幻想郷は全てを受け入れるのよ。それはそれは残酷な話ですわ……いや割とマジで 作:とるびす
揺れる胸中(前)
「ねー悪いこと言わないからやめときなさいって。こういう荒事込みなのは私向きだからさ、アンタが直々危険な所に行くのは……ねえ?」
「うん、危険なのは承知の上。だけどこれは私がしないといけないことだから」
机に向かって一心不乱に書き殴るはたてを、やんわりと文が制止する。天狗新体制の発足後、初めての職権濫用に熱を傾けるのは悪い事ではないが、命に関わるとなれば話は別だ。
はたてを喪う事態になれば今度こそ天狗は終わってしまう。首の皮一枚で繋がっている現状で、はたての試みはあまりにもリスキーと言わざるを得ない。
それも全部分かっている上で、はたては言い切るのだ。
「三人で約束したじゃん。どんな困難が立ち塞がろうとこれからは自分一人で抱え込まず、一番適任な奴が事態に当たるようにしよう。他二人は全力でサポート、でしょ? だから今回は私が自ら行くしかないの。私にしか成せないことだもん」
「……事前に相談するようになっただけ成長してると見るべきなのかしらねぇ」
一度天界に亡命してからというものずっとこんな調子なのだ。自らの身を犠牲にして実利をもぎ取ろうとするような行動が増えた。はたてにとって漸くやりたい事が見つかったのなら結構だが、新たな重荷になるのは間違いない。それが心配だ。
それでも文は諌める事しかできない。
と、執務室に4回のノックの音。
許諾の返事とともに一人の白狼天狗が入室し、文には目もくれず恭しく首を垂れる。
「失礼します。犬走隊長より報告、千里眼によるクリアリングが済んだとのことです。第三ルートであれば土蜘蛛の感知網より外れている為安全に目的地まで到達できるだろうと」
「分かった。ありがとうね」
和やかに笑い掛けると、最後の書類に力強く公印を叩きつける。そして乱雑にバッグの中へと放り込むと軽く文を一瞥し、部屋から出て行ってしまった。
僅かな静寂の後、徐ろに文が告げる。
「天魔様の監視をしっかり頼むわよ。少しでも悪意のある奴が近付いたらすぐ私が対処するから」
「言われずとも」
目も合わせず素っ気なく返される。実力云々は兎も角、天狗社会からの文への反応は芳しくない。無法者が出戻りした挙句、要職(形式上は下っ端)に就いているのだから叩き上げ集団である白狼天狗との折り合いはどうしても悪くなる。
それでも前よりかは全然マシだ。物腰が柔らかくなった天魔に動揺しているものの評判は良いし、天狗全体の意識がしっかり上を向いている。
改めて、首の皮一枚の現状を幸運に思った。
*◆*
「本当にごめんなさいっ!」
「……」
対面と同時に深々と頭を下げる。もっと気の利いた言い回しを考えていただろうと自分を責め立てるものの、それがはたてにとっての限界だった。当人を前にしてテンパってしまったのだ。
なんと言えばいい。なんと謝罪すればいい。
どんな言葉を以ってしても足りないのだ。尽くしても尽くしきれないから。
幸いだったのはその謝罪相手が言葉を尽くす必要の無い妖怪であったこと。さとりは口をへの字に曲げて「面倒臭いなぁ」なんて事を思う。
心は読めても相手の事情を汲み取ってあげるほど、さとりは気の利いた妖怪ではなかった。
(さとり様。コイツ摘み出しますか?)
