幻想郷は全てを受け入れるのよ。それはそれは残酷な話ですわ……いや割とマジで 作:とるびす
「振り返ってみれば貴女とはそれなりに長い付き合いだったわね。……正直、別れを惜しく思っている自分に驚いていますわ。あんなに会いたくないって思っていたのに」
血溜まりへ沈んでも、なお私を睨み続ける三つの目。意識なんてもう無い筈なのに。
最後に抱いた想いは恨めしさか、はたまた裏切りへの悲しみか。
「さようなら我が友よ」
次はもう少し、報われる妖生になるといいわね。
「ごめんなさいこいしちゃん。辛い役目を任せてしまって」
「しょうがないよ。お姉ちゃん、こんくらいしないと止まらないだろうし」
口を尖らせながら手元のナイフを弄んでいる。
本当に申し訳ない。こいしちゃん自身は何とも思っていないんだろうけど、やっぱりそれなりの罪悪感ががが!
でもさとりを早いうちに無力化しておかないと後々厄介な事になりそうですもの、致し方なかったのだ。彼女の不意を突けるのは幻想郷広しといえどこいしちゃんぐらいしか居ないのも辛いところですわ。
本当に厄介な友人だった。
最初期から私の目論見に気付く余地があったのもさとりだけだったし、少しでも進行の匙加減を間違えていれば今頃座敷牢行きだったわね!
ある意味最大の難敵と言えたのかも。
でも残念、さとりの能力とこいしちゃんの能力には一方的な相性差があるのだ。
私とこいしちゃんが組んでる以上、さとりの誤算と敗北は半ば確定していた。彼女の優しさをこれでもかと利用した結果ですわ。
「じゃ、さとりは片付いた事だしぬえと諏訪子の加勢をお願いね」
「オッケー! 根絶やしにしちゃうよ!」
「いやいや無力化だけでいいわ。死体の山を積み上げるのは今じゃなくていいの。私が言うのもなんだけど穏やかに事なかれ……聞いてる?」
「はりきっちゃうなー腕がなるなー」
とんでもなく危ない雰囲気を醸し出しながらそんなことを言っていたので、慌てて訂正を入れておいたんだけど、これ多分届いてないわね。スペルのクオリティが高過ぎるのも考えものである(n回目)。
でもねー、こいしちゃんは無理に調整しちゃうと何が起きるか分からないから迂闊に弄れないのよね。自我が無いっていうのは使役する側からすれば正しく一長一短なのだ。
さて、手が空いたので軽く戦況を眺めてみる。見るまでもないけどね。
ぬえも諏訪子も大規模範囲攻撃を得意とする戦闘スタイルだから、それはもう派手な妖術がこれでもかと天狗と河童達に降り注いでいる。流石に気の毒になるわ。
藍の結界の展開が遅れてたら幻想郷の二つ三つくらい軽く滅んでそうな恐ろしい光景。てゐの幸運補正が齎す天文学的な偶然のおかげで死者は出ていないみたいだけど、殆どが戦闘不能に近いレベルに追い込まれている。
範囲攻撃では仕留めきれなかった名のある妖怪も数人確認できる。で、その子らは漏れなくこいしちゃんの凶刃により斃れていった。妖怪の山一派はこれで終了ね。
首魁である
即興で用意できる戦力にしてはよく頑張ったと思うけど、流石に時間稼ぎ以上を狙うのは高望みですわ。
これで本格的に菫子確保に動くことができる。
いよいよね。ドキドキしてきた。
妖怪の山勢力の掃討はぬえに任せて、私達そっちのけで争っている正邪一派とてゐ一派を諏訪子に纏めて叩いてもらいましょう。こいしちゃんは遊撃ですわ! *1
さてさて我が分身3人が絶賛大活躍な中、このままだと私の存在意義が分からなくなってしまうので、私にしかできない仕事をしておきましょうか。
私は流し目に『彼女』を見つめた。
「今は昔の話ですわ」
八雲紫とこいしちゃんに出会いは存在しない。
私も頭がどうにかなりそうなんだけども、無いものは無いのです。
ぬえや諏訪子は意図的に接触し取り込んだ産物なのだけど、こいしちゃんはそれに該当しないのだ。気づいた時には既にそこに居て、私の苦楽を見物していた。
彼女の死はあまりにも壮絶。その一言に尽きる。
その筆舌に尽くし難い内容をさとりが聞けば卒倒してしまうのではないかと思わず心配になってしまうほどだ。もしかすると妹の死体に遺された痕跡から、どんな苦痛を受けたのか大体の予想がついていたかもしれないけど。
何にせよ、さとりには気の毒な話だ。
