幻想郷は全てを受け入れるのよ。それはそれは残酷な話ですわ……いや割とマジで   作:とるびす

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2023.6.13 挿絵追加しました


黄昏と黎明の境界※挿絵あり

 最悪の目覚めだった。

 知らない天井と埃っぽい和室の匂い。

 

 寝心地の悪い低質な布団。身体中に束縛するかの如く巻き付いた包帯。意識が飛びそうになる程の耐え難き激痛。理解を拒むほど恐ろしい悪夢。

 全てが不快の極みだ。

 

「残念、悪夢じゃないわ」

「……心を勝手に読まないでもらえますか」

「貴女が言うか」

 

 一番に視界に飛び込んできた顔もまた、さとりを嫌な気分にさせてくれた。

 幼い姿の八雲紫。ドレミーが用意した仮の身体。さとりが言うところの『擬き(AIBO)』である。

 

 行方不明のまま放置していたものだからてっきり死んだのかと思っていたが、ちゃっかり生き延びていたようだ。擬きが生命体か否かは意見が分かれるだろうが。

 ふと、側の障子から降り注ぐ木漏れ日に目を遣る。少なくとも一夜、時間を無駄にしている。

 

 風景からして地上は確実。

 博麗神社か。

 

「貴女が呑気に寝ている間に大変な事になりました。そうね……悪い知らせが三つ、良い知らせが一つあるけど、どうします?」

「相当厄介な事態になっているんでしょうね。正直、気が参っているので良い知らせからで」

「この数週間、私と上白沢慧音は『私』に拉致されていました。しかしこうして脱出に成功した次第ですわ。まあ、もう力はほぼ残っていないので出来る事は殆どありませんけども」

 

 期待していた訳ではないが、良い事があまりにもショボい。さとりの頭は重くなるばかりだ。

 

「それで悪い知らせですが、一つ目は……まあそれよね」

「……」

 

 自分の胸元、サードアイへと目を向ける。

 縦に裂傷が走っており、瞼が動かない。ダメにされたのは明白だった。こいしが念入りにサードアイをナイフで痛め付けておいたのだろう。

 おかげで読心が全くできなくなっていて、さとりは使い物にならなくなってしまった。心を読めない覚妖怪に価値は存在しない。

 

 乾いた笑いが溢れる。

 

「私は、こいしのようにはなれないんですね。サードアイを失ったという点では同じである筈なのですが」

「それは貴女に適性がないからですわ。狭間(境界)に生きる化け物としての質が妹に大きく劣っているの。逆に言えば、それ故に八雲紫に魅入られずに済んだ」

「喜ぶべきなのですかね……」

「当然ですわ。でなきゃ貴女、今頃向こう側に連れて行かれていたわよ」

 

 面倒臭そうな、うんざりした様子で扇子をパタパタと仰いでいる。八雲紫の手に堕ちた強大な存在達の多さに辟易しているのだろう。もはや手駒の質は幻想郷随一だ。

 その集団にさとりが加わるような未来があったのなら目も当てられない。

 

「次です。宇佐見菫子は貴女達の手の届かない場所に連れて行かれてしまいました。何か問題があったようで未だ力は奪えてないようですけど、まあ時間の問題でしょう。外部からの介入がなければいずれ彼女の願いは成就する」

 

「なんたって側に優秀なブレインが付いてますもの」と。これまた面倒臭そうに呟く。

 自分が紫を止めきれなかった以上、やはり避けきれないかと奥歯を噛み締める。妹紅かてゐあたりが何とかしてくれれば、なんて期待は少々酷だろう。

 

 だが紫がまだ目的を達成できていないのは不幸中の幸いだ。どうせ何かガバっているに違いない。

 

「手の届かない所、とは?」

「全ての境界の交錯地。死と夢、夜と黄昏、八雲紫そのものと言っても過言ではない空間ですわ。我々の居る世界とは強固な境界により隔てられていて、侵入する方法は限りなく少ない。私と慧音も幾らか手段を試しましたが、あの境界を踏み越えるのは容易ではないでしょう」

 

 不可能とは言わないのが実に擬きである。

 ほんの数瞬、擬きは瞠目して自身の考えを語り始める。珍しく言葉を選んでいるようだった。

 

