幻想郷は全てを受け入れるのよ。それはそれは残酷な話ですわ……いや割とマジで   作:とるびす

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正邪の脱落により幻想郷の戦況が一気に変化します


紡がれた奇跡

 

 輝針城での決闘が佳境を迎えつつあった頃、幻想郷では各地に終わりが広がっていた。

 

 人妖はよく戦った。この健闘を貶す者は正邪を除いて誰一人として居ないだろう。あの摩多羅隠岐奈でさえ、その奮戦にときめきを感じていた程だ。

 数時間で淘汰されていても不思議では無い戦力差であったが、それでもここまで耐え切ったのは団結と意地が生み出した奇跡と言える。

 

 しかし如何に健闘しようとも、限界は突然訪れる。

 

 

 幽々子と萃香の参戦により一時は五分まで戦況を持ち直した人里での攻防は、ついにはその物量に押し潰された。

 もはや防衛側の領域は稗田邸を残すのみとなっており、八方を何重にも囲われている状況。さらに戦乱から逃れてきた人間達の殆どを収容している為、完全にキャパオーバーを起こしている。

 開戦当初の燃え上がるような士気は、完全に鳴りを潜めていた。

 

 もはやこれ以上の抵抗が不可能である事は、誰の目にも明らかであった。

 如何なる状況においても飄々としている幽々子と萃香は兎も角として、数日に渡り指揮を続けてきた藍、阿求、慧音、小兎姫は、既に落とし所を考えなければならない段階に追い込まれている。

 

「敵方の要求は私と藍さんの身柄引き渡しですが……藍さんは相変わらずですか?」

「ええ。乗るつもりはない」

「そうですか。ではまずは私一人の身柄でなんとかならないか交渉しましょう」

「殺されますよ阿求様。妖怪とは紛う事なき悪であり蛮族! 信用できない」

「私の代わりはいくらでも居ます。むしろ代え難きは貴女(小兎姫)や慧音さんです。私の命一つで貴女達と人々の安全が確保できるのなら、それは我々の勝利も同然でしょう」

 

 ほんの少しの緊張を孕んだ時間がここ暫く続いている。時折萃香が茶化した発言をするなどしてギスギスまでは至らないが、意思の統一が困難になっている状況は如何ともし難い。ごった煮の連合であるが故に、どうしても一枚岩にできなかった。

 

 そうしている間にも情勢は悪化していく。

 人里と同じく、妖怪の山も陥落寸前。というより、どうやら大勢は決したらしく、首魁の天魔が捕縛された事で敗北済みであった。

 山の抵抗勢力を片付けた月軍は間違いなく勢いのまま人里へと雪崩れ込んでくるだろう。草の根連合がどう対応するのかは未知数だが、連帯するにしても殺し合うにしても、藍達には碌な結果にならない。

 

「もはや幻想郷に安全な場所はないでしょう。紅魔館も、博麗神社も駄目だ。希望が全くない訳ではないが……」

 

 式を通じて幻想郷を具に観察していた藍だったが、諦めたように首を横に振る。

 もはやまともに戦える者は居ない。

 

「紫様から幻想郷を預かっている立場である以上、私は徹底的に抗うつもりです。しかし貴女達にまで決死の抵抗を強制するつもりはありません。奴等に降るというのなら、私はその意志を尊重しよう」

「いいのかい? そんな事言っちゃって」

「無理強いはできんさ。それに、仮に紫様がこの場に居られても同じ事を仰ると思う」

「いいね。負け戦ほど燃えるもんだ! それじゃ、戦いを継続する奴等は場所を変えようか。人里でドンパチやられるのは困るだろうしね」

 

 萃香の言葉に頷くと、続いて幽々子へと向き直る。

 

「白玉楼は大丈夫ですか? 幽々子様」

「ここまで大事になると冥界も無関係でいられないもの。勿論構わないわ」

「ご厚意痛み入ります。橙、離脱の準備だ」

「は、はい!」

 

 死者の世界から捲土重来を図るとは、中々に洒落ている。妖生初となる惨めな敗走だが、藍達に絶望はなかった。あるのは挽回を窺う強い想いだけだ。

 当然、人里の守護者達も同じ想いだ。しかし、藍達とは優先順位が違った。

 八雲紫の創った世界を護りたい気持ちと、馴染みの人間を救いたい気持ちは時として相容れないものである。それを責める訳にはいくまい。

 