天狗達がこいしちゃんに与えた死に至る苦痛については割愛するわ。それをいま想起したところで何の意味もないから。
私だって我が悲願が成就するめでたい日に陰鬱な気分にはなりたくないし。
ただ一点だけ、語らねばならない部分がある。
こいしちゃんの殺害。覚妖怪の族滅。妖怪の山統一戦争。人里侵攻計画。
これら全ては前天魔の独断と強権によって引き起こされたとされているが、真実はそうではない。
そうなるように仕向けた者がいる。
私も、これが真相だなんて夢にも思わなかった。……いや、夢には思っていたのかも。
あの日、天狗に人質として送られたこいしちゃんは、まず一番に天魔と密会した。
そして第三の目を自らの手で抉り出し、天魔に差し出したのよ。
読心能力を手に入れられれば権謀術数渦巻く修羅の世界を鎮められる。天狗のみんなを守ることができる。常々そう考えていた天魔にとって、こいしちゃんの行動は渡りに船であり、同時に理解不能でもあった。
悪魔の誘いに乗る以外、選択肢は無かった。
こいしちゃんの目を手にし、己に移植した天魔の精神は狂気に蝕まれ、やがては崩壊した。
かつての英傑は死に、一匹の修羅が生まれた。
狭間に操られるだけのマリオネットですわ。
もうお分かりかしら。
こいしちゃんよ。
あの子が天魔と数多の妖怪の運命を狂わせ、妖怪の山を崩壊へと導いた。己の姉以外の同族を殺し尽くした。
そんでもって、それで一番得したのが私なのよね。妖怪の山が修羅の地と化した事で発展と成長は堰き止められ、幻想郷成立に参画せざるを得なくなった。私やオッキーナに逆らえなくなってしまったのだ。
確証は取ってないけど自信を持って言えるわ。こいしちゃんが狂ったのは私のせいだ。
先にも述べた通り、私とこいしちゃんに出会いは存在しない。
彼女が地獄に生まれ落ちたその時から、私との間には狭間に生きる者としての繋がりがあったらしく、互いの存在を認知していたようだ。というより、かつての私に一方的に目を付けられていたんでしょうね。
無意識に潜む怪物と化すポテンシャルがこいしちゃんにある事は、未来知識を持つAIBOからの情報で知っていた可能性がある。『私』が実に好みそうな不安定さだ。
そう、こいしちゃんは電波系美少女なのではなく、私からの怪電波を実際に受信している美少女なのだ。たった今さとりを刺したのも私の意を汲んだ結果。
……余計な事ばかりしてくれやがったものですわ。
「そうか。成り行きは分かった。なら続けて問うけど、何故それを私に伝えた?」
「今ここで貴女と事を構えても私には何の利もないからよ。貴女を殺そうが、逆に殺されようが、それは私の本意ではない。むしろいつも通り良き理解者であって欲しい」
「なるほど時間稼ぎってわけね」
「ふふ、流石。貴女はいつだって私を驚かせてくれる」
絶叫が鳴り止まない凄惨な戦場の外れ。繰り広げられる蹂躙を傍目に、殺伐とした雰囲気とは掛け離れた和やかな笑みを互いに浮かべる。
でもその実態はあまりにギリギリだ。
はたてったら最後の最後にとんでもない置き土産をしてくれたものですわ。
まあ当然といえば当然かしら。窮地に陥ればまず一番に彼女へ救援要請を飛ばすわよね。
比那名居天子。
さとりが斃れた今、この場で真っ向から私を止める事が能う数少ない実力者。
藍の人払いの結界が作用している関係上、この戦場に対する感知と侵入は容易ではないのだけれど、天子さんはこの数ヶ月マヨヒガで私達と寝食を共にしていた。
明晰な頭脳と天性の引く力、そして藍の結界の癖を見抜いた事による離れ技ですわ。
天子さんは緋想の剣を私に突き付け、微細な動きすら許さないとばかりに油断なく睥睨する。
凄まじい闘気による威圧が私に対する抑止力となっていた。うーん、今の天子さんの前では下手なことはできないわね。指先一つ動かしただけでも次の瞬間には木っ端微塵でしょう。死なないけど。
故に時間稼ぎですわ。
天子さんという戦力に真っ向から抗うのなら、呼び出してる3人のうち1人をぶつけなければならない。でも見ての通り、彼女達には天狗やら河童やらの有象無象や正邪一派を蹴散らしてもらわなければならない。
じゃあ私が何とかするしかないわよね!
