幻想郷は全てを受け入れるのよ。それはそれは残酷な話ですわ……いや割とマジで   作:とるびす

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突然の覚醒は東風谷早苗の特権である。




奇跡は儚き信仰の為に(後)

「イヤッ……そんな、お師匠様ぁぁあ!」

 

 あっという間だった。

 けたたましい音が本殿から鳴り響いたかと思うと、少ししてお師匠様が障子を突き破って転がり落ちてきた。勢いそのままに賽銭箱を破壊し、色々なモノや血が辺りに飛び散る。そして一瞬呻いたかと思うと、ぐったりと仰向けになって、そのまま動かなくなった。

 

 

 

 艶めいていた唇の端からは黒い線が伝い、頬を濡らす。血でないことは一目で分かった。よく見るとナニカが紫色の導師服を突き破った跡がある。そこからも黒い液体は流れ出ていた。

 液体は止めどなく流れ続け、境内を赤黒く染めていく。何故だか、ピリピリと肌がひりつく……。

 

 妖怪であるらしいお師匠様だが、姿形は人間と然程変わらない。私にはどこからどう見ても、お師匠様が息絶えてしまったようにしか見えなかった。瞳は閉じ切ってしまった。その様を見ていると、とても悲しくなって、とても辛かった。

 あの綺麗な紫色の瞳……私という人間を見てくれたあの優しい瞳は、もう二度と開かれる事がないと考えたら……自然と涙が溢れ出てきた。

 

 初めての理解者だった。

 あの人がこの地に来てから私の陰鬱とした最低の日々は終わりを告げたのだ。……私は、お師匠様が……紫さんが大好きだった……。

 私を救ってくれたあの人が……。

 

 今すぐにお師匠様へ駆け寄りたい。まだ死亡を確認したわけじゃない、まだ助かる望みだってあるかもしれないのだから。

 だけど、足が動かなかった。

 お師匠様に今近づくのは危険であると、何かが告げているのだ。そう、私を呼び止めているのは『神様の声』だ。だけどそれ以外にも、私に警鐘を鳴らすナニカがあった。

 

【────ッ──】

 

「神様、私は……!」

 

 やっぱりこんな時でも神様が何を言わんとしたいのか、私にはさっぱり分からない。必死に意思を伝えようとしてくれているのに、私はそれに応えることすらできない……! 

 だけどそんな事は今更だ! 神様が必死に何かを伝えようとしているという事は、差し迫った危機が近付いているという何よりの証左! 

 

 そう、今は脅威を把握する事が最優先だ。お師匠様をこんな姿にしたのも私の認識できない脅威の仕業なんだろう。

 

「何がいるの? お師匠様は一体、何に対して危機感を? ……正体を知らないと、何もできない……!」

 

 石畳の間から伸び生えた雑草が風に煽られ、さわさわとその身を揺らす。そろそろ梅雨に入ろうかというこの季節、湿っぽい空気が我が身を包む。じわりと汗が滲み出て不快感を覚えた。

 分かってる。この不快感の正体は気温や湿度によるものではない。お師匠様風に言えば『良からぬもの』がこの境内には確かに存在しているはず。いる……確実に、私の存在を捉えている……! 

 

 境内全体を急いで見回した。鳥居にほど近い私、本殿の階段下の石畳に倒れ伏すお師匠様、ナニカが騒つく境内。

 少しでも、手掛かりを──! 

 

『異界を視る上で最も大切な事は、常識を捨て去る事。これまでの認識を如何に覆すかですわ。信仰と同じなのよ、早苗。信じればいつか見えるはず……報われるはずよ』

 

 お師匠様は毎日のようにこんな事を言い聞かせてくれた。数々の奇跡を目の当たりにしながらも、なお懐疑を抱いていた私に。

 慣れてしまっていつの日からか半ば聴き流していたけれど、あの言葉の意味が今になって痛切に胸の内から湧き上がってきた。

 

「常識に囚われてはいけないのですね……!」

 

 思いっきり目を擦る。

 

 自分の脳で処理しきれぬ事象にぶつかったとしても、夢幻(ゆめまぼろし)として片付けてしまうのは簡単だ。

 そうじゃない! これは現実なんだ! 

 目を開けろ東風谷早苗! 逃げるな──戦え! 

 

 信じて──! 

 お師匠様を──神様を──! 

 

 

 

 

 景色が一変した。

 私は粉々に砕け散った石畳の上に立っていた。隙間から生えていたあの鬱陶しい雑草は全て枯れており、唐草となって寂しく風に靡いている。

 世界の色が藍色から灰色、そしてサビ色に移り変わっていく。これは一体……何が起こって……? 

 

 ふと本殿を見ると、見てくれだけは立派なあの社を支えていた幾多もの柱はへし折れて、屋根が中の神室を押し潰していた。

 もう驚きはしない。ただ疑問に思った。守矢神社はいつから壊れていたんでしょうか? ……いや、もしかして始めから? 

 

 そして何より目を引いたのが、お師匠様にのしかかるその存在。私は初め、それが人間の形をしていることに気が付かなかった。

 あまりに不吉で、あまりに禍々しい。ザワザワと、嫌悪感を引き立てる滑やかな触手の集合体がひしめき合っている。

 

「……イソギンチャク?」

 

 マイルドな感じに例えてみたものの、現在進行形でSAN値を削っていく『コレ』には不適切だったかもしれない。

 初めて目にした怪異。これが……お師匠様が見ていた世界なのですね……! こんな時になって、こんな形になって、永遠の夢が叶ってしまうなんて! 

