幻想郷は全てを受け入れるのよ。それはそれは残酷な話ですわ……いや割とマジで   作:とるびす

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炎上にも二種類。


幻想郷弾幕コンテスト 白玉杯『炎上編』

 

 

 800年と少し前。白玉楼と西行妖、そして西行寺家が未だ顕界に存在しており、魂魄妖忌もまた若くして頭角を現した剣客として西行寺家に仕えていた頃。

 

 武家として戦働きに駆り出された時もあれば、妖退治の仕事を請け負う事もあった。斬って斬って、やがては斬り飽いた妖忌にとっては非常に退屈な毎日だったといえる。

 

 しかしあの日、全てが狂ってしまった。

 

 

 日本中が混沌に満ちていて、種を問わずありとあらゆる勢力が鎬を削っていた時代。凄まじい数の妖が棲息すると聞く有名な山で、大騒動が起きたのだ。

 

 時の妖怪世界の覇権を握っていた覇帝リグル・ナイトバグ率いる最強蟲軍団と、妖怪が棲む山を事実上牛耳った全盛期の天狗の間で戦争が勃発した。

 その影響は広範囲に波及する。

 

 戦乱から逃れ麓の村々を襲撃する流れ妖怪や、栄養補給の為に動植物問わず無制限の捕食を続ける蟲妖怪への対策は急務であり、その討伐者として妖忌は抜擢されたのだ。

 

 他ならぬ、八雲紫の指名によって。

 

 タイミングがあまりにも悪かったのだ。

 まるで一から十まで謀られていたかのように。

 

 幽々子の父であり西行寺家当主でもあった『歌聖』が非業の死を遂げ、家中が混乱していた事。

 幽々子の周囲で親族や使用人の不審死が多発したことで、当主の娘であるにも関わらず西行妖と隣接する離れに遠ざけられてしまい、その中で妙な妖怪と親睦を深めてしまった事。

 その過程で、妖忌がその妙な妖怪──八雲紫に剣技を披露してしまった事。そして全く敵わなかった事。

 妖忌が幽々子に絆されてしまった事。

 

 やはり、全てが掌の上だったのかもしれない。

 

 

 

 

 *◆*

 

 

 

「……来ませんね」

「困ったわねぇ。これからという時に」

「規定にはありませんが、これはもう試合放棄という事でよいのでは?」

「うーん」

 

 幽々子と阿求、主催2人が難しい顔を浮かべていた。武舞台の上では独り手持ち無沙汰な妖夢が周りを見渡しながら、不安げに主人を見る。

 観客達も何事だと騒めき、また飽き飽きしながら進展を待っている。

 

 準決勝第一試合の組み合わせは魂魄妖夢と比那名居天子。「切れないものなど何もない」の謳い文句通り、天子の絶対防御を突破できるのかが注目の試合だった。

 しかし開始時刻になっても天子が一向に現れないのだ。

 当然、待ち惚けをくらった観客達の不満は溜まる一方である。

 

「どうなってんのよ西行寺! 選手に夜逃げを許すなんて。さっさと進行しなさい!」

 

「煩い蝙蝠ねぇ。……負けず嫌いのあの天人が勝負を棄権するとは思えないけど、来ないなら仕方がないわ。比那名居天子は失格で妖夢の不戦勝ね〜」

「準決勝なのに締まらないですね」

「まあアレ(不良天人)に期待してた私の落ち度よ」

 

 ブーイングに耐え切れなくなった運営の判断により、天子の敗北が決定する。「まああの天人ならやりかねないな」というラインの出来事であるため、彼女の安否を心配する者は誰一人として居なかった。

 

 なお天子の優勝に大金を賭していた者達が抗議の暴動を起こしたが、そこは幽々子が即死の蝶弾幕をチラつかせる事で黙らせた。

 宙に溶けていく怨嗟の声、投票券を握り締めたまま膝から崩れ落ちるはたて、釈然としない様子で武舞台を降りる妖夢、笑いが止まらないたかね。

 

 ただ、この試合に関してはこれ以上の大事にはならなかった。天子と妖夢の真剣勝負が見られなかったのは残念だが、本番はむしろ次だという意識が全員にあったからだ。

 

 第二試合、八雲紫と匿名希望(謎の虚無僧)

 事前の評判通り比類無き実力を証明し、圧倒的な勝利を重ねてきたぶっちぎりの優勝候補。

 対するは全くのノーマークでありながら今大会最高峰の剣術を次々披露するダークホース。

 良くも悪くも読めない試合になる。

 

 それだけ観衆の注目度は高かった。故に、期待を裏切られた際の不満は第一試合の比ではない。

 

 なんと八雲紫までも現れなかったのだ。

 虚無僧が独り武舞台の上に佇みその時を今か今かと待っているが、その対戦相手たるスキマ妖怪は影も形もなかった。既に事前に決めていた開始時刻から十数分が経過している。

 

 ついには観客席、来賓席問わずブーイングが飛び交う始末となってしまった。

 

「さっきの試合といい、いつまで待たせるのさ。早く八雲紫を出しなさいよ!」

「逃げたんだろ。分が悪いと見たら即退散とは、とんだ腰抜けの妖怪だな」

「ゴミ山賢者! 敗北者!」

「そーよそーよ! 責任から逃げるな!」

 

 野次の一部がヒートアップしつつあった。というか、明らかに草の根妖怪と思われる連中が囃し立てている。というか、鬼人正邪である。

 紫の権威失墜を狙えると見ての扇動。わかさぎ姫や今泉影狼、少名針妙丸を駆り出しての地道な作業だった。

 なお4人は確保に動いた哨戒天狗が近付くと即退散してしまった。華麗なるブーメラン。

 

 しかし大多数の観客達に不満が溜まっており、杜撰な扇動でも火が点きつつあるのもまた事実。このままでは大会そのものの進行が危ぶまれてしまう。

 幽々子は厳しい判断を迫られていた。

 

「紫……」

「幽々子さん、仕方がありません。紫さんを失格とし決勝戦をすぐに始めましょう」

「もう少しだけ待って頂戴」

「残念ですが我々は既に天子さんを失格にしてしまっています。紫さんだけ特別扱いにはできません。運営は常に公平な判断を心掛けなければ」

 

 阿求が判断を促し、事態の収拾を図る。

 自分の敷地内で暴動を起こされたくない打算ありきなのは言うまでもない。

 

