幻想郷は全てを受け入れるのよ。それはそれは残酷な話ですわ……いや割とマジで   作:とるびす

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ルナシューター編


Re_Mind(前)*

 はぁい私ゆかりん!(現実逃避)

 

 えー皆さんご存じの通り保身が大好きな私こと八雲紫でございますが、実のところ分の悪い賭けというのは案外嫌いじゃない。

 だってさ、それって賭けとして成立してるって事でしょ? それだけでも私にとっては温情過ぎる前提条件なのである。ほら、大抵の場合盤上をひっくり返されて賭けそのものを無かった事にされるから……。

 

 で、今回の賭けはどうなのかって話になるんだけど。

 案の定クソゲーでしたわね。

 

 心の奥底に抱いていた微かな淡い期待は、目の前の現実によって粉々に打ち砕かれた。無駄な希望を抱き続けるよりはマシかもしれないけど。

 ウドンを信じた結果がこれだ。

 

「うぎゃーッ! あぎゃあーッ! あばば!!!」

 

「何故逃走? 我殺戮汝命尽迄」

「降参降参降参ッ! ギィブアァァーップ!!!」

「我落胆。汝醜無様……我慈悲引導渡」

 

 目視できない『ナニカ』がウドンの側に着弾するたびに大地は震え、元からクレーターだらけだったフィールドが一つの大穴と化していく。開戦当初にウドンに対して使用した即死技ではなく、ただ純粋な力の塊だと霊夢は言っていた。

 ウッソでしょ。

 

 そんなあまりの一方的な展開にウドンの心は完膚なきまでにへし折られてしまい、命乞いの言葉を涙ながらに叫びながら目下逃走中。なお降参は認められないようだった。私にとっても絶望である。

 最初は檄とかアドバイスを飛ばしていた綿月依姫も、遂には目を伏せ何も喋らなくなってしまった。対して豊姫と霊夢は比較的冷静ね。元から期待してなかったのかもしれない。

 

「そろそろ霊夢の出番かもしれないわね」

「アイツが勝とうが負けようがどうだっていいわ。私とアンタで2勝すればいいだけよ」

「それはちょっと無理があるかも」

「あん? 私が負けるって言うの?」

 

 違うそうじゃ無い。

 やる気十分といった感じで屈伸していた霊夢だったが、私の言葉が不満だったようで凄んできた。思わず泣きそうになっちゃったわ。

 なんか変に弁解しようとすると再度機嫌を損ねてしまいそうなので話を逸らしましょ。

 

「純狐の攻略──貴女なら成せると?」

「できるかできないかの問題じゃないわ。敗北が許されない以上やるったらやるのよ。……私はもう二度と負けない。絶対に」

 

 娘がイケメン過ぎる件について。

 霊夢は博麗の巫女という立場上、敗北は死も同然といった認識で常に事に当たっているのだろう。萃香に負けた時はかなり打ちのめされてたし。

 そんな過酷な宿命が彼女の才覚を更に押し上げているのでしょうね。

 事実、霊夢は今もどんどん強くなってると思う。

 

 まあそんな霊夢やら魔理沙やらに触発されて危険物(S級妖怪)達が自己研鑽を始めちゃってるのはとんでもないバグだと思うのだけどね。マジでやめない? そういうの。

 

「まっ、そういう訳だから私の心配をする暇があったらアンタはアンタの戦いに集中してなさい。紫の無様なところなんか見たくないんだから」

「ふふ……分かりました。娘の手前、恥ずかしい姿は見せられないわね」

「チッ。だから……あーもういいや」

 

 一瞬凄い目つきで睨まれたけど、すぐに怠そうになってそっぽを向いてしまった。機嫌の高低が激し過ぎる……! 

 ていうか、ナチュラルに霊夢のこと『娘』って呼んじゃった! 確か霊夢にとって地雷ワードでしたわね。「どうせ戦うのはAIBOだし私は関係ねーや!」と適当にイキってたら気が抜けてしまってたわ。反省反省。

 

 取り敢えず、霊夢のコンディションが(私のせいで)悪くならないうちに戦ってほしいわね。いやでも時間を稼いだ方がAIBOの稼働時間も上がるか……? 

