幻想郷は全てを受け入れるのよ。それはそれは残酷な話ですわ……いや割とマジで 作:とるびす
「おはよう。寝坊助メリー」
何気なく掛けられた言葉に驚いて肩を震わせる。
体を包んでいた浮遊感は消え去り、霞む目を擦りながら辺りを見回した。
いつもの場所。いつもの時間。
2人で駆け出した夜の街を眼下に収めるビルの屋上、その縁にメリーは座らされていた。
若しくは、ずっと此処で夢を見ていたのか。
側に立つ相棒へと何とはなしに視線を向ける。
「……蓮、子」
「いや、これから本当の眠りにつくのかもね」
とても優しい声音。
子守唄のように全てを委ねてしまいたくなるような、そんな魅力を孕んでいる。
「いつまでこの意識が続くのかも分からない。きっととんでもない奇跡の上に成り立った時間だから、そんなに長くないと思う」
「……そう。やっと終わるのね」
安堵混じりの声音。
蓮子は無言で頷くと、隣に腰掛ける。深く帽子を被っていて表情を窺い知る事はできない。
「夢の世界にいる間ずっと考えてた。岡崎教授も言ってたんだ」
「何を?」
「私とメリーの出会いって一体なんだったのかなって」
秘封倶楽部の運命が大きく狂ってしまったあの日。日差しの照り付ける防波堤での一幕に思いを巡らせる。
「私たちだけじゃない。八雲紫さんや菫子さん、私達より前の私達。みんな決められた歯車を回すためだけに生まれてきたのかな。心に芽生えた怒りや悲しみ、そして喜びも。全部最初からそうなるようになってて」
「……」
「ねえメリー。私達の活動に意味はあったのかな」
いざ問われてみて、不確かで面白くない答えをそのまま伝えて良いものか逡巡する。
メリーにしてみれば、少なくともこれまでの自分の行動や意思に意味があったとは到底思えない。だからこうして沢山の悲劇が積み重なってしまったのだ。
与り知らぬところでループが終わっていたのだとしても、それは我が儘な
しかしそれを肯定する事は、自分に対する蓮子の献身と想いを無碍にしてしまうものである。
よって、首を振る以外に答えはなかった。
「それは……ごめん。私にも分からない」
僅かに身動ぎして、蓮子は天を仰ぐ。
星と月を眺めても答えはやはり出ない。
「そっか。まあそうだよね」
「でもね」
彼女に倣ってメリーもまた空を見上げた。
「意味はきっと、あの子がこれから見出してくれるんじゃないかしら。あの子は私達だから」
「……うん」
「
自身に言い聞かせるように、そっと胸が存在していた部位へと手を当てる。当然空振るばかりだが、その空虚さこそメリーが解放された何よりの証。
霊夢の一撃は確かに命へと届き得るものだった。その対象が八雲紫からメリーへとすり替わっていただけの事。
西行妖から幽々子を切り離した妖夢の絶技を参考に、霊夢が土壇場で編み出した神技である。
的確に、紫の裏に潜むモノだけを殺してくれた。
だからこうしてメリーは蓮子と巡り会う『死の幻想』へ辿り着けた。
彼女達には感謝してもしきれない。
「それにね、貴女や他のみんながどう思っているのだとしても、私だけはあの日々を否定したくない」
ハッキリと、そう告げた。
自分のせいで不幸にしてしまった人達からの恨みと罰は甘んじて受け入れよう。
だけども、蓮子と共に生きてきた日々にだけは、どうしても触れないで欲しかった。
それが正直な気持ち。
死を許されて、ようやく向き合うことのできた自分の心が導いた我が儘だった。
2人の間を縫うように吹き抜けていく強風を塗り潰すかのように、快活な笑い声が響き渡る。
一頻り笑った後に、蓮子は袖口を濡らした。
「同じ気持ちで安心したわ」
「最初から分かってたくせに。何年一緒だったと思ってるのよ」
「それはアレよ、試したのさ!」
「適当ばっかり」
呆れ混じりに、けれどやはり安堵の息を吐く。
背中の手摺りに掴まり立ち上がると、蓮子の手を引いた。彼女には何も見えていないだろうから、先導が必要だ。
「何処に行くの?」
「ちょっとそこまで」
スキマを抜けた先は、艶やかなコバルトブルー。
