巨木──などという言葉では言い表せないほど巨大な、世界を覆い尽くさんばかりの大樹。その大樹が、平和な大地を破らんとしていた。
そのオークの胴体ほどもある蔓や根が、まるでそれぞれが意志を持っているかのように、縦横無尽に動き回る。その度に平和な森は荒れた大地に変わり果て、山は破れていく。動物や亜人達は住処を追われ、故郷を捨てていった。
しかし逃げたところで、その先にあるのは破滅。
世界の終わりである。
無慈悲に、また死が振り下ろされた。
もうダメだ。助かる術はない──誰もが諦めたその時、立ち上がった者達がいた。
それぞれ装備はおろか、種族さえ統一されてはいない。
だが──しかし──彼らはまさに阿吽の呼吸で、世界を覆い尽くす大樹と渡り合った。
振り下ろされた死を、はたして、伝説級の魔法が込められた装備で身を固めたドワーフが受け止めた。
世界を覆い尽くす大樹が一瞬動きを止めた。その瞬間、一陣の風が吹き抜ける。
──いや、違う。それは風ではない、人だ。
巨大な純白の天使の様な羽が生えた人間が、ハヤブサのように羽ばたき、世界を覆い尽くす大樹を切り刻んでいく。
同時に下では、オークも見上げるほどの大男が大剣を爪楊枝のように軽々と振り回し、蔓や根を細切れにしていった。
死の臭いのする黒いローブを纏った痩せ細った男が杖を振るえば、死の嵐が吹き荒れた。死の嵐は死者を味方につけ、生者を枯らした。
だが最も注目すべきは、一騎当千の豪傑達
彼らを指揮する、黄金の姫騎士。彼女があって初めて、かの者達は世界を覆い尽くす大樹と渡り合う事が出来たのだ。
彼女は黄金の風となり、戦場をかけながら味方達に指令を飛ばしていく。
その指示を疑う者はいない。みなその指示に自らの命を託し、その通りに動く。
そしてそれは正しい。
誰の目から見ても明らかに、彼女の指示は正しかった。役割も種族も何もかもバラバラな彼らが、まるで意志を持った一つの動物のように、統一された動きを見せる。
やがて彼らの爪が、牙が、世界を覆い尽くす大樹の喉元に食らいついた。大樹は木とは思えない巨大な断末魔を上げながら、ゆっくりと枯れていった。
そしてその頂にある万病に効く薬草を、黄金の姫騎士が剥ぎ取った。
民衆から、万雷の拍手と地を破るほどの歓声が湧き上がった。
彼らはそれを実に堂々とした態度で受け止める。
そこにはまさしく、英雄がいた。
【十三英雄英雄譚:第3章第2節】
「クライム、訓練に行くぞ! ……なんだ、またその本を読んでんのか」
「はい。自分の憧れですから」
同僚であるガガーランに呼ばれ、クライムは読んでいた本──十三英雄英雄譚を閉じた。
良いところではあったが、これから仲間達との合同訓練だ。読書にばかりかまけていられない。
ガガーランの逞しい背中を追う形で、クライムは城壁の上を歩き出した。
もう十何年も昔の事である。
黄金の姫ラナーに拾われたクライムは、まず初めに教養を身につけた。
なにせクライムは、何の教養もない捨て子。簡単な計算や、文字の読み書きすら出来なかったのだ。それでは例え護衛であっても、王族に仕える者としてはあまりにお粗末だ。
その教育の一環として、この本を読んだ。各地に散らばった魔神達や八欲王の負の遺産を狩る、十三英雄達の英雄譚だ。
クライムはこの本を読んで以来、強烈に英雄譚に憧れるようになった。
そもそもこの本が発行されたのは古く、その内容も誤りがあるところが多い。
例えば途中で出てくる死霊魔術師は、痩せ細った男ではなくシワシワの老婆だったとか、世界を覆い尽くす大樹は民衆の前で倒したのではなく、こっそりと裏で倒したとか、そもそも著者は人ではないとか、色々な指摘がされている。
だがクライムは、一つだけ信じて疑わない事がある。それはこの本に出てくる、黄金の姫騎士の存在だ。
間違いなく、彼女は実在した。
クライムはそう確信している。
