幻想郷は全てを受け入れるのよ。それはそれは残酷な話ですわ……いや割とマジで   作:とるびす

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 君想う、故に我在り。


【ネバーエンド秘封倶楽部】

 

 

 

 少女は空を見上げた。

 淀んだ水面に乱反射する光源を眺める為に。

 

 爛々と輝く星が散りばめられた夜空。

 大きな、丸い満月が浮かぶ夜空。

 周りには誰も居なくて、ぽつんと一人取り残された、そんな状態でした。

 

「はて、何故こうなったんだろう?」と、少女は深く考えます。

 拭いきれないほどの酷い違和感が彼女の脳内を埋め尽くしました。

 

 自分に降り注ぐ星の光も、月の明かりも。

 我が身、我が心さえも。

 全てが偽りの中にあるかのような酷い違和感。

 

 しかし、それらは彼女が特別意識を向けるほど特別なものではなかったようなんです。

 もっと彼女を狼狽させ、焦燥に駆り立てるほどの何かがあるようでした。

 

 彼女はふと思いました。

 もしかして夢なのか? と。

 

 覚めて欲しいと願いつつ、少女は強く目を擦ります。

 だけどちっとも夢は覚めません。

 それどころか少女の指には血がべっとりと付着していました。そして思わず、水面に映る自分の姿を見てしまったのです。

 

 

 

 ──ああ、そうか。

 

 

 ──そうだった。私は生まれたのか。

 

 

 

 水面に映るのは混ざりつつある二つの色。

 

 本来の輝きと血の淀みで、徐々にそれは新たな忌々しい色へと変化していく。もはやかつての色には戻れない。全てが遅すぎたのです。

 

 

 少女は空を見上げた。

 

 星と月が彼女の存在を決定付けてくれました。

 

 それは決して祝福と言えるような優しいものではないけれど、彼女はとても嬉しく、そして悲しく想い、激しく憂い───。

 

 月へと手を伸ばすのです。

 

 

 

 

 *◆*

 

 

 

 

 私は、生まれながらにして特別な眼を持っていた。

 この世界の境目。現と幻の境界。人ならざる者達の為の世界。それらを見通す奇怪な眼。

 

 そんなものが何故私に備わっているのか、時々考えてみたりもしたけど、今に至るまで分からず終いだ。代々奇怪なものが見える家系ではあったけれど、私のそれと比較できるようなものではなかったらしい。

 きっと、この世に生まれ落ちる時に何か不具合を起こしたのだろう。何処ぞの宗教風に言うなら、前世に犯した悪業の結果となるのか。

 

 この世界は不条理に塗れていると何度思ったことか。これが呪いによるものなのだとしたら、どれだけの恨みを買っていたんだろう。

 

 正直、私はこの眼を好きになれなかった。

 自らの手を離れて様々な能力を開花していく様が恐ろしかったのだ。立ち向かう気概はあった筈だ。なんとか能力を制御して私の持ちたる力にしようと、試行錯誤を繰り返した記憶がある。

 でも段々と見え過ぎるようになっていって、不覚を取る事が多くなり、やがては何を見ているのかが分からなくなった。自分が何を考えているのかすら。

 

 逃れられない事を悟り、深く落胆した。

 私の辿る末路が明白になった。

 

 けれど、自分の運命を最悪だと悲観した事はない。

 貴女に会えたその一点だけで、私の人生は捨てたものじゃないって思えたの。

 

 蓮子と一緒に居る時──秘封倶楽部のマエリベリー・ハーンとして存在している時だけ、私はこの恐ろしい眼を少しだけ誇りに思えた。

 蓮子と見つめ合っている時だけ、本当の世界が覗けたような気がする。夢幻の先にあるまだ見ぬ世界。私が存在するべき現実が。

 

 彼女と冒険を続けていれば、いつかこの眼も私の一部として上手くやっていけるような、そんな未来があったのかもしれない。所詮はたらればの話だけど。

 

 蓮子と共に在る事が私にとって好都合でも、逆もまた然りとはいかないのが世の常だ。

 いつだったか──衛星トリフネ……いやそれよりもっと後だったか。時系列が曖昧だけど、夢が現実を侵食するようになっていって、私は一番に蓮子の生命を案じた。

 彼女をいつか私の視る世界が殺してしまうのかもしれないと、恐ろしくなった。自分の眼に対する恐怖が再び蘇った瞬間である。

 

 蓮子から離れられなかったのは私の甘えだ。大切に想っているなら、黙って姿を消して、好きなように()()すれば良かったのに。情けない、申し訳ない。

 

