幻想郷は全てを受け入れるのよ。それはそれは残酷な話ですわ……いや割とマジで   作:とるびす

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東方神黎病*

 

 人里は幻想郷のほぼ中央に位置しており、その名の通り人間達唯一の居住地域。

 地政学的な要衝でもあったし、課せられた機能を鑑みれば、幻想郷を制圧する上での重要性は非常に大きなウェイトを占める。

 

 妖怪を存続させる為の燃料である人間達。これらを抑える事は幻想郷の運営において必要不可欠である。実際には幻想郷に犇く一部の強者達は人間の恐怖などほぼ当てにしていないのだが、それに遠く及ばない弱小妖怪には死活問題。

 それを草の根連合が見過ごすわけがなかった。

 

 

 稀神正邪から予め指示を受けていた今泉影狼は、小槌の魔力が発動したことを確認し、息のかかっていた者達に一斉蜂起を促す。その結果、想像を超える規模の大反乱が起きてドン引きしていた。

 しかし既に賽は投げられている。引き返すことなどできるはずもなく、仕方なしにそれらを率いて人里を包囲。そして今に至る。

 

「とんでもない大事になっちゃったなぁ……」

 

 何処か他人事に呟いた。

 

 実のところ、影狼にとって幻想郷の転覆などどうでもいい話だった。リーダーが勝手に言い出しただけで、影狼は「ほんの少し生活が改善すればいいな」程度の意識だった。毎日のご飯におかず一品と肉料理が追加されればそれで良かったのだ。

 親友兼副リーダーのわかさぎ姫だって、綺麗な湖で静かに暮らしたいという願いが本音だった筈。随分と遠い所まできてしまったものだ。

 

 タチが悪いのは、その望まない大反乱の成功がほぼ確定しており、自分のやる事なす事が全て上手くいってしまっている事だ。

 思えば竹林を統べるかの暴君、因幡帝を引き摺り落としてしまった時もそうだ。

 アレだって数百年搾取され続けてきた鬱憤はあったものの、てゐが如何に大きな存在であるかはずっと以前から明白だった。彼女が居なくなってから何故か竹林が住みにくくなったような気がする。

 

 この革命が果たして本当に自分達にとっての益となるのか、影狼は測り兼ねていた。

 

 正邪は大した妖怪だ。彼女の語る理想と、それを実現する『力』を見せつけられたからこそ、皆こうして彼女に付き従っている。

 元々草の根ネットワークはお茶会サークルのような平和的かつ小規模な集まり。それが幻想郷を揺るがす一大勢力と化したのは正邪の手腕であり、中核たる彼女に依存しきっている実態のない集団だ。

 人格者の正邪が自分達を裏切るような事はないだろうが……幻想郷の闇をひた走るには草の根という母体はあまりに脆く、脆弱だ。

 

 そんな事を考えているうちに、人里の要所は次々と陥落し、中枢である稗田の屋敷にどんどん迫っている。何もしなくても人里内で起きている暴動により住民が避難してしまい、碌な抵抗すらない。

 一応、人里には慧音に小兎姫、避難中の八雲藍がいた筈だが、小槌の力の前には無力だったのだろう。後は彼女らが鍛え上げていた自警団がいつ出てくるかくらいだが所詮は人間の寄せ集め、苦戦するようだったら自分や響子、ミスティアの誰かが出ればいい。数秒かからずに蹴散らせる。

 

(妹紅が相手だったならこうはいかなかっただろうけど、力が残ってても心が折られてるんじゃ関係ないものね)

 

 ご近所の愚痴仲間が健在だったなら人里を襲う妖怪など一人残らず消し炭になっていただろう。しかし彼女は八雲紫に壊されてしまった。今も竹林の掘っ立て小屋でぼーっとしているに違いない。

 ある意味、紫は墓穴を掘ったと言えるのか。

 

 まあなんにせよ、穏当に済むのならそれに越した事はない。なるべく後に禍根を残さないよう、もう少しギリギリの駆け引きを試みよう。

 