 幽々子は名残惜しい様子で武舞台を見つめ続けていたが、やがては観念したように悲しげに頷くと、決断を下し──。

 

 

「皆様、お待たせいたしましたわ」

 

 

 声を発する直前で武舞台の空間が裂け、スキマ妖怪が舞い降りた。

 野次から一転、八雲紫の登場に観衆は湧き上がる。異様な熱気、なんだかんだでみんな紫の大暴れを楽しみにしているのだろう。

 幽々子もまた、ほっと胸を撫で下ろすのだった。

 

 しかし現れた紫には違和感があった。試合中に纏っていた身を刺すような圧は減少し、代わりにいつもの気味の悪さを醸し出している。

 つまるところ、普段通り過ぎたのだ。

 大会用に準備していたのだろう桔梗色の居合道衣と黒袴ではなく、普段着となる導師服を着衣しているのも妙だ。着替えて来たから遅れたのだろうか? 

 

「紫さん。今日も変わらず遅刻ですか」

「ごめんなさいね。少々、想定外の事が起こりまして」

「せめて一言言ってくれれば良かったのに。……しかしこれで問題なく試合を進行できますね幽々子さん」

「ええ本当に良かったわ。それじゃあ試合を開始するから、頑張ってね紫」

「さ、最善を尽くすわ」

 

 幽々子の言葉に頷く様からは何故か悲壮な感情が見て取れたが、恐らく気のせいであろう。

 

 かくして準決勝第二試合が開始され、これまでの激戦の際と同じく居合の構えを取る虚無僧に対し、紫は拳を突き出すようにファイティングポーズを取る。

 

「ちょ、ちょっと待ってください紫さん。素手での戦闘は反則ですよ、持参してた小太刀を使ってください」

「え? ……ふふ、そうでしたわね。生憎、あの刀は紛失してしまいまして。代わりを用意しますわ」

「は、はぁ」

 

 阿求の咄嗟の制止に対し、さも最初から分かってましたよと言わんばかりの態度。恐らく舐められているのだろう。阿求は内心ややキレた。

 

 そして紫がいそいそとスキマから取り出したのは、長刀。柄の先に動物の尾を思わせる謎の毛玉がくっ付いていた。楼観剣である。

 控えから「はえ!?」という半人半霊の声が聞こえてきたが無視。

 他選手の武器を使ってはならないというルールはない。

 

「さて失礼致しました。貴方ほどの達人を相手にする以上、生半可な刀では文字通り太刀打ちできないと判断した次第ですわ」

「……」

「──鬼が鍛えたこの楼観剣に斬れぬものなど、あんまりございません」

「……」

「降参するなら今のうちですわよ?」

「参る」

 

 虚無僧は言葉短く頷き、再度居合の構えを取る。対して紫はほんの少し残念そうな表情を浮かべると、やや考えた後に独特の構えを見せる。

 平刺突と表現するにはあまりに異形。

 深く腰を落とし刀の切っ先を相手に向け、その峰に軽く右手を添える。重心を後方へと置き去りに。

 

「あれは……まさか牙突(ガトチュ)の構え!? 流石はお師匠様分かってますね!」

「えっ、知ってるの? 早苗」

「ふふふ、ご存知ないのですか小傘さん。悪・即・斬! 悪・即・斬ですよ!」

「へーそうなんだ」

 

 観客席で何やら盛り上がっている風祝と付喪神はさて置き、試合は刀を交えるまでもなく異様な様相を呈している。

 互いに一切の殺気を生じさせぬ自然体だが、ここまでの試合を観る事で目の肥えた者達には分かる。一つ境界を取り払えば2人共殺気の塊に違いない。

 

 

 まあ当然そんな事はなく。ノリと勢いで牙突の構えを取ったは良いものの、思った以上に相手に隙が無く硬直するしかないというのが紫の実情である。

 きっとこのまま突っ込めば、その瞬間首と胴が泣き別れするのは目に見えている。さらに牙突は受けの構えではない為、相手から仕掛けられれば為す術がない。

 詰んだのでは? 紫は内心泣きそうになっていた。

 

 幽々子を悲しませまいと勇気を振り絞って参上した結果がこれである。さとりから何やら忠告されたばかりだというのに動いてしまった。

 自分の命と幽々子の笑顔、天秤に掛けられるような物でもないというのに。

 

 何処かへ行ってしまった藍へ恨み言を吐きたい気分だが、生憎そんな暇と余裕はない。幾ら救援要請を送っても応答の無い彼女に期待はできない。

 

 兎に角、この極限状態からどうにか脱したいというのが全てだ。どんなに無様に負けてもいいからさっさと解放されたくて仕方がない。

 達人同士の間合いに丸腰で侵入してしまった事、観客からの異常な注目。

 過剰なプレッシャーにより雑魚メンタルは限界を迎えつつあった。素人の紫にこの領域は早過ぎたのだ。

 

 故に錯乱してしまった。

 精神に異常をきたした紫が取った行動とは、一切の動作の中断である。牙突をキャンセルし、棒立ちとなった。

 虚無僧のみならず、場の全員が唖然となる。紫は勝負を投げたのかとも思ったが、あの八雲紫がそんな無様な敗北を受け入れる筈がない。

 

 次の行動に注目が集まる中、紫は徐に楼観剣を強く握り締め──。

 

 

火属性付与(エンチャントファイア)

 

 

『!?』

 

 意外ッ、それは着火ッ! 

