幻想郷は全てを受け入れるのよ。それはそれは残酷な話ですわ……いや割とマジで   作:とるびす

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ネクロファンタジア

 幻想郷に住まう命の全てが宙を見上げていた。

 

 つい先程まで目を灼かんばかりに照り輝いていた月は突如として姿を消し、屑星と漆黒の海が広がっている。

 まるで幻想郷そのものが宇宙の闇に飲まれてしまったかのように。

 

 気が抜けていたといえばその通りだ。

 失われていた力の殆どを取り戻し、幻想郷を襲った異変のほぼ全てを鎮圧。長く苦しい忍耐の時間は終わり、遂に本懐を果たすところまで辿り着いた。

 完全に流れが此方にきていると考えていた矢先の事だった。

 

 月の瞬きが一瞬増したかと思うと、凄まじい速度で地球に──幻想郷への落下を開始した。いや、落下というよりは狙い澄まされた一撃か。

 身の毛のよだつ無明の魔力と共に感じたのは、純粋な悪意だった。何者かが意図して起こした破壊活動であった事は明白だ。

 

 そして、それを阻止したのが誰だったのかも、幻想郷に住まう者達であれば容易に想像できた。というより、あの妖怪しか思い付かない。

 あの数秒にも満たない僅かな時で莫大な魔力を纏った月そのものを世界から隔離してみせたのだ。

 そんな有り得ない芸当を為せるのは、八雲紫ただ一人しかいないのだから。

 

 

 

 

「恐ろしい光景でしたね……。まさに世も末ですか」

「末法、仏滅……!」

「私が魔界に封じられていた間に世界はこれほどまで乱れていたのですね。非常に腕が鳴りますが、まずは再度月が落ちてきた時に備えて、皆で更なる鍛錬を積まねばなりませんね」

「ご一緒します!」

「聖様、私も!」

 

「いやいや肉体でどうにかなるもんじゃないでしょ鬼じゃあるまいし……! 助けてもらってなんだけど、大丈夫なの? あの人達」

「まあまあその辺りは問題ないですよ! 根は良い人達ですので」

「早苗様ほどの風祝がそう言うなら……」

 

 落ちてくる月を見るなり新たなる決意表明を始める謎の破戒僧一派にドン引きする山の妖怪達。早苗の取り成しが無ければすぐには受け入れられなかっただろう。

 

 基本、山の妖怪は早苗に甘かった。紫の一番弟子という事もあって、はたてからの心証も決して悪くなかったのが幸いした形になる。それでも謎の肉体派集団に警戒を抱くのは組織人として当然の反応だろう。

 

 ただそんな奇行に一々構っていられないのが現状だ。

 月の侵略軍を完膚なきまでに叩きのめし、主要な指揮官は全員捕縛してモリヤーランドの鉄柱に括り付けるまでは良かった。

 その後、八雲藍から『摩多羅隠岐奈を討滅しよう』との要請を受けてはたては快諾。山の妖怪一同も大多数が賛同し、いざ精鋭で行動を起こそうとした、その矢先の事件だった。

 

 あまりにも大胆な天変地異の未遂に上から下まで大騒ぎが収まらなかった。錯綜狂乱してる者とお祭り気分で騒いでる者とでは若干状況が違ったが、何はともあれ討滅の話が一時中断してしまうほどの衝撃だったのだ。

 

 結果、こうして早苗や神奈子、はたてが慰撫を務める事態になっている。

 そう考えれば、聖の一声で精神を安定させた肉体派集団の結束力は侮れないものがある。というか、魅入られた妖怪がちらほら入信しているのを含めて色々危険視するべきなのだろうかと、はたてを大いに悩ませるのだった。

 

 しかし悪い事ばかりではなく早苗、神奈子、はたてが早めに立ち直る事ができたのは、紫の影を感じたからである。如何なる手段を用いたかは不明だが、幻想郷の危機を救ってくれたのが紫であることだけは分かった。

 八雲紫は健在であると、これが分かるだけで自ずと士気が増すのだ。

 

「複雑怪奇な情勢だけどちょっと前に比べれば全然最悪じゃない。紫が帰ってきてくれれば何だってやりようはある! ……いくら念写しても紫の姿がモヤで見えなくなってるのは気になるけど」

「お師匠様は凄いお方ですからね!」

「うん分かる分かる」

 

「もしすみません。貴女方の言う『ゆかり』とは、八雲紫の事でしょうか?」

 