 でもこのままダラダラ死合が長引いて純狐さんの矛先がこっちに向くのも嫌なのよねぇ。現にヘカちゃん達はうんざりしてるみたいだし。

 

 誰からも応援されないウドンのことがちょっぴり可哀想になった。

 

 

 

 *◆*

 

 

 

 自分はどれほどの不幸の星の下に生まれたんだろうかと、鈴仙は何度目になるか分からない絶望を味わっていた。あまりにも不条理だ。

 

 月の至宝と(恐らく)持て囃されていた恵まれた能力も、この領域に至っては僅かな延命に期待する程度のちっぽけな力にしかならない。純狐はあまりにも強過ぎた。

 

 得意の射撃は通用しなかった。狂気の弾丸が純狐の纏う純化のオーラを突破できないからだ。渾身の一撃も容易く捻じ曲げられ、純化の波に消えてしまう。

 攻めに関しても圧倒的であり、本気を出せば月なんて簡単に貫いてしまうだろう破壊力。空間の位相をずらし、尚且つ『障壁波動(イビルアンジュレーション)』によるバリアでようやく命を繋げている。しかしこれも長くは保たない。

 

 攻撃は一切通じず、防御に回れば即死。それでもなお遊ばれている自覚があった。

 結局、奴等にとっての本番は八雲紫や依姫様、豊姫様であり、自分は前菜にすら満たない認識なのだろう。そうに決まってる。

 勝ちの目が見えない戦いに戦意など湧く筈がなかった。

 

 鈴仙にとって格上とは見て見ぬフリをするべき存在。

 例えば永琳だって、あんな化け物鬼師匠に勝とうなんて(素面では)思ったことがない。紫だって、関わりたくないし意識されたくもないので今こうして共同戦線を張っている時も半ば距離を置いていた。

 

 現実を直視するのが嫌だったのだろう。

 生きる事が辛過ぎるあまり、自らを狂気で破壊してしまう玉兎の事例は少なくない。鈴仙もまたそれに近しい性質を持っていた。

 玉兎とは生まれながらにして嫦娥に尽くす事を定められた存在、幾らでも代わりがいる量産された使い捨ての兵士、身に覚えのない罪の肩代わりの為に業を背負わされた奴隷も同然の卑しい命。

 深く己を顧みると、心が壊れてしまう。

 

 

 だが敢えて、そんな鈴仙の特異性を挙げるのなら、それは自己肯定感の高さと、兎一倍の臆病さにあると言えよう。イキればイキるだけ成長を遂げ、危なくなると判断すれば脱兎の如く手を引く。そして最後に痛い目を見る。

 この完成された流れが、鈴仙を月の都最強のソルジャーとして押し上げた大きな要因である。

 

 そして鈴仙の名前にさらに『優曇華院』と『イナバ』が追加されてから以降は、特異性がまさに顕著な形で作用し、鈴仙の土台は完成されつつあった。

 より貪欲に、より臆病に、鈴仙の増長は留まるところを知らなかったのだ。

 

 だがしかし、鈴仙の真価はそれだけではない。

 この程度であれば、かの月の賢者八意永琳が愛弟子として多大な期待を寄せる筈がない。かの傑物因幡てゐの数万年が作り上げた鉄の心を融解し、目に入れても痛くないほど溺愛される筈がないのだ。

 

 鈴仙の真の実力は波長が切り替わる瞬間に発揮される。

 例えば痛みと死の恐怖に怯え慄く中で、彼女の心が生への渇望に満ちた時。

 例えば自らの生命維持に奔走する中で、大切な者を護ろうとする()()()()が不意に生み出された時。

 

 極端な思考の変化による鈴仙の無意識的な行動は、途轍もない爆発力を伴うのだ。

 

 

『鈴仙。受け取って』

 

『この中で一番死んじゃいそうなのって鈴仙じゃん。あっ、あの世に逝くんだから死ぬようなもんかな? まあ何にせよ、これ以上酷い事にはならない事を願って、百パーセント善意の餞別さ』

 

 

 何故今になって、あの時のてゐの言葉が自分の内に蘇るのか。鈴仙には分からなかった。

 数瞬の時を要して、納得した。

 

 視界の端に映ったのは、月面に転がる橙色の物体。戦塵に半ば埋もれた形だったが、それでもこの戦闘の中で壊れていないのは、てゐの能力が作用した故か。

 てゐが愛用している人参をあしらったネックレスだ。一年くらい前の別れ際に無理やり渡された物。

 開幕純狐に殺されてしまった時に、落としてしまっていたのだろう。

 

 その瞬間、鈴仙の脳裏に蘇るは、裏切り者の身であった自分を大切にしてくれた永遠亭の面々。頭上に映るは第二の故郷と決めた穢れた美しい檻、幻想郷。

 恐怖と絶望に喘ぐ心の中に、ふと懐かしさを感じた。

 

(帰りたい)

 

 それ故だろうか。鈴仙は回避行動を中止して、ネックレスを拾い上げようと膝を折った。精神の限界と一種の現実逃避が生み出した奇行である。

 全力の回避でないと純狐の滅光は避けられない。しゃがむ程度でどうにかなるものか。

 

