幻想郷は全てを受け入れるのよ。それはそれは残酷な話ですわ……いや割とマジで   作:とるびす

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八雲紫の帰還

 

 

 異変の完全解決が里の人間向けに正式告知されたのは、紫さんとの決着から二週間ほど経過した頃だった。

 勿論、それなりの時間を要したのには訳がある。

 

 事後処理は当然ながら、紫さんの領域に突っ込んだまま帰ってこられなくなっていた人達の救助にかなり時間を取られたからだ。

 

 一番最初に幻想郷へ帰ってきたのは、本戦中に境界から弾き出されていた早苗。逆に最も帰還に時間がかかったのは妹紅さんだった。

 最深部で身体を粉々にされたらしく、回収が非常に面倒だったのだ。しかし、そんな生き地獄を味わったにも関わらず心に全く異常が見られなかったのは流石である。

 ここにきて彼女も一皮剥けたのだろう。

 

 結局、あれほど大規模な異変が起きたところで幻想郷の営みは何一つ変わらない。

 傀儡のヘカーティアが残した大量の破壊痕や、戦闘により負傷した者達の復帰は未だ中途半端ではあるものの、その程度で何か支障が出るほど幻想郷と其処に住まう者達はやわではない。

 

 かく言う私もつい数日前までは永遠亭で集中治療を受けていた身だが、簡単な歩行が可能になると同時に職務を再開している。

 博麗神社例大祭の一週間前からずっと地霊殿を空けていたものだから、もうやる事が山積みだ。新たな面倒事も幾つか発生している。

 

 普段なら手伝ってくれるお燐も肉体の再生が間に合ってないから役に立たないし、ドレミーは死んじゃうし。

 泣き言を吐かしてる場合ではない。

 

 お空の世話を妖怪の山が一丸となって引き受けてくれた事だけが直近での唯一の救いか。

 打算は兎も角としてね。

 

 

「お燐。ちょっと地上まで出掛けてくるから、何か困った事があったら連絡をお願いね。……うん大丈夫。貴女よりか全然元気だから」

 

 心配する愛猫を宥めつつ、手短に準備を済ませた。

 そしていざ出発しようかという時、背後から聞き慣れた胡散臭い声が私を呼び止める。

 

「博麗神社に行くのか。丁度いい、同道しよう」

「嫌です」

「そう突き放さなくても良かろうに。共に策謀をぶつけ合った仲ではないか」

「どの口が……。というか、よく何の悪びれもなく私達の前に出てこれましたね」

「地獄鴉の件については悪かったな。あれくらいせんとお前を拘束できそうになかった」

「お燐。ステイ」

 

 色々と因縁深い摩多羅隠岐奈の巫山戯た登場に思わず口調が刺々しくなってしまった。

 明らかに殺気が滲み出ていたお燐をまたもや宥めながら、うんざりとした気分を何とか抑え込む。

 

 結局のところ、この秘神は恥という概念を知らないのだろう。だからあんなに節操のない立ち回りもそつなくこなせるのだ。

 

「というか何で生きてるんですか。綺麗に死んでおいてくださいよ後味が悪い」

「紫が斃された時に、砕け散った神格の一部を回収できたのが大きかったな。まだ身体は用意できていないが、後戸の国と一体化し事なきを得たのだ」

「だから姿を現さないのか。しぶとさなら幻想郷でも四本の指に入りますね」

 

 ちなみに他三本は紫さん、正邪、青娥である。見事に『アレ』な連中で固まってしまった。

 

 取り敢えず、このまま彼女と問答しても不毛な掛け合いにしかならないので適度に無視しながら出発することにした。

 旧地獄の歓楽街を抜け、黒谷ヤマメと水橋パルスィの縄張りを避けつつ、地上を目指す。

 

 当然、道すがらの雑音は消えない。

 