 

 だから……あの夜、顔を殴られて、お腹を蹴られて、硬い地面に叩きつけられて、甚振られて穢されて、痛みと恐怖に泣き叫ぶ裏でほんの少しだけ安心していたような気がする。

 眼を失った時、蓮子には内緒だけれども、全てが終わった気がしてホッとした。蓮子の役に立てなくなる事だけが心残りだったけど、役立たずになってしまった私を変わらない態度で受け入れてくれて本当に嬉しかった。

 

 美しい世界なんていらない。胸を焦がすような探究心だって、この想いに比べてしまえば。

 私は蓮子と一緒に、本当の世界で生きることができれば、それだけでよかったのに。

 

 

 

 いつから終わっていたんだろう? 

 私が生まれた時。

 違う世界に初めて迷い込んだ時。

 蓮子と出会ってしまった時。

 この眼が光を失った時。

 

 どれも違う。やはり私が生まれるよりも遥か昔から、私の運命は決まっていたのかもしれない。終わりはなく、同じように始まりはない。

 眼を失っても悪夢は終わらなかった。

 

 ねぇ、蓮子。

 私は貴女に「忘れて欲しい」なんて言ったけど、あれは嘘だ。しかし本心でもある。醜い事に私は両立しない二つを願ってしまった。

 どちらを選んでも蓮子は不幸になるだろう。どっちを選んでくれても、私は嬉しく思うし悲しく思う。そしてそんな面倒臭い自分がもっと嫌になる。

 

 私は、もう、自分が何をしたいのか分からなくなってしまった。

 

 

 

 ああ蓮子。

 どうして、どうして。

 

 何故来てしまったの? 

 

 

 

 

 *◆*

 *◆*

 *◆*

 

 

 

 

「う、お!?」

「蓮子様、手を離さないでくださいね」

 

 裂け目が開くと同時に、凄まじい勢いで吹き抜ける猛風が私の身体を攫った。

 咄嗟に橙さんが手を繋いでくれなければ、私は柵に叩きつけられて頭から転落していただろう。

 単独では立つことすらままならない。

 

 暴力的な風から顔を守りながら何とか目を開き、周りを確認する。

 ビルの上か? かなり高い。

 日はいつの間にか沈んでいて、夜空に浮かぶ月が私の居場所を教えてくれる。ここは、私達の住んでいる街だ。私とメリーが出会いを重ねた場所。

 その全てを一望できる。どこまでも延々と、漆黒の摩天楼が続いている。

 

 無機質なネオンを眺めているのか、私達に背を向けて柵に寄り掛かる影。まるでもう一つ月が浮かんでいるのかと錯覚するほど、煌々とした明るい金髪。

 私が何度も追いかけてきた、いつもの姿! 

 

「メリーっ!!!」

「不用意に近付いてはいけません」

 

 駆け出そうとした私を橙さんが引き寄せて制止する。まるで石像に掴まれているように微動だにしなくて、振り払えなかった。万力に挟まれているのかと思うほど強力で骨が軋む。

 じっとりと汗が滲んでいた。

 

「分かってはいても、いざ実物を目の当たりにすると圧倒される。よもやこれほどとは……」

「確かに凄い風ですけど!」

「今、マエリベリー様が世界の中心となっています。本来有ってはならない辻──境界が幾重にも折り重なり、歪な形を保っている。まさにあらゆる境界の交錯地!」

 

 徐に、橙さんがメリーへと手を伸ばす。

 すると途端に腕が──否、線が捻じ曲がった。霧散するのとも違う。紐が解きほぐされるように、構成される性質が剥がされている?

 やがて腕は消滅し、それが当然の事象となった。

 

「……眠りと死の境界とは非常に薄いものであり、同様に夢が深ければ深いほど、現実との境目もまた薄くなる。全てを受け入れると言えば聞こえは良いですが、実情はこの世で最も呪われた体質」

 

 メリーまでのたった数メートルが、無限の距離に思えるほどの隔たりとなる。

 橙さんは変わらない和やかな笑顔で、しかし冷たい視線を自身の空白へと投げ掛ける。

 

「私の持つ境界が奪われました。この通り、あの坩堝には如何なる境界も役に立たないのです。我々の目に映るこの景色も、実像と虚像の境界により構成されたものでしょう。全てマエリベリー様そのもの」

 

 これが事前に言っていた"死"の形なのだろう。

 

 『メリーを独りにさせない』

 これが意味するのは、自身の存在すら剥奪される完全な死。きっと、想像もできないような苦痛が待ち受けている。悠久に続く責苦。

 