 

 大して事態が好転するわけじゃないのに、それでも胸は高鳴ってしまう。ようやくスタートラインに立てたような気がするんです。

 だからまずは──! 

 

「お、お師匠様から離れなさい! イソギンチャク! こ、この東風谷早苗が相手になりますっ!」

 

 近くに落ちていた木の棒を拾い上げ、なけなしの防備を固めながら勝負に出る! 構えなどあったものではない、無茶苦茶に振り回しながらなんとかお師匠様への接近を試みる! 

 もっとマシな方法はあっただろう。だけどこれ以上お師匠様を傷付けられるわけにはいかなかった。焦りが生んだ特攻。

 

 そんなもの通用しなかった。

 伸縮する触手が棒の先端を掴んだかと思うと、私ごと力任せに振り回したのだ。砂利に引き摺られ、膝や腕にじんじんとした痛みが走る。

 

「痛っ……くぅ……!」

 

 ふと掴んでいた棒切れを見ると、先端から腐れていた。それは触手を離れてなお拡大している。私は情けない声を上げながら棒を放り投げた。

 

 この時、気付いた。

 あのイソギンチャクを中心に境内が禍々しいモノに覆われているのだ。草木は枯れ腐れて、石畳や砂利は塵になって崩れていく。

 お師匠様だって例外じゃない。黒々とした痣が接着部からどんどん拡がっている。それはまるで腐っていく死体のようだった。

 

「……っ、私が……やらなきゃ……」

 

 そう、私しかいない。

 やらなきゃいけないのに……涙が止まらない。

 

 こうしている間にもあの禍々しいモノはひたりひたりと私に近付いてきている。泣いてる場合じゃないのに……。

 

 変なものが見えるようになった途端これだ。私は今まで独りで生きてきた、誰にも頼らずに生きてきたのに、このザマ。

 

 慣れてしまったんですね……。

 お師匠様や、秋さん達がいる生活に。

 いつの頃からか、今の生活があるのは当然のように思っていました。悔しくて、辛くて、大変な毎日だったけど……それでも楽しかった。

 

 あの人たちに出会えてから私は笑えるようになった。あの人たちのおかげで、私は本当の自分を知る事が出来た。……嬉しかった。

 だけど満足するべきではなかったのだ。

 

 私はなんて脆弱なんだろう。

 力はないし、心も弱い。結局何の役にも立たない、只の──人間。

 

 嫌でも理解(わか)ってしまった。

 ここが私の到達点なのだ。

 

 何かの力に目覚めるといったヒーロー物語のような展開はない。変なものが見えるようになった、ただそれだけ。

 私はこれから為す術なくこの訳の分からないイソギンチャクに殺されて、物語は終わってしまうのだ。本当につまらない、物語だ。

 

 イソギンチャクはもう目と鼻の先。触れてもないのに気分が悪くなり、吐き気が込み上げてくる。これが、呪いというやつなんでしょうか。

 不思議と心が冷えるとともに、次から次へと様々な思い出が浮かんでは消えていく。これが走馬灯というものなのだろうか? 

 浮かび上がる情景の大多数は気分の良いものではなかった。思い出したくもないありふれた日常。だけどそんな中でも、木漏れ日のようにちぎれちぎれに輝く光はあった。

 

 今、私が涙を流すのは──

 こんなにも死が怖くて、生に執着しているのは──この光を知ってしまったからだ。手放すのが恐ろしくて仕方ないからだ。

 

 あんなに色々な事を教授してくれたのに、一つとしてモノにする事が出来ませんでした。貴女たちの期待に応えられなかった私は、ダメな弟子で、ダメな巫女です。

 ……ごめんなさい、お師匠様。

 ごめんなさい──神様。

 

 眼前に迫る死の恐怖に思わず目を瞑り、(きた)るべき未知の痛みに備えた。数瞬、或いは数時間にも思えるような暗闇の時間。

 

 痛みは終ぞ無かった。

 

 

「いい加減にッ……しろォッッ!!!」

 

 何かが破裂したのかと聞き紛うほどの打撃音が暗闇の先で響き渡る。恐る恐る目を開けるとイソギンチャクはおらず、そこには、ほんの一瞬だけ、誰かが居たような気がした。

 いや、今も居る! 目がボヤけてよく見えないけど、確かに誰かが其処には居たのだ。そして私を守ってくれた。

 

 少し離れた所では潰れたイソギンチャクがもぞもぞと蠢いている。あれだけの距離を吹っ飛んだのだから相当な衝撃を受けたはずなのに、ほとんど堪えていないように見える。

 

 なんにせよ、私を、私の命を……救ってくれたのですね。──神様。

 

 声だけで分かった。

 私の心に呼びかけてくれていた時と同じ声音だったんですもの。あの2種類の声のうちの、一つだった。

 

「神様──カナコ様。私は……私は……っ!」

「早苗よ。お前とようやく話すことができて、私は嬉しく思う。この日を……どれだけ待ちわびたことか」

 

 不安定な像が言葉に呼応して揺らめく。

 

「だが今は、互いの傷を舐め合い享楽に耽っている場合ではない。状況は、最悪よ。少なくとも、アレは今の私の手に負えるモノでは……」

「お師匠様を連れて一緒に逃げましょう! 秋さん達とも合流して、皆んなで!」

「ダメだ……ダメなんだよ早苗。私はもう手遅れだ。八雲紫もまた、恐らく……。だがお前だけならまだ逃すことができる──ッくぅ!」

 

 目視できないほどの速さで、触手がカナコ様の腕を貫いた。表情を窺い知る事はできないが、咄嗟に抑え込んだ声からかなりの激痛である事は分かった。私を──……守ったばかりに! 