寄せては返す白波の穂。見果てぬ広大な塩の湖は、やはり私を特別な気持ちにさせてくれる。
その光景を見る事のできない蓮子でも、波音と潮風で大方の場所を把握したようだった。
砂浜へと着地し、波打ち際で2人佇む。
「海が嫌いなんじゃなかったの?」
「うん。でも言ったでしょ。貴女と一緒なら少しは楽しめるって」
「こんなになって泳げなくても?」
「どうせ泳いだって蓮子は私みたく上手に泳げないわ」
「ちぇ。リベンジしたかったなー」
口を尖らせる蓮子と軽く笑い合った。
この海こそ、真に実在しない幻の海。私が嫌っていた不快な水溜りそのものだろう。
でも蓮子と一緒に見るそれは、紛れもなく本物なのだ。それを改めて確認した。
「今頃、教授達はどうしてるんだろうねぇ」
「違う世界でまた新しい発見をして、ちゆりと一緒にはしゃいでるんじゃないかしら」
「ははは違いないわ。息災なら良いんだけどね。……いやね、行く末を憂う人なんてもうあの人達くらいしかいないからさ」
「みんな消えちゃったもんね」
「うん。せめて、橙さんにはこの結末を教えてあげたかったなぁ。いっぱい世話になったし」
「いつか届くといいわね」
「サナエさんは復讐を成し遂げられたのかなぁ」
「どうでしょうね」
半ば上の空といった様子で、頭に浮かぶ事を片っ端から投げ掛け合った。
話題は尽きないけれど、2人の僅かな時間に費やすには適当でなかった。しかしそれでよいのだ。
終わりの更にその先、永遠が約束されているのだから、何を躊躇う必要があろうか。
「そういえば」と、妙に不安げな様子でメリーは呟く。今更になって何かやり残した事でも思い出したのかと、蓮子が先を促す。
話題は自分達の居ない、これからについて。
「さっきしたり顔で『期待してる』って言っておいてなんだけど、ちょっぴり不安なのよね。あの子ったら蓮子に似てるから」
「……はぁ?」
「考え無しに面倒事に首を突っ込んで、最終的に痛い目に遭うテキトーで大雑把なところなんかそっくりよ。自覚ないの?」
「そんなまさか!」
これには流石の蓮子も黙っていられない。
「いやいやどちらかと言えばメリーの方が似てるって! いつもは自信満々なくせして、いざとなったら強がり言いながらヘタレるところとか。あと情緒不安定なところとか。顔も含めて生き写しよ」
「ふふん。何をバカな」
「うわー自覚無しだー」
完全な無から心が生まれる事はない。
自分達が元となって誕生した八雲紫。その身体に宿った新しい心。やはり無関係という訳でもないだろう。
互いに愛おしく思っている部分が煮詰まったように色濃く反映されているような気さえする。
ひょっとすれば親バカとも形容すべき一種のバイアスが働いているのか。それはそれで面白いので、指摘せず心に留めておくが吉である。
それに、全てを委ねられた八雲紫へのエールの気持ちが偽りではない何よりの証左だ。
と、不意に蓮子が手を取った。汗が滲んでいる。
その意を汲み取ったメリーは、黙って頷くと、共に歩みを進める事にした。
時間が来たのだ。
「そろそろ出発しなきゃね。此処に留まってたら何も始まらないもの」
「うん分かってる。──もう目星はついてるの?」
「勿論」
靴のまま、普段着のまま、波の境界を越えて進む。
新たなる旅立ち。
あっという間に腰まで呑まれていった。優しい細波に甘えながらゆっくりと己の身を沈めていく。
「不思議ある所に秘封倶楽部在り。……だけども、海の果ては流石に不安だわ」
「怖い?」
「退屈しないかどうかね」
「波の下にも都がございますよ」
ここでそれを言うかと、込み上げてきた面白さに我慢できず吹き出してしまった。
身投げ前の口上にしては豪華過ぎるし、ネバーランドを信じる幼児に言い聞かせるモノとしては、あまり適当ではないだろう。
まあ、蓮子らしいと言えばそれまでだ。
「またね、メリー」
「うん。また明日」
どうかどうか、ただ、自分を信じてほしい。
貴女は確かに、此処に居るのだ、と。
幻想郷に海はない
これで蓮メリの物語は終わりです