 純狐の態度は鈴仙の奇行を前にしても一切変わらず、純然たる暴力を振り下ろす。

 

「何をやっているのです鈴仙!?」

「死んだわね」

 

『鈴仙は勝負を投げた』と、そうとしか思えない行動に依姫は悲観し、霊夢ですら決着を予見した。誰もが鈴仙の死を確信した。

 というより、むしろ当人がそれを悟っていた。

 

 どうして拾ってしまったのだ。何の役にも立たない、ただのネックレスを。

 命を捨ててまで拾うべきものではない筈だ。

 何故……──。

 

 そんな事、鈴仙はおろか、永琳やてゐにだって分からない。

 永琳は只管に弟子を想う気持ちで月に向かって弓矢をつがえただけだ。てゐだって、ここぞの時に鈴仙に幸福が訪れるよう願っただけだ。

 

 何が起きるのかは誰にも分からない。

 

 

 トス……と。乾いた音が月面に響く。

 同時に荒れ狂う暴力は消失し、虚無が降りてくる。因果関係は兎も角として、状況を即座に理解できたのは魔術に造詣が深いヘカーティアだけだ。

 宇宙から飛来したスペースデブリが純化の壁を突き破って純狐に衝突し、ある種の致命傷を負わせていた。

 

 矢じりから矢筈までが鈍色の光沢に覆われている物体が、純狐の胸に突き刺さっていた。

 生物的な面影を感じさせないそれは、まるで得体が知れなくて、生理的な嫌悪感を醸し出している。あまりに異質で、目視する事すら躊躇うほどだった。

 

 深々と刺さった鈍色の矢じりから無色の奔流が溢れ出す。流れが強くなるほどに、純狐の存在が希薄に、そして破壊されていく。

 空間を捻じ曲げる程の憎しみは崩れ、純狐の素顔が初めて露わになる。

 

 

 純狐は、ただ鈴仙を見ていた。

 死以上の苦痛を感じている筈なのに、直立したまま身じろぎ一つせず、兎を見遣る。希薄な赤と、決意の灯る紅が交差する。

 

 八意永琳が蓬莱人、若しくは八雲紫を殺す為だけに作成した輪廻を破壊する矢。その破壊力は最終兵器と呼ぶに相応しい。

 だが純狐は倒れなかった。

 かの兵器でも彼女の憎しみの一部を取り払うしか。

 

 決着、未だ付かず。

 だがもう十分だ。

 

 37万キロも離れた遠い地からでも、大切な人達は見守ってくれている。自分は孤独じゃない。

 それだけで鈴仙は十分だった。

 

 月に帰ってきた時、当初の予想に反してあまり感じ入るものはなかった。故郷はとっくの昔に鈴仙の中で色褪せていた。

 そして地球を見た時に込み上げた懐かしさ。この時、鈴仙は自分が『地上の兎』に成ったことを悟ったのだ。

 

 頭の波長が切り替わる。

 鈴仙は一気に反転し、ネックレスを握りしめて拳を作っていた。

 

「師匠っ……てゐっ……!」

「……!」

 

 ノーモーションで放たれた『確実に人を殺める為の純粋な弾幕』が鈴仙に到達するより早く、拳のアッパーが矢筈ごと胸を撃ち抜いた。

 消滅を齎す奔流が再び矢じりから溢れ出してくる。しかしそれでも純狐は止まらなかった。

 

 腕を横薙ぎに振るう純然たる暴力。対象物を死に至らしめるだけの単純な動作。極限まで突き詰められた破壊力が空間を引き裂き、鈴仙へと迫る。

 それは鈴仙の右耳を容赦なく奪った。

 

 咄嗟の前傾回避が間に合わなければ頭ごと持って行かれたであろう事は容易に想像できる。純化の力が残っていれば身体ごと消し飛ばされていただろう。

 だが死ななかった。刹那の判断が勝利へのか細い道を繋いでいる。

 鈴仙は幸運だ。

 

 あと、もう一押し。

 

「帰るんだッ絶対に!!!」

 

「見事です」

 

 保身と私利私欲に塗れた英雄の一撃は、災厄へと届き得た。どのような形であろうと、強靭な想いに後押しされた決意には大きな結果が伴う。

 

 最後の足掻きとばかりに、鈴仙は倒れる勢いそのままに跳躍し純狐へと突撃する。所謂頭突きである。狂気の力を纏う一撃必殺のルナティックインパクト。自らの脳天にも衝撃と振動を齎すほどの捨て身の一撃。

 決死の悪足掻きは純狐の腹に突き刺さり、ついに直立不動の牙城は崩れ去る。

 

 災厄と英雄は、諸共月の大地に倒れ込んだ。

 