 妙なシンパシーを感じて頷き合っている早苗とはたてに声を掛ける者が一人。聖白蓮その人である。軽く会釈し、神妙な面持ちで二人を見遣っている。

 

 魔界で数奇な邂逅を果たした風祝と破戒僧。聖の弟子達と殺し合い、結果として復活を妨害していた事もあって和解の余地は無い筈だった。

 しかし星達の願いを深く理解していた早苗は、妖怪達が基本無害な事を確認した後、聖の復活を決断。アリス協力の下、持ち前の奇跡で法界の封印を見事破壊してみせたのだ。

 

 よって命蓮寺一派は早苗に頭が上がらなくなってしまった。

 

「そうですけど、もしかしてお知り合いでしたか!?」

「いえ私は封印される少し前に彼女の所業を聞いただけ。そして此処に居る妖怪の門徒は、運良く彼女と邂逅せずに済んだ者達です」

 

 奇怪なワードチョイスに早苗は眉を顰める。

 

「運良く……? 運悪くの間違いでは?」

「まさかそんな。彼女に会っていれば、私は兎も角、あの子達は地獄に封じられるよりも残酷な目に遭っていたでしょう。恐ろしき妖怪です」

「むっ。お師匠様の事を悪く言うのは──」

「早苗様。ちょっと待って」

 

 尊敬する人を悪し様に言うのは許さないと突っかかろうとした早苗をはたてが制止する。

 紫の良い部分しか知らない早苗とは違い、はたては紫の黒い部分を知り得ている。故に聖へと一定の理解を示した。

 

 善き妖怪であるのは間違いないだろう。自分達と理想を同じくする紫には隠岐奈や正邪には無い"正しさ"がある。

 でも目的の為に手段を選ばないのも確かだ。ただ穏健であるだけなら、旧天魔の暗殺など実行しなかっただろうし、第一次月面戦争なんて起こらなかった筈。

 

 八雲紫は地獄のような世界を勝ち抜いてきた妖怪だ。

 

「紫の事を知ってたんだね。聖さんが聞いた紫の所業ってなんなの?」

「多々ありますが……身近に起きたことを一つ。昔、我々の仲間に気難しい妖怪がいました。あの子自身は私達のことを邪魔だと思ってたのかもしれないけど、少なくとも私は仲間だと思ってました」

「お友達かぁ」

「大事な門弟でもありましたので。今は失踪して行方知れずですが」

 

 聖は淡々と、それでいて悲しみを滲ませながら語る。彼女が嘘を吐けるような性分でない事は既に知っての通りだ。

 

「故に危ない遊びはちゃんと咎めておくべきだったと後悔しています。あの子の交友関係はあまり褒められたものではなかった。高利貸しに武装集団、詐欺師とそんな連中ばかり」

「金貸し屋は怖いですよねー。私も経験があるので分かります」*1

「中でも八雲紫とは親密だったようです。どういう経緯で知り合ったのかは分かりませんが、時々一緒に居るところをナズ──うちの門弟が目撃しています。最後の目撃情報も、八雲紫と共に居る姿でした」

 

「……八雲紫は卑劣にも心を許したあの子を拐かし、使い潰し、騙し討ちにし、その死を辱めた挙句、死肉を貪ったと聞きます」

「うげっ!? で、でもさ伝聞でしょ。ガセかもしれないじゃん。誰の情報なの?」

「命蓮寺に足繁く通ってくれていた妖怪の少女から聞きました。不思議な雰囲気の持ち主ではありましたが素直な良い子でしたし、悪き念を感知する星の宝塔も無反応でしたので嘘ではないかと」

「うーんでもなぁ。紫がそんな事するかなぁ?」

「私はそれからの千年を魔界で過ごしていたので現在の八雲紫がどういう妖怪なのかは分かりません。しかし少なくとも当時は……全ての人妖に恐れられる恐怖そのものでしたから。彼女は外聞が悪過ぎた」

「お師匠様はそんな事絶ッ対にしませんから安心してくださいっ! そいつは偽物ですね!」

 

 早苗の言葉にはたては深い同意を示した。

 一流のユカリウォッチャーである彼女にとっては常識なのだが、紫は肉食を好まないのだ。人肉など以ての外で、妖怪を食うなど論外である。

 

 きっと杞憂だ。

 実際に紫と会えば考えもすぐ変わるだろう。()()()()()()()()()分からないのだ。そうに決まっている。

 

 

 結局、早苗と聖の問答は二つの大きな報告が舞い込むまで続く事になる。

 

