幻想郷は全てを受け入れるのよ。それはそれは残酷な話ですわ……いや割とマジで   作:とるびす

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八雲紫スキーム妖怪説


デューパー VS エスケーパー VS スキーマー①

「いやはや、紫さんの殺害任務から解放されたかと思いきや今度は邪仙の調査とは。そろそろ夢の世界に帰してほしいものですがね」

「上手くいけばこれが最後になるかもね」

「だといいんですが」

 

 ドレミーは肩を竦めた。

 

 仮死状態の青娥を地霊殿で預かってはや数日。彼女の記憶の深層を探る作業が延々と続いている。

 しかし、芳しい成果は未だ得られていない。

 その道のスペシャリストである古明地さとりとドレミー・スウィートを以ってしても記憶の解明が難航している原因は、青娥の隠匿技術にある。

 

 2人して忌々しげに、寝台の上で心地良さそうな死に顔を浮かべている邪仙を見遣る。

 

「相当なやり手だとは思っていましたが、まさかこれほどとは……。こうも巧妙に隠匿されているのでは夢の支配者も形無しですねぇ」

「逆に考えれば、記憶の中に重要な何かを隠していると口外しているようなものよ」

 

 いくら青娥の意識を覗いても、異変前後と守矢神社で暗躍していたと思われる期間の記憶が見つからないのだ。出てくるのは主に仙人になるまでの道程と、飛鳥時代から平安時代にかけての記憶。

 特に宮古芳香との思い出。

 

 自らの根幹に関わる大切な記憶で頭の中を埋め尽くし、その他を厳重に封する。ある意味邪仙らしい、手段を問わない外法の所業だ。

 それを自身に施す点も含めて、やはりこの邪仙の倫理観はぶっ飛んでいる。

 

 さらに言えば、これほどの封印を即興で為すのは幾ら青娥といえど不可能だろう。予め用意しておいたものであると考えるのが妥当。

 つまり、青娥は異変の失敗と自身の捕縛を想定していたという事になる。

 

 そんな青娥の捨て身とも取れる封印術は見事にさとりとドレミーの追及を阻んでいた。

 もっとも、サスペンス好きなさとりにとって青娥の過去は中々楽しめるものだったので、ドレミーに比べてあまり消耗していない。

 特に芳香を巡る青娥と華扇の愛憎入り混じる三角関係には心が躍った。

 

「楽しんでいるところ申し訳ないけど、そろそろ休憩しても? この邪仙が運び込まれてからというものずっと詰めていますし」

「そうね、そうしましょうか。……お燐、いいかしら?」

 

 辺りを漂っていた怨霊が大きく跳ねると、台所へふよふよと飛んで行く。実体を失ってもなお尽くしてくれる彼女は、やはりさとりの腹心なのだろう。

 ああはなりたくないものだ、と。ドレミーはそんな事を堂々と考えつつカップを口に運んだ。

 

 

 一息吐いて、本題を捻り出す。

 

「地上ではそこそこの騒動になっているようですねぇ。あの可哀想な女児の件」

「宇佐見菫子については心配しなくてもいいわ。いずれどこかのタイミングで幻想郷の誰かが上手いこと保護して落着すると思う。なんなら紫さんが見つけてしまう可能性もゼロではないかもね」

「だから問題なんですよ。あの2人を引き合わせるのは……ほんの少し勇気が要る」

「らしくない。やけに弱気ね」

「そりゃ私が今こうして貴女にこき使われているのは、自分に自信を持ち過ぎていたからです。学んだんですよ、不確定要素に対して警戒し過ぎるに越した事はない」

 

 さとりとてドレミーの懸念を理解できない訳ではない。油断はいつだって禁物である。つい最近だって隠岐奈に酷い目に遭わされたばかりだ。

 しかし今回ばかりは、さとりにとって安心できる材料が幾つかあった。

 

「紫さんの心を隅々まで覗きましたが、怪しい考えは発見できませんでした。いつも通り、間抜けな事とサボる事ばかり考えていたわ」

「そうですか……ならいいんですが」

「まあ、万が一に備えて同盟者のてゐとはたてさん、あとレミリアに菫子の捜索依頼を出しているわ。なるべく紫さんとは接触させないようにね」

 

 さとりは紫の変化を常に監視していた。

 事あるごとに地霊殿に呼び出して心の状態や、『擬き』以外の思考の有無を何度も確認している。付け加えて唯一の抜け穴である夢の世界での動きも、ここ最近は皆無だ。

 

 非常に良い調子で推移している、紫の状態に問題はないと断定した。

 

