幻想郷は全てを受け入れるのよ。それはそれは残酷な話ですわ……いや割とマジで   作:とるびす

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デューパー VS エスケーパー VS スキーマー②

「お師匠様おめでとうございます!」

「紫さんおめでとー!」

「あら2人ともありがとう。今日は存分に楽しんでいってちょうだいね」

 

 元気いっぱいに参道を駆けてきた早苗と小傘を笑顔で出迎える。縁日用に霖之助さんに仕立ててもらった着物を渡してたんだけど、似合っているようで何よりですわ。

 博麗神社の鳥居の下でハイタッチ! 

 

 そうそう、何がおめでとうなのかと言うと、幻想郷の復興事業が無事終了した事についてね。まあ私、何もしてないんですけどね! 

 

 人里を中心に復興祝いの祭りで大盛り上がりなんだけど、一応博麗神社例大祭を兼ねてるからね。無理くり参道のあちこちに的屋を呼び込んで便乗しているようだ。なお業者はみんな妖怪なので人間の客はゼロに近い。

 霊夢は現状にもっと憤ってもいいと思うんだけど、懐は潤うので黙認しているんだって。それでいいのか博麗の巫女……! 

 

「神奈子は一緒に来なかったの?」

「一応他所の神社の祭事だからという事で、遠慮されてるみたいです。秋さん達は出店する側ですし」

「博麗神社に対して遠慮する必要は無いと思うけどねぇ」

「私もそう思います」

 

 まあ監視からの報告だと、早苗に隠れて縁日を楽しんでるみたいだけどね。神奈子って早苗の前だと威厳を出そうとしてるけど、実態は頗るフランクな神様だから……。

 

「私と小傘さんだけじゃないですよ! 後で命蓮寺の皆さんと合流して一緒に催しをやる予定です。よかったら観に来てくださいね!」

「異変で熾烈に争ったにも関わらず完全に協力関係にあるのね。やるわね早苗」

「ね、びっくり」

 

 早苗と共に命蓮寺の面々と激闘を繰り広げた小傘がしみじみと頷く。

 ちなみに彼女は人里から引き払って守矢神社で暮らす事になったそうだ。秋姉妹に続く3人目の居候である。あんなに虐められてたのにどういう風の吹き回しなんでしょうね? まあ当人達は幸せそうだから別に良いけど。

 

「貴女を幻想郷に招いて本当に良かったわ」

「えへへ、もっと褒めてくれてもいいんですよ?」

「ふふ……褒めても褒め足りないわよ。流石は私の一番弟子ですわ」

 

「人の神社の前でイチャつかないでくれる? 邪魔なんだけど」

 

 頭を撫でてあげようと手を伸ばしたのだが、何処からか現れた霊夢に拡声器で叩かれて未遂に終わる。

 いい感じのムードだったのに邪魔されちゃった。まあいっか、ヤキモチ妬いてる霊夢も可愛いし。

 

「うわ、その格好どうしたんですか霊夢さん」

「どうしたも何も、アンタらのせいでウチの商売上がったりだから頑張ってんのよ。マジふざけんな」

 

 安っぽい拡声器、手作りの鉢巻、首から下げられたミニ賽銭箱、これまた安っぽい法被。早苗じゃなくてもドン引きすること間違い無しな格好ですわ。

 これは流石に注意した方がいいかなって思ったんだけど、神社の運営に危機感を覚えての行動であるなら、私からは何も言えないわ。巫女の役目を「商売」って言っちゃったのはアレだけども。

 

 まあ最近は守矢神社に色んな意味で押され気味なのは間違いないしね。

 神奈子の経営手腕は並大抵のものじゃないし、早苗が守矢神社の顔として優秀過ぎる。モリヤーランドの収益も合わせてウハウハだろう。

 今は亡き諏訪子もこれにはニッコリ! 

 

「ふっふっふ、幻想郷一の神社はもはや守矢のもの! しかしどんなに突き放しても私はずっと霊夢さんのライバルですからね。安心してください!」

「……」

 

 霊夢からのアイコンタクトが飛んできた。「こいつボコしていい?」って内容のやつ。スペルカードルールでお願いしますわ。

 とまあそういう成り行きで早苗が霊夢に引き摺られて行ったのを見送り、ふと手持ち無沙汰にしている小傘に問い掛ける。

 

「そういえば貴女達、どうして博麗神社に? わざわざ挨拶に来るような柄でもないでしょうに」

「私が霊夢さんに針の新調を頼まれてて、それを持ってきたんですよ。早苗はただの付き添い。ほらこのとおり」

 