 それは古明地さとりが地底を塞いでいた結界を突破したという吉報と、諏訪湖の畔で瀕死の射命丸文が見つかったという凶報だった。

 

 

 

 *◆*

 

 

 

 ヘカーティア・ラピスラズリとは、辻の監視神である。

 人や物の往来など、あらゆる事象の交差を見守る役目を持ち、それを妨げるモノを排除してきた。

 ド派手な神格の中では取り分け地味な部類であるのは否定できないが、ヘカーティアが一つ抜きん出た存在へと昇華した主な原因は、この神格にある。

 

 彼女は世界の仕組みを知り得ていた。

 本来有ってはならない辻──境界が存在し、歪な形を保っている。修復不可能なバグに侵されてしまった世界の末路。

 

 このどこまでも歪な世界は、当たり前のものではない。あるべき姿とは、もっと単純であった筈なのだ。誰かが勝手に難しくしてしまい、今がある。

 

 いつからおかしくなってしまったのか? 

 それはとうの昔に観測できている。

 とある時期に差し掛かった途端、天上か、或いは地底からか。凄まじい量の"因果"が溢れ出したのだ。

 この世界のものでは無い、別世界の残骸。

 

 死穢とも違うそれは、特定の人物にのみ纏わりつき、存在の格が高まることで世界を左右する恩恵が与えられる。脆弱な種族であろうが関係なく、世界の上澄みへと否応なしに昇華を果たすのだ。

 下界に住まう一部は、選ばれた存在を『覚醒者』と呼称し、その者を中心に勢力を築き上げていった。

 

 同僚の高位の神々はその『特定の人物』には殆ど該当せず、ヘカーティアの知り合いではクラウンピースと純狐が該当していたようだ。欧州で名を馳せたレミリアやパチュリーもそうなのだろう。

 中でも取り分け、東洋の島国に集中していたように思える。当時は疑問にも思ったが、カラクリさえ分かれば当然だと言えよう。

 

 世界がどうしようもない程に壊れてしまった全ての原因は、八雲紫という妖怪の存在にあるからだ。

 "因果"が溢れ出すタイミングは紫の生誕とほぼ同時なのである。彼女の生が世界を一変させたのだ。

 

 世界の残骸──前世界線の八雲紫が関わったであろう存在。これが"因果"に選ばれし者の共通点。故に必然的に幻想郷に住まう妖怪の多くが力を持つ。

 この結論に最も早く辿り着いたのがヘカーティアである。八雲紫の誕生により発生した"辻"を観測する役目を持つ彼女だからこそ、その法則は嫌でも目に付いた。

 

 幻想郷はなるべくして魔境になったと言えよう。

 そういう定めなのだ。

 

 

 

『ヘカーティア様の見解を聞かせてもらえますか?』

『重罪でしょうね。理を乱しているのは勿論、数多の世界を破壊して、それをそっくりそのまま次の世界に持ち込んでるなんて。まあ許される道理はないわ』

『当人の意志とは関係ないのだとしても?』

『チープな問題ならまだしもねぇ。でもそれを裁く手段すらないなら、貴女にできるのは罪を突き付けることだけでしょ。ご苦労様』

 

 四季映姫に関しては本当に気の毒だと思った。

 あの性分と善性の持ち主だ、紫の罪を看過する事などできなかったのだろう。

 

 数多の世界線において、八雲紫は度重なる別離と、己が所業の罪悪感の中で、十分過ぎるほど苦しみ抜いている。本人にとっては全くの不可抗力での出来事であり、この不幸な連鎖を望む道理もない。

 

 それに付け加え、辻の発端となった八雲紫はとうの昔に死している。

 如何なる思惑があったにしろ自死という手段で破滅の連鎖を断ち切ったのだ。

 今の紫は連鎖の終着点であり、これ以上罪を重ねる余地はない。しかも、かつての力と記憶すら持ち合わせていないのだ。

 

『私はかつての八雲紫に敬意を表しています。故に裁きは望まない。できる事なら、残りの妖生は穏やかに生きて欲しいとすら思っている』

『私情を持ち込むのは感心しないわねー』

『古明地さとりと同じ考えなだけですよ。……ヘカーティア様は、月の者達と似た考えをお持ちのようですが』

『一緒にしないで欲しいわね。あいつらは至極勝手な義務感で動いているだけ、私は趣味私情バリバリなんだから』

『あのですね……』

 

 問答の後、遠回しの説教を受けたのは言うまでもない。しかし思惑はどうであれ、この意識の分断には根深いものがある。

 