「しかし気にならない点が無いわけではないですよね? 紫さん自身に問題は無くとも、その周りでは相当数の問題が起きています」

「行方不明になってる擬きさんの件ですか」

「地獄の女神についても、ですよ。あの方は尋常ならざる存在。それを相手にして勝利を収めているのは不自然ではないですかね?」

「……紫さんの記憶にかの女神の死に関する情報はありませんでした。であれば、擬きさんが何かしたと考えるのが自然でしょう」

「全存在を賭けて繰り出した攻撃が運良くヘカーティアを捉え、結果相討ちと考えれば辻褄は合うかもしれませんが……」

「……納得いってないようね」

「納得は全てに優先しますから」

 

 実のところ、ドレミーは紫の現状を違和感だらけであると考えている。

 かつて夢の支配者として、紫と深く関わった事で培われた警戒の意識が納得を押し留めているのか。理由は定かではない。

 

 しかしヘカーティアの死、紫擬きの失踪、宇佐見菫子の幻想入り。関連性を見出すのは容易ではないが、不吉な予感がしてならないのだ。

 あとは、そう。さとりによく相談を持ちかけていた八雲藍が、ここ最近接触してこないのも若干の不安材料である。

 

 それに不自然なのはさとりもそうだ。

 従来の積極性の無さもあるのだろうが、ここ最近は特に動きが緩慢過ぎる。

 最大の敵対者だった隠岐奈が消えたことによる安堵がさとりの何かを鈍らせているのかとも考えた。でもやはり、それ以上に──。

 

「貴女は物事を都合良く考える癖がある。紫さんを信用し過ぎているんですよ」

「……」

「忘れないでください。あの人は、いつだって私達の想像を容易に超えてきますから」

「分かった、分かったわ。ドレミー、貴女が正しい。確かにあの人に対しては警戒し過ぎるくらいがちょうどいいのかもしれない」

 

 そして、さとりは愚かではない。

 楽観主義的なところは自覚しているけれど、だからこそ地上での生活と共に拭い捨てる決意をして、今がある。

 こいしの死により変わらざるを得なかったのだから。

 あの時のような後悔は二度と……。

 

 青娥の封を解く作業はドレミーに全面的に任せる事にした。難航しているとはいえ、彼女の腕前ならさとり抜きでも数日中に完遂できるはずだ。

 

 さとりは地上へ出向く準備を始める。

 いま一度紫に接触し、不自然な点がないかを隅から隅まで調べ上げるのが目的だ。

 もう何年も着たことのない他所行きの服を持ってくるようペットに指示している。

 

 ふと、ドレミーが手を叩く。

 

「そういえば地上ではそろそろ大規模な祭事が開催されると聞きます。紫さんとの接触はその時がいいでしょうね。予めアポを取ろうとすれば紫さんに行動の自由を与えてしまいます。青娥さんのように隠匿されるやも」

「偶然遭遇するくらいの方が小細工なしで話せそうなのは、確かにその通りね。……そして貴女の考える通り、紫さんは私が祭りに参加するなんて想像すらしていない。実際地上に行く予定すら無かったし」

 

 さとりにとっては誠に遺憾な話だが、紫はどうもさとりの事をインドアを好む根暗少女(マイルド)と見ているらしい。この思い込みを利用しない手は無い。

 

 ついでに言えば八雲邸にアポ無しで乗り込む事もできるが、単独での行動は避けた方がいいだろうという判断である。

 紫相手ならどうにでもなるが、最近八雲邸を出入りしている天子と運悪く鉢合わせれば、面倒臭いイベントが発生すること間違いなしだろう。

 

「それじゃあ、行ってくるわ」

「幻想郷は相変わらず物騒です。心配はいらないでしょうが、どうかお気をつけて」

「ええ。お燐も、地霊殿のことお願いね」

 

 互いに手を振って軽い別れを告げる。

 億が一を想定した唯の確認作業。さとりに、発案者であるドレミーもその程度の認識だった。

 故にその程度の言葉しかなかったのだ。

 

 

 これが今生の別れになるとも知らずに。

 

 

 

 *◆*

 

 

 

 地底でそんな動きがあった頃、対極に位置する冥界では影に蠢く者達が集結していた。

 幻想郷に馴染めなかった、或いはその存在が許せなかった者。八雲紫を追う者、或いは追われる者。

 日陰に生きる事を余儀なくされた理由は様々であるけれど、各々に共通していたのは己が信条が紫と合致しなかった点、これに尽きる。

 

 前回の異変で紫が完全には消しきれなかった最後の火種達である。

 

 

 

