幻想郷は全てを受け入れるのよ。それはそれは残酷な話ですわ……いや割とマジで   作:とるびす

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あと3話
サブタイはこんなんだけどこいしちゃん早苗さんとはあんまり関係ない


ラストリモート*

 

『よし、一旦休憩にしようか。昨日よりも随分動きが良くなったね』

『……そう』

『なんで不貞腐れてるの? せっかく褒めてるんだからもっと喜んでよ』

 

 こちらを眺めながら、不思議そうに首を傾げる藍の顔を見て、無性に苛ついたのを覚えている。

 

 まだ私が物心ついたばかりで幼かった頃、右も左も分からず雲のように流されるだけだった頃。

 この時間が一番嫌いだった。

 ただただ退屈なだけの座学も嫌い。だけど藍との組み手はもっと嫌だった。

 

『手加減するな』

『そりゃ手加減するよ。手元が狂ってお前を殺しちゃったら紫様に申し訳が立たない』

『私は死なないもん』

『死ぬよ。私がその気になれば、一瞬で』

 

 姿を視認する前に、首元へと食い込んだ指。自分を見下す冷たい目。皮一枚破る事はなく痛みもなかったけれど、私に深い挫折を刻み込んだ。

 なんて事のない勉強である。

 自分が最強だと勘違いしている子供に世界の広さを教えるだけの簡単な作業。

 

『さっさと私よりも強くなるといい。紫様の為に』

 

 お前は人間ではない、幻想郷を回すための道具なんだと。否応無しに叩き込まれた。

 

 

『藍……貴女なにしてるの?』

『紫様!? いや、これは訓練の』

『あらそうだったの。良かったわ、橙の件で腹を立てて報復してる訳じゃなかったのね』

『……ッ。ま、誠に申し訳ございません!』

『え?』

『え?』

 

 こんな訳のわからないやり取りも、酷く日常的だったと思う。

 

 そうだ、最初は橙が組み手の相手だった。

 でも簡単に倒せてしまったから拍子抜けしたのを覚えている。あいつもあいつで未熟だったんだろう。そして藍もまた式神使いとして未熟だった。

 

『あまり調子が上がらないみたいね。藍が嫌い?』

『そうじゃないけど……。そうだ、アンタが相手してよ。そっちの方が』

『それはダメ。私が欲しいのは幻想郷を守る最強の巫女であって、何の役にも立たない物言わぬ死体ではないのよ』

『……』

『ごめんね霊夢。藍の方が私よりも教えるのは絶対に上手だから』

 

 紫はそう言うと、畏れ多いといった様子で項垂れる藍に何かを告げてスキマの奥に消えていった。

 

 ずっとこんな調子だ。

 私に強くなれと言い続ける割に、紫は私と一度たりとも戦ってくれなかった。幻想郷最強の妖怪を相手取る実践を許してくれなかった。

 幼心に凄くムカついたのを覚えている。

 

『あまり紫様を困らせないようにな。あの御方はとても忙しいから』

『ふん、どうだか。私はアンタが働いてるところしか見たことないわ』

『それはいい事だ。主人より忙しくない式神なんて存在する価値がないからね』

 

 皮肉をたっぷり込めた言葉を投げ掛けても、藍は嬉しそうに答えるだけ。

 生き方はどこまでも紫第一で、その有り様に私はほんの少し恐ろしさを抱いた。

 

 藍は、私が目指す理想的な生き方に最も近い癖に、私の思想から最もかけ離れていた。

 私はそれが、どうしようもなく気に入らなかったのかもしれない。

 

『呆れた。自分から縛られる事を望むなんて』

『それはそれで悪い事ではないよ。紫様の手足となる事が私にとっての至福だから』

『……なんていうか、紫に『死ね』って命令されたら喜んで死にそうな勢いね』

『私にできる事だったらなんだってするよ』

 

 理解できない。

 

『いや、でもどうだろうな? なんかこう、恥ずかしい事とか命令されるとちょっと困っちゃうかも……。いや紫様に限ってそんな命令は絶対に無いのは分かるんだけど、万が一、万が一ね? そういう御趣味がおありだとしたら、一体どんな命令をされちゃうんだろうな!? そりゃあ、できる事ならなんだって頑張るけども!』

 

『あーはいはい、紫のことが好きで好きで仕方ないってことは嫌というほど分かったわ』

『そうか! 分かってくれるか!』

 

 満面の笑みで私の両手を上下に振り回す。正直ドン引きだけど、藍の愛は深く伝わった。

 私はやっぱり……この狐が嫌いだ。

 

 すると、私の気持ちを見透かしたように藍は目を細めて、逆に私へと問い掛けてくる。

 

『私が羨ましいの?』

『……別に。奴隷になんかなりたくないし』

『言ってくれるじゃないか。……だけどね霊夢、羨ましいのは寧ろ私の方なんだ』

 

 藍は寂しそうに笑う。

 

『私はね、今の生き方に不満なんて一つもない。紫様の意思のまま生きていく事が、童の頃から目指し続けた未来だったからだ。もうそれ以外の生き方なんて考えられない。紫様も、それ以上の私を求めていない』

 

 複雑な表情だった。様々な感情を孕んでいる。

 子供の私には、それを上手く表現する言葉がついぞ見つからなかった。

 

『でも霊夢はそうじゃないだろう? 紫様はお前の全てを愛しておいでだからな。敵対的でも、従順でも、どっちだっていい。それが博麗霊夢である限り、紫様の心はお前と共にある』

 

