天空闘技場の外壁からでも、ダークセイバーはギリ届く。
勝った! 俺の勝ちだ!!
ヒソカの眼がカッと見開かれた。狂気の表情をのぞかせる。
ゾクッゥウウウウウウウウウウウウウッ――。
一瞬だが傍生の身体が硬直した。傍生は構わずダークセイバーを水平に振り切った。
捕えた!
ダークセイバーはヒソカの胸元で空を切った。
!?
わずかだが、ダークセイバーの剣先がヒソカに届かなかった。ダークセイバーの間合いの外にヒソカはポジションを取っていた。ヒソカはバンジーガムをつけ直し、落下が止まっていく。
まさか!?
ダークセイバーを見切ったのか!? あの素振りで!? あれだけで!?
ダークセイバーは既存の剣ではない。変化系の剣だ。体調やそのときの精神状態によって、間合いが変わる。ゆえに、術者本人の傍生ですら間合いを完璧に把握しているわけじゃない。
だからこそ、ありえない。こんなことはありえないぞ。
偶然だ。たまたまだ。狙ってやったはずがない。狙ってできることじゃない。
いや、そうじゃない。問題はそこじゃない。
俺が天空闘技場の外壁から飛んで、間合いを詰めて、ヒソカに斬りかかっていれば確実にヒソカをやれていた。見切るとかそれ以前の問題だ。ヒソカはあの時点で詰んでいたんだ。そうだ。詰んでいたんだ。
なのに、ヒソカは生きている。まだ生きている。
おかしいじゃないか。おかしいじゃないか! おかしいじゃないか!!
俺は勝った。俺は勝ってたんだ。ヒソカに勝ってたんだ!
なのに、ヒソカは死んでいない。
ヒソカはバンジーガムで逆さまに吊られて、ニヤニヤと不気味に笑っている。バンジーガムがゆっくりと縮まって、ヒソカが登ってくる。おぞましいオーラを立ちのぼらせて。ヒソカは逆さまのまま、身体をくねらせて、傍生を見下ろしてくる。
かつて戦場でこんな感覚は味わったことがない。
これは敗北感……? それとも恐怖感……? そんなはずはない。俺は勝ったんだ。実力でヒソカを完全に上回ったんだ。ヒソカが生きているのは運がよかっただけだ。たまたまだ。運が良いヤツなんだ。凄く運が良いヤツなんだ。
「キミは外壁から離れないと思っていたよ♣」
ヒソカはベロリと舌舐めずりをした。見開かれたヒソカの眼が傍生を覗き込む。
背筋が凍るとはこんな感じなんだろう。
ヒソカを異常に大きく感じる。傍生はヒソカの存在感に圧迫される。
俺が外壁から離れないと思っていた!? 何を言ってるんだ? 理解できない。たしかに、あの瞬間、俺は外壁から飛んで、ヒソカとの間合いを詰めるという選択肢を排除した。でも、そんなのおまえにはわかりっこない。俺が外壁から飛ばなかったのは俺の気分の問題で、たまたまただ。確実性はどこにもない。こんなのただのギャンブルじゃないか。
俺が飛んでいたら死んでいたのに……。
そんな不確実なことに、コイツは命を賭けたのか?
ヒソカ……コイツは……完璧に……イカレてる……。
「キミは浮遊術が苦手だろ?」
「…………」
嘘だろ!? ほとんどみせていないのに、あれだけで気づいたのか?
「仕留めるとき、人は自分が苦手とする技を使わないものだ。一番自信のある攻撃で仕掛けてくる。人の心理として、不安要素はできるだけ排除しておきたいもの。客観的にそれが確実性が高いと頭でわかっていても、苦手とする技で決めるというのはなかなかに勇気のいる行為。決め技とはそういうものだ」
「…………」
「天空闘技場の壁から攻撃が届きそうだと思っただろ? 攻撃が届きそうだと思ったなら、なおさら。キミは決して飛ばない♠」
あのときの俺の思考を完璧に読んでいやがる。心を読む念能力でも持っているのか? 身体が震えてくる。
なんなんだよ! ヒソカ、コイツはいったい、なんなんだよ!!
