Ainzardry   作:こりぶりん

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 初めて20×20の方眼紙からマップがはみ出した時の困惑は、今にして思えば一生に一度しか味わえない貴重な体験であった。



B7F:だれにでもまちがいはありますよ

 プレアデス一行が階段を下りると、その先は十字路のど真ん中であり、下りた先から四方に通路が延びていた。建築デザインとしてはどうなのだろうと思わなくもないが、ここは迷宮なのでどこもおかしくはない。

 四方に延びた通路の奥は、それぞれが延びた先で再び十字路になっていることが、天井を覆う光苔の微かな明かりを通してかろうじて窺えた。どうやらこの階層の大部分は、碁盤目状に延びた通路で構成されている模様である。

 

「ふーむ……どちらに向かうべきかしら?」

 

「そうねえ姉様。見たところ四方の通路に目立った特徴は無し、適当に歩きながら地図を埋めていくしかないのではないかしら」

 

 前後左右を見比べながら呟くユリの声に、ソリュシャンが答えた。彼女の見解に異論は出なかったので、そのまま適当に歩き出す。

 

「こう似たような構造だと迷いそうね……お願いね、シズ」

 

「……了解、任された」

 

 ナーベラルの発破に胸を叩いて答えるシズの頭をわしわしと撫でている間に、最初の十字路に差し掛かる……中央に踏み込むや否や、ソリュシャンの叫びが静寂を切り裂いた。

 

「! みんな下がって!」

 

 足下がぐっと沈み込むのを感じる間もなく、姉妹達はソリュシャンの触手に己の体が押され、あるいは引っ張られるのを感じた。

 十字路の交差領域全体に口を開けた落とし穴に、ソリュシャンによってその縁まで押し戻された一行は目を見開いた。間もなく、ずずずと音を立てながら落とし穴の口が閉じていき、再び何の変哲もない床に戻るのを黙って見守る。

 

「ひゅーっ、危ないところだったっすね。ナイス、ソーちゃん」

 

「戻っちゃったけど……どうやって通るのこれぇ? まあ、飛んでもいいけどぉ」

 

 思い思いの事を口にする姉妹を宥めると、ソリュシャンは落とし穴の縁に膝をついて床面すれすれに手をかざした。十分に観察した結果、結論が出たのか顔を上げて背後を振り向く。

 

「一応、通路の端を慎重に通れば起動させずに済みそうですわ。手本を見せるので、真似してついてきて貰えるかしら」

 

 ソリュシャンの先導について一行は十字路を抜けると、気を取り直して先へと進む。前の十字路から次の十字路へと、回廊を抜けるまで歩みを進めるも、その終わりは中々見えてこない。

 次から次へと現れる十字路には、時折落とし穴が仕掛けられているものがあり、たまに意味ありげだが実際意味はないと思われる矢印の落書きがあったり。かと思えば何も無い通路もある。緩急をつけて冒険者を惑わせようとする制作者の狙いがあるのだろうか。

 

「……妙ね。いくらなんでも広すぎる」

 

 先頭のユリがふと歩みを止めてそう呟くと、後ろの妹達はそれぞれの表情で頷いた。この回廊を歩き出してから小一時間、歩けど歩けど終わりは見えない。肉体的な疲労は無いが、精神的にはうんざりするものがあった。

 

「…………既にここまでの地図が、この第三階層は上二階層に比べて三倍の広さになっている」

 

 シズがそう言って姉の言葉に同意した。エントマが小首を傾げる。

 

「上の階層も隅まで見た訳じゃないからぁ、実は同じくらいの奥行きを持つ可能性もあるけどぉ」

 

「それにしても何の変化もないまま迷路を迷っているのは頂けないわ。一度戻ってみない?」

 

 ソリュシャンがそう提案すると、ナーベラルが後を続ける。

 

「そうね、私も賛成。このまま彷徨い続けるのはどうにもよろしくないかと、ユリ姉様」

 

「……わかったわ、一度階段まで戻ってみましょう」

 

 ユリがそう言うと、一同は踵を返して来た道を逆に辿っていこうとした。

 異変はその時に起こった。

 シズの案内に従い、十字路の曲がる方向を選択していく一行。シズが落とし穴がある通路だと注意を促した場所を慎重に抜け、何も無いから大丈夫と保証した通路をさっさと通り抜ける。

 

「……え?」

 

