幻想郷は全てを受け入れるのよ。それはそれは残酷な話ですわ……いや割とマジで   作:とるびす

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とある節目となる話
最後の一文はつまりそういう事です


Re_Mind(後)*

 第二次月面戦争は幻想郷と月の民の勝利で終わった。いや、正確には月の民だけが得した形になるのかしら? まあいいやどうでもいいし。

 

 まさに奇跡の連続。ウドンと霊夢の迸る才覚と奮戦が幻想郷に未来を齎したのだ。一時は絶望に打ちひしがれていた私も喜びのあまり涙ちょちょ切れですわ! 

 という訳で、私に戦闘機会が回ってくる事はなくなり、残ったヘカちゃんと講和してこの一件は終了である。楽な仕事ですわ〜! 

 

 取り敢えず何故かいじけているヘカちゃんに話しかけよう。出だしが大切ですわ。

 

「どうしましたかヘカちゃん」

「いやあね、あの純狐とクラウンピースが負けちゃったのもそうなんだけど、私を置いて幻想郷に行っちゃうなんて! ズルいわよん!」

「置いて行かれるのが寂しいなら、行かないで欲しい旨を伝えればいいのでは?」

「とは言っても純狐が復讐以外にあんなに興味を持つのは稀な事だしねぇ。クラウンピースはそろそろ地獄以外の世界を知ってもらおうと考えてたし、自発的に動いてくれたならそれに越したことは無い。でも寂しい〜」

 

 おんおん言いながら変なTシャツの裾で涙を拭うフリをするヘカちゃん。

 

 この神様面倒臭いですわね。

 なお「ヘカちゃんも幻想郷に来ればいいじゃん」って言いそうになったけど、混乱の元がまた一つ増えるだけなのでやめたわ。

 ついでに言うならあの二人を引き取ってくれたら万々歳なんだけどなぁ。

 

 でもまあ、ここずっと殺伐とした雰囲気だったから和やかな話ができてよかったわ。色々と物騒だけど凄く気さくな神でもあるのよね。ヘカちゃんって。

 それじゃ取り敢えず本題に入らせてもらおう。

 

「あの二人は強敵でしたわね。一つの掛け違いでこの結果は大きく変わっていたでしょう。今回は我々の方に風が吹きました」

「勝負は水物だからねぇ。絶対はない」

 

 泣き真似をやめたヘカちゃんは同意を示すように深く頷いた。

 いやでもホント運が良かったと思うわ。私にまで出番が回って来てたら間違いなく終わってた。ヘカちゃんがどのくらいのレベルにいるのか知らないが、少なくとも私よりかは強いだろうし。

 ウドンと霊夢には感謝ですわ。

 

「結果は残念だったけど、それなりに楽しめたから私は満足よん。得られるものもあった」

「しかし同時に失われた物も多かった。貴女は友と部下を、私は娘の心を」

 

 ちなみにウドンの右耳も失われたがノーカウント。どうせ永琳にくっ付けてもらえるんだろうから気にしなくていいでしょ。

 とにかく今は後に禍根を残さないように痛み分けって事で終息を試みる。勝者が敗者を讃えてこその死合だと思うのよね! 

 

「同じく私も満足しました。……もういいでしょう?」

「ゆかりんの言わんとする事は分かったわ。そうね遊戯はここらで終いにしよう」

 

 優しく微笑んだヘカちゃんを見て、心の中でガッツポーズ! ヘカちゃんが負けを認めてくれたって事は、つまり月からの撤退に同意したという事! 

 これで万事上手く収まるでしょう。第二次月面戦争無血の勝利に乾杯ですわ! (月面にこびり付いた死体から目を逸らしつつ)

 

 感極まって思わず手を差し出す。それを見たヘカちゃんは、笑いながら手を握り返してくれる。ハンドシェイク! ラブアンドピース! 

 

「ありがとうヘカーティア。感謝します」

「ええ! 良い勝負にしましょうね」

 

 これにて戦争は終結──……あれ? 

 

「勝負?」

「そうよ。崖っぷちなんて燃えるじゃないの。久々に本気出して遊んじゃうわよん!」

「えっと……ヘカちゃん側はもう2敗してるでしょ?」

 

 そう、3試合のうち2試合を落としたヘカちゃんに勝利の目は無いのだ。崖っぷちどころか既に滑落中である。勝敗が決まってる状態での3試合目なんて不毛以外の何物でもないわ! 

 

 だがこれは私の誤算だった。

 ヘカちゃんは元から3本勝負なんて予定していなかったのだ。

 

「あーゆかりんもしかして勘違いしてる?」

「勘、違い?」

「これ、5vs5のゲームよん」

 

 一瞬脳の理解が追いつかなかった。

 だってヘカちゃん側には3人しか居ないんだもん。一応クラウンピース配下の妖精がいる事にはいるけど、あれはただのギャラリーって聞いてるし。

 

 だがその解答はヘカちゃんによって示される。

 

「「「私が3人分になる」」」

「!?」

 

 何処ぞのプロハンターを彷彿とさせる台詞を吐きながらヘカちゃんが分裂……というより、具現化した。赤髪、青髪、黄髪の3人。それぞれの頭には対応する惑星が乗っかっている。信号かな? 

 なお漏れなくファッションは変わらなかった。

 

 これは恐らく、フランやあうんちゃんが披露してくれた分身スペルとは全く異なる物だ。より高次元に位置する存在だと、泡立つ肌が教えてくれている。

 

 ま、不味くないかしらこれ……。

 

「そのような魂胆だと思っていました。貴様の思惑などお見通しだ邪神」

「あれだけ好き勝手しておいて、素直に負けを認めるなんて虫が良すぎるものね」

 

 異変を感じ取ったのか、綿月姉妹が私達の所まで降りてきた。ああ、5vs5ってことは綿月姉妹も頭数に入ってるのか! 