「死ぬ死なないで言えば、私の他にも怪しい奴がちらほら居るだろう。お前を含めてな」

「何度か死にかけた事は否定しません。レミリアの支えがなければ恐らくは……」

「だがその苦労が最も効果的だったな。博麗霊夢にとって一番苦しかった時間帯は、間違いなく傀儡5人に囲まれた時だろう。あの時にお前と吸血鬼が幻想郷の本格参戦まで時間を稼いだ意味は非常に大きい」

「意外ですね。褒めてくれるんです?」

「まあMVPは私だがな」

 

 二言目には自分を誇示しないと死んでしまう病気にでも罹っているのだろうか。難儀な性格だ。

 あとMVPは普通に霊夢さんでしょうに。

 

 ただ秘神の裏切りが無ければ紫さんには恐らく勝てなかったし、その後の幻想郷に帰還する為の脱出経路が大幅に限られていたのは事実。

 癪なので直接礼を言う事はないが、ほどほどにヨイショしてあげよう。

 

「貴女が起こしたテロや、お空に対する仕打ちを許すつもりは毛頭ありません。しかし、一定の有用性があった事は認めます。一体いつから計画を練っていたんです?」

「無論、紫の成り立ちをお前から聞かされ、協力を持ち掛けられた時さ。あの時、地底に『物事の本質』を見極めた者がいる事を確認できたから、ここまで大胆な行動が取れたのだ」

「物事の本質、ですか」

「因幡てゐや茨木華扇、更には博麗霊夢。こいつらですら正しくは理解できていなかっただろう。紫の本質に辿り着けたのは、私とお前だけだ」

「……」

「いや、もしかすると蓬莱山輝夜は一端を知る事ができていたのやもしれん。しかし奴には実行力が無い。どのみち私とお前しか決定権はなかった」

 

 紫さんの本質。

 つまり、宇佐見蓮子とマエリベリー・ハーンの事。かつての八雲紫の事。それらを知っていて尚、さらに踏み込んだ先にあった秘められた想い。

 

 秘神は私が全てを把握していたと思い込んでいるようだが、それは大間違いだ。

 私は紫さんの事をちっとも分かっていなかった。あの人自身の心を無意識に軽視していた。だから、こいしに抵抗できなかった。

 

 無言のままの私を見て、内情を察したのだろう。明らかなトーンダウン。

 

「まあ奴の全てを理解する事などハナから不可能だよ。何せ本人ですら最後の最後まで分かっていなかったようだからな。そんな奴の心奥を僅かにでも覗けていたのだ。大したものじゃないか」

「本当に僅かですけどね」

「その僅かな気付きが分水嶺だったのだ」

 

 瘴気満ちる洞穴を抜けると、煩わしい地上の光が我が身を包み込む。取り敢えずルーミアのスペルを想起する事で、直射日光を遮断しておいた。

 後戸から「そのスペルはやめろ」と抗議の声が上がるが無視。嫌なら引っ込めば良い。

 

 彼女の意向に従う気がさらさら無い事を把握したのだろう。大きな溜め息と共に会話が仕切り直された。

 

「私達は紫への対応を二極化させてしまったな。生かすか、殺すか」

「貴女の目論見を打ち砕く事で紫さんに幻想郷で生きていく道を提示できた時は、万事上手くいったと思ったんですけどね。……紫さんは生きる事を必ずしも望んではいなかった」

「死ぬ事も然り。生死の如何は奴の本質ではなかった。それだけの話よ」

 

 かつての故郷(妖怪の山)を背に東へ向かう。

 

「気に病む必要はあるまい。全ては紫の今後に必要なプロセスだったのだから」

「改めて上手くいきすぎな気もしますけどね。私や他の皆さんはがむしゃらに頑張ってただけですし」

「ふっふっふ、全ては我が掌の上よ」

 

 知ったような風を装っているが、全てがアドリブの上に成り立つゴリ押しであったのはバレバレである。

 よくここまで堂々としていられるものだ。これくらい図太くないと幻想郷の賢者は務まらないか、とも考えたが、紫さんとはたての存在を思い出して考える事をやめた。

 

