幻想郷は全てを受け入れるのよ。それはそれは残酷な話ですわ……いや割とマジで   作:とるびす

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後書きに簡単な図があります


【アナザーエンド秘封倶楽部】

 

 実家で暮らしていた頃、大掃除中に物置で埃を被った一冊の日記(ダイアリー)を見つけた。何十年も前に書かれたと思われるそれが、私を今の道へと突き動かした。

 

 初代秘封倶楽部会長を自称していた宇佐見家の誰かさんが書いたそれは、夢に満ちていた。

 化石のような言葉で飾り立てられた日記──というより伝記は、私の燻っていた探究心を大いに刺激してくれたことを覚えている。

 以来、その日記を我が人生のバイブルとして毎日のように持ち歩いたものだ。

 

 もっとも、メリーと出会ってからは2人での冒険に意識が向いてしまって、いつの間にか手元から消えていたけど、私の情熱は完全に秘封倶楽部に注がれていたので気付かないのも仕方がない。

 活動が落ち着いてからその存在を思い出して家中ひっくり返して探してみたりもしたけど、結局見つからずじまい。残念だった。

 

 まあ、最近になってまたひょっこり手元に現れたんだけどね。だからこの日記をメリーに見てもらおうと思っていた、そんな矢先の事件だった。

 日記はずっと、私のカバンの中で眠ったままだ。

 

 

 一枚ずつ、乱雑にページを破り捨てては次々と火に焚べていく。

 乾燥し切った古紙は僅かな破裂音を立てながら灰になって崩れていった。

 

 沢山の胸踊る冒険や、関わった人達の多彩な想いが詰まった文字列が、私の気の迷いともいえる些細な行動で、この世から失われていく。

 もう二度と回帰しない。誰の記憶からも完全に消え去ってしまうのだ。

 

 淡水が噎せ返るような、この感情。

 その背徳的な喪失感の名前を、私は知らない。ただ一心不乱に、日記を引き裂いた。

 

 日記はどんどんその厚みを無くしていき、最後の数ページを残すだけになった。

 この辺りからの内容は、正直好きじゃない。

 

 想定外の出来事に慌てふためき、ただひたすらに自らの罪を懺悔し、心身を追い詰められていく様が荒々しい筆跡で綴られている。「こんな冒険なんて、始めなければよかった」という言葉で日記は終わる。

 彼女の冒険は悲劇で幕を下ろしたのだ。

 沢山の犠牲と後悔を伴って。

 

 もう一度軽く目を通して、ハードカバーごと火に放り込んだ。これで断捨離完了。

 私の未練。やり残した事。橙さんに言われて改めて考えた時、一番に浮かんだのがこの日記の処分だった。

 秘封倶楽部の幕開け──或いは再始動の発端となった物だが、これからの私達には必要ないものだ。

 

 私達は後悔なんてしない。絶対に。

 

 

 

「火遊びとは感心しないな蓮子くん。この時期は空気がよく乾燥している。小さな種火でも気を抜けば大火の原因になるのよ」

「……教授」

「非行に走るような子ではないと思っていたけれど。何かあったの?」

 

 草も眠る丑三つ時。滅多に人の通らない高架橋の下でこっそり燃やしてたんだけど、やはり岡崎教授には全て筒抜けらしい。

 一応私達を監視しているようなので、この一件でそれが本当だと確認できた。

 

 教授は手に持っていた水筒を傾けて、燃え上がっていた炎を鎮火する。そして焼け焦げてしまった日記のハードカバーを手に取った。

 元がどんな本だったのかも分かるまい。

 

「これは蓮子くんの?」

「いえ、違いますけど……」

「そうなのね。なら貰っていい?」

「いいですよ別に。教授に回収してもらえるなら処分したも同然ですし」

 

 私の言葉に教授は微笑み、黒い長方形をポケットに突っ込んだ。灰だらけ、水浸し、中身無しのそれに何の価値があるのかは知らないけど、記録がこの世から消え失せた時点で、私にとっての価値はない。