 爆音吹き荒れる激しい戦いが一転、静寂に包まれる。折り重なるようにして地に伏した二人は全く動かない。それは死合の終わりを暗に示していた。

 これには紫に霊夢、綿月姉妹も息を呑んで見守るしかなく、立ち尽くすだけ。

 

 と、そんな二人に近付いたのはヘカーティア。

 覗き込むようにして仰向けに転がる純狐を見下ろす。またその傍では鈴仙が白目を剥きながら泡を吹いていた。

 

 ヘカーティアは徐に鈍色の矢を純狐の胸から引き抜くと、握りつぶしながら問い掛けんと口を開く。意志の確認の為だった。

 だがそれは純狐によって遮られた。

 

「ヘカーティア」

「ん。まだやる?」

「いや、もういい。私の復讐はまた今度」

 

 澄んだ瞳で微笑んだ。

 憎しみの消滅は一時的なものだろう。それでも、ほんの少しの間だけなのだとしても、彼女に救いのある時間を与えられるのなら──。

 

 そうだ。悪くない。

 

「英雄の頑張りに免じて、少しの間だけ」

「りょーかい。……良かったね純狐」

「ありがとう友よ」

 

 純狐は満足したように呟き、投了の意を示した。

 

 

 

 *◆*

 

 

 

 えぇ……なんか勝ってる(困惑)

 

 あまりの急展開にいまいち状況を飲み込めなかった。ウドンの敗北後について霊夢とあれこれ話してたらいつの間にか逆転してた件について。

 とんだ番狂せだわ! 

 

 ていうか、さっきから恐怖のせいだか分かんないけど、身体の震えが止まらないのよね……。加齢が原因とか言った奴は潰すわよ! 藍と橙が! 

 

 多分アレよね、あの矢みたいな物体って永琳が使ってたやつよね。私を……アレで殺したのだ。一度。

 あの矢に射られる前後の記憶が酷く曖昧だったんだけど、今ようやくハッキリとした。なんで私が生き返ったのかは未だ謎だけどね。AIBOなら知ってるのかしら。

 

 まあただ、記憶が戻ったからこそ、アレを受けてもなおピンピンしてる純狐さんはやはり怪物だと改めて認識させられた。今も凄いニコニコ顔で、青白い顔したウドンの周りを彷徨いている。

 こわ〜。

 

「貴女強いわね可愛いわね。名前は?」

「れ、鈴仙・優曇華院・イナバですけど……」

「うどんちゃん可愛いね♡何処に住んでるの? カパネットやってる? 髪が長くて綺麗ね。後でウチ(仙界)にきてください。一緒に美味しい物を食べましょう」

「ひぇ……」

 

 見えないフリしとこ。

 一方、綿月姉妹は結果に大満足だったようで英雄を見るような眼差しをウドンに向けていた。そういや元々この二人の部下なんだっけ。

 

「全ては八意様の狙い通りという訳ですか。最低限のアシストを施す事でまさか鈴仙があの災厄を籠絡してしまうとは。やはりあの方には敵わない」

「地上から月面に向けて、純化の波間を掻い潜り、正確に心の臓を弓矢で狙い撃つ……八意様にしかできない芸当でしょうねぇ」

 

 後方弟子面してるところ悪いけど、お前らの師匠きっしょ過ぎない? いや割とマジで(辛辣)

 マジで何でもありじゃないあの化け物。

 

 だけどまあ、何はともあれ1勝であることには変わりない。永琳の世話になったのは釈然としないけど素直に喜びましょう。ウドンのガッツに乾杯!(当の本人から目を逸らしつつ)

 

 ちなみに永琳の介入に純狐さん陣営は怒り心頭で納得しないだろうと思っていたが、大気圏外からの飛来物は全てスペースデブリとして扱うらしく、ウドンの勝利は覆らなかった。というより、面白いからという理由でヘカちゃんがオッケーしてた。

 ヤケに寛大だけど大本命の純狐さんを失ってもなお勝てる自信があるのだろうか? こちとら次鋒はゆかりん陣営最強のアルティメイト巫女様なんですけども。

 

 次の相手はアメリカン妖精のクラウンピース。純狐さんが満たされたらしい殺し合いを見て触発されたのか、意気揚々とクレーターの上で舞っている。

 まさか純狐さんより強いって事はないと思うけど、あの一団の中の一人ですからね。霊夢には十分に注意してもらいたい。

 

 取り敢えず激励だけでもしておこうか。

 ハイテンション純狐さんと茫然自失なウドンを避けつつ、待ちくたびれたとばかりに腕を回している霊夢に近付く。

 

「貴女に全てが掛かってるわ。どうかお願いね」

「言われるまでもない。紫の出番はないから幻想郷に帰る準備でもしてなさい」

「そうね。この永き戦いの終止符は貴女の手で打たれるでしょう。非常に喜ばしい事ですわ」

「一から十まで全部アンタの尻拭いだけどね」

「うふふ」

 

 笑って誤魔化すしかねぇ!!! 

