幻想郷は全てを受け入れるのよ。それはそれは残酷な話ですわ……いや割とマジで 作:とるびす
今日は朝から気に食わない事ばかりだ。
気持ち良く朝食を食べている時だ。いきなり兎が押しかけてきたかと思うと、有無も言わせぬまま竹林から追い出された。
なんでも今日は竹林全体で催しをやるから出て行ってくれとのことらしい。
ふざけんなって話だよ。
輝夜や永琳がそんな目立つことをするはずが無い。つまりあの腹黒ウサギの差し金だろう。
抵抗してやっても良かったんだけど、あいつと敵対すれば竹林に住むことはできないからな。毎日嫌がらせを受けるのはゴメンだ。
しょうがなく竹林を出て慧音を頼った。
慧音は快く家に泊めることを了解してくれたが、今度はその慧音が慌てて何処かへ出かけてしまう。なんだってみんなして忙しそうに……。ひとり暇してる私が馬鹿みたいじゃないか。
「まったく、変な夜だな」
「いやーホント。こんなおかしな夜は家に篭ってるのが一番なのにね」
軽い口調で話しかけてくるのは今泉影狼という名の狼女。私と同じく、兎によって竹林を追い出された哀れな原住民である。
慧音が居なくなって暇になったので影狼を誘って月見と興じていたんだが、彼女はイマイチ気分が乗らない様子で杯の中の月を弄んでいた。
「そういやあんたは満月の夜は姿を見せないよな。今日は珍しく表に出てきてるが」
「そりゃあねぇ。毛深い姿なんて人に進んで見せたいもんでもないし。なんなら今日みたいにずっと満月にならなきゃいいのに」
「ふーん?」
影狼の言葉で確証を持った。やっぱり今日の月は普通じゃないのか。よく見れば少しだけ形が欠けているような気がしないこともない。
文字通り、変な夜だ。
……出来すぎてるよな?
月の異変においてあいつらとの関係を無にして考えることはとてもじゃないができそうにない。間違いなく絡んできてるだろう。
いっその事邪魔してやろうか?
「……変なのが入り込んできたみたいよ? 人を引き摺るような音と一緒に血の匂いがするわ。夜の人里ってのは物騒ねぇ」
「いやそりゃ異常事態だ。鼻と耳は確かか?」
「ふふん、狼の五感を舐めないでよね」
言われてみればそうだな。
よりにもよって慧音が出かけている時にか……。自警団の連中は何してるんだ。
しょうがない私が行くか。慧音が守る人間たちに危険を及ぼしてなるもんか。
影狼に自警団のボスを叩き起こすよう頼んで指定の場所へ走る。閑散とした夜道に障害物はなく、本気の速さで駆けつけることができた。
二つの人影が見える。
妖怪は一匹。化け猫だろうか。小さい体で大の大人ほどの人間を抱え、引きずりながら大通りを歩いていた。
問題はその抱えられた人間だ。
「……慧音」
人里の守護者その人だった。夕方、見送った時とは違い身体中が傷だらけで、力なくその身を化け猫に預けている。
命はまだあるみたいだ。
「待てよそこの妖怪。こんな夜にそんな姿で人里をうろつくのはオススメできないな」
「……!? 見つかった!」
「取り敢えず慧音をそこに置け。話はそれからだ。何か弁解させて欲しいことがあるならさっさということを聞くんだな。これでも譲歩してんだぜ?」
有無を言わせず妖力を叩きつけた。その気になれば何時でも燃やせるという意思表示だ。
ホントなら今にでも消し炭にしてやりたいんだがな。慧音から言われてるんだ。「よく考えてから行動しろ」ってね。
化け猫は妙に焦りながら慧音を地面に置いた。そして腕を宙に揺蕩わせた。
すんなりと降伏したな。
「私の名は橙! 八雲の式の式です! 手荒なことになってしまったのは謝ります。用件をすませばすぐにでも人里を出て行くのでどうかご容赦を……」
「手荒なこと、ね? 慧音を倒すほどの奴がそんなへり下るのか。今すぐに私を消せば目撃者はゼロになるぞ? いいのか?」
「だって私は人里に悪いことをするつもりはないですもん。あなたに手を出したら私が慧音に言ったことがすべて嘘になってしまう」
ふーん? 私は人里の人間じゃないから別にどうもないんだが……なるほどね。率直な感想で言えば、嘘つきには見えないな。だからと言ってすべてを信じるつもりはさらさらないんだが……。
さてどうするか。まあ、取り敢えず慧音をどうにかしないと。
「慧音は私が預かるぞ」
「うんそうして。私がここに連れてきたのはあのまま野晒しにするのもどうかと思ったからだから。目を覚ましたらごめんって言っといてくれると嬉しい」
