幻想郷は全てを受け入れるのよ。それはそれは残酷な話ですわ……いや割とマジで   作:とるびす

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禁忌の膜壁
【フェイクブルー秘封倶楽部】


 

 今となってはもう殆ど思い出すことのできない幼い頃の記憶。

 断片的に、限定的に、刹那的に蘇る私のそれには、いつも色褪せた海があった。

 

 簡素な部屋の小さな窓には収めきれないほどの広大な塩の湖。日の入り具合で表情を変える神秘性。寄せては返す白波の穂。全てを引き摺り込む恐ろしい魔力。

 海は飽きずに私へ色んな姿を見せてくれた。

 

 でも私は、そんな海が嫌いだった。気持ち悪く感じた。

 その事を両親や友達に話しても不思議がるだけ。私だけがおかしな感性をしていた。

 

 胸の中で燻る不快感の正体を掴めないまま歳を重ね、私は家を離れた。街を離れた。国を離れた。

 

 大人の身体に近付こうかという今なら、何となくだけど、その理由が分かる気がする。

 私は、海に日常を見出せなかったのだ。

 私の生活に偽物が混在しているような、異物に対する嫌悪感。乖離した心象風景。

 

 私はアレを偽りと断じていた。

 

 

 海は嫌いだ。

 なんだか私だけが、みんなと違う場所に取り残されているような気がするから。

 

 

 

 

 *◆*

 

 

 

 

 サマーシーズン到来ッッッ!!! 

 

 太陽照りつける地獄のような猛暑と、寒風吹きすさぶ冷夏が日によって反復横跳びするこの季節。そんな現世の地獄にも屈することなく、我ら秘封倶楽部はW県某市の海水浴場に向かっていた。

 ちなみに今日は猛暑側の地獄である。

 

 大規模な気候変動により、例年ならこの時期となる海開きは文字通りお開きになってしまっているのだが、なればこそだ。人混みは私達には似合わない。

 

「いやーそれにしても狭い車で悪いね蓮子くん、ハーンくん。快適な旅とは言えないだろうけど、まあゆっくり寛いでいてちょうだいね」

「いえいえ! 同乗させてもらえるだけでありがたいですよ。ね、メリー」

「うん……今日はありがとうございます」

「そんな気にすんなって! ほら冷たいもんでも飲みなよ。色々あるぜ!」

 

 運転席の岡崎教授、助手席にちゆり、後部座席に私達2人。計4人での車旅だ。

 次なる遠出先をメリーと練っていたところ、岡崎教授から「海にでも行かない?」との誘いを受け、これ幸いと乗っかった形になる。

 なんでもこの時代の水質を調査しに行くんだってさ。パラレルワールドごとに塩分濃度が違ったり、なんなら海岸線の形も結構違うみたいで色々興味深いわ。

 

 まあ、メリーもサナトリウムから帰還したばかりだし、いきなり境界調査っていうのもどうかなーって思ってたから丁度良いと思ったの。休暇は大切だ。

 当の本人はあんまり良い顔してないけどね。海が嫌いとか言ってたけど、泳ぎが苦手とかそういう話は聞いたことがない。意外な一面が見れるなら儲け物という事で無理言って連れてきたわ。

 

 メリーと岡崎教授達は初対面。さらに私からのメール報告のせいで奇人としての印象が強いのもあって、メリーの雰囲気が若干遠慮したものになっている。

 そもそも格好がいつも通り変だしね。真っ赤な服装と水兵服はやっぱり奇抜だ。

 私は大学の方でそれなりの頻度で会ってたからもう慣れたものだけども。

 

 気を利かせたちゆりから簡易クーラーボックスを受け取って、メリーが夏場にいつも飲んでいるスポーツ飲料を2本抜き出した。

 

「遠慮しないでね〜」

「教授! 後部座席がめっちゃ暑いんでエアコン付けてくれません?」

「ガソリンが勿体無いからダメ」

 