 その辺り突かれると何も言えないのよね。まあ強いて言うなら霊夢も月面戦争に乗り気だったじゃんってくらい? 

 まあ元から霊夢が居ないと何もできないのはその通りなので素直に感謝しましょう。

 

「また貴女に返しきれない恩ができてしまったわね。頼りにしているわ」

「……あのさ紫」

「うん?」

 

 振り返った霊夢の顔には、僅かな憂いが浮かんでいた。らしくない顔だ。

 もしかして勝負を不安に思っているのだろうか? だとしたら大問題である。

 

「私もそろそろアンタからご褒美を貰ってもいい頃だと思うのよね。博麗の巫女になってから今まで、ずっと言う通りにしてきたんだから」

「ご褒美……」

「この勝負に勝って幻想郷に帰ったら、私のお願いを一つ聞いてくれない?」

 

 何と言うか、意外な申し出だと思った。

 霊夢は欲に忠実で色々がめつい所があるんだけど、私にそういう『おねだり』をした事は一度もなかった。だから私が自発的に物をあげるしかなかったの。

 正直、やっと娘らしい側面が見れてちょっと嬉しいわ。

 

 答えは勿論イエス! 

 

「分かりました。私にできることなら」

「決まりね。それじゃ行ってくるわ」

「あら内容は?」

「勝った後に教えたげる」

 

 あら良い笑顔。

 まっ、決意した乙女をこれ以上引き止めるのは無粋ってもんよね! 内容は敢えて深く聞かず、霊夢を戦場へと送り出した。がんば霊夢! 

 

 ……ていうかよくよく思えば、一連の流れで特大の死亡フラグが霊夢と私に発生したような気がしないでもない。

 大丈夫かしら。

 

 

 

 *◆*

 

 

 

 クラウンピースは今日という日を何年も前から楽しみにしていた。

 始まりは主人が『カパネット通信』なる電子ツールで異国の妖怪と連絡を取り合っている場面を目撃した時だったと思う。

 

 ひょんな事から幻想郷と八雲紫のことを聞いて、主人と最高に盛り上がったのだ。

 特に惹かれたのは八雲紫の武勇伝である。

 その日を境にクラピは主人のみならず、地獄の囚人や獄卒達から聞き込みを行い、紫についての噂や情報を地道に集め続けていた。

 

 曰く、睨みつけただけで島を一つ消し飛ばしただの、息をしただけで魔界の生き物を一匹残らず死滅させただの、とにかく話がぶっ飛んでいた。

 かの偉業をクラピ流に表現するならば「最高にロック」と言ったところか。

 ファッションセンスはともかくとして、実力その他諸々は完全に認めている主人が気に入っているのもあって、クラピはまだ見ぬ地獄(理想郷)に憧れていた。

 

 結果、実物を目の当たりにしてクラピのテンションは跳ね上がった。しかも捕虜の玉兎と敬愛する友人様のバトルも最高にロックだった。

 弱っちい月人や兎共を撲殺するのに飽き飽きしていた時間が嘘だったかのように、クラピの世界は輝いている。

 

 そして締めにあの巫女である。

 第一印象はひたすらに気怠げな女だったが、実際はいざ戦闘となれば雰囲気が変質するタイプの人間だった。地獄でもそうそうお目にかかれないほどの殺伐とした目をしている。

 

「最高に……地獄だぜぃ……!」

 

 対戦相手の巫女はクラピにとって未知に該当するタイプの人間であった。少なくとも自分の管轄する地獄に落ちてくるような人種とは根本からして違う。

 強いのは言うまでもない。

 しかし、身に纏う異質さはクラピに正体不明の高鳴りを齎すのだ。

 

 少し考えて、一つの結論に辿り着いた。

 この胸の熱は、恐らくシンパシーだろう。偉大な存在の下で燻っている者同士の共感。

 用意してもらった"ルナティック"に満足できない憐れな狂人だ。

 

 自然と笑みが込み上げてくる。

 

 お前は強い。そしてアタイも強い。

 きっと良いルナティックタイムになる。

 クラピにはその確信があった。

 

 

 

 

「鬼霊『夢想封印 業』」

 

 

 

 

 一撃だ。

 

 振り下ろされたお祓い棒に全く反応できず、すれ違いざまに頭を叩き割られた。気付けば致命傷を負っており、膝から崩れ落ちていく。

 相手を狂わせる暇すらなかった。

 