「わかった」
ゆっくりと油断なく近づく。そして慧音に手をかけた、その瞬間だった。
化け猫の足元から檻が生え出てあっという間に拘束した。私も当の本人も惚けて立ち尽くすことしかできなかった。
「はい確保〜。みんな抑えてね」
町の角から現れたのは小兎姫。自警団の長を務める少女だ。その後から続々と人間たちが現れて化け猫に札を叩きつけていく。
よく見ると影狼の姿も見える。
「匿名通報はやっぱり大切なのね〜。実際に体験して身に染みます」
「ちょっと! 私が直接言ったじゃない!」
「名前も素性も知らない狼女からの情報なんて匿名以外の何物でもないかなぁ。まあ今そんなことどうでもよくてね、なかなかの獲物ですね」
舌舐めずりしながら言う小兎姫の姿はまごうことなき異常者。そういや慧音は小兎姫のことを「有能な性格破綻者」とか言ってたっけな。
こりゃどうなるんだか。
「傷害罪、不法侵入罪、妖怪罪……。どれを取っても極刑級ね。それじゃ適当に禁固500年ってところにしておきましょうか。さあ連れて行きますよ」
「そんなの横暴だよ! 阿求に会わせて!」
「あー駄目駄目。阿求様はゆっくりお休みになられてるわ。妖怪なんかの為にわざわざ起こすわけにはいきませんね」
「こんな札と檻で私を拘束できるもんか! 私は今すぐにやらなきゃなんないことが……!」
札が意味を成さずに崩れていく。だが檻は未だに健在だ。化け猫の一撃でも傷一つ付くことがなかった。ありゃ私でも厳しそうだな。
なんでもとある外来人からもらったその檻は、決して壊れることはないし、小兎姫にしか扱えない代物だという。大層なもんだ。
檻はそのまま台車に乗せられた。
化け猫と目が合った。何かを訴えかけるような、必死な眼差しだった。
無情だな……。
「待ちなさいそこの台車。彼女を連れて行くことは許しませんよ」
「「「あ、阿求様!」」」
っと、ここで阿求が登場。そろそろ来てくれないもんかハラハラしてたよ。上司の登場にさすがの小兎姫も畏まった。
阿求は化け猫を見て、小兎姫を見て、私を見て、最後に慧音を見た。
「自警団は小兎姫さんを残して解散してください。あと妹紅さんと……そこの妖獣の方も一応お願いします」
「なんか私の扱い雑じゃない?」
愚痴を言いつつも、弁えた態度をとり続ける影狼の適応力は高い。伊達にあの竹林で暮らしてきてないというわけだ。
そんじゃ私は慧音を回復させつつ話を聞くとしようか。
一瞬の静寂の後に阿求が切り出す。
「今幻想郷で何が起きているのか……先ほどとある筋の情報により少しだけ知りました。断片的にですが、かなり大変なことになっているようですね。橙さんはそのことに関連して人里にやって来たのでしょう?」
「う、うん」
「それで慧音さんと戦闘になったということですか。……分かってるかと思いますが、人里側からの意向としては八雲と対立するものではありません。この状況下では彼女の対応も致し方なかった。勿論、相手がてゐさんだったとしても同じです」
すらすらと弁論を述べる阿求だが、言葉の端々からは必死さが滲み出ているような気がする。それほどまでに八雲紫とかいう奴はヤバイ妖怪なのか。
是非一度お会いしてみたいもんだ。
変わらない様子で阿求は一気に捲したてる。
「あなた方に手を貸したいのは山々ですが、我々人里は中立を保ちます。どうかご容赦のほどを紫さんに伝えてください。お詫びと言っては何ですが、今回の一件はここに居る者のみの秘密としますし、幾人かの外部への武力行使を黙認しましょう」
阿求の言葉は前と後ろで矛盾したものだった。これには私を含めた全員が首を傾げた。
「えっと……それって私たちに思いっきり手を貸してない?」
「……ここだけの話、人里に住まう妖怪やはみ出し者の皆さんは厳密に言うと我々の勢力下には属しません。紫さんの取り計らいで居住権を与えているにすぎませんから。まあそれでもグレーなことには変わりないのですが、それでも義勇軍としてなら……」
「まったく、何人かしょっぴいても誰も気づきやしませんよ? 今日こそ連中を根絶やしにしませんか? ……はいはいそうですか」
阿求が眼光で小兎姫を黙らせた。怒らせると怖そうだもんな阿求って。
それにしても面白そうな話を聞いたな。八雲紫があのてゐの野郎と戦争か……。こりゃあの兎の天下も終わりかねぇ。いや、ひょっとするとこのまま幻想郷全土がヤツの手の内に堕ちるってこともありえるのか?