 八雲紫の完全な消滅を願う事とは、つまり世界の存続を一心に願うという事。

 連鎖の終着点と言えど、あくまで暫定的な話なのだ。何かの拍子に滅びの条件を満たしてしまい、別世界に引き摺り込まれては敵わない。

 

 早いうちから世界の仕組みに気付いた者ほど、この考えに傾倒している。

 蓬莱山輝夜に別世界の末路を聞かされ、自分達の運命が下賤な地上の妖怪に握られている事に気付いた月の民などは我慢ならなかったのだろう。

 

 だが結果は現状の通りだ。

 手を替え品を替え何度殺そうが、紫を完全に消し去る事はできない。

 数多の因果に雁字搦めにされた紫の殺害は、特定の時期、特定の条件を満たさなければ不可能に近いと思われる。だがその本来の死が意味するのは、世界を破滅に追いやる引鉄である。

 

 もっとも、その『不可能』がヘカーティアのチャレンジ精神を強く刺激してしまったわけだが。

 

 紫を憐れに思うからこそ、救いを与えるべきだ。ちゃんと真実を知ってもらった上で殺す。絶対に殺し切って、理不尽な罪から解放してあげるのだ。

 

 趣味と実益と責務を兼ねる女神の鑑と言えよう。

 

 

 

 

 

(無理ではないわね。多分)

 

 かの隙間妖怪と相対して、そう結論付けた。

 己が全力であれば、因果を跳ね除け八雲紫を滅することは十分可能だと判断したのだ。

 

 ヘカーティアもまた、八雲紫が齎した因果に縛られし存在。それ程までに紫の業は強い。だがそれすらも、圧倒的な力の差で破壊できる範疇であった。

 この世界線において最も理不尽で最強の神、それがヘカーティア・ラピスラズリなのである。

 

 月と幻想郷の衝突は上手く阻まれてしまったが、ヘカーティアにとっては軽い様子見のようなもの。これからもっと、更に強力な攻撃を仕掛けていくつもりだ。

 さあ次は如何なる手段で──。

 

 

 

「え?」

 

 僅かな違和感があった。

 何がと問われれば、言葉に窮する。上手く言語化できない気持ち悪さが脳裏を掠める。

 

 意識の欠落。何かを見落としている。

 

 強い危機感があるわけではない。

 目の前で膝をつき、蹲っている抜け殻に対抗手段は存在しないからだ。そう、自分に抗うこと能わず、為すがままにされるだけ。

 先程のような、如何なる手立てを用いようが、時間稼ぎにすらならない。

 

(いや違う、そうじゃないでしょ。ゆかりんは何をした? 脆弱なこの子が、何故私の攻撃から逃れる事ができた?)

 

 例の擬きならまだしも、今の紫に天体の衝突をどうこうするような力は無い筈だ。理不尽を見せつける為に、彼女には絶対に手に余る攻撃を仕掛けたのだから。

 往なす手段など存在する筈が無い。

 

 であれば自ずと選択肢は限られてくる。

 

(これは……私自身への干渉?)

 

 疑問が生じるとともに、芋蔓式に自意識との矛盾が噴出する。情報を処理し切れていない事を前提に思考を巡らせてみれば、現実と酷く乖離している。

 仮定と結果が結び付かない。一致しない。

 

「ゆかりん、何かした?」

「貴女にも解らない事があるのね。ちょっとだけ安心しました」

 

 酷く愉しげな口調だった。

 顔を上げた紫からは戦闘時のような敵意は全く感じられず、代わりに深い親しみが含まれている。

 自分を敵として見ていないのだ。ヘカーティアと同じ、友としての想い。

 

「安心ねぇ。あんまり共感できないけど」

「気持ち悪いでしょ? この通り、何もわからないの。記憶は勿論、自らの正体も不明のまま、あやふやで不確かな自意識だけが頼り」

「なるほど。これが……」

 

「これが私の生きてきた心よ」

 

 そうか、そういう事なのか。

 正体不明の心地悪さが氷解して、代わりに答えが得られた。これが逃避に逃避を重ねてきた紫の感覚。心象風景とも言えるのかもしれない。

 なるほど、これは狂いそうだ。

 

 よくよく周りを見てみれば、戦闘中だった巫女や、純狐にクラウンピースの姿すら見えない。場所も月面ではなく、無色の空間。

 紫とヘカーティア、両者の力の差は歴然としていた。しかし『境界を操る程度の能力』の応用で悪さをされたように、僅かであれば干渉も可能である事を思い出す。

 