 つまり私が戦わなくてもこの姉妹のうち一人がヘカちゃんに勝てば結果オーライ! 

 

 依姫へと視線を投げかける。

 

「では中堅戦、貴女にお願いしても?」

「無論。そもそもサグメ様の判断だとはいえ、仇敵である貴女に月の命運を委ねるのは元から反対でしたので願ったり叶ったり。この戦争は私の手で幕を下ろします」

 

 あっそ。じゃ頑張ってね。

 という事で急遽依姫にバトンタッチしてもらった。これぞ両者Win-Winの取引ってものよねふぁっきゅー。ちなみに豊姫は副将に入った。隙を生じぬ二段構えよ。

 

 一方、依姫に相対するは黄ヘカちゃん。

 

 一時はAIBOを駆り出す事になるかと思ったけど、どうにかなって安心したわ。

 ヘカちゃんの実力がどれほどのものであろうと流石に依姫は無理でしょうね。レミリア、妖夢、鬼畜メイド、天子さんを同時に相手するような化け物だし。

 最悪の敵が頼もしい味方になるなんて、もはや私の妖生はジャンプ要素で構成されているのではないかと思ってしまうほどの王道展開である。

 

 それじゃ私は高みの見物ですわ。クレーターの端っこまで移動して、周囲の安全を確保してから振り返る。

 

 

「はいおしまい。まず1勝ね」

 

 

 そこには、クレーターの中心部でダブルピースをきめる黄ヘカちゃんの姿があった。相対していた筈の依姫は影も形も無くなっている。

 あれ……あれれ……? 

 

 よーく目を凝らしてみると、依姫が立っていた場所付近にそこそこの大きさの穴があった。

 試しに霊夢とウドンの方を窺うも、二人が穴の方をガン見してるので嫌な予感は的中してるようだ。悪い夢は未だ覚めてなかったのだろうか。

 

 理解が追いつく間も無く、黄ヘカちゃんとハイタッチした青ヘカちゃんが前に進み出る。相対するは扇子(超兵器)を携えた豊姫。

 

「じゃ、4戦目いこうか?」

「うーん」

 

 困った顔の豊姫はまず、依姫が埋まっているのだろう穴を一瞥し、次に3人並んだヘカちゃんトリオを眺める。そこからの行動が早かった。

 結論は既に出ていたのだろう。

 

「無理ですね。降参です」

「いぇーい2勝目ー!」

 

 ウドンと霊夢の勝ち星があっという間に相殺されてしまった。というか、ヘカちゃんにとって純狐さんとクラウンピースの勝敗なんて、さしたる問題ではないんでしょうね。

 だってどのみち自分で3勝すれば勝ちなんだから。

 

 ヘカちゃんが分裂したあたりから嫌な予感はしてたわ。そして依姫が一撃で葬られたのを見て確信した。今、私の絶望を確信した。

 最強は純狐さんじゃなかった。ヘカちゃんが──ヘカーティア・ラピスラズリが最強だったのだ! そんなの予想できるわけないじゃん!!! 

 

 愕然とする私を尻目に豊姫は悠々と自陣へと戻って行った。まるで勝者であるかのような堂々とした佇まいである。どんな精神してんのかしら。

 取り敢えず腕をブンブン回しながら出て来た赤ヘカちゃんにタイムを告げて、霊夢達の待つ自陣へと走る。雰囲気はまさにお通夜モード! 確かにこれから私の葬式が始まるわけだからあながち間違いではない。

 

「随分と早い諦めでしたわね」

「まあアレに勝てないのは分かりきってたので。依姫も普段なら無謀な勝負は挑まないんだけど、今日は昂ってたんでしょうね。何処ぞの妖怪のせいで」

 

 軽い嫌味に対しての返答がこれである。どんだけ私に責任転嫁すれば気が済むんでしょうねこの姉妹。まじふぁっきゅーですわ。

 まあ言い争ってる場合じゃないのでこれ以上何も言いませんけども。

 

「アイツ出鱈目な強さね。勝算はあるの? 紫」

 

 霊夢の言葉に合わせて全員が私に注目する。

 何を期待してるのかは知らないけど、私の答えは一つ。たった一つのシンプルな答えですわ。

 

「無理でしょうね。万に一つも勝ち目はありません」

「情けないなぁ。私が代わろうか?」

「いえ下手にルールを破れば他の個体が仕掛けてくる可能性がある。邪神がゲーム気分であるうちは便乗しておくが吉でしょう」

 

 霊夢の申し出に速攻乗ろうと思ったのだが、豊姫によって一瞬で却下されてしまった。まあ確かにルール違反を咎められてはぐうの音も出ない。

 でもヘカちゃんの分身はルールで禁止ですよね? えっ、禁止じゃない? そっかぁ。

 

 で、先ほど前述した通り、私に勝算は微塵もない。私よりも数億倍強い幻想郷の猛者×4を相手に圧倒した依姫を一撃で葬るヘカちゃん。……戦力差が見た事のない数字になってそう。寿限無とか摩訶不思議とか。

 ていうか私そもそも戦闘要員じゃないし! 

 

「ヘカーティアに関する情報は?」

「三神一体の存在であり、そもそも本体が居ない可能性があるわ。あと魔術の神だとも聞くわね。依姫はパンチ一発で負けちゃったけど」

「……ほ、他には?」

「月の民だとか天津神だとか、そういう次元で語れるような存在ではない」

 

 んなこと聞いてないのよ! 弱点とかさ、戦闘スタイルとか……なんかあるでしょう? 