うーん、とんでもない生き地獄だな。
一つ思い出した。
ちょっと前に憎き輝夜の野郎と殺し合いをした時だった。まあ勿論いつものように私の圧勝でその日は終わったんだが、殺し合いの最中にも関わらずあいつの様子が変だったもんだから、思わず「何かあったのか」聞いてしまったことがある。
輝夜は軽くはぐらかして話を変えてしまったが、その締めがちょっと妙だったんだ。
『お前と私はあと何度殺し合えるんでしょうね。永遠だと分かっていても、終わりを意識するのはやっぱり変な気分になるわ』
その時はまさかトチ狂ったのかと笑いながら一蹴したが、あの変人のことだ。今回の件を予見していたに違いない。
てゐが輝夜や永琳に独断で大きな動きを見せることはまず考えられない。つまり、今回の件にはがっつりあいつが噛んでるってことだ。
何を企んでるのかは知らんが、何となくあいつの思うように事が運ぶのは癪だな。
ふむ……。
考え込む私を他所に何やら話は続いている。ふと化け猫の視線が影狼に注がれる。
「そういやあなた影狼って人よね? 人魚のわかさぎ姫って人から手紙を預かってるよ」
「私に? …………って姫ぇ!?」
素っ頓狂な声を上げて手紙を取り上げる。そしてそれを読みながら百面相をしたかと思うと、次は妙にテンションの高い口調で私に掴みかかってきた。なんか興奮してるな、忙しい妖怪だ。
長年の経験でなんとなく分かるぞ、これは面倒臭いタイプの話だな。
「妹紅! 今こそあの暴君因幡帝から竹林を解放しましょう! 本来あの土地は兎だけの為にあるものじゃなかったわ。私たちや妹紅含めてみんなのものよ」
「まあ一理あるな」
上手い具合にわかさぎ姫とやらに唆されてるみたいなのでちょっと話に乗ってみた。
「そう今こそレコンキスタ! 私たち草の根の妖怪が立ち上がる時なのよ!」
「草の根ネットワークってそんな集まりだったっけ? いやまあ詳しくは知らんけど」
巷じゃ話題の草の根妖怪ネットワーク。影狼やわかさぎ姫とかいう人魚が中心になって運営しているなんか変な組織だ。
最初の頃は『お茶飲み恒例会』みたいな年寄り臭いイベントしか開いてなかったんだが、年月が経つにつれてだんだんと『対幻想郷決起集会』のようなキナ臭いイベントに変貌してしまった。
私も誘われたが辞退した。だって妖怪じゃないもん。しかも面倒臭そうだし。
ぶっちゃけると、てゐを引き摺り下ろすことに興味はない。そりゃあたびたび目障りなヤツだと思っているが、あいつのおかげで外勢のつゆ払いが楽になってるのは事実だ。
是非これからもふんぞり返っててもらいたい。私の邪魔にならん範囲でな。
……だが今回の件が輝夜によるものであるならば話は別だ。あいつの計画を全部おじゃんにして死ぬほど悔しがらせてやりたい!
私が動く理由なんてそれだけで十分!
「面白そうなことになってるな。ひとつ私に詳しい話を聞かせてくれないか?」
私の言葉に影狼は小さくガッツポーズ。
一方で化け猫の橙は怪訝な表情で私を吟味するように見る。信用できないって感じか?