 それを踏まえて藍は清々しく言ってのけるのだ。

 

『もう一度言うけど、大事な人に全てを委ねるというのも案外悪くないと私は思うな。縛りが思わぬところで役に立つことだってあるんだから』

『ある訳ないでしょ、そんなの。邪魔なだけよ』

『霊夢にもいずれ分かる時が来るかもしれないね』

 

 あの時の藍の真意は未だ分からず終いだ。

 私への牽制だったのか、それとも将来の同輩候補に向けたエールだったのか。

 

 どちらにしても碌でもない話だ。

 

 

 

 

 *◆*

 

 

 

 

「あぁ……あのクソ狐……」

 

 霊夢の脳内を駆け巡った在りし日の記憶。

 走馬灯か、白昼夢か。どちらにせよ、一瞬だけ意識が飛んでいたのは確かだ。

 

 見た事のないコンクリート造りの天井を眺めながら、霊夢はぼんやり考える。

 額から流れ落ちる血が視界の端を赤く染め上げていく。思考が上手く纏まらない。

 

 何が起きたのかすら定かでなく、視線を振り切った何かにはたき落とされて、一撃で昏倒寸前に追い込まれた事だけ辛うじて把握できた。

 状況は理解できる。だが、その次が思い浮かばなかった。

 

 と、足首に見覚えのある尾が巻き付き、一気に浮上。天井に叩き付けられ、そのまま屋上へと引き摺り出された。

 上下反転。霊夢は力無く吊るされるだけだった。

 

 藍を隣に侍らせた紫が愉快に笑う。

 

「強いでしょ、私の式神」

「……どういう絡繰よ」

「これが八雲紫の式神、八雲藍の本気だという事。術者の力不足で今の今まで歯痒い思いをさせてきたけれど、それももう終わり」

 

 ここに至ってもまだ紫の余裕が消えなかった理由が分かった。藍が居るのなら万が一は無いと判断しても何ら間違いはないだろう。

 圧倒的な戦力。他の追随を許さない忠誠心。

 

 だがそれにしても異常だ。

 あまりにも強過ぎる。

 

 というのも、藍の強さに違和感を覚えたのは紫擬き(AIBO)が殺された時が最初だ。

 あの時も、今も、動きを目で追えない。

 

 と、九つの尾が蠢き、霊夢の四肢と首を縛り上げる。凄まじい力に身体のあちこちから嫌な音が鳴り響いていた。苦痛で顔が歪む。

 

「で、どうされますか紫様。巫女の命、もう終わらせてしまっても?」

「そうね……名残惜しいけれどどうせ次が来るでしょうし、これ以上可能性を与えても仕方がない」

「かしこまりました。──橙、やってくれ」

 

 合図とともに静観していた橙が腰を落とす。爪に禍々しいまでの妖力が集約され、霊夢の命を奪うに足る凶器へと昇華を続けている。

 如何に圧倒的であろうと手は抜かない。

 藍が全力で縛り上げ、橙が全力で屠る。各々の役割が式神らしく徹底されていた。

 

 そう、藍だけでは無い。その式神であった筈の橙にも何か尋常ならざる変化が起きている。

 最早自分の記憶にある2人の情報はリセットする必要があると、霊夢は認識した。

 

 故に、此方も相応の奥義を見せなければならない。

 使うべき時が今でないのは明白。それでもここでやらなければ、命は無い。

 

 

「『夢想──ッ天生』!!!」

 

 

 勝負はここで決める。

 

 橙の爪が首筋を通過し、藍の拘束が解かれた。

 2人は何が起きたのかを瞬時に把握したのだろう。故に一足飛びに紫の側へと帰還する。

 

 齢にして10と半ばの博麗霊夢を古豪犇く幻想郷において最強の一角と言わしめる所以、博麗究極奥義『夢想天生』の恐ろしさはよく理解している。

 アレが使用された以上、霊夢に対して如何なる影響も行使できなくなってしまう。発動すれば自動的に霊夢の勝ちが確定してしまう無法技。

 

 魔理沙は瞬時に負けを認め、レミリアの野望を真っ向から粉砕し、幽々子に引き分けへの算段を画策させ、萃香の心をへし折り、永琳を地へ叩き落とした。

 皆に共通するのは、一様に勝ちを諦めたことである。夢想天生状態の霊夢には、彼女らを以ってしてもそう思わせるほど、清々しいまでの瑕疵なき壁があった。

 

 しかし──霊夢の表情は険しい。

 紫の笑みが深まった事も合わせて、どちらにとって都合の良い展開であるかは、互いに共通の認識となっているのだろう。

 

「あーあ、使っちゃった」

 

 当然、紫が数ある障害の中で最も警戒したのも夢想天生に他ならない。

 だからこそ霊夢には傀儡による飽和攻撃をぶつけ続けた。夢想天生を自分に対して使用させない為に。

 ただ当初は諏訪子、ぬえ、こいしの3人で囲んだ際に使わせる予定だったのだが、大いに計画を狂わされた。その辺りは素直に称賛するしか無い。

 

 だがそんな霊夢の足掻きも限界。最後の壁があまりにも分厚く、そして高過ぎた。

 ここで全てを出し尽くしてしまっても、八雲の双璧を野放しにするリスクの方が高いと霊夢は判断した。

 

「完全無欠と謳われる夢想天生。数多の強敵がその技の前に敗れ去った。その様は一番近くで何度も観てきました。いざその矛先を向けられると、なるほど先人達の気持ちもよく分かる」