 内燃自動車なんていつの骨董品だろうか。

 まあまあ、と。メリーは私を宥めながら手回しハンドルで窓を開けてくれた。熱風が車内に吹き込んできて微妙な感じだ。

 

「──ところで貴女達の活動の要はハーンくんの能力にあると聞いたんだけど、確か境界を操る能力……だったかしら?」

「そ、そんな大層なものではないですよ。ちょっと変な境目が見えてしまうだけのものです」

「謙遜する必要はないわ。とても素敵な能力よ。そしてここ最近は発展著しいと聞くわ。裏側だけに留まらず現実にまで影響を及ぼせるほどに」

「自覚はないんですけど」

「ふぅむ、厄介な傾向にあるかもしれないわね」

 

 不意に脇腹を小突かれた。勝手に能力について話した事を咎めているのだろう。

 メリーには悪いけど、彼女の能力を話さない事には私達の活動を語れないんだから仕方がない。私なら自慢しまくっちゃうけどなー。

 

 ……ただメリーの能力が変に成長してきている事は伝えてなかったような気がする。いや、言ったような気もする。うーん? 

 

「そういう事も私達の見てきた世界では珍しくないわ。何か困ったら気軽に相談してね」

「まあ無能で出涸らしな私らに出来る事なんか何もないから、精々コーヒー淹れてお茶を濁すくらいしかできないけどな。あんまり信用するなよ──アイテッ!? ちょ、夢美様! 前見て前ぇえ!」

「もっと私に優しい言い方があろうがぁー!」

「うおおおおお!?」

「きゃっ」

 

 突如取っ組み合いの喧嘩を始める運転手と助手。当然ながら持ち手不在となったハンドルは高速回転を開始し、けたたましい音を立てながら路肩にタイヤを擦りまくる。年季の入ったオンボロワゴンなだけあって揺れと衝撃が凄まじい。

 慌てて身を乗り出して私がハンドルを掴む事で事なきを得たが、生きた心地がしなかったわ。

 なお隣の相方は黙々と謎空間を開いて脱出の準備を整えていた。こういうちゃっかりしてるところが頼りになるのよねぇ。

 

 

 

 案の定ガラガラな浜辺に青い海! 絶好の海水浴日和に気分が高揚する。今すぐにでも海に飛び込みたい。私の頭はそれ一色だ。

 だけどその前に一つの試練が待ち受けていた。

 

 メリーとちゆりがビーチパラソルなどの設置をしている間、私は教授に付き添って妙な機材の運搬をしていた。あまりの重さと暑さに視界が歪む。

 頭上を照り付ける太陽が酷く煩わしい。教授め、さてはこの為に私を連れてきたな? 貧弱なのは分かるが、細腕の女子大生にやらせる事ではないわ。

 

「お疲れ様。本当に助かるわー」

「ぜぇぜぇ……も、もういいですよね?」

「まあまあそう言わず、2人きりになった事だし水入らずでお話ししましょうよ」

「早く海に行きたいんですけど」

 

 私の切なる願いは教授に届かなかった。

 

「今だから言うけどね、蓮子くん。私はね、君とハーンくんの活動をあまり良いものとは思わない」

「……まあ犯罪行為ですし」

「いやそんなチープな問題ではなくて、生命を危ぶんでいると言っているの」

 

 私と目も合わせようとせず、妙な機械を弄りながら岡崎教授は言う。日々の活動について良い意見を貰ったことなど一度も無いが、彼女から咎められたのは意外だ。

 納得できない気持ちが強い。

 岡崎教授とちゆりがやっている事だって似たようなものじゃないか。秘封を解き明かそうとするこの気持ちを否定されて、気持ちの良い気分になる訳ないのは一番知っている筈なのに。

 