 何も無いはずの通路ががごっと音を立て、その床に落とし穴が開くのを、一行はどこか他人事のように呆然と眺める。ソリュシャンですら、シズが何も無いと保証した筈の通路に落とし穴があったという衝撃に硬直し何も出来ない。

 どさどさっと、折り重なるように落下するプレアデス達。たかが五メートルの自由落下でダメージを受けるほどヤワな体はしていないが、精神的なショックは計り知れなかった。

 

「嘘、何で!?」

 

 ユリが体を起こしながら小さく叫ぶと、思わず妹の方を凝視した。視線の先のシズは、我を失ったかのように茫然自失している。

 

「ど、どしたんすかシズちゃん? 悪戯……ってわけではなさそうだし……」

 

 ルプスレギナの問いかけも聞こえているのかいないのか。心ここに有らずと言った体で無表情に落とし穴の底から天井を見つめている。

 

「…………データ照合中……不正なデータを検出しました。セルフスキャン開始……再構築失敗、重大なエラーを検出しました。デッドロック回避のため作業は強制終了されます。エラーコード42-21284、AI実装者のヘロヘロ様までお問い合わせください……」

 

 そして、他の姉妹には意味不明な独り言を呟きながらカタカタと痙攣し始めたシズを見て、一同は慌てた。

 

「シッ、シズちゃーん!?」

 

「お、おおお落ち着きなさい皆、こんなときにぴったりなやまいこ様の教えががが」

 

 お前が落ち着け、と言いたくなるほど動揺してどもったユリの台詞を聞いて、一同は顔を輝かせた。

 

「まあ、やまいこ様の教えが!? 流石は至高の御方々、ご本人が居られずとも私達を導いてくださるのですね……!」

 

 うっとりと両手を組んで遠い目をしたナーベラルに軽く頷くと、ユリはシズを抱き起こして座らせ、自身は妹の背後に立って深呼吸をした。指をぴんと伸ばした右手を顔の前に持ってきて、拝むように目を閉じる。

 

『ん……? ……おい、まさかとは思うがもしかして』

 

 地下三階に下りてきて以来の沈黙を破ったアインズの何処か慌てたような声も何のその。脳裏の全てを創造主(やまいこ)の思い出で埋め尽くしたユリは、余計なことは一切考えずにくわと目を見開いた。

 

「……『家電が壊れたら右斜め四五°の入射角で叩けば直るよ』チョーップ!!」

 

 鋭い叫びと共に、背後からシズの延髄に右の手刀を全力で叩き込んだ。鈍い音を立ててシズの首が嫌な角度に曲がり、華奢な背中が反っくり返る。妹達があまりの惨劇にうひゃあと目を瞑る中、シズの体は反動で半回転して、車にひかれた蛙のような姿勢でびたんと床面に叩きつけられた。

 

「…………わーにん、わーにん。外部衝撃によりりり命令アドレスをロストトトト……致命的な/データ照g・不せせせるーち$しんたっくすえららららr……ガガ……ピーピー……」

 

「……あら?」

 

 ユリの額を冷や汗が一筋、つつと伝い落ちる。妹達が固唾を呑んで見守る中、シズは意味不明な独り言の内容を一層奇っ怪なものにしながら唸ったかと思うと、ガタガタと痙攣して口から煙を吹き始めた。

 

「シ……シズぅ――――!?」

 

「いけない、オーバーヒートしてる!」

 

「はやく強制終了して!?」

 

 

 

 

 シズがぱちりと目を開けると、頭部にひんやりとした感触を覚えた。頭というか、頭蓋の中まで染み込むような心地よい冷たさである。

 

「……おはよう、シズ」

 

「……ソリュシャン」

 

 シズは現在、ソリュシャンに膝枕されていた。ただし、普通の膝枕ではない。普通の人間が行うそれより頭半分ほど上に引き寄せられたシズの頭部は、ソリュシャンのおっぱいに文字通り埋まっていた。

 

「…………なにこれぇ」

 

「ふふ、アインズ様のご提案でシズの回路を冷却してたのよ。“人力水冷”だとかなんとか仰っていらしたわ」

 

「……アインズ様の。なら仕方ない」

 

「ええ、仕方ないわね」

 

 ソリュシャンの粘体(スライム)のボディが、シズの隙間を通って頭蓋の中身まで染み込んでいるその感触は、なんとも不思議な気分であった。気づいた瞬間はぎょっとしたが、単純に不快であるとも言えない妙な感覚である。シズが上体を起こすにつれ、中の粘体(スライム)がどろりとこぼれ落ちる感触がしてシズは身震いした。