「ほう、最強の技か。打つ手無しか?」

「いいえ。その幻想を打ち破りましょう」

 

 隠岐奈の茶々を切り捨てる。

 

 八雲紫は最も近くで博麗の奥義を見てきた妖怪。

 何せ、霊夢に奥義の習得を命じたのも紫である。相応の知識は持ち合わせていた。

 

 その上で断言する。

 夢想天生は完全無欠でも、最強でもない。

 

「霊夢、貴女が愚か者でないのなら……私の考えもある程度予想がつくでしょう?」

「勿体ぶるな」

「ふふ……その奥義には三つの弱点があるわね。その一、あくまでも自己に対して発動するスペルであり、周囲への干渉は限定される。例を敢えて挙げるなら、私がこの世界を破棄してしまえば、貴女は為す術なく境界の狭間を永遠に彷徨う事になる」

 

 永夜異変で永琳が用意した対抗策と同列とも言える。

 あの時は企みを看破した紫擬きが干渉対象を藤原妹紅1人に絞らせた事で、不発に終わらせている。故に、今回はそう上手くは逃れられないだろう。

 

 だがこの世界は──蓮子とメリーが過ごした町の幻像は、破壊するにあたって紫への影響が大きくなるので、事の完遂までは是が非でも避けたい。

 

「その二、時間制限。スペルブレイクまでの6分間が貴女の寿命ですわ。難儀なものよね? 本来の夢想天生は時間無制限で、一度発動すれば永遠に効力を失わない技だった。時間制限を設けたのは貴女だけよ」

「十分でしょ。アンタをぶっ倒すのに大層な時間はいらないわ」

「結構な自信で」

 

 ただこの時間制限という点に関しては、霊夢が未熟だから不完全、という理由ではなく、また歴代の博麗の巫女に劣る要素とはならない事には注意が必要だ。

 寧ろ異常なのである。本来の夢想天生とは生涯一度きりの自爆技のようなもの。使用した巫女は以後普通の生活は送れなくなるし、大抵はそのまま空に消えてしまう。

 全てから解き放たれてなお、一定期間を経て現世に戻ってくるなど尋常ではない。霊夢の夢想天生が歴代で最も優れており、異質であると言わしめる要因。

 

 しかしそんな長所も、空間を自在に操るスキマ妖怪が相手では看過できないデメリットと化す。別の空間に逃げられてはそれで終いだ。

 

 そして──。

 

「その三、同条件での衝突」

「……ッ」

「いつから夢想天生を使えるのが自分だけだと錯覚していたの? さっきも言ったでしょう。()()が一番、貴女の戦いを近くで観てきたのよ」

 

 絡繰の開示が合図だったのだろう。

 式神に刻まれた術式を己が手で書き換え、藍の存在が一つ上へと昇華する。霊夢と同じ土俵へと。

 当然、博麗の血を持たない一介の畜生に夢想天生の適性などある筈もなく、そのクオリティに反して実現したのは旧型の奥義。

 

 思わず唇を噛み締める。

 

「馬鹿!!! お前がそんなことしたら、戻って来れなくなるわよ!?」

「その為の橙だ。霊夢、お前さえ斃せば後の有象無象など橙1人で事足りる」

「違う! そんな事を言ってるんじゃない!」

「逆に問おうか。自身の消滅などという陳腐な問題で私が躊躇するとでも?」

「ああそうだったわね! バカ狐!」

 

 死ねと命令されれば迷いなく命を断つ。それが八雲藍という式神。

 

「この世界は紫様そのもの。私が宙に溶けてしまっても、共に在れるのなら……巡り会えるなら、これ以上ない贅沢な死に様だ」

「どいつも、こいつも……っ!」

 

 先の早苗もそうだった。

 勝手に命を賭けて、託して、死んでいく。

 

 お前も私と同じ気持ちだろう、と。紫を鋭く睨み付ける。しかし反応はなかった。

 

「さて、あまり時間が無いのでね。早速で悪いけど、刺し違えさせてもらおう」

「やってみろ。さっきまでのようにはいかないわ」

 

 

 

 

 *◆*

 

 

 

 

「持ってきたぜ! 香霖が隠し持ってたブツだ」

 

 箒から飛び降りて五点着地しつつ、回収物をナズーリンへと投げ渡す。

 見覚えのある紫色のドレスに、紐リボンの付いた見覚えのあるナイトキャップ。

 紫が春や夏に好んで着ていたものであることは明白だった。思い返せば、春雪異変の時の物に酷く似ている。

 

「……うん、間違いない。これこそ私が探知していた八雲紫物質(ユカリンオブジェクト)だ。……ところでなぜ古道具屋に八雲紫の衣服が?」

「さあね。妖怪の考える事はよく分からん」

「鼠妖怪の私にも分からんよ」

 

 所有者である霖之助も多くは語らなかったため、入手経路は謎なままである。

 ただ現状そんな事に思考を費やしている暇はないので追求は後回しだ。全てが終わった後に存分に真相を聞けばいい。

 

 何はともあれ、ドレスとナイトキャップ、それぞれが紫との間に強力な繋がりがあるとの事で、追加で2人を戦地に投入する事ができるようになった。

 すぐにでも向かわなければ。

 霊夢の苦境はしっかり把握している。

 

「霊夢の様子は!?」

「……押されてるわ。正直、あの戦いの中に飛び込むのはかなり勇気がいるわね。私が行ったところで果たして何秒保つか……」

「なんだいつになく弱気じゃないか」

「力量を見誤って許される場面じゃないわ」

 