 嵌められたか。

 いや、一つずつ術を解いていければ……。

 

「私はね、貴女にとても感謝しているの。痛みを思い出させてくれて本当にありがとう」

「当然のことをしたまでよん」

「凄いでしょ? ありとあらゆる者の認識を狂わせてしまう能力──『封獣ぬえ』の力。これがあったから今の今まで幸せに生きてこれたんだと思う」

「自他関係無しに作用するようになってるのね。誰がこんな事を?」

「ぬえと、以前の私が」

 

 封獣ぬえとやらが誰なのかは知らないが、これほど強力な能力を扱うのだから相当な存在であったのだろう。恐らく幻想郷のトップ層に比肩する妖怪か。

 それほどの妖怪を保身の為だけに使い潰したのだ。

 

 自らを狂わせるだけでなく、正体不明の存在と化す事で、周りからの見え方を改変させたのか。不気味な底の知れない妖怪としての像を。

 八雲紫とは親和性の高い、良い能力だ。

 

 敵を騙すには、まず味方から。

 味方を騙すには、まず自分から。

 

 結果として紫は実態とは大きくかけ離れた存在として、幻想郷の頂点に君臨している。紫自身の素質もあっただろうが、畏怖に事欠かない生活は何かと便利だったに違いない。

 

「で、どうだったの? 初めてありのままの自分を顧みたんでしょ?」

「ええ。私がどういう妖怪であるのか、全て理解したわ。……貴女の言う通り、これは確かに、私が死んでも償い切れないわね」

「それで、ゆかりんはまず何がしたいの?」

 

 少し考えて、朗らかに笑う。

 

「取り敢えず死にたくなりましたわ!」

 

 やはりそうなるか、と。ヘカーティアは自らの予測が的中した事を確認した。

 八雲紫(ゆかりん)が今までお気楽に暮らせていた理由に、封獣ぬえの影響があったのは先述の通りだろう。だがそれでも、いくらなんでも鈍過ぎた。本人の意思の介在無しに、ここまでの逃避を重ねる事はできない。

 

 恐らく、無意識。

 自己防衛の本能がそうさせたのだろう。

 心の弱い彼女には、八雲紫の歴史どころか、たった数百年の間に訪れるであろう悲劇や苦痛ですら、耐え切れず心が折れてしまうのは想像に難くない。

 

 だから目を逸らす事にした。

 

 真実に気付いてしまえばこの通りだ。

 

「そっか。死にたいのね」

「考える事が多すぎて少々疲れてしまった。今にも泣いちゃいそうなほど傷付いてるわ」

 

 目尻を下げながら紫はそう言った。茶化すような声音ではあったものの、これは本心だろう。紫の考えが手を取るように分かる気がする。

 ならば自分は、従来通りに構えればいい。

 

「なら殺してあげるわよん。私もね、そっちの方がゆかりんにとって楽な終わり方だと思う」

「ありがとう。やっぱり貴女は優しいわね。まあ、幻想郷を壊そうとしたのはいただけないけども」

「あはは、ごめんごめん。でも多分ゆかりんがどうにかしなくても、幻想郷に居る誰かが何かしら対処してたと思うわよん。もっとも完封されるつもりは毛頭なかったけどね」

「尚更タチが悪いわよ!」

 

 喋る内容は物騒極まりないが、それでも和気藹々とした語らい。二人はやはり、友と呼ぶべき仲だった。

 

「貴女はとても義理堅く、慈悲に満ちている。今回の一件だって純狐さんにクラウンピース、そして私の為に起こした行動だったんでしょう?」

「まっさかー! 偶々だってば!」

「ふふ、そういう事にしておきます。何にせよ、貴女ほど人を想う事ができる神は然う然う居ないでしょう。私も、貴女の他には一柱しか知らないわ。あの子は洩矢諏訪子と言う神でした」

 

 ぬえに続いて、また聞いたことのない名前だ。その諏訪子とやらも今の紫を形成する上で何か重要な役割があったのだろうか。

 続きを促そうと口を開きかけるが、言葉は出なかった。

 

「だから残念です。私はまた、貴女達の優しい想いを無碍にしてしまう」

「……ゆかりん?」

「死への憧れはあるけれど、私は終われないの」

 

 ヘカーティアは未知なる感覚を味わっていた。生涯において、それを感じる場面に遭遇する事など一度もなかったから。

 恐怖や絶望などという大層なものではない。

 

 ただ少し、話の流れが変わっただけ。

 自分の掌にあった流れが逆転を始め、相手へと流れ出していく何とも言えぬ感覚。

 