 

 彼女が私の下に来た理由は分かってる。

 それ前提での会話だった。

 

「マエリベリー・ハーン……もはや、その名前しか思い出す事はできないけれど、きっと貴女にとってとても大切な存在なのでしょう」

「この世でたった1人の相棒ですから」

「それはそれは……本当に素敵な話」

「前から思ってたんですけど、教授ってホントにロマンチストですよね」

「よく言われるわぁ」

 

 さらに言うならメルヘン中毒だ。いつも「素敵」ばっか言ってるし、私とメリーのやり取りも目を輝かせながら見てたし。

 例えるなら青春を謳歌する若者に対する中高年のそれである。憧れでもあるのだろうか。まあ教授の実年齢なんか興味ないけど。

 

「教授が来てくれてちょうど良かったです。最後に挨拶だけ言っておこうかと思ってて」

「そう……それが蓮子くんの決断なら止める訳にはいかないわね」

「はい、お別れです。ちゆりにもよろしくって伝えておいてください」

「叩き起こして連れてこようか?」

「それは流石に悪いですよ」

 

 もう二度と会う事はないだろう。そう思うと途端に寂しくなるものだ。

 2人にはとても大きな物を貰った気がする。

 

「教授はこれからどうするんですか?」

「一か八か、残された力と燃料を使って最後の旅に出るわ。今日の日の出と共にね。この世界の行末を確かめる事ができたし、貴女達が居ないんじゃ留まっていても仕方ない」

「これから何が起きるのかも知ってるんですね」

「知らないわ。だから確かめに行くのよ」

 

 そう言い残すと、教授は派手なマントを翻して夜の闇へと溶けていく。彼女もまた、最初から存在しないものとして、意識の外へと滲み消えていくのだろう。

 

「ありがとう蓮子くん。貴女があの日、ちゆりを見捨てないでいてくれたおかげで、私達は最後まで挫けず抗い抜く事ができた。矜持を失わなかった」

「どういたしまして?」

 

「さようなら。また何処か、遠い遠い世界の果てで出会えるといいわね」

 

 

 

 *◆*

 *◆*

 *◆*

 

 

 

 橙さんが再び現れたのは、まさに陽の光が差し込もうかという瞬間だった。

 結局一睡もせず、高架橋の下で燃え滓を見つめながらその時を待っていると、光と闇の狭間からぬるりと現れた。もう隠す必要がないのだろう、耳と尻尾はそのままだった。

 

 相変わらずしゃなりとした猫のような挙動で近付いてきては、私の瞳を覗き込む。

 そして満足げに頷くのだ。

 

「覚悟は鈍っていないようですね。──いえ、それこそ昨日の貴女が言うところの『愚問』でしたか」

「……あのー、心読んでます?」

「いえいえあくまで予測と統計ですよ。それは私の領分ではありません」

 

 悪びれた様子もなく温和な笑みを浮かべる彼女は、やはり妖魔の類いなのだろう。

 この一連のやり取りについては、某奇妙な冒険の2部主人公みたいなものだと勝手に解釈することにした。ただ心臓に悪いのであまり多用してほしくないものだ。

 

 私の逸る気持ちも当然分かっていると言わんばかりに、橙さんは慣れた動作で例の裂け目を作り出す。本当にメリーの物と瓜二つだ。違いといえば、裂け目の端にあるリボンの有無くらいか。

 怪奇にもデコレーションの概念が存在するのだろうか。非常に興味深い。

 

「中に入れば御主人様の待つ屋敷はすぐそこです。粗相の無きよう……いえ、蓮子様であれば問題ありませんね。好きに過ごされてください」

「それはどうも」

「では此方へ」

 

 ああ、ついに死神の手を取ってしまった。

 