「もう一度聞くぞ。あの陰湿覚妖怪の妹の話を何故、私にしたんだ? これといって感想はないけど」
「古明地こいしの悲劇はほんの一例ですわ。しかしその結果、波及した影響で多くの者が不幸になった。幻想郷を創る為の必要な犠牲といえばそれまでですが……私には到底受け入れられない話です」
かつての私やAIBOは、何も感じてはいなかった。全ての悲劇を大義を成す為の些事だとでも考えているのだろう。その考えも理解できる。
でも私は……。
「『玉琢かざれば器と成らず 人学ばざれば道を知らず』──せっかくの風光明媚な玉も磨かなければ立派な器にならないように、人間や妖怪も学ぶことで自己を磨かねば成功は出来ん。乱心し自己の悦楽に浸る暇があるなら、その時間を自己研鑽に充てたらどうだ?」
「えーっと?」
「まあ要するにね、過去を悔やむ暇があるなら、その失敗を活かしてより良い明日を切り拓いていくのがお前の為すべき道だと説いている」
すっごいマトモなお言葉をいただきましたわ。これが噂に聞く天人様のありがたい説法というやつか。前半あたりは何言ってるかよく分からなかったけど!
そうね。天子さんの言うそれもいいと思う。
少なくともAIBOが目指していたのはその方向性だ。数多の犠牲を踏み台にして最大限の未来を築いていく一つの形。葬られた悲しみを明るい現実で覆い隠す優しさ。
実際、幻想郷は前に進み出していた。失われた命への悲しみを癒しながら、少しずつ着実に。
そんな愛しき幻想郷を見て、私は──。
酷く残酷に思ったの。
「それは只の甘えね。耳心地のいい言葉を並び立てて自分を無理やり納得させようとしてるだけ。唾棄すべき道」
「だが失われた命は回帰しないぞ」
天子さんの言う通りよ。
残された者達の大多数が悲しみを抱えても前に進もうとするのは、生と死とは覆しようのないものだと分かっているから。割り切るしかないから。
だからこそ私は逆に問うてみるのだ。
「酷く困難な道であったとしても、いま持てる全ての物を犠牲にするのだとしても、失われた物を取り戻す術が存在するなら、果たして貴女は諦められる?」
「それはとても善い話ね。本当にそんな手段が存在するのかは甚だ疑問だけど、縋りたくなってしまうような夢物語であることは認めるわ」
「夢を現に変えるのが私の役目ですわ」
できちゃうのよねこれが。
便宜上「取り戻す」って言い方をしたけど、本質は「作り出す」になるのかしら?
「完全無欠の比那名居天子。全てを兼ね備えた貴女に唯一不足したもの、それは生まれの時期だと私は勝手に思っています。後天的、後発の天人でなければ……せめて私と同い年くらいであれば、この世界を更に素晴らしいものにできたでしょう」
「そ、それはそうだけども」
「貴女の手で地をならし、美しい四季を作り、新しい生命を造り、悲しむ事のない心を創り、貧する事のない社会を作る。貴女の進む先には目上の月人や目障りな天人なんていない。己が手で理を切り拓き、解釈する」
敢えて大袈裟な言葉を使っているけれど、天子さんなら不可能ではないと思ってるわ。それだけ私は彼女を買っているのだ。盟友だしね。
これは時間稼ぎではない。勧誘である。
天子さんを引き込むのは計画外のスタンドプレイ。荒技も荒技なんだけど、それでもやるだけのメリットと想いがあるの。
八雲紫と比那名居天子は決して相容れぬ存在。犬猿の仲。如何なる情勢においても敵対し、啀み合う関係に落ち着く。予定調和ってやつかしら?