「藍さん……申し訳ございません」

「貴女の立場はよく把握しています。連中には『九尾の一派は自分達を見捨てて逃げおおせた』とでも伝えていただければ」

 

「藍さま! 至急、人里南方の式を確認してください!」

「……どうした」

 

 橙のほぼ叫びに近い報告に眉を顰め、指定された式と同調する。数瞬後、脳裏に広がった光景は、藍をして絶句させるものであった。

 ここにきて新たな、しかも危険度の高い異変の発生など、どうしようもないではないか。

 

「……ッ彼奴か! おのれッ青娥娘々!!!」

 

 

 

 *◆*

 

 

 

「ムリムリムリ〜! 絶対無理ですあんなの! 斬ったら剣が腐る!」

「確かにあの数はかなりの脅威ね。どうかしら、三人でどうにかなると思う?」

「是、ではあるが……あまり気乗りはしない。我が師のなさる事だ。骸の一体一体に強力な呪を込めているのだろう。着実に我らへと呪を蓄積させ、己が骸が一つとする為の計略。まともに相手をしないのが正解だ」

 

 人里近郊の空白地帯。戦乱が通り過ぎ命一つ無い大地を、種族も身分もバラバラな三人が疾駆する。霊廟にて激戦を終えたばかりの魂魄妖夢と豊聡耳神子、そして気怠げな様子の茨木華扇である。

 

 その後を追うは、地を覆い尽くす蝗と見紛うばかりの人だかり。しかしその全てに命は無く、青娥の意のままに動く傀儡。関節の動かない殭屍(キョンシー)型のゾンビだが見た目によらずスピードと制圧力には中々のものがある。

 青娥が計画の為に用意した特別な殭屍らしく、数の暴力や戦闘スペックは勿論のこと、倒せば辺り一帯と敵対者に呪をばら撒くという性質を持っているようだ。

 

「しかしアレを放っておくのも良い予感はしないわね。このまま幻想郷を埋め尽くしかねない勢いで湧いて出てきてるけど」

「邪仙が黒幕なのでしょう!? 奴を斬りましょう! そうすれば術式は解除される筈!」

「師は迂闊な所もあるが、基本堅実な立ち回りを好む。二重三重に策を張り巡らせていると考えるのが妥当だよ。簡単には斃させてくれないだろうし、素直に術式が消えるとも限らない。下手をすれば幻想郷を死の土地に変える引鉄として運用している可能性さえある」

「近くには手練の死体も控えてますしね」

「くそぉ! もう人里は目の前ですよ!?」

 

 拡散する殭屍は既に幻想郷南西部を蹂躙し、北上を続けている。対抗への明確な手立てが存在しない以上、三人は人里に向かうしかないのだ。

 神子による説得も一つの案としてはあったが、それは他ならぬ神子本人により却下された。単純な話、耳を貸すような相手ではないからだ。というか神子は切り捨てられた側の存在である。

 

「幻想郷に住まう方々には申し訳ない事をしました。師が布都と屠自古を殺した事を仄めかした時に、問答無用で粛清するべきだったのでしょう」

「まったくですよ」

「まあ君が問答無用で切り掛かって来たのが発端なんだが」

「この場に居る全員に非があります。私が青娥を仕留めてさえいればよかった」

 

 というより華扇の本音としては、ここに至って責任の如何を論じる必要はない。責任云々の話になるのなら、そもそも奴の幻想郷入場を許可した八雲紫にあるだろう。つまるところ一切合切、紫のせいである。

 

 既に人里は目と鼻の先であり、草の根連合の姿も見える。三人の姿を見てすぐに臨戦態勢を整えていたが、さらにその背後の殭屍軍団に気付くと腰を抜かしていた。

 

『妖夢! これは何事なの!?』

「あっ橙さんお疲れ様です! 見ての通りですのでどうにかしてください!」

『……』

「ちょっと? 橙さーん!?」

『少し、少しだけ待ってね』

 

「あっちも打つ手なしですか。では人里への乱入を許してはなりませんね」

「仕方あるまい。殭屍を傷付けず無力化する事を心掛けよう。万全に戦えるのは(神子)(妖夢)だけみたいだから頑張ろうか」

「仙術のみですが、私も助太刀しましょう」

「峰打ちですか。なるほど……」

 

 

 

 *◆*

 

 

 

 同時刻、妖怪の山。

 月軍は積み上がった味方の屍の上で勝ち鬨を挙げていた。その眼下にはフェムトファイバーで拘束された妖怪達が転がされている。全盛期に近い力を行使できるようになった神奈子は念入りにしめ縄で固定された。