 普段なら自分の弱みを見せたがらないアリスですら、そう言うしかなかった。

 かく言う魔理沙もそうだ。霊夢と藍の戦闘は既に別次元の域に達している。アレに意気揚々と割り込めるほど、愚かではなかった。

 

 今も蠢く九つの尾の合間を縫って、霊撃の応酬を繰り広げている。しかし、如何せん素のスペックと、手数が違い過ぎる。

 残された者達も固唾を飲んで見守るしかない。

 

「しかし、藍さんがまさかあれほどの力をお持ちだったとは。何度か手合わせさせてもらいましたが、それでも(妖夢)の目では見抜けませんでした」

「普段から強いもんな、アイツは。でも今の状態は明らかに異常だぜ。何か細工してあるに違いない」

 

「細工というよりも、式神としてあるべき形に成った、という方が正しいのかもね」

 

 画面越しでも分かる絶対的な強さ。

 

 星熊勇儀を赤子扱いできる剛力。

 射命丸文が止まって見えるほどの速度。

 紅美鈴すら到達し得ない至高の戦闘技術。

 犬走椛の数百倍の動体視力。

 比那名居天子すら脆く感じるほどに堅固。

 そして、八雲紫以上の頭脳。

 

 これが藍にとって正常な形なのだとパチュリーは言う。

 曰く、あくまで使い魔を使役する者としての知見であるが、完全な式神契約とは術者の意を余す事なく汲み取り、第三の手足として存在させる事にある。

 

 つまるところ、使役者の能力を完全にトレースした姿こそ式神の本来あるべき姿。

 今の藍は『もう1人の八雲紫』と言っても過言ではない存在と化している、という事になる。

 しかもベースとなる九尾の狐は据え置きとなる為、藍は紫を超越したのだろう。であれば、あの出鱈目な強さにも納得の余地がある。

 

「以上が私の考察。まあ、なんで今の今まで不完全な式神契約になっていたのかについては知らないけど」

「いや絡繰さえ分かれば十分だ。……つまり、弱点は無いってことだな」

「そういう事になりそうね」

 

 パチュリーは挑む気など更々ないと言わんばかりの態度で手を扇いだ。そもそも、あんな暴力の塊のような怪物の相手など魔女に務まる筈がない。相性が悪過ぎる。

 もっとも、普通の魔法使いには関係の無い話であるが。

 

「次は私が行くぜ。準備してくれ閻魔様」

「ふむ……貴女にはあの地獄が如き戦況をひっくり返す妙案が?」

「まあ、幾らかな。それに私は誰よりも霊夢と一緒に戦ってきた。居ないよりはマシ程度だろうが、アイツの助けになれる自信がある」

 

 嘘だ。映姫は魔理沙の本音を見抜いていた。

 秘策など存在しない。自信など微塵もない。それでも何もしないまま終わりたくないという、身勝手な意地が彼女を突き動かしていた。

 

 しかし映姫はそれでも頷くしかなかった。この場に残された者達の中で一番の適任は魔理沙だったからだ。

 他は皆、ヘカーティアの足止めや後方支援で手が空いていない。そもそも『最低限』を満たせる者すら限られている。遂に幻想郷側もリソースが不足に直面しつつあった。

 

「分かりました。そしてあと1名は……」

 

「私が行きましょう」

 

 これもまた納得の人選だった。

 

 

 

 

 

「っと、ゲートに飛び込んだかと思えばあっという間だったな。どういう原理なんだか」

「ええそうね。──それでは後ほど」

 

 手短に別れを告げると、彼女は音も残さずその場をから消え去った。

 相も変わらずせっかちな奴だが、彼女の性格からみれば随分我慢していた方だろう。霊夢がいの一番に紫の下に向かった時からずっと落ち着かない様子だった。

 今は一足先に此方の世界に来ていた上司の安否確認と、今後の指示を貰いに行ったのだろうか。置いてけぼりを食らった魔理沙もそれはそれでアリだと考える。

 彼女に距離などあってないようなものだ。すぐに合流できる。

 

 周囲は既に破滅的な暴力の嵐によって建物の殆どが原形を残していない。紫の傀儡分身達と第一陣の援軍共の仕業だろう。

 遠くない場所から鳴り響く轟音が、変わらぬ激戦を伝えてくれる。

 

(おかげで霊夢と紫の所までフリーパスってわけだ。助かるな)

 

 このフェーズに至った以上、傀儡に構っている暇などない。だからさとり達を助けに行くという選択肢は無かった。

 下半身の不随が解消している事を手短に確認し、全盛期の身体を存分に活かした飛行を開始する。久方ぶりの感覚が魔理沙の錆び付いていた戦闘センスを呼び戻していく。

 

 そして、見えた。

 真っ赤に染まったクレーターの更にその先。空を覆う紫雲を貫かんばかりに聳え立つ長大な建造物。

 

 この瞬間、魔理沙の初手は確定した。

 

「光符『ルミネスストライク』!」

 

 天に向けて放つ渾身のスペル。巨大な星型弾幕が太陽光顔負けの光量を湛えながら屋上を直撃した。

 否、寸前で藍の尾が防いでいた。霊夢と戦いながらでも的確に、魔理沙の乱入へと意識を傾けていた。そして排除すべき相手である事を認める。

 