AIBOが頑なに天子さんへの嫌悪感を明らかにしていたのはそういう理由だ。かく言うAIBOの元となった八雲紫も天子さんを嫌っていたようだし、アレとはどう足掻いても仲良くなれないと予想していたのだろう。
でも私と天子さんはどうだろうか。
結果として、この世界では敵にならなかった。未来を語り合えるだけの朋友となれた。
天子さんは私を害するどころか、要所要所で助けてもらってばかりだ。
それってとても素敵な事じゃない? この絆らしき繋がりこそ私の因果を否定する何よりの証左。夢に生き続ける事を許してくれる免罪符。
彼女は唯一、私が八雲紫である事を忘れさせてくれる得難き存在なのです。
私の言葉にやはり思うところがあるのだろう。何とも言えない表情を浮かべながら、緋想の剣を下ろした。そして浮かせた要石に腰掛ける。
信頼した甲斐があったわね。
「前から思ってたんだけど……」
「はい?」
「お前のことが未だにいまいち分からん。私の胸は大きくできなかった癖に、失われた物を取り戻す? 世界を創り変える? どうなってんのよ」
「うふ、ふふ……確かに、言われてみればおかしな話ですわね」
では伝えておこうか。天子さんへの話が終わる頃には全てが終わっていることだろう。
聡明な彼女には説明も手短に済みそうだ。
「ではまず、私という妖怪の正体を教えましょう。知ればきっと貴女にもご納得いただけるはずですわ」
「言わずもがな、私は純然たる妖怪としてこの世に生を受けました。しかし同時に、人と人の間に産まれた人間でもあるのです」
八雲紫とは二度生まれ、一度死ぬ。
*◆*
「各勢力入り乱れての大乱戦。もはや誰が味方で誰が敵なのやら判断に困りますねぇ」
「なら全員燃やしてしまえばよかろう! のうもこたん」
「なるほど一理ある。やりましょうもこたん」
「だってよ。行ってきなもこたん」
「もこたんガンバ!」
「作戦には賛成だが、お前達はその名で私を呼ぶな。二度とだ」
相変わらず溝が深い反幻想郷連合。しかし生き残る事に長けた者達が身を寄せ合う集団なだけあって、三つ巴の大乱戦における最弱勢力でありながらも何とか1人も欠けることなく立ち回っていた。
相対するは竹林の帝王因幡てゐと愉快な
なるべく互いの損耗を減らしつつ最大限の利益をもぎ取ろうとする構えが続いており、もはや曲者対曲者の化かし合いだ。
この状況にはさしものてゐも頭を悩ませている。というのも、反幻想郷連合は規模こそ最弱だが、決して弱い訳ではない。全員が一級品の力を有しているし頭が回る。無理に戦力を削り合えば得をするのは紫だけ。
つまりてゐの役目は菫子捕獲というより、さとりが紫を封印するまでの足止めだ。
「リーダー生きてたんですねぇ! 良かったぁ針妙丸様や姫が喜ぶわ!」
「あいつから最優先に燃やせ」
「リーダー!?」
「あー! あいつサグメ様の娘を名乗ってた奴でしょ! アレも一緒に捕まえたらさ、もしかして私達、月に帰れるんじゃないの!?」
「サグメ様がちょっとだけ気に掛けてたよ。一度会ってあげたらどう?」
「誰だよテメーらは。いきなり現れて好き勝手言ってんじゃねーぞ」
しかし、そんな化かし合いも強大な暴力の前には悉く無力である。
一帯の地盤そのものが跳ね上がり動きが阻害されると同時に、拡散する呪が次々と妖怪達を飲み込んでいく。天狗や河童を壊滅させた手法そのままだが、非常に効果的な殲滅術だ。
諏訪子の乱入が均衡を破壊した。
やはり紫の擁する手下達は圧倒的だ。普通に相対したのでは敵わない。
さとりの失敗、はたての敗退は明白だった。
「てゐ様! このままじゃ……」
「ここらが潮時か。──私が殿をするからお前達は結界の外へ行って博麗霊夢か、鈴仙を探してきて。多分、居なくなった私達を探して近くを彷徨いてると思うから」