「怪異に近付き過ぎれば自然と身の置き場所もそれに似通っていく。境界を踏み越えかけているのを自覚しているのは良いけど、解明されていない物に首を突っ込むのなら、我々の想定を超えてくる事を前提として動かなければね」

「高説痛み入ります」

「別に咎めている訳じゃないのよ? ただね、貴女達はどう足掻いても目立ちすぎてしまうの」

「部員2人の零細サークルですよ?」

「分かっているくせに」

 

 宇佐見蓮子、渾身のすっとぼけ。

 しかし付き合う気はないらしく手を振って話を断ち切ると、浜辺に向かって指を指す。気怠げな様子で波に沿って歩くメリーの姿があった。

 

 ……まあね。

 

「自慢の相方なので」

「とんでもない厄介事を引き寄せるのだとしても構わないと」

 

 構わなくはないけど、そんなものでメリーとの冒険を止めてたまるもんか。

 

「メリーと出会って異能の力を知った時、天啓だと思ったわ。それからはトントン拍子で、私がずっと目指していた秘封倶楽部の再興が成ったんだもの。今でも夢のよう。恐ろしくて気味の悪い、素敵な力」

「運命を感じたのね。素敵な話だわ」

「物理学者が運命という重力を受け入れるんですか?」

「あるでしょ。私とちゆりは随分と長く旅をしてきたけど、運命に翻弄され続けてきたわ。この世にはどう足掻いても変えられない定めがある」

 

 それ以上、深くは聞かなかった。だけど前回ちゆりの言っていた『滅び』とやらに近いものだろうという見当はついた。教授の抱いている諦めがその証拠だ。

 

 考えてみれば絶望の連続だろう。

 未知の探究を是とする彼女らが『滅び』など受け入れる筈がない。どうにかそれを回避しようと試みていたのは想像に難くない。

 でも破滅は避けられず、数多の世界の最後を看取り、新天地に移るたび自身の力は弱まっていく。できる事がどんどん少なくなっていく。

 

 タチの悪いSF話だ。

 もし私とメリーがその立場に置かれたのなら、果たしてどういう行動を取るだろうか? 私達は運命に抗おうとするのだろうか? 

 そんな事、考えたところで無駄よね。

 

「世知辛いですね。何もかもが」

「まあね。だけど悪い事ばかりじゃないよ」

「?」

「私達の旅も、貴女達の活動も、何か意味があると信じた結果だったはず。だからこうして実が結ばなくても抗ってきたんでしょう?」

「……」

「未知の中に可能性と奇跡を見出すのが、探究者の務めよね」

 

 これまた科学者ならぬ言葉だ。やはり教授は私の知るどの人種にも当て嵌まらない。

 多少無理に例えて言えば、中世の魔女っぽいメンタルっていうのかな。

 

「奇跡とは『バグ』よ。運命という抗いようのない道筋……その側に転がる小石や小虫。または窪みに亀裂。大局で観れば些細なことなのかもしれないし、神や仙人から見ればあってもなくても変わらない無象の現象に過ぎないのかもしれない」

「……?」

「だけど奇跡において注目すべきは、その規模ではない。運命に極小の歪みを与えるその存在そのものである。要するに『塵積も』ね」

「運命は変えられないって先程」

「でも抗おうとする気持ちからしか奇跡は生まれないわよ。人が動いて初めて観測できるんだから。連続する小さな奇跡はこの世を塗り替えてしまうほどの大きな奇跡になるのかもしれない。……そうとでも考えてないと、やってられないよね」

 

 教授はカラカラと笑いながら私の肩を叩く。その力はあまりにも弱々しかった。

 

「私とちゆりの旅はそろそろ終わるけど、貴女達の素敵な冒険はまだまだこれからだもの。──相方への想いを忘れずにね。草葉の陰から応援してるわ」

 

 え、死ぬの? 