 橙さんに促されるまま裂け目を潜り、僅かな浮遊感の後、景色が一変する。

 非現実的な現象と、目の前に広がる光景に私は唖然とするしかなかった。

 近世を思わせる建物が立ち並んでいて、そのどれもが時代そのままに整備されている。空気も非常に澄んでいるし、遠くに見える山々には何か安心感を覚えた。

 

 橙さんの歩みに従い、追随しながら周りを何度も見渡す。

 とても面白そうな場所だったけど、人間どころか生き物の気配がしないのは少し不気味だ。

 この広い世界に、たった2人で投げ出されてしまったような不安が込み上げてくる。

 

 やがて民家は途切れて、外れに辿り着く。死神の指し示す先には、とても大きくて立派な和を感じさせる屋敷があった。独りで住むには広いだろう。

 

「ここには貴女と、その御主人様の2人で暮らしているんですか?」

「いえ。私と、私の御主人様2人です」

「うん……ううん?」

「私には御主人様が2人いるのですよ。陪臣という立場なんですけども」

「えーっと、つまるところ御主人様と、そのまた御主人様、という事?」

「左様でございます」

 

 日本語って難しいよね。

 それよりも橙さんが下っ端とは、到底信じられない。彼女から感じる得体の知れなさは尋常でなく、まるで組織の元締めでもやっているのかと思うほどの器量がある。

 賢者とか言ってたし。

 

 その更に上となるなら、果たしてどのような化け物が待ち受けているのか。

 メリーや橙さんにはちょっと悪いけど無性にワクワクしてきたわ。

 

 玄関で靴を脱ぎ、客間と思わしき部屋へと通される。橙さんは「主人の様子を見てくるので少し待って欲しい」と言って、湯呑みにお茶を注ぐとパタパタ駆けていく。

 うーん、お茶が美味い。

 

 時間の流れがいまいち分からない。時計を眺めていても秒針の動きは経過と共に遅くなっていくように感じるだけだ。クロノスタシス現象ってやつね。

 

 暇なので部屋を探索して生活の様子を伺ってみたが、確かに複数人が暮らしているようではあった。居間として使われているのだろう部屋を覗いたところ、湯呑みが複数あったし、玄関にも靴が三足置かれていた。

 また、今よりいくらか幼い橙さんの写真が多くあった。自分の幼少時代の写真を飾るような人には見えないので、他の誰かの趣向だろう。あの怪奇にもこんな無邪気な笑顔を浮かべていた時期があったのか。

 

 ただ……私の勘違いかもしれないけれど、誰かが意図的に作っている生活感であるように感じた。不自然な雰囲気を拭いきれないのだ。

 まるでそう、敢えて演出しているような。

 不思議な場所だ。

 

 

「蓮子様、お待たせいたしました。準備ができましたので御案内いたします」

「あっ、はい」

「……ではこちらへ」

 

 慌てて写真立てを置き直していた私を見た橙さんは、何も言わずに目を細めただけだった。「昔の写真ですか。可愛いですね」なんて言えばよかったのだろうか? でもあまりの物々しい雰囲気に私は口を閉ざすしかない。

 

 板張りの廊下を進み、居間の更に奥。障子で締め切られた部屋に辿り着く。

 

 

 ──空気が変わった。

 

 

 一枚の境界を隔てた先に居る存在。心胆を寒からしめるとは、まさにこの事なんだと、急激に冷えていく頭の中で呑気に思考する。

 呼吸が詰まって喉が音を立てる。

 

「大丈夫ですか?」

 

 橙さんは私を試すように見ている。襖に手を掛けたまま、私へと問い掛ける。

 

 本当に対面するのか? 

 本当に会っていいのか? 