 少し離れた場所でミスティアと談笑していた幽谷響子を呼び寄せる。

 草の根連合広告担当に就任している彼女だが、活動にはまるで積極的ではない所謂エンジョイ勢。今回もまるで緊張感のないお祭り気分のようだ。変に葛藤してるのは自分だけかと泣きたくなった。

 ただ戦力としては非常に優秀で、響子が本気で叫べば軽く見積もって幻想郷のあらゆる生物の鼓膜をブチ破り、脳髄を死滅させるだろう。

 

「へい響子。スピーカーお願いしていい?」

「いいよー! なんて言うの?」

「武装解除と八雲藍、稗田阿求の引き渡し。この二つの条件さえ飲んでくれれば人里は解放するし、勿論両名に危害を加えるつもりはないって伝えて」

「オッケーオッケー任せて!」

 

 ほぼ正邪からの指示通りの内容だった。

 なお藍と阿求については即刻始末する手筈になっていたが、流石にそれを実行する度胸は影狼にはなかった。特に阿求については先代、先先代での恩がある。

 

 響子が大声で先の内容を伝達する横で、影狼は密かに世界平和を祈った。あとお腹空いたからさっさとランチ休憩に入りたいとも思っていた。

 

 

 

「藍さま、私が出ます! もうこれ以上、何もせずに見てるだけなんて耐えられません……!」

「出たところで今の橙じゃ時間稼ぎにしかならないよ。それよりも、幻想郷全体の結界管理を少しの間だけお前に委任したい。できるね?」

「それは、一体どういう……」

「万が一の為だ」

 

 橙の育成が異変発生ギリギリで間に合ったのは僥倖だった。紫と霊夢がいない今、幻想郷の結界管理を遂行できるのが藍だけであったなら、小槌の魔力が炸裂した瞬間、バランスが崩れた幻想郷は境界の歪みにより消滅していただろう。

 その最悪の未来を回避できたのは橙の功績だ。元々、橙はサポートの達人である。下積みもかなり長く、それが今に至り大成した。

 

 愛娘の成長を実感した藍は、橙の式を数段階引き上げる事を決意し、遂には幻想郷のバランスキーパーを任せるに足ると判断したのだ。

『八雲』の名を得る日はそう遠くない。

 これで仮に自分が死んでしまっても幻想郷は安泰だと、藍は胸を撫で下ろした。

 

 そして静かに此方を見遣る阿求と向かい合う。

 阿求が人間の安否を一番に優先する信条なのは分かっている。自分と藍の命を引き換えに人間達が生き永らえるのであれば、迷いなく差し出してもおかしくはない。

 

 周りでは稗田の使用人達が緊迫した面持ちで場を見守っている。手には各々武器が握られていた。もし話が拗れたなら、藍を討たねばならないからだ。

 力を失っているとはいえ到底敵う相手でもない。だがそれでも、矮小な人間の意地を通さねばなるまい。

 

「さて、どうされる阿求様。生憎私は紫様に幻想郷を任された身である故、引き渡されるわけにはいかないのだが」

「やはり里に住まう人間より幻想郷の方が大切ですか。それが貴女の……紫さんの本音」

「その通りだ」

 

 一切の迷いなく断言した。

 

「だが語弊がある。紫様の、幻想郷に住まう者達への想いは人妖分け隔てなく全て平等だ。人里を犠牲にする事は決してない。そのような状況に陥る事を絶対に許さない」

「そう、ですね」

「幻想郷が壊れればどのみち人間達は死ぬ。だから私では幻想郷を優先するという『悪手』しか選ぶ事ができない。それは分かってくれ」

 

 幻想郷における人間の役割。計画された生命。忌忌しき運命。絶てぬ因習。

 阿求は人を縛るそれを、人の身でありながら護らねばならない。慕ってくれた子供達を逃れられぬ箱庭へと閉じ込め、監視する。

 紡いできた歴史から怨みは消えなかった。

 

 ふと笑みが溢れた。

 

「敵の能力でしょうか。貴女や紫さん、賢者の方々の事を考えると胸がムシャクシャしてくるんです。なるべく考えないように、引き継がないようにしてきたのですが」

「人里で暴動を起こしている連中に施された術と同種のものだと思う。反骨心や闘争心が一時的に膨れ上がるようになっているんだろう」

「これが人の怨みですよ」

 