「なるべく犠牲が少なく、かつほぼ確実に侵入する手段としては貴女の能力とドレミーの能力、これらが有効"だった"と考えられる」

「……だった?」

「これが悪い知らせ三つ目。貴女が刺されている頃かしらね、青娥娘々の記憶を全て把握したドレミーは貴女の計画の失敗を悟った。なのでせめて完全な敗北とならぬよう、囚われていた私達を外に出してくれたの」

「……」

「で、当然気付かれた。私と慧音も応戦したけどあえなく返り討ち」

 

 淡々と語る様からは想いを感じ取れない。サードアイが使えないのもあるのだろうが、擬きはどこまでも機械的な存在なのである。

 だがそれでも圧倒的な戦力差、そして当時の絶望が容易に想像できた。

 

 確認できただけでも封獣ぬえ、洩矢諏訪子、古明地こいし、八雲藍と錚々たる面子であり、更に厄介なのは『これで全員ではない』という事だ。

 実体としては存在しなかったが、擬きは他の狭間の匂いを嗅ぎ取っていた。今頃は調整も終えて、仮に次があれば間違いなく追加が出てくるだろう。

 

 結果、擬きは力を使い果たし、慧音は再起不能となる重傷を負い、そしてドレミーは死んだ。

 ついでに邪仙の仮死体も消えている。

 

 恐らく、大人しく静観していてもドレミーは襲われていただろう。今の紫には、自身を阻む可能性のある存在全てを害してしまう危うさがある。夢を掌握する獏が狙われない訳がない。

 それを察知したからこそ、ドレミーは最後に一矢報いる為に擬きと慧音を助け出した、そんな経緯が想像できる。あの獏は真面目な仕事人だから。

 

 ドレミーの最期に、さとりは悲痛な表情を浮かべた。

 

「容赦、ないですね……」

「する必要がないからでしょう。アレの願いが叶えばドレミーが死のうが貴女が死のうが、後から幾らでも修正できるので」

「やはり、そういう事ですか」

 

 擬きの一言で全てを察し、深く項垂れる。想定していた中でも最悪に該当するパターンだった。

 

 

「だから隠し事はもう金輪際やめなさい。次、黙ってたら退治するから」

 

「っ!? 霊夢、さん……」

「何があったかは死にかけの連中から聞いたわ。後はアンタ達だけよ」

 

 肩をビクつかせながら声の発生源へと目を向ける。

 襖を背にいつの間にか腰掛けている博麗の巫女。愛用のお祓い棒が小刻みに揺れている。部屋の重力が何倍にも膨れ上がったように感じた。

 心を読めなくなったさとりにとって、博麗霊夢の登場は心臓に悪過ぎた。冷や汗が止まらない。

 

 彼女の目に宿るは激しい怒りだ。

 その矛先が紫に向いているだけまだマシなのだろうが、オマケ達(さとり&擬き)に対する圧力でも相当だ。かなり腹に据えかねていると見える。

 

「随分と御立腹な様子ね」

「当たり前でしょ。ウチの裏庭を散々荒らして、おめでたい祭りを台無しにして、バカみたいな数の怪我人を出して、挙句に幻想郷を捨てた? 何の冗談よ?」

 

 一息に捲し立てて、拳を畳に打ち付ける。破裂音とともに神社が傾いた。

 自身で展開した結界がなければ境内もろとも消し飛んでいたのは想像に難くない。

 

「アイツは幻想郷を捨ててまで何をしようとしている? 一から十まで一切合切滞りなく答えろ」

「答えたらちゃんと『アレ(八雲紫)』を殺してくれるのかしら? それ以外に止める手段はもうなくてよ?」

「無駄口を叩くな。私の質問に対して簡潔な答えを用意しなさい」

 

 腹の探り合いなんて段階はとうに通過した。擬きとさとりに選択肢など存在しないのだ。

 霊夢の中にあるのは敵か味方か、それだけだ。

 

 頼もしい限りであると、擬きは満足げに頷く。消沈しているさとりの代わりとなる。

 

「では答えましょう。アレの目的は自らを苦しめる夢から覚める事、より良い現実を手にする事です。その必要経費として幻想郷を手放した」

「話聞いてる?」

 

 擬きの役目は語る事のみ。

 

「あの化け物は夢と現実の区別ができていない……もとい、直視しようとしていないのよ。性質の問題ね。だからこの混沌に満ちた世界を悪夢だと切って捨てたの」

「逃げたってわけ?」

「自分の記憶を壊してまで逃避を続けていたアレに、自身にまつわる悲劇を受け入れるような強さはなかった。でもそんな努力も虚しく全てを思い出してしまったなら、取れる手段は二つよねえ」