 しかし藍が行動に移すよりも早く、魔理沙の二段仕掛けの罠が作動する。

 勢いを失い消えるだけの筈だったルミネスストライクが、魔理沙の魔力に応じて瞬きを増した。

 その光量たるや、強化されていた藍の視覚を一時的に奪い去る程。目を瞑ろうが瞼を貫通して視神経を焼き切った。当然、紫や橙も同様だ。霊夢のみ影響の排除に成功している。

 

「小賢しいッ! 目を潰したところで無駄だ!」

「来るな魔理沙!」

 

 霊夢の叫びとほぼ同時、伸縮自在に唸る九尾の尾が魔理沙へと殺到する。視覚を失ったところで、鋭敏な嗅覚と触覚が魔理沙の居場所を炙り出していた。

 回避の名人と謳われるほどの神懸かりな技術を持つ魔理沙でも、動体視力を遥かに上回る速度での攻撃には殆ど対応ができない。生存本能に従った激しい飛行とともに身を捩るが、僅かに脇腹を掠った攻撃が致命傷一歩手前の被害を齎した。

 死の匂いがする。

 

 だが魔理沙の闘志は尽きない。

 こうなる事は分かっていた。もとより無傷でいられるなんて甘い考えは捨てている。

 

「今だ! いけぇ!」

 

 箒から転落しながらも、ルミネスストライク維持のための魔力は止めない。

 全ては次の一手を活かす道筋。

 

 最強のガードと化した藍を突破するにはただ素早いだけではダメだ。小賢しいだけではダメだ。

 距離と時間の概念を飛び越え、直接的な脅威をぶつける。

 

「あ」

 

 背後から聞こえた溶けるような声に藍は我に返る。

 張り巡らされた感知網に引っ掛からず、自身の後ろに控える主人を害す事のできる存在。

 該当するのは小野塚小町と、もう1人。

 

「十六夜、咲夜」

「……思わぬところで悲願が叶ったわね」

 

 紫の胸に深々と突き立てられたシルバーナイフ。

 付与されていたのは時間停止の力。意思と生命、その流転をゼロで固定する。

 蓬莱人以上に不死身な紫を止めるには、これが最適解だろう。

 

 当然、それより先を許すほど八雲の式は悠長ではない。

 瞬く間に切り刻まれた咲夜の両腕が宙を舞う。

 下手人は橙であり、そのスピードは藍を僅かに上回る。しかし主人を守れなくては意味がない。悔やみきれぬ一瞬の抜かりに憤怒を浮かべる。

 

「よくも……ッ! よくも! よくも!!!」

「橙、落ち着いて。残念なことに死なないから」

 

 顔を顰めながら、紫はゆっくりと異物を引き抜きスキマへと投げ込む。滴る血を裾で拭う。

 咲夜の一撃を以ってしても、紫の因果を穿つには至らなかった。

 

「ふふ……撃つ、斬る、衝く、放つ、殺す、何を取っても私には効きません。あ、いやでも死なないけどこれめっちゃ痛いわ。あ"いたたた!」

「ゆ、紫様お気を確かに!」

「殺してやる……! 殺してやるぞ十六夜咲夜!」

「思った以上に効果があったようで満足です」

 

 結果としては右腕を失ってしまった咲夜の読み負け。しかしそれでも愉快なのには変わりない。

 紫に一矢報いてやる事が幻想郷来訪以来の咲夜の悲願だったからだ。かつてのような身を焦がす憎悪は薄れたが、それはそれ、これはこれ。

 

 さらに紫の暗殺に失敗した際の保険として、菫子へ向けてナイフ群を放っていたのだが、こちらは隠岐奈によって片手間に防がれている。被害といえば弾き損ねたナイフが一本だけ隠岐奈の手の甲に突き刺さったくらいか。

 本命と保険、いずれも空振り。

 

 ただ一連の攻防全てが失敗という訳でもない。

 八雲主従の連携の綻びを利用して、霊夢は連戦の疲れを僅かに癒やし、魔理沙は血反吐を吐きながら屋上の縁へと手を掛けた。

 

 ここでこの3人が揃うのかと、紫は数奇な運命を感じずにはいられなかった。

 ついでに刺し傷が痛くて泣きそうだった。

 

「巫女に魔法使い、そしてメイド。はて、何処で見た並びだったかしら?」

「春雪異変の時でしょうか。確かもう1人の紫様が相手取ったと聞き及んでいます」

「あの時は私も(貴女)も気絶してたものねぇ。なるほど、記憶には無くとも身体が覚えているわ」

 

 幻想郷に住まう人間達の中で、恐らく頂点に立つだろう3人。その綺羅星が如き爆発力は目を見張るものであり、妖怪では持ち得ない力の一つだ。

 各々、幾多の死線を乗り越え潜在能力を開花させてきた。その物語の積み重ねが遂に花開き、八雲紫の下に辿り着くという結果を引き寄せたのだろう。

 

 これで、漸く最低限。

 

「一人一殺……と言いたいところだけど、ちと高望みが過ぎるな。貧乏くじ引かされちまった」

「美味しい役はお嬢様と地霊殿の覚妖怪に取られてしまったものね。残されてるのが時間稼ぎだけだなんて、とんだ余り物だわ」

「一番キツイのは最初からぶっ通しで働いてる私よ」

「それはお前のせいだろ」

 

 不満を漏らしつつも、各々の役割は既に決まっている。霊夢が紫を斃すまでの間、その式神達を相手に喰らい付いて、死んでも介入を許さない。

 

 息も絶え絶えな疲労困憊の巫女、脇腹を抉られて失血死寸前の魔女、両腕を欠損したメイド。

 急拵えの応急処置でなんとか継戦を可能にしているが、不恰好な事この上ない。

 