 魔法使いタイプっていうのは分かったけど。

 

「じゅ、純狐さんは何か知りませんか? ヘカーティアさんについて」

「強いわよヘカーティアは。私やうどんちゃんじゃ勝負にならないくらい」

「そう、ですか」

 

 目安も聞いてないのよね(絶望)

 勇気を振り絞って純狐さんに聞いてくれたウドンには悪いが、望んだ情報は出てこなかった。

 

「アンタは何か知らない?」

「ご主人は最強に強いですぜ!」

「みたいだけど?」

 

 超絶ぶっきらぼうに言われた。霊夢やっぱりキレてるわねこれ。後でちゃんと謝らなきゃ……後でがあるかは知らないけど。

 あと三下口調の妖精初めて見たわ。

 

 その後も有力な情報が出てくる事なく、結局『ヘカちゃんはクソ強い』って事しか分からなかった……! 純狐さんやクラウンピースですら良く知らないってどうなのよそれ! 

 いやまあ、私も例えば藍の戦闘方法とか全く知らないけどさ。実力のレベルが違い過ぎるから何やってるのかよく分からないのよね。

 

 

 

 

「タイムはもういいの?」

「ええあまり待たせても悪いから。だけどねヘカちゃん、勝負の前に聞きたい事があるの」

「あら何かしらん?」

 

 次元の違う圧倒的強者を前にしている筈なのに、やはり私の危機察知センサーは反応しない。彼女を前にするとついチャットのノリが出てしまいそうになるわ。

 

「私達と貴女達が戦う事になったのは、純狐さんの想いを尊重したが故だった筈です。月に与した我々が許せなかったから」

「あーうん」

「しかし純狐さんは既に勝負から降りています。もはや本気で戦う必要は……」

「純狐の件については貴女とあの兎には感謝してるわ。ありがとう」

 

 ヘカちゃんが眉を下げながらそんな事を言う。やはり彼女にしても復讐の塊と化していた純狐さんを救いたかったのだろうか? 地獄の女神なのに。

 しかし、どうやらそれとこれとは別の話らしい。

 

「月侵攻はキッカケに過ぎないわ。あんな奴らちょっと腰を上げればいつだって滅ぼせるんだもの。それよりも今回の目的は別にあってね」

「……まさか」

「そっ。幻想郷とゆかりん、貴女よん。まあ本腰入れる事を決めたのはゆかりんの裏切りからなんだけどね」

 

 異変の途中からターゲットが私に切り替わる展開多くない!? いやこれは元々から私狙いであって、月は巻き込まれた……ってコト!? 

 よくよく思えばチャットでの出会いもヘカちゃん側からの働きかけだったような記憶があるし……。私から接触したのは菫子とマミさんだけだ。

 身バレがここまで恐ろしい事に発展するなんて思ってもおらなんだ……! 

 綿月姉妹には黙っていましょう。うん。

 

 説得のつもりで始めた会話だけど、未だに暗雲は晴れない。先など見通せる筈もなく。

 

「貴女が幻想郷に興味を持っていたのは知っていました。しかし私が目当てとはどうにも解せない。貴女ほどの人物が何故……」

「四季映姫って子、知ってる?」

「……まあ多少は」

「あの子は時々ゆかりんに説法を行っていたようね。立派だと思うわ、無駄だけど」

 

 予想外の名前に心臓が跳ね上がる。

 何故ここであのクソガキ鬼畜閻魔の名前が出てくるの!? まさか奴の差し金!? 

 あっ、地獄繋がりか! 

 wellcome hell♡の文字で思い出した。

 

 取り敢えず何の因縁を付けられるか分かったものじゃないので他人のフリをしておこう。

 

「死人は生前の善悪で量刑が決まる。悪き者は罪人となり地獄へ向かう。業とは地獄の業火に焼かれる罪人に纏わりつく、死穢の幻想である」

「四季映姫の真似事かしら?」

「その通り。そして問おう。貴女に存在する業とは、いついかなる時、何が起因して生まれたものであるか? 何故、月人は貴女を殺そうとし、悉く失敗しているのか?」

「……」

 

 その前半のフレーズは何度も聞かされた。他ならぬあの四季映姫・ヤマザナドゥによってね。ド健全に生きてきた妖怪に地獄なんて存在する筈がないじゃない! 映姫もヘカちゃんも詭弁を弄しているだけだ。

 私は決して善い妖怪ではないだろう。保身大好きだし、どうでもいい人間や妖怪が何百人何千人悲劇に塗れて死んでしまおうが感じ入るものはない。

 だけど極悪な妖怪ってわけでもないと思うのよ。自分で言うのもなんだけどね。地獄の女神に殺される謂れはないわ。

 

「杓子定規で随分と酷な事を言ってくれるわね。貴女はその『業』とやらを祓う為に私との接触を図ったというの?」

「私はそんな馬鹿真面目に薫陶を行うような神ではない。いやね、試したくなったのよん。世界を隔てる境界の根幹は果たして、私が穿つに足る存在なのか」

「も、もうちょっと分かり易く……」

「ゆかりんと私で存在を削り合って、どっちが滅ぶのか力試ししようってこと! 役割は異なるとはいえ、互いに世界の根幹を司る者同士だ。これほど心躍るマッチアップはないでしょう?」

 

 何言ってるのこの人。

 ちょっと待て何言ってんの貴女!? 

 

 変T並みにイカれたこと宣い始めたわよ!? 藍の夢小説の何倍もぶっ飛んでやがる! 

 世界の根幹を司る? そんな設定今時の厨二病末期患者でも思いつかないわよ。恥ずかしくないの? ヘカちゃん恐ろしい人……! 