「でもこの結界、凄まじく難解でして」
「抜け道の無い結界なんてこの世に無いさ。思うままに進めば出られるようにしておく」
はたてと違い無闇な被害を出すのを嫌ったてゐは即座に撤退を指示。菫子の確保を諦め、外部から援軍を呼び込む方向に舵を切る。霊夢の乱入は諸刃の剣だが、贅沢を言っている場合では無い。
荒れ狂うかつての土着神、その頂点を単独で止めにかかる。
一方、菫子のバリアと正邪のベクトル操作により難を逃れた反幻想郷連合は、てゐからの圧力の低下を見定め、かねてからの計画通り逃走を開始する。
諏訪子の猛追が予想されるが、そこはSの腕の見せ所である。
「もこたんは菫子を連れて逃げろ。間違っても八雲紫に渡すなよ」
「言われなくてもそうするが、アンタらは?」
「私らはデコイだ。なるべく追手を撹乱するから、せいぜい上手いことやりな」
「それでは皆さま、ご武運を」
「生き残った時はまた冥界で会おうぞ!」
正邪、布都、典の3人は『呪いのデコイ人形』を携え妹紅、菫子とは別々の方向へと駆け出した。布都に至っては自分が霊体なのをいい事に火をつけまくっている。
それを見送り、残された妹紅は菫子をおぶると『ひらり布』を頭から被った。
終始信頼のできない連中ではあったけれど、叛逆に対しての想いは本物だったのだろう。菫子を紫の手にさえ渡さなければ完全敗北では無いのだ。
泥水を啜り這い蹲ってでも、再起を図る命と心があれば。
「みんな、大丈夫かな……」
「アイツら3人の生き汚さは尋常じゃ無い。身の心配は私達だけで十分だ」
足元から高密度の妖力を噴出する事によって、凄まじいスピードで斜面を駆け上がる。
博麗神社の標高はそこまでのものじゃない。妹紅の脚力であれば数秒とかからず登頂できる程度だ。
しかし幾ら木々を掻き分けがむしゃらに進もうと、森は一向に途切れる様子がない。それどころか後戻りのできない深淵へと飲まれているような──。
「……もこたん?」
「私をおちょくってんのか。上等だ」
思い出したのだ。
今から数百年前のあの日。妹紅に覚めない悪夢を植え付けた最悪の夜。
メリーを連れて逃げていた時もまた、同じだった。幾ら走っても竹林を抜けることができず、永遠とも思えるような空間で逃げ惑い続けた。
アレと同じカラクリなのだろう。
奥歯が割れるほどに噛み締める。
被っていた『ひらり布』を脱ぎ捨て、菫子を地面に下ろし、憎悪を湛えた瞳で虚空を睥睨する。
「出てこいよ。八雲紫ッ!」
「言ったでしょう? 筒抜けって。小細工は通用しません」
呼応するように空間がヒビ割れ、ぬるりと現れる。
「どんな策を弄そうが、何処に逃げ果せようが、私は幻想郷どころか地の果てまで菫子を追いかける。どれだけ頑張ろうとも無駄なのよ」
「……おかしいだろ」
ある意味弱音とも取れる、本心の吐露だった。
「どうして菫子に拘るっ!? 何を求めているのだとしても、まだ十にも満たない童だぞ……!」
「齢は些細な問題ですわ。私が必要としているのはその子の特別な能力よ」
「利用する気か? 奪うつもりか?」
「いいえ。返してもらうだけよ」
返す。つまり最初は紫が所持していたという事。当然ながら超能力は菫子が生まれ持った先天的なものだ。言いがかりも甚だしい。
確認のため目を向けるも、菫子は小さく首を振るだけだった。
よって詭弁を弄しているだけだと判断した。
妹紅の妖力が爆炎となり立ち昇る。
「アンタの話は何も信じない……! 黙って菫子から手を引きやがれ」
「貴女とはいつも会話にならないわね……。では、貴女達2人に馴染みのある姿になりましょうか。そちらの方が幾分話しやすくなるでしょうし」