 楼観剣の刀身を妖力の形質変化により炎上させ、勢いよく炎を噴かせたのだ。

 

 簡単な理論の帰結である。

 斎○一でダメなら更に強い剣士を真似るしかない。ならば志○雄真実しか居ないだろう。

 もう一度言うが、八雲紫は錯乱していた。

 

 ゲームや漫画の世界であれば属性の乗った剣の攻撃力が増すという事もあるだろう。しかし現実(リアル)はそうではなく、所詮幻想である。

 そもそも炎を纏った剣で斬り付けても、傷口を焼いて止血してしまうだけではなかろうか。

 

 というか借り物の剣に火をつけるな。

 

 しかしこのダメ元発火剣が予想外の効果を発揮する。

 なんと虚無僧がたじろいでいるのだ。深編み笠で相変わらず表情を窺い知ることはできないが、明らかに狼狽、もしくは困惑している。

 

 まさかの炎タイプ効果抜群疑惑に紫は歓喜した。そして彼女の賢者ブレインはここで畳み掛ける事を選択、更に炎を増量する事で勝負を決めにかかる。

 

 機を見るに敏。大は小を兼ねる。

 大真面目にそんな事を考えていた。

 

「あ、やば」

「む……!?」

 

 結果、炎は紫の服へと燃え広がり、さらには武舞台全体を激しく炎上させ紫そのものすら飲み込んでしまった。

 妖力の形質変化などという不慣れな事に手を出してしまった当然の報いと言える。紫に藤原妹紅のような技術はないのだから。

 

 会場は阿鼻叫喚の渦となる。

 最前列に居た観客達は悲鳴を上げてパニックを起こし、後方と揉み合いになった。

 

 一定以上の力量を持つ存在であれば、ただの虚仮威し目的での炎である事など簡単に分かるが、一般客はそうではない。あの八雲紫が放った炎になど近付きたくないのだ。

 一度火に巻かれてしまえば魂まで焼き尽くされそうで気持ちが悪い。

 

 来賓席の面々は呆れたり楽しんでいたりと様々な反応。一方自分の庭で過激な火遊びをされた阿求は普通にキレた。当たり前である。

 

 そして肝心の紫もまたもやテンパっていた。

 ついでに咽せてもいた。

 

「ゔぉえっ! げほっげほっ! ぐえぇ!」

 

 自身に纏わり付く炎は結界で遮る事ができる。しかし色々と雑な造りであるために熱と煙は遮断できず自ら燻される羽目になった。

 すぐにでも逃げ出したいところだが、それは虚無僧が許してくれないだろう。

 逃げの構えを見せれば即狙われる。このあたりは永琳戦での経験が身体に刻まれている。

 それどころか呼吸困難でまともに声を発せないから、棄権を叫ぶ事すらできない。

 

 今度こそ詰んだのでは? 紫は泣いた。お先真っ暗な現状と、ついでに煙が目に染みるから。

 

 そんな大惨事、地獄絵図の中。嗄れた声がした。

 

「降参……降参致す」

 

「え?」

「貴女様の恐ろしさ、改めて心ゆく迄堪能致した」

 

 燃え盛る炎をものともせず、石床に正座する虚無僧の姿があった。野太刀は鞘に収まり、丁寧に虚無僧の前に置かれている。

 虚無僧の行為は一般的に投了を意味する。

 

 よく見ると肩が震えている。

 恐怖か、それとも別の感情か。紫にその判別がつかなかった。というか、そんな余裕はない。

 

「酷い思い上がりでござった。未だ道為らぬ我が剣では貴女様に刃先を向ける事すら叶いませぬ」

「ぞ、ぞゔなの? げほぉっ!」

「……相変わらずで御座いますな」

 

 虚無僧は地面に額が付くほど深く一礼し、野太刀を手にすると火炎を──否、万象を斬り払った。

 途端に大炎上していた武舞台が静寂を取り戻す。

 

 会場を包み込んでいた爆炎はおろか、ほんの少しの黒煙すらも残さず初めから何も無かったかのように、全てが消え去っていた。

 残されたのは、ぷすぷすと口と髪、そして服から煙を上げている紫だけ。

 

「幽々子様の催しも十分楽しませてもらいました。後は──可愛い孫娘の相手をお手柔らかにお願い申し上げる。では、御免」

 

 いつの間にか武舞台から降りていた虚無僧は紫と、主催席に座る幽々子へと再度恭しく一礼し、混乱する群衆の渦へと消えていった。

 

 

 

 

 

 

「あの、幽々子様。少しお話が」

「あらどうしたの妖夢。もうすぐ決勝戦が始まるというのに、こんな所で屯してる場合じゃないでしょう。相手はあの紫なのよ?」

「その決勝戦についてです」

 

 青褪めた顔で主催席を尋ねた妖夢に対し、幽々子は素っ気なく返す。妖夢が此処に来た理由は分かっていた。だからこそ突き放すべきだと判断した。

 しかし妖夢な気分は晴れない。

 意を決したようにハッキリと伝える。

 

「正直なところ、自信を無くしてしまいました」

「ふぅん」

「あの謎の僧侶は私よりも上の剣の使い手でした。私があの域に達するには、あと10年……少なく見積もっても5年は必要だと思います」

「まあそうでしょうねぇ。私もそう思うわ〜」

「そんな方を戦わずして下してしまうような化け物──ん"ん! もとい、凄い妖怪と戦うなんて」

「妖夢」

 

 張りのある声に一瞬息を詰まらせるが、それでも妖夢は続ける。

 

「準決勝まではまだ楽しみだったんです。負けてもいいから、紫様と手合わせしてみたい気持ちが強かったから。でも先程の試合は……!」

「まあアレは試合以前の問題よね〜。紫が本気になってしまえば戦わずしてああなってしまう」

「前の異変の時だってそうでした! 私は結局紫様と戦う事すらできず、藍さんと橙さんに嬲られるだけで」

 

 困ったものだと幽々子は口を尖らせる。

 

 数年前の妖夢であれば紫を前にしてもこんな弱気になる事はなかった筈。

 ただ注意すべきは、妖夢の怯えはあくまで成長の証である。数多の修羅場を剣で切り開いたことで実力が備わったからこそ、視野が広がった。

 だから無闇矢鱈に無鉄砲にならず、相手との実力差を冷静に分析できるようになったのだ。

 

 繋がりを得た事も大きな要因だろう。

 春雪異変、永夜異変、六十年目の異変、紅魔杯、豊聡耳神子との死闘、そして紫の野望に立ち向かったあの瞬間。

 これらを通じて妖夢は様々な人妖と知己の仲となり、一人では到達し得ない高みへと辿り着いた。

 

 しかしそれは同時に心の弱さを生み出す結果にもなる。

 簡単な話、友達の前で恥をかきたくない。勝手に好敵手(ライバル)だと思っている咲夜や鈴仙に弱いところを見せたくないという見栄っ張りな気持ち。

 

 幽々子はそれを好ましく思う一方で、妖夢にはこれを良い機会として次の段階に進んで欲しいという親心があった。

 だからこの大会を開いた。

 