 実際のところ、妖怪達の中にはまだ抵抗の力を残している者も相当数いるのだが、彼女達から決して手を出せない理由があった。

 

「ひーん! 死にだくないぃぃ! まだ死にたくないよぉおお!!」

「喧しいなぁ」

「我々を散々苦しめた敵の首魁の姿か? これが……」

 

「おお天魔様なんと痛ましい……」

「お労しや天魔様」

「天魔様ってあんなギャン泣きするんだ」

 

 最高司令官である天魔の身柄を遂に月軍に確保されてしまったのだ。これでは妖怪の山に住まう者達は一切手を出せない。神奈子やネムノは従属関係に無いので反抗の気力は残っていたのだが、天魔及び妖怪達はこの数日間を共に戦い抜いた戦友である。見捨てるのは流石に憚られた。

 

 哀れな天魔──もとい姫海棠はたての身体はモリヤーランドのアトラクション鉄柱に括り付けられ、幾つもの銃口が向けられている。直ちに処刑、という訳でもなさそうだが、色々と風前の灯なのは間違いない。

 

 そんな状況に唯一ご満悦なのが、ここ数日間気が気じゃなかった清蘭大将である。あまりの上機嫌っぷりに側近の玉兎達もドン引きしていた。

 ちなみに現在は楽しくコーヒーカップを回している。職務放棄だが咎める者は誰もいない。

 

「一時はどうなる事かと思ったけど、無事任務を全うできて一安心だよ。やっと私直々に豊姫様とサグメ様に良い報告ができるわー」

「全うしてないけどね。浄化し切れてないでしょ?」

「まーそうだけどー。あのまま奴等のリーダーを撃ち殺してたら連中全滅するまで抵抗してきたと思うんだよね。今回の捕虜と敵リーダーの処遇は上層部に任せるとして、私達は先を急いだ方が楽でしょ?」

「楽する方向ならよく頭が回るんだよなぁ清蘭って」

「鈴瑚は本筋とは関係ないところに頭を働かせ過ぎだよ。ちゃんと働いてよね」

 

 一生懸命コーヒーカップを回しつつも、ジト目で向かいの鈴瑚を見遣る。怠け者二人組であるが、頭の回転は決して悪くないのだ。各々の役職が完全に長所を潰し合っているだけなのであって。

 適材適所って大切なんだなぁと、鈴瑚は常々思うのである。

 

 

 

 そんな激戦後のモリヤーランドの片隅の茂みにて、スコープから場の状況をじっと見守っている集団がいた。

 唯一その場から逃げ出すことに成功した、河城にとり率いる河童の一団である。

 

「どうすんのさにとり。このままじゃ私らも捕まっちゃうよ」

「んなこと分かってんだよバカタレ! 言ってる暇があったら手立てを考えろ!」

 

 元山童の山城たかねからの愚痴を罵倒で切り捨てる。

 せっかく光学迷彩で月軍の追撃を振り切れたのだ、このチャンスは有効に活用せねばなるまい。虎視眈々と乱入の機会を狙う。

 

 またその傍には集中治療を受けている最中の椛が転がされており、正しく虫の息。予断を許さない状態となっている。普段の生命力が戻れば助かるだろうが、それがいつになるのかは誰にも分からない。

 

「ていうか、このまま逃げた方が良くないか? 無理に反撃するよりも力を蓄えてやり返せばいい。それが河童のやり方だろ?」

「ふん、元山童には我々の意地など分からんだろうさ」

「分かんないねえ。そもそも天魔様には恨みさえあるし、助ける義理は無いんだよ」

「ならアンタだけ逃げりゃいいだろ」

「そしたらアンタらに後ろから撃たれそうじゃん」

「撃つに決まってるだろアホボケ」

 

 天魔の妖怪の山統一戦争により族滅の憂き目に遭った山童。その数少ない生き残りであるたかねにとって、天魔への印象は最悪に近いだろう。にとりはそこを理解しつつも、たかねの姿勢を強く咎めた。

 生まれてこの方河童の為という建前の下、好き勝手研究開発に邁進してきたにとりだが、ここに至って一種の責任を感じ始めていた。

 

 にとりは可能性を感じたのだ。

 