 

 土壇場になって心が日和り始めてる。

 怖い。恐ろしい。根拠のない焦り。

 崖から足を踏み外せば転落死するように、息を止め続けていれば窒息するように、体験した事のない"死"が鮮明に思い起こされ、その道筋を辿る感覚。

 

 ……ダメだ宇佐見蓮子。挫けるな。

 怖いからなんだ。私が本当に恐れているのはそんな事じゃないだろう。メリーを私の手で助けるんだって、心に誓ったじゃないか。

 

 強く目頭を押さえながら、深く息を吸う。

 そして、此方を見遣る橙さんに向かって力強く頷いた。彼女もまたこれに応えた。

 

「……お休み中のところ申し訳ございません、紫様。申し付け通り、お連れいたしました」

「し、失礼しまーす」

 

 障子の奥は寝室だった。側方には襖と庭へと続く縁側があって、陽の光が眩しく差し込んでいる。

 中央に布団が一組だけ置かれていて、誰かが寝かされていた。橙さんに促されるまま入室し、恐る恐るその人物の顔を覗く。こんな時でも怖いもの見たさの好奇心が勝った。

 

 でも、そんなものはすぐに消し飛んだ。

 私は呆然と、問い掛けることしかできなかった。

 

「なんで、メリーが寝ているの?」

 

「この御方──()()()様は貴女の知るマエリベリー様ではございません。しかし限りなく近い存在であると言えましょうか。貴女様の事もよく存じておられますよ」

 

 世界には自分と全く同じ顔の人間が数人居ると聞いた事がある。ドッペルゲンガーなんて言って、怪奇の一種として語られる時期もあった。

 しかしこれは、眼前で眠る女性は……紛れもなくメリーであると、私の目が告げている。顔の造形は勿論のこと、微細な特徴も合致していた。

 違うことと言えば髪が長くなっていて、私の知るメリーより大人びた雰囲気、そして危うさと妖しさを発しているように思えることくらい。

 

 ふと、目が沁みて涙が止まらなくなる。何故だろう、彼女を見つめていると、どんどん痛くなっていく。

 

「紫様、目を開けられてください。紫様」

 

 揺するが反応がない。消え入りそうなか細い寝息を立てているが、それ以外はピクリともせず、意識が回復する兆しは見られない。

 心無しか橙さんの表情に焦りが見える。

 

 激しい混乱と、これからの進展の不明瞭さに、私は固唾を飲んで見守ることしかできなかった。

 と、橙さんが耳元に口を寄せる。

 

「漸くですよ、紫様。蓮子様がお見えです。どうか、どうか……」

 

「あ!」

 

 ほんの僅かに瞼が痙攣したのを私は見逃さなかった。具に観察していたおかげで見逃さずに済んだ。

 そしてゆっくり、少しずつ瞳が露わになる。

 

 白濁としている。機能しているようには到底思えない。だけど視線は真っ直ぐに私を射抜いていた。

 そんな衰弱した紫さんの姿が、私には病室で蹲るメリーと重なって見えた。

 

「お久しゅう、真にお久しゅうございます紫様。私が分かりますか?」

「──橙」

「左様でございます。……お疲れのところ申し訳ございませんが、時が迫っております。急ぎ現在の状況を把握していただきますよう」

「──藍は?」

「志半ばに……。今は私と、霊夢が」

 

 伝えたい事が沢山あるのだろう。平坦な口調で事務的に伝えている最中でも、その節々から万感の想いが溢れそうになっている。目から涙が溢れてるし。

 何を話しているのかは身内話なのもあって私にはよく分からないけれど、辛い事なのは間違いない。

 

 必要事項を次々伝えていく橙さんに、衰弱した状態でも集中を切らさない紫さん。

 私はそんな2人を所在なげに見守る。

 

 

 

「お待たせいたしました。どうぞ、蓮子様」

「は、はい! どうも……始めまして?」

 

 10分経たずに話は終わったようで、橙さんが一歩引いて、代わりに私が布団の側に座る。

 ひとまず初対面だろうという事で恐る恐る挨拶してみたけど、感触はイマイチだ。何というか、私も紫さんも、初めましてと思っていないのかも。

 