 

「カナコ様……っ!」

「早苗ッ逃げなさいッ! 頼む……これ以上彼奴(あいつ)にお前を傷つけさせないでやってくれ。もはや自我は無くても……最期くらいは……!」

 

 轟音のような声が頭の中で鳴り響く。濁流のようにカナコ様の感情が私の心へと流れ込んでいく。この感情の正体は、愛と哀しみ。

 境遇を恨む想いはあっても、『彼女』を憎む気持ちは微塵にもなかった。

 

 私もようやく気付いた。

 何故カナコ様はこんなにも悲しんでいるのか……私を必死に逃がそうとしているのか。何故お師匠様があれ以上私を神社に踏み入らせなかったのか。

 

 彼女もまた、私が会いたくて仕方なかった一柱。守矢神社には……神様が『二柱』居たんだ。あのイソギンチャクは────。

 

 

「スワコ……さ、ま……?」

 

 溢れた名前には、否定も肯定もなかった。

 だけど、何も言わず無言を貫くカナコ様の姿勢こそが、何よりの証左だった。

 

 間に合わなかったんだ。

 私が力を手にできなかったばかりに! 神様を……殺してしまったんだ……! 

 その揺らぎようのない事実が私の胸を締め付け、吐き気と嗚咽になってせり上がる。私が、殺した……。

 

「それは違うッ! いいかい早苗。諏訪子の死はお前のせいじゃない、なるべくしてなった事なんだ。それどころかお前はよくやってくれたさ。流石は、私達の娘だ──ぐ、ぁ!?」

 

 カナコ様がこちらを向いた瞬間だった。スワコ様から伸び出た触手がカナコ様の身体中を貫いた。それでもなお触手は伸び続け──私の眼前で硬直した。カナコ様が貫通した触手を押さえ込んでいた。

 

「早苗、お前には長い間苦労をかけたね。幸せになってほしい一心で、お前に無責任な言葉を投げ掛け続けていたのは私の罪であり過ちだ。……だらしない神様ですまない……」

「あ、あ……」

 

『違う、そうじゃないんです』と。『貴女様達の声のおかげで私は生きてこれた』と。何故言えない? 何故言葉が出ない!? 

 言うんだ、言わなきゃいけないんだ! 

 言わなきゃこれが……最後になってしまいそうで──。

 

「諏訪子は全てを腐れ殺すだろう。草も木も、鳥も人間も……そして私やお前(早苗)でさえも。ははッ──今でこそこんなに落ちぶれてしまったが、昔の私達は中々のもんだった。今の諏訪子であれば、この国程度なら軽く呑み込んでしまうだろうね。けどそれじゃあ……お前(早苗)を救えない」

 

 スワコ様から発せられる錆色の光を、カナコ様の神々しい光が塗り潰していく。カナコ様の力が高まるにつれ、不安定だった像が収束していく。ぼやけていた像が鮮明なものになる。

 

 ──こんな、御姿だったんですね。

 ようやく、知ることができました。大まかな部分は『カナちゃん』に似通ってはいるけれど、カナコ様の御姿は威厳にあふれたものだった。とても凛々しくて、憧れてしまいそうなほどに。

 

「今の私じゃ諏訪子にはどうあがいても太刀打ちできない。このまま呪い殺されて、彼奴に取り込まれて……呪いの一部となりこの世界へ呪詛を吐き続けることになる。ならそれを逆に利用してやるさ。私を取り込もうとするこの触手を媒介にありったけの──己の存在をかけた全ての神力をぶち込んでやるッ!」

「いや……いやですカナコ様! 貴女様にもスワコ様にもようやく会えたのに、もうお別れなんて……私を置いて行くなんて!!」

 

 私の心はそれだけだった。

 こんな世界に1人にして欲しくない。神様達のいない世界なんて、いらない。

 

「もう、これ以上はダメだ。……無責任にもお前を1人残して逝く事を許してくれ……。すまない、本当にすまない……! だがどんなに苦しくても、歩き続ければいつか奇跡は起こる。そうさ、お前は立派な守矢の巫女なのだから」

「お願いですっ! やめて──!」

 

 私はどうすればいいのかを必死に考えた。カナコ様とスワコ様を止めるにはどうすれば……? 力もなく、知識もなく、情けない声を上げることしかできない私に何ができるの……? 

 声の出る限り叫び続けた。

 泣いて、泣いて、泣いて、叫んだ。

 カナコ様は止まらない。スワコ様も止まらない。……私は、何もできない。

 

 境内が震え、土塊が迫り上がる。既に崩壊していた地盤がカナコ様の力の高まりに呼応しているようだった。私の足場だけが綺麗な状態で残っている。

 今にも訪れるだろう最期の瞬間。私は思わずギュッと目を閉じた。ここに及んでも、私の取った行動は『逃避』だった。

 

 絶望と諦めに満ちた心で、その時を待つ。

 

 

 

「結界『夢と現の呪』」

 

 ──バツン、と。

 ブラウン管テレビの電源を切ったような、そんな形容し難い音がする。恐る恐る目を開けると、未だ健在のカナコ様もまた目を見開いていた。

 カナコ様を貫いていた禍々しい触手は中ほどで切断され、まるで生き物のように地面をのたうち回っている。そしてスワコ様もまた、二つに分割され宙を揺蕩っている。

 