 

 一方で八雲陣営も次なる対応を迫られていた。

 

 紫が初めて被弾してしまったのもそうだが、紫にとってアキレス腱以上の急所となる菫子の命を狙われたのが問題だ。霊夢や魔理沙は人である菫子を殺める選択はしないだろうが、悪魔の従者たる咲夜は別だ。

 

 菫子は将来的に蓮子に連なる血を残す役目があるため、紫に負けず劣らずの因果を纏っている。故に殺そうとしても紫同様、殺しきれない状態が続くだろう。

 しかし隠岐奈が因果の元となる『超能力』を回収している今は話が別だ。何かの間違いで想定外の惨事が起こる可能性は否定しきれない。

 

「隠岐奈。そろそろ待ち遠しくなってきたわ」

「急かすな急かすな。心配せずとも工程は9割方完了している。そうだな、あと2分貰おうか」

「もうそんなに終わってたのね。あと2分、あと2分で私はようやく……」

 

 待ち望んだその時を恍惚と思い浮かべる。

 しかしそれと同時に、欲した物が手に入る寸前で失われる事に対する焦りがどうしても芽生えてしまうのは、妖怪といえど人間と変わらなかった。

 

 そも、本来であれば既に抽出作業は完了している筈だった。霊夢の侵入を皮切りに遅延が続き、今がある。

 これ以上は待てない。

 

 スキマを開く。

 これが紫の残していた万が一の時の逃走経路。これを避難場所として利用したのだ。

 

「万全を期すことにしましょう。この中へ」

「ほう、そんな場所まで残していたのか。差し詰め、心の終点とでも言うべきか」

「その表現で相違無いわ」

 

 会話を断ち切って行動を促すと、隠岐奈はつまらなそうに肩を竦め、菫子を抱えてスキマの奥へと消えていく。

 これで霊夢達の勝利条件が一つ減った。

 

「紫様もどうか避難を」

「いえ、それはできないわ。私が行くのは2分後」

「……ではそのように動きますが、何故でございましょうか?」

「別世界に逃げれば貴女達との式契約が切れてしまう。それでも貴女なら負けないかもしれないけど……」

 

 言わんとする事は分かっている。

 

 今でこそ立派な一線級──否、紫と藍の妖力が流れ込んだ事で誰よりも強くなった橙だが、式契約無しでは流石に足手纏いになってしまう。

 そう考えれば紫がここで踏み止まる理由としては十分だろう。式2人が最強の状態を保ててこそ、現在の圧倒的な優位を確立できる。

 

「ごめんなさい……。最後まで私は、藍さまと紫さまの足を引っ張ってばかりです……」

「それは違うよ橙。お前が私と並び立ってくれたからこそ、積み上げてきた物を失ってもいいと思える勇気が生まれたんだ。おかげで私は、畜生の理に身を委ねて紫様を守る事ができる」

「私だって橙を頼りにしなかった時なんて一度たりともなかった。貴女も藍と同じく、欠かす事のできない私の家族ですわ。自分を卑下する必要はありません」

 

 手放しの賛辞に思わず顔を上げる。

 

 事実、橙がここまで大きな存在になってくれるとは予想していなかった。

 種族としての優劣や、経験に裏打ちされた技術など、覆せない差を自覚しながらも折れる事なく八雲の式としての道を歩んできたその心意気は、如何なる言葉を用いても報いる事はできない。

 

 また、橙が紫の計画に本心から賛同していないのを承知した上で、それでも付き従ってくれた事に対する深い感謝が含まれていた。

 

 橙は目を擦り、声を張り上げる。

 今回の件がどのような形で幕を下ろすのだとしても、橙の歩む道は一つだ。

 

「最後まで『八雲』の名に恥じない戦いを約束します!」

 

 これが八雲橙にとって、最初で最後の晴れ舞台。

 

 

 

「なんか私達が悪者みたいな雰囲気だな」

「気にしなくていいわよ。それよりも心配なのはアンタよ魔理沙。大丈夫なの?」

「問題ない。引くほど粘ってやるさ」

「脇腹が欠けてるんだから無理しない方が良くない?」

「両腕無くしてる奴には言われたかないぜ」

 

 軽口を叩きつつも意思疎通は滞りなく行われた。

 霊夢が予備動作なく駆け出すと共に魔理沙は八卦炉から高密度のレーザーを乱射し、不可触の経路を現出する。霊夢はただ用意された道を往くだけだ。

 

 時同じくして藍が霊夢の接近阻止に動くが、咲夜がそれを許さない。

 不意打ち。光速で放たれる回し蹴りが頬を貫き、妖力により膨れ上がった九尾ごと押し除ける。さらには口に咥えたナイフを顔の振り向きのみで放ち、貪欲に紫を狙う。

 

「ひぇっ」

「もう紫さまに怪我はさせないよ!」

 

 しかしこれを橙が阻止。

 次の行動を起こす為の思考よりも疾く咲夜を殴り飛ばし、魔理沙と衝突させた。

 損壊した部位の時間を停止し、機能が失われる寸前を保つが流石の咲夜といえど限度は近い。常人どころか妖怪と比べても強靭な肉体を誇る咲夜でも、これ以上のダメージは動くことすら儘ならなくなる。

 

 だが最低限の役目は果たせた。

 魔理沙が放ったレーザーの中を突っ切った霊夢が紫の前へと躍り出る。ついに射程圏内に収めた。

 お祓い棒を振るえば、届く。

 