 しかし怖気付いている場合じゃない。私は早く彼女の頼みとやらを聞いて、メリーの下に連れて行ってもらわなきゃいけないのだ。

 その為にも、ハッキリさせなきゃいけない部分が沢山ある。

 

「単刀直入に聞かせてください。貴女とメリーは、どういう関係なんですか? 何故メリーと同じ能力を持った部下を擁し、容姿が瓜二つで、私達の素性に詳しくて、それに、えっと──」

「……蓮子は、どうおもう?」

「っ!」

 

 なんて事のない、質問を質問で返しただけの実りなき一言。

 でもその一言が私に一つの確信を抱かせた。

 

 私は紫さんの手を取る。細くしなやかで、何度も握ってきた感触だった。触れ合う肌が焼け付くような痛み。眼の時と同じだ。

 

「貴女、メリーなのね。そうなんでしょう?」

 

 私の言葉に彼女は深く息を吐き、遠くを見つめながらポツリと呟く。

 

「私にその名前だった頃の記憶は、ありません。ただ無性に懐かしさを感じる。心が温かくなる。きっと貴女と沢山旅をして……そして……」

 

 

「貴女が死んで、私が生まれた」

 

 

 

 *◆*

 *◆*

 *◆*

 

 

 

 極々単純な仕組みについての話だ。

 

 マエリベリー・ハーンはある日を境に夢と幻の狭間に取り込まれ、我が身と心を失い、スキマ妖怪という唯一無二の存在へと限りなく近付いてしまう。

 途轍もない苦痛を伴う進化。或いは退化。

 

 彼女の能力制御が未熟であったというのが大まかな結論になるのだが、能力の性質上、どう足掻いてもメリー単独での制御は厳しかったと言わざるを得ない。

 成長と変異がイコールであったから。

 

 もっとも、そのプロセス自体に問題はない。

 歴史上よく見られるケースであり、力を持ち過ぎた人間が魔に身を堕とすだけの話。その成れの果てが如何に強力な存在であったのだとしても、本来なら当事者間を除き気にするものではないのだ。

 

 しかしながら、メリーの変異には致命的な欠陥──世界の法則を乱す間違いがあった。

 

 それは、唯一無二である筈のスキマ妖怪が()()()()()()()()()だ。八雲紫が同じ世界線に2人、存在することになってしまうのである。

 境界を司り概念を定める、神が如き能力を持った妖怪が2人。紛れもない異常事態であるのは言うまでもない。そしてそれに伴う歪みとは、絶大なものであった。

 

 同一の存在が同一の世界線に重なって留まるのは禁忌である。

 タイムパラドックス、エネルギーの不均衡、対消滅……通常であればこれらのペナルティーが適用され、道理の合わない矛盾は無かったことにされる。

 しかし、境界を司る者が2人となれば話が大きく深刻なものに変わってくる。

 

 八雲紫が対消滅してしまう事による影響があまりにも重大であるからだ。

 

 那由多の因果を纏った妖怪が誕生し、同時に死ぬ。全く同じ境界が二重に発生し、定着する。前者が意味するのは膨大なエネルギーの損失、そして不均衡であり、後者は理の侵犯である。

 文字通り、万物の全てを消し去りかねないほどの歪みが生じる事だろう。夢と現実の境が失われたあやふやな世界。空虚な幻。

 

 

 なので、この世の理は矛盾の解消を優先するのだ。決定的な破滅が確定したその瞬間に、重なった境界の下積みを破棄し、新たな軸を生じさせる。

 八雲紫の誕生から新たな夢が再スタートするのだ。この世に完全な現実など介在する余地もない。

 

 全ては夢幻が如く。

 

 

 かつての夢の残骸を下地に、螺旋のように繰り返す。八雲紫が生まれ、メリーが八雲紫と成り、八雲紫が死ぬ。その流れの中で何が起きようと、どう足掻こうと、全てが無駄。夢幻泡影。