「こう見えてそれなりに腕は立つと思ってる。間違っても兎なんかにゃ遅れは取らないよ。なんならその証拠を見せようか?」
「証拠…? ここで誰かと戦ったりするの?」
「いいや。もっと簡単な方法がある。影狼、すまんがちょっと付き合ってくれ」
えー、と心底嫌そうな声と表情を隠そうともしない影狼。だってこの場で私の能力を知ってるのはお前と阿求だけで、なおかつ私を殺す攻撃力を持ってるのはお前だけだからな。
「なぁに気にすることはない、さっと首を落としてくれればいいから」
「しょうがないなぁ。それっ」
影狼の腕が振り抜かれると同時に視界が二転三転とひっくり返る。そして地面に叩きつけられて、意識が暗闇に沈む。
そして変わらない景色を私は見据えていた。
橙は目を剥いて私の首あたりを凝視していて、何が起きたのか理解が追いつかないようだ。
一方で影狼と阿求は白けた目でこっちを見ていた。お前らにゃ慣れたもんだろうな。
「とまあ、こんな感じだ。要するに絶対死なないから足手まといにはならん。他にも幾つか妖術が使えたりするが……」
「す、凄い……体を再生させる妖怪なら何人か知ってるけど、死んだ後から蘇る妖怪は私が知る限りじゃ一人もいないよっ! ほ、本当に紫さまと一緒に戦ってくれるの!?」
「さすがに手足のように働くつもりは無いけど、お前らの敵を相手に思いっきり暴れてやるよ。それでいいか?」
「やった! 十分だよありがとう!」
橙は私の手を掴むとブンブン上下に振り回す。握手のつもりなんだろうか? 大袈裟なもんだと思うが……こんなに感謝してもらえるんなら悪い気はしないな。
「それ痛みはちゃんと感じるんでしょ? うへー、私だったらゴメンだね」
「パフォーマンスで死んで見せる人間なんて、世界広しといえど妹紅さんぐらいのものでしょうね。貴女を見ているとどうしても命が軽く思えてしまう」
この二人のリアクションはもう慣れたもんだ。
ていうか阿求、私がいうのもなんだが命は大切だぞ。命あっての物種だからな。……特にお前のような奴は大事にしないと。
さてさて、私という最高の戦力を手に入れて舞い上がっている化け猫ちゃんだったが、それでもまだ人数が足りないようなので急いで知り合いの元に走り出してしまった。
それに合わせて影狼と阿求も行動を開始する。
私はどうしようか。もうちょっと時間がかかりそうだし、取り敢えず慧音を家まで運ぶとしようか。橙曰く、大した傷ではないようだが念には念を。
もしも慧音に死なれるようなことがあれば、私の生きる希望は完全に潰えてしまう。慧音の存在こそ私が幻想郷に見出した価値そのものなんだ。
大事に至らないようにしないと。
「大丈夫か慧音。今からおぶって家まで運ぶからな……痛んでも我慢してくれよ」
「う…く……妹紅か。すまない……」
弱々しい声が聞こえる。どうやら意識はあるようなので一安心だ。慧音は強いから、こんな傷すぐに治しちまうに決まってる。
「妹紅……竹林へ戻るのか……?」
「うん。いっちょひと暴れして異変解決とやらに貢献してやるとするよ。そのついでに輝夜を殺せれば万々歳だ」
「……それが大部分の目的だろう」
「んーやっぱり分かっちゃうか」
慧音には私の考えてることなんてお見通しなんだろうな。いや、私が単純なだけか…?