 もしや面倒臭い連中と関わりを持つことになったのではないかと、妹紅は遠い目で眼前の桜を眺める。菫子は相変わらず無邪気に花びらの海ではしゃぎ回っている。羨ましいものだ。

 まさか、蓬莱人の身であの世に足を踏み入れる日が来るとは夢にも思わなかった。

 

 ふと、気になっていた事を問い掛けてみる。

 

「結局、ぬえと諏訪子って奴はどうなったんだ? 死んだのか?」

「知らん。だが一つ言える事は、奴等は所詮ただの抜け殻。人形や死体みたいなもんって事ぐらいだな。生きてはいない」

「足はあったよね! ならゾンビってコト!?」

「そんな可愛げのある化け物なら大歓迎だが、アレはもっと醜悪なモノだ」

 

 幻想郷でかき集めた物資が詰め込まれたズダ袋を引き摺りながら、淡々と説明を垂れ流すS。

 妹紅も若干そんな気がしていた。まるで輝夜や永琳と相対している時のような感覚があった。生人でも、死人でもないもう一つの形。

 

 その絡繰は非常に悪辣だった。

 

「私の能力でマスターとスレイブを逆転させたんだ。本来なら傀儡の術を施している術者を炙り出すためのスペル。でも八雲紫は現れず、奴等は土に還った」

「ああそうだったな。人形にしては意思があるようにも見えたが」

「そう、アレは自律して動く意思を持たされた趣味の悪い人形だ。だから紫を引き摺り出せなかった。主人の居ない式神みたいなもんだな」

 

 肌をヒリつかせるほどの存在感を放っていたアレらが無から作り出されたとは思えない。きっと元のぬえと諏訪子は居たのだろう。そして紫に殺された。

 今となっては使い捨ての忠実な泥人形か。

 

「ここがあの世なら、あの2人にも会えるのか」

「無理だな。スキマ妖怪に関わってまともな死後が送れるとは思えねぇ。事実、アイツを恨みながら死んでいった奴は星の数ほどいるだろうけど、誰一人として化けて出てきてない」

 

 つくづく最悪な妖怪だ。妹紅は心底そう思った。

 

「そういえば冥界は八雲紫の友人が管理してたよな。こんなに呑気してて大丈夫か?」

「西行寺幽々子はここ数日幻想郷にかかりっきりだからな。戻ってくるまで私らの根城として利用させてもらうさ。もし戻ってきたらお前に相手を頼もうと思うが」

「まだアンタ達に協力するとは言ってないぜ」

「ああそういやそうだった」

 

 協力者Sの言葉に不快感を示す。そんな反応もSは想定済みだったようで、軽く謝りながら集合場所へと2人を牽引する。利用する気満々といったところか。

 だがまあ、見たところSはそこまで強くない。そんなSが率いる集団なら妹紅が一番強いだろう。だからいざとなれば蹴散らせると判断して好きにやらせている。

 

 不意にSが指し示した方向にはお粗末な天幕があった。存在を言及されるまで気付かなかった。

 巨大な市松模様の布が桜の木に掛けられており、最低限のスペースを確保している。

 

「幻想郷で手に入れた反則アイテムだ。この布があればどんな追跡も振り切れる」

「それをアジトの防壁にしたって事か。一応それなりの備えはしてるんだな」

「ふふ、私の仲間になるのはお前らにとっても決して悪い話じゃない。話を聞けばすぐにでも私達に協力したくなるだろう」

「どうだかね」

 

 Sから情報を得た後、どう動くかは妹紅次第だ。

 

 

「喜べお前達。新たな同志だ!」

「おおこれはこれは、とても強くて頼もしそうなお方ですね。歓迎いたしますよ。困ったことがあれば私になんでも申しつけてください」

「お主、見た目以上に相当歳を取っていると見た。さては尸解仙……だな?」

 

 小物臭が嫌でも漂う不審者。

 偽物の笑みを貼り付けて媚び諂ってくる小狐。

 訳のわからない事をドヤ顔で宣う亡霊。

 

 妹紅が離脱を決意した瞬間だった。

 一通り面子のリアクションを確認した後、菫子の手を引いて幻想郷に戻ろうとする。だが不思議や不思議、意思に反して足が逆向きに動いてしまった。

 

 困惑する妹紅をよそに3人と菫子はやいのやいのと盛り上がっている。

 

「とても乗り気な藤原殿。スキマ妖怪に追われる不憫なお嬢さん。ようこそ反幻想郷連合へ」

「3人だけで連合なのか? っていうか私に変な術かけてるだろ」

「さあ? 心当たりがないな。じゃ、私らと組む意思を見せてくれた事だしまずは自己紹介と各々の目的の確認といこうか」

 