何故なら、クライムが仕える彼女は、その生き写しとも言える存在だからだ。
黄金の姫、またの名を戦場の黄金塔──ラナー・ティエール・シャルドルン・ライル・ヴァイセルフ。彼女こそ、クライムが仕えるリ・エスティーゼ王国の第三王女である。
ちょうどクライムが英雄譚に憧れ始めた頃のこと。ラナーは突如、その才能を爆発させた。
腐敗し切った貴族達の弱み──例えば帝国に情報を売っていたブルムラシュー候の取引の証拠など──を抑え、かの鮮血帝ほど過激ではないものの、瞬く間に貴族達を“整理”していった。
帝国と繋がっていたブルムラシュー候と、六大貴族の中でも権力と人間性が最も低かったリットン伯は爵位を剥奪され、一時期は四大貴族になった。
今現在は戦士長ガゼフ・ストロノーフ──改め、ガゼフ・ストロノーフ伯と、アズス・アインドラ伯を加えた新・六大貴族となっている。
武力に自信があったボウロロープ候がストロノーフ伯に時たまちょっかいを出す事はあるが、平民に強く支持されていたストロノーフ伯は、今では立派な貴族として他の貴族にも認められている。あくまでラナーの強力な後押しがあって、の話だが。
また軍隊が無かったリ・エスティーゼ王国だが、ガゼフ指揮の元、五つの戦士団が作られた。
バハルス帝国の騎士団の様にマジックアイテムを装備している戦士達──とはいかないが、王国最強であるガゼフ・ストロノーフによって鍛えられた騎士達だ。昔王国が帝国との戦争のたびに用意した農民の寄せ集めの軍隊とは、天と地ほども違う。
ラナーの功績はこれだけにとどまらない。
王国領内の街と街の間にしっかりとした石路をひき、治安の維持を貴族達に厳しく命じた。またこれまでは貴族の土地から別の貴族の土地に行くには関税が掛かっていたのだが、それを全て廃止した。
これにより、バハルス帝国に流れていた商人達が、リ・エスティーゼ王国へと徐々に流れ始めた。
またラナーは親友であるラキュースに呼びかけ、神殿とも仲を深めている。神殿と仲を密にする事は、かの鮮血帝にも出来なかった事だ。
ラキュースは名の知れた貴族、アインドラ家の娘だが、今では貴族としてよりもむしろ、その武勇の方が有名である。
彼女は「英雄」の領域にいる神官戦士だ。
死者さえ復活させる程の信仰心を持った彼女を、いくら頭の固い神殿といえど無下にする事はできない。
幼い頃、そのお転婆のあまり冒険者になろうとまでした彼女を、親友であるラナーがスカウトした。国を変える手伝いをしないか、と。
はたしてラキュースはそれに同意した。
世界の果てを見に行く事にも憧れたが、それより親友と共に身近な所を整理する事を選んだのだ。
それとラキュースも『十三英雄英雄譚』の熱心な読者だった。
もしラキュースが冒険者になっていれば、変態的な趣向を持った忍者の姉妹や、かつて「
現実として今の彼女は、その身を国に捧げる騎士だ。
ともかくそれ以来ラキュースは、ラナーの近衛兵として働いてきた。今ではラナーの近衛兵団団長を務めている。
クライムはガガーランの逞し過ぎる背中から目を外し、城壁の上から街を見下ろした。そこではいたる所で工事が行われている。
娼館を始めとした「八本指」と呼ばれる裏組織の建物を壊し、その代わり孤児院や魔法学校を建てているのだ。
次世代の育成。
ラナーが手がけている改革の一つだ。『貴方の様に、平民から素晴らしい人材が出る事もあるでしょう』──ラナーはそう言った。
次世代の育成はきっと上手くいく。何故なら、自分がその体現者だからだ。
武術の才能もなく、頭も良くない。そんな自分がこうまでなれたのは、一重にラナー様の教育の賜物だ。そうクライムは考えている。
事実、それは正しい。
孤児院や学校で配布されているラナーが作った教材は、遥かに文化が進んでいるはずのバハルス帝国やスレイン法国のモノを凌駕している。