「私はね、貴女にかつての『無謀』を取り戻して欲しいの。ああ補足すると、考え無しに突っ込んで返り討ちに遭うことじゃないからね」

「???」

「勝利への道筋を掴む嗅覚、と表現するのが正しいかも」

「そんな感覚的な話をされましても……」

「まあ取り敢えず紫の胸を借りるつもりで頑張ってみなさい。思わぬ収穫が得られるかもしれないわよ」

 

 そろそろ時間だという事で妖夢を追い返す。暗に棄権を認めて欲しい旨を言いに来たのだろうが、そこは幽々子なりの厳しさを見せた形になる。

 もう一段階高みに手を掛ける事が能えば、妖夢の剣才はきっと幻想郷の頂点に届き得る筈だ。

 

 そうすれば()()()()にも心置きなく送り出す事ができる。

 四季映姫が云う次なる異変の火種。幻想郷や冥界とは異なる秩序に属する世界で起きたとある騒動。

 アレの解決には多分、妖夢の力が必要になるから。

 

 

 しかし、そんな幽々子の願いは最後の最後で裏切られる事になる。

 

 

 

 

 *◆*

 

 

 

 

 はぁい! まだ一回も剣を振ってないのに既に満身創痍なゆかりんですわ! 

 

 いやーホント、謎の虚無僧は強敵でしたわね。

 恐らくマトモに戦っていれば今頃私の生首がそこらへんに転がっていた事だろう。ゆっくりゆかりんの再来ね。嫌な思い出である。

 

 しかしまあ、身体の全てを使ってこその剣術よ。当然その『全て』には頭脳も含まれる。

 武舞台を炎上させて虚無僧の弱点(推測)を攻める作戦は大成功だった訳だ。最後なんて土下座して許しを乞うてたし。この八雲紫、何から何まで全て計算済みなのですわ! 

 筆頭賢者からは降りたものの、私の神算鬼謀は未だ健在である事が証明できた。大賢者は八雲紫! 依然変わりなくッ! 

 

 ああ、あとね。虚無僧の声音を聞いてちょっと気になった事がある。どうも彼とは何処かで会って話した事があるような気がしてならないよね。

 記憶の奥底で何かが引っ掛かっているの。もしかすると、最強八雲紫時代の記憶なのかも。

 ろくでもない繋がりなのは間違いないわ。

 

 まっ正直どうでもいいけどね。あんな変な人と知り合いだったとしても何かある訳じゃないし。

 それよりも今は決勝戦に意識を向けるべきですわ。

 

 これより私と妖夢の頂上決戦! 私は死ぬ! 

 

 何かと舐められがちな妖夢だけど、その実力は本物だ。彼女も間違いなく幻想郷における化け物側の存在。私ではどうひっくり返っても敵わない相手よ。

 多分百億回戦っても全部負ける自信がある! 擦り傷一つ無しにね! 

 

 なので私、無気力試合だと思われない程度にちょっとだけ戦ったら潔く降参しようと考えています。さっきの虚無僧みたいに土下座して。

 元々この大会は妖夢に自信を付けさせる為の出来レースみたいなものだし、ここは彼女に花を持たせてあげるのが最適解。私の屍を越えていけ! 

 

 

 助けて(切実)

 

 

「あの、紫様。剣を」

「剣?」

「楼観剣を返してもらえませんでしょうか。一応私の武器になりますので」

「あー……ごめんなさいね。洗ってから返そうと思ってたんだけど」

 

 申し訳ないと思う気持ちを全面に押し出しつつ、丸焦げの楼観剣を返却した。

 凄い微妙な顔をされたけど、私も色々切羽詰まってて余裕がなかったのよ。ごめんねてへぺろ。

 問答無用で斬り殺される事は無いにしても嫌味の一つや二つくらいは覚悟してたんだけど、特に何も言われなかったわね。むしろ妖夢の方から気を遣われてるような。

 

 武舞台の上で妖夢と2人、向かい合う。

 決勝に至るまでの過程が酷すぎたせいで、一周回って会場のボルテージはマックス。バイブス絶頂! 貴女達ったら趣味悪くない? 

 今度こそ試合の雰囲気に呑まれないようにしないとね。ひっひっふー。

 

「頑張れ妖夢ー! 八雲紫なんてぶった斬っちゃえ!」

「素っ首叩き切っちまえ! 容赦はいらないぜ」

「無様にくたばれスキマ妖怪!」

「紫さんがんばれー」

「アンタに神社の全財産賭けてんのよ! 絶対負けるな紫!」

 

 数々の心温まる声援に私も涙がちょちょ切れですわ。なんか聞き馴染みのある娘の声が聞こえてきたような気がするけど、まあ気のせいね。そういう事にしておこう。

 まったく、なんで私がこんなヒール的な扱いを受けなきゃならないのか。8割藍のせいですわね、恨むわ。

 

 まあ皆様のお望み通り、ちゃんと負けるので許してほしい。どこぞの巫女には悪いけど。

 

 丸腰で戦うのは反則だと注意されたばかりなので、スキマを漁り得物を取り出す。

 手に握ったのは、台所に一丁は置いてある料理のお供。それを認めた妖夢は目をまん丸に見開いた。

 

「包丁……!?」

「勿論、調理用のね。普段使いしてる物だけど切れ味は抜群よ? 南瓜だって切れちゃうの」

 

 切れ味が悪くなったら藍が素手でシャシャッと研いでくれるからね。素手で切った方が早いじゃんってツッコミは野暮ですわ。

 

 剣なんてウチには置いてないし、私がまともに扱える刃物なんてこれが限界ですわ。

 楼観剣? アレはノリ。

 

「生憎、これ以上の刃物を持ち合わせていないのよ」

「……っ!」

「まあどんな刃物を用意しようが結果は変わらないわ。安心してちょうだいね」

「そ、そんな」

 

 つまるところ「まともな勝負なんてできないから適当なところで優しく倒してね♡」ってことである。

 八百長試合を遠回しに呼びかけてるわけだ。

 

 オリハルコンの剣を使おうが、ドラゴン殺しを使おうが、使い手が私では意味などない。先ほど楼観剣を借りた理由だって虚仮威しの為だし。

 

「ッ! ……ッ!!」

「えっと、妖夢大丈夫?」

 