 Sは言い出しっぺだった。周りに発言を促して自分は踏ん反り返っている。まるでお前らは前座とでも言いたげな態度だ。

 

「では僭越ながら私から。名前は菅牧典と申します。昔は妖怪の山で主人の下、それなりの要職に就いていました。しかし主人の失脚と同時に山から追い出されてしまいまして。今回を機に返り咲きたいと思い参加させていただいた次第でございます」

「反幻想郷連合は私と典で作った。追い落とされて再度下剋上を仕掛けるその薄汚れた心意気は嫌いじゃない」

「下剋上の申し子である貴女様にそう言ってもらえるとは光栄です。是非、現在進行形で山にのさばっている偽天魔を倒すのに協力していただければ」

 

 にこにこと柔らかい笑みを浮かべる狐妖怪。かつて死闘を演じた八雲藍に比べればあまりにも弱々しく思える。しかし腹黒さという意味では輝夜に匹敵するだろう。

 

 年の功で人を見定める力がずば抜けている妹紅からしてみれば、典のそれは一から十まで欺瞞に満ちた自己紹介としか思えなかった。

 邪悪さを隠し切れていない。

 

 というか3人とも全員真っ黒に近い。よくぞここまでの悪人が集結したものだと感心すらする。

 

 続いて声を上げたのは、いまいち緊張感のない様子で言葉を捲し立てる謎の亡霊。

 妹紅が生まれた頃にほど近い年代を生きていたようで、導師気取りの装束を着こなしている。

 

「我が名は物部布都! 昔はまあ色々しておった。仙人を目指していたのだが、いつの間にか死んでしまったようでな。冥界を彷徨っていたところを2人に拾ってもらい、太子様の現況を知って立ち上がったのだ! あっ、ちなみに太子様とは豊聡耳様のことで……」

「そこはおいおいにしときな。まあ要するにコイツの目的は八雲紫に拐かされている"太子様"とやらを助け出すことだ。利害の一致だな」

「ついでに今も何処かで彷徨っているであろう小生意気な同僚を見つけて欲しいのもあるのう。青娥殿と河勝殿亡き今、少々癪だが太子様も己の手足となる者が1人でも必要な時期であろうて」

 

(豊聡耳って人里で偉そうにしてた奴だよな。八雲紫に騙されているような感じではなかったけど……)

 

 この辺りもなんらかの思惑が渦巻いているのが見て取れた。騙す者、騙されるふりをする者で非常に混沌としている印象だ。

 やはり関わってはいけない連中だったらしい。

 

 Sは悪党。典は女狐。布都は策士だ。

 この3人には互いを尊重し合う想いなど微塵もない。他を踏み台にして自分の利益だけを追求するエゴイスト共。

 自分の父が繰り広げた政争を思い出してなんだか白けた気分になる妹紅であった。

 

 

 そんな訳で続いて妹紅の番が回ってきたのだが、馴れ合うつもりはないので名前と菫子を外の世界に帰してあげるのが目的とだけ答えた。

 菫子の目的もまた単純明快で、幻想郷を隅から隅まで探索したい事、そして紫と会いたい事、この二つである。

 

「そこの童は八雲紫に追われておるのであろう? まさか彼奴も会いたいが為だけに探している訳ではあるまいて。……なるほどのぅ」

「その通り。菫子には利用価値がある」

 

 馬脚を(あらわ)したとはまさにこの事だ。

 やはり狙いは菫子かと、妹紅の視線が鋭くなる。

 

「勘違いしてはなりませんよ藤原様。我々は八雲一派のように貴女方に危害を加えようとしているのではありません。むしろ護りたいと思っているのですよ」

「……何故だ?」

「答えは簡単。それが一番八雲紫にダメージを与える方法になるからです」

 

 というのも、悪党三人衆が各々の目的を達成するには、まず八雲紫をどうにかして弱らせなければならないのは言うまでもないだろう。彼女が健在であるうちは同盟者である天魔が揺らぐ事はないし、神子を上に立たせる事は従属以外に不可能。

 よって日々様々な策を練ってはいるものの、どう足掻いても紫の擁する戦力に打ち勝つのは無理がある。政治的な方面から攻めようにも幻想郷の地盤が安定し過ぎていて付け入る隙がない。

 八雲紫の力はここにきて極まっていた。

 

 結果、効果的な嫌がらせを散発的に行う事で突破口を見出そうと考えている段階なのである。

 