「ハァハァ……ハァハァ……」
動悸が……。
だが。ヒソカの発言には論理的矛盾がある。
届いたんだ。届いたんだよ。確かに剣はヒソカに届いたんだ。届くはずだったんだ。
なのに、届かなかった。
俺はヒソカに勝っていたはずなのに……。
なんでだ? なんでだ!?
「うん。そうだね。剣は届くはずだったね。でも、届かなかった♣」
「…………」
ヒソカは傍生の心を読んだかのように語りつづける。
「キミは空中戦は初めてだろ? 地上戦とちがって、空中戦は距離感をつかむのが非常に難しい。地上という目標がないから♠ これには慣れが必要だ」
「俺は空中戦の距離感をつかんでいた!」
「あぁ♣ 不完全だけど」
ヒソカは外壁に飛び移る。ゆっくりと外壁を歩きはじめた。ヒソカは手振りを交えて再び語り出す。
「地上に近い月は大きくみえる。月は天へと昇るほど小さくみえる。これは比較対象がないために生じる目の錯覚現象なんだ。ずっと、ボクはアベルシティの夜景を背にしていた。キミのあの攻撃の瞬間、初めて、ボクは天空闘技場の『葉』をキミの視界に置いた。比較対象ができたわけだ。それによって、キミはボクとの距離を錯覚してしまった。実際よりも近くに感じてしまった。つまり……」
「…………」
ヒソカはトランプのカードを一枚取り出す。
「ギリギリ届くは……届かない♠」
ヒソカはうれしそうに語る。
なんで、コイツは命を賭けたバトル中に、ペラペラと自分の防御について解説してるんだ? それも頬を緩ませ、こんなにうれしそうなホクホク顔で……不気味で気味が悪い。
ヒソカはバトルの雰囲気を盛り上げようとしているかのようだ。
これじゃ、まるで……まるで、異性と危険なデートをしているかのようだ。
「あぁ……❤」
◆
ヒソカは最強を求めていない。高みも求めていない。
ヒソカが求めているのは純粋な快感だけ。その中に相手を屈服させることが入っているだけで、基本的にバトルという行為そのものに快感を求めている。
だから、傍生が武空術を使って、ヒソカを仕留めにくるかどうか、自分の命を賭けて確かめるなんて変態行為に及んだ。
単純に、ヒソカはスリルを楽しんでいる。
百戦錬磨の俺でも、これほどの恐怖を覚えたことはない。
イカレている。正気の沙汰ではない。まさに狂気の沙汰だ。
一歩間違えれば死んでいたのに……こんなことに何のメリットもないのに……スリルを味わいたいがために……。
狂ってる。
ヒソカは紛れもない戦闘狂だ。
◆
「その剣のオーラ量は非常に大きい。一瞬で伸ばすことができないことはわかっていたよ。一瞬で伸ばすには練での溜めが必要になるから。凝で伸ばすだけの練ができていなかったことはわかっていた。だからキミの剣を見切ることはそんなにむずかしいことじゃなかった」
コイツはどこまでみえているんだ? 何がみえているんだ?
コイツの強さはオーラ量とか、念能力の技術とか、そういうことじゃない。
「開いた口を閉じたらどうだ?」
傍生は口を閉じた。そして、怒りが身体の内部に溜まっていく。
ヒソカは明後日のほうをみた。
「やっぱり、キミ、おいしそうじゃないね♣」
クラピカが連れ去られてしまったエピソードを描いてから、ずいぶんと間があいてしまいました。もともと傍生戦は構想にありませんでした。連載開始から1年半。ヒソカの解釈もすこしだけ変わりました。その中で、このバトルで何を描こうかというのをゴンとキルアを描きながらずっと考えていました。
そして、こんな感じになりました。
ちなみに、この錯覚現象がこの環境下でおきるかどうかはわかりません。技を見切ったヒソカがそれっぽく言っているだけという設定です。ヒソカはウソつきなので。