倉庫街での同盟の後、ズェピアは路地裏からマンホールを潜り、雁夜の元に戻っていた。
「雁夜、今戻った。作り置きしていた夕飯は食べたかね?」
「……帰宅後第一声がそれかよ。お母さんかお前は?」
「目を離したら君が栄養剤とゼリーしか食べないから、私が料理しているのだが……? 文句を言うなら料理くらい覚えたまえ。桜はもうモロヘイヤスープとバターピラフくらいなら作れる様になったというのに……」
「うっ!? ……まぁその話は良い。計画は大丈夫なのか?」
「逃げたな雁夜。……ふむ、概ね計画通りだ。ギルガメッシュには既に連絡用の携帯電話を渡してある。用が有れば電話をしてくるだろう」
「使い方は?」
「電話の掛け方は聖杯からの一般知識に含まれている」
噂をすれば影。雁夜に携帯について話した次の瞬間、ズェピアが持つ携帯がコールされる。発信者は噂のギルガメッシュ王だ。
「どうかしたのかね英雄王?」
『吸血鬼、晩酌に付き合う事を赦す。教会前だ』
「む、今からかね!? …………英雄王め、言うだけ言って切るとは流石の傲慢さというわけか」
「呼び出しか……行くのかズェピア?」
「行くしかないだろうね。ふむ……雁夜、桜の警護は任せる」
そう言ってからズェピアは眠る桜の髪を一撫でして下水道を去って行った。
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10分後、冬木教会前にズェピアが到着すると同時にギルガメッシュが教会の戸を開いた。
「ずいぶん遅かったな吸血鬼」
「酒を持たずに飲み会に行くほど馬鹿ではないつもりだよ私は」
そう言ってズェピアは先ほど買ってきた日本酒が入った紙袋を掲げる。
「む、土産か?」
「ああ、これは『冬木蔵』。この周辺で造られた地酒だそうだ。試飲してきたが晩酌には丁度良い味だよ。あとは摘みを作る為に幾つか食材を買ってきた」
「ほう、献上品を持って来るとは見所が有るではないか。まぁ、入るが良い吸血鬼」
そう言うギルガメッシュにズェピアは呼び出された時点から気にしていた事を問う。「私が教会に入るのはマズくないかね?」「我が赦す」
そう一言言うなりくるりと背を向けて中へと入るギルガメッシュに、ズェピアは肩をすくめてついて行くのだった。
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言峰綺礼は柄にもなく困惑していた。もちろん、顔には一切出さないが、その内心は決して平静ではない。
英雄王が勝手に綺礼が所蔵するワインを飲んで居るだけならまだ良い。
だが、少しトイレにたった隙に自分の部屋に電熱調理器が持ち込まれ、エプロンを付けた狂戦士が鍋を調理して、英雄王に振る舞っているこの状況は流石に綺礼の常識では理解できなかった。
「……なんだこれは」
「おぉ、帰ったか綺礼。今我は気分が良い。共に鍋を囲む事を赦すぞ」
「英雄王、そろそろ鶏が煮えた頃合いだ」「……どういう事なのかさっぱり分からん。説明しろギルガメッシュ」
綺礼の言葉は至極当然。だが、その問いに英雄王はそんな事も判らないのかと言うように首を振ると、まぁ座れという風にソファを指し示した。未だ困惑する綺礼がその席に着いてからようやく王は口を開く。
「退屈を持て余している者が我の他にもいる様子だったのでな。どうなのだ、綺礼?」
「どういう意味だ」
「お前もあの時臣めに奉仕するばかりで心満たされている訳ではないのだろう?」
「……今更契約が不服になったのか? ギルガメッシュ」
その問いにギルガメッシュはいやいや、という風に首を振り、ワインを一口飲んで言葉を続ける。
「我を招いたのは時臣であり、この身を保っているのも時臣の供物によるものだ。そして何よりも奴は臣下の礼を取っている。まぁ応えてやらんわけにもいくまい。だが、正直あそこまで退屈な男とは思わなんだ。全く以て面白味の欠片もない」
「……面白味?」
「万能の願望機で以て『根源』に至る。これほど詰まらん企てなどまずあるまい?」
そう言って、ギルガメッシュはワインを一気に呷り、ズェピアが椀に入れた鶏肉を摘む。そんなギルガメッシュに綺礼は一つ溜め息をついてから言葉を紡ぐ。
いつの間にか綺礼の前にも鍋が入った椀が有るが今は無視する。
「『根源』への渇望は魔術師固有の物。言わば世界の外を目指す行為だ。部外者がとやかく言えるものではない」
「ふむ、確かに我はこの世界を愛でるのみで満たされている。」
「時臣師は魔術師の中でも最右翼。今日日あれほど純粋に根源を目指す者はそう居るまい」
「つまり、時臣以外のマスター共はまた違った動機で聖杯をもとめていると?」
「……他の連中が求めて居るのは総じて浮き世の名利であろうよ。威信、欲望、権力……全て世界の内側のみで完結する欲望だ」
「良いではないか、どれも我が愛でる物ばかりだぞ」
「お前こそは俗物の頂点に君臨する王だなギルガメッシュ」
そう言う綺礼に、ギルガメッシュは匙を向ける。
「そう言うお前は聖杯に何を望む、綺礼?」
「私は……。私には……別段望む所など無い。理想も悲願も持ち合わせん。何故聖杯が私を選んだのか分からない」
「それならば、愉悦を願えば良いではないか。何をそう悩む?」
そう断じるギルガメッシュに、思わず綺礼は身を乗り出して叫ぶ。
「神に仕える私に愉悦などという罪深き堕落に身を染めろと言うか!?」
「愉悦が罪深い堕落だと? 人は善行によっても喜びを得る。悦そのものが悪であるとほざくのは一体どういう理屈だ?」
そうツッコミを入れるギルガメッシュに、綺礼はうなだれながら言葉をかえす。
「……愉悦もまた、私の中にはない。求めているが、見つからない」
「愉悦を持ち合わせんだと? ……ふむ。吸血鬼、貴様この男をどう見る?」
ギルガメッシュは先程からせっせと鍋を作るズェピアに椀を渡しつつ声をかける。その声に釣られて綺礼もまた、ズェピアを見つめた。
その二人にズェピアはギルガメッシュに渡された椀におかわりを注ぎながら、あっけらかんと答える。
「下手に信仰を持ったが故に自分を見失ったのではないかね? 彼の本性は非常に分かり易いからね」
沈黙。
綺礼の部屋に、鍋のグツグツと煮える音のみが響く。
倉庫街に引き続き、またもや場の空気を凍り付かせるズェピアだった。