幻想郷は全てを受け入れるのよ。それはそれは残酷な話ですわ……いや割とマジで 作:とるびす
「こんな事が平然と起きるのか……。ここまで不安定だったなんて」
妖怪と人間の闘いを問われて万人の頭に浮かぶ構図は、殆ど一致しているだろう。
ひたすらな暴力を振るう妖怪と、知恵や助けを借りて足掻く人間。その変わらない構図こそ、過去数千年に及ぶ歴史の姿である。
況してや妖怪は風見幽香。
矮小な人間など蹂躙対象にも値しないような、紛うことなき怪物。腕を薙げばあらゆる生命は活動を停止する、そんな化け物。
妖怪の姿としてここまで相応しい人物は幻想郷においてもそうそう居ないだろう。
だが、今目の前で起きている問題を生み出しているのは彼女ではない。本来なら蹂躙され、振り回されるはずの人間サイドの方だ。
頭蓋を掴まれたまま地面に叩きつけられ尚且つ引き摺られながらも、幽香の腹へ殴打による反撃を繰り返す人間など何処に居ようか?
妖力と魔力、それらを混ぜ合わせた禍々しい独特のオーラを立ち昇らせる彼女を人間だと呼ぶものが、果たして居るのだろうか?
千年と数百を生きた射命丸文という妖怪にも、心当たりは勿論無かった。
人間と妖怪を分ける大きな理由として幾つかの要素がある。力の質や成り立ちの違いなど、姿形以上のものがあるわけだが、その中に死生観の違いというものも存在する。
寿命を始めとして妖怪と人間どちらがしぶといかと言うと、勿論妖怪の方に軍配が上がる。というか、考える必要すらない。このような事もあり、両者の死に対する考え方は大きく違う。
頭を潰されようが全ての血を抜かれようが、微塵切りにされ魂すらも散り散りにされようが死なない妖怪は死ねないものだ。こんなものとひ弱な人間など、比べるに値しない。
だが、彼女は……霧雨魔理沙はどうだ?
腕をもがれ地を這いつくばろうが、断面から流れ出る血を撒き散らしてそれに含まれる魔力による大規模な魔力爆発を引き起こしている始末だ。当然ながら人間の戦い方ではない。
見方によっては、幽香を圧倒しているようにも見えなくもないが、命尽きるのは間違いなく魔理沙の方だ。
果たして止めるべきだろうかと文は悩む。
魔理沙は取材対象としての貴重さは勿論だが、それなりの付き合いがある為に見殺しにするのは些か気がひける。それにこの戦いは文がお膳立てしたものだ。ここで魔理沙が死んでしまえば、自分が殺したも同然である。
組織の方から非難が来ることは容易に想像できる。だがそんなものは文にとって少しの戒めにすらなりはしない。恐れているのは霊夢と紫の反応如何である。
下手すれば自分が殺されかねない。
(とは言ってもあの中に飛び込むのは少々覚悟が要る。それに、魔理沙さんだけじゃくて幽香さんも何やら様子がおかしい……)
幽香が弱者を詰り殺すのは別段珍しい光景ではないが、今回の彼女の魔理沙に対する言動からは少々まどろっこしさを感じた。大したことない違和感だけれど、幽香を知っていればいるほどその違和感の異質さに勘付くのだ。
文は眉間に皺を寄せると所在なさげに空を見上げる。今、自分が取るべき行動をしっかりと吟味しながら。
……取り敢えずペンと文花帖はポケットの中にしまっておいた。
*◆*
あの小娘がこの一瞬でよくここまで成長したものだと、つくづく思う。先程は勿論、夢幻世界に意気揚々と殴り込んできた時に比べても、もはや雲泥の差と言ってもいいくらいか。
半分だけ仮初めの力なのだとしても、今の魔理沙の力は魅魔の心を動かすに足るもの。未来の力、とでも呼ぶべきかしら。
こんな展開になる事はなんとなく分かっていた。思っていた通り、魔理沙は自らの矜持と想いを捨て去って、紛いの力を手にした。あとは私が思う存分に捻り潰してやるだけ。
でもちょっとだけ、予想の範囲外だった事がある。それは魔理沙の魔力が想定より少しばかり大きかった事。そして、魔理沙と戦っているうちに段々と私が滾ってきてしまった事だ。
片腕を捥がれて幾度となく泥土に叩きつけられようと、私を見据える闇の瞳は陰りやしない。それどころかさらに峻烈に狂気が増すばかり。
人間としての輝きをこの一瞬の為だけに燃やし尽くすつもりなんだろう。愚かだけど、そうしなきゃ私とまともに戦う事すらできないことを承知している点では褒めてやりたいわね。
ふふ……そんなに足掻く様を見せられたら、何が何でも叩き潰したくなっちゃうじゃない。
あの糞生意気な魔理沙が自分の根幹として形成されているモノを全て投げ捨ててまで私に挑んでいるのだ。この悲痛な煌めき……私が葬る訳にはいかないだろうか?