 そう言われれば藍は黙るしかない。

 

「しかし私がこうして踏み止まったのも、怨みによるものです。私の友人達に危害を加えようとするその腐った性根、断じて捨て置けません」

「あ、阿求様っ!?」

「賢者の中で紫さんが一番マシな妖怪でした。ならばこれから先、一番マシな幻想郷を築いていけるのも彼女に他ありません」

 

 阿求は立ち上がり、側に控えていた使用人から薙刀を引ったくる。そして『決死』と書かれた鉢巻を頭へと装着した。

 筆より重いものを持った事のない阿求に薙刀は過ぎたる物、しかし腕を震わせながら暗い笑みを浮かべた。目がイッてしまってる。

 

「ずーっと待っていたのですよ。散々舐めた真似をぶちかましてくれる糞妖怪に糞妖精どもを我が手で引き裂き成敗する日を!」

「そうかそうか」

「今日を私の命日とします! しかしそれで終わりではない。転生が続く限り何度でも戦い続け、人間に勝利を齎します。たとえ何千年、何万年かかったとしても」

「結構な事だ。励むといい」

 

 変に宥めても後が面倒臭いことになる事は分かっていたので曖昧に誤魔化しながら、しかし冷静に今後を考える。阿求が挫けなかったのは大きい。

 というか完全に敵の術中に嵌っているようにしか思えないのだが、その敵対心が異変側に向いているのなら問題ない。どうやら細部まで完璧な術ではないらしい。

 

「阿求様っ妖怪の一団が此処へ迫っております!」

「いきましょう。今こそ人の意地を見せる時!!!」

「どうか落ち着いてくだされ! おい皆の衆! 阿求様を抑えろ!」

 

「あの、藍さま」

「心配するな。少し様子を見て阿求と共に離脱するつもりだ。こんなところで阿求を失うのは紫様としても本意ではないだろう。問題は……次の本拠をどこにするかだな。結界管理を邪魔されない場所を確保しなくては」

 

 使用人に薙刀を取り上げられて撃沈した阿求を尻目に思案する。稗田邸が駄目になるのなら、次に身を寄せられそうな場所は相当限られてくる。

 紅魔館、地霊殿あたりは紫側を鮮明に打ち出している勢力だが、それゆえにパワーダウンを受けているだろう。防備は完全とはいえないし、そもそも今もまだ陥落せずに抵抗できているかすら分からない。

 妖怪の山は激戦地、迷いの竹林は敵の本拠。本格的に候補に窮しているのが現状だ。

 

「此処が死守できるならそれに越した事はないのだがな。さて如何するか……」

 

「あら藍ちゃん。何かお困り?」

 

 その場一同、ギョッとして声の主を見遣る。

 神出鬼没はスキマ妖怪だけの特権ではなく、その親友たる彼女にも冠された称号である。

 

 何の前触れもなく平然と、彼女は稗田家に備え付けられていた非常食を口の中に放り込んでいた。非常事態においてもマイペースで掴み所のない様は変わらず、のほほんとしている。

 

「ゆ、幽々子様!? 顕界にいらしてたのですか!?」

「ええ妖夢がいつまで経っても戻ってこないんですもの。飽き飽きして降りてきちゃったわ。道草を折檻するついでにお茶でもいただこうと思ってたんだけど、何処のお店も閉まってるし……」

「左様でございましたか。見ての通り幻想郷が少々ごたついてまして」

 

 何も分かっていないのか、それとも把握していてすっとぼけているだけなのか。ひとまず簡素に成り行きを説明して協力を仰ぐ。

 本来であれば西行寺幽々子の参戦ともなれば異変の趨勢を完全に此方側に引き寄せるだけのインパクトが期待できるのだが、やはり例には漏れず彼女も力を落としていた。

 なお当の本人は気にした様子もなく茶を啜っている。

 

「ふーん……紫が居ないだけでそんなに面倒臭いことになっちゃったのね。それなら月行きを断らなければ良かったわ」

「不甲斐ない限り」

「藍ちゃんは悪くないわよー。悪いのは外で考えなしに暴れてる連中でしょ? ちょっと行ってくるわね。あ、あと玄関に閻魔様から貰ったお土産置いてるから後でみんなで分けましょうね」