 小傘の持っていた手提げ袋の中を覗くと、鈍色に輝く針の束があった。これは封魔針──俗に言う針巫女御用達の武器! 忘れられがちだけど、小傘の鋳物スキルは結構ガチなのよね。

 一本一本に凄まじい殺傷能力が内包されているのを肌で感じる。金属の質も素晴らしいわ。

 恐らく過去最高の出来なんだろう。知らんけど。

 

「霊夢さんったら酷いんですよ。いきなりボロボロの針を持ってきたと思ったら『1週間以内に最高品質で仕上げてちょうだい』なんて言うんだもん! 断れるわけないよ」

「そ、それは災難だったわね」

「まあその分たんまりお代金を貰えるから」

 

 流石の霊夢も妖怪相手とはいえ、タダ働きさせて強奪みたいな蛮族ムーブはしなかったか。

 私の教育の成果ですわね! 

 

 そんな感じで鼻高々なまま話が終われば良かったんですけどね。小傘が鋳物の明細を私に突き付けたことで事態が急変する。

 

「じゃ、紫さん。これ代金ね」

「……はい?」

「紫さんが代わりに支払ってくれるんでしょ? 霊夢さんからそう聞いてるけど」

 

 勿論初耳である。

 自身の教育の失敗を悟った瞬間だった。

 

「後払いの対応とかしてる?」

「日割計算で利子が付くよ」

 

 こうして私の借金がまた増えた。

 この世界が圧倒的不条理で構成されている事を再確認できたわね。でもこんな世界は絶対間違ってると思うわ(漆黒の意思)

 

 

 

 

 

「で、アンタはなんで此処に居るのよ」

「博麗神社に居れば私から出向かずとも幻想郷の大体の人物と会えるから」

「要するに暇ってことね」

「そういうこと」

 

 弾幕勝負で早苗をこれでもかと叩きのめした霊夢とちゃぶ台を囲んでお茶を啜っている。相変わらず美味しくないんだけど癖になる味だわ。

 それにしても幻想郷のどこを見ても大盛り上がりな中、私だけ浮きまくっているのは何故でしょうね。平常運転? ぶち転がしますわよ? 

 

 酒饅頭の営業販売とかで忙しくなるとも思ってたんだけど、萃香と藍から遠回しに「くんな」って言われてるのよね……。私はお荷物ですわ! オヨヨ。

 

「魔理沙やアリスに久方ぶりに会えたのは嬉しかったわ。2人ともまだまだ本調子では無さそうだったけども、彼女達は幻想郷に力を示した。これからも大いに貴女の助けとなるでしょう」

「余計なお世話よ。早苗や妖夢もそうだけど、異変解決は私の本分よ。あんまり周りでうろちょろされても邪魔ったらありゃしないわ」

「その心意気は素晴らしいわね。でも前回の異変は貴女1人では厳しかったのも事実。孤高の精神は素晴らしい力を授けるけども、いずれは頭打ちになる」

 

 私が考える限りの最強は、やっぱりヘカちゃんとオッキーナ。あのイカれた神様達だって己を群とすることで更なる力を得ていた側面がある。

 まあアレらは極端な例だけど、前回の異変が大規模になった理由は曲者達が合力したからに他ならず、それに勝利できたのは幻想郷に結束の力があったからでしょう。

 

 独りでは何事にも限界がある。

 

「お仲間が沢山いる紫にとってはそうかもね」

「その通り。私は1人じゃ何もできないの。だから貴女やみんなを頼るのよ」

「……今日はヤケに弱気ね」

「事実ですもの」

 

 そこは誤魔化しようがないわ。

 

 もっとも昔は違ったみたいだけどね。どんな無理難題も己の手一つで打開するだけの、完全無欠な力があった。誰の力も借りずに好き放題やってくれやがった時代。

 さぞ万能感に満ちていた事だろう。

 

 ……いや、むしろ逆だわ。

 あれこそ独りでは何もできない事を証明する最たる例か。私の力は──私だけの物じゃない。

 今も昔もそうなんだから。

 

 

「言いたいことがあるならハッキリ言いなさいよ。まどろっこしい」

「ん?」

 

 頬杖をつきながら、呆れたように霊夢がそんな事を言う。私のウジウジしたナイーブな態度が気に入らなかったのかしら? 結構気丈に振る舞ってるつもりなんだけど……。

 まあ霊夢を相手にして色々誤魔化すのは無理よね。

 

 もしかして愚痴らせてくれるのかしら? 

 まあ必要ないけど! 