「その必要は無いわ」
その言葉は燐とはたて、二人へと同時に向けられたものだった。排除も謝罪も必要としない、現状のままで問題無いと。
むぅ……と、燐は顔を顰める。主人がアポ無し突撃を簡単に許してしまうから八雲紫や摩多羅隠岐奈のような珍妙な客が止まらないのだ。寛大なのは良いが、少しは不審者を追い返す努力をしてほしいものである。
一方のはたてもまた、慌てた様子で首を振る。
「確かに私からの謝罪なんて貴女にとってはどうでもいいような事かもしれないけど……! でもちゃんと『言葉として』伝えたかったの!」
「私がなんの妖怪か分かっているでしょうに」
「うん。心が見えるんでしょ? どうかな? ちゃんと心の底から謝れてるかな。ちょっと心配なんだよね。本気のつもりなんだけど」
「私の能力を恐れないのは単純が故ですかね……」
忌み嫌われる覚妖怪の読心術を「素敵!」とまで言ってのけるはたての性根に、さとりは呆れを通り越して感心すらしていた。彼女の心は文や椛への劣等感で塗れているが、それ以外の輝きをはたては見抜けていない。
彼女が地位以外の自分の価値に気付く事ができていたなら、天狗の未来も相当変わっただろうに。そう考えて、ふと思い直す。
(変わったから、生き延びたのかしらね)
「というわけでもう一回謝らせて! ごめんなさい!」
「だから必要無いと言っているでしょう。貴女に謝られる謂れはないですし、なにより私が求めていない。……必要無いのはそのバッグの中身もですよ」
感情を悟らせない無機質な瞳に晒され息が詰まった。思わずバッグを掴む力が強くなる。
バッグの中身は天狗直轄の数地区を『さとり妖怪』へ返却する誓約書と、採れたての龍珠が少々。かつて奪い取った土地を元通りに戻して尚且つ返すのは当然として、龍珠はさとりへの経済支援の一環であった。
それら全てを拒否されたとあれば、はたては押し黙るしかない。さとりの心情が憎悪などといった生易しいものではなく、虚無そのものである事を察したからだ。
少しして再度口を開く。
「もう、山に戻るつもりはないの?」
「そういうことです。そして貴女達から施しを受けるつもりもさらさらありません。当然、赦し云々と言った話をする気も毛頭ない」
「……」
「ただ勘違いして欲しくないんですけど、天狗を憎んでるから話をしないと言ってるわけじゃないんです。本当にもうどうでもいいから放っておいてくれっていうのが本音であって」
「そんなっ、あんな事があったのに!?」
「当事者はもう生きていませんし、貴女に至ってはますます関係がない。何があったのかを勝手に推し量って、勝手な罪悪感を抱いているだけ」
「止められたかもしれない!」
「でもこうして起こってしまい今がある。たったそれだけの話。──そして貴女は、何も詳細を知らない癖に勝手な責任感の矛先を私に突き付けている。これを面倒臭いと言わずして何と言うのです?」
戸惑いが溢れる。
確かに、現場を見ていないはたてには、伝聞でしかあの事件を知る術が無かった。全ては事後であり、はたては蚊帳の外だった。
覚妖怪の族滅は今なお当の天狗達の間でも触れたがらない"歴史"である。というのも、天狗達ですら何故あのような事件が起きたのかすら分からないのだ。
引き起こされた理由は不明。張本人であった時の天魔や下手人の天狗は既に亡く、当時の状況を知るのは古明地さとり一人だけ。
(そうだよ。全容が解らないまま何を言ったって、さとりにはチープな戯言にしか聞こえない。もっと向き合わなきゃ!)
そうだ。今思えば、あの事件を皮切りに天狗は積極的な拡張政策に傾倒するようになり、妖怪の山に戦渦を齎し続けた。自分は心を痛めていただけで、何もできてない。今ようやく自分のやりたかった事ができる立場と時間を手に入れたのだ。引き下がる訳にはいかない!
その為にはさとりの心内を知る必要がある。そんな想いを無謀にもサードアイを通して訴えかける。
「……知ろうとしない事は勇気であると、貴女の敬愛する紫さんは心の中で毎日繰り返しています。癪ですが、その通りだと思いますよ」
「でも真実から目を背け続けるのは罪だと思う。全てを知って、全てを受け止める事が、天魔の──姫海棠はたての責務だから」
深いため息。
やはり天狗という妖怪はジャーナリズムを生まれながらにして持つ種族なのかもしれない。……ならば自分にも考えがある。