 

 八雲紫を減らして1人にしてしまえば、と考える者も少なからず居ただろう。

 だが幾多の螺旋を繰り返し、凝り固まってしまった因果を覆すのは不可能だった。世界の崩壊を防ぐどころか、八雲紫を殺す事さえ儘ならない。

 

 

 何が発端でそんな事になってしまったのか、紫とメリーどちらが先なのか。もう誰にも分からない。

 ただ確かなのは、生まれながらにして2人は詰んでいた。自身の夢見た幻想ごと、因果に雁字搦めにされ、残骸の上で人形のように踊り続ける。

 

 それはそれは残酷で、つまらない話だ。

 

 

 

 *◆*

 *◆*

 *◆*

 

 

 

 ホーキングの時間矢逆転……。エントロピーの超越……。突っ込みどころは多々あるけど、まあ岡崎教授とかちゆりと会っておいて今更な話ではあるか。

 それよりも、メリーの置かれた状況があまりにも酷過ぎる。そんなの、メリーだけじゃどうしようもないじゃないか。理不尽だ。

 

「じゃあメリーは……もう助からないって事なの」

「残念、だけども」

「なら私が死ぬっていうのは──」

「遅かれ早かれ、死ぬ事になる。メリーの支えは貴女。あの子を現実側に踏み止まらせていたのも、貴女。宇佐見蓮子の眼が、自分の境界を見失わない導となっていた」

 

 私の役立たずの眼。地図要らず以外に何の価値も無いと思っていたそれが、メリーを引き留め続けた鍵となっていたのか。うーん。

 ……そうなのか。

 

「導が消える事で私が生まれるのだから、そこまでは確定している。でも、逃げる事は可能よ。上手くメリーと関わらずに逃げ抜く事ができれば、本来の寿命を全うできるかもしれない」

「相棒の身に起きている事から目を逸らして、平凡な毎日を送れと」

「先に申した通り、終わりは遅かれ早かれの話ですので」

 

 

『……私のこと、忘れてくれてもいいよ?』

 

 

 メリーも同じく言ってたっけ。

 ……アイツはいつだってそんな調子。性根はビビリなくせして、いざ危険が迫ったら自分を差し出そうとする。私はメリーのそんな所が大好きだから、それをいつだって拒絶してやるのだ。

 

 紫と名乗るメリーを強く見つめる。

 

「ねえメリー。貴女の知る宇佐見蓮子は、それを真に受けて、ただ怯えて縮こまるような女だったの?」

「……」

「違うよね」

 

 くすりと、初めての笑みが溢れる。

 

「確かに、メリーの言う事を殆ど聞いてくれない、無鉄砲な相棒(蓮子)でしたわね。そんな気がします」

「そういう事。因果とか運命とか、そんなの知ったこっちゃないわ! 私がメリーを引き止める鍵になるのなら、私は自分の可能性に賭けてみる!」

「……頼もしい限りですわ」

「だから貴女も安心してよ。メリーが何度道に迷おうが、私が何度だって連れて帰ってやるんだから!」

 

 勢いに任せた勝手な発言だったけど、八雲の方々には好意的に受け止められたようだった。

 メリーと同じだとは思えないほど、妖しくて綺麗な顔を綻ばせ、満足げに目を瞑る。

 

「……橙」

「はい」

「蓮子を、お願いね」

「畏まりました。紫様こそ、お気を付けて」

 

 それが別れの合図だったらしい。橙さんは畳に頭を擦り付けると、しゃなりと立ち上がり私の手を引く。

「ありがとう」と。空に溶けるような声がした。

 

 退室して障子を閉めるなり、初めて会った時と同じ表情で終了を告げる。

 