生かしておくつもりだったけど、やってしまうのが一番美味しいのかもしれない。しかも今ならオマケに霊夢まで付いてくる。
そう思ったらもう止まらない。
拳を握る力が強くなってしまうのが、自分でも分かった。そして腰の捻りとともに
「あ、ぎッ……」
「あらやりすぎちゃった」
臓物が潰れた感触と一緒に赤黒い血の塊が吐き出される。みるみる沈んでいく魔理沙を見下ろしながら、それでも容赦なくアッパーを打ち込んだ。
為すすべなく浮かぶ身体。だらりと脱力した体躯をあられもなく晒している。
それでも手を緩める気にはなれなかった。腕を振り抜いた遠心力をそのまま活かし、かなり強めの後ろ回し蹴りを放つ。
身体能力をいくら底上げしようが所詮は人間。これだけやればもう身体は壊れたも同然。つまり、この回し蹴りはトドメのつもりだった。
だが私の思い描いていた衝撃と光景はそこに無く、かわりに膝あたりへの鈍い痛みを感じた。膝が逆方向にへし折られていたのだ。
「……!」
「舐めすぎだぜ! 幽香ァァッッ!!」
吠えるような魔理沙の声、腹部への連続した衝撃、そして眼前に迫る黒い影。魔理沙の拳が顔面を打ち据える音はやけに頭の中で響いた。
電撃を帯同した素手による攻撃である事を理解したその時には、既に私の身体は後方へと投げ出されていた。
そして着地。鼻の奥から鉛の臭いがする。
魔理沙の身体は戦闘開始時と同程度にまで回復していた。捥げた腕や潰れた内臓も既に復元済みと見える。人間ではありえない治癒能力。
……なるほどね。
これが意味するのはただ一つの事実だ。
「堕ちる所まで堕ちたわね魔理沙。その域は魅魔でも手を出さなかったわ」
「だろうな。魅魔様が使うような魔法じゃない。だけどそれでも便利な魔法だぜ、コレは。おかげで初めてお前と対等だ」
「とんでもない錯覚を抱いてしまう程度に強力なのは認めるわ。だけどその阿呆らしい分析を見るに、頭を腐らせる効果もあるみたいね?」
補肉を前提とした再生魔法──アレは一般的に禁忌の類に該当するタイプの魔法だ。人間妖怪問わず最高の再生能力を誇る魔法ではあり、身体的な強化も著しくなるものの、代償と言うべきか、身体に深刻な魔力汚染を引き起こすとされている。
理由は、高濃度の魔力により構成される肉の生成が行われる事での弊害だ。魔力なんてものは本来水銀などの有害な物質に含まれるもので、誕生した直後の生物の身体に自然的、かつ多大に含まれるものではない。
許容を超える魔力をこさえた時、身体は自壊する。そしてそれすらも魔法で押さえ込み、身体の一部とした時、あるべき姿を失う。
故に魔力汚染は危険なのだ。
それを易々と踏み越えた魔理沙は……。
「どこでその魔法を覚えたの?」
「巷では有名な魔法だろ? それに、つい最近実物も見た。アリスは同じ原理であれだけの力を得ることができた! 私にだって可能なはずだ!」
「その末路を知らないわけじゃないくせに……呆れるわね。お前は死ぬのよ?」
「死なないぜ。私は死なない……!」
根拠のない自信ね。
これも魔力汚染の影響だろう。明鏡止水の境地に至りながら、同じくして思考能力の低下を引き起こす。こうはなりたくないわね。
それに、アリスのは『Grimoire of Alice』によるものでしょう。アレは神綺がアリスの為だけに創り出した魔導書。だから親和性が高く、魔力汚染を起こしても簡単には壊れない。
だが魔理沙のアレは別問題だ。そもそもアリスの魔法を参考にすること自体が、魔理沙にとっては致命的な間違いなのだ。
もう先は長くないと考えるべき状況。
さて、どうするか。──……と、思考を中断する。魔理沙は私に考える暇すらもを与えてくれないらしい。
暗雲のような黒いスパークを撒き散らしながらこちらに向かってくる。それに同調して心なしか魔理沙の肌や髪は黒に近づいていた。