 

「ハッキリ言って反応に困るわね……」

「ふふふ、私の事が滑稽に思えるかしら? だけどね、実情は完全に真逆。滑稽なのは貴女の方なのよゆかりん。全部知ってるのに、知らないフリしてるんだもの」

「私は地上にて知恵深き者として賢者と呼ばれてはいますが、知らない事も当然あるわ。貴女の妄想なんて知る由もないでしょう」

 

 ヘカちゃんの口元が歪む。

 

「そうやって逃げてるんでしょ、いつも。歯抜けになった記憶、自らの人格形成に影響を与えた出来事すら思い返せない。そんな現状を異常だと思わない筈がない」

「……」

「己が認識する世界なんて、実情と最も掛け離れた領域よん。貴女は何故恐れられた? 何故数多の人妖に慕われた? 何故この無茶苦茶な世界を生き残っている?」

 

 意地悪ないやらしい笑みだ。フレンドリーなヘカちゃんからは若干想像できない邪悪なそれは、まるで戯れを象徴しているようにも思えた。

 ヘカちゃんの言うことはデマ、全て的外れに違いない。しかし、私の認識や悩みを元にして話を構築しているようで、えも言えぬ気味の悪さがある。

 

 さとりと話している時と似た感覚ではあるが、それを全く悟らせない口振りは妙な信憑性を抱かせる。精神攻撃の一種だろうか? 心なんか折らなくても勝敗は覆らないでしょうに。

 なんとか話が通じるようにと、本音を曝け出してみる事にした。態度も合わせてね。

 

 私は首を垂れる。

 

「貴女が私を戦うに値する妖怪だと認識しているのは光栄ですが、本当に勘弁願いたいの。私では貴女に勝てないでしょう。為すすべもなく殺されてしまう。……まだ死にたくないの」

「それはできない相談ねぇ。あと忠告だけど、間違っても『死にたくない』なんて言ってはいけない妖怪よ? ゆかりんって。貴女はこの世の恨み言、怨嗟の全てを受け入れなければならないの。どんな姿に成り果てようが」

「でも生を追い求めるのは生物として──」

「無理心中は罪人として一級品だと思うんだけどねぇ。──いいかしらゆかりん? これは生存競争という名の遊戯なのよん。捕食者たる貴女を返り討ちにする為の」

「捕食者? ……搾取って意味?」

 

 一応人間と同じ食生活をしてる私からすれば、そういう言われ方はあまり馴染みがないわ。ルーミアみたいな人間を食べてる妖怪は捕食者と言っても過言ではないと思うけど。

 なので幻想郷の上に立つ支配者という意味での言葉かと思った。ヘカちゃんは下剋上の真似事でもしてみたかったのかと。自分より上が居ないんじゃ下剋上ごっこなんか気軽にできないだろうし。

 

「搾取。そういう見方もできるかもね。醜悪な月人達だけども、ゆかりんの居ない世界を願った理由は正直よく分かるもん。貴女がいる限り、地獄のような世界は終わらない。『搾取』されて、生まれたままの姿で延々と苦しみ続ける生き地獄」

「……」

「ほら見てみなよ。アイツら性懲りも無く私とゆかりんの共倒れを望んでるわ。多分頃合いを見て月自慢の超兵器か何かで諸共吹っ飛ばすつもりよ」

 

 まるで理解の出来ない言葉の意味をゆっくり噛み砕いて吟味している最中、ふと指摘された通りに後ろを振り返る。

 霊夢達と一緒に場を見守っている豊姫。こまめに誰かと連絡を取り合っているようだった。相手はサグメさんかしら? 

 私は兎も角、ヘカちゃんを殺すような攻撃って相当なものが予想されるけど、多分豊姫も巻き込まれるわよね? 死なば諸共ってわけ? 

 

「さて……色々語ったけど! 私は別にゆかりんの事を憎く思ってなんかないのよ。今でもお友達だって思ってるし。だからさっきまでの話はゆかりんへの手向けのつもり」

「そ、そうですか」

「ゆかりんのお仲間達が隠しておきたかった事なんだろうけど、何も知らないまま殺されちゃうのは可哀想だもんねぇ。まっ、続きは地獄で教えたげる」

「貴女なりの心遣いだったって事ね。であればどのような形であれ、感謝します」

 

 にへへと笑うヘカちゃんに頭を押さえる私。多分霊夢達からはめっちゃ対照的に見えてるんだと思う。

 まあ、価値観も妄想もぶっ飛んでいるヘカちゃんだが、曲がりなりにも私との友情は残っているようなので釈然としない気持ちでお礼を言っておく。

 

 そして戦いは避けられない事を確信した。

 腹を括るには十分すぎる時間だ。

 

「大きなお世話ですわ。貴女の気持ち、月人の事情、罪人への罰──そんなもの一切知ったこっちゃない。私は生きて幻想郷に帰る。絶対に」

 

 

 

「捌器『全てを二つに別ける物』」

 

 

 肉の断ち切られる嫌な音が月面に響く。

 私の意識外での出来事だ。不意に掲げられた右腕がスペルを発動し、ヘカちゃんの首を刎ね飛ばした。そして笑みを貼り付けたまま宙を舞う頭を弾幕で消し去る。

 流れるようなコンボだった。

 

 時間稼ぎは十分だったかしら? 

 

【ええ十分ですわ。この怪物を前にしてよくやってくれました】

 

 初めてAIBOに褒められたような気がする! 

 まあ元々は無茶な作戦を立てさせたAIBOが全部悪いんだけどね! ヘカちゃんと戦う羽目になったのもこの人のせいだし。

 

【それに関してはごめんなさい。まさかヘカーティア・ラピスラズリが貴女をここまで注視していたとは、想定外でした】

 

 身体の操作権は既にAIBOに移っている。ヘカちゃんの分身がオッケーなら第二人格(らしきもの)に身体を委ねるのもアリでしょう。そうに決まってる。

 当然ヘカちゃんから文句は出ず、続行の意思を瞳で示した。首はいつの間にか繋がっていて、堪えた様子は全くない。

 

 ただこれは私もAIBOも想定内ですわ! 