 誰の仕業なのかは一目瞭然だった。

 

「お、お師匠様!? 良かった無事だったんですね!」

「……! ……!?」

 

 八雲紫その人以外にあり得ない。

 未だにポタポタと黒い液体を患部から滴らせており顔色も優れないが、どこか余裕を感じさせる微笑を浮かべている。

 何より目を引いたのはお師匠様の指先から断たれている空間、そしてそこから覗く新たなる空間である。これがお師匠様や秋さん達が日頃常々言っていた『スキマ』なるものである事はすぐに分かった。

 

 だが安心は束の間だった。スワコ様から新たなる触手が生え出ると、お師匠様へと次から次に殺到する。カナコ様の身体をあれほど簡単に貫通してしまうのだ、あんなものを受けてしまってしまっては文字通り蜂の巣……下手したらミンチだ。

 スプラッタな光景になる事は想像に難くなく、またもや私は目を塞いでしまった。だがその予想に反して、いやスプラッタな光景であるのは間違いないのだが、お師匠様は平然としている。

 

「こうはなりたくないものですわ。……貴女ほどの神でさえも、一度滅んでしまえば斯様な有様か。ならばいっそ──」

 

 しかもなんかカッコいいこと言ってる! 

 

「ひぇぇ、あんなに貫かれてるのに!? や、やっぱりお師匠様は人間ではなかったんですね……! 凄い!」

「……ッ早苗、退がりなさい」

 

 感極まってお師匠様へと近付こうとしていた私をカナコ様が押し留めた。

 事態は間違いなく好転しているはずなのに、カナコ様の表情はより険しいものになっている。それが何故なのか、私には分からなかった。

 

「お前が……やるのか?」

「ええ、貴女さえ良ければ私はその心算(つもり)ですわ。だって貴女には彼女(諏訪子)を滅する事なんて出来ないでしょうし、心情的にも辛いでしょう? 数千年連れ添った友を手にかけるのは」

「……」

「ふふ……とことん人臭い神様ですこと。ああ、これは褒め言葉ですわ。少なくとも私にとってはね」

 

 いまいちお二人の言ってる言葉の意味、そしてその本質が私には理解できなかった。だが場を見守るにつれ、その言葉の残酷さに自ずと気付かされることになる。

 

「諏訪子、其処にはもう居ないのでしょう? ……残念よ。あんなに見栄を張っておいて、結局貴女を助ける事できなかったのは、私の失態ですわ。だからせめて、何も苦しまず、後に禍根も残さぬよう──」

 

 ──弔ってあげますわ。

 

 そんな事を、慈悲に満ちた表情で言う。

 今ので確信しました。お師匠様はスワコ様を殺すおつもりなのだ。気付くや否や慌ててお師匠様を止めようとするが、またもやカナコ様に押し留められた。

 

「退いてくださいカナコ様! このままじゃ、スワコ様が……!」

「先程言った通りだ。諏訪子は既に死んでいる、アレはその脱け殻が力を持って蟲のように意思もなく、機械的に暴れているに過ぎない。……あの姿こそ、神の滅びた姿なのだから」

「そんな……!」

 

 

「力はかつてと同等でも、今の貴女はミシャグジを束ねていた存在ではない。坤を創造することすら容易ではないのでしょう。よって攻撃手段は触手と自前の呪怨しかない、と」

 

 お師匠様が軽く指先を薙ぐ。

 途端、貫いていた触手が細切れに分解され大地に消える。蜂の巣同然だった身体も瞬く間に修復されている! つくづく、あの人が人間から懸け離れた存在である事を思い知らされました。

 

「さて、まずはその邪魔な触手を全て取り払いましょうか。──捌器『全てを二つに捌ける物』」

 

 例のスキマから何かお札のようなものを取り出した。そしてお師匠様の力の高まりと呼応したそれは、眩い光を発すると同時に力として私の目の前に顕現する。

 斬撃──という表現は余りにもチープ過ぎる。全てを別つ境目と、カナコ様は仰っていた。禍々しく渦巻いていた触手はその一撃で大半が断たれ、消滅した。圧倒的だ……私が予め想像していたものとは次元が違い過ぎます! 

 

 だがスワコ様もやられっぱなしではなかった。触手を切られてもなお全身を黒霧が覆っており、顔を伺い知ることはできない。その霧から精製されていく途轍もない力は、色々なものが見えるようになったばかりの私でさえ、その規模に強い危機感を覚えるほどに強大。

 あんなものまともに食らったらどんな目に遭うのか、どれほどの被害が出るのか……想像もしたくない……! 

 

 輝く闇は宙へと放たれた。黒々とした夜空を塗り潰し、星の光を吸い込みながらその範囲を急速に拡大させている。

 そしてまるでスコールのように、闇は地上へと凄まじいスピードで降り注いだ。触れる全ての生命を食い散らかしながら、憎悪を振り撒いている。

 

 私はすんでのところでカナコ様の展開したバリアのおかげで何とか身を守る事が出来たが、その周りは酷いものだった。守矢神社を囲う雑木林が塵芥となって消えていく。

 

「いかんッあいつ、手当たり次第に攻撃を始めたか! くそ……この一撃で何人の命が失われたのだ……!」

「そ、それじゃこの攻撃はここ以外にも!?」

「最低でも諏訪全域が範囲内だ。その中に居た命は、ほぼ失われただろう。諏訪子が生涯をかけて守り育んだものを……まさかあいつ自身の手で奪わせる事になるとは……っ!」

 

 声を震わせながらカナコ様は叫んだ。

 つまり、私の中の知る人はみんな今ので死んでしまった……という事なのでしょうか? 正直あまり実感が湧かない。

 だけど、決して気持ちのいいものではないです。モヤモヤとしたなんとも言えない気持ち悪さだけが心に残る。

 それを為したのがスワコ様となれば尚更のこと! 