完全に人間を辞められたら本末転倒ね。だからと言ってやり過ぎると殺してしまうし、そもそも私は手加減ができるほど器用ではないの。
やっぱり私ってこういう事向いてないわ。
と、ゼロ距離からのマスタースパークを相殺した拍子に魔理沙の握っていたミニ八卦炉が粉々に砕け散った。緋緋色金で出来ていた貴重なそれは、マスタースパークの奔流に消える。
……香霖堂店主の困ったような顔が脳裏を掠めた。
いよいよ以って魔理沙を縛っていた物が全て無くなってしまった。もう自力では止まる事すらできないだろう。
「っ……ほんと。しつこいわね」
「もっと、もっと! 私を警戒しろッ! 恐れろッ! 出し惜しみなんてさせるもんかよッ!!」
「厄介な、構ってちゃんだこと」
なら少しだけ出し惜しみを止めよう。
能力を発動し、死の大地の一画を生の息吹で満ち溢れさせた。そしてそのまま発生させたエネルギーを直接回収し、背中へと集約させる。
生成されるのは緑色の翼。ほぼ私の妖力によって作られており、新たなる器官として手足のように扱える優れものだ。魔理沙もその利便性をよく把握していたからこそ、模倣していたんだろう。だが、私のそれはパチモンのものとは訳が違うわ。
迫る魔理沙を拳で払い飛ばし、肥大化させた緑色の翼で私と魔理沙を囲い込む。そして身体の隅々にまで妖力を行き渡らせた。
「ハッ! 何を────」
「私からお前に手向ける言葉は一つだけ。──死なない程度に、殺してあげる」
傘の柄を渾身の力で幻想郷の大地へと叩きつけた。伝播する衝撃が魔力を乗せて土壌を駆け巡り、規則性を持った亀裂が走る。囲う翼が円形の領域を作ることで只の亀裂に意味を持たせる。
私と魔理沙を一瞬の浮遊感が包み込む。
莫大な魔力が練り込まれた大地は崩落し、滅する力が渦巻く溜まり場と化した。
これは言わば砲口だ。
それも絶対に逃がさない必中の、しかも特大の魔砲をブチかます為のね。
「それがどうした! 上へ避ければ……ッ!?」
「ふふ、残念。むしろ本命はこっち」
「学習しない人間なんて、死に急いでる馬鹿も同然。魔理沙……アイデンティティは大事にするべきだったわね」
天へと向けられた砲口の先には、もう一人の私。
分身スペル『デュアルスパーク』の応用だ。一応魔理沙には見せた事があったんだけど、すっかり失念していたんでしょうね。魔理沙の強みだった分析能力はもう無いものと見ていい。
気分が高まっている魔理沙でも、今自分が置かれている状況のマズさは理解できたのだろう。急いで翼が囲っている範囲からの脱出を試みたが、もう遅い。
天と地から放たれた光を、魔理沙は片手ずつのマスタースパークで抑え込もうとする。その足掻く様はなんとも滑稽だ。私二人分のレーザーを一人で対処できるはずがないでしょうに。
案の定、少しの拮抗の後に魔理沙はすり潰されるように光の柱へと消えていった。このまま炭になるまでこんがり焼いてしまうのも面白そうだけど、今日のところは我慢我慢。
程よい所で攻撃を中断し、力無く穴へ落ちていく魔理沙へと近付く。取り敢えず胸ぐらを掴んで地面がまだある場所へ投げ飛ばした。魔理沙は今日何度目かの土の味を堪能しているだろう。
「はぁ…はぁ……ったく、随分と長引かされた」
乱れた息を整える。
何気に、ここまで身体を動かしたのは久しぶりだ。魅魔の時以来だろうか。
想定よりは苦せず戦えた……だけど、思った以上に身体への影響が大きい。そろそろ何か対策を打たなきゃ何もできなくなってしまう。
だがまあ、今回はこれでいいでしょう。
魔理沙は存分に自分の非力さを痛感した。もう二度と幻想郷の深淵へ近付こうとは思わないはず。楽しめたかどうかは微妙だけど、仕事ぶりとしては上々といったところかしらね?