 

 そう言うと幽々子は宙に溶けてしまった。まあ彼女が動いてくれるなら猶予となる時間は大幅に増えただろう。そう判断し、藍は腰を落とす。

 再び幻想郷全体に仕込んでおいた式を介して各地の状況を把握、各々適切な処置を行なっていく。さながらバグ潰しの感覚である。

 

「大丈夫なのでしょうか。いくら幽々子さんとはいえ藍さんと同様に力を失っているのでしょう? 見たところ御供の妖夢さんも居ないようでしたし、やはり我々も助太刀に向かうべきでは!」

「幽々子様は並大抵の方ではない。それに、力が落ちていようと能力の本質は以前と全く変わっていない。抑止力には十分すぎる」

 

 使用人から薙刀を引ったくり返すなり、徹底抗戦を主張する阿求を宥める。

 やはり幽々子は底知れないとつくづく思う。三途の川の底面を計算で弾き出した藍だが、それは相変わらずのままだ。

 

 それに──。

 

「力を失ったからこそ更に猛っている連中もいるしな。馬鹿の相手は馬鹿に任せるのが上策というものよ」

 

 ふと頭を小突かれたような気がした。

 

 ちなみに幽々子の言っていた『四季映姫からのお土産』は食料を始めとした救援物資だった。同じく籠城状態に陥っている妖怪の山への支援には小野塚小町が赴いているようだ。

 やはり阿求の死や、幻想郷の無法地帯化は彼女らの望むものではないのだろう。何かと因縁を付けて紫を悪しざまに罵るアレへの印象は最悪に近いが、此方を白だと判断してくれたのならありがたい話だ。

 

 

 

 

「これで良し、っと。西側の侵入経路はこれで最後かしら?」

「ああ。なんというか、心強いな」

「気にしなくていいわよ〜。それより東と南じゃもう戦闘が起きてるんでしょ? 早く助太刀に行ってあげなさいな」

「……失礼だが、少し意外だった。まさか貴女がこんなに積極的に人間達を守る為に奔走してくれるとは」

「死者がこんな事するのはおかしいって言いたいの?」

「そういう訳ではないけど……すまない。助力、感謝します」

「お気になさらず」

 

 稗田邸から見て西側で起きていた戦闘を鎮め、なんとか守護していた慧音を別地域へと向かわせる。これで防衛側の負担も相当減るだろう。

 慧音が護っていたのだろう、非武装の人間達も急いで避難を開始する。

 それらを手を振り見送った後、立ち往生する集団に向き合った。

 

 人間の姿がちらほら見えるが、大体が妖怪で構成されている。異変の影響を受けているのか、それとも自分の意思で暴れているのかは判別が付かない。

 もっとも、どのような経緯で暴動に与していたとしても幽々子には何の関係もない。

 

 立ち止まらざるを得なかった。目の前をひらりと舞う蝶に触れればどうなるか、本能の鳴らす警鐘がその末路を鮮明に伝えてくれたから。

 にこりと、柔和な笑みを浮かべる。

 

「このまま無駄に時間を浪費するのもどうかと思うし、お茶でも飲んで和やかに待ちましょうか。引き出物はご容赦くださいね」

「……この蝶、踏み越えればどうなるの?」

「それは目に見える形で用意した生と死の境界。越えない事をお奨めするわね」

 

 死に誘う程度の能力は健在だ。如何に力を失おうと、その本質まで失われる事は決してない。

 とはいえ、今の幽々子ではこれが精一杯なのは事実。現に人里の一画を埋め尽くす程度にしか『死』を配置できなかった。その気になれば地上のありとあらゆる生物に死を給う事すら容易いのを鑑みれば、著しいパワーダウンだといえよう。

 

(妖夢が頑張ってるから私も奮発してみたけど、これじゃ全然ね。ちょっとだけ悔しいわ)

 

「どの異変でもいいからさっさと斬り倒してこい」と指示した従者に想いを馳せる。きっと今頃幻想郷各地の有象無象を辻斬りしながら異変の大元を探しているのは想像に難くない。