心配するように横顔を窺っている燐へと合図を送る。客人としてもてなすようにとの指示だ。
「私には今後やらなきゃならない事が幾つかあります。そしてそれを為す上でこれ以上敵を増やしたくない。だから貴女に教えるのですよ? といっても、真実というには余りにもお粗末ではありますが」
「うん。ありがとう」
場の雰囲気が和らいだお陰でようやく肩の力を抜く事ができる。はたては締まりのない笑みを浮かべ、テーブルを挟んださとりの正面に腰掛けた。
それなりに長い話になると前置きした上で、さとりは淡々と語り始めるのだ。
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あまりにも命が軽い時代だった。
人、妖怪、神仏問わず、ありとあらゆる種族が生存の為に鎬を削り、滅んでいった時代。確固とした覇権勢力はなく安寧など夢のまた夢。まさに生き地獄、修羅道の顕現せし地。
だが妖怪の山は別だった。
拙いながらも秩序があった。伊吹萃香の気紛れで興った脆い勢力でありながらも、確かな平穏は存在していたのだ。
この時は良かった。鬼を除いて皆平等であり、均衡が保たれていた。天狗は鬼の遣いパシリとして日夜奔走し、河童はみんなの便利屋として重宝される。安寧の中でも覚妖怪が好かれる事は無かったが、それでも何にも代え難い平和を甘んじて享受していたそうだ。
萃香が地上に興味を失い統制が失われてからも争いは起こらなかった。各勢力が均衡を望んだからだ。強いて言うなら天狗と河童が少々抜きん出ていたが、単体で情勢を左右するようなものでもなく。相互監視による水面下の諍いが平和の正体である。
このまま何も無い退屈な日々が続けば良いのにと、誰もが思っていた。さとりだってそうだ。あの頃は平和を望んでいた。
世界はそんなに優しい物ではない。破滅は何の前触れもなく、万人の足を絡め取る。
山の外が俄かに騒がしくなってきた頃だ。妖怪の山の主導権を巡り天狗と河童の間で戦争が勃発した。鬼という強大な存在を失い、代わりに浮上した新たなる脅威により統一への機運が高まったためだ。
外界では『蟲妖怪』が一時の覇権を握り、大陸最強と称された九尾の妖狐が上陸し、並み居る古豪達が集合と離散を繰り返し、八雲紫と摩多羅隠岐奈の対立が激化していた。そんな状況下で安寧に甘えるのなら、破滅は必至。誰かが纏めねば山を生かす事ができないのだ。
戦いは他勢力の介入を待つ事なくあっという間に決着。天狗の大勝利によって妖怪の山の趨勢が大きく揺らいだ。河童は勢力を著しく衰退させ、河城にとりの誕生まで苦渋を余儀なくされた。
一方、蚊帳の外であり続けた覚妖怪も静観を保つ事はできず、天狗に恭順し生きながらえる道を選択する。対抗手段に乏しく、信頼関係を築けない覚妖怪にはこれしか道がなかったのだ。これを天魔は条件付きで認めるとした。
『特別な目を持つ覚妖怪を一名人質として差し出す事』
これに該当するのは世界広しといえど二人しか居なかった。その特異な能力に天魔は目を付けたのだろう。
古明地姉妹。さとりとこいし。
その潜在的な戦略性は天狗の優位を覆しかねない程に強力無比なものであり、放って置かれる道理などなかったといえる。戦乱の世に一勢力を束ねる上で、彼女らのような存在を囲う事には重要な意味があった。むしろ、勢力拡大とはコレの事を言うのだ。
古来より名を馳せる強者達とは、この世の歪みである。生まれ落ちる世界を違えているのではないかと思ってしまう程に眩く、恐ろしい。一騎当千の強者とはまさにこのことで、一人居るだけで戦争の行く末も、賢人が描く大局も、全てを破壊してしまう。
伊吹萃香がそうだ。星熊勇儀もそうだ。リグル・ナイトバグだって、九尾の狐だって、封獣ぬえだって、射命丸文だって……みんなそうなのだ。ごく稀に現れる綺羅星のような、天災のような存在。
天に愛されし者、奇跡の存在、覚醒者……その他様々な名称で呼ばれていた其れ等を多く手中に収める事こそ覇道の一歩なのだと、天魔が考えていたとしてもおかしくはない。天狗にもその稀人に該当する者は数名居たのだが、まだ足りない。他種族からも募る必要がある。
そんな奇跡の存在が覚妖怪に、それも二人。これを自陣に組み込む以外の選択肢は無かっただろう。しかも一人を天狗の膝下で運用し、もう一人をそのまま覚妖怪の下に残しておけば過度な要求を突き付ける必要は無くなり、今後の慰撫もやり易くなる。