「ゆ、かりぃいい!!!」

「やば」

 

「ああああああっ!」

 

 顳顬を打たんと振るわれたお祓い棒が横撃により弾き飛ばされ、フロア外へと消えた。

 間に割り込んだ橙の拳が半透明に輝いている。

 藍が実現した夢想天生の模倣をがむしゃらに式ごとトレースした結果だ。これによって橙もまた霊夢への干渉権を得た。自らの存在と引き換えに。

 

「絶対に通さないっ!」

「このっ……!」

「霊夢急げ! 止まるなッ!」

 

 即座に復帰した藍が縋り付く魔理沙の妨害をものともせず、また、咲夜の時空操作を正面から破りながら迫る。というよりも、直進そのもので発生する圧が衝撃となり2人の機動力を奪い九尾で拘束しつつあった。

 とはいえ、藍の速度が肉眼で捉え切れる程度には低下している点で、2人の妨害は非常に効力を発揮しているといえよう。

 

 前門の橙、後門の藍。絶対防御を失った今、挟まれては流石の霊夢といえどひとたまりも無い。

 後退しか選択肢はなかった。しかし、ここで下がれば紫は嬉々としてスキマを開き、菫子と隠岐奈の待つ空間へと去っていくだろう。

 

 もう間も無く2分が経とうとしている。

 

 陣営を問わず全員が必死だった。

 僅かな時を稼ぐために、全身全霊をかけて命を投げ捨てる。そうでもしないと相手を止められないからだ。

 お互いに。

 

 

 

「空観剣『六根清浄斬』」

 

 豪鉄を両断したようなけたたましい音が響く。

 激痛に身を硬直させた藍は、痛みの元──尻尾の付け根を睨み付ける。霊夢を狙った一尾が切り落とされていた。夥しい量の血が流れている。

 

 置物と化した尾の側で同じく硬直していたのは、魂魄妖夢。

 楼観剣を振り下ろした体勢のまま固まっていた。額には脂汗が浮かび、震える両腕を凝視する。

 

「ぐぅっ、なんという硬さ……!」

「妖夢ッ! 貴様ァッ!」

 

 空間を引き裂き無駄を跳躍する事で、戦場への即参戦を果たした。そして勢いそのままに藍の尻尾を全て切り落としてしまうつもりだったのだ。

 しかし、妖夢の剣筋は狂いなく標的を捉えたにも関わらず、肉の切断が満足にできなかった。

 

 当然即座のカウンターが為されるが、それは切り落とされた元尻尾によって防がれた。ひとりでに浮いて妖夢の身を守る盾となった。

 

 最高のタイミングで行われる的確なサポート。こんな美味しい役をいけしゃあしゃあと持っていくのは、自分が知る限りではアイツくらいか。

 魔理沙は、妖夢の他に来ている援軍の正体をいち早く看破し、叫ぶ。

 

「アリス! 藍の相手を頼んだ!」

 

「任されたわ」

 

 一足遅れてふわりと死地に舞い降りたのはアリス・マーガトロイド。指先で魔法糸を操作し、屋外に投げ出されていたお祓い棒を回収、霊夢へと投げ渡す。

 最早一切の出し惜しみは不要。『究極の魔導書(Grimoire of Alice)』を開いて早速足止めの準備に入る。

 

 藍の優秀な頭脳が場の趨勢を即座に叩き出す。

 霊夢は言わずもがな。夢想天生はもうじき効力を失うだろうが、それでも彼女の類稀なる戦闘能力には目を見張るものがある。

 体力全開かつ、自身の能力を様々に応用させる妖夢とアリスの対応は一筋縄でいかないか。片手間で確実に殺せるほど甘い相手ではない。

 魔理沙も自分への圧力が減ったと判断すれば、容赦なく高火力で紫ごと焼き払いにかかるだろう。機動力も完全には失われていない。

 厄介な咲夜は念入りに痛め付けたが、まだ僅かに余力がある。脅威は排除できていないのだ。

 

 そして、迎えたタイムリミット。

 藍の判断はどこまでも合理的であり、私情の一切を取り払っている。全ては主人の望みが為に。

 

「紫様。どうかお達者で」

「……分かったわ」

 

 自らを愚鈍であると自嘲する紫だが、この時ばかりは式の言わんとしたい事を即座に察した。

 開かれるスキマ。その先には菫子と隠岐奈が待っている。

 

 きっとこれが最後の別れになる。

 紫と藍の間には確信があった。

 

「藍、橙。私はまた貴女達と旅をするわよ」

「いってらっしゃいませ。私と橙はいつまでもお待ち申し上げております」

 

 時はきた。

 完全なるスキマ妖怪に返り咲く、その時が。

 

 と、それをみすみす見逃すような人妖はこの場に居ない。

 拘束から脱した魔理沙が箒に跨ったまま霊夢の手を引き、一直線にスキマを目指す。それに妖夢も追随する。

 アリスと咲夜は己に残存する全ての魔力を用いて藍の動きを阻害。究極の魔術、時空の凍結、それらを駆使して漸く目に見える程度に鈍重になった。

 

 この数秒が全てを決する。

 既に紫はスキマに足を踏み入れ、閉じる態勢を取っている。

 

「切り捨て御免ッ!!!」

「させるかああああ!!!」

 

 霊夢の活路を開くべく神速の抜刀で斬撃を飛ばさんと構えた妖夢と、間に割り込み魔爪を振るう橙が交錯する。

 結果、妖夢の右腕が捥がれた。圧倒的な身体能力の差が刀ごと腕を奪い去った。

 

 激痛と喪失に顔を歪めるが、同時に妖夢は口の端を持ち上げた。奪ってくれたのが右腕(楼観剣)で助かった。

 魂魄二刀流の抜刀術は全て隙を生じぬ二段構え。本命は残された左腕(白楼剣)

 

(紫様──幽々子様の言う通り、貴女様に寸分でも迷いがあるのなら──!)