 まあこれだけ大型の異変が多発していれば本命から外れても、いずれか一つには否が応でも辿り着くだろうし問題あるまい。

 

 唯一懸念があるとすれば、暇そうにしていた鈴仙を暇に出して竹林に帰らせた事くらいか。

 あの玉兎にどういう役割を持たせるべきか、幽々子は悩んだ結果、里帰りさせることにした。冥界に一人残してしまうのが可哀想だったし、取り敢えず幻想郷に置いておけば何か面白い発端を作ってくれそうだと思った。

 妖夢と競わせておけば何かと楽だった体験によるものでもある。

 

「仮にも鬼二匹に勝っちゃった兎なんだもの。期待しちゃうのもしょうがないわよね」

「何言ってんだお前」

 

 当てつけのように数ヶ月前に行われた大会の結果を持ち出すと、納得いかない様子で件の鬼が姿を現す。友達の友達である伊吹萃香だった。

 紫を介していない状態では何かと険悪な二人だが、今日もまあそれなりに険悪だった。

 

 鬼の登場に立ち往生していた一団がどよめきながら後退る。かつての力は無いと分かっていても恐怖は拭い切れないものだ。

 

「あらやっぱり居たのね。本体でしょ?」

「おうよ。分身達は北側で暴れ回ってる連中の相手をさせてるからね。いい具合に実力が拮抗してて面白いよ。普段より遥かに低レベルでもギリギリの戦いってのは血湧き肉躍るもんさ」

「それで負けちゃったら只の笑いものよね。あの時の大会みたいに」

「いつまで蒸し返してくるんだよ……」

「ちなみに私は優勝したわ」

「ほんっっと嫌な奴だなお前」

 

 鬼は古来から制限付きの勝負を好むのだ。それで敗れても勇気ある勝者を褒め称えるだけ。断じて負け惜しみとかそういう訳ではない。きっと。

 

「まあ、戦いはこれで終わりじゃ無いだろうしな。力が戻ったら一番にやらなきゃいけない事があるでしょ? 親友ならね」

「紫なら気にかけるまでもなく、いつの間にか帰ってきてそうではあるけど、要らないお節介だと思われてもやってあげる事に意味がある。親友だからこそね」

 

 

 

 *◆*

 

 

 

 異変が発生してどの程度経っただろうか。太陽が沈んでいってる気がするので多分そのくらいなのかと、妖夢は薄くなる思考の中で考えていた。

 

 一番に異変に挑んだのは魔理沙だった。妖夢は二番手になる。

 だというのに、妖夢は未だに異変の尻尾すら掴めていなかった。ひたすらに剣を振るい、邪魔立てする者達を斬り捨てていくだけ。

 

 こんなことなら分かり易い異変……空を泳ぐ巨船に向かえばよかった。アレなら船をさっさと斬ってしまえばそれで終いだっただろうに。

 タッチの差で早苗が異変解決を表明し、さらに藍からの依頼もあって、神霊が湧く異変の鎮圧に当たることになってしまった。といっても行動が劇的に変わる訳ではなく斬り捨てる対象が物体から神霊になっただけだ。

 

 なんとなく神霊の密度が濃いような場所を彷徨っているのだが、原因は依然不明なままだ。というか、妖夢は謎解きが苦手なのである。

 幽々子や鈴仙なら、あっという間に元凶へと辿り着いていただろう。

 

「今からでも解決する異変を変更して貰えないかなぁ。明確に斬る相手が分かるような単純明快で気持ちいい異変」

 

 相当飽き飽きしているのか、独り言を溢しながら単調に神霊を斬り払う。

 

「相手が分からなくても、せめて場所くらいは明確にしておいてくれたらなぁ。そしたら地獄でも畜生道でも、何処へだって行ってやるのに……」

 

 というか、そもそも神霊が湧いているからなんだというのだ。そこらに浮いてるだけで大した害のない存在ではないか。お化けみたいに怖くもないし。

 まあ連鎖して起きている異変の一つだから何か意味はあるのだろうが、少なくとも妖夢にはさっぱりである。

 