 

 更に逃げるか、諦めて死ぬか。

 

 擬きやさとりからすれば可愛らしいものであった小心者な性根が悪い方向に作用した。

 紫は自己愛の塊でできたような保身第一な妖怪だが、同時に他人の不幸事を自分の事のように悲しんでしまう、いわば自他の境界の薄さを併せ持っている。

 悲劇の上に成り立った自分の妖生や幻想郷を受け入れられなかったのだ。

 

「アレに高尚な理念なんてものはありません。自分の心を守る為に、幻想郷成立の過程で起きた悲劇や、狂わせてしまった者たちの悲しみを無くしたいとでも考えているんでしょう。私や過去の自分が犯した悪事の贖罪」

「過ぎたことをどうやって無くすのよ」

「簡単な話、時を遡る」

 

 時といえば十六夜咲夜に八意永琳、ついでにチルノの畑である。しかし彼女らを以ってしても時間逆行は擬似的なもので精一杯だ。どれも純正ではない。

 八雲紫から発生する因果が時の流れに逆らう事へのハードルを格段に上げているのだ。定められた運命が時空に厚みを持たせている。

 故に短時間かつ、夢の世界や並行世界を利用した場合のみ許される危険な冒険となる。

 

 そしてチルノや紫の方法は、言ってしまえば馬鹿の極み。緻密な理論などカケラも存在しない。凡そマトモな方法でないのは言うまでもないだろう。

 

「須臾とは生き物が認識できない僅かな時のこと。時間とは、認識できない時が無数に積み重なってできています。時間の最小単位である須臾が認識できないから時間は連続に見えるけど、本当は短い時が組み合わさってできているの」

「う、うーん? なんか似た話を月で聞いたような、聞かなかったような」

「要するに紐の繊維を解くように、少しずつ途方もない時間をかけて須臾の境界を越えていくのです。幾億幾兆なんて低次元な数ではない、限りなく無限に近い境界だけど」

「……」

「……あの人はアホなんですか?」

「知っての通り」

 

 力技も力技。尋常ならざるアイデア。

 流石のさとりも紫がそんな事を考えていたとは把握していなかったので、霊夢と共に呆れるしかない。

 

 しかし不可能では無いのは確かだ。

 今は道筋すら存在せずとも、それを切り拓くだけの力をかつての八雲紫は有していた。

 

「じゃああの菫子って娘を狙う理由は何?」

「宇佐見菫子の力が無いと時を遡るだけの"根拠"を得られないから。今のアレに何もかもが足りていないのは明らかよ。例えば妖力の出力、次に境界操作の技術。そして一番大切な、自分の位置を測る力」

「……押し寄せる歴史の波を逆流し、因果の大海原のど真ん中を漂流するのなら、何より大切なのは自身を見失わない事、ですか」

「話が早くて助かるわ」

「早すぎるわ! 私に合わせなさい」

 

 会話から弾き出されそうになり慌ててツッコミを入れる。霊夢は情報弱者である。

 というより、意図的にさとりの構築した情報網から霊夢は弾き出されていた。不用意に紫に関する情報を与えても不確定要素が増えるだけだと判断されたからだ。

 博麗霊夢は諸刃の剣であるという認識は、やはり擬きやさとりの間でも共有されていた。

 

 だが事ここに至っては、さとりに選択肢はない。毒を飲み込むしかないのだ。

 一息ついて擬きを見遣る。

 

「例の件、霊夢さんに話してもいいですね?」

「……」

「では代わります。──今ばかりは勘弁してあげてくださいね霊夢さん。その人はこの事を話せないようにできているんです」

「慧音から聞いたわ。式神みたいなもんなんでしょ? 擬きは」

「生誕の過程は同じでも素材と役目が全くの別物ですので、似て非なる方ですよ」

 

 表情を覆い隠すようにして擬きは扇子を広げる。先程までの堂々とした態度が完全に鳴りを潜めている。それほどまでに不都合な事なのだろう。

 

 八雲紫が他者に伝えたくなかった何か。

 それはきっと──。

 

 

「紫さんは今より遥か先の未来で生まれる人間が妖怪に転じた存在、その半分です」

 

 

 不条理に塗れている。

 

 

 

 *◆*

 

 

 

 

 酷い寝心地だ。

 最悪の気分で目が覚めた。

 自宅のベッドのような柔らかさは無く、ひんやり冷たくて、ゴツゴツしてて、硬い感触。

 