 螺旋構造解消後の世界で紫さんが幸せに暮らしていくための欠けてはならないプロセス。

 幻想郷の強さを見せつけ、自らの望みが叶わないことを存分に思い知らせる事。

 彼女の心に焼き付いた蓮子とメリーの影を、根本から取り除いてあげる事。

 そして最後に、本来この世界に存在しなかった筈の彼女(八雲紫)を私達が受け入れてあげる事。

 

 紫さんを救うには以上三つを完遂する必要があったと隠岐奈は云う。腑に落ちるとはこの事だった。

 正に擬きさんが推測していた内容と一致する。

 

「一つ面白い話がある。古明地よ、この幻想郷とは紫にとってどんな意味を持つ場所だと思う?」

「どんなも何も、紫さん自身は想定した理想郷とは程遠いと考えてましたけど」

「ところがな、成り立ちに隠されたとある要素を鑑みれば、此処は正しく理想郷なのだよ。他ならぬ八雲紫にとってのね」

 

 再生途中のサードアイでは秘神の真意を正確に掴む事ができない。丸腰での腹の探り合いは得意じゃないのに。

 諦めて話を続けるよう促す。

 

「一つ前のマエリベリー・ハーンの死因は、光を失った事による、夢と現の境界の喪失だった。この時、根源的恐怖である暗闇の力が強まった」

「暗闇……ですか?」

「その前は凍死。更にその前は餓死、病死、とマエリベリーが八雲紫に至る上での死因は様々であり、その恐怖を糧とする妖怪の強さをループと共に引き上げていったのだ。勘の良いお前ならもう分かるだろう」

 

 根源的恐怖を司る妖怪達とは総じて強大だ。際限ない残虐性と、底無しの妖力を持つ。

 忘れもしない。ちょうど私が生まれた頃こそ、彼女達の全盛期であったから。

 生けとし生ける者、皆が等しく恐れた。

 

 暗闇を司るルーミア。

 寒冷を司るレティ・ホワイトロック。

 飢餓の象徴を司るリグル・ナイトバグ。

 病苦を司る黒谷ヤマメ。

 

 世界を絶望に陥れた四大妖怪。

 あの時代を生きた妖怪は全員口を閉ざした。心に焼き付いた恐怖を思い出したくないのだ。

 

 しかしそれもかつての話である。

 

「あの方達の強さの秘密がメリーさんにある事は分かりました。しかしそれと幻想郷に何の関係が?」

「知っての通り、アイツらが主役だった時代はとうの昔に終わっている。後に『幻想郷の賢者』と呼ばれる存在によって打倒されたからだ」

「……! そういえば」

「黒谷ヤマメは茨木華扇に斃され、リグルは天魔率いる天狗勢力に敗れ、ルーミアとレティは私が降した。まあレティの奴を真の意味で仕留めたのは最近のことだが」

 

 一種の世代交代と言えるのかもしれない。

 ちょうど、私がこいしを喪って失意のドン底に沈んでいた頃、急激に勢力図が塗り変わったのだ。そしてこの時のトップが今の指導者達、賢者となった。

 

 つまり──。

 

「マエリベリー・ハーンの恐怖から生まれた妖怪。それを打ち倒した英傑達の手で創られたのが、この幻想郷なのだ。八雲紫の安住の地としては十分すぎる験担ぎだろう?」

「はぁ……なるほど、それは考え付かなかった」

 

「もっとも、かつての紫による誘導もあっての結果だがな。リグルの件なんかは奴の手引きによるものだ。妹の命を利用されたお前には認め難かろうが」

「別に」

 

 素っ気なく答えた。

 どれだけの時が経とうが、私の幻想郷への嫌悪が消えることはないだろう。ただそんな私情に惑わされて幻想郷の破滅を願うような真似はしない。

 私は紫さんとは違う。あの人ほど弱くないから。

 

 憎き幻想郷が紫さんの安住の地だというなら、これからも陰から守ってあげよう。

 自らの大切なモノを投げ出してでも紫さんはこいしを救おうとしてくれた。実際の内情がどうであろうが、その想いだけで私は満足なのだ。

 

「以上で長ったらしい話は終わりだ。では、古明地さとり──後は頼んだぞ」

「……任されました」

「期待してるよ、我が人生2人目の好敵手よ」

 