 

「これは狂想に付き合った駄賃ですわ」

「随分と安い駄賃ね。ほほうなるほど、オマケの貴女もなかなか面白そうな奴だけど、今はお呼びじゃないのよねぇ。雑魚は消えなさい」

「私にとっても貴女はただただ邪魔な障害物。ここから消えてくださるかしら?」

「月はオマケの所有物じゃないでしょ?」

「この世から往ねって言ってるの」

 

 本当に私の口から出ているのかと思うくらいのとんでもない罵倒である。

 と、実はこの舌戦の間にも不可視の応酬が行われているようで、質量を伴った暴力的な圧が私達の間で文字通り火花を散らしている。互いの顔に張り付けられた余裕の笑みが戦いの拮抗具合を教えてくれた。

 

 強い! あのヘカちゃんとやり合えてる! 

 流石はAIBO……と言いたいところだが、彼女と思考がリンクしている現在、戦況はあんまり芳しくないことが分かってしまう。

 恐ろしい事に、彼我の戦力差は大きいらしく、ヘカちゃんが遊び気分のうちならまだしも、本腰入れて来られたら瞬く間に潰されてしまうそうだ。

 貴女でも無理なの……? 

 

【ヘカーティアは大体の世界線で最強の座に君臨する神。さしもの八雲紫でも抵抗が精一杯ですわ。しかしヘカーティアは既に先の戦いで2体を消費し、私達は未だ2人です。数の利を活かしましょう】

 

 物騒な事を言いながら破滅の嵐に飛び込む我が身体。境界を練り歩き、致命の一撃を避けながらヘカちゃんへと高次元の能力を行使している。

 す、凄え……。

 

 

 

「へえ、まだ付いてくるの」

「当然。外力『無限の超高速飛行体』」

「技も力も悪くない。知恵もある。確かスペルカードだっけ? 面白いわねそれ!」

 

 数度目の攻防。

 

 質量と虚構の境界操作により無限の質量が最高速度の空圧として雨霰が如く放たれる。さらにそれに合わせて私のスキマがヘカちゃんの足元に展開、伸び出た機械の腕が彼女の腿に纏わりつく。

 私は自己研鑽を欠かさない女、八雲紫! 非戦闘員とはいえ技術のアップデートは常に行なっていたわ。あの機械はにとりに作ってもらったマジックハンド! 仮称:のびーるアームくん! 

 

 AIBOにメイン火力を全振りし、私は裏でひたすら妨害に徹する。これぞ八雲紫の二人羽織! 大した貢献はできないけど少しでもAIBOの負担を減らすのだ。

 

「ユーモアも十分。いいねいいね!」

「っ……力技とは芸がないわ」

「うんうん私もそう思ってるわよん。だから小細工くらいは使わせてくれると嬉しいんだけども、もっと頑張れそう?」

 

 私とAIBOの華麗な合体技もヘカちゃんには通じず、魔力を込めた拳圧でスペルを破壊してしまう。無限の概念を撃ち砕く反則的なパワー。

 そして片手間と言わんばかりにのびーるアームくんをスキマごと一睨みで粉砕する。ヘカちゃんが魔法使いタイプって絶対嘘でしょ。

 

 まずいですわ。境界を操る程度の能力(真)ですらヘカちゃんには全く通用してない。

 遊び半分の些細な暴力で此方の計算され尽くした行動が捩じ伏せられていく。ただただAIBOの活動時間を浪費していくだけだ。

 

 あと2分! どうする? どうしよう!? 

 

【落ち着きなさい。少々試したい事があります。身体の操作権を4割ほど委譲しますので、ヘカーティアの足止めに徹してちょうだい】

 

 無理です(即答)

 

【いえ貴女にはその身に相応しくない力を持った技がある筈。永琳の時は貴女の力不足で十全に使いこなせなかったけれど、私の力が合わされば……】

 

 なるほど理解したわ。アレを使えって事ね? 

 確かにアレは私らしからぬ高威力かつ広範囲の激強技。ヘカちゃん相手にも少しは通用するかもしれない。ていうかあの奥の手しか私にできる事は思い付かないわ。

 一応アップグレードしてるし。

 

【ヘカーティアの反撃は私が捌きます。能力を存分に振るってくれていいわ】

 

 AIBOの後押しを受けると同時に視界が開け、身に余るナニカが湧き上がるのを感じる。これがAIBOのエリート妖力ッ……!? 

 あれ? でもこの力って私のっていうよりは──いや、些細な疑問は後よ! 

 

 何千、何万回と繰り返した変哲のない動作。そして開くは毎度お馴染みのスキマだが、今回のものには空間から覗く謎の目も、端に結ばれたお洒落リボンもない。全ての特徴が悉く排除されたスキマ。

 

「さあ勝負よヘカちゃん! 私の切り札を喰らってみなさい!」

「おっ今度はゆかりんね。よーし受けて立つわよん!」

 

 やっぱり私のこと舐め腐ってやがるわ! 吠え面をかかせてやるんだから! 

 宇宙を引き裂く真っ暗な裂け目は、一度入れば理論上脱出は不可能となる多次元空間。それこそ時を戻すくらいしか脱出の方法はない。

 

 過去に永琳に対して使用した時は、アホクソボケチートを使われて逃げられたけど、今回はその反省を活かしたver2である! 

 

 従来の吸引力はそのままに、ルーミアの侵食する闇を3倍に増量! さらにマミさん直伝の迷宮空間をオッキーナ風にリニューアルして複雑難解増し増しに! さらにさらにそれに加えて威力不足の否めなかった核爆弾の代わりに、萃香の力を込めた圧縮爆弾に、土蜘蛛の病原体をこれでもかとばら撒きまくる! 

 そしてトドメに、抵抗の意志を完全に潰す為にあの無意識の申し子こいしちゃんの能力を付与! これで簡単な思考も出来なくなる混沌空間の出来上がりっ! 

 

 お値段? プライスレスですわ(白目)

 

 もう一度八意永琳と戦う羽目になった時の為に頑張って用意しておいたのよ。

 なんの因果かヘカちゃんに対して使用する事になってしまったけど、むしろ好都合なのかしら? 