その推測された目論見は当然、次世代の中核と目されていたさとりに考え付けない訳がない。それで覚妖怪の存続が許されるなら安い物であるとすら考えていた。
当然、覚妖怪の中でさとりとこいしのどちらを天狗に差し出すかについては、一応の話し合いが行われた。ただ結果は既に決まっていたようなものだ。
覚妖怪の例に漏れず人付き合いに難があったさとりに対し、妹のこいしは覚妖怪らしからぬコミュニケーション能力があった。簡単に言えば陽の者だったのだ。
どちらを送るべきかは火を見るよりも明らかだった。
出発の日にこいしと交わした言葉は、数百年経った今でも手に取るように想起できる。
『お姉ちゃんと暫くお別れかぁ。寂しくなるね』
『私もよ。手紙、ちゃんと書くのよ?』
『もーお姉ちゃんったら心配性なんだから。安全第一だよね、了解りょうかーい』
心を読むという能力上、覚妖怪同士の会話ほど不毛な事はない。しかし変わり者の古明地姉妹は互いの心を深くまで知っておきながら、日常的に多くの言葉を投げかけ合っていた。こいしに引っ張られているのもあるが、何より姉妹仲の良さが伺える。
『みんなよりちょっと多く見えちゃうだけでなんか大袈裟だよねー。余裕が無いっていうかさ。まあ期待されてる分だけ頑張るんだけどー』
『私達の力は特別だから、どうしても外野からの制約を受けてしまう。最高に素晴らしい能力なのに、この点だけが厄介よねぇ』
『出たーお姉ちゃん十八番の自画自賛!』
『誰も褒めてくれないんだもの。せめて自分だけでも正直者で居たいと思うのはごく当然のことよ』
『お姉ちゃんのそういうとこだけ見習いたいなぁ』
『存分に見習うと良いわ。……あっちでも気負わずいつも通りやれば大丈夫よ』
『おっけー! 覚妖怪の未来は私にどーんと任せて!』
『うーん……』
最後まで笑顔を絶やさなかったこいし。胸中に一切の不安はなく、自分や姉、覚妖怪の未来を本気で良くしてやろうと思っていた。そんな妹に呆れと不安を抱いたが、さとりに口を挟む余地は無かった。
というのも、さとりは天魔の戦略に一定の理解を示していたからだ。昨今の情勢を鑑みれば致し方ないと考えるのは当然で、勢力の均衡を保ってこそ敵方の内情も窺い知れるというものだ。話し合いの場さえ設けてくれれば後は覚妖怪の独壇場である。
そう信じた。信じて妹を送り出した。
帰ってきたのは妹の亡骸だった。
滝から落とされたモノが流れ着いたのだろう。生前とは似ても似つかない変わり果てた姿で、物言わぬ屍となって姉の手に戻ってきた。そして荒れ狂う思考の整理が完了する間もなく、覚妖怪の族滅が開始されたのだ。
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「酷い有様だったわ。辛うじて妹と判断できたのは毛髪と、衣服と、眼球をくり抜かれたサードアイの残骸によるものだけ。あまりに遺体の損傷が激しくてね、死因は結局特定できなかった。唯一判るのは、犯人が誰なのかだけ」
「なんて惨いことを……」
「当時の私はあまりにも無力でした。想起の力こそ使えたものの規模や精度は稚拙の一言。情けない事に、動揺してそれどころじゃなかったのかもしれません。混乱の中、山姥の下に逃げ果すので精一杯でした。一族、妹の亡骸……全てを置き去りにして、私だけが生き残った」
はたては悲しみに肩を震わせた。
自らの無知と天狗の暴虐をいま再び恥じた。
何も知らない鴉天狗が何を言ったって響かない筈だ。言葉と共に想起の力で流れ込んできた明確なビジョンは、はたての心に深い爪痕を残した。
「天狗では一般的に『覚妖怪に叛意が有ったから、仕方ない処置だった』と共有されているようですね。そうこじつけなければ正当化できなかった。あまりに突拍子もない決定……今となっても何故天狗に一切メリットがない蛮行が罷り通ってしまったのか、見当もつかない」
「ご、ごめん、なさい。私なにも知らなくて……」
「そうですね。少し前に射命丸さんの心も覗かせて貰いましたが、やはり彼女も詳しい原因を把握できていなかった。真実を知る事は最早不可能でしょう。当事者はもうとっくの昔に葬られて、この世に居ないのですから」
「それも、知ってるんだ」
