かっているのだ。

 てか何だよ「しばらくここに住みますか?」だって?いったいどこのチャラ男だよ。戸部でもそんな歯の浮ついた台詞言わねぇぞ。

 あ、ヤバい何か死にたくなってきた。

 

いや死にたいとか…そういうのじゃないな……。

 

いや、ホント何ていうか。…そう。

 

 ………死にたい。

 

 今頃になって自分の行動に脳内ダメージを受け始め「うおぉ…」と小さく呻いていると、ふと雪ノ下さんが言った。

 

「聞かないんだね。何があったのかとか、どうしてなのか……とか」

 

 本人は俺に聞こえないくらいの声量で呟いたのだと思っていたのだろうが、難聴主人公素質など微塵も持っていない俺の耳にはその呟きは届いてしまう。

 

「雪ノ下さんが聞いて欲しく無さそうな顔してたんで」

 なんて情けない台詞だろう。

 

「そう……」

 

 彼女はそう短く返すと、俺の肩に寄りかかってきた。

 それ以降お互い何も喋らず、沈黙が続く。

 

 ふと時計を見ると、その秒針がちょうど十二を通り過ぎ、再び一から時を紡いでいくところだった。

 

 その針はこれからも回り再び十二の文字を指すのだろう。その姿はまるで変わっていないように見えて、その実中身は大きく変わってしまっている。

 

 それがまるで、今の俺と彼女のようだと、そう感じた。

 

何年もの空白は、少しずつ俺との彼女の内側を変えていった。

 

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 

 気付くと、肩の方から「すぅ…すぅ…」と規則正しい寝息が聞こえてくる。

 

 どうやら寝てしまったようだ。

「…いよっと」

俺は彼女をベットに移動させようと、抱き上げる。

 

…だが、そこで一つの壁にぶつかった。

 

 

 待て……どうやって寝ればいい?

 

今季節は冬だ。これをまず皆様に再確認して頂きたい。……皆様って誰だよ。

 そして、この部屋にはベットが一つしか無い。もちろん布団、毛布、枕……その他もろもろも予備や来客用など無い。一人暮らしなんだ、だから当たり前だ。

 

 つまり俺は雪ノ下さんと同じベットに入らなければならないというワケだ。

 

 うん、何言ってんだお前。ソファで寝りゃいいだろという案も分かる。

 だがそれは無理な話だ。

 

 もう一度言おう。今は冬だ。

 そんな季節にソファで何も掛けず寝た日にゃ間違いなく凍って死んでしまう。

 一枚借りて寝れば、生き延びることは出来るかもしれんが、俺も雪ノ下さんも風邪をひいてしまうだろう。

 

 Q・E・D…証明終了!結論、俺は雪ノ下さんと寝るしかない。

 

……終わった………今度こそ俺の人生詰んだぜ。……どうしよう…。

 

 ベットの前で立ち往生していると、体に食い込んだ俺の腕が痛かっただろうか。

雪ノ下さんが眠そうに目蓋を擦り、目を開けた。

 

「ん…比企谷くん?」

 

 あ……コレはヤバいわ。

だってほら、今の状況。…お姫様抱っこ。

 

 いっそ彼女をこのままドーンとベットに投げてしまおうかとなどとアホなことを考る。

だが、すぐにその思考を頭を振ることによって霧散させた。

 

 いかんいかん、テンパりすぎて頓珍漢なこと考えちまってる…。

そんなことしたら死ぬぞ俺。踏み止まって良かった……。

 

 彼女は寝惚け眼で俺の腕の中で、しばらく脚をぷらぷらさせていたが、意識が覚醒してくるにつれ、その顔が真っ赤に染まっていく。

 

「ねぇ、比企谷くん」

 

「ひゃっ!ヒャい!!」

「何で私は今君にお姫様抱っこをされているのかな?」

「あ、あの…それはですね……。ベットに運ぼうと……」

「それともう一つ……比企谷君の部屋には見たところベットの布団以外に布団らしきものが見当たらないんだけど、……今日どこで寝るつもりだったのかな?」

 

 顔を俯かせながら彼女が言ってくる。状況判断速すぎでしょこの人に、やっぱ魔王だわ。

きっとその下には意地悪そうな顔をしているのだろう。てか、いや、そうじゃなくて。

 

……詰んだ。

 

 俺詰んだー。思ったより早かったー。ええい!!殺せぇ!!もう煮るなり焼くなり好きにしろよチクショー!