「天魔様は──はたては妖怪の山に必要不可欠な存在だ。此処で失う訳にはいかない」

「らしくないセリフねぇ。何に感化されたの」

「死地に送り出した人間(魔理沙)にちょいとね」

「ふぅん。まあ確かに、今の天魔様は昔とちょっと違う感じがするかも?」

「あっ、お前知らないのか?」

「何を?」

「知らんならいいや」

 

 独自の情報網を築いているにとりが紫による天魔殺害を見逃す筈がなかったのだ。

 そもそもその件があったからこそ、にとり達は八雲紫へと急速に接近したのだ。その結果、河童は天狗と妖怪の山を二分するまでの勢力になったのだから、その選択に間違いはなかったと言える。

 

 しかしはたての存在はそんな河童の強行的な方針をも覆す影響力があった。

 あの纏まりのない曲者達が、有事とはいえ手を携える事ができたのは間違いなくはたてにその資格があったから。戦乱と殺戮に晒され続けてきた妖怪の山に必要だったのは、まさしく彼女のような光側のリーダーなのだ。

 

 もっとも、前線で鼓舞していたが為に捕縛されてしまうような迂闊さは考え直して貰わなければならないだろう。

 

 それに山が平和なら研究も更に自由奔放に行える。唯一の懸念として戦闘データが取りにくくなるといった点があるも、それは今回の件で解決した。

 宇宙には素敵な月の民(サンドバッグ)があるのだ。

 

 ともあれ未来の事は今の窮地を切り抜けてからの話だ。

 

 

「これ以上待機してても状況は好転しない。文の奴め、こんな時に限っていつも仕事が遅いんだ。……仕方ない、椛を治療する人員を除いて、隠密行動で天魔様を救出するよ。みんな腹を括ってくれ」

「その間に捕まってるみんな撃ち殺されないかな」

「その時はその時だ。天狗連中は天魔様が助かれば本望だろうよ。他は知らんが」

 

 ここにいる河童もはたして何人生き残るのか。

 そもそもはたての救出は成功するのか。

 可能性を高く見積もっても犠牲を避けられない事は、その場にいる河童全員の共通認識である。悲壮な覚悟を固めていた。

 

 

 

 

 しかし。しかしである。

 河城にとりに残されていたほんの僅かな良心が、命令を躊躇う時間を作った。

 

 これが分岐点となった。

 幻想郷に幸運と奇跡の神が微笑んだ。

 

 否──幻想郷には幸運の女神、奇跡の女神、その両方が居るのだ。

 

「河城隊長! 空をっ!」

「大きな規模の……空間の歪みです!」

 

 幻想郷の状況を調べていた調査員が声を張り上げ、それに従い全員が咄嗟に空を見る。

 河童のみならず、玉兎達、捕まった妖怪達。

 その場に居る者、全ての視線を奪った。

 

 けたたましい音を立てて虚空から現れたのは、巨船だ。数日前に幻想郷を騒がせた謎の空飛ぶ船。

 空間にラグを走らせながら幻想郷に現れたそれは、船尾が裂け目を抜けると同時に自由落下を開始。『運悪く』その真下にあったコーヒーカップを押し潰し、船頭がアスファルトに突き刺さった。

 

 一瞬の静寂、そして悲鳴が満ちる。

 

「せ、清蘭大将ッー!」

「おのれェよくも大将と参謀を!」

 

 妖怪達へと向けていた銃口が一斉に巨船へと切り替わる。清蘭砲による内部への浸透攻撃と、巨船諸共消し飛ばす重火力。これが同時に放たれれば死から逃れる術はない。

 しかしそれらは引鉄に手を掛けるより早く基幹部分を切り落とされ、若しくは見えない手により取り上げられた。そして一瞬で無力化された事により惚けてしまった一団を超質量の錨と鉱石が押し潰す。

 

 船の中から飛び出した妖怪達によって行われた一連の技からは、熟練のコンビネーションを感じさせる。なおうち一人は即興の合わせ技である。

 

「我ら命蓮寺の門徒也! 義により一同幻想郷に助太刀します!」

 

 黒のメッシュと虎柄の衣が目立つ金髪──寅丸星による高々とした宣言と同時に宝塔がレーザーを乱射。それに呼応するようにナズーリン、水蜜が自慢の得物で追加攻撃を仕掛けた。

 突如出現した超手練の妖怪による怒涛の攻撃に、全く対応できず玉兎達は兵器もろとも薙ぎ倒されていく。司令官が安否不明なのもあって恐慌状態から脱する事すらできていない。

 