 そう言うと、古木の軋む音と一緒に気配が消える。振り返っても後戸は存在しなかった。

 まったく、不名誉な称号を押し付けられたものだ。

 

 陰鬱な気分そのままに、私は博麗神社へと続く石段へと一歩を踏み出した。

 

 

 

 

「よう覚妖怪。随分とご無沙汰だったな」

「暇を持て余してる貴女とは立場が違いますので。一応地底の纏め役をやらせてもらってるんですよね」

「相変わらず陰湿な野郎だ」

 

 松葉杖を脇に抱えて不恰好に近付いてきたのは、魔理沙さん。彼女とまともに話したのは、暴走するお空の下へ送り出した時以来になる。

 互いにバタバタしてたから話す機会がなかった。

 

 博麗神社を根城にする彼女なら大体の状況も知り得ているだろう。サードアイを前面に押し出していく。

 秘神相手なら兎も角、人間なら今の不完全なサードアイでも十分だ。

 

 と、心を読まれるのを嫌ったのか、視線を手で払いのけながら自発的に答えを用意してくれた。

 

「ああ、お前の目的は分かってる。アイツなら相変わらず、寝室で眠りこけてるぜ」

「助かります。ところで霊夢さんは?」

「さあな。ここ最近幻想郷の各地を飛び回ってるから」

「大忙しですねぇ」

「じっとしていられないんだろうな。霊夢の奴をここまで掻き乱せるのはやっぱりアイツくらいだ」

「まあまあ安心してください。霊夢さんにとっての唯一無二の親友は貴女ですから。そもそもカテゴリーが違いますので嫉妬されないよう」

「……お前と話そうとした私がバカだった」

 

 そう吐き捨てると私を一瞥する事なく石段を降りていってしまった。私なりのエールだったのだが、やはり素直になれないお年頃のようだ。

 愛いものである。

 

 さて、どうやら家主は居ないみたいだが勝手に上がらせてもらおう。

 

 庭先の障子を開けば寝室はすぐだが、私は地上の連中のように常識知らずではない。礼儀正しく玄関から。

 心ここに在らず。私など眼中にも無いと言わんばかりに、居間で独り惚けて虚空を見つめている藍さんに軽く会釈しつつ、寝室へと入る。

 

 そこには布団の中で死んだように眠る紫さんの姿があった。

 あの日、私達と相対した姿そのままに、紫さんは目を覚まさなかった。

 

 此方も相当な無茶を繰り返したが、紫さんはそれ以上だ。あれだけの数の傀儡を使役し、自らの世界に引き込んで戦闘を行い、阿保みたいな自爆をぶちかました。そして挙句に霊夢さん渾身の一撃を受けたのだ。

 積み重なった重大なダメージにより再起不能に陥っても不思議では無い。

 

 そんな状態だから無理に動かす事もできず、霊夢さんが博麗神社に運んでそのままな状況である。

 交友関係のある少女達が紫さんを訪ね、様々に呼び掛けてみたものの反応は未だ無い。如何なる手段を用いても意識を戻す事はできなかった。

 

 打つ手無し、八方塞がり。

 だから私が来たのだ。

 

 

 紫さんの側に座る。

 そして一通り姿を眺めた後、いつものように、呆れを含んだ無機質な声で問い掛けるのだ。

 

 

「で、私には全てバレバレな訳ですが。いつまで廃人のフリをしてるんです? 紫さん」

 

 

「……」

 

 表面上の反応は無い。

 しかし内面は忙しく蠢いている。

 

「へえ、無視ですか。あんまり私を焦らすようなら然るべき対応を取らせてもらいますけれど」

「……ら、藍に聞こえちゃうから、もうちょっと寄って

 

 消え入るような小声で、しかし薄らと目を開けながら必死な形相で訴えかけてくる。

 まあ、こんな事だろうと思った。

 

 ルナチャイルドの能力を想起し、寝室を完全な防音空間とする。その旨を伝えたところ、紫さんは勢いよく起き上がり、私の膝に縋り付く。

 見苦しい事この上ない。

 