「諏訪子を殺し、やっと掴めた幸せを踏み躙ったのは、他ならぬ【私】です」

「純真な心で慕ってくれていた妹分のぬえを騙して殺したのも【私】」

 

 この時、漸く気付いた。

 

「二人だけじゃないわ。みんなみんな、全員、死んではならない者達でした。でも私の為に死んでしまった。こんな弱い私が生き続ける為だけに」

 

 もはや勝負と呼べるような段階ではない。

 

「ヘカちゃん、貴女もそう。私はまだ殺される訳にはいかないから……殺すしかなかった」

 

 主導権は既に、失われている。

 

 

 

 

 

 ヘカーティアの誤算。

 それは、目の前の八雲紫が、どういう思想の持ち主であるかのリサーチが些か足りなかった事だろう。

 愉快な感性を持った、力無き抜け殻としか思っていなかったのだ。

 

 友達になれたが比肩し得る存在には程遠い非力な妖怪。当然、その内面も貧弱で俗っぽく、精神性はどちらかと言えばクラウンピースのような妖精寄りに思えた。

 思えてしまった。

 

 彼女の周りに侍る強力な人妖、そして人格の裏に潜む前世界線の紫擬き。これらがカムフラージュとして作用していた事は否定できない。

 だがそれでも彼女の異常性は巧妙に隠されていた。

 

 彼女の本質にもう少し意識を傾けていたなら、行使した手段は全く違うものになっていただろう。

 少なくとも、惨敗する事はなかった。

 

 八雲紫(ゆかりん)は非常に利己的であり、なおかつ心を許した者との境界が非常に薄くなる性質を持つ。自らのあやふやな境界を逆手に取った不可思議な特性。

 だから少しでも類似する性質を持つ者であれば、封獣ぬえのように、洩矢諏訪子のように、簡単に取り込んでしまえる。

 

 そもそも彼女は融合と別離の果てに生まれた、心の溶け合う狭間の存在。

 そんな者を前にして肉体を失い、心を囚われてしまっては最早打つ手はない。

 

 目の前の八雲紫が、どの八雲紫であろうがヘカーティアの命運とは関係無い。

 

 気付いた時には、もう遅かった。

 紫にスペルの発動を許した時点で、既に勝負は決したのだ。土壇場で放たれたあの一撃で、ヘカーティアは敗北していた。

 引き返しようのない一本道。手遅れ。袋小路。

 もう振り返っても戻れない。

 

「……ごめんね、ゆかりん」

 

 滅びていく我が身を見下ろしながら、ヘカーティアは詫びた。紫に無駄な期待を抱かせてしまった事に対してだ。

 結局、自分の力では紫を救う事など到底不可能だったのだ。

 思い上がりだ。どれだけ強かろうが、手に負えるような存在ではなかった。

 

「無謀な勝負を、挑んでしまったわね──」

 

 ただただ、理不尽が過ぎた。

 

 

 

 

 

 

「貴女の優しさは忘れないわ、ヘカちゃん。……忘れてやるもんですか」

 

 女神の最期を見届けて、生き残ったスキマ妖怪は現へと歩みを進める。

 また一つ、夢への渇望が大きくなった。業を積めば積むほど決意は強まるばかりだ。

 

「死の幻想に浸りたい気持ちはあるけれど、まだ死ねないから。私がここで諦めたら、みんなの死んだ意味が分からなくなってしまう」

 

 どこまでも自分勝手で利己的な想い。

 やりたい事が多すぎて考えが纏まらないけれど、やらなければならない事は既に決まっている。

 

 まずはそれに向けて頑張ればいい。

 死に憧れている暇なんてないのだから。

 

「帰りましょう。幻想郷に」

 

 

 八雲紫の悪夢は未だ覚めない。

*1
同一狸




EX娘を傷物にする手腕に定評のあるゆかりん。

らいこ「まだ生まれてなくて良かった〜!(諸説あり)」
さき「こわ……畜生道に引き篭ろ……」
ももよ「俺死んでる扱いでラッキー!(諸説あり)」


原作キャラだけが強くなってる理由
→オリジナルAIBOと関わりがあったから

ゆかりんが底知れない最強妖怪に見えていた理由
→ぬえとオッキーナ監修のせい

ゆかりんが死なない理由
→八雲紫の死因が既に決まっているから(なおゆかりんは真の八雲紫ではないのでそれに該当しないくせに、恩恵だけ受けているバグ枠の可能性)

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