 だが、不思議と恐怖はなかった。

 八雲紫と名乗るメリーと顔を合わせた時からだろうか。私の進むべき道が明らかになった事で、迷いがなくなった。未来を捨てる覚悟はとうにできている。

 

「橙さん、行きますよ私は。メリーの下に辿り着く為のサポートをお願いできますか」

「承知いたしました。幻想郷の賢者としての最期の責務──八雲の役目がいま果たされる刻。お2人の為、存分に力を奮いましょう」

 

 橙さんは私から手を離すと、残された左腕を払い裂け目を生成する。けたたましい断裂音とともに現れたそれは、今まで見た裂け目のどれよりも強力である事が素人の私でも見て取れた。

 妖しく発光し、境界を押し退けか細い道を繋ぐ。その代償は大きいようで、彼女の眼から、鼻から、口から、夥しい量の赤が溢れている。指先は既に原形を保っていない。

 

 でもやはり、橙さんは苦痛を押し殺した顔で言うのだ。何でもない風に、さも涼しげに。

 

「決して振り返ってはいけませんよ。境界を越えるとは、そういう事ですから」

「……っ」

 

 言葉は不要だった。崩れ落ちていく橙さんを尻目に、裂け目を踏み越えてひたすらに走り続ける。

 彼女が私達に抱いている期待、そして畏敬の念。その正体の意味が今なら大体分かる。

 それはきっと、私の一大決心すらも運命の一部でしかない事の残酷な証左。でもね、物理畑の私にラプラスの魔物なんて通用しないんだから! 

 

 

 まるで夢の中を走っているような感覚だった。前に進みたいのに足が上手く動かないもどかしさ。あの何とも言えない嫌悪感が支配している。

 大丈夫だ、此処はまだ現実。

 私の眼は本質を見失わない。

 

「メリーっ! 私と帰ろう!」

 

「……」

 

 背を向けたままのメリーに叫ぶ。

 聞こえてる筈なのに何故応えてくれないんだろう。私の事が嫌いになったのならそれでいい。だけどせめて、拒絶の言葉だけでも……! 

 

「うああああぁぁああッ!!!」

 

 がむしゃらに腕を振って見えない壁を叩き壊す。手応えが無くても、それに意味がある事を身体が教えてくれる。頑張れ、頑張れ私! 

 私に気付け! 私を見ろ! 

 

「ずっと一緒だって……言ったでしょう? ねぇメリー。ねえったら!」

 

「……蓮子」

 

 やっと振り返った。

 メリーの顔が露わになる。失った瞳が私を見据える。顔に巻かれていた包帯は解けていて、深海のように真っ暗な青が私を映してる。

 

 ああ、メリー。

 

「私も……貴女の事が大好きだった」

 

 儚い笑顔と涙には訣別の意味が込められていた。

 青が、視界を歪ませた。メリーの背景が歪み、澱み、糸が切れてしまったかのように重力に従って世界の深淵へと落下していく。

 手を伸ばしたけど、間に合わない。

 

「だから、ごめんね」

 

「メリィィィィィィィッッ!!!」

 

 迷いなくメリーの後を追ってビルから──いや、夢の深奥へと飛び降りる。

 いつの間にか周りはメリーの扱う裂け目のような空間になっていて、私達と無限の境界だけの世界となった。もう、帰る事はできない。

 

 望むところだ。

 私は力を振り絞り、境界へと拳を振り下ろした。

 

 

 

 *◆*

 *◆*

 *◆*

 

 

 

 追い付けない。

 どこまでも落ちていくメリーとの距離は少しずつ縮まっているけれど、手が届くよりも早く私にガタが来る。深淵に近付くほど、私の身体がダメになっていく。

 でも諦めない。私の命が続く限り。

 

 蓮子の身体が崩れていく。私から溢れ出る境界が、幻想が、喰らい尽くさんと纏わり付き、蓮子を貪る。違う。私はそんな事望んでいないのに。

 体の自由が利かない。目を閉じることさえできないから、蓮子が苦しむ姿をただ見ているだけ。想いに応えて手を伸ばしたいのに。

 

 

 いつまでも、貴女(メリー)と一緒に。

 

 もう一度、貴女(蓮子)と一緒に。

 

 

 きっと、私達の何気ない小さな願いはこの世のどんなものよりも酷く強欲で、独り善がりで、得難きものなんだろう。最も爛れている関係。穢れた2人。蟲のように機械的な感情だと言えるかもしれない。

 でも私達はそれを認める事ができなかった。一生叶わない願いなのだとしても。

 