「後生ですわ……! 私が狸寝入りしてる事はどうか、どうか内密に……!」

「こんな生活いつまでも続けられませんよ。さっさと白状して、大人しくこれまでの一件を謝罪されてはどうです? まあ何らかのペナルティーは生じるでしょうが」

「それが問題なのよ! 絶対殺されるわ……!」

「貴女、死にたくて異変を起こしたんじゃ」

「今はなんか死にたくない気分なのよぉ! あの時の私はマジでどうかしてたわ!」

 

 非常に情けない姿。しかしそんな姿に確かな安堵を感じてしまう。

 直に話して漸く、紫さんが帰ってきてくれたことを実感できたのだ。この気持ちも致し方ない。

 

「心中お察ししますけど、それでも腹は括らねばなりません。時には潔さも大事ですよ紫さん」

「無理無理死んじゃう! そうだ、あの時の私は茫然自失で正常な判断ができる状態ではなかったわ! 責任能力無しってことで……」

「外の世界ではそうかもしれません。しかしここは幻想郷ですので」

「ひぃぃん!」

 

 遂には泣き崩れてしまった。

 ただ紫さんの言う事も一理ある。あの時の紫さんと今の紫さんは、厳密には違う存在。責任の所在を問うには中々難しい面があるだろう。

 

 取り敢えず私が紫さんを訪ねた目的の一つは、さっさと日常に復帰してもらう事なので、多少無理をしてでも立ち直ってもらうことにする。

 

「まあまあ。もし裁判沙汰になっても私が弁護してあげますので」

「……本当?」

「ええ任せてください。それに、はたてやてゐ、果てには映姫様とは貸しがありますからね。便宜を図ってもらうよう私から言っておきましょう」

「いやもう本当にありがとう、さとり……! これからは姉と呼ばせていただきますわ」

「嫌です」

 

 私の妹はこいしだけだ。

 

「それでは紫さん、早速行動を開始してください。貴女の大好きな根回しの時間ですよ」

「へ?」

「迷惑をかけた各勢力に頭を下げて回るのです。謝罪行脚ですね。そして大多数の赦しを得られれば、後々の弁護材料になりますからね」

「でも行脚中に殺されたら……?」

「貴女が死んだら命懸けで助け出した意味が無くなっちゃうじゃないですか。手は出してくるかもしれませんが、流石に致命的なところまではいかないでしょう」

「うぅ……ビンタくらいなら我慢しますわ」

 

 残念、グーを予約してる所が殆どだ。

 まあ穏便に済ませてくれる所もあるし、その辺りは祈るしかあるまい。私は優しいから別に罰なんかは考えないけどね。存分に感謝して欲しい。

 さて、紫さんも漸く行動する決心を固めてくれたようなので、後は成り行きに任せよう。

 

 まだ藍さんに報告する勇気はないのか、そそくさとスキマを開いて出て行こうとしていたが、ふと立ち止まって私の方へと振り向いた。

 よそよそしい態度で、視線をわざと外している。

 おっと。

 

「その……なんというか、色々ありがとうね。実はそんなに記憶とか残ってないんだけど、貴女が必死に呼び掛けてくれてたのは何となく覚えてるわ」

「まあ相応の苦労はさせられましたね。でもお礼は私よりも先に、霊夢さんや貴女の馬鹿げた異変に付き合ってくれた人達に言ってあげるべきですよ」

「それもそうだけど、貴女には異変以前から随分世話になってたみたいだし……」

 

 こいし経由の情報だろうか。まったく。

 隠れて勝手にやってた事だから、あんまり知られたくないんだけども。

 

「貴女のことが正直嫌いだったわ。いつもいつも悪口ばっかで執拗に苛めてくるから。でもよくよく考えたら、本心を曝け出せたのは貴女の前だけだった。話してるとね、ほんの少し気分がスッキリしてたんだと思う」

「そうですか」

 