紫は困ったように微笑むと、携えている傘をスキマにしまい、桔梗色の瞳を閉ざす。
念じること数秒。再び
夜中の海のように深い青。
瞳から伝播するように姿が滲んで変質していく。長髪を纏めていたリボンが消失し、肩口までの短さに。複雑な意匠が簡素に。
妹紅と菫子は絶句するしかなかった。
2人の驚く様に何故か満足げに頷く。
「これがマエリベリー・ハーン。人には決して理解されない孤独を埋め合わせてくれる、素敵で愉快なお友達の"ガワ"よ。夢の世界の姿そのままですわ」
「懐かしいでしょう?」と、見せ付けるようにしてその場でクルリと回る。
「えっ……どういうこと? それがゆかりんの本当の姿じゃないの?」
ぬえが化けていた紫の姿を見てから、菫子はずっと不思議に思っていた。何故、夢で出会う八雲紫と、幻想郷で出会う八雲紫の姿は異なるのだろうと。
菫子にとっては、
そして妹紅もまた酷く混乱していた。
紫が姿を変えて惑わせているのだとすればそれまでだが、違和感が無さすぎた。
記憶に焼き付いたメリーの姿と全く同じなのだ。違うのはその身に纏う妖しさだけ。
「どうかしら。これなら落ち着いて話せそう?」
「やっぱり、お前には人の心がないらしいな」
「うん?」
「気色悪いんだよっ! お前の全てがっ!」
分かっているのだ。姿はメリーでも、その実態はあまりにかけ離れている。
中にメリーは存在しない。
メリーの死骸を弄んでいるだけだ。所謂デスマスクというものか。
「死んで詫びやがれ」
激情が爆炎となり妹紅の原動力と化す。生命活動の一切を破壊のみに注ぎ込んだ一撃。凄まじい速度で繰り出される蹴りは衝突と同時に、自らの身体ごと敵を焼き尽くすのだ。
そして菫子もまたテレポーテーションの準備に入る。妹紅と予め決めていた段取りであるし、今の紫とは会話できないと判断した事で迅速に動く事ができた。
鮮やかで効果的な連携だ。菫子を守るために妹紅が必死に考えたのだろう。動機がなんであれ、菫子を保護していた事に変わりはない。紫は妹紅への印象を改めた。
故に、惜しい。
「あ」
「ッッッ!?!!?」
蹴りは寸分の狂いなく紫の顔面を捉える筈だった。実際、そのまま振り抜けば紫を粉々に吹き飛ばす事も可能だっただろう。結界内に残った紫の傀儡を丸ごと巻き込む威力を見込んでいたから。
だができなかった。紫の傍らに菫子が突っ立っていたからだ。テレポーテーションの失敗を悟る間も無く、紫と、そして妹紅の姿に目を見開いている。
瞬間移動はスキマ妖怪のお家芸だ。
業火は萎み、蹴りは数分前と同じく紫の顔半分を消し飛ばすに留まる。
かつての見知った顔が真っ赤に裂けている。
「貴女の苦しみも私の罪」
欠損に怯むことなく、細くしなやかな五指が妹紅へと向けられた。身体の芯を丸ごと握り潰されているような不快感が湧き上がる。
全ては掌の上。僅かな魔力で齎す絶対の破壊。
妹紅は理解した。
もうダメだ。
「菫子──逃げ」
「さようなら、親切なお友達」
「『掌中の破壊者』」
*◆*
身体の造形を無理くり修正しつつ、月光の溢れる獣道を行く。若干肩を落としながら。
良かれと思ってやった真メリーフォームがまさか火に油を注ぐ結果になろうとは、この大賢者八雲紫の目を以ってしても見抜けなんだ。悪い事しちゃったわね。
ま、まあ短期決戦は目論見通りだからノー問題ですわ。あのまま話に興じていたら、うっかりタイムリミットなんて事もありえたし。
ただ菫子への説明ができなかったのよねぇ。
質量付きのスキマの上で寝かされている童へと目を向ける。本当なら彼女になるべく納得してもらった上で、私に力を差し出してもらいたかった。
妹紅とか正邪の横槍で全部御釈迦になったけどね! ぷんぷん!