 

 魔理沙の全速力でもスキマに飛び込むには僅かに足りない。入り口は既に半分閉じて徐々に境界を消失させている。だから妖夢が必要だった。

 迷いを抱く者が創造せし境界など、魂魄妖夢に斬れないはずがないのだから。

 

 放たれた斬撃が境界を引き裂き、紫の安堵の表情が驚愕に歪む。

 妖夢へのトドメを中止して慌てて反転する橙と、自身の式ごとデバフを引きちぎりながら迫る藍を押し留めるのは、魔理沙の役目だ。

 

 魔理沙は強化魔法を施した腕を振るって霊夢をスキマへと投げ飛ばし、振り向きざまに放つはマスタースパーク。八雲の式には最早通用しないだろうが、目と耳、ついでに触覚を奪えればそれで良かった。

 目障りな白黒魔女の位置に当たりを付けて振るわれる暴力に対しては、アリスの身を挺した守りで僅かな延命と相成る。

 

 

 目的は達した。

 後は──。

 

「霊夢をお願いします! 魅魔様!」

 

 陰陽玉の中に眠る師へ。

 

 

 

 

「貴女は、どこまで私に追い縋る?」

「無論。果てまで」

 

 遂に追い詰めた。もう逃げ場所はない。

 

 スキマの先は見慣れた空間だった。

 目に悪い毒々しい紫色に塗り潰され、何者とも知れぬ無機質な目が埋め尽くしている。紫がスキマを開くたびに見えていたものと同質のものだろう。

 延々と続く広大な世界。そもそも距離の概念が存在しているのかもあやふやだ。

 

 目線の先には三つの席が向かい合うようにして置かれてあった。

 一つは空席。一つは昏睡する菫子。最後に隠岐奈。それぞれが座っている。

 秘神は面白そうに繁々とこちらを眺めており、霊夢は嫌なものを感じた。率直に言って気持ち悪い。

 

 だが一番目を引いたのは紫だった。

 これまでの余裕綽々に微笑を浮かべていた表情は無く、苛立たしげに睨め付ける。

 それが意味するのは……。

 

 と、紫が声を張り上げ叫ぶ。

 

「隠岐奈! 私に菫子の力を!」

「ん? なんだ、もう自分でやるのか。私が巫女の相手をしてやってもいいが」

「構わない。霊夢の相手は私が務めるわ」

 

 霊夢は思わず身構えた。

 遂に紫が動くかと警戒感を露わにする。

 

 八雲紫といえば疑いようもなく幻想郷最強の妖怪。アレだけの力を示した藍の主人であり、その深謀遠慮は何者にも理解される事はない。

 

 実のところ、霊夢ですら紫の真の実力は分からない。

 永琳との戦いの際に共闘した経験はあるものの、主体は紫擬きであったし、本人はあまり真面目に戦っているようには見えなかった。

 

 

「……」

「隠岐奈? 早くして頂戴」

 

 語気を強める。頼りになる傀儡、愛しき式神が必死に時間を稼いだ事で漸く辿り着いた結果なのだ。

 冗談でも笑えない。

 

「いやぁ改めて振り返ると凄まじい激戦ばかりだったな。お前の用意した障害は並大抵のものではなかった。しかし、博麗の巫女はそれらを次々乗り越え、此処まで辿り着いた」

「まだ総括には早いわよ」

「いいじゃないか。どのみち最後なんだから」

 

 隠岐奈の態度に霊夢は困惑を隠せない。

 制御された傀儡ではなかったのか? これも全て紫の仕込みなのか? しかし紫は明らかに苛立っている。自身の望む行動でないのは明白だ。

 

「取り込んでいた傀儡達も、頼りになる最高の式神も、私以外には失ってしまったな。世界を隔てる境界もここまで侵入されては形無し。挙句に最後のフロンティアだった心奥にすら踏み込まれる始末」

「……」

「いざという時の切り札だったヘカーティアや、想起を利用した大技も使い切った」

 

 苦々しい表情で唸る。

 

「いざ言葉で羅列されると確かに信じられない思いになるけど、概ねその通りであると把握しているわ。しかし貴女を失わなかった、その一点で私の完全勝利」

「はて、それはどうかな」

 

 訝しげに眉を顰める。

 

「隠岐奈。何が言いたいの?」

 

「いやなんだ、つまるところ──お前の願いもこれまでだという事だ」

「はえ?」

 

 秘神の何気ない手刀が、紫の首を切り落とす。

 





藍と橙の強化については、全盛期の八雲紫様の妖力の一部が流れ込んだ結果になります。ゆかりん陣営最高戦力は橙という罠。
さらに相手の能力を解析して自らの力としていくので、後半は咲夜の時間停止も殆ど通じていませんでした。
後出し適応の式神!最近どっかの漫画で見た気がするマコねぇ……。

妖夢はゆかりんが外の世界で質に出してたノートPC(マミゾウさんが回収)、アリスはゆかメリーにあげた万能スカーフ(正邪が盗んでた)を使って侵入してきてます
ゆかりんガバガバかよ……

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