 

「はぁ……。比企谷君。降ろして」

「さ、さー!」

 俺は出来るだけゆっくりと彼女を降ろす。

そして、降ろし終わると、脳内自暴自棄気味な俺に雪ノ下さんが命令した。

 

「……じゃあ今から10分間以内に部屋の電気を全て消して、先にベットの中に入って寝てなさい。」

 

 俺は彼女の有無を言わせぬ迫力に、コクコクと情けなく首を縦に振る。

 

 だって怖いんだもん……!仕方ねぇって………!!

 従順に従う俺に、雪ノ下さんはどこか安堵したような顔を作り、

 

「覗かないでね」

 

 とそう言ってから、脱衣所の方へ消えていった。

え…?

てっきり社会的制裁。…はなくてもそれなりに弄られ、罵倒されると思っていたのだから、拍子抜けだ。

一体何だったんだ……。怒ってないのか?うんむ。謎。

 

 その後、俺は雪ノ下さんに言われた通りに、部屋の明かりを一つ一つ消し、布団に入る。

 

 冷てぇ…。

 布団の中身を温めていると、脱衣所の扉がぎぃ…と開く音が聞こえ、それに続くように雪ノ下さんの足音が聞こえてきた。

 どうやら壁伝いにきているようで、その足音は遅い。少し助けを出してあげるか。

 

「雪ノ下さん、コッチですよ」

 

 俺は彼女を誘導するように声を発する。すると、彼女の足音のペースが少しだけ上がる。

 別段広い部屋でも無いので、すぐに足音は俺のベットの前まできた。

 

 そして俺のベットにそろそろと入ってくる。

 

 まぁ、なんとなく読めていたが雪ノ下さんは俺と同じベットで一夜を共にすることにしたようだ。

 ワザと誤解するような言い回しを脳内で使いながら、雪ノ下さんに背を向けるように体を回す。

 

 ………気まずい。分かってたけど全然寝れねぇ。

 

 流石に童貞歴=年齢の俺に、雪ノ下さんみたいな美人と同じベットで寝るというイベントはキツすぎる。明日、俺死ぬんじゃないかなぁ……。

 人肌が当たって背中がすごい暖かい。しかも甘い匂いが……。くう……静れ!俺のグングニル!

 

 そんなことを考えていると、雪ノ下さんがもぞもぞ動き出した。

 柔らかい二つのなにかが背中に押し当てられる感触。

 

 え……

 ヤバい!ヤバい!ヤバい!やびぃ。待ってくれ待ってくれ!!

 もしかして……いや、もしかしなくても雪ノ下さんブラしてないよね!?

 

 いくら理性の化け物って言われてても、俺も男の子なんですよ!もっと警戒して下さい!!

 

 俺が頭の中でパニックを起こしていると、突然雪ノ下さんが小声で話しかけてきた。

 

「比企谷君……起きてる……?いや、起きてるよね?

 何も言わなくていいから。今から言うのは全部独り言だから……だから聞いて」

 

 ゆっくりとした、それでいて真剣な雪ノ下さんの声に、頭の中の熱が引いていく。

 

「私ね……今日お見合いだったの」

 

「お見合い自体は今までも何度もあったんだよ。でもね、初めてだったな。お見合いで私がつまらないと思わなかった人に会ったのは………。」

 

「比企谷君は知ってると思うけど、私つまらない人間が大ッ嫌いなの。だから、その人だったらいいとも思ったんだよ。なのに……」

 

「その時頭の中に君の顔が浮かんだの……。そしたら……っ」

 

「私……っ、私っ」

そこで、彼女は言葉を殺し、黙り込んだ。

 

その後、何があったのかは分からない。

……分かりたくも無かった。

 

微かに震える肩。

 

嗚咽を殺すような呼吸。

 

俺の胸元を強く握る手。

 

 突然、雪ノ下さんが俺の頭を掴んで自分の方へ捻ってきた。

「うぉっ!?」

 予想外の出来事に驚き、間抜けな声が出る。

 

「何なんですか」そう言い終えるよりも速く、雪ノ下さんが俺の上に覆い被さるようにし、俺の頬に両手を置き、

 

 そして、そのまま強引に唇を奪われた。

 

「んっ……」

 初めは啄むようなキス。

 

しかし、次第に彼女の息が熱を含み始める。そして気付けばただ自らの感情をぶつけるような、荒々しいキスに変わっていた。

 

吐息が熱い。

 

何度も唇を離し、またくっつけては、舌を捩込まれる。

そしてめちゃくちゃに口の中を掻き回された。

 

 彼女のキスはお世辞にも上手いとは言えない。

それでも、彼女は貪る様にに俺にキスをする。

 