 その間に、船からこっそりと抜け出たアリスが魔法糸の操作によりフェムトファイバーを巧みに解いていく。

 解放された妖怪達も何が何やらと、状況を飲み込めずに立ち尽くしていたが、そんな彼等にも『その声』は酷く耳に残った。

 

 

「怪我をされている方は此方へ。息があればまだお救いする事ができます」

 

 

 衆人の前に進み出たのは一人の尼僧。立ち昇る魔力──法力はあまり濃密で強大。幻想郷に住まう妖怪であれば、その尼僧がどれ程の存在であるかは一目瞭然であろう。

 尼僧から放たれる法力は身体を著しく強化する術式が編み込まれている。傷を治すのではなく、無理やり身体能力を引き上げて生かそうとする延命措置である。

 だが先ほどの言葉通り、これほど強力な術式であればこれ以上の死者は出ないだろう。

 

「聖さんありがとうございます!」

「いえ、当然の事をしたまでですよ。むしろ、これくらいさせて貰わなければ貴女達に対して恩を返しきれません」

 

 続いて船から飛び出たのは山の妖怪達にとっても馴染み深い顔だった。これには神奈子もビックリ仰天である。

 鮮やかな緑髪に青を基調とした巫女服。異変解決に飛び出したまま帰って来なかった東風谷早苗その人であった。額には包帯が厚く巻かれている。

 

 尼僧──聖白蓮とその仲間達は味方である。

 それを裏付けさせるには十分過ぎる一幕だった。

 

 

 しかし玉兎側とてやられるばかりではない。

 ほぼ直立した形になっていた聖輦船を木っ端微塵に破壊し、清蘭と鈴瑚が這い出てくる。これでも訓練兵時代から叩き上げで成り上がってきた精鋭中の精鋭二人である。この程度で殉職する訳がない。

 

「くっそーやられたわー! こんな隠し玉を用意してたなんて地上人にしては中々やるじゃない!」

「混戦状態か、あまり良くないね」

「久々の戦闘だ! 手分けしてやろう!」

「まあ待ちなよ。奴等にとって一番の狙いを阻止するのが最優先だ」

 

 鈴瑚はこの状況において、敵が最も成し遂げたい事を逆算して考える。

 そうすれば答えは明白だ。

 

 囚われしリーダーの解放。

 

 天魔へと視線を向けると、彼女の周りに歪みが生じている。空間の位相をずらして姿を誤魔化しているようだが、それは玉兎の専売特許だ。

 拘束を解かれる前に排除するのみ。無言で団子型弾幕を放ち歪みを突き飛ばす。

 

「ひゅいっ!? やっべバレた!」

「にとり戦っちゃダメだ! 逃げて!」

 

「清蘭」

「分かってる!」

 

 この混乱の中、決して天魔を逃してはならない。山の勢力が息を吹き返せば、今度こそ戦いは泥沼に陥るだろう。軍勢が力を出し切った訳ではないが、流石に2回目は骨が折れる。

 さらに「命蓮寺の門徒」と名乗る謎の集団が敵に合力している今、計画の進行に支障をきたすのは間違いない。

 勢いの芽は潰すべし。

 

 清蘭ははたての心臓、鈴瑚はにとりの脳天へと照準を定める。玉兎の基本技術である指から放つ狂気の弾丸。しかし選ばれし特別な玉兎が扱えば超高精度、高密度の必殺弾幕となり得る。

 特に清蘭の腕前は主席の鈴仙とほぼ同等であり、万に一つも外す事はないだろう。

 

 数名が玉兎の狙いを看破したが、止めるには至らなかった。弾丸は無情に放たれ、はたての命を奪わんと迫る。

 小槌に力を奪われたはたてでは致命傷は避けられない。最悪の光景を誰しもが想像した。

 

 

「超人『聖白蓮』」

「山窩『エクスペリーズカナン』ッ!」

 

 だが運ははたてを見捨てない。

 瞬間移動かと見紛う超スピードで間に割り込んだ聖がにとりへと向かっていた弾丸を指で捻り潰し、一方はたてを襲った弾丸は一刀の下に切り捨てられた。

 死んだと思っていた親友の登場に思わず涙が溢れた。

 

「もみじィいい!!! 生きでだぁぁああ!!!」

「勝手に殺すな……がふっ」

 

「大丈夫ですか? 河童の人」

「ひゅい……ど、どうも……」

 