 

「わわっ凄い風だねえー。異空間に送り込もうって魂胆かしら」

「その通りですわ。この中に入ってしまえば二度と脱出は叶わない」

 

 強風に煽られて凄まじい勢いでダブつくTシャツと謎帽子を押さえている。思わぬところで副次効果が生まれてるわねラッキー! 

 今回の吸引力にはAIBOの妖力が含まれている。そのおかげで規模は永琳戦の比じゃない。入り口の大きさも同様で絵面的にも圧が高まっている。

 しかも未だに身体の操作権の過半をAIBOが握っている。即ち、別行動が可能なのだ、

 

 衣服の乱れで行動を制限された女神の右腕を境界が隔て、さらに振りかぶった日傘が顔面を打ち据える。間近で聞いた事のない破裂音が轟き、衝撃だけで視認できる限りの月面が消し飛んだ。

 肉弾戦もいけるAIBOマジ強ですわ。

 

「女の子の顔を鈍器で殴るなんてサイテー!」

「痛みなんて感じてない癖に白々しいのよ! でも別にいいわ!」

 

 正攻法でダメージを与えるのは諦めている。搦手以外での対抗手段はない。

 

 お返しと言わんばかりに、払うように振るわれた腕が身体のパーツを持って行ってしまう感覚。右目が暗転して右半身そのものの存在を感じないことから、とんでもない事になっているのだろう。あまり考えたくないわ……! 

 AIBOが痛覚を切っていなければ今頃痛みでのたうち回っていただろう。

 

 思考を止めちゃいけない。須臾の時すら無駄にできない死線なのだ、私とAIBOで絶え間無くありとあらゆる手段で畳み掛けなくては。

 残る左腕で奥の手となるスキマの入り口をもう一つ展開! 妖力さえあればこんな事もできちゃうのだ! 私のやりたい事、全部できる! 

 

 ここまでの至近距離にスキマが出現しては流石のヘカちゃんも無事では済まないようで、吸い込まれた頭の惑星を追うようにしてスキマに転落した。というかAIBOが蹴りで叩き落とした。

 

 はい封印! 封印! 封印!!! 

 

「さ、最強不死身キャラの攻略法その一封印……! 上手く、いったわね! ぜぇぜぇ」

 

【時間稼ぎにしかならないわ。だから次、奴が出てきた瞬間が勝負です。私の妖力残量から計算するに、これが最後の挑戦(チャンス)になる】

 

 絶望を感じている暇なんて無いのだろう。

 確かに、スキマの制御が段々と狂い始めている。多分、今はヘカちゃんがスキマ空間の中を見学してるから無事なのであって、満足したら私の弄した作戦全てきっと力技で破壊して出てくる。

 だがAIBOはそれがチャンスだと言う。作戦の内容を共有して、私も「それしかない」と思った。もはやそれしか方法は……。

 

 消し飛んでしまった右半身をAIBOに修復してもらいながら、その時を待つ。

 

 

 

 

「なかなか楽しめたわよー。でもまだまだ改善の余地ありだと思──」

 

「『変容を見る眼』」

「『憑坐と神霊の寸断』」

「『生と死の境界』」

「『知能と脚の境界』」

「『アポトーシスとネクローシスの境界』」

「『客観結界』」

「『色と空の境界』」

 

「──あ゛」

 

 相変わらずの笑顔で空間を叩き壊しながら、眼前に現れたヘカちゃん。堪えた様子は勿論なく、完全な無傷で境界を踏み越えてくる。

 既に脱出の予測位置はAIBOが割り出していた。私達はその場所に能力の行使を指し示すだけでいい。それだけの話。

 

 この時、ヘカちゃんの顔が初めて歪んだ。

 

 境界を操る能力とは、線引きの加減や引き締めのみに限定した能力ではなかった。新たな概念の創造と消滅、そして書き換えを行う事すら可能になる。

 それマジですの? (初耳)

 

 AIBOの境界操作はあまりに難解だった。私では1%も理解できない領域の思考。

 だがそれが為される事の『意味』の大きさはしっかり理解できた。

 

【途轍もない戦力差があるとはいえ、能力相性は此方に分がある。私はヘカーティアにとっての天敵、ということになるわ】

 

 ヘカちゃんの身体は地球、月、異界に各個存在し、さらにそれぞれの地獄にコアなるものがあるそうだ。その全てが本体となる。つまり目の前の赤ヘカは6分の1ってことになるのかしら? 気が遠くなるわ。

 だがAIBOはヘカちゃんを隔てる境界を断ち切った。地獄も含めてだ。

 その結果、別れていた身体と人格が一つに成ろうとする。人格と存在の削り合いが発生するのだ。有象無象の罪人達の意識も統合の阻害となるわ。

 

 当然ヘカちゃんの防衛機能がそれを緩和させようとするのだろうが、その善玉的な動きをほんの紙一重の、悪玉的な動きにすり替えた。これで身体の修復は一切行われず、削り合いは激化する。

 

 しかし唯一、自意識の境界は逆に強固なものに操作したようで、これがヘカちゃん同士の殺し合いを無理やり長期戦に持ち込ませる鍵となる。

 八雲紫の能力がヘカーティア・ラピスラズリという絶対神を滅ぼそうとしているのだ。

 

「ぎ──がが──げ」

 

【真正面から能力を行使してもレジストされてしまうのが関の山。だから私の奥の手が破られる瞬間を狙ったのよ。八雲紫を軽んじて油断する、その瞬間を】

 

「私を囮に使ったって訳ね。ナイスよ」

 

 制限時間を過ぎて意識の奥に引っ込んでしまったAIBOだけど、ちゃんとトドメ用の妖力は身体に残してくれている。私が決めろって事か。

 

 ヘカちゃんの身体は痙攣を起こしており、口からは断末魔に似た呻きが漏れている。魂の叫び、というものなのかしら。聞くに堪えない……! 