 

「最近ちょっと疲れる事があっただけよ。心配させちゃってごめんなさいね」

「あっそ。ならしゃんとしてよ」

 

 私が別に深く相談するつもりがない事を見越したのだろう。霊夢はさっさと話を切り上げて、再度湯呑みに手を伸ばした。今回ばかりは霊夢のドライな部分に救われたわね。

 

「ねえ霊夢」

 

 私の顔を見た霊夢が眉を顰める。

 

「もしも私が死にたいって言ったら、貴女はちゃんと殺してくれる?」

 

「いやよバカ」

 

 そして私の告白は容易く切り捨てられた。

 別に「じゃあ早速殺してやるわ!」って展開を期待していたわけじゃないし、霊夢なら多分断ってくるだろうと思ってたのでそこまでの衝撃はない。

 ただもう少しこう、手心というか……。

 

「アンタさ、前に私に向かって死ぬなとか偉そうなこと言ったじゃない」

「あー言いましたわね」

「そのくせして自分は死にたいなんて、虫が良過ぎると思わない?」

 

 確かに! 

 そう言われると恥ずかしくなってきちゃった。

 

「アンタの言いなりにはならないっていつも言ってるでしょ。何に疲れてるかは知らないけど、観念してこれからも頑張りなさい」

「ごめんなさい、言ってみただけよ。そうよね、諦めたらそこでお終いだものね」

「まったく……いつもいきなり現れたと思ったら訳の分からない事ばっかり言うんだから。ほらもう休憩時間は終わりよ! 帰った帰った」

 

 また集金活動に戻るらしい。

 今度は陰陽玉と新調した針を一緒に持って行くようで、恐らく的屋からのみかじめ料の徴収でしょうね。そういうところが守矢神社との差なんじゃない? 

 

 さて、日が暮れてきた。私もいい具合に時間が潰せたので一度人里に戻ろう。様子を見に行くくらいは藍と萃香も許してくれるでしょ。腫れ物扱いで泣きそう。

 スキマを開いて片足を踏み入れた時、ふと視線を感じて振り返る。

 

 霊夢と目が合った。

 

 

「……」

「……」

 

 話すことは何も無いのに何故か目が離せなくなる二色の蝶。彼女を見るといつだって不思議な感覚に陥ってしまう。不安で不安で仕方なくなるのに、とても心地よい。

 儚い紅白が、私に幻想を思い出させる。

 

「それじゃあね」

「ん。また明日」

 

 また明日。

 

 

 

 

 *◆*

 

 

 

 

 日も暮れようかという黄昏時。

 夕闇は一般的に妖怪が好き好む環境であり、人里に住まう人間達にとっては忌々しい時間帯。

 人の通りが極端に少なくなる代わりに、人ならざる怪異が跋扈を開始する。

 

 しかし今日は別だ。辺りを暗闇が覆っても人々は怪異を恐れず、灯りを散りばめ狂騒に乗じるのだ。人も妖怪も分け隔てなく熱気に当てられる不思議な日。

 それが幻想郷の祭りである。

 

 故に人里の往来は日没後も衰える事を知らず、明らかに人間ならざる者すらちらほら見かける始末。しかし人間はそれを看破しても今日ばかりは巫女や守護者に通報などという野暮なことはしない。

 俗に言う無礼講というやつだ。

 

 

 そんな人里の状態は、折角の祭りを楽しむ気など毛頭ない暗躍する者達にとっては非常に好都合。慎重に決行日を選んだ甲斐があった。

 

「ねぇもこたん! ふとっち! アレなんだろう、美味しそうね!」

「うむ、何とも面妖な形じゃが食欲を刺激する芳しい香りだ。よし我が買ってこよう」

「隠密行動だっての」

 

 周囲の的屋に気を取られてフラフラする菫子と、積極的に便乗する布都。そしてそれを止める妹紅の図だが、既に何度となく繰り返された光景である。

 なおSは兎も角として、典は止める事なくいつもの柔和な笑みで微笑ましそうに眺めているだけだった。

 

 菫子を中心として前方を妹紅(もこたん)、右方を布都(ふとっち)、左方を(つかさっち)、後方をS(不審者)が囲む万全の陣形である。

 このままの形で人の流れに乗ったまま博麗神社に到達するのが今回のミッションだ。

 

「まあまあ、あまりに警戒し過ぎていては逆に不自然でしょう。適度な買い物で一般客を装うのはむしろ我々に利する結果となります」

「ほれ典殿もそう申しておる」

「そうなのか……?」

「そうですよ。どんどん買っちゃいましょう♡」

 