 弾丸を叩き切る為だけに立ち上がったようで、間も無く力尽きてぶっ倒れた身体を聖がにとりごと支える。できる事なら自分が支えてあげたかったはたてだが、生憎とまだ鉄柱に繋がれっぱなしである。

 なおにとりは終始尼僧に対して怯えていた。

 

 何はともあれ、天魔の解放に成功した事実は妖怪達を更に勢いづかせる。即ち第二ラウンド開始のゴング代わりの出来事であった。

 そして異変はそれだけではなかった。

 

「──お? 力が……」

「間違いない。戻ってきているのです!」

 

 まるで身体中に巻き付けられた鉛が消えていくように、力が漲ってくる。数日前から奪われていた力が戻ってきているのだ。

 椛が一瞬でも立ち上がれたのはそれがあったからだろう。

 

 これが意味するのはただ一つ。

 

「あの悪徳賢者が死んだのか! 誰だか知らないけどよくやってくれたわ!」

「さて……今までやられた分、とことんやり返させてもらおうかね。ネムノさんいけるかい?」

「んだべ」

 

 従来の状態であればたとえ月の軍勢といえど遅れを取る事はなかっただろう。故に、覚醒者とも謳われる山の妖怪達は酷く鬱憤を募らせていた。

 全力を出せる開放感はさぞカタルシスに満ちているだろう。

 

 雰囲気が変わった事は玉兎側にも嫌というほど伝わった。心胆寒からしめる重厚なまでの殺意と莫大な妖力。伝聞にある第一次月面戦争以上の地獄が待ち受けているのは言うまでもない。

 そして思い出した。

 いま自分達が踏みしめている土地は、月の民を何度も滅ぼしかけた最強にして大罪の大妖怪、八雲紫が治める場所。魔境であると。

 

「り、鈴瑚。増援は?」

「……」

「鈴瑚!」

 

「実はね、ずっと通信が繋がらないんだよ。豊姫様や連絡班、誰とも」

 

 清蘭は理解できなかった。脳が理解を拒んでいたのかもしれない。

 それが意味するのはつまるところ、自分達月の先遣隊は切り捨てられたのだという、何よりの証左だったから。

 

 

 

 *◆*

 

 

 

「随分と入念に用意してたのね。流石よ」

「事態がどう転ぼうが最後に全てを掻っ攫うのが長生きの秘訣だよ。お師匠様もそうしな」

「兎の諺があるけど」

「二兎を追う者は一兎をも得ずだって? それは単にそいつの要領が悪いだけ。賢い奴が漁夫から利を奪い取って世の中回していくのさ」

 

 二人の元賢者が適度な距離感を保ったまま、互いの知謀を称賛または牽制する。

 八意永琳と因幡てゐ。かつて幻想郷の殆どを相手取り、あわや八雲紫の殺害を達成しかけた恐るべきタッグ。もし彼女らの間に輝夜と鈴仙が居なかったのなら、実現不能な組み合わせである。

 

 そんな彼女達は迷いの竹林に到着するや否や輝夜を保護し、散り散りになっていたイナバ(地上の兎)達を纏め上げ、かつてと変わらぬ体制を取り戻す。

 そして一気に北上し、群れる殭屍を持ち前の科学力と圧倒的な暴力により一掃しつつ、妖夢達の後を追うようにして人里を目指していた。

 

 当然、殭屍が機能を失うと同時に青娥の仕掛けた罠が発動して致死量の呪が撒き散らされるが、てゐの能力と永琳の頭脳があれば恐るるに足らず。兎一匹の犠牲を出す事なく敵を全滅に追いやっていた。

 なお幻想郷は汚染されてしまうので、その都度穢れの除染作業をやらなければならないのは少々面倒ではあったが。

 

「まっ、元賢者としての打算もあるけど一番は鈴仙だよ。アイツが月で頑張ってる分くらいは私も一生懸命働くさ」

「あの子は優秀なんだもの、それくらいやってもらわねば困るわ。当然貴女にも」

「期待される弟子ってのは辛いもんだ。勿論、お師匠様にとってもね」

「否定はしません」

 

 立ち塞がる殭屍がイナバ隊の一斉射撃で殲滅される様を眺めながら、ポツリと溢す。

 鈴仙は恐らく、今頃月の災厄とその一派を八雲紫と共に相手しているのだろう。仙霊の戦闘力は恐らく永琳と同等に近いレベルであり、宇宙広しといえどまともにやり合って勝てる者は恐らく殆ど居ない。

 