 なんかさっきから妖夢の顔が真っ赤になったり真っ青になったりして忙しい。

 体調が悪いのかしら。心なしか呼吸も荒くなってるような気がするし。

 なるほど、最悪のコンディションだというのに幽々子の無茶な申し付けで無理やり出場させられたのね……。可哀想に。

 

 でもそんな状態で決勝戦まで勝ち上がってくるんだから凄いわ。妖夢も成長しているのね。彼女が子供の頃から見守ってきたから感慨深いわね。幽々子ももっと褒めてあげればいいのに。

 取り敢えず妖夢の体調が心配なのでさっさと終わらせてしまおう。私もそろそろ帰って寝たいもの。

 

 目線で幽々子を促す。

 

「これが正真正銘最後の戦い、悔いの無いようにね〜。それでは決勝戦開始〜」

 

 恐らくこの世で最も締まりのない開始の合図。

 しかし会場が一気に静まり返り、緊迫感が辺りを支配する。八百長前提で呑気してる私でさえ思わず包丁を突き出して本気で身構えてしまう程に。

 あくまで形だけなんだけどね。

 

 さあ妖夢、かかってらっしゃい! 痛くない程度の軽い峰打ちカモン! 

 

 

 

 ──これは後に幽々子から聞いた話だが、この時妖夢は錯乱していたらしい。

 

 度重なるフラストレーションと、衆目に晒された状態故に発生した痴態への恐れ。そして私と相対した事での威圧感に対する逃避行動。無理に奮い立たせた闘争心。

 要するに準決勝での私と似たような境遇ね。卓越した集中力と極度のストレスが生み出す、武とは紙一重の極地である。

 私はそれが別方向で吹っ切れちゃったけど、妖夢はあくまで武の方向に吹っ切った。尤も、正道ではない。

 

 へっぽこ素人に包丁を突き出されただけで剣の達人である妖夢が恐慌状態に陥っちゃうなんて、予想できる筈がないわ。

 

 私は知らず知らずのうちに彼女を、奥義を使わざるを得ない状況に追い込んでいたのだ。

 

「決めるッ……一撃で屠るッ。それしかない……。線や面で捉えても紫様には通用しないから、もっと奥を、本質を叩き斬る。必要なのは、如何なる手段を用いても止められない永劫無比の斬撃」

「よ、妖夢?」

「空間、時、人、全て斬り飽いた。目指すは更にその先、世界そのもの。我が剣の届く先に果ては無し、一刀の下に尽く斬り払う」

「変なスイッチ入ってる? 大丈夫?」

 

 ゆらり、と。

 幽鬼が如き佇まいで楼観剣を抜き放つ。

 妖夢の得意とする居合ではなく、逆袈裟懸けによる斬り上げを狙う構え。刀身が隠れてしまうほどに身体全体を捻り、特大の力を解放するべくその時を待つ。

 

 あっ、殺す気ですわね? 

 妖夢のガンギマった目を見て確信したわ。私の八百長誘いが通じていない事に。

 

 この瞬間、私の中での優先事項が保身一択になった。

 

「あっ、降参しま──」

 

「ぬぅん!!!!」

 

 弾かれたように駆け出すのとほぼ同時。乙女が出すには少々物々しい咆哮とともに、全身全霊の一撃が放たれた。私は死ぬ。

 

 私の目から見ても、今までの斬撃に比べれば遅過ぎる大振りの動作。しかしそれを躱せるかどうかは別問題なのである。私の身体能力では回避不可能。

 我が妖生において通算数百回目となる走馬灯が脳裏をビュンビュン過りまくる。

 

 そんな断末魔の一瞬ッ! 八雲紫の精神内に潜む爆発力がとてつもない冒険を産んだッ! 

 

 さとりに預けていたこいしの力を回収し我が身に憑依させる。これにより無意識下での脊髄反射を駆使した最速の対応が可能となった。

 間髪を容れず諏訪子の力を僅かに引き出し、武舞台の土壌を変形させる事で妖夢の足元をほんの少し傾ける。

 更にぬえの力を不完全ながらも発動する事で身体を不定形なものとして衝撃に備える。

 

 結果、バランスを崩した妖夢は剣筋を狂わせ、私の脇下を狙ったのであろう挙動はその遥かに上、鼻先を紙一重で刃が通過した。

 剣圧によって導師服がズタズタになってしまったが、事ここに至っては些事である。

 

 三日月を描くような軌道で妖夢がひっくり返る。少々滑稽な終わり方ではあったが、しかし妖夢の斬撃は明らかな効力を発揮していた。

 

 世界を断つ斬撃というのは大袈裟な表現ではなかったようで、私のスキマに似たような空間の裂け目が武舞台上空に出現した。

 これが意味する事は、恐らく全盛期の私に対しても刃が届き得る可能性があったという事。

 今の私を相手に放つには余りにもオーバーキルな技過ぎる! 

 

 しかし予想外の連鎖は続く。

 

 ずるり、と。世界の裂け目から何かが落ちる。その正体は、武舞台の半分を覆うほどの巨大要石。

 仰向けに転がっていた妖夢に『それ』が直撃した。

 

「ぐぎゃ!」

 

 蛙を押し潰したような声を置き去りに、要石もろとも武舞台にめり込んでしまった。うわ……これ、もしかして死んじゃった? 

 

 その要石の上には白目を剥いて泡を噴く天子さんと、四つん這いになって荒々しく息を吐く藍の姿があった。互いに身体の至る所が傷だらけだ。

 情報が……! 情報が多い……!

 

「ぜぇっ……ぜぇっ……! やっとくたばったか! 手間を、掛けさせられた……!」

「藍? 貴女、何やってるの?」

「ゆ、紫様!? なぜこんな所に!?」

 

 それ私のセリフね。

 あまりの事態に試合は中断。阿求が慌てて武舞台に上がり、一方で幽々子は妖夢の墓標のようになっている要石と私を交互に見て、首を傾げていた。

 

 うん、まずは状況を整理しましょう。

 困惑で痛いほど静まり返る会場の中、私たちは情報交換に努めるのであった。

 

 

 

 はい全ての謎は解決されました。名探偵ゆかりん再登場の時間も要さなかったわね。

 

 まず一番に天子さんと(八雲紫)の失踪についての真実だけど、どうやら2人は休憩時間中に諍いを起こし試合そっちのけでスキマ空間の中で潰し合っていたらしい。

 藍の言い分は「紫様との替え玉がバレたから殺すしかなかった。不覚にも粘られて殺せなかったけど少しだけスカッとした」とのこと。南米のギャングか何かですの? 