その姿を見てふと思った。

彼女は擦り切れたのだ、と。

 

 一体いつから彼女は人に信頼されるように、……人に信頼される人間であるように求めらたんだろうか。

 

完璧であることを、雪ノ下陽乃であることを求められ続けてきたのだろうか。

そんな俺ごときでは想像もつかないような、期待に、重圧に、彼女は今まで耐え抜いてきたのだ。

 

 弱い自分を誰にも見せまいと、感情を必死で糊塗し続けたのだ。

 

 そして、そのお見合いで何があったのかは分からないが、ある日突然、彼女の仮面は壊れた。

 

今まで長い年月を掛けて作り上げたその仮面の内側にはどれほどの感情。

無理矢理堰き止められっていたその感情は、決壊したダムのように一気に流れ出、彼女を押し潰した。

 

 彼女には流れ出た感情を止める術が無かったのだ。強者であり続けたがため、その術を持つ必要が無かったのだ。

 

 だから容易く感情に押し潰されてしまった。

 

 

ここまで全ては、ただの妄想でしかない。

だが、それが間違ってはいないだろうと不思議な確信があった。

 

 どれくらいそうされていただろうか。雪ノ下さんが俺から唇を離す。

 

その口からは月明かりに照らされ、糸が引いていた。

 

確かキスで糸が引くのは、相手、もしくは互いがが性的に興奮しているから、とかなんとか葉山に聞いたなぁ、とどうでもいいことを思い出す。

 

「比企谷君……」

 そう俺を呼ぶ声は震えている。

 

「抱き締めて」

 

 仰せの通りに。

俺は頭の中でそう呟き、彼女を強く抱き締めーー。

 

手のひらから伝わる感触に違和感を感じた。

 

「え?……」

待て。

 

 

待て待て待て待て待て。待って!?

 

 

 

「ゆ、雪ノ下さ……ん?」

 

柔らかいスベスベとした感触。しかし、その表面はしっとりとした汗が滲んでおり、俺の手をかすかに濡らす。

 そう、俺の手の平から伝わってきた感触は生肌だった。

 コレって…ブラを着けていないだなんてそんな生易しいものなどじゃ無いよね?

 

恐る恐る陽乃さんを見る。

 

 

 闇に慣れた目で、その顔は真っ赤に染まり、目は何かの期待に満ちていた。

 

「好きだよ。比企谷君」

その一言で俺は、理性の化け物はあっさりと落とされた。攻略された。

 

 

 

 

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 

 

 

それから時は流れ。

彼女と夜を共にしてから、既に一ヶ月が経とうとしていた。

 

だが、あの日以来あの人とは会えていない。

別れの言葉すら無く、彼女は俺の前から消えてしまった。

 

あまりに突然の事だった。

俺は雪ノ下に、小町に。葉山に。全員に頼み込み彼女の事を探した。

だが、誰一人として彼女の行方を知る者はいなかった。

 

雪ノ下家に直接乗り込もうとした事もあった。

しかし、結果は最初から見えていた通り、ただ無様に追い出されただけだった。

 

それが嫌で、嫌で。陽乃さんの親族である雪ノ下に何度も頼み込んだ。

 

しかし、ある日突然。

「良い加減にして、こんな茶番に付き合わされる私の身にもなりなさい」

そう溜息と共に冷たく突き離された。

信じていた仲間からのその言葉は、俺の心を飲み込み、ズタズタに引き裂いた。

 

もう、何一つ打つ手が無い。

 

薄暗い部屋のソファで俺は一人頭を抱え座り込み、一人呟く。

「陽乃さん……」

会いたいです、貴女に……。

 

結局、俺は恋した女性一人守る事さえ出来なかった。

奪われたのだ。

 

弱々しく俺の胸で泣いていた彼女の姿が脳裏にフラッシュバックする。

あの日、陽乃さんは間違いなく俺のモノだった。それが他人に奪われた事に対する醜い独占欲が、内側からぼちゃりぼちゃりと溢れ落ちる。

行き場の無い感情は膿の様に俺の内側に溜まっていく。

 

声にすればその欲求は膨れ上がってしまう。その分だけ虚無感が俺を襲う。

 

それでも、その名を呼ばずにいられなかった。

「陽乃……」

もう一度会いたい。

 

「もう一度貴女にーー」

 

 

 

 

 

「比企谷君!もぎ取ったよ!」

 

突然大きな音を立てた開け放たれた玄関の扉から、大声が聞こえた。

それは俺が今最も会いたかった…彼女の声で…。

 