魔法はラナーの専門ではないため帝国のそれに一歩劣るが、それでも数年前までを思えば天と地ほどの差だ。
ブルリと、クライムは体を震わせた。
自分が敬愛して止まない主人の功績を思うと、いつも背筋がゾクゾクする。血が湧き、肉が躍る。自分も何かお役に立ちたい、その想いがとめどなく心の奥底から溢れてくる。
それはまるで、ずっと憧れていた英雄譚を目の当たりにした少年の様だ。
事実、そうかもしれない。
間違いなく、ラナーは伝説となる。それは十三英雄のそれと同等か、あるいはそれ以上──クライムはそう確信している。
あの『十三英雄英雄譚』を初めて読んだ時、いやそれ以上の興奮を、ラナーを見るたびにクライムは覚えた。
城下から目を離し、ガガーランの鍛えすぎて背筋が鬼の形の様になっている背中を見直す。
妬ましい、ついそう思ってしまう。
クライムに武術の才能はない。どれだけ鍛えても、ガガーランの様な肉体にはなれないだろう。
だからこそ、クライムは己を鍛え続ける。才能で劣る自分が唯一勝てるものがあるとすれば、それは鍛錬に費やした時間だけだ。
やがて二人は訓練場へと着いた。
昔の訓練場と比べると、格段に質が良い。
先頭に立つガガーランが訓練場の木製扉を開けようとした瞬間──“カッキキキンッッ!!!”──一瞬で何度も剣を擦り合わせた様な、そんな金属音が中から聞こえてきた。
クライムがその音に一瞬ギクリとする中、ガガーランは特に気にした様子もなく扉を開ける。
中で戦っていたのは、リ・エスティーゼ王国第一戦士団団長ガゼフ・ストロノーフと、そのライバルである第二戦士団団長ブレイン・アングラウスである。
ブレインは元々「死を撒く剣団」というならず者達の集団に属していたが、ラナーの王国周辺の大掃討により「死を撒く剣団」は壊滅。
ブレインは「死を撒く剣団」壊滅後も一人戦い続けたが、最後にはガゼフとの一騎打ちの末敗北、捕縛された。
捕らえられたブレインは最初処刑されそうになったが、ガゼフの進言をラナーが聞き入れ、王国戦士団にスカウトした。それ以来、ガゼフと定期的に決闘するという条件の元リ・エスティーゼ王国で働いている。
ちなみに、ラキュースにもコテンパンにされた事があり、ガゼフに勝った後はラキュースだと企んでいる。
再び二人の剣がぶつかり合う。ガゼフの〈四光連斬〉をブレインが〈即応反射〉と〈流水加速〉でかわし、返す刃で反撃する。ガゼフはその一撃をかわさず、あえて鍔迫り合いになる形で受けた。
無理な姿勢で受けたため骨が悲鳴を上げ、筋肉が軋むが──〈即応反射〉と〈要塞〉でなんとか立て直す。
技も速度も関係ない、力での押し合いになれば有利なのはガゼフ。鍔迫り合いからのガゼフの強烈なタックルに、ブレインは吹き飛ばされ勢いよく壁に激突、背後の壁に蜘蛛の糸状の亀裂が走った。
それを長年の経験から好機と見たガゼフは、剣を握る手に力を込め、武技〈戦気梱封〉を発動させる。微光が刀身に宿った。
〈六光連斬〉
加えて、ガゼフオリジナルの大技武技をも発動させる。光る刀身が分裂し、六つの刃と化す。他にも〈流水加速〉や〈即応反射〉など──計七つの武技を同時に発動させていく。
王国最強と呼ばれるガゼフでも、一度に発動させられる武技は精々七つが限界。つまり、今がその状態だ。
対してブレインが使用した武技はたった二つだ。
壁に打ち付けられたことで肺から酸素が抜け、スタミナ切れで多くの武技を発動させられないということもあるが、ブレインの場合その二つで完成されている、というところが大きい。
自らの剣の間合いにのみ意識を集中する事で、その世界の全てを知覚するオリジナル武技──〈領域〉。
剣の天才と呼ばれた彼が、その才能の全てをその一撃にかける事で生み出した不可避の武技──〈瞬閃〉を更に超えた知覚不可避の絶技──〈神閃〉。
この二つを持って秘剣──虎落笛!