 見覚えのある地下迷宮の通路である。体の下には布が一枚敷物になっていて、周囲には姉達が思い思いの姿勢で待機しており、その外側にはキャンプの境界を示す光の魔法陣が浮かび上がっているのが見えた。

 

「……ユリ姉様。その格好は」

 

 そして、正面で土下座の姿勢を取る長姉の姿を目にしたシズは、微動だにしない姉に向けて声を掛けた。シズの声を聞き、ユリの体がびくんと震える。

 

「……ゴメンナサイ」

 

「……?」

 

 シズがくりんと首を傾げる。ユリに謝罪される意味を理解できていないのだ。

 

「まーまー、ユリ姉も悪気があったわけじゃなし。……シズちゃん、どこまで覚えてるっす?」

 

 側に寄ってきたルプスレギナが声を上げると、シズの動作が停止した。

 

「…………行動ログに不正なデータを検出。ロールバック中……」

 

「……あ」

 

 再びカタカタ震え始めたシズを見て、ルプスレギナの額を冷や汗が伝った。ナーベラルがため息をついてその頭部に拳骨をこつんと落とす。

 

「お馬鹿、再現してどうするの。……シズ、落ち着いて。マップ不整合の原因はもう分かったわ」

 

 ナーベラルの言葉にシズが顔を上げる。説明を要求する妹に、一同は実施で説明するためキャンプを畳んで体勢を整えた。

 

「じゃあ、ソリュシャンお願い。シズ、彼女を見ててごらん」

 

 ナーベラルに頷きを返すと、ソリュシャンが一人で十字路へすたすたと歩いていく。彼女が丁度その中央に差し掛かったとき、ノーモーションでソリュシャンは右へと曲がった。

 

「ソリュシャン、そこでストップ」

 

「……?」

 

 シズの顔に疑問符が浮かび、その口が三角形を形作る。その肩をぽんと叩いて、ユリが言った。

 

「ソリュシャンには()()()()()()()()()()()。貴女も行ってご覧なさい」

 

 シズは姉の顔を見ると、頷いて歩き出した。十字路を真っ直ぐ進む。

 

「シズ、ストップ。振り返ってご覧」

 

「……!?」

 

 シズが姉の声に従い、後ろを振り向くと。十字路の反対側に腕を組んで立っているソリュシャンが視界に入ってきた。ぎょっとして周囲を見回すと、右手の方からこっちこっちと自分を呼ぶ姉の声がする。

 

「……向きを、変えられた?」

 

「そうよシズ。この十字路の中央には通りかかった者の向きを気づかぬうちにねじ曲げる、空間の歪みが仕掛けられているわ。これが、あなたのマップがバグった原因よ。地下三階の地図を全削除してここからマッピングをやりなおしましょう。できるわね?」

 

 姉の説明を聞くと、シズはこくりと頷いた。

 

『ふむ……まずは及第点と言ったところか。途中危険なシーンはあったが、“回転床”の仕掛けに自分たちで辿り着いたことは褒めて遣わす』

 

「アインズ様、勿体ないお言葉です」

 

 その時点で、見守っていたアインズから声がかかり、ユリは虚空に向けて頭を下げた。逆説的に言えば、仕掛けの全貌を明らかにしたからこそここで口を挟んできたともとれる。一行は現在位置を間違わぬよう慎重に回転床を通過しながらマッピングをやり直し、程なく地下への階段を発見した。

 

 

 

 

『さて、そろそろお前達にかけていた一部スキルの制限を解除しておこうか』

 

 地下四階に下りると、そのようなアインズの声が降ってきた。

 現在彼女達のスキルはアインズの命令により一部封印されたままである。ここまで殆ど戦闘には苦戦していないためつい延び延びになってしまっていたが、そろそろ解除してもいいかなとアインズは思った。これは、レベルアップによる成長を見込めない彼女達で擬似的にダンジョン内での成長を模倣するという意味合いも含んでいるのだ。

 

「かしこまりましたアインズ様」

 

「それでは、いっそうの警戒が必要ですわね。皆気を引き締めて」

 

 頭を下げたユリに続いてそのように述べたソリュシャンに、ナーベラルが不思議そうな顔を向けた。

 

「ん、ソリュシャンそれってどういう意味?」

 

「ハンディキャップを解放するということは、普通に考えれば敵が強くなるからでしょう?」

 

