「まるで武人の限界をみせつけられているかのようだ」
メシアムのそれはすでに勝負は決しているかのような言い回しだった。メシアムには終局図がみえているのか? ネテロ師範がまだ降参していないのだから、おそらくそれはないだろう。おそらくだけど。
「武道の極みに限りなく近づいたはずの師範がこうも容易く手玉にとられるとは……」
容易く……か。僕にはそうはみえない。これが今の僕とメシアムの差なのか。越えなければならないハードルは多い。
◆
ネテロがヒソカを攻略するためにはヒソカから壁に伸びるバンジーガムをどうにかしなかればならない。このバンジーガムによって、ヒソカは百式観音のハイスピードを上回ることができているのだから。これはヒソカの生命線でもある。
だから、裏をかかれたネテロがこういう行動に出たとしても、仕方なかったのかもしれない。
百式観音はヒソカから壁に伸びたバンジーガムを壱乃掌で地面に押しつけた。
『おぉっっと、ネテロ師範、ヒソカ選手から伸びる謎のロープを攻撃したあぁーーーッ!!』
ヒソカは隠を使っていなかった。フロアマスタークラスの実況は念能力者だ。
また悪手だ。たしかに、これでヒソカのバンジーガムを使っての百式観音からの回避をある程度は制限することができるだろう。だがリアルタイムの攻防戦で一手遅れる。
壁とヒソカの両方向からトランプが百式観音に飛んでいく。百式観音の腕の一つが切断される。これで壱乃掌は使えなくなった……かもしれない。さらにネテロの右腕にもトランプが突き刺さっていた。手を抜けば相手の手が一手早く詰めてくる。
やはり悪手だ。
「自分からバンジーガムの網にかかるのは愚策もいいところだよ」
ヒソカはネテロに対してすこし苛立ったようすをみせる。
ネテロの腕からまたも血が滴っていた。筋肉で止血しているようだ。すでにかなりのダメージを負っている。
「もっと早くあなたに出会いたかったよ♣」
ヒソカは残念そうにつぶやいた。終局が近づいていることを感じさせる。
「ヒソカ、ありがとうよ」
「ん??」
ヒソカはネテロの言葉の意味を解していないかのように首を傾げた。僕にもわからなかった。
ネテロが両手を合わせる。
百式観音の腕が生えかわっていく。でっぷりしていた身体もスリムになっていく。さっきの半分程度だ。下ぶくれの顔もスリムになった。ネテロと百式観音の目から赤い涙が流れた。オーラが飛躍的に増大している。
百式観音の周囲が切り裂かれた。
「四十四乃掌」
◆
「な、なに!?」とアン。
「覚醒だ」
「リスクを負うほど念は強く働く。弱点が露呈したことで、師範の念が覚醒したんだ。スリムになったことによって、無駄な念の消費が抑えられる。年齢に見合う念能力に変容した。あれが現状のベスト』
ほんとに今日のメシアムは饒舌だ。寡黙なメシアムのイメージが崩れる。
「あの年齢でまだ高みをめざすかよ。ほんとネテロ師範はおもしろいねーーっ」
覚醒の百式観音。戦いは佳境に入った。もうネテロのオーラも残りわずかだろう。
◆
「百式観音九十九乃掌!」
百式観音の腕がヒソカのバンジーガムにがんじがらめにされる。それでも打ってくる。ヒソカはたくみにバンジーガムの伸縮を利用して九十九乃掌を回避していく。と同時にトランプが一斉に発射された。
「百式観音は消えるのに時間がかかる◆ これで終わりだよ」
百式観音が一瞬にして消える。
「!?」
ヒソカの目が見開かれる。
これだ。これがあるんだ。ジジイには。王者の戦闘経験値。修羅場。窮地。死線。経験値の質も量も桁違いだ。消えるのに時間がかかるのはネテロのミスリード。ヒソカの最善の一手がネテロのたった一手で悪手に変えられた。これまでのすべてが罠だったのか。
その刹那、ネテロは祈った。
「百一式!」
ネテロのコブシに百式観音のオーラが纏われた。
生身の百式!
百一式がガードするヒソカにまともにヒットして壁まで吹っ飛ばされた。
◆
「決まったな。凝でみていたが今のヒソカのオーラ量でどうにかなるレベルではなかった。態勢も不利。ネテロ師範は狙いすましていたんだ。完全なるクリティカルヒット」
メシアムがネテロの勝利を告げた。
◆
バンジーガムが消滅する。
『ネテロ師範、ヒソカ選手にクリティカルヒットオオーーーォォーーーーオオォッ!! これは効いたぞ!! 致命的な一撃だ!! 解説のウイングさん、この攻撃は見事ですね』
『師範が不利な状況でも私に振っていただいてかまいませんよ。師範は戦いの序盤からこの状況を想定して事を進めていたんでしょう。見事に試合をひっくり返しましたね。私も師範が押されている戦いをみるのはこれが初めてですから、師範の本来の戦い方というものを知らないんですよ。序盤中盤は終盤への伏線。終局を見据えて事を運ぶ。これが師範の本来の戦い方なんですね。思えば武道も同じですね。理想の自分を常にイメージして修業を行っていますから。早く成長することが正解ではありません。大成することこそが……』
『なるほど、その通りですね。解説ありがとうございました。ネテロ師範、まだその表情を緩ませません。まさに武道家ですッ!!』
ネテロはヒソカのほうをじっとみている。愕然としている表情だ。何かがおかしい。
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴ……。
禍々しいオーラ。
ヒソカはゆっくりと立ち上がった。何気ない動作で服のほこりをはたき落とす。口の中を切ったのは血を吐き出した。身体を動かして、ダメージの確認をしているようだ。さすがに相当のダメージはあったようだ。
ニタリとヒソカは悪魔のような笑みを浮かべた。
『なッッッにぃいいいーーーーーーぃぃーーーーーーーぃぃいいいいいいいいいッッ!!!!!』
『怪物ッ』
『ヒソカ選手ッ、立ち上がった!! ダメージは……ない模様ッ!! いやすこしはあるかッ!? これはいったいどういうことでしょうッ!! まったく持って信じられませんッ!! 解説のウイングさん、何が起こっているんでしょうか?』
『えっ!? いや、私に振らないでくださいよ』
「脱帽だぜ、ヒソカよぉ」
ネテロが狂気の表情をみせた。
◆
「なっ!?」
驚きを隠せないメシアム。
「…………」
僕もだが。
「バケモノめ」
「いや、ヒソカだ。あれがヒソカなんだよ」と僕。
「ケケッ」
ネテロはヒソカを殴ったコブシにふれる。ぬるっとしているようだ。ガムのぬめり。
バンジーガムでネテロのコブシを滑らせたのか。バンジーガムをゲル状にして、摩擦をかぎりなくゼロに近づけて、ダメージもゼロに近づける。瞬間的に閃いたのか?
「ネテロ師範の経験値をヒソカのセンスが上回った。まさに、バトルの怪物だな」
メシアムは噛みしめるように言った。