 そんな死地に鈴仙を送り出した件について、永琳は飄々としているかと思えば、実は案外気にしていたりする。

 条件さえ揃えば鈴仙はどんな相手でさえ打倒してしまうポテンシャルを秘めているのだが、それ故か増長し易くすぐに調子に乗るし、鼻っ柱を折られると一気に気弱になって及び腰になる欠点がある。

 こればかりは永琳でさえ矯正できなかった。

 

 しかしその性格が案外刺さったりもするのだ。

 

「鈴仙を無理やり月に送ったのってさ、もしかして鈴仙に選ばせる気だったんじゃないの? 地上か月か、好きな方を選べって」

「もし仮にそうだとして、あの子が月に戻る事を望んだらどうする?」

「応援するよ。どーせ何処行っても酷い目に遭ってるんだろうし」

「あら意外。貴女の事だから『絶対に行かせない』って言うものだと思っていたわ」

「会いたくなったら連れ戻しに行くさ。それに、餞別は既に預けてあるしね」

 

 永琳は目を細めた。

 十中八九、別れの前に渡していた人参のネックレスの事を言っているのだろう。

 特別な効力のある物ではなかった筈だが、てゐが数千年肌身離さず身に付けていたブツだ。永琳にすら計り知れないモノに変質していてもおかしくはない。

 というか過保護なてゐのやる事だ。絶対に何か裏があるに決まっている。

 

「ところでお師匠様は冷たいね。鈴仙に指令だけ伝えてさっさと送り出しちゃうんだもの。鈴仙も姫様も『それだけ?』って感じの目で見てたじゃん」

「これで私まで褒めてたら一年くらいずっと調子に乗り続けるわよ。鈴仙だもの」

「乗らせとけばいいじゃない。可愛いし」

「……しかし、確かに書簡以外手ぶらで向かわせたのは可哀想だったかもね」

 

 全て鈴仙を想っての行動だが、もしや鬼師匠等と思われているのではなかろうかと考えると、ほんの少しだけ嫌な気分になった。もう少し優しくしてあげるべきだったか。

 今すぐ月に飛んで『紺球の薬』でも届けてあげようかと考えたが、永琳も多忙の身。流石に幻想郷が落ち着いてからではないと無理だろう。

 

 なら──。

 

「とびっきりの餞別を用意してあげようかしらね」

 

 宙を見上げ、頭上に輝く狂気の珠を睥睨する。

 いつもより激しく瞬いているのは気のせいでは無いのだろう。あの光の下にきっと鈴仙がいる。

 

 永琳は頷くと、静かに矢をつがえた。

 

 

 

 

 

 

「ほうその姿、貴女がかの高名な九尾の狐か。大陸でのお噂はかねがね」

「此方こそ驚きだ。アレほどの神霊を発生させるのだ、まさかとは思っていたが……まさか厩戸豊聡耳皇子とはな」

「ふむ、なるほど。暴虐の限りを尽くした九尾が他の妖怪に傅くとは。是非貴女の主人ともお会いしたいものだ」

「昔の話はやめていただきたい」

 

 古代からの有名人であった藍と神子は、一瞬で互いの素性を理解した。なお藍の方は悪い意味での『有名税』であるのだが。

 

 またその傍では妖夢が幽々子に褒め言葉という名の説教を受けており、さらにそれとは対照的に鬱陶しく絡んでくる萃香をガン無視する華扇という中々に混沌とした再会の構図があった。尚いつも通りである。

 

 ほんの数分前までは身を引き裂くような悲観に包まれていた人里だが、今や弛緩した空気が充満し切っている有様だ。

 それもその筈で、迫っていた筈の危機が全て叩き潰されてしまったのだから。

 

 果たしてこの数日間の奮戦は何だったのかと、阿求は遠い目で眼下を見遣る。

 そこには地べたに突っ伏す影狼を始めとした草の根メンバー、暴徒と化していた人間達、愉快犯の妖怪達。全員が身じろぎせず死んだように倒れていた。

 

 

『詔を承けては必ず慎め』

『逆らう事なきを宗とせよ』

 

 

 神子が何気なく発したこの二言で、戦意は完全に削り落とされた。

 高貴な身から発せられる高徳はならず者の荒んだ心を融解し、自らを敬う気持ちへと植え替えられた。人々の欲を汲み取る為政者の声音はいとも容易く心を絡め取る。

 

 そもそも人里を攻撃していた者は、その殆どが小槌の魔力と隠岐奈の策略による偽の闘争心を植え付けられたのが原因だ。

 しかしそれらは目の前に実在する神子の魅力の前には無力である。

 