まあ私からすれば日課の散歩みたいなもんだ。今日もいっぱい殺し殺され、明日が来る。ただそれだけの決まりきった日常の一部。
だが、慧音の言葉は重苦しかった。
「だめだ妹紅……お前はこの争いに関わってはいけない……! お前が思っているほど、事態は簡単じゃないんだ」
「おいおい私は不死だぞ? 私の前に物事の難易度なんて存在するはずがないだろ? 大丈夫だって、てゐにも八雲紫にもいいように使われる気は無いから」
私は安心させるように明るい口調で軽快に答えた。こんな状態の慧音になるべく心配はさせたくないからな。心配する意味なんて無いのに。
だが慧音はそれを否定した。
「あいつらは……幻想郷の存続と我が身の保身しか考えていない。目的を達成する上での犠牲を『数値』としてしか見ないんだ……!」
「慧音?」
私の背中を掴む力が一段と強くなる。いつもより覇気のない慧音の言葉だけど、真に迫るモノはひしひしと伝わってきた。
「天魔の権力欲で数え切れないほどの妖怪が犠牲になった。てゐの傍観により数多の被害が齎された……。摩多羅隠岐奈の暗躍で何人もの人間が運命を狂わされた……! 私の知ってる顔が、子供達が連中の所為で何人も死んでいったんだ! 」
「それで慧音はあんなに幻想郷の上の連中を嫌っていたのか。……慧音だもんね、許すことなんてできないよな。やっと分かったよ」
悲痛な慧音の言葉が胸に突き刺さる。
摩多羅隠岐奈とかいう奴は知らんが、他二人の悪名はよく聞く。特に天魔のやらかした出来事ってのがヤバい。恐らく、幻想郷成立から現在に至るまでの歴史において最も凄惨な出来事だった。
連中のやってきたことは人間たちの間では風化していく一方だろう。だけど私や慧音、それに阿求なんかの記憶には深く刻まれている。永く生きてきた私たちにとってはつい最近のことに過ぎないんだ。
よって忘れることもできないし、慧音のような性格だと割り切ることも難しいだろう。
「私は……あいつらを信じることはできない……。お前が酷い目にでも遭わせられたら、私は……! もう抑えが効かない……!」
「苦しんできたんだな。話してくれて、しかも心配までしてくれてありがとね」
こんなに嫌っているのに慧音は毎月賢者たちと顔合わせしてるんだよな。阿求の護衛に最適なのは間違いなく慧音だから。
ひとえに人里を、引いては人間を守る為に尽くしてきたんだ。ほんと、私なんかよりよっぽど偉いしカッコいいよ。
「賢者がロクでもない奴らってのは分かったわ。だけど件の八雲紫はどうなんだ? 慧音の目から見て信用できる奴なのか?」
「紫は……不思議な奴だよ。やる事なす事が多岐に渡っていて、大元の行動原理そのものが他の賢者とは異なっている印象だ。少なくとも阿求はあいつを信用しているが……私はあいつが怖い」
怖い……?
そんな事を言う慧音は初めてだ。
「私は紫を同じ世界に住む者と思った事は一度もない。考え方も在り方も、全てが私たちとは一線を画している……。賢者の中であいつを信用しているのも、多分一握りだろう。みんな内心では紫のことを大なり小なり恐れている」
「そんなにおっかないもんなのか。妖怪に恐怖を抱くことなんてここ数百年なかったからよく解らないなぁ」
「そんな表面的なものじゃない……。獣が火を怖がるような、そんな原初的な恐怖だ。無知への恐れ……ならまだいいだろうな……」
八雲紫か。どうも思っていたより厄介な妖怪なのかもしれない。配下の橙を見る限り、そこまで黒い組織とは思えないが……。
あーあ、謎はより一層深まった。
たけど、もう私の中で慧音への答えは決まっていた。それどころか慧音の内心を聞けたことで、大きな決意を抱くまであった。
「慧音、私は行くよ。貴女の話を聞いてなおさら八雲紫の元へ行きたくなった」
「妹紅……!」
「何が何でも姿を拝ませてもらう。そしてこの幻想郷を率いるに信用の足る妖怪かどうか吟味させてもらおうか。前から気になってたんだ」
実のところ、その裏に隠してある思惑はあまり平和的なもんじゃない。まあ、この事は慧音には秘密だ。絶対に反対するって分かってるからな。