 私は何故だか無性に泣きたくなった。

 

 で、次にそんな2人が何故妖夢の頭上に降ってきたのかについて。

 これは単純な話で、妖夢の放った世界を断つ斬撃がスキマ空間をズタズタに切り裂いたせいだという。運が悪過ぎる……! 

 

「取り敢えず紫様、こちらを羽織ってくださいませ。風邪でも引かれたら一大事でございます」

「ありがとう。正直寒かったの」

 

 藍が自分の着ていた胴衣を私に渡してくれた。

 剣圧で服がズタボロになってしまってたからね、もう体が冷えるのなんの。あと普通に半裸に近い状態だったから恥ずかしかったわ。人目も多いし。

 よし、文屋の撮ってた写真は後で藍に頼んで回収してもらおう。

 

「それで、妖夢の具合はどうかしら? 打ちどころが悪かったように見えたけど」

「呆れるほど頑丈ね。命に別状はありません」

「そう。良かったわ」

 

 天子さんと妖夢の診察が終わった。呆れた様子を隠そうともせず永琳が診察結果を告げる。

 何事もなくて一安心ですわ。ちなみに天子さんは酸欠による失神らしい。流石の藍も正攻法での天子さん攻略は不可能だったのね。だから締め落としたと。

 

 あと未だに永琳と普通に話せてる現状が信じられないわ。向こうが私のことをどう思ってるのかとかは想像したくもないけど。

 

 

 さて、これにて一件落着──とはいかないわよねぇ。

 

「つまり、紫さんは一回戦から準決勝までの間、全て藍さんに戦わせていたと」

「まあ、そうなりますわね」

「なんでそんな事したんです?」

「だって刃物で斬り合うなんて怖いじゃない」

「真面目に答えてください」

「至極真面目ですわ」

 

 阿求がキレかけてる! おかしい……私はありのままに話しているだけなのに。

 

 観客からも非難轟々の嵐だ。

 無効試合を求める声は当然あったのだが、特に圧が強かったのは「下等な者達とは刃を交えるのも億劫だから、式に丸投げしたんだなマジで許せねえ」という声だった。

 そしてそれを肯定する藍。

 違うそうじゃない。

 

 しかし私へのヘイトが高まっている現状では何を言っても火に油を注ぐだけ。私は黙って淡々と阿求からの追及に答えるしかないのだ。

 泣いてない。ゆかりん泣いてないもん。

 

「とにかく、動機はどうであれ紫さん本人が戦っていなかったのは紛れもない事実。よって紫さんの反則負けという事で──」

「いや逆ね」

 

 阿求の言葉を遮ったのは幽々子。

 いつもの澄まし顔、しかしどこか楽しげな様子で裁定を下す。

 

「式神とは術者の手足となる存在。それこそ藍ちゃんなんてまさに『八雲紫の右腕』だものね〜」

「はいその通りです」

 

 藍が誇らしげに肯首する。

 

「なら扱いは刀と何ら変わりないんじゃない? 式神は一般的には道具扱いになるんだし」

「正しく、幽々子様の仰る通りかと」

「しかし武器の複数所持は禁止ですよ」

「紫が生身で戦ったのは準決勝と決勝のみ。そしてそのどちらとも、紫は刀を振る事すらしてないわ。ただ構えてただけね」

 

 そういえば楼観剣も包丁も、まともに使ってなかったわね私。よくよく考えると舐め腐っていると言われても仕方ないのでは? 

 あと藍は帰ったら説教ね。私じゃなくて橙にしてもらうけど。私への説教に関しては……多分各方面から飛んでくると思うからちょっと勘弁して欲しい。

 

 と、総括を終わらせた幽々子が私へと視線を向ける。

 

「という訳よ紫。どうするの?」

「あー……何が?」

「私が話した通り、藍ちゃんを道具とするなら紫の優勝よ。貴女からも一言欲しいわ」

 

 なるほどね。

 私は幽々子の意図に気付き、苦笑を浮かべる事しかできなかった。

 

 優勝者は最初から決まっていたのだ。

 

「藍は私の家族ですわ。道具ではありません」

「……決まりね」

 

 堂々と、ハッキリと、その旨を宣言する。

 それを聞いた藍は顔を覆い、言葉にならない声を上げながら膝から崩れ落ちるのだった。

 

 

 こうして私は反則負けとなり『幻想郷弾幕コンテスト 白玉杯』の優勝は妖夢の手に転がり落ちてくる事になったのだった。ミッションコンプリート。

 ブーイングの嵐が吹き荒れたのは言うまでもない。

 

 なお表彰式は気絶した妖夢と天子さんを、それぞれうどん何某とはたてが支えながら行うという異様な光景となった。地獄絵図ですわ……! 

 

 そして後日、私はしこたま霊夢に怒られた。

 

 

 

 

 *◆*

 

 

 

 

 日はとうに暮れてしまい、朧げな蝋燭の灯火が頼りなく室内を照らす。

 いつもならこの時間もせっせと働いている妖夢も今日ばかりは永遠亭に緊急入院中であり、広い屋敷の中には幽霊が僅かに存在するだけ。

 

 閑散と静まり返った白玉楼の一室で、幽々子は1人の男と向かい合っていた。

 それは日中に行われていた白玉杯にて、予想外の大立ち回りを繰り広げた虚無僧──もとい、魂魄妖忌であった。傍には被っていた深編み笠が置かれている。

 

「昼間は随分と張り切ってたわねぇ、珍しい。この数十年で何か心境の変化でも?」

「いえ特には。本気でやらねば勝ち残れない相手ばかりで御座いましたので」

「ふふ、妖夢に良い所見せたかったんでしょ?」

「否定はできませぬな」

 

 というのも、妖忌は妖夢が自分に打ち勝つ事ができればその時点で正体を明かそうと考えていたのだ。その前準備として未だ健在なる己の剣を見せつける必要があった。

 全ては妖夢の更なる成長のため。

 謂わば白玉杯は、妖夢と妖忌がドラマティックな再会を果たすための舞台だった訳だ。

 