天魔殺害は秘中の秘。知るのは天狗上層部と目撃者だけの筈だが──さとりほどの者になればその程度の情報は知ってて当たり前なのか。
と、はたての頭で断片的な情報が一つの線となり繋がった。
涙を拭う。
「だから、紫と仲良くしているの? 妹さんの仇である天魔様を殺してくれた、から」
「……」
確かにそうだ。天魔は八雲紫に殺された。
天狗側の目撃者は千里眼で哨戒中だった犬走椛ただ一人。彼女からの報告が状況証拠の全てだった。故に動揺を最小限に抑える事ができた。
アレ以来、天狗の国是は『八雲紫の打倒』となり、幻想郷を巻き込んだ対立に発展していく。天魔の影武者に仕立て上げられたはたてにとってはいい迷惑だった。
そもそも自分が偽物である事など当事者の紫にはバレバレだろうに、何故か影武者が上手く機能していた事が今でも不思議である。紫は紫で何も言ってこないから余計に。文曰く「上層部と紫さんの間で何か裏取引があったのでは?」との事だが……。
話を戻そう。
さとりが何かと紫を気にかけているのは、一流ユカリウォッチャーのはたてにとっては常識である。折角紫と仲良くなれたのだから、その
そんな仲良し二人が出会った経緯を推測すると、やはり天魔の死が関係しているのではないかと思った訳だ。
推測の成否はさとりの顰めっ面が物語っている。
「それとこれとは話が別です。天魔を殺された事で多少なりとも気分が晴れたのは否定できませんが、その程度では私に恩は売れません。紫さんが手を下さなくてもいずれ私が殺していたでしょうし」
「そっか。でもさ、逆に言えばそれ以上に紫に対して恩を感じてるって事だよね? 妹さんの敵討ちが些細に思えるほどの何かがあったんじゃないの?」
「恩を感じてるのは決定事項なんですね……」
「うん。じゃないと今までの行動が説明できないもん。ちょっと利害が一致してるにしては体張りすぎだし、紫と一緒に居る時だけなんか楽しそうだったし」
「は?」
「えっ、違うの?」
やはり天狗は危険、滅ぼすべきか?
そんな危険な考えを抱いてしまう自分の心を強靭な精神で押さえ付けつつ、どう返すべきか逡巡する。というかはたてが行なってきた紫や自分への盗撮の回数が尋常じゃない。天狗のモラルは今も昔も地に落ちたままだ。
気を利かせてくれた燐からの氷嚢を受け取り、痛む頭から半ば意識を振り払うようにして言葉を返す。
「どうやら貴女は憶測で仮説を立てるのが好きなようですが、そのうちの8割は完全に的外れなものであると忠告しておきます。百歩譲って荒唐無稽な妄想をするのは構いませんが、外に出すのはマジでやめて下さい。私に首を吊らせたいというなら話は別ですが」
「あははごめんね! 職業病みたいなものかな、最近私も新聞記者を始めたんだよね。文たちみたいには上手くできないけど」
「文字にする事は無さそうなので見逃します」
「うんありがとう!」
とは言うものの、このまま誤った部分を放置してはたてに不本意な動きをされるようであれば本末転倒。折角開示した情報も無駄になってしまう。
つくづく自分はこういう駆け引きに向いてないのかもしれない、なんて事を思いながら、さとりは口を開いた。
「貴女の言う通り、私には紫さんに対してどうやっても返しきれない、とても大きな恩があります」
「うんうん」
「──私とこいしに意味を与えてくれたのです。今こうして古明地姉妹が"健在"なのは紫さんのおかげ、ということになります」
「うん?」
不可解なワードにはたては首を傾げた。
妹のこいしは既に死んでいると先程教えられたばかり。しかしさとりは自分と同時に彼女も健在であると断言した。前後が結び付かない。
と、そんな疑問を振り払うかのように再び想起の力がはたての心に流れ込んでくる。
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『そったらもう此処には戻ってくるでねぇぞ。きっとお前の幸せは下さあっからな』
『……お世話になりました』
『強く生きんだぞ』
覚妖怪が滅亡し行く宛を失ったさとりを迎え入れてくれたのは天狗以上に排他的な種族である筈の山姥だった。群れを成さず単独での生活を主とする妖怪である。
当然、彼女らの領域も侵攻を受けかなりの被害が出ていたが、唯一それら全てを跳ね返したのが坂田ネムノという山姥。天狗により住処を追われた弱小妖怪や