 

 あっ、そういえば秋さん達が近くに居たはずだ! 大丈夫だろうか……? この密度じゃ逃れるのは至難の技。ならもう既に? 

 そう思うと、また涙が出てきた。あの二人にだけは死んで欲しくないですから……。

 

「無益な殺生とはまさにこの事ですわ。何処ぞの閻魔風に言うなら『貴女の行動は益が無さ過ぎる!』──ってところかしら? なんにせよ、控えるべきよねぇ」

 

 一方のお師匠様は意に介した様子もなく、平然と死の雨を浴び続けていた。いや、よく見ると全く濡れていない。まるで薄皮一枚を隔てている何かに弾かれているようだった。

 そして再びお札を取り出す。

 

「『生と死の境界』」

 

 

 光が溢れた。

 

 鈍色の気配で満ちていた世界に、優しい生の息吹が吹き荒れる。

 スワコ様によって失われた生命が時を巻き戻すかのように息を吹き返し、消滅した筈の雑木林や本殿が次々に復元されていく。

 

「言ったでしょう? 禍根を残さず消してあげるって。これ以上無駄に業を背負う必要はありませんわ」

 

「すごい……」

 

 これこそ正しく神の所業と言えるだろう。

 私は言葉を失っていた。

 

 靄は完全に消え去り、スワコ様は負の循環を停止させた。幼い姿に変な帽子……ようやく、スワコ様の御姿も知る事ができました。想像していたよりもずっと可愛らしい姿で、あのイソギンチャク形態とは似ても似つかない。だけど、底冷えするほど無機質な瞳は、あいも変わらず昆虫的だ。

 

「さあ、仕上げといかせてもらおうかしら。神奈子、借りるわよ」

 

 お師匠様の周りにいくつものスキマが展開され、中から大量の御柱が射出、スワコ様へと殺到した。もうぐちゃぐちゃだ、血肉とすら判別できない色々なものが辺り一面に飛び散った。

 それらはありえないスピードでの再結合によって元の姿へと再生されるが、それを待っていたかのようにお師匠様は再生途中のスワコ様の懐へとお札を叩きつけた。距離などお師匠様のスキマの前には意味を成さない。

 

「さようなら、諏訪子──境符『四重結……」

 

 

 ────

 

 

「……いやちょっと待って。これなんか違うわ」

 

 ほんの一瞬だった。

 恐らくトドメの一撃だったのだろう、お師匠様が放った攻撃はキャンセルされた。……否、お師匠様の全ての動作が静止してしまったのだ。それはまるで、壊れかけのロボットのように。

 その致命的な一瞬を逃すスワコ様ではなく、お札は破裂音とともに消滅し、口から吐き出された呪の濁流がお師匠様を飲み込んだ。

 

 あまりに突然のことで、私は声を上げることすらできなかった。カナコ様の行動は早く、またもやバリアで濁流と私達を遮った。

 

「……! しまっ──ガボボ!? おぼ、溺れ……!」

「お師匠様っ!?」

「何をやっている!? 千載一遇のチャンスだったというのに、何故あの一瞬だけ躊躇した! ええい、こうなればやはり私が……!」

 

「それにはっ、及ばないわ! この程度の濁流なんて、悪鬼蔓延ってた時代の荒波に比べればなんのそのぉ! ていうか今はそれよりも──諏訪子を殺すのはやっぱり無しの方向でいきましょう!」

 

 ぶちり、と嫌な音がした。堪忍袋の緒が切れる音なんて初めて聞きました……! 

 

「ふざけるなよ八雲紫ぃ!!! 私の忠告を無視して突っ込んだ挙句、いきなり私の計画(自爆)の邪魔をして……ここに来てまだそんな甘ったれた事を言うのか!?」

「いや正直悪いと思ってるわ! 色々とごめんなさいねホント! だけど、まだやり残した事があるでしょう? それを試してからでも遅くはないわ!」

 

 呪いの濁流の中を悠々と泳ぎながら叫ぶお師匠様。何気にフォームが整っているのがなんとも……お上手ですね。

 って、今はそんな事を考えてる場合じゃない! お師匠様の言う『やり残した事』とはなんなんだろう? スワコ様を救うに足るものなのだろうか? いや、お師匠様の言う事だからきっとそうなのだ! 

 

 だがカナコ様はそうは思わないようで。

 

「もう彼奴(あいつ)に心などないっ! 信仰を失い、亡失に身を堕とした神に残されるのは「災厄」のみ! 私はずっと見てきたぞ……()()()()()()()()()神の成れの果てを!!」

「けど、嘗て心は確かに在ったわ! 一度あったものが完全に消えるなんてことは、絶対にありませんわ! そこに在ったという私達の記憶が、確かな繋がりとして残り続けているっ!」

「そんなもの……そんな、もの……!」

 

 苦しそうに言い澱むカナコ様。苦悶の表情はその身に走っている激痛によるものだけではないのだろう。

 絶対にありえなくても、信じたい。例えあり得ない奇跡のような仮定だったとしても、可能性があるなら信じたいのです。

 

 スワコ様を……救いたい……! 

