前回のあらすじ。
サイコパスと戦った。
それだけ。
……あの後はどうなったかと言われると途轍もなくあっけない展開となったのだが、なんとあのすぐ後にフウマがフウを発見し、そのまま修羅場となったのであった。
今、その一部始終を描写して行こうと思う。
「あ、あれ!?お兄ちゃん!?ちょっと、睡眠薬は――」
「そんなことはどうでもいいんだよ!お前は何故こんなことをしたかを聞いているんだ!今すぐ言わないとその包丁でテメェをぶっ刺してやろうか!?」
フウマは、久々に――いや、自分でも見たことがないほどに怒っていた。
こんなに大声で、怒りで顔を歪ませ、しかも実の妹に向かって「ぶっ刺す」という物騒極まりない言葉を使うフウマは見たことがない。
自分がもしフウマの立場だったら、妹の実態を知って逃げていたと思う。
「…ご、ごめんなさい…あ、あの、許してください…」
そして、ついさっきまでのサイコだったフウは、涙を滝のように流しながら正座をしているのだった。
ちなみに我は、そんな二人をただ見つめることしかできなかった。
というのも、展開が急すぎて脳の処理が追い付いていないからだ。我の脳は今絶賛ハングアウトしている。
要するに処理落ち。
「…次こんなこと起こしたら、どうなるか分かっているよな?」
「あ、は、はい」
「じゃあとっとと俺の部屋で寝ろ!俺はこれから魔王と話があるんだ!いったいった!」
「…あ、えっと、すいませんでした」
…こ、怖っ。
あんなにフウが弱気になってしまうのも気持ちがわかる。
というか見つかった瞬間もう既に涙を流しかけていたし。
「…さて」
階段を上って言ったフウを見送って、フウマが口を開いた。
「大丈夫か?ケガはないか?」
「…あ、はい、大丈夫です」
さっきのシーンを見てしまった我はフウマに対してちょっとした恐怖意識を植え付けちゃったみたいなので無意識に敬語になってしまう。
「怖かっただろうな。実は、最初フウを知らん顔していた理由は、もう一つあるんだ」
「…?」
「特定の人物を溺愛するあまり、精神に異常をきたしてしまう」
フウマはちょっぴり切ない顔で、そう言った。
その感じを見る限り、フウマはもう既にフウの性質を理解しているのだろう。我がフウマならもうこの空間にすらいなかったということか。
「俺はあちこちの精神科に連れて行き、解決策を得ようと試みたが、それも無駄足に終わり」
唯一得られた策と言ったら、フウマ自身が人に好かれないこと。
それは人間にとっては残酷で、フウにとっても十分に酷な策であった。
「ちなみに、何であいつが他人の体の栄養摂取量が具体的に分かるのか知っているか?」
「…え、知らないけど」
「……あいつは、恋人を亡くしたことがあるんだとよ」
死因は栄養失調。
フウは恋愛に対して不器用だったらしく、自分の彼氏を喜ばせようと自分の手料理を毎日のように作っていたら、エネルギー不足で死んだらしい。
なんとタンパク質しか摂らせてなかったそうなのだ。
しかも、その彼氏の家は貧乏で、晩御飯もまともなものが食えなかったらしい。
「だから、アイツは恋愛に対して、異常なほどの執着を見せるようになった」
「……え、栄養の話は?」
「ああ、忘れてた」
「…」
ついさっき話題の種にしたものを忘れるなよ。
「なんか…自分でもよくわからないんだが、悪魔と契約したって話を本人から聞いたんだよな…」
「はぁ!?」
「最初は俺もそれを笑い飛ばしてたんだが、他の原因がわからない以上、何だか本当のことに思えてきてな…」
…にわかには信じがたい話だ。と、言いたいところだったが我という存在のせいで説得力がまるでなくなっているという悲しい現実。
「それ、いつの話なのさ?」
「…まあ、結構最近だったような……2か月前、だっけ?」
…我がちょうど、フウマに拾われた日に近い。
考え過ぎっていう可能性もあるが、この出来事と我には何かの関係が…?