 しかしそれらは準決勝で全てひっくり返されてしまった。

 妖夢と当たるよりも早くあのスキマ妖怪と対戦する羽目になったのは、妖夢にとって、また妖忌にとっても不運だったと言わざるを得ない。

 

「紫が相手だったとはいえ、まさか降参しちゃうなんて。どんな相手にも臆せず斬り掛かっていた貴方にしては珍しい幕引きだったわね」

「昔の話は好みませぬ」

「まったく、相変わらずつまらない人ですこと。自分探しの旅もいいけど、ついでにユーモアセンスも学んできなさいな」

「それに関しては幽々子様との文の遣り取りだけで十分かと」

 

 幽々子は顰めっ面で扇を煽ぐ。

 

「で? どうして降参したの」

「……むず痒い所を突かれましてな。戦意をあっという間に折られてしまいました」

「腕が鈍ったわね、妖忌。あの時心を奮い立たせて紫に斬り掛かっていれば、勝ったのは貴方だった」

「左様でございましょうか。儂としては些か懐疑的なものですが……」

「臆しても紫に斬り掛かった分、妖夢の方がやはり見込みがあるわ」

 

 妖忌の表情に興味が滲む。

 

「ほう、では妖夢が八雲紫を斃す未来もあり得たと、そう思うのですね」

「あまりあり得ない話でもないのよ。まあ紫が死ぬ前に私が止めに入るつもりだったけど」

 

 妖忌の目を以ってしても紫の実力は見破れないか、と。鈴を転がしたような笑いが溢れる。

 結局のところ達人の視点というありがちな技術程度、紫を前にすれば何の意味も持たないのだ。

 

 幽々子は知っている。八雲紫がクソ雑魚である事を。

 

 とは言っても幽々子とて当初は紫を最強の妖怪だと思っていたし、その強さを疑いもしていなかった。

 真実に気が付いたのは永夜異変の時だ。

 永琳に成す術もなく殺されてしまった彼女を見て、漸く幽々子は知る事ができた。恐らく、藍やレミリアも同じタイミングで真実に辿り着いたに違いない。

 

 全ての謎が解けた今となっては、不相応な実力ながらも幽々子を始めとする大切な者達のために悪戦苦闘してくれていた紫が可愛らしく思える。

 今回の大会に無理して参加してくれたのも嬉しかった。影武者を用意してきたのは流石に予想外だったが。

 

 そんな面白おかしくて、何事にも一生懸命で、ちょっとだけ狡くて、自分の事を今も昔も想ってくれる、可愛らしい最高の親友。それが八雲紫だ。

 要するに、大会を通じてみんなに紫のことを自慢したかったのだ。

 

 様々なハプニングは起きたし、幻想郷世論における大会自体の評価はそこまで高くはならないだろう。

 しかし結果はどうであれ妖夢は劇的に成長できたようだし、紫と妖忌を引き合わせる事もできた。結果オーライだと判断すべきか。

 

「幽々子様は明るくなられましたな」

「あらそう? 何も変わらないと思うけど」

「……」

「生前の事を言ってるのなら、そうかもしれないわね〜。随分と酷い環境だったみたいだし」

「もしや記憶が?」

「記憶の有無は関係ないの。『死して尚愉しく』──この心持ちが肝要なのです」

 

 のらりくらりと躱されてしまった。自らの本質を掴ませまいとする言動は今も昔も変わらずだ。

 

 彼女の心中、察するに余りある。

 妖忌では理解できなかった。幽々子の苦しみを斬り払う事ができなかった。

 

 やはり、あのスキマ妖怪には敵わないのか──。

 

 

 

 

 

 

 全てが掌の上だったのだ。

 

 任務を遂行した妖忌が帰還したのは、出立から二月経過した頃だった。戦いの中で冬が過ぎ、桜舞い散る季節だったと覚えている。

 

 戦争は紆余曲折ありながらも圧倒的な前評判を覆して天狗が勝利した。

 天狗がNo.2の飯綱丸龍と文武に優れた精鋭達を失ったのは大きな痛手だったが、それに対して蟲妖怪は主要な大妖怪の全てを失う結果となる。

 

 リグルは力と記憶を喪失し、一介の野良妖怪に身を堕とした。最強軍団の中でも更に最強と謳われた姫虫百々世は敗死。そして、かつてはリグルと同格の存在であった黒谷ヤマメに封印を施したのが妖忌だった。

 

 本来なら勝てる見込みのない相手。半身を捧げてなお討滅できない化け物。

 もしもヤマメが既に手負いでなければ結果は大きく違っていただろう。最悪、今とは全く違う形の幻想郷が誕生していた可能性すらある。

 妖忌は見事、紫の思惑通りの成果を挙げた。

 

 満身創痍、虫の息。そう表現するのが相応しいほど妖忌は弱っていた。

 動かなくなった片足を引き摺り、病を押しての帰還である。長期の療養が必要である事は誰の目にも明白であったが、それでも急いで戻らねばならぬ理由があった。

 

 単純な話で、八雲紫から目を離すのが恐ろしかったからだ。幽々子がどこまであの妖怪の悍ましさを理解しているのか、妖忌はいまいち計りかねていた。

 幽々子は紫の事を「愉快なお友達」と呼び、親しげな様子を隠そうともしない。

 自身の生まれを儚む破滅的な思考に囚われていた生前の彼女では考えられないほど、幽々子はかの化け物に心を許していた。

 

 危険過ぎる。

 アレは自分達とは見ている世界そのものが違う別種の存在。間違っても「対等」になってはならない。

 

 後に幽々子の辿った末路を考慮すると、この妖忌の憂いは実に正しいものだったと言える。しかしどうこうできる手段を持ち合わせている筈もなく。

 

 

 妖忌が辿り着いた時、屋敷は炎上していた。

 生き人の気配は既に消え失せており、果たしてあの炎がどれだけの命を飲み込んだのか見当もつかない。

 刀を抜き放ち、道を切り開く。

 自らの内から込み上げる絶望から目を逸らし、離れへと急いだ。

 

 手遅れであった。離れはとうに灰燼に帰していた。

 それに隣接していた満開の桜もまた炎に包まれて、一本の火柱のようだった。舞い散る花弁が火の粉となって辺り一面に降り注ぐ。

 妖忌にはそれがとても悍ましいものに見えた。

 