 霞む目を擦って周りを見渡す。

 

 アスファルトの上に座らされていた。大きな壁を背凭れにしているようで、ふと首を上げるとてっぺんが見えないほど長大なビルがあった。

 まるで彫刻のように、数え切れないほど何本も生えている。東京よりも凄い。

 

 目が痛い。眩しい。

 私の住んでいる町も中々に発展しているが、これとは比べ物にならないわ。

 でも何故だろう、人の気配がしなかった。

 

 と、何か固いものを打ち付けるような音がした。路地の向こうから段々と大きくなっていく。

 靴音だ。

 

 建物と建物の隙間。真っ暗な影から月のように明るい金の髪が覗く。菫色の宝石が浮いている。

 メリーと呼んでいた馴染みある姿では無く、幻想郷で何度も私ともこたんの前に立ちはだかった姿。

 酷くふらつく身体に鞭打ってなんとか立ち上がり、目の前の友人を睨み付ける。

 

「おはよう菫子。ご機嫌いかが?」

 

「っゆかりん!」

 

 どの口が言うかと言ってやりたかった。

 でも一番に私の口から溢れた言葉は、そんなものじゃなかった。ゆかりんに対しての非難だった。

 

「なんで……どうしてもこたんにあんな酷い事ができたの!? 私の大切な恩人だったのに!」

「貴女と私の繋がりを阻むからよ。それに彼女は諦めを知らないからねぇ、ならば飴を与えて懐柔するしか無いでしょう? 死という決して口にする事のできないはずだった甘美な飴を」

「もこたんに会わせて!」

「別にいいけど、多分話はできないわよ。悪い事は言わないからやめておきなさいな」

 

 不思議な感覚だった。

 ゆかりんの目を見ていると、感情が言葉に乗って伝わってくる。本気で私を労わろうとする心が、この時ばかりはこの上なく恐ろしく感じた。

 

 ふとゆかりんの背後に目を向けると、同じく路地の奥から女性が現れる。二つの突起がある変わった帽子に、ゆかりんのような金髪、恐ろしいほどに整った顔。そして一番目立つのが沢山の尻尾。

 チャットで見たことがある。確か、ゆかりんの家族の人だ。藍さんだっけ? こんなに狐な感じだとは思わなかったけど。

 

「紫様。準備ができましたので此方へ」

「いえいえそれには及ばないわ。今は歩きたい気分なの。散歩がてら菫子と一緒に向かうからお構いなく」

「左様でございますか。ではご一緒しましょう」

 

 蠢く尻尾のうち一本が私に絡み付き身体を持ち上げる。負担は全く無くて、むしろ心地良さすらあった。先程とは文字通り雲泥の差だ。

 

「身体の調子はどう? 慣れないうちは無理しないようにね」

「えっと、別に変な所はないけど」

「案外鈍臭いのねぇ。下を見て、下」

 

 言われるがまま視線を落とす。

 ……あれ、もしかして腕と足が伸びてる? 着てる服も、もこたんが買ってくれた物じゃなくて、現代風のチェック柄の服になっている。

 

 訳が分からない。私の身体じゃないみたい。

 何より不思議なのが、まるで最初からそうだったかと錯覚させる程の違和感の無さ。

 自分を見失ってはいない。だけどこの姿も私なんだと納得してしまう奇妙な感覚。

 

「小学生の身体だと少し問題があってね、全盛期の身体に調整しておいたわ。その姿が貴女の超能力を最も強力に発揮できる時よ」

「そ、そんなぁ私もうすぐ修学旅行だったのにー! 戻してよ!」

「これから私と一緒に修学旅行よ。山城(京都)大和(奈良)に行く予定だったんでしょう? 生で見せてあげるわ」

「私はまだ小学生がいいのっ!」

「貴女はもう元に戻らない方がいい」

 

 サイコキネシスでゆかりんと藍さんを縛り上げようとしたが、逆に私が動けなくなった。呼吸以外、一切の動作が封じられてしまった。

 力の発生源はゆかりんでは無く、尻尾で私を包んでいる藍さん。まだ身体の使い勝手に慣れてないのを差し引いても、私が力負けするなんて……! 