「それではマエリベリー様の下へご案内いたします。気構えはよろしいですか?」

「ちょ、ちょっと待って。メリー……っていうか、御主人様から何かお願い事があるんじゃ? 私、ちょっと話しただけなんですけど」

「それで満足されたのでしょうね。蓮子様にとっても実りある話だったかと」

「それはそうだけど」

 

 釈然としない気持ちだ。

 

「紫様は、きっと蓮子様に会いたい一心で意識を戻されたのでしょう。ずっと昔からこの時を待っておられたので。私も感無量でございますよ」

「そんな途方もない時間なんて私には想像もつかないけど……救いになれたなら良かった」

 

「……本当に、羨ましい限りです」

 

 その一言に込められた意味もまた、私には知る由も無かった。ほんの僅かな恨み混じりでも。

 私に想像の余地はない。

 

 

 

 

 *◆*

 

 

 

 

 ──我が式、八雲藍に『身体』を。

 

 ──我が式の式、八雲橙に『能力』を。

 

 ──我が巫女、八雲霊夢に『名前』を。

 

 私の私たる要素をそれぞれ分割し、今日この日まで、守り抜く。そして蓮子に託す。

 蓮子という方舟を通じて次の世界に持ち込み『意思』を残すのが、幻想郷を犠牲にしてまで用意した唯一の突破策。私と隠岐奈が作り上げた『意思』が、次の八雲紫と共に忌まわしき螺旋を破壊してくれる。

 

 だけど藍が死んでしまった事で、身体は満足に用意できなくなってしまった。この不完全な状態でどこまでやれるかは未知数だ。

 もはや私にできるのは、これからを祈り、天命に従い死にゆくことだけ。

 

 もう二度と、悲劇が繰り返されませんように。

 どうか、失われてしまった愛しき幻想が八雲紫亡き後も永遠に続きますように。

 今度こそ、蓮子とメリーが想いを遂げられますように。

 

 

 

「ごめんなさい、蓮子」

 

 先程の言葉。私に向けてのものでは無いのに、無性に嬉しく思ってしまった。きっと、自分の時の蓮子も同じような気持ちでメリーに尽くしてくれたのだろう。

 

 故に心が苦しくなる。

 もう既に決まっているのだ。彼女の想いが果たされる事はない。メリーを現実に呼び戻せず、失敗してしまう。それを知っていて送り出した。

 

 彼女には肝心な部分を半分伝えなかった。

 八雲紫が誕生する、最後のプロセスについて。

 蓮子が歩む事になる残酷な最期を。

 

 話しても話さなくても結末は同じだろう。それでも伝える事ができなかったのは、私の弱さだ。

 

 蓮子は私の事をメリーとして扱い、接してくれた。それは彼女なりの真っ直ぐな優しさであり、メリーに対しての揺るぎない想い。

 

 でも違う、違うのよ。

 私は、メリーは……蓮子は……──。




  ↓
八雲紫誕生→→→→→→→八雲紫死亡|
      メリー誕生→八雲紫誕生|
              ↓
  ←←←←←←←←←←←←←
  ↓
八雲紫誕生→→→→→→→八雲紫死亡|
      メリー誕生→八雲紫誕生|
              ↓
            以下ループ


時が戻っているのではなく、八雲紫を起点にして、似たような出来事が起こる夢と現実を延々と繰り返している感じ。八雲紫は二度生まれ、一度死ぬ。
月の皆様がゆかりんを必死に殺そうとしていた理由です。
この辺りの話は若干ややこしいので後日補完的に書き直すかも。


八雲邸の内装が3人で暮らしていた頃のままで保持されている理由はご想像にお任せします。当然、管理しているのは八雲橙です。

また、岡崎教授が「アオハルだなぁ」と秘封倶楽部に婆臭い憧れを抱いていたのは、自分が13歳で院を卒業してることに起因するとかなんとか。


次回、秘封倶楽部編は最終話。
恐らくあと数話でゆかりん関連の伏線は全て回収し終える筈……?

感想や評価をいただけると完結に向けて励みになります。なります。

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