仕上げに取り掛かろうと魔理沙へ歩みを進めると、私の行く手を遮る者が居た。
こいつは、コソコソと私の周辺を嗅ぎ回っていたブン屋の……射命丸文か。なんで今更になって出てきたのかしら?
肩が上がらないように強く抑える。
「何か言いたげね?」
「魔理沙さんを殺してはいけません。彼女は幻想郷にとって大切な役割を担う人間なのです。ここで失うのは惜しい」
「けしかけたのはお前でしょう」
「早計であった事は認めます。しかし、今回の戦いは何から何までも不自然でした。いつもの幽香さんなら適当にあしらって終わり……ですよね。それに貴女、ヤケに疲れていませんか?」
鋭いようでどこかズレている。やっぱりブン屋の情報は話半分に聞くのが一番なんでしょうね。それに魔理沙を想うだけが動機ではないはずだ。
「天狗のお前なら分かるんじゃないの? 魔理沙の魔力に染み付いているこの……鼻に付くような臭いの正体が。そんなものに魔理沙の肉体を渡せば、将来的に碌でもないことになるわ」
「……なんとなくですが、解ります。かのお方は何度か目にしたこともありますし。……だから魔理沙さんの肉体を消すのですか?」
「殺しはしないわよ。ただ面倒ごとに二度と首を突っ込まないよう
「ちょ、調教って」
若干引き気味の文は、疑ったような目を向けてくる。「殺しはしない」の部分が信じられないって顔ね。殺すならとっくの昔に殺ってるわよ。
……まあ、一瞬だけ本気で殺しかけたのは内緒。
さて、今は文に構ってやる気分ではない。さっさとノルマを達成してしまうとしよう。
「仕上げにかかるわ。退きなさい」
「先ほど言った事を違えれば明日の朝刊は酷いですよ。いいですね?」
「くどいわ」
謎の牽制を入れつつゆっくりと文が後退していく。そして魔理沙の真横まで下がった。
その時だった。文が何かに弾かれたように側方へ勢いよく吹っ飛んだ。全く警戒していなかったのだろう、彼女の顔は驚愕に彩られていた。
「な…にがッ──!?」
「ブン屋!? ……回復が早いわね」
文に攻撃を仕掛けたのは、魔理沙だった。マリオネットのように吊られた腕が横に振られた、それだけで空間そのものの位相がズレた。
魔理沙が使うような魔法ではない。
この強大な力は、あの小娘の力ではない。
仰向けに倒れているまま、魔理沙の口からか細い笑いが漏れる。
「なんで文を? 一応味方なのに」
「いやなんだ……天狗の声がしたからな。あいつらの甲高い声は耳に障る。滅ぼしても滅ぼし足りないぐらいだろうさ」
「……お前、誰よ?」
すくりと上半身が跳ね上がった。
これまでのダメージを感じさせない様子で魔理沙は醜い笑みを浮かべる。
「霧雨魔理沙の出来損ない──虚無から生まれた心……いや、敢えて新しい霧雨魔理沙と名乗らせてもらおうか」
「随分と曖昧な名乗り方ね」
「実際曖昧な存在なのかもしれんな。今の私には
深く被られた三角帽子から覗く充血した赤い瞳。理知的な光は全くもって感じることができず、ひたすら狂気が流れ出している。
……別の心を植え付けられていたのか。
そうだ、確かにあの神はそんな事をやっていた。魔理沙を弱らせ過ぎたのが仇となったのね。我ながら失策だったわ。
どこまでも狡猾ね。
「魔理沙はまだ中に居るんでしょう? それを引っ張り直すしかないわねぇ」
「無駄だぜ、あいつの心は闇に消えた。自らが作り出した闇に溺れたのさ! アハハ、夢の果ては誰だって光か闇だ。あいつは闇よりの狭間に留まっていたに過ぎない。残酷な現実を生きていくよりかは、目覚めない方があいつの為にもなるだろうよ」
「……はぁ」
「ああ楽しみだぜ。やっと、お前のその氷みたいな顔を歪ませてやるのが!!」
あの魔法使い一派は……いつも私を舐め腐ってるわね。やれ「殺してくれ」だの「お前を殺す」だの……呆れて物が言えない。
目の前の魔理沙は私の鬱憤の原因ではないが、それでも敢えて、何度でも言ってやるわ。魅魔も魔理沙も、全員────。
「自分の尻拭いもできない雑魚が甘えるな。そんな連中が何度私に向かって来ようが……無駄なのよ。調子に乗りやがって」
「ならどうする? 私を殺すか?」
「殺すわ。勿論、お前の背後からニヤニヤ笑いながら話を聞いているであろう奴もね」
聞いているんでしょう?