 そういえば今朝、敬愛する幽々子が何かアドバイスを言ってたような気がする。あの時、なんとしてでも気まぐれな主人から答えを聞き出しておくべきだった。

 過ぎた事を悔やんでも仕方ない。白楼剣で自分の腕を浅く切り付けつつ、思い返す。

 

「なんでしたっけ……確か神霊自体に実体はなくて、何かに引き寄せられてるだけ、だったかな? あ、それじゃ別に神霊は斬らなくていいのか!」

 

 魂魄妖夢、天啓を得たり。

 ならば断つべきは神霊を引き寄せている大元であるが、これはこれでよく分からない。数秒で推理は暗礁へと乗り上げるのであった。

 

 半人前の妖夢に単独での異変解決は早かった。導いてくれる者が必要なのだ。

 思えば前回参加した花が咲き乱れる異変では鈴仙とのタッグだったので風見幽香になんとか辿り着くことはできたものの、その後鈴仙ともども簡単に蹴散らされてしまった。それに、そもそも幽香は元凶ではない。

 

「……よし、ギブアップしよう。一回人里に向かって幽々子様に色々考えてもらえばそれで解決ですもんね。そっちの方が絶対早い」

 

 取り敢えず幽々子に泣きを入れてなんとか答えを教えてもらう事を決断したようで、群がってくる神霊や妖怪擬きを斬り払うと納刀、すたこら歩みを進める。こういう決断は早いのが半人前たる証だ。

 

 ただ、そういう思惑は途中で頓挫するものである。

 

『妖夢、妖夢。何をしている?』

「むっ何奴!?」

『藍だよ。念話で話すのは初めてじゃないだろう』

「なんだ藍さんでしたか。もう幽霊だと思ったじゃないですか。驚かさないでくださいよ」

『私の方こそ色んな意味で驚きだがな』

 

 念話越しにイライラしている様が浮かぶのは多分気のせいじゃないだろう。

 

『幽々子様や橙のおかげで少々余裕ができたからな。空いた手間で神霊の向かう先を割り出しておいた。後で座標を送るからそこに向かって欲しい』

「ほ、本当ですか!? うわー助かりますありがとうございますっ!」

『気付いていると思うが、いま幻想郷を守る秩序側の妖怪は殆ど戦えない状態にある。普段と変わらない力を発揮できる貴女は貴重な戦力だ。それを遊ばせておくわけにはいかんからな』

「へーそんな事になってたんですねぇ」

『気付いてなかったのか……』

 

 妖夢の抜群の戦闘IQを知る藍だからこその買い被り。従者仲間ということもあって家事の力量なども含めて結構評価していたのだが、今回の件でそれがひっくり返ったのは言うまでもない。

 まあ幽々子絡みや、窮地に陥った時はちゃんと真価を発揮してくれるだろうから問題ないと考え直す事にした。そう考えないと計画の柱が根本から頓挫してしまう。一種の逃避かもしれない。

 

『いいか妖夢、この神霊どもは有象無象の欲でできている。これだけの規模の神霊が求める人物ともなれば、相当厄介な曲者が予想される』

「そいつを斬ればいいんですよね?」

『幻想郷に仇なす存在なら当然。しかし全容が掴めていない以上、今の段階で解決策を限定するのは危険だぞ。よく考えて決断するように』

「斬れば終わりですよ? 斬ればいいじゃないですか」

『はぁ……もういい。そうだな、目的地に一人頼りになる方を派遣しておくから、よく指示を聞くようにな。以上だ』

 

「あら切られちゃいました」

 

 まだ聞きたいことがあったので念話を飛ばしてみたのだが、着信拒否されていた。きっと多忙の身なのだろう。八雲の式神は立派なものである。

 とにかく、導が示されたのなら従うのみ。

 

 藍が指定したのは人里の外れに存在する打ち捨てられた墓地だった。野良妖怪の溜まり場になっているとして人間達から敬遠されている場所だと記憶している。というか妖夢も一度そこを通ったのだが、異変の大元だとは気付かずに通り過ぎてしまっていた。