 

「本来ならば、貴女が幻想郷に来るのは7年後くらいだったのよ。その容姿は一つ前の八雲紫(AIBO)が記憶していた、ちょうどその時のもの。女子高生の宇佐見菫子ね」

「なら私はラッキーだったってわけね。小学生で幻想郷に辿り着けたんだから」

「その通り、幸運だったわね」

「うっ」

 

 微笑み掛けるゆかりんから思わず目を逸らしてしまう。

 

「一つ前の貴女は幻想郷を覆う博麗大結界を内部から破壊させ、侵入を試みたの。その結果、幻想郷と貴女の世界は繋がった。好奇心だけで突き進んだこの行為、結末はどうなったと思う?」

「どうって……」

 

 細くしなやかな指が頬を撫でる。

 安心させるように、想いを受け取ってもらう為に。

 

「少なく見積もっても日本だけで2000万人が即死したわ。虚構の波に飲まれて、これまで連綿と紡いできた記録の殆どが初めから存在しないものとなった」

「にせ……え?」

「幻想郷とその他の内的なエネルギーの比率は平等じゃない。永遠と錯覚するような永い時を経て絡み付いた因果が、膨大な質量を彼方へ押しやる衝撃を生んだ」

 

 声が出なかった。

 紫の言葉に嘘はない。

 

「単独でこれだけの人数を殺したのは貴女を除いて1人だけ。黒谷ヤマメっていう土蜘蛛なんだけどね、世界中に病原体をばら撒きまくった時期があったの。それと同程度」

「……」

「この話を聞かせるだけでも貴女を成長させた意味があるわ。年端のいかない子供にあんまりショッキングな話や光景を見せたくないもの」

「私も、その……一つ前の私? と同じ運命を辿る予定だったってこと?」

「因果は巡る。同じ出来事がそっくりそのまま起きる事はないけれど、大体似たような事象は必然的に発生するの。つまりそういうことね」

 

 途方もない話で実感が湧かない。未だに夢心地な気分なのかもしれない。実際のところ気分は最悪グロッキーなんだけど。

 私でない私が大量殺人鬼だなんて……。いや、故意では無さそうだから過失での殺人か? どちらにしろ犯罪に違いない。

 

 抵抗の意志がないのを確認したんだろう。藍さんが念力での拘束を解いてくれた。

 ゆかりんと戦ったところで勝てないだろうしね。今は大人しくしておくが吉だと判断する。

 

 路地を抜けてビル内部へ。エレベーターを使わずに階段で登っていく。

 

「じゃあゆかりんは……私がとんでもない事をしでかすのを止めるために、夢やチャットで私に優しくして、幻想郷に招いたってわけ?」

「それはついでよ。私は貴女そのものに興味があったの。でなきゃこんなに愛おしく思うはずないじゃない。ね?」

「うっ」

 

 思えばゆかりんには随分と可愛がってもらったものだ。だから私もゆかりんの事が大好きになってすぐ懐いた。何か打算的なものがあったのだとしても、あの奇妙な時間は私にとって救いだった。

 人と群れるのが苦手な私がゆかりんとの絡みを成立させる事ができたのは、想いが一方通行ではなかったから。今の怖いゆかりんと話して確信した。

 でもそれをわざわざ口に出すのは違うと思うんだよね。

 

 あと負担には感じないんだけど、藍さんからの圧が段々強くなってきてるような気がする。えっなに? そういうこと? 勘弁してくれないかな……。

 

「実はね、私と貴女の間にはとても深くて近しい縁がある。時空と夢幻の境界すら超越でき得るほどに強固な、素晴らしい繋がりが」

 

 そう告げると同時に、階段が突き当たりに到達した。あんなに大きなビルなのにあっという間に最上階に着いてしまった。距離と時間の概念がおかしくなっているのだろうか。

 煌びやかな外観からは程遠い、寂れた鉄扉を藍さんが蹴りでこじ開ける。まるで紙切れのように彼方へと飛んでいってしまった。おお怖。

 

 どうやらこの町……というか、都市の中では一番高い建物だったようで、全てを一望できる。どこまでも延々と漆黒の摩天楼が続いている。

 自然を一切感じないけど、風だけが無駄に強い。

 気味が悪かった。突っ立っているだけの建物に恐怖を覚えたの初めてだ。

 

「貴女の超能力はね、私が遠い昔に手放してしまった力の起源なの。だから貴女が共に居てくれれば、私は力を取り戻し、何だって出来るようになる」

「……」

「分かって頂戴ね。貴女の為でもあるの」

「嫌だって言っても聞いてくれないくせに」

「ごめんね」

 

 ゆかりんは困ったように微笑むと、目を細める。……始める気なんだろう。

 