 本音を話せる相手が私しか居なかった事もストレスの一端であったのは言うまでもあるまい。

 私もそのアドバンテージを利用して、良き理解者ではなく、さらに彼女を追い詰める役を担っていた。そうすれば紫さんの人格をより強固にできると判断したから。

 

 いま思えば全部失敗だった。

 

「私、やっと貴女のことが分かった気がするわ。これからはきっと仲良くできると思うの」

「別に私は嫌いじゃなかったですよ。最初から」

「ならなんというか、こう、手心というか……」

「紫さんが痛い思いをしないうちに踏み止まってもらえるよう、尽力したつもりでした。ごめんなさい」

「貴女の目指してた事は何となく分かるわ。でももう大丈夫よ。私は私だから」

 

 無言で頷く。

 

「じゃあこれからは改めてお友達だという事で」

「……うーん」

「えっ、不服!?」

「貴女と私の付き合いですよ? 友達と言わず親友から始めましょう。水臭い」

「そ、そう? なら親友で」

「よろしくお願いしますね」

 

 若干顔を引き攣らせている紫さんと握手を交わす。急な距離の詰め方に困惑しているようだったが、そんなものはお構い無しだ。

 相手の心の弱みに付け込むのは覚妖怪の得意技ですので。

 

 それに、私が夢見てきた瞬間でもあるのだから。多少強引にやらせてもらっても罰は当たるまい。

 

「ではこれで用件も粗方済んだことですし、地霊殿に帰るとしましょうか」

「あら送るわよ?」

「お構いなく。ちょっと幻想郷を見て回りたい気分なんですよ。紫さんはじっくり行脚を楽しんできてください」

「さ、さっさと終わらせますわ!」

 

 嫌な事を思い出したとばかりに顔を顰めると、紫さんは()()()()を瞬かせ、スキマの奥へと消えていった。

 

 

 さて、私は言葉を尽くしたつもりだ。後は幻想郷の住人達が続いてくれる事を願う。

 あの人を受け入れる準備はできている筈。正直な気持ちをぶつけるだけで良いのだから、あの死闘に比べれば随分と簡単なラストミッションである。

 

 ……貴女も、きっとこうしたでしょ? 

 

「ね、こいし」

 

 

 

 

 *◆*

 

 

 

 

 謝罪は続くよどこまでも。

 幻想郷のあらゆる場所を巡り巡ってがむしゃらに謝意を伝える謝罪行脚の旅。顔を合わせたらまず土下座。

 頭を下げた回数ですって? 百! ……それから先は覚えていない! 

 

 行脚って確か山伏とかがやってる仏教の修行だったと思うけど、この苦行レベルは確かに一種の修練と言い換えても過言ではないかもしれない。

 いやね? この一件に関してはマジで申し訳ないと思ってるんだけど、流石にこの回数繰り返してると心が折れてしまいそうになるわ。

 あと主に首と腰の骨がイカれてしまう! 

 

 しかもね、私への罵倒ならまだ良いのよ。傷付くのが心だけだから。

 身体へのダイレクトアタックはマジで手心を加えて欲しい。死んでしまいますわ。

 

 多分めっちゃ手加減してくれたんだと思うんだけど、萃香のビンタと幽々子のデコピンは本当に死にかけたわ。ていうか死んだ。

 点滅する意識の中、三途の川の向こうにお世話になった皆さんが見えたのよね。一斉に「こっち来んな」の大合唱を食らったけど。

 泣いてない……ゆかりん泣いてないもん。

 

 ぐすん。

 

 ちなみに今は紅魔館への謝罪訪問が終わったところね。レミリアからは悪意たっぷりの皮肉と、フランを拉致った事への非難をいただきましたわ。

 いやもうね、ぐうの音も出ないわ。

 

 ただ彼女にはさとりと同じく、お礼を言っておいた。記憶とか結構朧げなんだけど、レミリアからも結構励ましの言葉を貰ってた気がするから。

 まあ友人とか親友どうこうみたいな話にはならなかったけどね。陰キャの私にとって、一日に親友が2人も増えるのは精神衛生上あまりよろしくない。

 