 その気持ちは私も、カナコ様も一緒です。

 

「早苗っ!!!」

「へ? ハイっ!?」

 

 急に大きな声で呼ばれたので吃驚しました! 

 お師匠様の瞳が私を真っ直ぐに射抜く。いつものように、私が師事を乞う時に見せる優しい瞳。ここでようやく私は察した。

 私がやるんだ、と。

 

 何故だか、頬がピリピリと痺れる。

 

「貴女と諏訪子との繋がりは、生きているわ。貴女を最初から殺すつもりだったなら、今も健在であるはずがない。五体満足でいられるはずがないわ! 諏訪子が躊躇した理由は心や記憶によるモノではないかもしれない……だけど、貴女が今こうして生きている奇跡は、何にも代え難い大きな────あが、ぐっ!?」

「ひっ、お師匠様!?」

「しまった、洩矢の鉄の輪か! 土着神としての力まで行使するようになるとは……!」

 

 凄まじい質量を持った鉄の塊が高速回転しながら濁流を跳ね、お師匠様を襲った。あっという間に身体を削り取り、右肩から先が千切れている。先程までとは違い、お師匠様にはしっかりとダメージがあるようで、苦痛に顔を歪ませ傷口を押さえている。

 ただ血は一滴も流れていない。

 

「うぅ……痛ぁ……すっごく痛い! よくもやってくれたわね、意識がないからって許さないんだから! 『頂門紫針(ちょうもんししん)』!」

 

 お師匠様が空を指でなぞると、その跡をなぞるように幾つかの針状の妖弾が浮かび上がった。そして一斉に射出。スワコ様へと食い込むと同時に針は変形し、小型のスキマとなって拘束具のように自由を奪う。

 両腕両足は勿論のこと、腰に肩、脇腹に胸、そして何故か重点的にヘンテコな帽子が縛り付けられている。あとは呪いの濁流を泳ぎ切ったお師匠様がお札をスワコ様の口に貼り付けて終了。

 

「ふふ、ここまで自由を奪ってしまえば何も怖くないわ。むしろ()いものよねぇ。ほれほれ……あいたっ!?」

 

 戯れだろう。気を抜いたお師匠様がスワコ様の頬を引っ張っていたのだが、勢いよく隆起した土塊がお師匠様のお腹をぶち抜いた。しかも身体中を縛っていた拘束具が次から次へと破壊されている。分断されていた触手も再生し、逆にお師匠様も縛り上げられる結果となってしまった。

 ……なんていうか、迂闊すぎません? 

 

「頼りになるのかならんのか……よく分からんな」

「はい。だけどやっぱり凄い人です」

 

 初めてカナコ様との共感を得られたような気がします。お師匠様の変貌というか、豹変というか……アレも私を和ませてくれるための演技だったりするんでしょうか? 

 なんにせよ、心に余裕ができたのは確かだ。今ならこの想いをしっかりと留めておける。恐怖を振り払うことができる! 

 

「カナコ様。私、行きます」

「……親としてなら、止めるのが正解なんだろうね。私と諏訪子が逆の立場だったとしても、彼奴ならお前を止めただろうさ。だから──」

 

 ぎゅっと、カナコ様と優しく抱擁する。半透明のカナコ様に触れることは能わず私はその身をすり抜けてしまうけど、暖かさは感じる。

 私がこの世で一番欲していたものだ。

 

「──神として、私はお前を信じるよ、早苗。お前の『強さ』は、私と諏訪子が一番よく分かってる──」

「はいっ!」

 

「ぐぐぐ……さあ私が抑え込んでいる今のうちに! 特別な事は何もいらないわ。貴女が奇跡を信じて願えばいい!」

 

 カナコ様の優しさ、お師匠様の声援に背中を押され、私は歩みを進めた。

 スワコ様の視線はお師匠様から私へと移る。瞳はやはり無機質で、東風谷早苗は映っていない。あるのは機械的な怨念だけ。

 

 お師匠様が教えてくれた事だが、なんとスワコ様は私のご先祖様にあたる方らしいのだ。流石に色んな意味でショックを受けたけど、同時に納得いったこともあった。

 ただの巫女に神様たちがなんでこんなに気をかけてくれていたのか、その理由をようやく知ることができたのだ。

 

 二柱は私をありとあらゆるものから守ってくれた。

 二柱は私を自分の子供のように愛してくれた。

 カナコ様は私の事を娘だと言ってくれた。

 私は……御二方の事を……。

 

「ねえ、スワコ様?」

 

 究極的に言ってしまえば、血の繋がりなんてものは関係ない。カナコ様とスワコ様が私を娘として愛してくれている、そして私は御二方を親として愛している。その繋がりが、何よりの宝物なんだ。

 そう考えると過去の自分がとても愚かしく思えた。その繋がりを全く感じようともせずに、実体だけを追い求めていたのだから。

 

「遅くなってしまいましたね。私、こうして、貴女様と……カナコ様と……。ああ、喋りたいこといっぱいあったのに、いざとなったら全然思い浮かびません。やっぱり、私ってダメな巫女ですね」

「──」

「私、スワコ様のことを全然知りません。名前も姿も最近知ったばかりだし、ご先祖様だったなんて思ってもみませんでした」

 

 貴女の声も、心も、その瞳の輝きも、私は知らないんです。だからこれから少しずつ知っていきたいんです! 

 さらにスワコ様との距離を詰める。

 流石に近過ぎたのか、肌がヒリつく。素肌に熱湯を浴びているかのような痛みだけど、耐えられないものではない。

 スワコ様やカナコ様、お師匠様が感じたであろう痛みに比べれば、こんなもの……! 少しも堪えやしない! 