 急に遺言のようなものを宣い始めたので吃驚してしまった。真意を問い質しても教授は曖昧な笑みを浮かべながら機器の調整に意識を向けているだけ。

 やっぱり噛み合わないんだよなぁ。この人との会話は。

 

 

 私とメリーの出会いは最初から決まっていた事なのか、それとも教授の言う奇跡なのか。

 それを決めるのは未来の私達自身かな。

 

 

「という訳で我々はあっちの防波堤で調査してるから、蓮子くんとハーンくんはビーチで楽しんでらっしゃい。陽が沈む頃に呼びに行くから」

 

 どういう訳なんだか。

 勝手に置いて帰らないでくださいねと念押ししつつ、ちゆりと入れ替わる形で教授と別れた。あの2人は普段からふと目を離した隙に世界から消えてそうな気がしてならない。儚さとかは一切感じないのに不思議な話だ。

 

「岡崎さんと何を話してたの?」

「数理統計学について」

「随分と実のある話をしてたのね」

「そこそこ有意義な時間だったけど、海に来てまでやる話ではなかったわ」

「それに気付いてくれたようで何よりよ」

 

 呆れ顔のメリーいただきました。

 まあ普段の秘封倶楽部としての活動からして、世間一般的に観光地や禁足地ではやらないような事ばかりやってる訳だし、今更ではある。

 

 メリーの言う通り、今日は思いっきり羽を伸ばしに来たのだ。満喫しなきゃ損よね。

 普段内陸に住んでるから海で遊べる機会なんてそうそう無いし。

 

 パラソルの日陰に身を寄せてメリーの隣に座る。細波はすぐそこだ。

 

「海ね」

「そうねぇ」

 

 海である。

 

「……」

「……」

「……泳ぎませんかハーンさん」

「行く前から海が嫌いって言ってるでしょ。眺めてるだけで十分よ」

「泳げないのを隠したいだけだったりして」

「あらこう見えて水泳は得意よ? 地元じゃエーゲ海のドブ貝なんて言われてたわ」

「それ褒められてないと思いまーす」

 

 間抜けな事を言いながら嫌々な雰囲気を隠そうとしない。ビーチパラソルに掴まって梃子でも動かない事を態度で示している。強情ね……! 

 無論、そんな事は許されないので無理やり服をひん剥いて浅瀬に投げ飛ばしてやったわ。

 

 下が水着で助かったわねメリー! 

 

「あらあら、これじゃ瀬戸内海のドブ貝ね」

「宇佐見蓮子ぉ……!」

「あはは漸くやる気になったわねメリー。……ってそれ反則あばばば!」

 

 メリーがやったのは海中に謎空間の入口を開いて、出口を敵の頭上に置くだけ。それだけで私の優位は喪失してしまった。

 滝のように叩きつける急転直下の瀑布に、私の着ていた衣服が全滅したのは言うまでもなく、あまりに残酷な過剰報復という他ない。

 

 ぐぬぬ許すまじマエリベリー・ハーン! 

 

「もぉーびしょ濡れ! これでどうやって帰れっていうのよー!?」

「水着か裸で帰ればいいでしょ。メリーさんは何も知りません」

「くぅ……! この駄肉妖怪めっ!」

「は、はぁ!?」

 

 こうなってしまってはもはや戦争しか道はない。秘封倶楽部史における通算十数回目くらいの内紛である。

 互いに取っ組み合って浅瀬を何度も転げ回る。もう全身が海水塗れ、砂塗れだ。

 真夏の暑さに頭をやられてしまったのだろう。狂気じみた戯れに笑いが止まらない。

 

 だけどまあ、肉体の勝負になってしまったら私に勝ち目はないので、最後には白旗を振る羽目になるんだけどね。とほほ……。

 仰向けにひっくり返りながら投了の意を示す。

 

「きょ、今日はこのくらいにしておいてあげるわ」

「はいはい。いつか決着するといいわね」

 

 勝ち誇った顔が気に食わないわ。

 それに、このまま私の戦績に土が付いたままなのも気に入らない。

 