そんなネムノの下に数年間厄介になっていたさとりだが、和平交渉に赴いた天狗から大体の情報を得たため妖怪の山を去る決断に至る。
厳しい言葉でさとりを見送ったネムノだったが、その心中はとても穏やかなものだった。彼女や同じく身を寄せていた者達との交流があったからこそ、さとりは幻想郷に仇なす悪鬼に成らずに済んだのだろう。
その後さとりは地下に潜り、地底の奥深くにて打ち捨てられた館に居を構える。移住の理由としては、やはり幻想郷と縁を切りたかったのが一番だろう。次に平穏な暮らし。そして最後に閻魔からの誘いがあったから。
今も昔も変わらず、幻想郷の掃き溜めなど散々な異名を持つ旧地獄だが、実態は真逆だった。地上に比べれば遥かに統制が利いていたし、何より当時は発展が目覚ましかったため、流れ者が土着する土壌が出来上がっていた。此処でも伊吹萃香と星熊勇儀の気紛れ治世が功を奏した形になる。
ただ治安は頗る悪かったのでどうしたものかと元管理人の四季映姫が悩み抜いた結果、どういう風の吹き回しかさとりに任せる事に。
依頼された当時は急な事でらしくもなく考え込んでしまったものだが、どうもその境遇を知った鬼達が変な方向に気を利かせてくれたらしい。さとりの能力が荒くれ達の統治に向いているのも映姫を説得できた一因だろう。
さとり自身、面倒な役目を任されたと思いつつも、自分の能力を正当に評価してくれているので悪い気はしなかったり。
地底はいい場所だと何度思ったことか。
日は昇らず、月は沈まない。昼夜が無ければ当然季節もない。降り積もる怨恨と灰の雨だけが時間の流れを教えてくれる。
一人では広過ぎた館も徐々にペットが増えて賑やかさを取り戻す。早いうちから燐がさとりの下に来てくれたのは幸運だった。地雷持ちの地獄鴉もセットなのは考えものだが、それはそれで愛いものである。
幻想郷に居た頃では想像もできないような充実した毎日。可愛いペットに、安息の地。これだけあって何を望もうか。
決まっている。妹が足りないのだ。
どれだけ幸福の水を注ぎ込まれても、ポッカリと空いた心の器では一定以上の水位しか保つことができない。与えられる水を見て、空虚をより鮮明に感じるだけだ。
自慢の能力で記憶の層を何度呼び起こしても、喪われた命は決して回帰しない。かつて在った幻想を想起し、瞳に投影すればこいしは在りし日の姿で語りかけてくれる。
それでも縋っている時だけ、姉に戻れた気がした。
運命の出会いはあまりに唐突である。
『初めまして、八雲紫と申しますわ。館主自らの出迎え感謝いたします』
(外は硫黄臭かったけど、館の中は獣臭いわね! それにこの人、メルヘンチックな服だし変なスリッパ履いてるし……噂通りの不思議ちゃん系陰キャって感じ。趣味は読書と執筆ですとか言いそうな雰囲気してるわ)
何だコイツ、と。初めはそう思った。
八雲紫の名は勿論知っている。地上じゃ専ら最強の妖怪と称されている正真正銘の怪物。数多の強大な配下を持つにも関わらず、かの天魔を単独で葬った化け物。森羅万象の一切合切を知ると噂される地上の賢者。
賢者の姿か? これが……。
上辺だけの態度を取る奴は何人だっている。しかし八雲紫のそれは常軌を逸していた。
風貌と言葉の圧に対して、心があまりにも幼稚過ぎる。偽装が上手い妖怪なのかとも考えたが、にしては狭間の力が強い。こういうタイプの妖怪は一癖も二癖もあるのが常であり、尚且つ紫のそれはズバ抜けていた。
関わりたくない。早急に出ていって欲しい。
それがファーストコンタクト時の正直な心境だった。
『四季映姫から話は聞いています。かの高名な古明地さとりさんが地底を管理しているのであれば、幻想郷の外憂は絶たれたも同然。非常に頼もしく感じます。是非とも親しくしていただければ』
(ホントはさとりなんて聞いたことないけどね。でも映姫があそこまで褒めるって事は相応の能力はあるって事だしね! 今のうちに媚びを売りましょう!)
『はあそうですか、それはどうも』
『ふふ──其方の可愛らしいお嬢さんも、よろしくお願いしますわ』
(うーん、やっぱり人付き合いがあまり好きではないのかしら。それに引き換え、後ろの女の子は元気いっぱいの陽キャちゃんね。妹さんかな? とっても利口そう! 交渉するならこっちの方がいいかしら?)