「暇なのかアンタら」

「策ってのは並行して進めるもんだ。それが一斉に花開けば小さな力も幻想郷を揺るがす大火になり得る。先の華々しい異変みたいにな!」

「お前稀神正邪だろ」

 

 Sはこれをスルー。

 

「あんな化け物共を(けしか)けてまでガキを確保しようとするなんて尋常じゃねえ。何か裏がある。だから私達はそれを徹底的に妨害してやろうと思ってな」

「追われる心当たりがあるなら教えておくれ。それに応じてさらに効果的な策を用意するぞ」

「うーん……ないなぁ。菫子は?」

「ゆかりんも私に会いたいんでしょきっと!」

「それにしちゃ手荒すぎるだろ」

 

 一瞬、脳裏でメリーの事が過ったが振り払う。ネガティブになるとどうしてもあの時のことを思い出してしまうのは、悪い癖だ。

 何にしても紫の事だ。どうせ碌な目的でないのは明白である。

 

「そうか。では当初の計画通りに進めるしかなかろうな」

「計画?」

「うむ。いま最も八雲紫に痛手を与え得る確実な計画よ。まあ正邪殿と典殿から齎された情報が全て正しければ、の話だがの。生憎、我は幻想郷の情報を持っておらん」

「なら何も問題ございませんね」

 

 自分を挟んで火花を散らすのはやめて欲しいと思った。

 

「『菫子を博麗の巫女に引き渡す』……これが現時点で考えられる限り、八雲紫が一番嫌がるだろう結果だ」

「巫女か? 確かに外の世界に帰すのに巫女を介すのは正規の手段だけど、アレは八雲紫の手下か道具だろ。みすみす菫子を渡しに行くようなもんだ」

「表裏全てが同じものなんてこの世には存在しない。対外的にはそう見えていても、博麗の巫女が人間であるうちは特にな」

 

 霊夢と紫の仲について、言及する必要はあるまい。あの2人の蜜月が成り立っているからこそ、今の幻想郷としての形があるのだ。

 幻想郷に住まう者達にとっては周知の事実。

 

 しかし彼女達のプライベートを深く知る者や、Sにとってはそうではない。霊夢と紫の関係はまさに薄氷が如き不安定さを伴っている。

 

『幻想郷弾幕コンテスト 紅魔杯』の閉幕式で起きた苛烈な身内揉めを引き起こしたのは、Sとどこぞの小人族だった。

 巫女の反骨心を少しだけ煽ってみるだけであの荒れよう。霊夢は紫に心から心服している訳ではない何よりの証左である。

 八雲紫の幻想郷支配はまだ未完成だ。

 

「博麗霊夢なら保護した人間の子供を簡単に引き渡したりはしないだろうさ。意見が対立しないわけがない! 菫子を発端としてアイツらの間に不和と疑心の芽を植え付けるのが私達の計画だ。だからお前らを危険を冒してでも助けてやったんだよ」

「なるほど……納得した」

 

 見返りもなしに無償で人を助けるような高尚な理念がSにあるわけがなく、やはり菫子に価値を見出したからこその介入だったらしい。

 中途半端な偽善よりは信用できるし、そこそこアリかもしれない。

 

 霊夢と妹紅の面識は永夜異変の最中、二度に亘って争った時だけだ。どちらも八雲紫を守ろうとする霊夢を払い除けようとした結果起きた戦闘であり、当然互いの心証は良くないだろう。

 故に性格面はよく分からないが、少なくとも強さは認めている。仲間も多い。

 それに、芯の強さは確かなものだった。言われてみればなるほど、紫にいいように使われるような愚物とは思えない。

 

 もし仮にアレが紫から菫子を守ってくれるのなら、それはきっと自分が意固地になるよりもずっと……。

 

「……分かった。お前達の言う通りに一度菫子を巫女の前まで連れて行こう。それで様子を見て、安全だと判断できたら菫子を任せることにするよ」

「決まりですね。ただ注意すべき点として、八雲紫は博麗の巫女の動向にはかなり敏感であろう事が予想されます。安易に接触を試みる事は詰みに繋がる」

 

 典の言葉は決して大袈裟ではないだろう。

 博麗の巫女とは幻想郷を支配する妖怪達にとって諸刃の剣。使い勝手の良い道具のままであれば半恒久的な安定が約束されるが、ひとたび牙を剥かれてしまえば大打撃は避けられない。

 八雲紫の『絶対』を崩す可能性があるとしたら、それは霊夢に他ならないのだから。最早巫女の監視は必須だと言えよう。

 

 故に、紫の監視を振り切って菫子を霊夢と接触させるのは相当な勇気がいる。

 