 シャツと黒スカートを脱ぎ捨て、乙女蓮子のビキニを披露。そのままザブザブと入水して、腰の辺りまで浸かると教授達のいる防波堤を指し示す。

 私の意図を汲み取ったのだろう、メリーが不適な笑みを浮かべる。

 

「一日に二度の敗北……言い訳できないわよ?」

「ふふん。ここだけの話、私も結構泳ぎに自信があったりするのよ」

 

 というか、運動全般得意なんだけどね。メリーに敵わないだけで。

 だが技術では負けてない筈。潮の流れを予め計算し、波の動きを我が物とすれば。

 よし、勝てるわ。

 

「バタフライの蓮子ちゃんと呼ばれた私の超絶美技に恐れ慄くといいわ!」

「あら、エーゲ海のマーメイドと謳われた私に勝てると思って?」

「詐称すんなドブ貝!」

 

 復讐の第二ラウンドが幕を開ける。

 

 なお私は敗北した。

 おかしい……何故勝てない……。

 

 

 

 

 

「あー疲れたー。陸に上がりたくなーい」

「蓮子ったら張り切り過ぎなのよ。泳ぎのコツでも教えてあげようか?」

「ふっ……勝者の施しは受けない」

「あっそ」

 

 浮き輪に乗って波に揺られるだけの時間も悪くない。この心地良さが敗北の傷を癒してくれるわ。気にしてなんかないもんね。

 というかメリーの泳ぎはお世辞にも上手いとは言えないと思う。滅茶苦茶な動きが何故か泳法として成立しているのだ。ていうか身体スペックが高いだけで運動音痴寄りだしね、メリーは。

 

 取り敢えず今度時間がある時にメリーには内緒で室内プールにでも行こうかな。別に何も気にしてないけど泳ぎの練習がしたくなったのだ。本当にそれだけ。他意はない。

 

「海って良いよね。できる事なら毎日行きたいわー」

「夏限定でしょそれは。どうせ飽きるわよ」

「メリーったら海水より冷たいねぇ。そういえば海はそんなに好きじゃないんだっけ?」

「まあね」

 

 ふと思い出した事をそのまま聞いてみる。

 嫌いって言う割に泳ぎが得意って変な話よね。プールとか河川は別って事かもしれないけど。

 

「でもさ、楽しそうじゃん」

「え? そう?」

「なんなら私よりも」

 

 揉みくちゃになって暴れてる時なんてバカ笑いしてたしね。私も今回の二連戦を制する事ができていれば勝利の美酒に酔いしれて、もっと楽しい気分になれたかもしれないけど。

 兎に角、メリーは楽しそうだった。

 メリーの療養を兼ねての海水浴だったから計画自体は成功だろう。海が嫌いなんて言われた時はホントどうしようかと思ったわ。

 

 自分が抱いた気持ちの理由が分からないのか、メリーは不思議そうに首を傾げている。

 

「そもそもメリーって名前からして海と相性良さそうに思えるけどね」

「そうかしら? 由来とかも聞いた事ないし、あんまり気にした事ないけどなぁ」

「イカしてると思うわ」

 

 マエリベリーの綴りはラテン語圏だとMaribelだったと思う。『海の星(マリベル)』って意味になる。

 これが正しいかは知らないけどね。『mulberry(桑の実)』かもしれないし。何にせよ色んな意味が考えられるのは良い事だ。私なんて蓮の女の子だもん。

 

「まっ、どう解釈するかはメリーの自由よ」

「うーん……蓮子に任せる」

「なら『my reverie(私の幻想)』の方がいいかな」

「よくそんなにポンポン出てくるわね」

 

 呆れた様子で、だけど可笑しそうにメリーが笑う。夕暮れに差し掛かろうかという茜色の陽光が艶やかに照らし出している。

 ……何やっても映えるのは狡いわ。

 