魔理沙を捨て駒のように使って、配下にできればラッキー、私を殺せれば超ラッキー……そんな考えなんだろう。
くだらない策ではあるが、このタイミングで魔理沙をけしかけた点については我ながら褒めてやりたいところだ。
だが一つ。
奴に誤算があるのだとすれば、それは────。
*◆*
圧倒的な力を振りかざす幽香は、誰の目にも強者として映る妖怪だろう。幻想郷においても数少ない絶対者というべき存在。
……だからこそ、誰も彼女の異変に気付くことができなかったのだ。当の本人である幽香と数人だけしか知り得ない事情。
幽香は、弱り切っていた。
十数年間前と比べるとその違いはまだ微弱ではあるが、競り合う力が大きければ大きいほどその衰退具合は明らかになる。幽香をよく知る者にとっては信じ難い光景だった。
それに加え魔理沙の苛烈な攻撃は幽香に浅くない傷を生み出し、それに伴って幽香の力も消えていく。いつの間にか力関係は逆転しようとしていた。
マスタースパークが互いを相殺し合う。
先ほどまでなら幽香が楽々と魔理沙をマスタースパークごと吹き飛ばしていたはずだ。これが指し示すのは、魔理沙の力がどんどん膨れ上がり、幽香の力が萎んでいる事のなによりの証左である。
当初の覇気は消え失せている。
「ダーク……スパァァァクッッ!!!」
「はぁ…はぁ……花符…ッ」
スペルの詠唱が間に合わない。
魔理沙の魔砲が不完全な集合体を撃ち破り、幽香へと闇の閃光を浴びせかける。身体から直接発する妖力によってレーザーを拡散させるが、それすらも魔砲は容易く呑み込んだ。
高密度のエネルギー波によって盾代わりにした両腕が一瞬にして蒸発した。受け身を取ることができなくなった幽香は背中から地へと落ちる。
完璧な形勢逆転。
見下ろす魔理沙に、見上げる幽香。
ミニ八卦炉を使わず、況してや彼女の得意である星魔法や炸裂魔法を一切使用していないのに、この強さ。言うまでもなく異常な事態だ。
しかし魔理沙の性質をよく知る人物なら、この躍進は妥当な結果だと、胸を張って言うだろう。大切な物を捨て去るだけでこれだけの力を獲得するポテンシャルを秘めていたのが、霧雨魔理沙という魔法使いの本質。
その本質を夢や禁忌に囚われず最大まで実践できる人格が掌握したのだ。しかも今は秘神による支援まで付いている。当然の結果といえる。
「天下の風見幽香サマも、私が本気を出せばこんなもんか。これじゃ隠岐奈様に力を戴くまでも無かったな」
「……っ」
(だがそれにしても幽香のこの憔悴具合は不自然だな。以前の私の記憶から照合しても、かなり力が減退しているみたいだぜ。……だが逆に考えれば弱っててあの強さ、か)
魔理沙の中には
これが意味することは『隠岐奈が幽香との戦闘を命じた』証拠であり、現在の状況を鑑みるに隠岐奈は魔理沙に幽香を始末させるつもりなのだろう。
なんとなくだが、新しい魔理沙はその事に薄々と勘付いていた。そして、その後、自分がどういう末路を辿るのかも。
今の魔理沙からしてみれば、本望という他ない。
「じゃ、終わりにしようか」
掌へこれまでの自分が使ってきた属性とは別系統のものを集約させる。
それは水であり、闇だ。
"霧雨"という名字の通り、そもそも魔理沙は五行における水の性質を持つ人間。木の性質を持つ幽香や霊夢とは絶望的なまでに相性が悪い。
しかもそれでいて魔理沙が好んでいたのは火力に傾倒した魔法や、無駄に飾り付けられた星魔法だった。彼女らに勝てる道理などなかったのだ。
だが、今は違う。
純情な少女が抱いた夢はもう無い。
「私は水の魔法を敬遠するような甘ちゃんじゃない。アンタを確実に殺す方法としてしっかり運用させてもらうぜ」