何言ってんだコイツ、と。初めはそう思った。
当然部屋にはさとりと紫だけ。燐はおろかペットの一匹すらいない筈だが、目の前の妖怪は初めましてと同時に幻の三人目に語り掛けたのだ。馬鹿馬鹿しい、狂人の相手などしていられるか。燐に命じて強制退去を促そうと、手を挙げる。
しかし、声は半ばで泡と消えた。
紫の心に映る姿。
いつものように顔色の悪い自分と共に在ったのは、妹だった。紫の心を介して死んだ筈のこいしの存在を認知するに至ったのだ。
あくまで感覚的な問題である。姿は無い、心は無い、魂すら無い。しかしこいしが存在している事だけが分かった。
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「話に付いていけてませんね?」
「当たり前でしょ! え、どゆこと? 妹さんは死んでるの? それとも生きてるの?」
「分かりません。死んでしまったのは確実なのですが、概念的に、空想的に今なお現世に留まっているみたいで。私が強く意識するほどこいしはより鮮明に存在を残す事ができる。紫さんの境界を操る力と私の想起の力、両方が合わさった事による奇跡なのかもしれませんね」
「ほへー」
はたては考えることをやめた。
だがそんなややこしい事態になっている理由は明白だ。
「うーん、確かに紫が関係してるっぽいよね。あっ、それで紫に恩を感じている、と」
「曲がりなりにもこいしと再会させてくれましたからね。本人に全くその気がなくても手助けしてあげる程度の義理はあるでしょう?」
「なるほど合点がいったわ。紫が居なくなっちゃうと妹さんにも会えなくなるしね」
「そういう事です」
まだまだ理由はあるものの、この面倒臭い世界に足を踏み入れる羽目になった発端はそれだ。もしや自分は不幸体質なのではないかと何度疑ったことか。
しかしそれでも後悔はしていない。この先どんな運命が待ち受けていて、悲惨な結末を予め知る手段があったとしても自分の選択は変わらない。
アレを前にして何も行動を起こさないほど、古明地さとりは落ちぶれていないのだから。
「以上が私と天狗、そして紫さんの間で起きた出来事の殆どになります。……満足できたようで何よりです」
「さとりが『どうでもいい』って言った意味、よく分かったの。私からできる事なんか何もないよね。私は……紫のようにはできないから。でも困った事があったら言ってね。私や天狗のみんなに出来る事なら何でもする!」
「アレを基準にするのはやめておいた方が良いですよ。あと、どうしてもというなら早速二つほど頼まれてくれませんか?」
「えっ!? なになに!?」
思わぬ申し出にはたては喜色を浮かべる。
最初は「施しなど必要ない」と突っぱねたが、はたてと話しているうちに少し考えが変わった。気を利かせた訳ではないが、この対談ではたての人柄をよく把握できたからこそ頼むべきだとさとりは判断した。
なんて事のない依頼だ。
「新聞記者を目指しているのでしょう。ならば明日から朝刊と夕刊を一部ずつお願いしたいんです。定期購読ってやつですね」
「……いいの? まだ一回も作ったことないから上手く出来るか分からないんだけど。私なんかのより文の『文々。新聞』の方が……」
「地底に住んでいるとどうしても幻想郷の情勢に疎くなってしまう。なので起こった事をそのまま事実として書いていただければ大丈夫ですよ。もし貴女さえよろしければ、文体やら内容やらを勝手に添削しますので、次に活かしてください。『花果子念報』の第一購読者は私という事で」
「……! うんっいっぱい持ってくるわ!」
「一部で充分です」
てゐとドレミーが出払っている今、情報源は燐からの定期報告のみとなっており心許なさを感じていたところだ。ちょうどいい。上手くはたてを誘導して自分好みの新聞を作ってもらおう。
世論操作とかそんな高度な役割は求めておらず、楽しい読み物が増えればいいな程度の魂胆である。上昇志向の強いはたてなら助言をよく聞き入れメキメキと腕を上げてくれることだろう。
これが一つ。
「もう一つですが、なるべく多い回数紫さんを念写して欲しいのです。特に有事の時ほど。そして少しでも違和感があったら私に即連絡、と」
「紫の写真かぁ。うーん……なるべくでいいなら大丈夫よ。ただやっぱりリスクを伴うからあまり高頻度ではできないわ。これまで散発的に念写してきたけど、何回か気付かれかけた事もあるし」