「そろそろ教授達の所に戻ろうか。暗くなったら危ないだろうし」

「ええ、夜の海はさぞ良からぬ境界が漂っているでしょうしね。私は兎も角、泳ぎが下手な蓮子が心配だもの」

「しつこい!」

 

 いつか吠え面をかかせてやるんだから。

 砂浜へ上がった途端に、重力がいつも以上に煩わしく感じる。大分長い時間浸かっていたからだろう。その代わり、熱砂が幾らかマシになっている。足裏を火傷しなくて済みそうだ。

 

 乱反射する水面を背景に波打ち際に沿うようにして、メリーと一緒にえっちらおっちら歩みを進める。

 

「ありがとうね、蓮子」

「うん?」

「貴女のおかげでやっと海の事が好きになれそうよ」

「それは良かった。どういう心変わり?」

「分からないわ。だけど貴女がいるだけで、色褪せてた不快な水溜りがこんなに綺麗で素敵に思えるんだもの。偽物が本物に変わったのは、きっと蓮子のおかげ」

「おうおう嬉しい事言ってくれるじゃないの! まっ、メリーは私が居ないとダメダメだもんね」

「なんか釈然としない……」

 

 納得していない様子だけど、積極的に否定しないのはそういう事なのだろう。かく言う私もメリーが居ないとダメダメだから、私達にとっては今更な話だ。

 やっぱり2人で一つの秘封倶楽部、なのかしらね。

 まあ、初代のあの人は1人で切り盛りしてたらしいけど。大したものだ。

 

「ねえ蓮子。明日からは以前よりもっともっと活動していきましょうか」

「あらら珍しい。えらく乗り気ね」

「なんだか休んでた間の時間がとても勿体なく思えてきたの。ほら私って蓮子が居ないとダメダメらしいし、実際のところ療養期間はあんまり楽しいものじゃなかった。"本物の"海を見たら尚更そう思えたわ」

「あはは……よーし、そうと決まれば早速考えちゃうわ! 日付が変わるまでには良さげな場所を見つけておくから楽しみにしててちょうだい!」

 

 腕が鳴るとはこの事だ。

 

 ただ……一抹の不安はどうしても拭えない。メリーの能力が酷く不安定なのは慣れたものだが、毎回失神されると流石の私も心配になるわ。

 岡崎教授の言う通り、メリーの異能はあまりに特別だ。向こう側の観測し得ない世界を限りなく身近にまで引き寄せてしまう。彼女自身、自分がどちらに身を置いているのかすら曖昧になる時だってある。

 

 海の色と同じ、透き通るような青の瞳には抗い難い魔力が宿っている。

 

「ねえメリー」

「ん」

「私は貴女の行きたい所、全部に付いて行くからね。忘れないでよ」

「置いていくわけないじゃない。蓮子と一緒じゃないと楽しくないんだってば」

 

 やはり私達は酷暑に頭をやられてしまっているらしい。じゃなければ、こんな狂気じみた事を言えるはずがない。きっと、暑さのせいだ。

 そう思うとなんだか安心できて、メリーと笑い合う。きっとこれで良いのだ。これで。

 

 

 

 自宅に着いたのは日付が変わろうかという頃だった。私もメリーも遊び疲れてクタクタで、教授の乱暴な運転に揺られながらも深く眠りについていたように思う。

 

 すぐにでもベッドに倒れ込みたい気持ちを抑え込みつつ、疲れ果てた身体に鞭打つ。

 明日からの秘封倶楽部再始動に備えて、ほんの少し調べ物をしておこうとデスクに向き合い、ポケットから一つの手帖を取り出し眺めながら据置端末を叩いた。

 

 真夜中2時を過ぎ、そろそろ就寝しようかと寝惚け眼を擦る。ふと携帯端末が青白く光っているのが目に入ったので、手に取って何となしに通知を眺める。

 教授からだった。

 