 クラピに視認できたのは、目の前の狂気など眼中にないと言わんばかりに遥か先を見据える巫女の瞳と、視界の端に映った見慣れた地獄の炎。

 

 ああ、そうか。

 同じ土俵ではなかったのか。

 

 世界には自分よりも熱いルナティックを持った存在がいる可能性。

 それを見誤った自分に勝機はなかったのだろう。

 

 良かった。次に活かせる。

 

 

 

 *◆*

 

 

 

【速報】幻想郷・月連合ストレート勝ち。

 

「つっっっよ……」

「これは流石に予想外でしたわね」

 

 霊夢が数秒でクラウンピースを真っ二つにしちゃった件について。あまりに一方的すぎてウドンと一緒に口をあんぐり開けるしかなかった。

 

 いやね? 勿論霊夢が強いのは当然よ。あの子の強さは私が一番よく分かってるつもりだったわ。贔屓目無しに幻想郷最強だって思ってたし。

 だけど今の動きを目の当たりにして、その評価すら生温いんじゃないかと考える。

 

 相手が雑魚でないのは綿月姉妹から散々聞かされてるし、ウドンも同意している。あと純狐さんが「あの子は強い」って言ってたわ(目を逸らしつつ)

 恐らく萃香や藍といった幻想郷のトップブレイカーでも手こずるであろう最狂の妖精。それを一撃で葬ってしまうのは……。

 

 尽きる事のない莫大な霊力、常識破りの戦闘センス、変幻自在の応用力、封印術に瞬間移動と豊富な絡め手、絶対無比の最強技である夢想天生、なんか変な方向に成長を始めた夢想封印と陰陽玉。

 本格的に霊夢が誰にも止められなくなってきたわね! 

 ちなみになんか紅くなったり緑になったりする技の仕組みをちょっと前に教えて貰ったんだけど、陰陽玉に封じられた意志を纏ってるんだって! 夢想封印の最終形態だと霊夢は言っていた。

 なにそれ知らん……。こわ……。

 

 改めて、あの子が体制側の人間で良かったと心底思うわ。もし仮に賢者のやり方に反感を持って「幻想郷を改革しよう!」「人間を解放する!」なんて言うような子だったらとんでもない事になってたでしょうね。

 もしかしたら霊夢があんまり賢者への意見を言わないのは、そういった自分の特異性を自覚しての事なのかもしれない。面倒臭がってるのは言い訳で。

 ウチの娘賢すぎ……!? 

 

 霊夢を賢者に推薦してみるのもアリなんじゃないかと勝手にあれこれ考えていると、戦闘を終えた霊夢がいつものように澄まし顔で帰ってきた。肩には一回休みから復活したクラウンピースが引っ付いている。

 ……えっ、どしたのそれ。

 

「コイツ幻想郷に来るらしいから適当に住処を用意してあげといて」

「クレイジーユートピアにお邪魔いたしやーす!」

「……博麗神社周辺にのみ居住を許可します」

「おい」

 

 霊夢に凄まれたけどここは引けないわ! こんな妖精野放しにしたら間違いなく大騒動が起きる! そして私が藍に絞められるってオチよ。

 本音を言うならそもそも幻想郷に来ないでくれって話なんだけど、残念、幻想郷は全てを受け入れちゃうのだ。私の胃にとってとてもとても残酷な話なのです。

 

 ていうか博麗神社ってもう光の三妖精とか、亀爺とか、変な騒霊とか、あうんちゃんとか結構住み着いてるから今更でしょ。がんば霊夢。

 純狐さん? ……永遠亭にお願いしましょ。

 

「八雲紫様でございますね! サインくださいサイン!」

「はいはい。……それで、そろそろ聞かせてくれてもいいんじゃないの?」

 

 何故かサインをせがんでくるクラウンピースのために直筆サイン(こっそり練習してた)を書いてあげながら、霊夢に話を促してみる。

 内容は勿論、例のお願いについて。

 

「貴女は私の期待に見事応えてくれました。ならば私もそれに応えなくてはなりません。私にできる事ならば全て引き受けましょう」

「別にそんな大層な物を要求する気なんか無いわ。断りたいなら別に断ってもいいし」

「あらそうなの?」

「うん」

 

 そんなことを言いつつも、八雲紫の賢者アイは見逃さない! 霊夢がいつもより若干ソワソワしてるのだ。柄にもなく緊張してるのかしら。

 マジで何を頼んでくるのか私も気になってソワソワしちゃう! 現物ならいくらでも用意するんだけどね。「お前を消す方法」とか言われたら逃げるけど。

 

 霊夢を一つ深呼吸して、私の目を見据える。

 そして口を開いた。

 