「…はぁ……はぁ……──」
幽香は何を言うでもなく魔理沙を無言で見つめる。厳しい目には変わりないのだが、その奥に秘められた本質は魔理沙の予想するものとは別ベクトルのものだった。
魔理沙は煩わしそうに眉を顰めた。
「その目はなんだ。何を企んでる? ……弱ったふりをして油断したところを、って魂胆か? いや、お前に限ってそれはないか」
「さあどうかしら。──それにしても、こんな滅茶苦茶にやっておきながらまだ私を恐れているみたいね。いくら強くなっても滑稽なままよ」
「ふん……減らず口を」
まあいい、と。疑問を捨て去った。
今更どうこうできるような状況ではない。
滲み出る混濁の闇が魔法使いの細腕を蝕み、その矛先を幽香の心臓へと向ける。
植え付けられた感情と目指すべき未来への順調な成功に、ついに魔理沙は、自らの確実な勝利を予見した。口の端が大きく持ち上がる。
「じゃあな、幽香」
「ええそうね」
交錯する離別の言葉を皮切りに、魔理沙は腕を振り上げた。殺意一色に染まった頭では周りの状況を十分に把握することができなかった。
だからだろう。
幽香の視線の先に気付かなかったのは。
「ところで──迎えが来たみたいよ?」
「っ……なにッ!?」
魔理沙の自壊する指は、ぴたりと幽香の胸の前で止まった。苦悶の表情を浮かべながら眼球を忙しなく動かしている。
身体の支配権が完全に失われているようだ。
感じられるのは強力な外圧と、背後に立つ違和感。
魔理沙は首を動かすことすらできず、必死に状況の把握に努めていた。
「誰だ!? 私の後ろで何をしてる!?」
『────魔理沙』
胸の奥が熱くなる。
懐かしい響きだ。とっても昔に幾度と呼ばれてきた自分の名前。
『──魔理沙』
「誰なんだアンタはっ! 答えろッ!!」
背後にいる謎の人物、感情と記憶を失ったにも関わらず胸に去来する切ない痛み。
魔理沙には何も分からない。
深い闇を湛えていた瞳から暗さが流れ出ていく。それどころか真っ白な光に包まれて、もはや目を開けることすらままならない。
『帰っておいで、魔理沙』
「ヤメろ……何も言うなッ、暴れるなァァ!!」
葬られた感情が湧き上がり、完全だったはずの魔理沙の心を痛めつける。
悲痛な慟哭が太陽の畑に響き渡る。
だがそれも、鈍い音とともに空気に消えた。
いつのまにか再生していた幽香の腕が魔理沙の胸を貫いていた。貫通した掌に掴まれていたのは血の滴る臓物ではなく、無明の闇。
魔理沙の中に入り込んでいた秘神の異物だ。
「あ……ぁ…」
「お前も被害者みたいなもの。同情してあげる」
幽香は闇を握り砕いた。
そして魔理沙は糸の切れた人形のように崩れ落ちる。そして彼女を抱き抱える者がいた。魔理沙の頬へ愛おしそうに手を当てる。
その温もりも、魔理沙にとってはとてもよく見知った、懐かしいものだった。
目は霞み、目蓋は重い。しかも光でその人の顔は見れない。
だけど帰ってきた魔理沙には分かった。
今、自分に温もりを与えている者の正体が。
「魅魔…さ、ま……」
そして魔理沙は落ちていった。
底なしの暴力的な暗闇ではなく、優しく自分を包み込んでくれる微睡みの闇に。
「お二人とも、お疲れ様でした」
静寂が支配する太陽の畑に無頓着な声。声を掛けられた二人は厳しい表情で、魔理沙を一瞥した後その声の主へ視線を向ける。
声の主、古明地さとりはこの状況に全く気を示さないように、しかし恭しく頭を下げた。お辞儀に顔が隠れるが、サードアイは変わらずこちらを見透かすように凝視している。
少しして姿勢を戻す。
「これ以上とない結果でした。そしてそれは、我々のうち一人でも欠けていれば実現できなかった。……いえ、貴女方の思っている通り、私は何も実効的な事はしていません。ただ私が居なければこの絶妙なタイミングでの奇跡は起こり得なかった」