【今日はもう家から出ないように。早く寝て明日に備えなさい】

 

 教授がメッセージを送ってくる際は無駄に長文となる事が多いのだが、今回はヤケに短い一文が添えられただけの簡素な内容だった。

 突然だったので【何かあったんです?】と返信するも、応答無し。既読すら付かない。ていうか私が起きているのを何故知っているんだろう。

 

 不思議に思いながらも、教授の奇行は今に始まった話でもない。言われなくても寝ますよ、と心の中で唱えながら、私は床に就いた。

 明日からも続いていくだろうメリーとの素敵な日々に胸を躍らせながら。

 

 

 明朝、いつも通り時間ギリギリで大学に向かおうかという時に呼び鈴が鳴る。警察だった。

 もしや今までやらかした事がバレたのかと肝を冷やしながら応対したところ、ただの事情聴取とのことで、胸を撫で下ろす。

 

 でも、続いて伝えられた内容が、私の思考を完全に凍て付かせた。

 

 昨夜メリーが自宅の前で凶漢に襲われ、大怪我を負ったというのだ。

 匿名の通報により現場へ駆け付けたが、犯人はまだ見つかっていないらしい。違う、そんなのは今どうだっていい。

 兎に角身体が芯から震えて、まるで自分のものじゃないようだ。丁寧な物腰で何やら話している警官の言葉を聞き取る術はなく、呆然と突っ立っていたように思う。

 メリーの状態を知る事しか頭になかった。

 

 聴取の内容とか、どんな事を話したとかはあまり覚えてない。気付いた時には時間は15時を回っていて、市内有数の大病院の前に立っていた。

 受付に駆け込んでメリーとの面会を求めたがにべもなく断られた。それが暗に示す事とは、簡単に会えるような状態ではないのだろう。

 

 何か進展を求めて待合室で何時間も粘ってみたけど、結局メリーに会う事はできなかった。

 失意の中、私は祈るように項垂れる事しかできない。やるせない気持ちと無力感が恨めしい。

 

 

 

 

 メリーの目は光を失った。

 外的な強いショックに加えて、眼球に無理やり流し込まれた薬品の作用により、その視力を著しく低下させた。そして失明したのだ。

 

 それを聞いた時、私は何を考えただろうか。メリーに対し何を想っただろうか。膨大な思考に塗り潰されて視界が真っ暗になっていったことだけ覚えている。

 辛い想いをしているだろう相方にどう寄り添えばいいのか、私はそれを考える事すら恐ろしく感じた。

 

 秘封倶楽部はいつまでも続いていく。私とメリーの情熱が続く限りいつまでも。

 

 その幻想が崩壊へとにじり寄って行く様は酷く非現実的だ。今そこまで迫っているものなのだと私に認識させるには、あまりに惨たらしい現実だった。

 

 

 鏡に映る私は酷い顔だ。赤みがかった瞳が、まるで兎のように更に真っ赤に腫れ上がっている。こんな顔じゃメリーには見せられないな、なんて見当はずれなことばっか。まだ夢を見ているような気分だった。

 

 何度だって宙を見上げる。下を向いてしまわないように。涙が溢れないように。

 

 23時37分29秒。私はここに居る。

 これが決して夢でない事を、私の無価値な目を通して星と月が教えてくれた。

 

 

 

 私とメリーの旅は、あと少しで終わりを迎える。





ゆかりんは泳ぎが得意
ゆかりんは男の人と話すのが苦手

最初はメリー視点で失明までの経過を書いていたんですが、あまりにも胸糞が過ぎたため代わりに蓮子が悲しむ事になりました
でも実は……?

『マエリベリー』ですが、蓮子が発音しにくい名前とのことなので、マエの部分の発音は[mæ]だと思うんですよね。ただ八意xx様みたいに正確な発音ができない名前という線もあるので、何とも言えない

次回、あの子が登場しちゃうかも

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