 

「いつも助けてもらうばかりで、私からスワコ様達にしてあげられたことなんて、ほんのちょっとの微々たるもの……だから今度は私から与えたいのです。烏滸がましいことなのかもしれませんが、私の手で──救いたい」

 

 正直なところ、お師匠様の言われたことに関しては今でも懐疑的です。本当に私なんかがスワコ様に何か働きかけることができるのか、甚だ疑問ではある。だって能力が全く以って見合ってないんですもん! こんな大役、普通なら務まるはずがない。

 

 だけど()()()()()()()()()はこれまでと今日で嫌という程味わった。普通だとか常識だとか、そんなものに囚われていては本当に大切なものを見過ごしてしまう。挙句に失ってしまう! 

 私の人生はそれの連続だった。

 だからもう繰り返さない! 

 

 それに、今の私は一人じゃない。

 秋さん、カナコ様……そしてお師匠様が見ていてくれてる! 私の背中をこれでもかと押してくれるっ! 

 

 

 スワコ様をゆっくり抱きしめる。

 カナコ様とは違い、触れる事ができた。それほどまでに今にも私を蝕もうとしている力は禍々しく、強大ということなのだろう。

 だけど私にとってはかえって好都合です。だって、スワコ様に触れる事ができるんだから。痛みなんて気にしない。自分の身体が崩れていく感覚なんて知ったことではない。

 

 これが私の幸せだ。

 

「スワコ様──……お母さん。私、やっと会えたよ」

「──」

 

 強く、強く……自分の腕が壊れるほど強く。小さな身体が折れてしまいそうなほどに強く抱きしめた。今日何度目か分からない涙がポロポロと零れ落ちて、スワコ様の帽子に降り注ぐ。ほんと情けないなぁ、私って。

 

 途端にぐるりと視界が回る。

 明滅する光が目の前を覆い尽くし、焦点が一箇所に定まらない。身体の感覚が完全になくなっている事に今更気づいた。

 自分が今にも崩れ落ちようとしているのが分かる。これから訪れるであろう『死』に対しても、なんとなしに感じ入っていた。

 

 諦めというよりは脱力かな。

 何にもしてないのに、疲れちゃった。

 

 ずり落ち、暗転していく視界。スワコ様の肩越しに見えるお師匠様はさも満足げに、私を賞賛するように──冷たい笑みを浮かべていた。

 

 

 

『ごめんよ、早苗。とても辛い思いをさせてしまったね……』

 

 初めて聞く、耳に馴染んだ声だった。

 暗闇を漂う私に彼女は言う。

 

『もっと一緒に居てあげたかった──もっとお前の事を見守ってあげたかった──もはや叶わない願いだと諦めていたよ』

「スワコ、様?」

『だけど最後の最後で奇跡が起きたようだ。……これでもう、1番の未練は解消されたようなものだね。紫と神奈子には感謝してもしきれないや』

 

 ここでようやく気付いた。スワコ様の声は内から響いており、耳を介していない。『神様の声』に酷使したものだった。だけどそれとは何かが違う。決定的な何かが──。

 

『いいかい早苗。これからお前はたくさんの人間や妖怪に出会うだろう。中にゃ良い奴もいるし、当然悪い奴もいる。場合によっては良い奴の方が厄介な事だってある。一癖も二癖もある、心に色んなモノを抱えてる連中だ。私達が閉じ込めてきた世界には居なかったからね、お前にとっては全てが初めてだろうさ』

「そう言われると、不安です……」

『大丈夫さ。お前の本来の姿はよく分かってる。もう自らに枷を施す必要もない……常識が通用しない世界なんだ、そんな場所で常識に囚われてちゃ何にも楽しくないでしょ?』

「しかし、私は巫女です」

『紫から話は聞いたろう。あっちの巫女は存外適当らしいし、その知り合いもぶっ飛んだ奴らばっかだ。お前が気にしているのはそんな事じゃなくて、私達の体裁でしょ?』

 

 そう言われると言葉に詰まってしまう。スワコ様にはお見通しみたいですね。ただ、気にしてる体裁は神様のものだけじゃない。私の体裁だってそうだ。神様に嫌われたくなかったから、理想の巫女を目指して色々なことを我慢してきた自覚はある。漫画やゲーム、小さい頃大好きだったロボットアニメも両親が他界してからは……。

 

『早苗の好きなようにやればいいよ。どんな願いだって応援するさ。お前の幸せが、私達の幸せなんだからね。……ただそれを見届けることができないのが心残りで仕方ない──寂しい』

「スワコ様……?」

『やっとみんなで一緒に歩むことのできる日が来たのに、私はそこにいない……。それが悔しくてしょうがないよ。だけど、それは高望みが過ぎるってやつだよね』

 

 やっぱりだ。

 スワコ様の口振りから薄々勘づきつつあったのだが、スワコ様は余りにも弱弱し過ぎた。私は、スワコ様を救うことができなかったのだろう。声と最後の力を振り絞っている。

 

 私の願った奇跡は実を結んだのだろう。だがそれはスワコ様に辞世の句を詠む時間を与えるのがせいぜいだった。

 結局、私の願う奇跡なんて──。

 

『そんな顔をしないでおくれよ、早苗。これは凄い事なんだよ? 神奈子も紫も諦め成し得なかった事をお前はやってのけたんだ。信じてたよ……流石は私の孫の孫のそのまた孫の──いや、娘だね。流石は私の娘だ』

「けど、私はスワコ様ともっと話したいです。私だけじゃない……カナコ様、お師匠様、秋さん達だって! スワコ様を救えないんじゃ、そんなの奇跡じゃない。私の願いは──」

『ありがとうね。早苗が願ってくれてる限りは多分大丈夫さ。私を忘れないでいてくれれば、またいつか……きっと、ね』

 

 スワコ様は言った。

 記憶もまた信仰の一種であると。

 身体は滅びようとも、記憶という微弱な繋がりが僅かな存在を残してくれるのだと。心の中で生き続けるってことなのでしょうか? 