 待機していた青ヘカ、黄ヘカは既に消滅している。赤ヘカの中で大乱闘スマッシュヘカーティアズが行われているんでしょうね。

 無抵抗の相手を一方的に殺すというのはあまり気分の良いものではないが、情に絆されれば殺されるのは私と幻想郷の方だ。私は、私の世界を守る為に。

 

「さようならヘカちゃん。我が友よ──!」

 

 

 

 

 

「あら終わりにするの?」

 

 境界が首に手をかけた瞬間だった。白濁としていたヘカちゃんの眼球がぐるんと回って、私を見据えた。あの邪穢な笑みを浮かべて。

 そして骨の砕ける音。

 

 私の左腕が千切れ飛んだ。

 

「……ッ!?」

「あっはっは! 死ぬかと思ったわよこやつめ!」

「何故、平気でいられるの……?」

 

 痛みのあまり蹲り、大量の脂汗を流しながら途切れ途切れに問い掛ける。ヘカちゃんは相変わらずの様子で私を見下ろしながら、くるくる指を回す。

 その回答はあまりに単純明快だ。

 

「全員ブチ殺したのよん。私の中で。薄々思ってはいたんだけど、遂に確信できたわ。一番燃える相手ってやっぱり私だったんだなーって」

「く、狂ってるわ。何万年も共にあった人格を殺して……その程度、なの?」

「さあねぇ。当人が満足してればそれでいいんじゃない? 仕返しはするけどね」

 

 ヘカちゃんの空を掬うような動作とともに、身体を浮遊感が包んでいく。そして無理やり十字架のポーズを取らせると、指から放たれた直径拳大のレーザーが無情に私の腹部を貫く。激痛どころの話ではない。視界がぐるぐる回って、吐き気と一緒に滝のように血が吹き出した。

 もう上か下かも分からない。

 

「あう……えほっ……」

「あら今度は治らない。もしかして死んじゃうの? この程度で?」

 

 まずい。意識が遠のく。

 死にたくない。

 私はどうすればいいの? 教えてよAIBO。

 

【……】

 

 都合が悪くなるとすぐダンマリ! 

 うーん死ぬのかしら、また。

 フランに砕かれた時のように、霊夢に斬られた時のように、永琳に射られた時のように、諏訪子の呪いに侵された時のように、妖怪の山上空で謎の発光体に飲まれた時のように……。

 

 あれ、私って死にすぎ……!? 

 走馬灯のように今までの記憶がガンガン蘇ってくるわ。そうだ、死の間際の記憶がすっぽり抜けていたことにやっと気付けた。

 

『何故この無茶苦茶な世界を生き残っている?』

 

 ヘカちゃんの問いが蘇る。

 そうだ、生き残ってなんかいない。私は死んでばっかりだ。その度に何度だって生き返っている。蓬莱人じゃないのに何故? 

 

 いや、理由はいい。私にもし残機的なナニカがあるのなら、今の致命傷も何とかなるのかもしれない。そして死んだフリをしてこの場を切り抜けるっ! 

 まあ全て私の勘違いでそのまま死んじゃうなら大人しく死ぬわ。そんで幽々子に居候させてもらう! よしこれでいきましょう。

 

 という訳で、クレーターを疾駆し、ヘカちゃんへとお祓い棒を振り下ろさんとしている完全戦闘モードの霊夢を手で制す。「貴女の助けは必要ない」と。

 実際のところ霊夢の動きもヘカちゃんに見切られてるし、通用しない可能性が高い。

 

「戦ってあげてもいいわよん? お母さんの事がそんなに心配なら」

「黙れ。アンタ達の指図は受けない」

「やめ、なさい! 霊夢……っ!」

 

 これでもかと血を吐き出しながら懇願したら止まってくれた。やはり霊夢は素直で良い子なのよ。ゲホゲホ。

 

「死に損ないに何ができるのよ! いいから私と代わりなさい!」

「次に、繋げることができる。お願いだから、貴女は無事に……生きて」

 

「次なんてないわよ? ここで全部潰しちゃうから」

 

 背筋に悪寒が走る。ヘカちゃんの矛先は私だけじゃない事に気付いたからだ。

 そうだ、ヘカちゃんの興味は私と幻想郷に向いていた。つまり彼女の言う『全部』とは……幻想郷に住まうみんなも含まれている。

 

 ヘカちゃんの視線は上を向いていた。私の頭上の、さらに上。

 ふと宙を見上げると、真っ暗な海の中に浮かぶ母なる大地が煌々とした光を放っている。でもその大きさは、この場所に来る時よりも遥かに大きい。

 あまりに近すぎる。

 

 無茶苦茶だわ。天体そのものの軌道を捻じ曲げて意のままに操るなんて……! これがヘカちゃんの魔法……ってコト!? 

 月そのものを地球に、幻想郷にぶつけるなんて無法も無法よ! 

 しかもご丁寧にヘカちゃんの濃密な魔力が天体そのものを覆い尽くし、巨大な弾幕になっている。

 

「こうしてしまうのが一番楽だと思うのよ。月の都に幻想郷、どちらも世界に害をなしてばかり。なら両方いっぺんに潰せば楽でしょ?」

「貴女の言う罪と、幻想郷に関係は……ッ!」

「本来ならこんなにアクティブな手段は取らないけど、『ゆかりんは私に傷を付けた』でしょ? たったそれだけの理由で貴女に関係する者全てを地獄へ堕とす。ただそれだけの理由だ」

 

「死んでも悔しがれ」

 

 ふっっざけんなくっそ!!! 

 幻想郷を壊されたら死んだフリ作戦なんか全く意味がないじゃない! ていうかこんな意味の分からん馬鹿みたいな戦いを幻想郷に持ち込む訳にはいかないわ! 