 ていうかアレはさとりがおかしい。

 

 

「もう結構な場所回ったと思うけど、あと何処が残ってるかしら?」

「細かい勢力は多々ありますが……紫様にとって外せない場所はあと一つかと」

「そうよねぇ。はぁぁ……」

「体調が優れないようでしたら日を改めては? 目覚められたばかりで無理をなさるのは……」

「いやただ気が重いだけだから大丈夫よ」

 

 終始心配そうにしている藍に向けて笑い掛ける。ちなみに空元気ね。

 白玉楼への訪問が終わったあたりで駆け付けてくれて、殺意をセットに一緒に嫌々謝ってくれてる。幽々子かさとりの差し金でしょうね。ふぁっく。

 

 ちなみに藍に対しての謝罪は既に完了している。あんなに一生懸命頑張ってくれたのに負けちゃってごめんね、って感じに。

 そしたらね、藍が大号泣しちゃったのよ。それを見てた私もなんでか分かんないけど涙が出てきて、年甲斐もなくおんおん咽び泣いたわ。

 何というか、申し訳なさかしら? 藍の覚悟を無駄にしちゃった気がして。

 

 ああそれと、不完全な夢想天生を発動したのに彼女が消滅していないのは、私のおかげなんだって。パーフェクトゆかりん状態の時に強制的な術式解除を藍と橙に施していたらしい。

 私も本気出したら中々のもんでしょ? ふふん! 

 まあなーんも覚えてないんだけど! 

 

 と、過去の栄光に縋って現実逃避を試みるも、目的地が近付くにつれ誤魔化しが利かなくなってきた。どんよりとした重い気分だ。

 何せ山場も山場だ。

 ああ……スタート地点だった鳥居が見えてきた。お腹がクッソ痛い。

 

「ちなみにだけど、私が寝てる間あの子はどんな様子だったの? 怒ってる?」

「いえいえ、ずっと紫様の事を心配していましたよ。空間の裂け目から紫様を運び出す間も必死に呼び掛けてましたし。あの執念は、いやはや流石と言うべきですか」

「うぅん……」

「紫様? 顔色が悪いようですが」

 

 敵ながら天晴れ! とでも言いたげな藍の態度は置いといて、私にそんな余裕はないのだ。

 何せ朧げな記憶を掘り返してみたら、恐ろしい姿のあの子ばっかり出てくるのよね。血走った目、全身を隈無く染める返り血、鬼のような形相。

 あんなのに追いかけ回されて夢の世界の私はよくぞ失禁せずにいられたものだと感心するわ! 覚えてないだけで実は漏らしてる可能性については考えないものとする。

 

 まあ半分冗談だとしても、あの時の彼女はそれだけ鬼気迫るものがあったという事だ。

 

「さて、改めてどういった言葉を投げ掛けたものか。非常に悩ましいわ」

「一番待ち望んでる言葉を掛けてあげてください。きっと何にも優るご褒美になる筈です」

「……何か知ってる風な言い方ね?」

「私に分かるのは寂しがりやな子供の気持ちくらいですよ」

 

 むっ、藍から感じるこの凄みは、まさかお母さんオーラ……!? 

 だ、ダメよ! お母さん枠は私のもの! ていうか貴女には橙がいるでしょうに、不公平ですわ! 

 

「藍、やるわね。だけど私も負けないわよ」

「???」

 

 

 

 

 長い石段を上り切って境内を見渡すと、ちょうど参道の落ち葉を掃いているあの子を見つける。後ろを向いてたので、少しだけホッとした。ほんの少しだけね。

 どうやら私が幻想郷を巡っている間に戻ってきてたようだ。まあなんだかんだ早朝から夕暮れ時まで時間が経過してるし、当たり前か。

 

 普段はそこそこ賑やかな博麗神社も、何故か今日だけは妖精の1匹もいやしない。

 まるで誰かが予め人払いしておいたような不自然さですわ。私の危機センサーが警鐘を鳴らしている……! 