「はああぁぁぁあああ!!!」
「ちぇすとぉ!!!」
クライムには何が起こったのか分からなかった。それは何もクライムがよそ見をしていたとかそういうわけではなく、単純に二人の動きがクライムに知覚できる速度を超えていたのだ。
気が付いた時には、二人の剣は根元から折れていた。
「はっ!」
刀身が僅か20センチくらいになった剣を、ブレインが振るう。
剣が折れれば長さはもちろん、重さも変わる。しかしブレインは平時と何も変わらぬ挙動で、その短くなった刀身を使いこなしていた。
手のひらにマメができ、そのマメすらなくなるほどの気の遠くなるような鍛錬。それがこの離れ業を可能にしていた。
「ふん!」
同じく折れた剣で、ブレインの刃を止める。ガゼフとて、ブレインに勝るとも劣らないほど鍛錬を積んできたのだ。
受け止めたガゼフの剣と、振るった方であるブレインの剣にもヒビが入り、とうとう刀身全てが砕けてしまった。
「チッ! やれやれ、ちょっとノッてきたら直ぐこれだ」
ブレインが柄だけになった剣を怨みがましい目でみた。
本来ブレインが使っている剣──『神刀』であればこの様な事にはならないが、なにせ今は訓練。あの切れ味の良すぎる剣を使うわけにはいかない。
そのため刃を潰した訓練用の剣を使っていたのだが……普通の剣では「英雄」の領域に片足を踏み込んだ彼らの動きについていけず、直ぐに折れてしまうのだ。
どうやらかなり早朝から鍛錬をしていたようで、二人の足元には無数の剣の破片が散らばっていた。もしかすると、昨日の夜から徹夜かもしれない。
「よう、おはようさん。オレっち達も混ぜてくれよ」
「おはようございます、ストロノーフ様、アングラウス様。今日もご指導ご鞭撻、よろしくお願いします!」
気軽なガガーランに、真面目なクライム。二人の挨拶は対象的だ。
ガゼフ戦士長然として、ブレインは秋空の様な笑顔で返した。この二人も対象的だ。
これでそれぞれ仲が良いのだから、人の相性とは分からないものだ。
「よし。なら次は三つ巴と行くか」
「チーム分けは俺、ガゼフ、ガガーランとクライムでいいな……?」
「オレっち達が二人かよって言いてえけど、実力的にしょうがねえか」
「自分は問題ありません」
ガガーランは強い。
少なくとも、クライムでは決して手の届かない領域にいる。しかしそのガガーランよりも、ガゼフとブレインは強い。
その“個”としての差を“数”で埋める。
数は利だ。
腕は二本でも、持てる剣は一振り。同時に二人から攻められれば、なす術はない。
──となれば良いのだが。
ガガーランとクライムの挟撃を、ブレインは〈領域〉によって知覚することで最小限の動きで避ける。
ガゼフに至っては〈六光連斬〉により、二人以上の手数で斬撃を放ってくる。
だがガガーランも負けてはいない。鉄壁の武技〈要塞〉すら突破する必殺技──〈超級連続攻撃〉を放ち、瞬間的にとは言え、二人と互角に渡り合う。そしてその隙を、クライムがつく。
ガガーランは確かに“個”としての力は二人に劣るが、こうした連携プレーでの戦いが上手かった。
「はあ、はあ、はあ……」
銃数分が経った頃、この中で最も体力のないクライムの動きが鈍り始める。それを見逃す「英雄」達ではない。
ガゼフが放った鋭い一撃を受け、クライムは部屋の端の方まで吹き飛ばされた。
そうなれば必然“数”の利がなくなったガガーランが劣勢になる。
〈超級連続攻撃〉の息継ぎの間を、ブレインが完璧なタイミングでついた。ガガーランは吹き飛ばされ──進行方向にいたガゼフに激突する。
ブレインはひとっ飛びでガゼフとガガーランの元まで飛び、床でもみ合いになっている二人の喉元に剣を押し当てた。
「俺の勝ちだな」
ブレインが剣を押し立てたまま告げる。
ガゼフとガガーランは、降参とばかりに剣を手放し両手を挙げた。そこに来て初めてブレインは笑顔で剣を捨て、ガゼフとガガーランに手を差し出した。
「すまん。……集団戦に強いな、ブレイン」
「ああ。武者修行をしてた頃は、一対一の真っ向勝負よりも、大人数に奇襲されることのほうがずっと多かったからな。ま、慣れってやつだな」
加えて、ブレインには〈領域〉がある。この武技は人数の差を埋めてくれる。