「藍、備えをよろしく」

「やはり、此処に来ると予想されますか?」

「自分の意思とは関係なく"やり直し"させられるなんて、納得する方がおかしいわ。流されるがままなんて幻想郷の連中が一番嫌いそうな事でしょう。来れる来れないは別にして、来ようとしてくる筈よ」

「……」

「特にあの子は諦めが悪いでしょうし。あと境界の仕組みがAIBOに筒抜けなのも痛いわね」

「相棒?」

「あっ、こっちの話ですわ。おほほ」

 

 藍さんは恭しく首を垂れると、一足飛びにビルから飛び降りた。

 誰かが助けに来てくれるんだろうか? Sさん、布都っち、典っち……来てくれないかなぁ。

 

 私は今から力を失う。

 とても便利だから無くすのは惜しいけど、抵抗もできないんじゃ仕方ない。それよりも問題は、どのようにして私から超能力を取り上げるのか、よね。

 

 途端に、私を庇ってゆかりんに食べられてしまったもこたんの最後の姿が脳裏に蘇る。

 ああダメだ。吐き気が込み上げてきた。

 

「頭からバリバリ食べるのはやめてほしいなぁ」

「まさかそんな、どこぞの吸血鬼じゃないんだから。丁重に余す事なく取り出すから安心して」

 

 終始一貫して私を安心させるように語り掛けてくる。多分酷い事されてると思うんだけど、もこたんの件以外いまいち怒りきれないのよねぇ。

 見事に術中に嵌っているんだろうか。

 

 と、ゆかりんが印のようなものを結び、暫しの静寂を経て()()を召喚した。

 

 

「擬似式神『摩多羅隠岐奈』」

 

 

 

 

 *◆*

 

 

 

 

 さとりと擬きの知る情報を全て把握した霊夢は、無言で部屋を出た。気配からして、沢山の人妖が犇いている境内に向かったようだ。

 

 残されて再度2人きりとなるや否や、擬きがあっけらかんに言い放つ。

 

「貴女はもう地底に帰って療養してた方がいいんじゃなくて? 十分に役目は果たしてくれた」

「しかし私は」

「言い方を変えましょう。その怪我と喪失で何ができるのかしらね」

 

 さとりは全てを失った。

 残されている物はもう地底にしかない。

 

「……」

「帰るなら送ってあげるわ。まだ最後の抵抗まで少しだけ時間はあるでしょうし」

「擬きさんは諦めないんですね」

「八雲紫はいつだって、どんな時だって諦めが悪いのよ。それに何も残せず消えるだけなんて……私を送り出してくれた藍と橙に悪いもの」

 

 本当に、沢山の不幸を見てきた。

 それを糧として整えた『今』が決して最高と言えないのは分かる。だけども、少なくとも最低でないのなら、報われる芽はあるだろう。

 

「私は、私のせいで苦しみを連綿と繰り返し続けるこの世界に、終わりを与えたかった。その為に沢山の犠牲を強制させてしまいました」

「こいしの死もその一環だと?」

「妖怪の山の弱体化は必須ですわ。特定の妖怪が力を増していくこの世界で幻想郷を成立させる為にはあの事件が必要よ。もっとも実行したのは私でなく、かつての八雲紫ですが、間違いではないと思っています」

「……そのような数々のエゴが紫さんを狂わせたのでしょう」

「それもあるでしょうけど、アレの本質は更に浅い。そもそも自分の生まれに納得してないのよ。どの道こうなる流れだったのかもしれないわね」

 

 澄まし顔でそんな事を宣う擬きに純粋な殺意を抱いた。だが、今の自分では何もできる事はなく、射殺さんばかりの視線を投げ掛けるので精一杯だった。

 それが彼女の役割であり、全てを好転させる為の処置だったのだとしても、妹を殺されて怒りを収められるほどさとりは寛容でなく、また妖怪的ではない。

 

「貴女はやはり、このままの幻想郷が良いと考えるのですか?」

「幻想郷に貴賤無し。どれだけ醜くとも、どれだけ残酷であろうと、幻想郷が受け入れるのなら私はそれを受け入れます。八雲紫が滅びた後も幻想が果てなく続いていく事こそ、私の願いですわ」

 

 随分と厄介で独り善がりな願いである。

 思想、イデオロギーは大きく異なれど、根の部分でやはり同じスキマ妖怪なのかもしれない。

 

 ならば……。

 