 と、そんな見るに耐えない火の海を背景に彼女は、八雲紫は佇んでいた。

 腕には事切れた幽々子が抱えられていた。死因は火災によるものではないようで、腹のあたりから血が滲み出ていたように覚えている。

 

 紫は妖忌の姿を認めると、討伐のお礼もそこそこに、これまでに起きた不審死の真相と、幽々子が死ななければならなかった理由を語った。

 

『幽々子は自らの手で命を断ちました。決して生まれに絶望した訳でも、世を儚んだ訳でもない。この美しい、あらゆる命を貪る桜を封印する為──そして、私に死を教えてくれる為に、彼女は死んだのです』

『……自分が殺したと言っているようなものでは?』

『この子の死を侮辱したいのなら、そう思えばよろしい。貴方には無理な話ですわ』

 

 怒りが湧くと同時に、意外にも思った。

 煙に巻くような物言いはもう慣れたものだったが、この時の紫からは幾分挑発的な雰囲気が漂っていた。どのような形であっても、紫が感情を晒したのだ。

 

 幽々子との繋がりが偽りではない証左か。

 

『この子は幻想に連れて行くわ。この妖怪桜ごと全て、余す所なく』

『紫様は──死してなお幽々子様を離さないおつもりですか。ようやく安息が与えられたというのに』

『違う。幽々子が求めている安息はただ死ぬだけで得られるようなものではない』

『何を仰りたい』

『私に全てを奪われたこの子に残されるのは、肉体や記憶という名の衣服を剥ぎ取られた剥き出しの魂のみ。全ての柵から解放し、なおかつ生前の願いを無碍にする事なく役目を持たせてあげなきゃならない』

『それが幽々子様の望んだものなのか?』

『ええ、全て。だから私はそのきっかけと環境を与えてあげる事にしたの』

 

 それはとても残酷で、救いのある話。

 

 聞かずにはいられなかった。

 目の前に佇むこの世で最も恐ろしい化け物と幽々子の間に友愛が存在していた事を賭けて、問い質す。

 

『幽々子様を、死なせない選択肢はなかったのですか』

『……』

『貴女様が幽々子様の生きる希望になる事は、できなかったのですか』

 

 紫は答えなかった。

 僅かに滲ませていた感情の色すら消し去り、無機質な笑みを湛えるだけ。

 

 無言は肯定だ。幽々子を生かし、西行妖を処分する方法は存在したのだろう。だが紫はそれを望まなかった。だから幽々子は死んだ。

 話はそれで終い。

 

 そして紫は憐れみを込めて返した。

 

『生の楔から解き放たれ亡霊となった幽々子から笑顔が消えるような事があれば、その時は私のことを容赦なく斬ってしまえばよろしい。そうすれば貴方の気持ちも少しは晴れるでしょう』

 

 頭に血が昇る。

 自分が紫の足元にも及ばない事は明白。現時点では無理難題を吹っ掛けているのと同義である。

 舐められている。情けをかけられている。

 

『……侮られるな。今は難しかろうが、我が剣はいつか、貴女の首に届きましょうぞ』

『貴方がその域に到達するのが先か、それとも私が其処まで落ちるのが先か……楽しみにしてるわね』

 

 チカリ、と。激しい発光とけたたましいが鳴り響くと同時に炎に巻かれた西行妖が倒壊。

 火の手が爆発的に強まり、八雲紫と幽々子の亡骸を包み込んだ。

 

 その眩くも悍ましい光景に妖忌は絶句するしかない。

 

『生と死の境界に私は価値を見出せなかった。あまりに身近だった故か、それとも私に縁無き産物だからか……。いや、既に満たされたつもりなのかもね。数え切れないほど沢山の死を浴びて私は産まれてきたのだから』

 

 狂気を湛える桔梗色の瞳が炎越しで揺らめいていた。2人の姿はとうに見えなくなってしまったが、それでも妖忌は呆然と眺める事しかできない。

 動けなかったのだ。

 

『この世に生を受けてより幾星霜、()()に掴み切れなかった空想を追い続けるだけの苦痛な冒険だった。それに終止符を打ってくれたのが幽々子。私の恩人であり、親友である彼女には、どうか『死して尚愉しく』──幸せに暮らしてほしい』

 

 生きている事を証明するには死んでいるものが必要である。だから、死なない生き物は存在し得ない。生きていなければ死ねないし、死なない生き物は生きてもいない。

 生命の実態とは、この厚さ0の生死の境にある。

 

『幽々子の勇気が私を突き動かしたのです。これで心置きなく、私も死ぬ事ができる』

 

 その時、隣に自分は居ないのだとしても。

 八雲紫がいつまでも、西行寺幽々子の生きていた証となるのだから。

 





最後の時系列について。
こいし死亡。妖怪の山統一戦争

幽々子死亡(51話)

ぬえ死亡

隠岐奈と酒を酌み交わす(117話)

八雲紫死亡。ゆかりん誕生

月面戦争。藍と再会

幽々子(死後)と出会う(51話)

本編


という訳で、酷く曖昧な幻マジ最強ランキングです(全盛期で測定)

【挿絵表示】

依姫19位とかいう魔境。でも真剣に再ソートしたら更に低くなるかも。
個人的には華扇、幽香、何故かランキングに入ってない萃香勇儀魅魔あたりはもっと上になります。選択ソートで作ってるのでどうしてもランキングが不安定になってしまう。幻想郷屈指の実力者なのに……レミリア不憫!
あと場合によっては雲山、菫子、文、にゃんにゃんあたりが30位内に入ってくるかもしれない。
全盛期八雲紫とヘカちゃんの力関係については、初見なら紫が絶対に勝ちます。それ以降だと6割ヘカちゃんが勝ちます。

ゆかりん? 72869.5位です。


ちなみにどうでもいい設定。境界操作の発展ツリーとして大きく2パターンあります。
この世のありとあらゆる事象を別つ絶対の線引きを行う技術。そしてもう一つが概念改変によってありとあらゆる干渉を選り好みし、無から有、有を無にする技術。
呪いの王と現代最強術師みたいなものですね。
前者はゆかりん、後者がAIBOの得意な系統。練度には雲泥どころじゃない差がありますけど。
なお全盛期八雲紫はこの二つを極限まで発展させた上で境界突破してるためもう訳が分からん事をしてきます。(説明放棄)

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