「ありがとうございました!」
一番早くに脱落したクライムが、タオルを渡しながら礼をした。
ガゼフはポンとクライムの頭に手を置き、ブレインは笑って見せた。
「お前もお疲れ、相棒!」
ガガーランが後ろから抱きつく。
女性に慣れていないクライムは──ガガーランが女性かと言われると、ほんの少し首を傾げるが──慌てて振り払おうとして、それは失礼じゃないかと思いとどまり、結局奇妙な顔をして突っ立った。
ブレインはそんな光景を和やかに見ながら、ふと思い立ち、今日ここにはいないもう二人の団長のことをガゼフに聞いた。
「残りの二人はどうしたんだ、サボりか?」
「お前じゃないんだ、そんなわけないだろ。第四団長殿はスレイン法国に使者として向かわれた。第五団長殿は「八本指」のアジトを襲撃しに向かわれている」
「おい、おい。それもそっちが良かったぜ。お前との訓練も悪くないが……やっぱり俺は戦場にこそ身を置きたい」
そもそも俺は、王家に仕えるなんて柄じゃないんだ……とブレインのいつもの愚痴が始まった。
だがガゼフ知っている。ブレインが実はとても部下に慕われていることを。なんでも、面倒見がとても良いそうだ。
ふと横を見れば、クライムが複雑そうな顔をしていた。
ああ、こっちもか。
クライムは誰よりもラナーの役に立ちたいと思っている。今回戦場に行くのに選ばれなかったことが、己の実力不足が歯痒いのだろう。
(だがまあ、第四団長殿の方は謀、第五団長殿の方は汚れ仕事だからな……)
両者とも、クライムに向いている仕事ではない。
そういえば、そろそろ第五戦士団が「八本指」のアジトに突入する頃か……
◇◇◇◇◇
クソがっ!
第五戦士団団長──ゼロは心の中で悪態をついた。
ラナーの改革の数々。それを裏で支えてきたのは、誰であろうゼロだ。
なにせあれだけの大規模改革。長期的に見れば結局の収支はプラスだが、初動には膨大な金がいる。その金の出所は、何を隠そう「八本指」なのだ。
数年前、ゼロはラナーに取り引きを持ちかけられた。金さえ出せば、自分が天下を取った暁には「八本指」に様々な“利益”を与える、と。
「八本指」は一枚岩の組織ではない。むしろ互いに争っている方が多いほどだ。
ゼロの「八本指」での序列は第二位で、彼は前から第一位の座を狙っていた。王族とのパイプを作ったとなれば、その地位は固い。
かくしてゼロは「八本指」の金を秘密裏に横流しした。そして重要な場面になって──ラナーに裏切られたのだ。
ゼロも馬鹿ではない。
それを予想していなかった訳ではないが──知略でラナーに上を行かれ、武力でラキュースに上を行かれたのだ。
「八本指」の金を横流しした挙句、何の利益もあげられなかったことが発覚すれば、間違いなく「八本指」をおわれることになる。
崖っぷちに立たされたゼロに手を差し伸べたのは、崖っぷちに立たせた張本人であるラナーだ。
曰く、ゼロを高い金で雇う、と。
今度もまた騙される可能性はあったが……どの道ゼロに他の手段はない。また断ったところで、今度こそラキュースに殺される。
まったく、悪魔のような──いや、魔王だ。あの女は魔王そのものだ。
そこからゼロの人生は更に狂いだした。
最初は小さな裏切りだった。
ゼロはラナーに命じられ「八本指」の小さな拠点を破壊した。今度はそのことを盾に、もう少し大きな拠点の襲撃を命じられた。ゼロは従うしかない。
そこから徐々にエスカレートしていき、今では王国の戦士団を率いて「八本指」の本部を潰して回っている。
そもそも「八本指」に“何者か”がゼロがラナーに命じられるまま「八本指」の拠点を襲撃している、と「八本指」達の幹部に密告したため、ゼロに帰る場所はもうない。
その上戦士団団長として表の世界でこれだけ有名になってしまったのだ、裏の世界の住人としてさえ生きてはいけないだろう。
「いよいよっスね」
「……ああ」
なーにがいよいよだ。
今からゼロが率いる第五戦士団──通称ならず者部隊は、これから「八本指」の麻薬栽培施設を襲撃する。
ゼロ以外の団員は知らないことだが、ここで育てている麻薬は焼却処分されるのではなく、バハルス帝国に格安で売られる。
そうすることで帝国の国力を削ぎ、同時にラナーの懐も潤う。