仕方ないので事後で説明するしかない。
少し歩くと、辺り一帯が更地と化した区間に出た。キツめな妖力が充満してるのもあって、これぞ地獄絵図ですわ。むしろこれだけで済ませた藍の働きに敬意を払うべきね。
何をやっても穏便にならないのは、最早そういうものだと思って諦めるしかない。
指令を完遂した3人娘も、砕け散った岩盤に腰掛けて和やかに談笑するなどして暇潰しに興じていたようだ。なんだかんだで仲良くやっているようで安心ですわ。
まあ周りは地獄絵図だけど。
「みんなお疲れ様。どうだった? 久しぶりの夢見は。堪能できたなら何よりだけど」
「ダメダメ、平安の世に比べたらどいつもこいつも甘っちょろいわ。混沌が足りないよ」
「いま戦った子達は穏健な方なのよ。地底に潜れば懐かしき混沌を少しでも感じられるかもしれないわ。まあ、もうそんな時間はないけど」
「これなら藤原妹紅と延々殺り合ってた方が楽しかったかもなー」
口を尖らせるのは正体不明の大妖怪ぬえ様。この子はいくら調整しても高確率で命令を無視してくるので扱いに苦慮している。恨まれてるって言われればそれまでだけど。
こいしちゃんは先述の通りだし、他の面子もかなり不安定だし……あれ? 素直に言うこと聞いてくれるの藍と諏訪子しかいなくない?
「で、諏訪子はどうして挙動不審なの?」
「何かの間違いで早苗に出会したら大変じゃないか! ほら早く目的を達成して撤収しよう」
「んー……それもそうね」
納得したわ!
かく言う私も、今にも霊夢が乱入してくるんじゃないかと気が気じゃない。確認だけ済ませて、さっさと菫子の力を戴くとしよう。
「残ったのは全員戦闘不能にしたみたいだけど、何人に逃げられたの?」
「竹林の連中が数人と、正邪って奴だね。凄いよアイツ、仲間をみんな騙して切り捨ててる」
聞くところによると、私の家から窃盗していたアリス特製『呪いのデコイ人形』を駆使して妹紅と菫子の逃走を助けてたみたいなんだけど、正邪が持っていたのはダミーの人形だった。
つまり、のじゃのじゃ亡霊と典にデコイを押し付けて逃げたのだ。
まあ何と言うか……流石よね。
のじゃ亡霊は諏訪子が封印。典は取り決め通りに逃してあげたわ。あっ、言ってなかったっけ? あの狐は私が潜り込ませてたスパイね。
筒抜けなのよ。全部。
彼女とは利害関係が完全に一致してたのもあって、こまめに報告を入れてくれた。対価もそこまで重要な物ではなかったので良い取引だった。
私が菫子に力を返してもらうように、典には私から返すべきものがあった。それだけですわ。
兎に角、3人娘から話を聞く限りでは問題は無さそう。正邪やてゐが逃げ果せたところで、私の手の内に菫子がいて、さとりが再起不能に陥った以上はね。
それに思わぬ拾い物もあったし。
「では……始めましょうか。夢を現実に変える為の、遥かな旅路の幕開けを」
私達の戦いはこれからだ!
……。
…………。
………………あれ?
「どしたのゆかりん」
「さっさと始めようよ。元に戻るんだろ?」
こいしちゃんとぬえが口々に急かしてくる。諏訪子も怪訝な様子で首を傾げている。
いや、あのね。私もそうしたいのは山々なんだけど、なんかこう……。
「どうやって力を貰えばいいのかしら?」
空気が白けた。
「嘘だろお前。いつも通りにやれよ」
「この子の力は貴女達みたくガサツに扱っていい物じゃないのよ。余す事なく私の物にしなければならないの。取り零したら大変」
「酷いこと言うなー」
「鬼畜妖怪!」
そ、そんなこと言われても、こいしちゃんとぬえは昔の私が片手間にやってたんだもん。私は悪くないですわ! 諏訪子は初めてで慣れてなかったからノーカン!