もうすこし情報を探っていこう。
「悪魔の名前とか、知ってるか?」
「…いや、そん時聞き流していたからあやふやなんだが、確かジャガノっていう名前だったような気がするぞ…?」
「……うん、なるほど」
合点がいった。
「…よし、ちょっとそいつと交渉してくる」
「おい!?」
靴を履いて外に出ようとする我を、フウマは呼び止める。
「え、ええ、えええ?嘘でしょ?そんな面識もない正体も分からないましてや名前もあやふやな奴と交渉してくるなんて、唐突にもほどがあるぞ?」
「何言ってる。そんな状態だったらまず交渉してくるなんて言わないさ」
「…え、じゃあということは?」
「面識は――」
我はもうこれでもかと言わせるほどにはっきりと、こう言った。
「ある」
「…そ、そうか」
我の圧に圧倒されたのか、いつの間にか正座をしていた。
しもべが、やっとしもべらしいことをしてくれた、わーい!――というのは冗談で、もう正直言って我が魔王だっていうこともほとんど自覚していなかったし、フウマのことを単なる下僕だなんてもう考えてなどいなかった。これじゃあ魔王失格だな。
話を戻そう。
我はフウをあんなサイコパスへと陥れたという悪魔、ジャガノの存在を知っている。詳細も分かるし、お互い面識もあるし、一回対戦を過去に交えたこともある。その勝負は引き分けドローといった感じで、その時からそいつとはライバル――宿敵という関係になった。
本名はジャガー・ノート。
《抗うことのできない破壊力》または《圧倒的な力》という意を持つ、まさに彼(一応言っておくが、ジャガノは男である)に相応しい名前である。
彼はその名の通りの破壊力を持ち合わせており、そして好戦的であり、冷酷であり、陰湿な奴だ。そして彼にはある能力を持っていて、『自分と契約を交わした者の精神に催眠をかける』というこれまた悪意のある(というかそれしかない)能力であり、多分彼はフウを話術で誑かして契約、そして精神を支配し今に至る、か…。
うーむ。
まだいろいろと謎があるな。
アイツは基本的に狭い場所を好む習性があるから多分どこかの路地裏に隠れてるだろう。場所は虱潰しに路地裏を回っていけば見つけることはできる。
しかし、なぜこの時代、わざわざ日本へ来たのだ?
我は紆余曲折あって今この日本に仕方なく住んでいるわけなのだが、アイツの場合我と全く同じ道を進んでこの日本にいるわけでもなさそうだし、ひょっとしたらかつての宿敵の居場所を掴んでそして闘争心に燃えて今ここにいるのかもしれない。
まあ先ほど話した通り冷酷だからそんなこと絶対にないと思うけど。
「……」
とりあえず、フウマにはよろしく言っといて我は外に出てジャガノを探しに行った。
まあ路地裏に隠れていそうなものだが、念には念だ、他の窮屈そうな場所を見て回ろう。それこそ一歩一歩、あたかも虱潰しをする人間の様に。
「…いた」
と思っていたら、案外あっさりと見つかった。
ジャガノは、気が付いていたら我の前に突っ立っているのであった。
「…よっ、ヘル」
「久しぶりだな、ジャガー・ノート」
ジャガノの容姿はかつてとさほど変わってなく、常に光が灯っていない目と常ににやにや半笑いの口、片目を隠せてしまうほどの長さのぼさぼさの黒髪。そして、純白よりも白い、その肌色。
見慣れてはいるが――。
「――相変わらず気味が悪い」
「お前だって、人間様に調教されているそうじゃないか。落ちぶれたもんだねー。ロキが見たらどう思うか」
「調教などされていない。それに、今この話とは――関係ないだろう」
「いやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいや」
ジャガノはあり得ない数の「いや」を言って否定した。
性格もそうだが、肺活量もやべえ。
「関係はあるよ」
「どこがだ?」
「常識だ。普段は格上だった奴が格下だった奴の靴ベラ犬のようにぺろぺろ舐めている姿想像してみろ」
「……」
「どうだ?気味が悪いだろう?いや、むしろ気持ちが悪い。吐き気がする」
ぐうの音も出なかった。
何故なら、ジャガノの言っていることは紛れもなく正しい。
反論のしようがないからだ。
「ところで、何の用でここに来た?我と話をしに来たわけではないだろう」
「なんだい、気味が悪いだけじゃなく、察しも悪いの?」
露骨な挑発には乗らない。
「君が俺を探しているみたいだったから自ら現れてやったのに」
「…へぇ、そっか」
「お前こそ、なんで俺を探していたの?」
「…フウ、知ってるよな?」
「あぁ、あのメンヘラクズ女の事か?」
平常心、平常心。
「あいつとの契約を破棄してほしい」
「…ぶっ、あっははははは!!」
快活に笑われた。
昔の我なら、今もうここで殴っていることだろう。
安心しろ、拳は震えているが動いてはいない。
「…ひーひー、冗談でしょ?」
「いや」
「だってさぁ、俺はただちょっと相談に乗ってあげただけなんだよ?そしたら俺の事勝手に信用して、契約にも勢いで乗ってくれて――あれでも結構被害は少なめに抑えてるんだぜ?全盛期の俺なら、アイツは今頃殺人鬼だったな」
「確かに、今はフウによる露骨な被害など出ていない。だからこそ、面倒事に発展する前にケリをつけたいのだ」
「もし俺がここでいいよって言ったらどうする?」
「素直に喜ぶ」
「ダメって言ったら?」
殴るではなく、殴った。
もう、耐えきれなかった。
彼のへらへらした物言い。
容姿とは似て似つかぬ、ちゃらちゃらしているその――物言い。
その他ありとあらゆるものを含めて、我はリミットを解除してしまった。
「……ふーん」
しかし、案外ジャガノは驚いた様子を見せていない。ちょっと赤く腫れた右ほおを擦っているぐらいだ。
「…じゃ、始めようか」
言って、ジャガノは太陽がもうすぐ出てくる、夜明けの薄暗い明りの中、我に向かって猛スピードで突っ込んできたのだった。