 典と布都はそれらを考慮した結果、一つの結論へと辿り着いた。

 

「狙うべきXデーは今日から十数日後の真夜中、博麗神社例大祭が行われている最中が望ましいでしょう。人が多ければ多いほど我々の存在が露見する可能性が低くなりますし、八雲紫も多少なりとも手が出しづらくなる」

「お盆の時期なら死人である我が現世にいても不自然ではなかろうしな! 物部の秘術で助力しようぞ!」*1

「えっ! お祭りがあるの!?」

 

 再びやいのやいのと騒がしくなってくる。いつの間にか自己紹介の時間も終わってSの真名は聞けず終いだ。どうせ稀神正邪だけども。

 

「まだ信用できてない様子だな」

「これからも信用する事はないだろうよ。アンタも私も、目指す関係性は仲間とは程遠い」

「違いない。だがお前にはツテが、私には力が足りない。なら不承不承でも組むしか無いだろ。足りない物を上手く補い合って、互いに切り捨て時を探っていこうや」

「口がよく回る。流石は天邪鬼」

 

 Sはスルーした。

 

 

 

 

 日が沈み、朧な月が夜空の海に浮かぶ。

 逃亡生活開始から何日経ったんだっけ、と。ひっくり返りながらそんな事を思う。寝ずの番は眠気との戦いだが、妹紅にとっては暇との戦いである。

 どうでもいい思考に時間を費やすのは得意だが、逼迫した状況でも普段と同じように脳が動いてしまうのは致命的だろう。死なないけど。

 

 と、天幕からもそもそと菫子が這い出てくる。幻想郷に来てからというもの軽い不眠症に陥っているらしい。

 

「他の連中は寝たの?」

「うん。ぐっすり眠ってる。私こういうお泊まり会に憧れてたから嬉しいな」

「そ、そう」

「幻想郷の人達ってみんな優しいよね。……すごく怖い人もいたけど」

「妖怪ってのは普通そんなものだよ。幻想郷だって菫子が思ってるほど綺麗な場所じゃない。怖い奴はいっぱいいるよ。昔よりかは幾分マシだけどな」

 

 あの悪党三人衆が良い人の括りに入っているのに少々釈然としない気持ちになりつつも、しっかりと菫子に言い聞かせておく。紫を念頭に置いているのは言うまでもない。

 それを無意識に受け取ったのだろう。菫子はポツリと言葉を漏らす。

 

「どうしてみんな、ゆかりんを怖がるんだろう? 私にはそれが分からないの」

「……分からなくて良い。菫子が色んなことを経験して、大人になった時に分かる事だってあるだろうしな。この世には絶対に関わっちゃいけない類いの奴が居るんだ」

「でも!」

「いいから早く戻りな。良い子は寝る時間」

 

 幼心でも薄ら気付いていた。

 妹紅や周りの反応を見る限り、紫は自分が思っているような、立派で優しくて、弱々しい存在ではないんだろうと。

 ぬえと名乗る妖怪が見せた紫の幻影が、菫子にはとても恐ろしく見えた。

 

 だが一方で、妹紅が意地でも紫に対する憎悪を維持しようとしているのも不可解に思った。みんなが紫への理解を拒んでいるような気がした。

 自分と同じように紫と友達になって、楽しい事をたくさん話せば何かが変わるんじゃないかと大真面目に考える。何とかならないかと。

 

「ゆかりんはね、とても寂しそうだった」

「あの妖怪がか? ……想像できないなぁ」

「夢で出会うたびいつも泣いてたよ。だから思ったんだ、私がゆかりんの悲しみを癒したいって。幻想郷に行って手を繋いであげたいって」

「……」

「もこたんだって、1人で暮らしてて急に寂しくなる事があるでしょ? 私はそんな時、家族や友達(ゆかりん)の顔が思い浮かぶ。誰でもいいから会いたくなるよ。どんなに強い人だって心は疲れちゃうんだから!」

「はは、お前にゃ敵わないな」

 

 菫子の言葉は本質を突いている。

 孤独の辛さは妹紅こそよく知っているつもりだ。幾度の死と別れを経験して心が壊れてしまっても、寂しさだけは終ぞ拭う事はできなかった。

 

 その結果がメリーや慧音、輝夜なんだろう。

 人は大なり小なり繋がりを求める。それは妖怪だろうが蓬莱人だろうが、きっと変わらない。

 

「ありがとよ菫子」

「え?」

「色々落ち着いたら私も頑張って話してみるよ。八雲紫と。勿論お前も一緒にな」

「もこたん……!」

「ほら、幽霊が出る前におやすみ」

「うんおやすみー!」

 

 

 

 

 *◆*

 

 

 

 

くっそ寂しいですわ!!!!! 