 典の言葉には妙な中毒性があり、若干の抗い難さを感じた。精神に干渉する能力を所持しているのだろう。やはり魔性の女狐である。

 

 そんな中、Sだけはパーティメンバーのやり取りを一切気に留めず、群衆を注意深く見回していた。

 典が目を細める。

 

「Sさん、何かありましたか?」

「いや妙だと思ってな。私達以外にも周囲を警戒してる一団があちらこちらに紛れてやがる。主に天狗で構成されているようだが」

「ふむ。八雲紫の手の者だと?」

「どちらにしろ秩序側の連中だ。私達とは相容れない存在だろうよ」

「では消しましょうか」

「そうだな。私達が狙いだと判明した瞬間、一気にいくか」

「承知した。だが罪のない群衆はなるべく巻き込みたくないものだな」

「あくまで保険だから安心しな。あっちも無闇に仕掛けて来たりはしない」

 

 頗る物騒な会話である。

 食べ物に夢中な菫子の耳を塞いでやりつつ、やっぱり悪側だよなぁ、なんて思う妹紅だった。

 

 

 と、途端に群衆の流れに乱れが生じ、一画の喧騒が静寂に変わる。

 

「むっ、近いな。何が起きておる?」

「人だかりで見えませんねぇ」

 

「──ッ八雲紫だ! 道を変えるぞ!」

 

 ただ1人、配置場所と背の高さから状況を把握できた妹紅が顔色を変え退避を急かす。

 瞬間、悪党三人衆は何が起きたのかを大体把握し、流れに逆らって大通りから脱出した。

 

「幸先悪いな。あの野郎は何してた?」

「詳しくは見てないけど、吸血鬼の一行と話してたと思う。ほらレプリカとかいう」

「レミリア・スカーレットですね」

 

 幻想郷においてその名を知らぬ者など居ないだろう大妖怪だが、俗世から色々な意味で離れている反幻想郷連合における認知度は過半数以下だった。

 とまあそれは兎も角として、紅魔館は明確に親八雲紫派として行動している勢力。そんな連中に見つかるのも中々面倒だろう。

 

 より慎重な行動を心がけなければならない。そう全員が再確認した、その時だった。

 布都が首を傾げる。

 

「おろ? 菫子がおらんが」

 

 

 

 

(テレポートで抜け出しちゃった。ごめんねもこたん、みんな)

 

 仲間達の意に沿わない行動であるのは百も承知。幻想郷でできた友達を裏切ってしまうことに胸を痛めたけども、菫子はどうしても自分を納得させたかった。

 紫と話せば何かが変わるかもしれない。

 

 群衆は紫とレミリアを避けているようで、2人を囲うようにして密集している。これでは近付くのが困難だ。何とか再度テレポートの準備に入るが、人の壁の向こう側から聞き覚えのある声音が聞こえた。

 透視能力を駆使して状況を覗き見てみる。

 

「──だから安心して頂戴。どんなに時間がかかっても私が必ず良い方向に導くから」

「いいやダメだ。私は認めない」

 

 和気藹々とは程遠い、緊迫した内容の会話であるようだった。紫と話している少女は苛々とした態度を隠そうともしていない。

 喧嘩だろうか? 

 

「私は貴様を高く買い被っていたみたいね。少し見ない間に随分と醜い運命に成り果てたものだ」

「それでフランの気持ちが救われるなら安いものですわ。貴女もあの悩みを知らないわけではないでしょう? あの子の進む道はあの子自身が決める」

「よく言うわ。自分の都合が良いように誘導しておきながら」

「……貴女もそうじゃない。幽香と隠岐奈を相打ちに仕向けたのと何が違うの?」

 

 殺気混じりの応酬だった。

 思わず身が竦んでしまうほどの重苦しい雰囲気に、短い悲鳴と共に人々が逃げ出していく。中には泡を吹いて気絶している者さえいた。

 一方で、菫子は動かなかった。否、動けなかった。

 

 最早言葉は不要とばかりにレミリアがスペルカードを差し向けるが、それを制するように紫は敢えて距離を縮め、顔と顔が触れそうになるまでに接近する。

 傍に控えていた咲夜が紫の首にナイフを当てているが、怯んだ様子は全くない。

 

 真紅と桔梗の瞳が交錯する。

 

「……」

「もうそういう段階じゃないのよ、レミリア」

 

「……咲夜! もういい、行くよ」

「かしこまりました」

 