 

 とても素敵な話だと思う。

 けど私は……。

 

『めいっぱい楽しむんだよ、人としての生をさ。いやまあ、幻想郷に行くなら普通の人としては無理かもしんないけど、それでもお前は自分で生き方を選択できるんだ。嫌になったらいつだって辞めちゃったらいいよ! 巫女も現人神も、全てが早苗だ。その中からどの早苗を自分とするのかは、早苗の自由だ』

 

 だから──と続ける。

 

『いっぱい笑っておくれ。ずっと言いたかった事だからね、何度だって言うよ──お前の笑顔と幸せが、私達の一番の望みなんだ』

「……はい!」

 

 私は無理やり口の端を持ち上げた。

 今日何回目かも忘れてしまうほど溢れる涙を誰かが拭ってくれる。暗闇の向こうにいるスワコ様なんだと、なんとなく分かった。

 

『またね早苗! ──頑張れっ!』

 

 

 

 *◆*

 

 

 

「──なえ。起きなさい、早苗」

「ん、んぅ……はっ!?」

 

 目に強い光が差し込む。

 いつのまにか夜は明けており、覗き込む紫の顔と一緒に白んだ空が映る。

 なかなか要領を得ない頭。復旧にはもう少し時間がかかりそうだと、早苗自身呑気にそんな事を考えていた。何故だか分からないが、とても落ち着く。

 

「……えっと」

「まるで狐につままれたような顔ね。もちろん夢なんかじゃないわ、全てが現実。貴女は神と邂逅し、小さな奇跡を起こした。よく頑張ったわね」

 

 微笑む紫。どうやらあの一連の出来事は全てが現実のものらしい。ならば諏訪子との会話もまた現実だったのだろうかと早苗は思った。

 紫は奇跡が起きたと言う。つまりはそう言う事なのだろう。

 晴れやかな心のまま起き上がろうとするが、首から下の身体がピクリとも動かないことに気がついた。思えば神奈子の姿も見えない。

 

「あんまり無理しないの。ついさっきまで身体の半分が崩れちゃってたのよ? 諏訪子が一瞬だけ正気を取り戻したからなんとかなったけど、満足に身体を動かせるようになるのはもう少し後になるわ」

「そ、そうだったんですか? スワコ様が……あっ、そういえばカナコ様は? 私を守っていっぱい傷を負ってたんです!」

「今も貴女の側にいるけど、その様子じゃ見えてないみたいね」

 

 その言葉に静かなショックを受ける。どうやら完全に『見鬼の才』を習得できたわけではないようだ。あのひと時もまた奇跡の一部と言えるのだろうか? 早苗には分からなかった。

 

 だがなんにせよ、大きな前進だ。

 終わり良ければ全て良し……というわけにもいかなかったが、少なくとも諏訪子は満足していた。そして今も自分を何処からか見守ってくれているのかもしれない。

 望んだ最高の未来ではないが、心の靄は大分クリアになったような気がする。

 

「何にせよお疲れ様、早苗。貴女の試練はこれでひと段落ね」

「いやぁ、私は流されるままでした。全部お師匠様とカナコ様のおかげです。そうそう! お師匠様ってやっぱり凄い方だったんですね! スワコ様との闘いは圧巻の一言でしたよ!」

「……? なんで? 別に大した事はしてないと思うんだけど……」

 

 解せない、といった様子で紫はこてんと首を傾げた。自分がしたことと言えば神奈子の警告を無視して境内に突撃、挙句は諏訪子に返り討ちに遭うという惨め極まりないものだったはずだが、と。

 そのあとの事も精々()()()()()にしか関与していないはず……。

 

 まあ終わった事を今更振り返っても仕方がないと、一旦早苗の言葉を聞き流し、意識を切り替える。そう、早苗の闘いはこれで終わった。しかし、自分はまだ終わりではない。

 大元が残っている。

 

 ここまで材料が揃っていればこの一連の騒動の元凶くらい容易に想像がつく。こんな悪辣な方法をやってのける人物など、紫には10人くらいしか思いつかない! 結構多い! 

 そして今回はかなりケースが特殊だった。犯人は自ずと割り出されたようなもの。どうせ今もニヤニヤとこの場を眺めているのであろうその人物に向かって、紫は言い放つのだ。

 

「出てきなさい青娥娘々!!!」




早苗が急に異界の者達を見る事ができるようになったのには実はゆかりんの小細工が関係しています。仕組まれた奇跡ですね。

そして幻マジ6人目のネームド犠牲者は諏訪子様でした……!簡単に処理された感あるけど時間が経てば経つほどヤバくなる系土着神です
えっ、最初の犠牲者5人?あれは……嫌な事件だったね


次回、ゆかりん帰還す──
火薬庫と化した幻想郷にゆかりんが注ぐのは火種か、それともニトログリセリンか……それは神のみぞ知る。
神奈子「知らん」

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