 また唯一、権威が通じないメディスンも永琳の気配を感じ取って離脱してしまい、これにて正邪の野望は完全粉砕に至る。

 

「う、動けない……」

「声が出ないよぅ」

 

「この者達も邪悪な賢者の策に巻き込まれた被害者です。ひとまず縄で縛って異変の完全解決まで大人しくしてて貰いましょう」

 

 華扇の言葉で方針は確定した。

 強硬派の小兎姫はこの場での公開死刑を提案したが却下され、渋々自慢の檻を貸し出すことになる。そんな事を悠長に行なっている暇などないからだ。

 

 

 改めて藍は思考を巡らせる。

 あまりに上々の運びだといえよう。

 少なくとも幻想郷で表向きに発生していた異変はほぼ鎮圧された。唯一殭屍の駆除が完了しておらず、また青娥の足取りが完全には掴めていないけれども、それも時間の問題だろう。

 

 紅魔館の方も稀神正邪の死亡が発覚すると、襲撃者達は大人しく投降したようだ。あの忌々しき天人が敬愛する紫からの指示を受けて解決に一役買ったようだが、まあどうでもいい事だとスルーした。

 

 それよりも藍は万感の想いを抱いていた。

 漸くだ。漸く──。

 

 

「月に行くんでしょう? 藍ちゃん」

「お見通しでしたか幽々子様」

「考える事は一緒よね。同行していいかしら」

「歓迎いたします。……お前は駄目だぞバカ鬼」

「なんでさっ!? おうおう私だけ除け者かぁ!?」

 

 萃香とて紫救出を待ち侘びていた者の一人であり、あまりに納得がいかなかったので「おーんおんおん!」と泣き叫んでいる。何より隣に居る幽々子の勝ち誇ったような目がイラついた。

 しかし藍にはまだ懸念があったのだ。

 

「地底の様子を見てきて欲しい。魔理沙の安否確認と、古明地さとりへの助力要請だ」

「あー魔理沙は分かる。けど何でさとり?」

「幻想郷の修復が橙や慧音だけでは間に合わないのと、隠岐奈様──いや、摩多羅隠岐奈への対策だ。アレだけは現在の状況も、有効な手立ても未だ判明していない」

「そういえばいつの間にか終わってたよな、アイツが起こした異変」

 

 藍も萃香も、隠岐奈が死んだとは微塵も思っていない。古来から生きている者にとって八雲紫と摩多羅隠岐奈の力試しは語り草。あれほどの化け物が何の音沙汰もなく死ぬというのは、どうにも考えづらい。

 

「隠岐奈は天魔様。青娥は華扇様。そして紫様の救出は私と幽々子様が主体となって臨むことになると思う。ただ山の面々の消耗は激しい故に、妖怪達の殆どと顔馴染みであるお前の出番という訳だ」

「不満だね! 全部華扇に任せておけばいいよ。月に連れてってくれないなら私はもう止めだ止め!」

 

 不貞腐れてしまった萃香はそこらの民家から持ち出した杯へと酒をなみなみと注いでいく。やはり萃香を御するのは紫をおいて他に居ないのだ。

 まあ使い物にならなくなるよりかはマシかと、藍が折れて同行を許可しようした、矢先のことであった。

 

 萃香が不意に首を傾げる。

 

「月って、こんなデカかったっけ?」

 

 月の楽しみ方は多種多様、どれを選択しても心を潤わせるに充分過ぎる。萃香はなみなみの酒に月を映し、飲み干すことを好んだ。幽々子は団子を月に見立てて食べてしまうのが楽しみだ。

 しかし今日は些か、酒の海原に映る月が大きく見えた。

 

 

 

 

 最期の一夜が始まる。




これ勝ち確では?(慢心)

あおりんごが豊姫様と連絡できなかったのは言わずもがなヘカ純のせいです。月の上層部に繋がらなかったのは単に見捨てられただけ。お団子屋になるしかないね……

聖と神子が出てくるだけで空気が変わる感じ好き。故に大活躍
聖復活までの流れは多分のちのち早苗さんかアリスが簡単に語ってくれる筈……


さて異変は終盤。次回からゆかりん視点に戻ります。
霊夢が決心したりうどんちゃんが泣き喚いたりゆかりんが大変な事になったりするらしいです。ゆかうどんの命運や如何に……
感想とかお待ちしております♡

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