「大丈夫だよ慧音。なるべく穏便に済ませるつもりだし、私は絶対に死なない。慧音より先に死んでやるもんかよ。……だけどもし、私が死んじゃったら……その時は喜んでくれ。『藤原妹紅はやっとこさ死ねたんだ』ってね」
「はは……。怒る気にもならんよ」
力無く慧音は俯くように私の背中へ頭を預けた。疲れちゃったのかな。
精神的にもかなりくるものがあっただろう。それにこんな夜だ……そもそも慧音の状態は万全とは程遠い場所にあった。
慧音……もしも輝夜の野郎が余計な事をせずに満月がそのまま出ていれば、橙にだって決して負けなかっただろうに……。
結果だけを見れば慧音の行動は無駄だったかもしれない。
現に慧音に勝った橙と話すことができたおかげで、こうして今宵の事件の存在に気づくことができた。さらに言えば慧音の苦悩を知ることができたのは、今の慧音の憔悴が有ってこそだ。
だけど慧音の気持ちを無下にすることはできない。人間を守りたいと想い続けた優しい決意……私が絶対無駄にはしないよ。
お前みたいには上手くできないしカッコよくも振る舞えないけど、一丁前の度胸は持ってるつもりだ。お前が真に笑える日が来るまで、何度でも死んでみせようじゃないか。
これから私は八雲紫に会いに行く。そして私の判断次第では……そうだな、取り敢えず賢者とかいう連中を阿求とてゐを除いて
後のことなんて知ったこっちゃない。弊害を振り撒くだけの旧体制が根付く支配なんて、無い方がマシだ。何より慧音を追い詰めていたのが許せん。
慧音が里を盾に取られて動けないのなら、私が汚れ役を喜んで引き受けよう。
はは……。こんな安い命の使い方、幻想郷広しといえど私くらいのもんだろうな。
あっいや、もう一人いた。
八意永琳……あいつは身体だけじゃなく心まで殺すことができる。あいつは多分恐らくだが、
私から見ても正真正銘の化け物で、輝夜と殺し合う上でもっとも警戒しているのが永琳の存在であることは言うまでもないだろう。
あぁ……そういや今回、永琳はどこまで介入してくるつもりなんだろう? 輝夜の安全を第一に考える奴の事だ、大きな行動を起こすことはないと思いたい。
現にてゐが永琳の代わりにこうして大きく出張っているわけだからな。
けどもしも永琳が本気になってこっちを潰しにかかったら……。
異変解決は絶望的かもしれん。
「あまり集まりませんでしたね……。しかしこれだけの面子がいれば相応の助けにはなるでしょう。取り敢えずこの後も私の方で呼びかけておきますので、追加の人材を確保でき次第そちらの方へ向かってもらいます」
「うん! 紫さまも喜んでくれると思う!」
「おまけと言ってはなんですがこの妖精を連れて行くといいですよ。鱗粉を飛ばすくらいしかできませんがそれなりに頑丈ですので弾除けにでも」
「ふっふっふ……紫さんったら最近になってわちきの
「やる気があっていいじゃない! あっちには姫と響子がもう向かってるらしいわ。私たち3人も続くわよぉー!」
「あんまり大声出さないで……頭が割れる……。それと影狼、私は草の根ネットワークには入ってない。以上」
煩い云々に関しては赤蛮奇と同意見だ。
それにしてもまあまあの人数だな……。変わり者妖怪集団に阿求にひっさげられたアゲハ蝶のような妖精。全員がそこそこの実力者か。
橙と阿求はまだ人数が欲しかったみたいだが、私からしてみればさしたる違いはない。結局のところ私がいれば負けはないんだからな。
「それじゃあみんな! 今から紫さまへの道を開くから、着いたら一斉に暴れ回ろう!」
作戦もへったくれもないな。まあ、そっちの方が私にとっちゃやりやすいがね。
少なくともこの場にいる奴は全員そう思っていそうだ。阿求はともかくな。
そして橙はこちらに背を向けると、妖力を込めて縦に虚空を切り裂いた。すると空間に黒い亀裂が走り、瞳のように開かれた。
空間を埋め尽くす無数の瞳。
妖しい色に淀む世界。
冷たい衝撃が私の身を打った。
何故ならこの空間を見たのは初めてではないからだ。私はこの気色の悪い空間を過去に2回、目の当たりにしている。
1回目は何百年か前。そして、2回目はつい先週ほどのことだった。
アレは、あの妖怪が使っていたものに違いない。だけどなぜ橙が……?