「お気付きだと思いますが……紫さんの行動には一つ、大きな矛盾があります」

「そうね」

「きっとそれが大きな隙となる」

 

 心を読めないようにさえすれば私から逃げられるとでも思ったのか? 舐めるな、と。さとりは奮い立つ。

 あの勘違いスキマ妖怪に改めて分からせてやるのだ。覚妖怪が何故、数多の妖怪達に忌み嫌われ、恐れられるようになったのかを。

 

「聞かせてください。どうやって紫さんの下へ辿り着くつもりなのか」

「此方に残された(ゆかり)を辿ります。八雲紫とマエリベリー・ハーンがそうであったように、繋がりは万物の境界を超越し得るのですから」

 

 

 

 

 博麗神社の境内に幻想郷の有力者が一同集まっていた。この最後の楽園に何度も話題を提供してきた者達である。面構えが違う。

 

 幻想郷の庇護者であったあの八雲紫が遂に自分に牙を剥いてきたのだ。流石に楽観視できるような雰囲気にはならなかった。実際に紫の率いる集団と矛を交えた者達は一様にピリピリしている。

 

 中でも紅魔館、特にレミリアの機嫌は頗る悪かった。並の妖怪であれば眼力だけで消し飛ばしてしまえるほど、身体中が力み苛立っている。日中のため日傘の下で縮こまっている分まだマシではあるのだが。

 

「なあパチュリー。レミリアのやつはなんでいつになく不機嫌なんだ?」

「愛しの妹様をスキマ妖怪に拉致られてるからよ。数日前から行方不明でずっと探していたんだけど、昨晩に八雲紫本人から自白されたらしいわ。私は見てないけど」

「なるほどなぁ納得した」

 

 どこか他人事のように魔理沙は頷いた。重い後遺症を負っている身では異変解決の役に立たないから、一歩引いた視点で場を俯瞰する事ができた。

 関心はどちらかといえば紫よりも霊夢に向けられている。打つ手無しの現状では彼女の勘に頼るほか方法がないからだ。

 

 その霊夢はというと、華扇や早苗と何事か話している。険しい表情からしてあまり良い内容ではないのだろう。早苗に至っては涙ぐんでいる。

 やがては話を切って背を向けた。

 待ってましたとばかりに車椅子を走らせる。

 

「あんまり、って感じだな」

「あの2人は紫に構ってる暇なんかないからよ。華扇と阿求を除いて賢者連中はみんなのされちゃったし、山の妖怪は怪我人が多過ぎる。早苗が処置してなかったら今頃死屍累々でしょうね」

「散々か。どうなっちまうんだろうな」

「どうにかすんのよ」

「戦いの土俵にすら乗れてないのに。戦えたところで相手が相手だし」

「アイツの好き勝手を指咥えて見てるだけなんて許せるもんですか。どんな手を使ってでも境界の狭間? とやらに乗り込んでアホづら引っ叩いてやるわ」

 

 予想通りの言葉に「そうかい」とだけ返す。

 誰も彼もが鬱憤や不満を募らせている中、相変わらずな霊夢にちょっとした安心感を覚えたのは内緒だ。こういうところが頼りになるんだかならないんだか。

 

「霊夢はやっぱそうでなきゃな。んじゃ、私も似非魔法使い共と一緒にちょっと考えてみるか」

「……あのねぇ」

「首突っ込んだら今度こそ死ぬって言いたいんだろ? 異変解決に失敗しちまっても紫が時を戻そうとしてるなら生きようが死のうが同じ話だろうぜ」

「まあ一理あるわね」

「お前こそ無茶するなよ」

「嫌よ」

 

「やっぱりコイツは何言っても聞きやしないな」と、当然の事を互いに再認識した。

 これが霊夢と魔理沙の日常だ。紫が何をしようが関係ない、2人は日常のままに異変を解決するだけだ。

 

 

 

 

「ごめんね……霊夢。わざわざ来てもらって」

「こんな頗る忙しい時に呼び出したんだもの、相当な理由なんでしょ? 聞かせなさい」

 

 呆れた様子でぶっきらぼうに言い放つ。そんな変わらない言葉に救われた気がして──橙は苦しげに頭を下げた。

 霊夢は堅苦しい態度は無用とばかりに手を翻す。

 

 2人が居るのは常用のスキマ空間。紫と藍(と居候の天子)が住んでいた八雲邸があった場所。しかし今は文字通り何も無く、ひたすらな無が広がっている。

 初めから何も存在しなかったかのように。

 此処を起点にして大結界が揺らいでいたため確認しに来たら、案の定、責任者の一匹がいた。

 