「物心ついた頃からずっと否定し続けてた。信じたくなかった。私の中て燻っているどうしようもない想いは、妖怪相手に抱いちゃいけないモノである事は明白だったから。気のせいだと思い込んで、自分を誤魔化してたの」

 

「でも段々と気持ちの整理が付いて、自分を誤魔化しきれなくなった。否定したり無視してもむしゃくしゃするだけ。だからいっそのこと正直に言うわ」

 

「多分、私は紫の事をお母さんのような存在だと思ってる。子供の頃からずっと。……親の居ない私を気にかけてくれたのは一応アンタだけだったし」

 

「本当は駄目だって分かってるわ。私には必要のない感情。立場もあるし。だけどもし、たった一つの我儘が許されるなら、私は他に何も望まない」

 

「私の想いを許して受け入れて欲しい」

 

「養子縁組でもなんでも良いから、名実ともに親子になれないかしら。私のことを本当に曲がりなりにも娘だと思ってるなら、今更かもしれないけど」

 

 

 

 

 

 

 

 夢 か ? 

 

 今は昔、色々と病んでた時期にドレミーの計らいでこんな夢を見せてもらった気がするわ。自分に都合の良いだけの荒唐無稽な夢を。

 試しに頬を思いっきりつねってみるとクッソ痛かった。随分とリアルな夢ですわね。

 

 現実なの? まさか。

 あの霊夢があんなこと言うなんて。

 

「その願いは誰かに?」

「天子から言われたの。待ってるだけじゃダメだって。自分からも動いてみろって」

「なるほどそういう事。理解したわ」*1

「らしくもなく緊張しちゃった」

 

 やり切ったような清々しい顔をしている霊夢さんだけど、ちょーっと話について行けてないのよね私。えっと……どうしようかな。

 どう返すのが正解なんだろう。霊夢とのコミュニケーションが難し過ぎる件について。

 頭の中で様々な選択肢が浮かんでは消えていく。

 

 助けを求めようにも綿月姉妹は結果を受けてどっかと連絡取り合ってるし、クラウンピースはサインに夢中で話を聞いてない。ていつかこの人達は論外。

 比較的まともであろう事が予想されるウドンはというと、センシティブな話に気を利かせてくれたのか、純狐さんがちょっと離れたところまで引き摺って行ってしまっている。こわ〜。

 

 と、取り敢えず何か返答しましょうか。黙ってばかりじゃ心証が悪いものね。

 まずは当たり障りのないところから。

 

「随分と思い切った手段を取ったのね。流石の私もちょっと吃驚したわ」

「こんくらいしないとアンタのふざけた態度は変わらないと思ったの。こんな事で私ばっかり悩むのも正直馬鹿らしいし」

 

 私も結構悩んでるんだけどなぁ!

 ていうかこれ、試されてるわね私。

 

 つまり霊夢は既成事実を作ろうとしてるのか。形式的に親子関係になってしまえばこの問題から私が逃げ出すことはできなくなるから。信用がないのは今更だけど。

 ……まあ、ここまで拗れてしまったのは私の責任だし、霊夢にこんな強行的な手段を選ばせてしまったのは私の失態ですわ。

 

 私にとっても非常に嬉しい申し出であるのは間違いないんだけど、それよりも混乱の方が強くてなかなか実感が湧かない。

 色んな気持ちがある。心が二つあるような気さえする。

 

 でもこれ以上霊夢を待たせる訳にはいかない。伝えるべき事は伝えなければ。

 

「霊夢」

「……うん」

「まずこれだけ言わせて欲しい。貴女の想い、とても嬉しく思います。記憶にある限り、これほどの喜びを感じた事はないわ。……ありがとう」

 

 涙が溢れ出しそうになるのを必死に我慢しながら、とにかく気持ちを伝えた。嘘偽りのない真心からの言葉だ。

 泣き喚くのは幻想郷に帰ってからにするわ。一応みんなの前だしね。

 

 そして最後に私の答え。

 伝えよう。霊夢がそれを望んだのなら。

 

「そのお願い事なんだけど」

 

 

 

「悪いけど応えられそうにないわ」

「……っ」

 

 周囲の温度がいくらか低くなった気がする。

 

「……そう。分かった」

「ごめんなさい。幻想郷に帰った後、改めて他の願いを聞きますので代替案を考えておくといいわ。……それじゃあ、行ってくるから」

「ねえ最後に一つ教えて」

 

「それはやっぱり、私が博麗の巫女だから?」

「……」

 

 答えは無かった。

 

 目を伏せた私に霊夢の表情は分からなかった。この子の感情を見るような勇気は勿論なく、背を向けて逃げた。

 霊夢からの視線を振り切るように早足で歩みを進め、目を擦りながらヘカちゃんの待つクレーターの中心部へと向かう。口の奥が湿っぽい。

 

 最悪な気分だわ。強烈な吐き気というか、目眩が身体中を順繰り回っているような気がする。顔が焼けるように熱い。

 最低だ。

 私はどれだけあの子の想いを無碍にするのか、考えただけで死にたくなる。

 

 

 で、これで満足かしら? 