 

 

 草木も寝静まる丑三つ時。人っ子1人いない人里の路傍で、帳簿を片手に溜息を漏らす女、八雲紫ですわ! 

 あまりの世知辛い現実に涙が溢れ出てしまいそうになる。

 

「まーまー初日も初日だしそこまで落ち込まなくていいよ。明日があるさ! 諦めるな!」

「でもねぇ……」

「大丈夫だって! 明日もいっぱい萃めてやるから!」

「私も引き続き頑張るわよ〜。ね、妖夢」

「は、はぁ」

 

 ぐすん。萃香と幽々子の励ましのおかげで投げやりにならずに済んだわ。けど肩とか背中をバシバシ叩くのはやめて欲しい。死んでしまう。

 正直明日への展望すら見通せないけど、萃香の言う通り諦めちゃダメよね。うん。

 

 さて私が何に嘆き悲しんでいるのかと言うと、我が家の赤字財政改善のために始めた事業が初日から盛大に頓挫したからなのよ! 

 まあ事業って言っても、人里の露店街に私達も進出しただけなんだけどね。

 

 客の入りと懐が寂しいですわ! 

 

 本来なら八雲一家だけで参加する予定だったんだけど、ここは一流コンサルタントである私が一工夫加える事にした。

 商品の考案、制作に萃香と幽々子を誘ったのだ。幽々子は言わずもがな食のスペシャリスト。萃香はこだわりの強い酒利き。私達仲良し3人トリオ*2が力を合わせる事で生み出される相乗効果は全てを凌駕する! 

 

 結果、生み出されたのは『酒饅頭』だった。

 お酒大好きな萃香とお饅頭大好きな幽々子の発案をそのまま合体させたのよ! 2人が喧嘩し始めたのを止めるための苦肉の策だったのは内緒ですわ! 

 

 でもこれが案外上手く嵌まったの。試作品の段階から相当美味しかったもん。霊夢に差し入れたら凄く喜んでくれたし。

 

 これは売れる……! 

 そう確信しての進出。そして惨敗。

 

 何がいけなかったのか皆目見当もつかない! 

 というわけで売れ残った大量の酒饅頭をみんなで食べながら作戦タイム中よ。

 

「この酒饅頭は確かに絶品ですが、比較的大人好みな味ですから……人を選んだのでは?」

「子供でも食べやすいと思うんですけどねー」

 

 比較的年若い妖夢と橙の意見。確かに『酒饅頭』は呑んだくれが喜びそうなワードではあるわね。子供向けとは言い難い。

 饅頭にキャラクターの焼き印でも付けてみようかしら? アン○ンマンとか。

 

 商品の味は問題ないのよ。これは間違いない! 食べてくれた人はみんな美味しいって言ってくれてるもん! 世辞だったら泣く。

 

「藍。貴女なら何か面白い妙案が思い付いたりしないかしら?」

「……正直に申し上げますと、私も何が原因なのかハッキリと分かっておりません。人里の売れ筋、需要と供給の統計、饅頭の品質。全てにおいて抜かりはございませんでした。一体何故……」

「不思議よねーこんなに美味しそうな匂いがするのに、誰も彼も遠目で見るだけなんですもの。私も紫みたく自信なくしちゃうわー」

「不自然ではあったよねぇ」

 

 残るブレイン組も首を傾げるばかりだ。

 藍の言う通り、私達は最高の条件でスタートした筈。値段だってお手頃で売れない理由がないわ。

 

 もしや他店舗からの妨害行為……!? 

 思い返せば私達が必死に呼び込みをしてる時、通りかかった天狗とか兎とかがクスクス笑ってやがったような気がする。見世物にされてるようで不快だった。

 許すまじ因幡帝! 許すまじ射命丸! 

 

 ……潰そっかな。

 っとダメダメ。人里で『トリニタリアンファンタジア』を使うのは危なすぎるわ! 下手すればマミさんあたりに看破されかねない。

 あと諏訪子はともかく、ぬえが暴走しがちだったからね。次までに調整しとかないと。

 

 力に溺れてはならない(戒め)

 

 

 取り敢えず今日のような惨敗を回避する為の策として、原価ギリギリまでの値下げ、親子連れにも取っ付きやすい商品名を考える事になった。

 主な原材料の片割れである酒は無限に湧き出る伊吹瓢のものを使用しているので、結構なローコストで饅頭を用意できてるらしい。藍に丸投げしてるので私はよく知らないわ。

 

 問題は商品名。いまいち良い案が出てこない。

 幽々子なんかは凄い雅な名前を考えてくれるんだけど、酒饅頭みたいな気軽に食べられる菓子に付けるには荘厳すぎる気がするわ。そもそも私達みんな人間の何倍も生きてるので子供に好まれるセンスっていうのがどうも……。

 

 やはり某人気キャラの焼き印を付けてアン○ンマン饅頭だのド○えもん饅頭だのと言い張るしかないのかしら? 