何か発覚した場合は「八本指がやったこと」とでも言えばいい。あの魔王なら、口八丁だけで誤魔化せるだろう。
無論「八本指」もラナーが「八本指」名義で麻薬を売っていることを把握しており──ラナーが故意に情報を掴ませているのだが──ゼロと「八本指」との溝はより一層深くなった。
たださえ望まない方向に行くばかりなのに、その上最近では“こいつら”を見張らなくてはならない。
ゼロは振り返り、戦士というよりは山賊のような見た目をしている、己の部下達を見た。
リ・エスティーゼ王国の戦士団は、ほとんどが農民上がりと元冒険者で構成されている。その例外とも言えるのが、ゼロの部隊──第五戦士団だ。
第五戦士団は団員のほとんどが囚人や野盗、ならず者といった者達で構成されている。それをまとめ上げるのが、ゼロの役目だ。
もしこいつらがゼロの手綱を離れ、何か悪行を働いたときは、あの魔王が喜んでゼロの首を切り落としに来るだろう。
それ故ゼロは、自分の団員の面倒を精一杯見ていた。とてもじゃないが、ラナーを陥れる準備をしたり、八本指」の幹部に返り咲く策を練っている暇はない。
クソがっ!
ゼロはまた一つ悪態をつきながら、「八本指」の麻薬栽培施設を襲撃した。
◇◇◇◇◇
ドウシテコウナッタ?
第四戦士団団長──エンリ・エモットは心の底からそう思った。
自分は、ただの村娘だったはずだ。お父さんとお母さんと妹のネムと四人で一緒に畑を耕して、いつかは良く働いてくれそうな人を旦那さんに貰って……いつかは村の中で老いて死ぬ。
そんな人生を送るはずだったはずだ。
それがどうしてこんな事に──
「お待ちしておりました、エンリ・エモット様」
「い、いえ! そんな畏まっていただかずとも大丈夫です!」
「とんでもございません! エモット様は王国からの賓客、またこの国にも貴女様を慕う者は少なからずおります! そんな貴女様を無下にすることなど、どうしてできましょうか! エモット様が御自愛の心を持って私どもと平等に接しようとされるそのお心だけで、十分にございます!」
エンリの案内役である男は、恭しく礼をした。
エンリは単純に気まずさから畏まらないで、と言ったのだが、どうも男は間違った意味で受けとったようだ。
スレイン法国の最深部。
エンリが進む道には真っ白なカーペットが敷かれ、その横をこれまた真っ白な修道服を着た者達が頭を下げて控えている。
その先にあるのは、巨大な純白の大聖堂だ。
なんでもこの大聖堂にスレイン法国の民以外が入るのは、エンリが初めてだそうだ。
他にも子供の名付け親になってくれと言われたり、祈らせてくれと懇願してきたり、握手を求められたり──ただの村娘だったエンリには荷が重すぎる仕事ばかりだ。
始まりはなんだっただろうか。
トブの大森林でたまたま傷ついた『森の賢王』を発見、看病して懐かれたことだろうか。
あるいは『森の賢王』と共に、侵略してきた『東の巨人』と『西の魔蛇』を倒し、従属されてしまった時だろうか。
あるいは三匹の魔獣と一緒に農作業をしていたところを王国周辺の大掃討をしていた王国の戦士団に発見され、強大なビーストテイマーと勘違いされた時だろうか。
あるいはそれがたたってあれよあれよと囃し立てられ、リ・エスティーゼ王国の戦士団を率いることになってしまった時だろうか。
あるいはかたすとろふ何ちゃらを探しに来たスレイン法国の人達に、ゆぐどらしるぷれいやーなるナニカと勘違いされた時だろうか。
──やめた。
もう何がなんだか分からない。これ以上考えても、時間の無駄だ。
とにかく今は、この場を切り抜けなくては。
「エンリ、エンリ。頑張って!」
「う、うん」
昔は友人──今は部下のンフィーレア・バレアレがそっと囁く。
ンフィーレアは第二位界までの魔法が使える魔術師としての才能と、「あらゆるマジックアイテムが使用可能」という稀有な
ンフィーレアは最初錬金術師としてその道を極める事を理由に断ろうとしたが、ラナーと何らかの取り引をして結局戦士団に加入した。
それ以来ずっとエンリの部隊にいる。心強い事に、最近では何処に行くにもンフィーレアが一緒だ。
まあなってしまったものはしょうがない。力強い味方もいることだし、頑張ってみますか!