 結局戦いが起こることはなく、紅魔の主従はあっさり引き下がった。

 レミリアの瞳は幾千幾万の運命を瞬時に見通す力がある。このまま紫と事を構えるのは完全なる負け筋だと判断したのだ。

 

 耐え難い屈辱だ。煮湯を飲まされたが如き激しい憤怒に、あの咲夜ですらどう声掛けをしたものか躊躇しているようであった。

 2人の道は違えられた。吸血鬼異変以来となる絶対の決別である。

 

 

「ねえ、ゆかりんっ!!!」

 

 菫子は我慢できなかった。

 レミリアが見えなくなるまで見送る紫があまりにも悲しげに見えたからだ。彼女の苦しみを直に感じて、居ても立っても居られないと。

 

 だから手を握る。

 夢の中のあやふやな感覚ではなく、現実の世界でしっかりと握りしめる。

 紫の手は酷く冷たかった。

 

 顔も姿も、自分の知る紫ではない。

 肩に付くくらいだった金髪の髪は腰に届くまでに伸びているし、目付きや服装も違う。

 だけども心は自分の知る紫と同じだと心で悟った。

 

 ゆっくりと、スキマの相貌が菫子を捉え、大きく見開かれた。

 溢れた雫はきっと渇きを齎すのだろう。

 

「……菫子」

「ゆかりん……」

 

 僅かな静寂。

 紫は目尻を下げると、菫子の小さな掌を両手で包み込む。我が子を慈しむ母親のように。

 

「ようこそ幻想郷へ。歓迎するわ、すみれ──」

 

「どけえぇぇえええッ!!!」

「あがぺ!」

 

 業火を纏う蹴りが菫子の頬を掠め、紫の顔面の半分を消し飛ばした。

 有無を言わせない一瞬の出来事だった。

 

 仰向けに崩れ落ちる紫。状況を把握して悲鳴を上げる菫子。そして、そんな彼女を無理やり抱え上げて離脱する妹紅。誰もが望まない結末だった。

 

「いや、いやだ! ゆかりんっ!!! なんでなのもこたん!? なんで酷い事を!」

「ごめん、ごめんな菫子」

 

 妹紅は謝る事しかできなかった。菫子に凄惨な光景を見せてしまった事、望む未来を与えてやれなかった事。その全てに対してだ。

 菫子に対して配慮する余裕が無かった。

 

 すぐさま参道を外れて雑木林を疾駆していると、即座に他3人が合流する。泣きじゃくる菫子を見て大方の顛末を把握したが、表情は一様に優れない。

 

「殺れなかったのか!? 顔半分消し飛んだぞ!」

「無理だアレじゃ絶対に死なない。今は逃げた方がいい、絶対に」

「いえ、ここは当初の予定通り博麗の巫女を目指しましょう。このまま逃げたところで……」

 

 

「そう、通行止めですわ」

 

 木々の隙間。月と夜の境界から現れたのは、言わずもがな八雲紫。妖しい笑みを浮かべながら、各々を品定めするように視線を這わせていく。

 負傷は既に完治していた。

 

 妹紅の焔には永遠の属性が付与されている。この力で身体の部位を欠損させれば、如何なる再生能力を持つ存在ですら復元を大きく阻害するのだ。

 しかし紫には通用しなかった。境界を操る妖怪にとって、永遠ほどチープな概念はない。

 

「貴女達の行動は初めから全て筒抜けでした。故に、追い詰められればすぐ逃走を試みるだろうと踏んでいた。ここまで綺麗に的中すると気持ち良いわね」

「何だと!?」

「菫子から接触しに来てくれたのは誤算だったけどね。でもそのおかげで私も早いうちに踏ん切りを付けることができましたわ」

 

「此奴が八雲紫か……。なんという、噂に違わぬ恐ろしさ……! だが我は屈せぬ!」

「どちらさま?」

「我が名は物部──むぐっ!」

「ハッ、馬鹿正直に正体を明かすわけ無ェだろ!」

「貴女は正邪でしょ」

 

 Sはそっぽを向いた。

 

 何はともあれ絶体絶命。紫と相対してしまった以上、残された選択肢は戦闘の末の敗死か、若しくは成功する見込みのない逃走、降伏、自決。いずれのみ。

 だが此処に居るのは紫に屈する事を良しとしなかった気骨ある一団である。いずれの選択肢も受け入れる余地など存在しない。

 

 殿役は既に決まっているようなものだ。

 爆炎を噴き上がらせながら妹紅が進み出る。

 