 うーん、今度早苗あたりにでも良い名前を思いつかないか聞きに行ってみよう。

 

「取り敢えず今日はここまでにして、明日もまた頑張りましょうという事で……」

「お疲れ様〜。それにしても物を売るって結構楽しいのね、お饅頭も食べ放題だし」

「あの、幽々子様。明日からは試食は少し控えていただけると助かります」

「えーどうして?」

 

 それ以上でもそれ以下でもないわ! 

 藍がやんわり伝えてくれてるのに幽々子は安定のすっとぼけ。人選間違えたかな……。

 でも幽々子ったら白玉楼にも帰らず結構本腰入れて手伝ってくれてるのよね。妖夢はまあ、御愁傷様って感じだけど。

 

 

 ──っと。そういえばさっき面白い情報が入ってきてたのよね。

 どうせなら利用しましょうか。

 

「そうそう明日からも引き続き手伝ってもらえるなら、日も遅い事だしみんなウチにいらっしゃい。ほら、朝から準備もあるし」

「そうねぇ。冥界を行き来するのも手間だし、そうさせてもらおうかしらね〜」

「では私は帰って白玉楼の掃除を……」

「貴女は幽々子の護衛でしょ。一緒に居てあげなさいな。掃除なら私の式神がやっておくから」

「は、はぁ」

 

 どうせなら幽々子と妖夢には幻想郷に留まっていてもらおう。冥界を敢えて私の目の届かない場所にしておくのだ。そうすれば疑り深い妹紅(ボマー)も安心でしょう。

 下手に追手を差し向けても逃げられるのなら、一箇所に定住していてくれる方が助かる。私はその時まで悠々と待ち構えていればいいのだ。

 

 ……()()()()ならあと十数日かしら。

 想定よりもかなり早く私の願いが叶いそうですわ。前もって準備を進めておきましょう。

 

「どうせ萃香もウチに来るでしょ?」

「どうせって何だよ。行くけどさ」

「明日は所用で店に付きっきりとはいかなくなりそうなの。なのでその間、貴女にリーダーを任せようかと思いまして。経験者でしょ?」

「ふーん。いいよ別に」

 

 萃香は旧地獄で出店紛いな事をしてた時期があったし、こういうのってヤクザ気質な人に任せた方がいいと思うのよね! なお藍と幽々子の視線は気にしないものとする。

 

 じゃ、早速行ってくるとしましょう。

 お土産用に幾つか酒饅頭を包み、唯一私の目的を知っている藍に目配せをして、スキマに潜った。

 

 私が動く間、藍にやってもらう事は何もない。強いて言うなら心の整理かしらね。橙をどうするかの決断。

 個人的な心情としては、橙を()()1人置いて行くのは心苦しいので何とかしたい。だけどあの子の命運を決めるのは私ではなく藍ですわ。

 

 私は我が子達の決断を尊重するしかない。願わくばいつまでも3人一緒に居たいんだけどね……。私には些か贅沢過ぎる望みかもしれない。

 

 

 さあ目指すは人里の屯所、そして紅魔館。

 仕上げといきましょう。

 

 

 

 

 後日、萃香から決算収支を見せてもらったんだけど、私が居なくなった日を皮切りに売上が爆増していた! 数百倍どころの話ではない! 

 えーと、あのさ。もしかして、もしかしてなんだけど。

 

 (売り子)が原因だったってこと……?

*1
お盆の始まりは西暦606年 布都の死亡時期は西暦622年頃

*2
諸説あり




藍「何で売れないのか見当もつかない(紫様が売り子してるのに売れない訳ないよなぁ?)」
町民(八雲紫がこっち見てる……こわ……)

初日はゆかりんが積極的に呼び込みをしてたので誰も来ませんでした。ゆかりんの悪夢はまだまだ終わらない……!(無慈悲な現実)
客引きの最適解はおそらく橙と妖夢に売り子をさせて、藍様と幽々様に露出高めの服装で饅頭の試食を配ってもらうフォーメーション。ゆかりんと小鬼は……裏で饅頭こねててもらおう。


あと2話くらいで始まりです

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