「え…?」

え、何で此処に居るんだ?何で貴女が…。

 

固まる俺を余所に、陽乃さんは軽やかな足取りでこちらに近づいて来る。

 

「ちょっと比企谷君…、聞いてる?」

「え、あ…いや。聞いてるも何も。…え…?」

 

そこでやっと現実に理解が追いついた。

 

「何で陽乃さんが此処に!?そもそも、もぎ取ったて何を!?」

 

「えーそりゃー、何をもぎ取ったてそりゃ、

 

 

君との婚約に決まってるじゃない」

 

俺はポカンと口を開ける。

一体何を言っているんだこの人は。

婚約?俺と?いや、誰と?

 

固まった俺に痺れを切らしたかのように、陽乃さんが言う。

「だーかーらー、君との婚約だって!!」

 

いや、マジで待って下さいって!そもそもアナタ、婚約も何も…。

 

「婚約って……陽乃さん…。お見合い…、あの話はなんだったんですか!?」

「え?断った」

 

何を当たり前のことをと、キョトンとした顔で陽乃さんが言う。

その物言いに、俺はコメカミを押さえた。

 

いや…。どういう事?じゃああの夜の涙は何だったの?

そもそも、婚約って…。いやいや、それよりもこの一ヶ月が何してたんだこの人。

 

低い声で呻る俺の肩を、陽乃さんが思いっきり掴む。

「まぁ、説明してあげるから聞きなさい!」

 

この一ヶ月間、彼女はずっと雪ノ下家と戦っていたらしい。

お見合いでの婚約破棄の為に。俺との結婚を認めさせるために。

 

雪ノ下家である雪ノ下雪乃にもその話は伝わっていたのだろう。そりゃ雪ノ下がああ言うワケだ。

そして、ひと月。遂に彼女は母親に俺を認めさせる事を成功した。

と、いうのも彼女の母親が俺の事に興味を持ったからだったのだそうだが…。陽乃さんは一体何を吹き込んだのだろうか。

 

最後に、俺に何も告げず出て行ったのは、声を聞けばきっと甘えてしまうから、だそうだ。

 

それを聞いて、俺は深い嘆息を吐き出した。

 

「……っ、もしかして呆れちゃったかな…?」

上から陽乃さんの息を呑む様な声が聞こえる。

 

ん…?何か面倒くさい勘違いして無いかこの人?

 

「そうだよね、よく考えたら比企谷君はそんなつもりで私を抱いたワケじゃ無いかもしれないのにね…。勝手に婚約って……はは、私ったら舞い上がってバッカみたい…。イヤ……、だったよね。勝手に決められて」

 

顔を上げると、目を潤ませ、今にも泣き出しそうな陽乃さんの表情があった。

 

何をしているんだ俺は、今目の前に最愛の人がいるんだ。

「イヤじゃ、無いです」

そうだ、比企谷八幡は細かい事なんて気にしていても仕方がない。

 

俺は彼女の頬にそっと手を添える。すると、彼女はピクンと肩を跳ねさせた。

もう片方の手を彼女の背中に回す。

 

そしてーー。

 

「陽乃さん…いや、陽乃」

彼女が息を呑み、潤んだ瞳で俺を見る。

そして、絞り出す様な声で言った。

 

「……はい」

彼女は目をきゅっとキツく閉じ、返事を待つ。

 

 

 

 

 

「愛してる……、俺と結婚してくれ!」

「っ………はい!」

 

「…うおっ!?」

抱き着かれ、ソファに押し倒される。

俺も、暖かい温もりを二度と離さぬように強く抱きしめ返す。

 

唇と唇が優しく触れ合う、

「比企谷…君っ」

まるで映画のワンシーンの様な、キス。

 

「愛してるよ!!」

まるで向日葵の様な笑顔でそう言った彼女に、

 

「俺も愛してます、陽乃さん」

俺はそう返し、

 

 

再びキスをした。

 

 

甘い、甘いキスを。




どうも茂です。

手短に言います。
私の連載していた作品『あまりにも、比企谷八幡の大学生活は賑やか過ぎる』を連載終了とさせて頂きます。

理由としましては、『大学生』この設定を私が上手く扱えきれなかったという点です。
書きたい内容に対して、足枷になる。高校生の内容を書くことが出来ない。

その為作業が滞り、中途半端な状態の作品が少なからずあります。
その一例として、「夏の怪談大会」という作品などが挙げられます。

と、まぁ。
その様な理由で『大学生活』を断念する事にしました。
その点のご理解をお願い致します。

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