「私がコイツを抑えているうちに、お前らは菫子を博麗神社に連れて行け。命尽きようと絶対に後を追わせないから、頼む」

「よし任された! お前らずらかるぞ!」

 

 

「『トリニタリアンファンタジア』」

 

 

 決死の逃走は一歩目で頓挫した。

 逃走者の行く手を阻んだのは、視認した者全てに否応なしに恐怖を抱かせる暗雲。個人によってその像は異なるが、受け入れ難い不快感を与えるのは間違いない。

 暗雲が凝縮され実体を作り出す。恐怖を纏い現れたのは大妖怪封獣ぬえ。

 

 さらに、突然迫り上がった土塊が形を成して土着神の頂点洩矢諏訪子まで顕現する。古の神力は威を伴い、相対するだけで生物を萎縮させる。蛇に睨まれた蛙とはこの事だ。

 これにより逃げ道は完全に絶たれた。

 

「揃ってせっかちですわね。まだ何も話せてないでしょうに」

「テメェと話す事なんか何もないね」

貴女(天邪鬼)と話したところでねぇ……。私が用があるのは菫子だけよ」

「天下の八雲紫ともあろう者がご執心とは、このガキに何か秘密があるって口外してるようなもんだ。渡すわけ無いだろバァーカ!」

「貴女ってそんな口調でしたっけ? まあ別にいいんですけど」

 

 小物臭い口調は兎も角として、Sは冷静に今後の動きを練っていた。やはり菫子は紫にとって深い意味を持つキーパーソンに違いない。自分が思っていたより数段重要な人物だったわけだ。

 つまるところ、おめおめと菫子を渡すわけにはいかなくなった。天邪鬼としての曲がった性根が描いた最高の展開。

 

 だが逆に言えば、それだけ本腰を入れて紫は菫子の奪取を目論むだろう。それこそ手持ちの傀儡全てを駆使し、自らの権能を駆使してでも。

 

 紫の合図と共に傀儡が戦闘態勢に入る。

 ほんの僅かに歯を立てて抵抗の意思を見せる傀儡(ぬえ)も居たが、やがては渋々従った。

 

「今日を以って私は次の夢に進む。それを邪魔しようとする異物は速やかに排除しなければなりませんわ。さあ、存分に力を振るって頂戴」

 

 

 

 

 *◆*

 

 

 

 

 私は目の前で繰り広げられる死闘を、信じられない気持ちで眺めるしかなかった。

 あり得ない、と。自分に言い聞かせるように何度も呟く。頭がどうにかなりそうだ。

 

 私のサードアイはこんな結末を示していない。

 起こり得る余地など欠片も存在しなかった筈なのに。

 

 あのスペルカードは何だ? 

 何故、諏訪子さんが紫さんに付き従っている? 何故、宇佐見菫子を狙っている? 

 

 どんな小細工を使って私の能力を誤魔化したのか見当も付かない。それほどまでに私は自分の読心能力に自信を持っているのだから。紫さんが私の手から逃れられる道理など無いのだ。

 

 というか、あの紫さんに出し抜かれていたと考えるだけで微妙な気持ちになってくる。

 

 動揺は収まらないけれど、悠長に惚けている暇など許されなかった。

 目下、戦闘は紫さん側が完全に押している。

 当の紫さんは手を出さず諏訪子さんと謎の妖怪だけで戦っているのだが、数の差など覆して余りあるほどに個々が強力であり、菫子さんを奪われるのは時間の問題か。

 

 ……しかも反幻想郷連合なる集団には『獅子身中の虫』もいるようだ。彼女のせいで紫さんに動きの殆どがバレていたらしい。

 なんにせよ、早急に菫子さんを私達の手で保護する必要があるわね。妹紅さんには悪いが、彼女達では不確定要素と付け入る隙が多過ぎる。

 

 

 ドレミーありがとう。貴女が念入りに警戒を促してくれたおかげで、万が一に備える余地を用意することができた。これで漸くギリギリだ。

 

 

「はたてっ! てゐっ!」

 

 

 叫びに近い呼び声を発する。こんなに大きな声を出したのは妖生初めてかもしれない。

 だがその甲斐あって2人には合図が届いたようだ。間髪を容れず天狗に河童、妖怪兎の大群が雑木林を突っ切って戦場に雪崩込む。

 

 私の数少ない人脈を駆使しての救援要請を快諾してくれた盟友2人には感謝してもしきれない。こうして自分の部下を駆り出せるだけ連れてきてくれた。

 ……贅沢を言うとレミリアにも来て欲しかったんですけどね。どうやら戦闘に参加する気はないようで、姿がない。静観するつもりだろうか。

 