 

「……アンタを殺せばこの異変も終わるか?」

「勿論。ただまあ、衝突まであと10秒もないけど」

 

 脅しでもなんでもないのは宙を見上げれば一目瞭然だ。月と地球が加速度的に接近しており、日本列島が視界いっぱいに広がっている。幻想郷の真上に落とす気満々って訳ね畜生! 

 霊夢は夢想天生を発動してヘカちゃんと激闘を繰り広げているけれど、当然ながらこんな短時間で戦いの趨勢は決められない。絶対に間に合わない! 

 

「アンタの戯れなんかで楽園は崩させない! どうあっても幻想郷は守る! そして人間を軽々しく死なせるもんか!」

「ならしっかり守ってみせなよ。この世のまるごと、全部ひっくるめて」

 

 

「あああ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬこれはダメだどうにもならん絶対死ぬぅッ!!!」

「死にたくなかったら私から離れないでねうどんちゃん♡ クラウンピースもいらっしゃい」

「はーい」

 

 あの3人はまあいいや。豊姫も知らん。

 霊夢も夢想天生があるから多分大丈夫だけど、宇宙に放り出されたら危険だ。どうすれば……みんなを救える? 何を捧げれば誰も喪わずに切り抜けられる? 

 考えろ。考えるのよ八雲紫。

 

 

 喪うのは駄目だ。あれだけはいけない。

 取り返しがつくならまだいいのだ。でも完全に喪われてしまっては……。

 

 

【私に残る全ての妖力を使います。月を粒と波に分解し、被害を最小限に抑える。幻想郷への被害は多少許容しなければ切り抜けられない】

 

 それじゃ駄目でしょ! 砕け散った岩石はヘカちゃんの魔力を伴ったまま弾幕として地上に降り注ぐだろう。一つ一つが未曾有の大惨事を引き起こす威力。幾ら化け物共の巣窟とはいえどうなるかは分からない。それに私みたいなか弱い存在だって沢山居る。

 

 もっと大雑把に、根本から守らなきゃ。

 誰一人見捨てないわ。

 

 もう私の世界を喪いたくないの。

 大切な誰かが喪われる瞬間なんて……!

 

 それにAIBOではもうこれ以上の力を出せない。むしろ彼女の存在の維持が危険水域に入るだろう。彼女もまた、喪ってはならない。

 嫌だ嫌だ。

 みんな。私はどうすればいいの? 

 

 私は死ぬ前に何ができる?

 

【その判断は誤りなのよ。今は理想を語る時では】

 

 そんな事ない!

 もっと別の方法がある筈なの!

 

 血が抜けて意識が曖昧になればなるほど、その確信は深まっていく。

 

 何かがあるのよ。熱を帯びた頭に、ずっとずっと昔に、この局面を突破できる僅かな可能性を垣間見た気がするのだから。

 ヘカちゃんの言う通り、私が逃げ出す為に忘れた事があるのなら、その中に。

 

 

 凄まじい嫌悪感だ。心が拒否したがっている。

 

 きっと嫌な事なんだろう。辛いから思い出したくなくて記憶に蓋をした。だからこうして死の間際に追い込まれるほどのショックがないと気付かないのだ。

 

 そうよ。

 昔からそうだった。涙が出るような辛くて苦しい事があっても、次の日にはすぐ忘れてしまう。涙の意味を思い出せなくなる。私の隣にいた大切な人が消えてしまった事も気付かぬまま。

 

 自分の脆弱な心を守る為に、そうするしかなかったの。だって私は明日からも楽しく居たいから。何も知らなければ優しい気持ちで眠れるから。

 

 知らぬ事は安寧であり、罪である。

 己を知ることは叶わず、それに拘る意味すら忘れた。

 

【私が……やるから……】

 

 死が近付くにつれ、夢に落ちるような感覚が強くなる。

 眠りと死の境界とは非常に薄いものであり、同様に夢が深ければ深いほど、現実との境目もまた薄くなる。

 

 すべての元となるのは夢だ。無意識の意識だ。

 

 どこからどこまでが私の物なんだろう?

 私の物もある。きっと私じゃない物もある。どれもみんな必死に生きて、裏切られて……ここに在る。

 

 寄生された蟲のように、支配され、朽ち逝く。

 病の果てに、腹の内に黒いモノを孕んだ気がした。これが自身の罪という物なのか。

 私が奪ってしまったあの子達の未来。

 

 そう、そういう事だったのか。

 

 ヘカちゃんは正しい。ああして回りくどくも教えてくれたのは、彼女の優しさなのだろう。そう、無知が罪というならそうなのだ。

 どうして……心が壊れてくれなかったのか。

 

 こうして時折、自分の朽ち果てた思考と身体を覗きながら、苦しみ続けるのね。そしていつか忘れて、思い出して、また嗤う。

 

 自身が流す涙の訳も知らないまま、死と夢の狭間を彷徨うのだ。

 

 あなただけは、覚えていたかったのに。

 あなただけには、覚えていて欲しかったのに。

 

 

【触れるな】

 

 

 あなたさえ──今、欠けて、消えてゆく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「鵺符『アンディファインドダークネス』」

 

 

 

 ありがとうヘカちゃん。これで漸く、私もこの地獄で苦しめそうだわ。

 

 貴女も私も、ここで終わりだけどね。

 






八雲紫とは古来から謎大き妖怪であった。
その経歴、出生、思想を完全に知る者はなく、時代の節目に姿を見せると、大きな傷痕を残して去っていく。

妖怪には存在の源となる要素を司る場合がある。死、闇、飢え、寒さ、病魔と様々あるが、八雲紫のそれは判明していない。もはや彼女という存在が独り歩きして畏れを集めている状態ともいえるのか。

今なお"正体不明"とされている(ぬえ)的な要素の全てが、彼女の糧となっているに違いない。

※幻想郷縁起抜粋

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