 

 いや、寧ろ好都合と捉えるべきかしら。

 虎穴に入らずんば虎子を得ずというやつね! 意味はうろ覚えだけど、とにかく危険に突っ込めば何か良いものが手に入るよ的なニュアンスだった筈。

 

 無言のエールを飛ばしてくれているらしい藍に向かって力強く頷き、一歩を踏み出す。

 始まりの言葉はいつだってこれだ。

 

 

「はぁい霊夢。お久しぶり」

 

「私はそうでもないわ」

 

 

 私を一瞥する事もなく、素っ気なく返された。

 くぅ〜これこれ! 霊夢堪らないわ〜! ちなみに私は冷たくされて興奮する変態さんって訳じゃないから、そこらへん勘違いしないように。霊夢だからオッケーなのよ。

 

 まあ霊夢がこう言うのも分かるけどね。ずっと博麗神社で一緒だったし。私が狸寝入りしてコミュニケーションを一方的に遮断していただけで。

 だって怖かったんだもん。

 

 やべ、いざ目の前にしたら緊張してきた。

 

「あー……えっと」

「なによ。言いたい事があるんならさっさと言いなさい。ていうか言え」

「何というか、お互い大変だったわね?」

「誰のせいだと思ってんのよ」

 

 お祓い棒で頬っぺたをぐりぐりされた。これちょっとでも力を込められたら貫通するわね。

 けどまあ、霊夢に負けた私に生殺与奪の権などあろうはずもなく、為すがままにされるしかないのだ。異変の挙句に敗れた者の末路ですわ。

 

 と、取り敢えず霊夢の機嫌を回復させなきゃ! 私の統計上、あからさまなご機嫌取りは逆に虎の尾を踏みかねない。お小遣いあげたら喜んでくれるけどね。

 今こそ藍の言う『待ち望んでいる言葉』とやらの出番なのか……? 

 

 こんな時霊夢が一番喜びそうな言葉とは。

 瞬間、八雲紫に電流走る──。

 

「天晴れな戦いでしたわ博麗霊夢」

「あん?」

「いつまでも可愛い子供だと思っていたけど、やはりいつかは成長してしまうもの。三日会わざればなんとやら、博麗の巫女とは斯くあるべきね」

「は?」

「名実共に幻想郷最強となった貴女にとって私の保護は最早窮屈の極みでしょう。少し寂しいけれど、これからは私の手を離れて──むぐっ!?」

 

 霊夢の独り立ちを認める旨を宣言したその瞬間、私の口に御札が叩き込まれた。

 殺傷目的でなかったのが救いだが、強く張り付いて無理に取ろうとすれば唇諸共いっちゃいそうだわ! 

 

 いやほらね、霊夢って私からの過度な干渉を嫌ってる風だったから、今回を契機に控えようかと思ったのよ。彼女の成長を実感したのは本当だし。

 けどこんなにスンッてなってしまうとは。

 やっぱり甘えん坊さんなのかしら? 

 

 そんな私の内心を見透かしているのか、霊夢は呆れ半分、怒り半分な眼差しで睨む。

 

 自然と目が離せなくなる二色の蝶。彼女を見るといつだって不思議な感覚に陥ってしまう。不安で不安で仕方なくなるのに、とても心地よい。

 儚い紅白が、私に幻想を思い出させる。

 

「アンタが一番最初に言わなきゃいけないのは、そんなんじゃないでしょ。紫」

「……」

 

 疎らに蘇る二週間前の記憶。

 私と相対した霊夢がどんな想いで戦っていたのか。それを考えれば、自ずと返事は決まっている。

 

 どうやら私が愛した永遠の巫女は、私が思っている以上に大人だったみたいね。

 

 

 藍の手で慎重に御札を剥いでもらい、自由になった口で私は言うのだ。

 

 悪夢に敗れ、夢に生きる事への諦め。

 ある意味での敗北宣言。

 

 そして、新しく始まった私の第一歩。

 

 

「ただいま」

 

 

「ん、おかえり」

 

 

 

 おめでとう、と。

 誰かの囁く声が聞こえた気がした。

 




次回、最終回です。

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