 突如として現れた第三勢力に場の全員が浮き足立つ……のを期待したのだが、全員が動じる事なく対応を開始している。流石は歴戦の猛者揃いだ。

 よくよく考えれば、菫子さんを除いて全員が齢千歳を越える長者ばかりね。

 

「取り敢えず乱戦に持ち込むよ。私らは宇佐見菫子の奪取を第一に動く」

「い、イエッサー!」

「あいあいさー」

 

「てゐは向こうに行ったのね! なら私達はあの不気味な妖怪と神様を止めよう!」

「承知。はた、天魔様は下がられてください」

「よぉし月から鹵獲した新兵器を試すのには良い舞台だ! 総員、一斉射撃の準備!」

 

 流石は幻想郷を運営してきた海千山千の賢者。即座に状況を把握し、役割分担を構築。数だけが多い烏合の衆とならず脆弱な存在を上手く立ち回らせて場を引っ掻き回す事に努めている。

 

 八意永琳や射命丸文、鈴仙など各勢力を代表する強者はリハビリや情報の共有不足で居ないものの、それでも対抗するには十分だ。

 趨勢を決するだけの時間は稼いでくれる。

 

 しかも、はたてに至っては私の為に道を用意してくれているみたい。

 今回だって紫さんとの信頼を天秤に掛けた上で助力してくれているのだから、腹を括っているのだろう。後ほど心からの感謝を伝えたい。

 

「紫さん」

 

「……」

 

 まるで邪魔者を見るかのように顔を顰めている。実際、心の中を覗いてもいつも通り、私への苛立ちや嫌悪感が大体を占めていて、今回の出来事に対しての考えや想いは一切存在していない。

 やはり何らかの小細工をしているのだろう。

 

 小賢しい。

 

「いつからですか?」

「主語を言ってくれないと何が何だか分からないわ。生憎、私には貴女のような便利で忌々しい能力はございませんので」

「すっとぼけないでください。貴女はこんな事ができる人ではなかった。私の知らないところで何があったんですか? ……何を知った?」

「貴女は私に何も教えてくれなかったのに、立場が逆転した途端矢継ぎ早に回答を求めてくるなんて随分と虫がいいんじゃないかしら」

 

 鈴のように笑う様は魔性の類か。心を満足に覗く事のできない状態で彼女を相手するのは、かなりキツそうだ。

 息を整えて再度語りかける。

 

「私を恨みますか」

「……いいえ。寧ろ感謝してるわ」

「感謝?」

「貴女には損な役回りばかりさせていたような気がしてね。私に情報を与えないよう頑張ってたでしょう? おかげで私は何も知らずに幸せな毎日を過ごす事ができた」

「なら、なんで……!」

 

 聞かずにはいられなかった。

 私は未だに信じられない。目の前にいるスキマ妖怪が、私の知る紫さんだなんて。

 私の身体が芯から震えているのが分かる。

 

「どうして全てを捨てようと? 紫さんにとって幻想郷とは、この世界に住まう者達とは、それほどまでにチープな存在なのですか?」

「優しいわね、貴女は」

 

 何を急に。

 感情に訴えかけてみても紫さんは動じない。それどころか私の反応を誘うように訳のわからない事を宣っている。癪に障る、苛立たしい。

 私が話したい事を全く話してくれないのだ。

 

「貴女との思い出は正直あんまり楽しいものではなかったわ。顔を合わせれば毒舌で全てを否定されるんだもの。流石の私も傷付いたわ」

「私は事実しか言いませんから」

「そうね。でもそれだけじゃなかった筈。私の心を何度も嬲る事で『弱くて惨めな私』を保たせようとしていた。そうでしょう?」

 

 確かに、紫さんの言う通りだ。私が紫さんを執拗に罵倒していたのは、紫さんの身体に別の心が宿らないようにする為だった。昔に死んだ八雲紫の心が復活でもすればどんな事態が起こるか想定すらできないから。

 

 でもその結果、私は出し抜かれた。

 紫さんの弱さを誰よりも知っていたからこその失態と言えるのかもしれない。

 

 私は紫さんを信じたかったんだ。

 

「……紫さん、これが最後です。その野望を捨てて、いつも通り幻想郷でアホらしく暮らしてください。それが誰も不幸にならない未来」

「断れば私を殺すの?」

「私では……貴女を殺せません」

 

 物理的にも心情的にも、私の力で紫さんを殺害するのは不可能だ。実質不滅の存在。それに殺したくないという気持ちがある事は否定しない。

 