周りを見ると、全員がなんの疑問も持たない様子であの気持ち悪い空間へと足を踏み入れている。さも、当然のように。
……なんなんだ。この強烈な違和感は。
「ほら早く潜って! もう向こうじゃ戦いが始まってるよ!」
「あ、ああ。……なあ一ついいか?」
私の言葉に橙は首を傾げた。なぜこのタイミングで? と思っていることだろう。だが首を傾げたいのはこっちの方だ。
「その空間は、お前の能力で作っているのか?」
「ううん、違うよ。私もスキマを使えるようになったのは最近なんだけどね、多分紫さまが私に力を分けてくれたからじゃないかな。ずっと紫さまや藍さまみたいにスキマを使いたかった……その夢が叶ったんだよ!」
「そうか……良かったな」
橙が嬉しそうにはにかむ笑顔を浮かべた。
私は脳裏を掠める嫌な予感から背を向けながら"スキマ"とやらを潜った。
景色は一瞬で移り変わり、人里の角から竹林へと変貌していた。心なしか空気そのものが身体に馴染むような、そんな気がする。
辺りを見回すと彼方此方で戦闘が始まっているようだ。私のすぐ近くで爆炎やら謎ビームがこれでもかと飛び交っている。
だが今の私に戦闘欲は残っていなかった。
「あれ、おかしいなぁ。紫さまの座標はここで合ってるはずなんだけど……もしかしてスキマ空間の方にいるのかな」
「……なあ橙。最後に一つだけ質問いいか。これが私の納得のいく答えだったなら、すぐにでも参戦するから」
橙の方を見らずに言ったが、気配で相手が身構えているのが分かる。もしかしたら口調が強くなってきているかもしれない。
意味もなく一呼吸置いた。そして一言。
「紫さまってのは、どんな風貌だ?」
「へ、変な質問ばっかりだね……。こんな状況でそんなこと聞くなんて変だよ?」
橙も私と同じように会話を一旦途切れさせた。やがて、少しずつ語り出す。
「紫さまはね、紫色のお召し物を好んでよく着てる。春と夏はドレスで、秋と冬は導師服」
紫色の服。
「髪の毛はお月様よりも明るい金色。背中まで伸びててとても綺麗なんだ」
金色の髪……。
「でね、瞳は吸い込まれるような深い紫色! 一度見れば絶対に忘れないよ!」
……。
そうか。そういうことだったのか。
はあ……この予感だけは、絶対に当たって欲しくなかったんだがなぁ。だが無情にも、結果を見るよりも早く解ってしまった。
気付かなかった。
───いや、気付こうとしていなかったんだ。
こんなにも近い場所に居たのに、私は奴を探すのを諦めた──フリをしていた。竹林に閉じ篭って情報も殆ど耳に入れずに、目を逸らし続けていた。
もう二度と会いたくなかったよ。
結局、この幻想郷に住まう私はあいつの掌で堂々巡りを繰り返していただけだった。
慧音も阿求も……みんなが踊らされているんだ。
「橙! よくやってくれたね……私は鼻が高いよ」
「藍さま! それに霊夢も!」
「ああアンタも来てたのね」
輝夜と同じように憎しみを糧にできれば、こんなザマを晒すこともなかっただろう。だけど、できなかったんだ。
……怖かった。
あいつの全てが怖かった!
「紫さまはご無事ですか!?」
「私たちの後ろにいるよ。怪我をされているが大事には至らなかったようだ。──取り敢えず一度態勢を整えて再度竹林の攻略を進めよう。どうも因幡てゐを捕まえるだけでは今回の件が終わりそうにもないんだ」
「それでは私が紫さまを連れて下がりましょうか!? みんなが兎たちを抑えているうちに藍さまと霊夢は大元を……」
蓬莱の薬を飲んでから私は強くなった。数え切れないほどの妖怪と戦ってきたが、殆どを死ぬこともなく片付けてきたし、私に限って万が一は存在しない。
私は自分のことを枠外の存在だと信じ込んでいた。
食物連鎖の頂点に立つ必要もない、『生物』としての致命的な欠陥。紛い物でありながらも生き続けることができた確かな理由。
だけど思い知らされた。
いや、思い出したという方が正しい。
恐怖という感情のキーパーツ。憎しみや愛情よりも先行する感情の迷走。
あの日以来、私は妖怪恐怖症に陥っていたんだろう。慧音の助けがなければ今も竹林の中で震える生活をしていたと思う。
「そうだな。紫様が引き連れてきた者たちも各地で安定した戦闘を行なっているようだし……。どうなさいますか
「私がいの一番に撤退するのもどうなのかしら。うーん……たまには霊夢の職場参観に興じるのもいいかもしれないわね」
「ちょっと親面しないでくれる?」
人里で八雲紫を見かけた時、殺すことのできる決定的な
だけどできなかった。
身体がすくんで硬直してしまった。
お陰で何もできずに腕を奪われて逃げられた。何百年にも及ぶ千載一遇のチャンスをまんまと素通りしちまったんだ。あの後、動けなかったことが何よりも悔しくて何度も地団駄を踏んだ。
今日は違う。
「そういえば、言っちゃ悪いけど時間かけた割には援軍が少なくない? まあ元々いらなかったんだけどさ」
「うう……慧音に足止めを食らっちゃって。だけどとっても強い人が来てくれたんだ! そこにいる藤原妹紅って人なんだけど──」
もう私ひとりの問題じゃない。幻想郷に住むみんなの運命がかかってるんだ。
この世界のため、慧音のため、人間のため……。
そして『あいつ』のためにも……!!