 

【……】

 

 ダンマリか。

 

 もうチャージの必要はないというのに出てこない。若しくは出てこれないのか? いや、罪悪感を抱くような奴ではなかったわね。

 AIBOにも何か目論見があっての事だと思うけど、随分と悪趣味な物を突然見せてくれたものだわ。思い返すだけで気が狂いそうだ。

 

 霊夢への返答を思案していた最中、脳裏に浮かんだビジョンは恐らく、私が霊夢のお願いを叶えた場合の未来図。『()()()()』が誕生した場合に起きるかもしれない出来事なのだろう。

 

 もしくは起きてしまった記憶、なのか。

 AIBOを未来からきた存在だと断定するなら、そうなるのだろう。

 

 あまりに残酷な世界だった。

 

 希望は一切無く、絶望だけが蔓延る世界は、私の想像する最悪を容易に越えていく。

 みんな死んだ。誰一人幸せにならない結果。

 極端な例である事は言うまでもないが、その過程の重要な部分に『八雲霊夢』が居るのなら、確かに警戒すべきなのでしょうね。

 

 もうさ、あんなものを見せられちゃ咄嗟に断るしかないでしょうが。チャージとやらで引っ込んでたAIBOがあんなに大胆な事をしてくるのだ、かなり切羽詰まっていたのだろう。

 もしビジョンが本当なら、理由も分かる。

 

 AIBOは聡く、それでいて基本合理的な人だ。きっとそれが彼女の役割なんだろう。

 そういえば「私の目的は貴女(八雲紫)の邪魔をする事」なんて言われたこともあったっけ。

 

 でもね、たとえ理不尽な怒りなのだとしても、私は……AIBOとなにより私が許せない。

 致し方なかったなんて言い訳をするつもりはない。AIBOの行為はキッカケに過ぎない。

 実際、未来のビジョンを抜きにしても私は霊夢の好意を踏み躙っただろう。

 

 私は、霊夢の想いを受け入れる事に酷い嫌悪感を覚えていた。霊夢が嫌いだからじゃない、その対象が私であるという点に対してだ。

 日和っているのか? 巫山戯るな。

 

 自らと向き合って答えを出してくれた霊夢に比べ、私は自分の心に潜む感情の正体さえ掴めない。それであの子の親になるなんて可笑しな話だ。

 此処にさとりが居てくれたなら何かが違っていたのだろうか。分からない。

 

 霊夢の涙は私への楔とさせて貰うわ。

 戒めには十分だろう。償いには到底足りないけれども。じゃないと、私がおかしくなってしまいそうだ。

 

 壊れてしまう。

 涙に負けてしまう。

 全てを、諦めたくなってしまう。

 

 

 

 ……。

 

 ……。

 

 ……。

 

 

 

 はい迷走タイム終わりっ!

 あんまり引き摺っても仕方がないわ。

 

 さてさて気を取り直してヘカちゃんと話を着けなきゃね! もういい加減幻想郷に帰りたくて仕方がないわ! クッソ眠いし! 

 いやでも幻想郷も騒動の真っ只中なんだっけ……。帰ったら藍かオッキーナがなんとかしてくれてないかな。無理かしら。

 

 何にせよ私は私にできる事をやるだけ! 戦争の〆はこの八雲紫がバチッと決めてやりますわよ!

 

 いじけた様子で月の石を蹴っ飛ばしているヘカーティアの前に立つ。

 

 いざ、月面戦争終結へ──!

 

*1
してない




勝った!幻マジ完!!!

純狐さんの敗因→てゐちゃんママ
クラピの敗因→ゆかりんママ

賢者の母性は格が違うウサねぇ
純狐さんにも母性が残ってたら負けなかったかもしれない(道徳心ゼロ)

ゆかりんって可哀想な子に対してはパーフェクトコミュニケーションできるのに、なんで霊夢相手になった途端ファンブルしまくるんだろうねの巻
正解は八雲紫という存在が博麗霊夢に対してカルマを重ねまくっているからでした! 玄爺はキレていいよ(キレてる)

ていうか霊夢に両親が居ないのは何故かというと、そもそもの原因がゆか







次回、ゆかりんゲロりん
ついにゆかりんの正体に迫る(現在5000文字)

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