 だけど、私に取れる手段が皆無かといえばそうではない。

 

「貴女を封印して、その間に私の能力で記憶を書き換えます。きっと目覚めは数年後になってしまいますけど、また何も知らないまま楽しく暮らせますよ」

「私にまた全てを忘れろっていうのね」

「ずっと言っていたじゃないですか。『知ろうとしない事は勇気である』と。……お願いです紫さん。受け入れてください。元の紫さんに戻ってください」

 

 これで頷かなければ実力行使だ。私の想起で霊夢さんか擬きさんあたりの封印スペルを再現すれば、今の紫さん相手でも通用するだろう。

 

 そもそも今の紫さんは不完全である。未だ宇佐見菫子を手中に収めていないからだ。

 八雲紫が本領を発揮する可能性があるのは、()()2()()()()()()()()()()()

 

 トリッキーな妖術を幾つか習得しているようだけど、肝心の実力は未だクソ雑魚のまま。でなければ諏訪子さん達を傀儡として操る必要なんかない。

 

 今なら、確実に挽回できる! 

 もういい。紫さんが話したくないというなら此処に至るまでのトリックの解明は諦めよう。そんなもの後からどうとでもなる。

 

「抵抗しないでくださいね。できれば傷付けたくありませんので」

「さとり。私は貴女ほど優しい妖怪を見た事がないわ。他の人に尽くす事のできる精神を持った素晴らしい妖怪、それが貴女」

「……何ですか急に? 媚を売っても私の判断は変わりませんよ」

「でしょうね。でもその優しさがこれまで貴女に何を施してくれたのかしら? そう、貴女の妖生は失ってばかり、奪われるばかり」

 

 戯言だ。

 早く封印を。

 

「貴女は妹が死んでしまったその時から何も変わっていないのよ。だから何度打ちのめされても自分を捧げてしまう。意味なんて何もないのに」

「……!」

「私に優しくすべきではなかった。隠岐奈と一緒に私を殺してしまえば良かったの。そうすれば少なくとも貴女は、もうこれ以上何も失わずに済んだのよ」

 

 そうだ。その通りだ。

 私の見通しの甘さがこいしを殺した。私の判断の誤りがお燐を殺し、お空を傷付けた。

 そんな事は言われなくても分かっている。私は賢者と名乗っている奴らほど冷徹な判断を下す事なんてできない。満足な策を練る事さえ一苦労だ。

 

 でも、それを他ならぬ紫さんに突き付けられたくはなかった。貴女が生きていてくれることだけが、私の後悔を紛らわせる唯一の結果だったから。

 

 あれ。

 というか、なんで、紫さんがこいしの死を知って……? 

 

 

 

「だからね──死んじゃうんだよ? お姉ちゃん」

 

 

 

 懐かしい声だった。

 

 何百年ぶりだろう。忘れる筈がない。

 冷たくなっていく思考とは裏腹に、背中が煮えたぎるように熱い。固まる首を無理やり曲げて、覚束なく揺れる瞳を背後へと向ける。

 

 そうか。だから、心が読めなかったのか。

 

 私はずっと勘違いしていた。

 紫さんを通してあの子を見ていたのではない。紫さんの中にあの子が居たのだ。

 

「こ……いし……」

 

 それこそ夢にまでみた妹の顔。そして背中に突き立てられたナイフ。

 ゆっくりと、だけども確実に私の肉を裂いていく。夥しい量の血液が零れた。

 

 膝から崩れ落ちると同時にナイフが引き抜かれる。ただの一突きで私の命の殆どが刈り取られた。何故だろう、意識がはっきりしない。

 死が迫っているのを感じる。

 

 周りの戦闘音や悲鳴がくぐもって、遠い世界のようだ。今際、という事なのか。

 

 まだだ、まだ死ねない。

 私が紫さんを止めなきゃ……誰の手にも負えなくなってしまう。また、繰り返されてしまう。

 

 それに私、まだ、こいしに。

 

 

「私ね、ずっと謝り、たくて……」

 

「おやすみ。お姉ちゃん」

 

 

 感情の無い笑みを浮かべるこいし。いつも思い浮かべていた顔とは、まるで違う。

 

 言葉を紡ぎ切るより先にナイフが振り下ろされ──。

 

 

 ……。





トリニタリアン
【三位一体の】

こいしちゃんの過去回想以外でのマトモな登場は、殆どがゆかりんかフラン視点。例外としてさとりの想起とはたての念写にのみ登場しますが、いずれもゆかりんを通して観測している状態ですね


次回で終わりです

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