「問題ありません」
紫の瞳には"存在しないモノ"を見通す力がある。
本人が間抜けで脳天気なので大抵は気の所為で済ませてしまっているが、アレは紫の癖して中々に厄介な性質。確認できるだけでも鈴仙、こいし、はたて、ドレミーの能力を看破している。
境界を操る
といっても気付かれたところで紫に出来る事は何もない。唯一懸念があるとすれば、盗撮を八雲藍に告げ口されカチコミされる事ぐらいか。
(監視の眼は幾つあっても困らない。役柄の関係上、紫さんと顔を合わせる機会も多いだろうし、利用しない手はないわね)
「まあどーんと任せておいて! 頼られたからには役に立ってみせるわ! あっ、もし希望なら夕刊持って来る時に紫の写真を一枚付けよっか?」
「よろしくお願いします。……ちなみに保管用とか観賞用とか、そういう用途で使うモノではないと予め言っておきます」
「あ、違うの」
「貴女もそこそこ失礼ですよね」
そもそも今までの来客の中で失礼しなかったのはフランドールだけという悲しい事実。文字通り『お郷が知れる』というやつである。
と、はたてはある事を思い出し慌てて携帯を開く。一度だけお忍びで天狗の里から抜け出した際、偶々出会ったにとりから貰った数十年モノの宝物。
慣れた手つきで開いたのは写真フォルダーだった。
「紫の写真で思い出したんだけど、こいしってもしかしてこの子じゃない? 紅霧異変が終わってすぐくらいかな。紫を念写した時に見た事ない子が写り込んでたから」
「……見せてもらえますか」
「いいよいいよ。ほら」
携帯を受け取り画面を覗き込む。
はたての言う通り、その写真は紅霧異変が終結し紫がフランドールを地霊殿に連れて来た時のものだった。
廊下で不機嫌そうに睨み合う顰めっ面のさとりと澄まし顔の紫。対照的にその奥の部屋で仲良さげに笑い合うフランと──。
「……こいし」
妹の笑顔を見たのは何百年ぶりになるだろうか。死地に送り出してしまったあの日と変わらない笑顔。
想起の中でもこいしは笑ってくれなかった。さとりがどうしても想像できなかったからだ。物憂げな表情しか浮かばなかった。
楽しくやれているのか。
姉として、これ以上に嬉しいことはない。
「それじゃあそろそろ失礼しようかな。みんなが帰りを待ってくれてるし、早く明日の分の記事作りに取り掛からなくちゃ」
「はたてさん、ありがとうございました。またいらしてください」
「いやいや、むしろ色々と教えてくれて助かったのはこっちの方よ。今日学んだこと全部、これからに絶対活かしてみせるわ」
ふと時計を見る。かなり長く話し込んでいたようで、地上では日が暮れかかっている頃だろうか。
「そうだ。もう夕方だし、最後に紫を念写しておくよ。確認お願いね……っと、念写完了」
手慣れた様子で何もないように盗撮しているのは流石である。年季と面構えが違う。
さて紫は今なにをしているのか……。二人一緒に携帯の画面を覗き込んだ。
【藍と天子が互いの胸を鷲掴みにして激しく言い合いながら大喧嘩中。そんな二人の間で死んだ目を浮かべながら此方を見る紫の図】
「ねっ、面白いでしょ」
(何やってんだコイツら……)
はたて「仲良しっていいよね!」
さとり「そっすね」
揺れる胸(ダブルミーニング)次回に続きます。今回は比較的重い話だったかと思うので、マイルドゆかりん成分マシマシです
幻マジ初期レギュラーのさとり様ですが、こんな事情でゆかりんに与しているとかなんとか。罵倒がデフォなのにも理由があったりなかったり。ついでに情緒滅茶苦茶な奴ばっか相手しているので、少しでも常識のある方には結構甘々な対応だったりする。
ちなみにこれまでの話でこいしを肉眼で視認できているのはゆかりんを除くとフランちゃんとドレミーさんだけ。なおフランちゃんは最近こいしの事が見えなくなってきてるらしいですよ。うどんちゃんとかオッキーナならもしかすると見えるかもしれません
今のところ死亡原作キャラは魅魔、こいし、諏訪子、飯綱丸さん?ということになります。まあ天魔は原作のそれと同じ人物なのかというと正直違うと思うのでなんとも言えませんが。なんにせよ……嫌な事件だったね……
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