 成る程、と頷くナーベラル。あまりそういうメタ読みはして欲しくないなあ、どっちみち雑魚には違いないんだし……アインズは頭の片隅でそう考えるも、口に出すほどのことでもないかと思って黙っていた。過剰に萎縮されてもそれはそれで困る。

 階段を下りた一行が一本道の通路を進んでいくと、T字路が見えてきた。向かって右には「エレベーター」、左には「管理センター」などと書いてある。通路の先を覗くと、どちらの通路も奥に大きな扉が鎮座しているのを、ソリュシャンの鋭敏な知覚が感じ取った。

 

「ふむ……まあ、とりあえず昇降機(エレベーター)を確認しに行きましょうか?」

 

 ユリの提案に反対意見は出なかったので、一行は右に曲がって間もなく見えてきた大扉の前に立った。

 ソリュシャンが進み出て、扉の構造を調べようと手を伸ばすと、赤いランプが点灯して彼女を照らし出す。ぎょっとして身を竦めたソリュシャンだったが、それ以上の怪しい現象は発生せず、彼女の全身を一通り照らし出した赤ランプが消灯すると同時に、甲高い機械音と共に上方から声が降ってきた。

 

『あ、あの、そのぉ……ざ、残念ですけど、皆さんはエレベーターの使用許可をお持ちではありません。し、申請は管理センターの方へお願いします……』

 

「……マーレ様ぁ?」

 

 一行には聞き覚えのある闇妖精(ダークエルフ)の双子の、たどたどしい喋り声を聞いてエントマが首を傾げた。その台詞に応える声はなく、扉の前に沈黙が下りる。ぺたぺたとその表面をなで回していたソリュシャンが、ぐしゃぐしゃと乱暴に頭髪を掻き回した。

 

「……ダメね、この扉も魔法的な錠前がかかっているようですわ。マーレ様が仰った通り、許可を貰ってこいということでしょうね」

 

「……管理センター、さっきの分岐の反対側に書いてあった」

 

 シズが確認を取ると、姉妹達は頷いた。とりあえずこの扉は放っておいて、逆側に行ってみることで一致する。

 反対側の通路も、奥に延びた行き止まりに設置された似たような扉が一行を待ち受けていた。上部に据え付けられた看板に文字が刻まれている。

 

 *** 迷宮コントロールセンター ***

     この領域は進入禁止である。

 ***    入るべからず    ***

 

 その文字を読んだ一同は顔を見合わせる。

 

「……入っちゃ、ダメ?」

 

 シズがぽつりと呟くと、ルプスレギナが肩を竦めた。

 

「まっさかー。それじゃあ話が進まないっすよ?」

 

「でも、この文言がアインズ様のご指示だとすれば、それを破るわけには……」

 

 ナーベラルが生真面目な顔で杓子定規なことを言い出すと、それを否定する根拠を持たない姉妹達の顔が困惑に歪んだ。どうしたものか、という沈黙が場を満たしそうになったところ、慌てて虚空から声が降ってくる。

 

『ん、んー、オホン。その看板の文言はなんというかその……フレーバーテキストであって私の命令とは無関係だ。安心して先に進んでよいとも』

 

「これはアインズ様、わざわざありがとうございます。……お手数をおかけして申し訳ございません」

 

 例によってユリが代表してアインズに礼を述べると、妹達を促して扉に手をかける。アインズの許可を貰ったということで無造作に扉を押し開けると。

 う゛ぃーっ、う゛ぃーっ、う゛ぃーっ……

 突如として、大音響の侵入警報が鳴り響いた。思わず立ち竦んだユリが我に返るより早く、突然警報が鳴り止むと同時に静寂が訪れる。その沈黙は一瞬で破られ、奥の方からがちゃがちゃと、何者かが動き回るような音が反響して聞こえてくる。

 

「……面倒事かしら」

 

 気を取り直したユリはそう言って眉を顰めると、妹達に戦闘態勢を取るよう指示して、地下迷宮の奥を睨み付けた。

 

 

 




《回転床》
 踏んだ瞬間、PTの進行方向を90°単位で変更させられる罠。
 この仕掛け床の真の厄介さは俯瞰マップでは決して味わえない。手書きの地図に間違いをそっと差し込んでくる静かな悪意に満ちたこの罠の天敵はオートマッピングである。要するにユーザーフレンドリィな現代ゲーム業界では存在意議がない過去の遺物。
 演出の都合上、回されたことにさえ気づかない高性能な物にグレードアップ。

《迷宮コントロールセンター》
 入っちゃ駄目と言われて大人しく言うことを聞く冒険者など居ない。


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