つまりこう言いたいのだ。「自分に協力してくれれば、間違いは決してない」と。
今回の件は隠岐奈の策略を破る為だけのものではなく、古明地さとりという存在の有用性についてをこの二人、そして八雲藍に知ってもらう為のものでもあった。そして、さとりは二兎を得た。
魔理沙を抱き抱えていた彼女は、ゆっくりと魔理沙を地面に降ろす。気を利かせたのか、幽香が花を咲かせて床代わりに仕立てる。
「ふむ。『巫山戯るな』……ですか。私はてっきり、貴女こそ大いに我々と同調していただけると思っていたのですがね。
「アンタがしたかった事、そしてそれが齎した結果については、私も認めるわ。これが最善なのも分かる。──だけどね……」
冷たい眼差し。俗に言う『異変解決モード』のそれを向けられて、震え上らない妖怪はいない。さとりも、そして霊夢の背後に立つ幽香でさえも、博麗の巫女という存在の恐ろしさを感じていた。
彼女の周囲を浮遊する陰陽玉が妖しく揺らめく。もし下手な事を言えばアレから放たれる霊力波で木っ端微塵。
「次、私の知らない所で変なことをやってみろ。問答無用で退治するから」
「……へぇ。貴女の保護者はいつも貴女の知らない所で好き勝手にやってるみたいですがね。まあ立場が立場ですし、特別扱いですか?」
「……」
それでも退かないのがさとりの強さであり、妖怪として恐れられる所以でもあるだろう。二人を眺める幽香は呆れたように大きく息を吐いた。
もう話す事は何もない。
霊夢は魔理沙を抱え上げると宙へ舞い上がる。そして最後にさとりと幽香、そして隠れて様子を伺っている文を一瞥して、幻想郷の空へと消えた。
「あの巫女怖すぎませんか?」
重苦しい空気から解放され、さとりは地面に座り込んだ。額には玉のような汗が浮かび上がっている。彼女としても霊夢を刺激するのは賭けだった。
ポツリと、幽香が呟く。
「魅魔については、当の本人から大雑把な説明しかしてもらっていない。何が起きていたのか、教えてくれないかしら?」
「簡単な話、魅魔さんは貴女に滅ぼされた後、禁術を使って魂を彼岸に留めていたのです。そして幻想郷の境界が曖昧になる今日、霊夢さんの陰陽玉を依り代に顕現したのです」
何故陰陽玉? と、幽香が口に出すまでもなく、さとりは間髪入れずに説明を続けた。
「
心当たりはある。
初代博麗の巫女、確か『博麗靈夢』の時代。地獄と魔界での騒動の際、魅魔はちょっかいを出したらしい。そしてその時に半身を封印されてしまった、と言っていた。
なるほどそれか。
「幽香さんと魅魔さんの約束……何故魅魔さんを殺したのかについても知っていますよ。そしてそれは英断だった」
「……」
「死にゆく神が最期に残すのは、今まで得た分の信仰心と同じ大きさの災い。アレほどの規模の悪霊ともなれば、その存在は神に等しい。そしてそれが消える時……」
魅魔は本来、世界を呪い、そして滅ぼす為に存在する悪霊だった。その強大な魔力は先程の魔理沙以上だろう。だが、彼女の恨みは時とともに薄れ、やがて風化していった。
魔理沙がトドメだったのだろう。魅魔は存在意義を失い、滅びかけていた。
自分ほどの悪霊が消滅した時、抜け殻と化した自分が何をしでかすか分からない。もしかすると我が愛弟子でさえ手にかけてしまうかもしれない。
だから魅魔は今の身体を捨てる事にした。そして自分を完全に滅ぼせる数少ない存在である幽香を頼ったのだ。
災いを振りまく暴走した魅魔は幽香の全力を以って倒された。しかしその代償として幽香は後遺症に悩まされることになる。そしてそれが今回の隙に繋がり、あわや隠岐奈の策略通りに魔理沙の手によって殺されかけてしまった。