「藤原妹紅? 聞いたことのない名ま……え?」
「どうされました? 紫様」
八雲紫……っ。
私は、お前がッ! 今宵だけは輝夜よりも憎いッ!!
「八雲ォ紫いぃぃぃぃいッッ!!」
「えっ、えっ、えぇ!? なんで生きて……」
踏み出せなかった足を強く踏み締め、伸ばせなかった腕を勢いよく空へと叩きつける。
接近に1秒もかからない。
目を見開く橙を通過し、巫女が動くよりも先に八雲紫を射程範囲に捕らえた。
即座に腕を振りかぶる。
狙いは心臓。
そして灰も残らず焼き尽くすッ!
「──ゥげはっ……!」
「させるか愚か者」
が、逆だ。
心臓を貫かれたのは私だった。
胸へ手刀による抜き手、一突き。
身体が一時的な停止に追い込まれるほどの完璧な致命傷。これが、九尾の狐……か。
「なんだったんだこいつは……」
「ら、藍さまダメ! 妹紅は死なないの!」
その通り、私は死なない。
だが一連の流れで身体は一度死んじまうからな。少しでも有効活用しなきゃな。
身体中の生命力を妖力に変換し、自らの細胞を焼き尽くすことも厭わない焼身爆発。これで九尾の狐ごと八雲紫を吹き飛ばす!!
もちろん、私の身体に突っ込まれたこの腕は、絶対に離さないからな?
「こいつまさか…! 橙ッ紫様を守れ! 霊夢も──」
「ハハ、諸共死のうや」
急激な脱力感が身体中を駆け巡り、代わりに凄まじい熱量が体外へと放出される。
全員がなすすべなく焔に飲まれるのを確認し、やり切ったことを実感できた。
命の熱を感じながら、私は一度意識を手放した。
・迷いの竹林のテーマである『永夜の報い』と『満月の竹林』のフレーズにはタイトル曲が使用されている。その事を鑑みた迷いの竹林の特異性。
・ゆかりんは異変に全く気づけなかった。月をしっかりと確認していたにも関わらず。
・ゆかりんは竹林に踏み入るのが嫌だった。
・てゐの能力は問題なく発動している。
取り敢えず添えた伏線。覚えておくとなかなか面白いやもしれません。
ちなみにゆかりんの瞳の色について、紫色と何度も明言されていますが、作者は紫の瞳の色はどっちかというと金色派ですね。まあ、幻想郷のみんなはコロコロ瞳の色が変わるからね……。
それとあんまりフォローが入っていませんけど、ゆかりん招集組で一番の戦力は実のところリグルなのです。虫ちゅよい……。
「こんばんわー。今泉影狼って名前聞いたことある? あるよね? それは私のことよ! 知らない人は覚えて帰ってちょうだいね。
いやーそれにしても怖いわー、賢者怖いわー。言うこともやることもスケールがでかくて私たちみたいな下々の妖怪には理解できないわー。あんな連中をまともに相手するなんて、考えただけで身の毛がよだつわね。あっ、今日はあんまり毛は生えてないけどね。
だけどそんなみっともない暮らしももう終わり! 今回の事が上手く運べばもう家賃もみかじめ料も払わなくていいんだ! 草の根から一人でも賢者を排出できれば全てがトントン拍子で解決よ!
そうねぇ……生活に余裕ができればお肉をお腹いっぱい食べたいわ。それから毎日霧の湖までゆっくり散歩して、姫たちと一緒に楽しいことをいっぱい話して……穏やかに暮らしたいわ。全ての妖怪が日向に出れるような、そんな未来になるといいねぇ」