エンリは気合を入れ直し、スレイン法国との会談に臨んだ。
◇◇◇◇◇
全てが順調だ。
笑ってしまうくらい、予定通り。
ラナーは国の頂点で、そっとほくそ笑む。
ラナーは元々、他人には一切の興味を持たない人間だった。いや、人間かどうかも怪しい“ナニカ”だ。
そんなラナーだが、ある日気まぐれで死にかけの少年を拾った。
あまりに純真無垢なその少年を見るうちに、ラナーはその少年に愛着のようなモノが湧いた。
まったく他に興味を持たぬ者が、何かに興味を抱いてしまえば、それにのめり込むのは速い。
ラナーはクライムに、異常なまでの愛情を注ぐようになった。
もしクライムが「誰にでも優しい、慈悲深きお姫様」に憧れていれば、ラナーは「誰にでも優しい、慈悲深きお姫様」になっていただろう。
しかしクライムが憧れたのは「圧倒的な知略で世界に革命を起こす黄金の姫騎士」だった。だからラナーは「圧倒的な知略で世界に革命を起こす黄金の姫騎士」になったのだ。
戦うために腐った王国を整備し、戦うための相手──バハルス帝国を焚きつけた。
ただでさえ有力商人の強引な引き抜きに業を煮やしているバハルス帝国の鮮血帝。今頃あの皇帝は、麻薬を送り込んだのが「八本指」ではなくラナーであることに気づき、憎悪に燃えていることだろう。
次のカッツェ平野での戦いには、間違いなく全力を出してくる。
皇帝と仲の悪く、ラナーと仲の良い神殿からの情報で、帝国の動きは筒抜けだ。
横槍を入れてくる可能性があるスレイン法国には、既に“餌”を与えてある。精々勘違いをして、そっちにばかりかまけているといい。
その間にラナーはクライムの眼の前で戦場を駆け抜ける。
バハルス帝国を潰した後は、スレイン法国だ。
既に布石はうってある。エンリの部隊に入れることを条件に引き入れた、ンフィーレア・バレアレ。彼にスレイン法国の最秘宝「叡者の額冠」を装備させ、それをバハルス帝国の逸脱者、フールーダ・パラダインに見せる。
彼はその効果に取り憑かれ、スレイン法国へ攻め入るだろう。それと同時に、王国もスレイン法国に攻め入る。
ここまでしても、おそらくスレイン法国には勝てないだろう。
しかしそれでいいのだ。
ラナーは勝つために戦っているのではない。クライムに戦っているところを見せるために戦っているのだ。その結果どれだけの人が死に、人類の守り手たるスレイン法国の弱体化によって人類が滅びようと、知ったことではない。
ラナーの望みはただ一つ。
自らを戦場を駆け抜ける黄金の姫だとクライムに思わせたまま、彼に鎖をつけて飼うこと。それさえ叶えば、他はどうでもいい。
そろそろでしょうか……? ラナーがそう思ったちょうどその時、ラナーの背後の扉が四回ノックされた。
訓練を終えて汗だくになったクライムが、言いつけ通りそれを拭わず真っ直ぐにここに来たのだ。
ラナーは悦楽で歪みそうになる顔を必死に抑えつけ、作戦を考える軍師のような顰めっ面を代わりに浮かべて、クライムを歓迎した。
落ちもなく唐突に終わり!
この話は続きません。1話だけのネタです。
嵐で予定がキャンセルになったから、テキトーに1話だけ書きました。
この後はラナーを暗殺に来た忍者姉妹と、ラナーの身辺警護をしていたラキュースとクライムが戦ったり、
カジット&クレマンティーヌをみんなでけちょんけちょんにしたり、
ザイトルクワエを殺しに来たツアー(鎧)&リグリッド&キーノちゃんと漆黒聖典、ガゼフ&ブレイン&エンリが鉢合わせて三つ巴になったり、協力してザイトルクワエ殺したり、
カッツェ平野でハゲ帝の毛根をみんなで根絶やしにしたり、まあそんな感じ。
また嵐で予定がキャンセルされたら書きます。