 

 やがて蓮子が動かなくなった。

 

 ああダメだ。力尽きた。

 手を伸ばせば届くのに、その手段がもう無い。眼前まで来ているのに、最後の境界を突破できない。此方からではもはや繋ぎ止められない。

 

 終わってしまう。

 

 

「いいや、秘封倶楽部は終わらせないわ」

 

 

 歯を食いしばり、境界へと頭を打ちつける。想いの強さと結果が伴わなくても、宇佐見蓮子の諦めの悪さの前には些細な問題だ。

 にへらと、無理やり笑顔を浮かべる。

 互いにしみったれたままなんて、そんなの勘弁よ。

 

 そんな顔で私を見ないで。

 

 

「私の眼をあげるよ、メリー」

 

「……」

 

「道に迷った時は空を見て。私がメリーの進むべき道を教えてあげるから」

 

「……」

 

 

 解けていく。消えていく。

 (蓮子)貴女(蓮子)で無くなる。

 蓮子の滴る赤が、私の青に注ぎ込まれて馴染んでいく。瞳の熱が、脳髄を焼き尽くすほどに煮えたぎっていた。

 錯綜するだけだった境界が一つに纏まり、新たな像を結ぶ。広がる世界。もう底が近い。

 

 きっとその先に、私達の求めた幻想の(美しい)世界が広がっている。羨ましいよ。

 

 

「私達の冒険は、貴女の気が済むまで続けてちょうだい。貴女が見て聞いて感じた事が、私の求めた答えになってくれると思う」

 

 

 頼りない相棒でごめんね、メリー。

 私がもっと強ければ、貴女をいつもの日常に連れ戻す事ができたのかもしれない。それが不可能だったとしても、もっと色々な物を渡せたかもしれない。

 だからせめて、この役立たずな能力が貴女の導となるのなら、喜んで差し出すよ。

 

 違う、それは違う。

 私は、蓮子がいたから現実に縋り付いていたんだ。私だけで進み続ける事なんて出来る筈がないの。

 貴女のいない世界なんて。

 

 

「もう二度と、独りにさせたりしないから。ずっと一緒にいるから、ね」

 

 

 初めての味は鉛味。

 私と彼女の雫が混ざり合う。

 

 

 ……そっか。一緒にいてくれるのね。

 ありがとう。蓮子。

 

 いつか絶対に起こしに行くから。今はどうか安らかに。

 おやすみ。メリー。

 

 

 境界が、重なった。

 埋まるはずの無かった隙間が塞ぎ込む。

 闇夜に続く黄昏が、夜明けに繋がる黎明へと流れていく。青と赤の流転。

 

 夢を現実に変えるのだ。

 私達の手で。

 

 

 

 

 

 *◆*

 *◆*

 *◆*

 

 

 

 

 

 夜が降りて、意識が覚醒する。

 

 美しくて残酷な幻想の微睡に浸るもまた一興。しかし、もういいだろう。胎児の真似事にもほとほと飽いた。いや、空いた。

 

 口に広がる甘露な赤に舌鼓を打ち、残さず噛み砕いて物言わぬ誰かさんに別れを告げた。とても美味しくて、後悔の残る味だった。酷い、あまりに酷過ぎる。

 食えたものじゃない。

 この行為は金輪際不要だ。そこらに吐き捨ててしまえば楽になる。

 

 

 さあ……約束通り旅を始めよう。

 大切な人と拠り所を探す為に歩き続けよう。

 

 この目があれば、別れ道や自らの心に迷うことはない。この目があれば、幻想を見極め誰にも置いていかれることはない。

 これが私の夢……私の禁忌。

 

 ──ひたりと、涙の跡をなぞる。

 

 もう赤は流れていない。

 水面下には私の瞳。何にも勝る『紫色』の贈り物。そう──私に在るのは、この瞳とこの身体だけ。

 まだ名前がない。何者でもない。

 

 

 ねぇ、(蓮子)

 私はどうしよう? 

 

 ねぇ、(メリー)

 誰になろう? 何になろうかしら? 

 

 ……ふふ。

 ならば【(ゆかり)】とでも名乗りましょうか。

 

 貴女達とは縁も()()()も一切ないけど、いずれそれらに満たされる日が来ることを願い、微かに夢見ながら。

 

 私は月へと手を、伸ばすのです。

 

 




メリーの失明は小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)が右目を失明していた事に関連付けてます。同じ理由でギリシャ出身です。

次回、ゆかりん誕生編も完結。
全ての謎を回収して心置きなく最終章に向かいます。多分

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