幽香は額の血をぬぐい、地面に落ちていた日傘を拾う。幻想郷で唯一枯れない花であるそれは、あの激戦を経ても健在だった。
「最後に二つだけ疑問に思った事を聞くわ。……もし私が貴女の誘いに乗らなかったら……どうするつもりだったの?」
「貴女が私の話に乗ることは分かっていました。それに幽香さんって金髪フェチじゃないですか。魔理沙さんを見捨てるはずが……っと、冗談ですごめんなさい殺さないでください」
無言で向けられた殺意にさとりは慌てて平謝り。しかし内心では笑いを堪えるのに必死だった。さとり妖怪は性格が悪い。
幽香の記憶に残る面々。くるみ、エリー、夢月に幻月、アリスに魔理沙に紫。最近ではメディスンと金髪ばかりだ。
彼女が本当に真性の金髪フェチなのかは、古明地さとりのみぞ知る。門番? オレンジ? 知らない子ですね。
気を削がれた幽香は一つ目の質問を取りやめた。
そして最後の問い。
「これだけ大掛かりな回りくどいことをやって……しかもこれは計画の本筋ではないんでしょう? 何を望んでこんな事を?」
「ああ、私と会った全員から聞かれますよ。なんでこんな事をしているのかって」
自嘲げに笑う。
「幽香さんと全く一緒です。ただ、それに行き着く為の方法が真逆なだけで。……あの秘神からは実現不可能な綺麗事だと言われましたけどね」
「……そう。悪いけど私が貴女に付き合ってあげてるのは気まぐれでしかないわ。土壇場になれば私は……魅魔と同じようにやる」
「それでも! 貴女と私の思惑は完全に一致しているはずです。貴女だってあの時魅魔さんを救えたなら……そうでしょう?」
「……」
「私は、私たちは────紫さんをむざむざと見捨てるわけにはいかない。少なくとも私の目が黒いうちは、絶対に……守りますよ」
*◆*
「ネタは十分……しかしどう説明したものか」
幻想郷の東北部、妖怪の山の外れで唸る烏天狗が一人。愛用のカメラを宙ぶらりんに回しながら射命丸文は考え込んでいた。
口ではこう言っているものの、頭の中は別の事柄が大半を占めている。
八雲と摩多羅の対立は決定的なものとなった。他に力のある賢者代表格だったてゐは没落、華扇は紫側に付く姿勢を見せている。
残るは我が妖怪の山、だが……。
あの『妖怪の山拡張計画』以降、見かけ上の平穏を保っていた幻想郷が揺れ動いている。これからの立ち回り次第ではかなりの山場になりそうだ。
「……この事は上層部に黙っておきましょう。いま山が動き出すのは幻想郷の為ではない。何より、前回の二の舞だ」
苦々しいあの思い出。
今の自分が山に快く迎合できない大きな理由。あの射命丸ともあろう者がこんな地位に自ら甘んじることになったあの事件。
その始まりはいつだって────。
「八雲紫、か」
興味の対象であり、尊敬できる人物であり、便利な存在であり、厄介な妖怪であり──少しだけ憎らしいあの賢者。
次は何をやってくれるのかと、普段は彼女の動向を楽しみにしている文ではあるが、今回だけはどうか……大人しくしててくれと。
そう願わずにはいられない。
ド親切
霊異伝とそれ以降の霊夢は別人です。つまり霊夢が始めて解決した異変は魅魔と魔理沙の起こしたものになります。ご了承を
あと吸血鬼異変に魅魔様が参戦したのはさとりからの要請があったからです。あの時レミリアが自由に動けてたら結構ヤバかったらしい
何はともあれ、異変が二の次で自機たちの葛藤がメインという最初で最後の章は終了です。ひたすら暗く難しい話でした。
さてさて文の願いは届くのか? 乞うご期待!!
次回:[悲報]ゆかりん、暴れる。