いやけどね、不完全な同化だからこそ私が私で存在出来たのは確かにそうなのよ。正体不明やら無意識やらを自在に操れたのなら、きっと酷い妖怪になっていた。
だからってクソ雑魚のまま放置するのもどうかと思いますけどねっ!
ただ菫子に関しては完全に話が別だ。この子の力をカケラでも取り逃がしてしまえば、私の悲願が絶たれるどころか色々な罪悪感で二度と立ち上がれなくなってしまうかもしれない。そもそも大前提からして私にとってかなりリスキーな行為だしね。
万に一つにも間違える訳にはいかない。ちゃんと方法を確立させておくべきだったのに、少々気持ちが焦ってしまったせいでうっかりしてたわ。
考える時間が欲しいところだけど、時間はいつだって私に牙を剥く。
僅かに肌がヒリつく感覚。
結界越しにここまでの圧力を飛ばしてくるなんて尋常じゃないわ。当然、感知した3人娘が各々戦闘の準備を進めている。彼女達を以ってしても手を焼くだろうと予想される人物。
九分九厘、霊夢ねこれは。
「一旦退きましょうか」
「なんでー? 戦おうよ!」
「こいしの言う通りだ。博麗霊夢をぶっ倒せば急ぐ理由もなくなるでしょ」
「いやいや帰った方がいいって。私だけでも先に帰っていいかい?」
血の気の多い2人は霊夢相手でも全く怯んでいない。この威勢の良さは頼りになるけど、霊夢相手に過信は禁物ですわ。ここであの子と雌雄を決したところで得られる物は少ないし。
霊夢というよりは早苗を恐れている諏訪子が正しいと思うわ。
んー……。
「スペルブレイク」
発動していたスペルを無理やり破棄して、呼び出していた3人を消滅させる。もう戦闘は無いから暴発の恐れがある彼女らをそのままにしておく訳にはいかないわ。
代わりに私の意を汲んで、藍が駆け付けてくれた。破られる結界の維持なんて無用だしね。どうやら私のうっかりも把握しているようだ。
「紫様、いかがなさいますか」
「霊夢と争えば否応無しにそこが最終局面になる。それは少し勿体ないわね」
「では私に案があります。少々時間を取る事になろうかと思いますので、幻想郷を離れましょう」
「そうしましょうか。名残惜しいけど幻想郷に居る意味は無いものね」
藍は恭しく首を垂れると、私から菫子を受け取る。そして、ほんの少しの力と願いを込めてスキマを縦に引き裂いた。AIBOと慧音を監禁している空間へと続く道。
此処に篭ってしまえばどんなに強力無比な存在でも私達に介入できなくなる。
何せ、この世界を感知し足を踏み入れられるのは、境界の住人たる私と、私が招いた客人だけ。
幻想郷に住まうみんなとは今生の別れね。
「これが最後でも未練はない?」
「何を仰います。前に申し上げた通り、私はいつだって紫様と一緒ですよ」
「ふふ、ありがとう。貴女が側に居てくれるだけで私は……」
「紫様」
「ええ。先に行ってて」
抱え上げた菫子と共にスキマの奥へ消えていく。この境界が私と幻想郷を隔てる最後の一歩。
どういう結末になるのだとしても、この決断に対する後悔は忘れないようにしたい。
宙を見上げた。
月と星と、黒い海。そして紅白の巫女。
身体に心が生まれてからというもの、私は道に迷ってばかり。
それは絶対的な導を失ったからだ。月と星が何も教えてくれなくなったから。
私は此処が夢なのか、それとも地獄なのか。それすら朧げなのだ。
でもね霊夢。
貴女が、きっと貴女だけが。私に残酷な幻想を思い出させてくれるのよ。
ゆかりんの物語もあと少し