「紫さまと戦うんだよね?」

「当然。アンタとも戦り合うことになりそうね」

「ごめん……」

「アンタに謝られたところで仕方ないわ。どーせ分かりきったことだし」

 

 紫の凶行に藍が付き従うなら、橙にそれ以外の道は存在しない。あの3人が道を違える事はあり得ないのだから。故に橙の立ち位置については若干の理解を示した。

 まあそれはそれとして、立ち塞がるなら容赦なくブッ飛ばすだけだが。

 

「宣戦布告でもしにきた?」

「似たようなものかな。紫さまがね……霊夢とは絶交だって、幻想郷にはもう戻らないって。別れを伝えに来たの。それだけ」

「断るって言っておいて」

「そっか」

 

 決別のつもりなのだろうが、そんな一方的に言われたところで納得できるはずがない。橙も半ば分かりきっていたことなので軽く頷くだけに留まった。

 八雲主従とて霊夢とは物心付く前からの付き合いだ。為人は互いによく知っている。

 

 橙にとって霊夢とは不真面目だけど根は頑張り屋で一所懸命な優れた妹であり、霊夢にとって橙とは昔から何かと馴染みのある鈍臭い友達擬きなのだ。その関係が深くない訳がない。

 だから、橙は無理をした。

 ここから先は式として許されない領域。

 

「来たら、多分死ぬよ……?」

「へえ」

「いくら霊夢でも紫さまには勝てないと思う。藍さまだって、私だって、手加減できない」

「自惚れ……って言いたいところだけど、一筋縄でいかないのは分かるわ。正直、死ぬこともあり得るかも。なんたって相手は紫だしね」

 

 あの紫が対霊夢を見越して本気で迎撃体制を整えているのなら、きっと熾烈を極めた死闘となるだろう。命を賭けなければ奴の下に辿り着くことすら不可能だ。

 霊夢でさえ確たる自信を持てない。

 

「なら──!」

「でもね、手が届くのなら諦めきれない」

 

 空を思わせる瞳が橙と交錯する。

 

「諦めきれないの」

 

 紫にどんな想いがあろうが関係ない。殴って、連れて帰って、教えてやるのだ。

 お前の生きていくべき場所は此処(幻想)に在るんだと。

 

「諦めの悪さは親譲りだからね」

 

 

 橙は膝から崩れ落ちた。

 震える肩と声。

 

「本当にごめんね……私、何もできなくて。紫さまも、藍さまも止められなかった」

「元から期待してないわ」

「紫さまの苦しみを取り払う方法が私には分からなかった。どんな言葉を掛けてあげればいいかすら分からなかったの! 力が無いから! 心が弱いから!」

「……」

「賢く無い私でも分かるよ。こんなやり方は、紫さまがやろうとしてる事は、善くないことだって! 途轍もない苦しみしかないんだって!」

 

 大粒の涙を溢しながら霊夢の手に縋る。いつもなら鬱陶しそうに振り払うであろう霊夢も、今回ばかりはそのような仕草を見せず、じっと橙を見据える。

 

 どうしようもない我儘だった。

 

「お願いっ……紫さまを助けてあげて!」

「……うん」

「そして、死なないで。霊夢が死んだら、紫さまはきっと、戻って来れなくなっちゃう」

「分かってる」

 

 注文の多い化け猫だ。しかも、どれもが無理難題といえるほどの要求。

 だが霊夢には快諾以外の答えは無かった。

 

「紫に伝えて頂戴。絶対に許さないって」

 

 






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物部毒鼓様(@monodoku)に超絶素敵なイラストを描いていただきました。天空璋ZUN絵風ですね!幻マジも時系列的には天空璋くらいなのでちょうどいい!
やっぱりゆかれいむなんですよね…。


原作ゆかりんも月面戦争でボコボコにされても何度だって再起してますので、東方で3本の指に入るくらい諦めの悪い妖怪なのかもしれない。幻マジだと一番は正邪
ちなみに時空の厚みがどうとかって話については、咲夜さんのガチヤバ能力があまり活躍できてない理由だったり


次回からゆかりんが誕生するまでの過去話(未来話?)が始まります。
感想にて「これの何処が八雲紫やねん」と7年間言われ続けた謎のポンコツ妖怪の正体が明らかに……。

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