 お化けが出そうな場所に長居する理由もないし、というか戻りたくないのが本音だったり。何か化けて出られるのが嫌だから調査も程々に切り上げたとかそういう事では断じてないのだ。きっと。

 

 

 

「ちょっと、あまり引っ付かないでもらえますか? 歩きにくいので」

「そんなこと言わないでくださいよぉ! 私の代わりに前を見ててくれればいいので! 敵が来たらちゃんと斬りますから!」

(大丈夫かこいつ)

 

 妖夢にとって幸運だったのは、藍の用意してくれた人選が思った以上にマトモかつ頼れる者だった事だろう。

 

 茨木華扇。幻想郷の賢者であり、八雲紫や摩多羅隠岐奈と同格の地位に就いている存在。そんな彼女を墓場の先導役として酷使するとは、なんと贅沢な使い方だろうか。

 

 目を瞑りながら刀を振り回し、もう片方の手で引っ張ってもらっている妖夢を見ながら華扇は溜息を隠そうともしなかった。

 そもそも華扇とて暇ではない。藍からの通信が入るまでは河童の下で、幻想郷を覆い実力者を弱らせている鬼の魔力の解明に励んでいた。それがひと段落ついたと思えば今度は子守りである。

 

 実力行使を主として賢者間での調停役を期待された華扇ではあるが、それは紫や隠岐奈の派閥とは距離を保たねばならない立ち位置を強制されるということ。つまり、幻想郷の統治にあまり深く関わっていなかった。

 こういう異変が起きた時こそ華扇の真価が発揮されるべき時。しかしそれを半人半霊の子守りに費やされるのは望むものではない。鬱憤は溜まるばかりだ。

 というか賢者をさっさと辞めたいと日頃から思っていたりする。それこそ紫が引退を所望したあの事件よりさらに昔から。

 

 今も賢者を続けているのは霊夢の存在と、紫擬きからの説得があったこそ。

 

(妖としての力を封じられている以上、この半人半霊に期待するしかないのは分かるが……本当に大丈夫なのだろうか?)

 

 不安は募るばかりだ。

 力さえ封じられなければ自分一人で片っ端から異変解決してやったのに。紫も隠岐奈もだらしないったらありゃしない。

 

 

 華扇の指し示す墓を斬り倒し、地下への入り口を発掘。そこから奥へと潜っていく。

 地下に入ってしまえば流石に幽霊の気配がなくなり、精神的余裕の生まれた妖夢はようやく独り立ちすることができた。

 

 そして異変解決への考察を華扇が勝手にどんどん進めてくれるので、使われなくなった思考はどうでもいい事に費やされている。

 魔理沙と妖夢は地下へ。早苗と咲夜は空へ。今頃宙を舞う二人は華々しく異変の首謀者と死闘を演じているのだろうが、地下にいたのでは活躍も認知されにくい。それどころか地味な印象を受ける。よくよく考えるとハズレクジを引いてしまったような気がしないでもない妖夢であった。

 

「というか、敵が全然出てきませんね。凄まじい抵抗を予想していたのですが」

「ええ、これは私も予想外よ。だけど最後まで気を抜かないように。何が待ち受けているか分かりません」

「言われずとも」

 

 華扇の言葉に頷いて警戒を新たにする。何も考えていない妖夢でも、今回の連続した異変の厄介さはよく分かっていた。それを仕組んだ存在も並大抵の者じゃない。智謀に長けているだろう事は容易に窺い知れる。

 

 待ち伏せ、何らかのトラップ。

 全てを考慮し備えようとやり過ぎではない。

 

 荒々しい坑道のような空間を抜けた先には、古びた中華風の門が待ち構えていた。ただ此処にも敵の姿はない。在るのは意志を持たぬ神霊のみ。

 無言で振るわれた楼観剣により閉ざされた門は袈裟懸けに斬り裂かれ、崩れ落ちた。

 特殊な結界こそ張られていたようだが、妖夢の前には所詮紙切れに等しい。一刀の下に切り伏せてみせた。

 

 不安げに華扇を見遣る。

 

「……多分、もう目的地ですよね? 流石にここまで雰囲気が出てれば」

「その判断で間違いないと思う。此処に集う神霊の質、そして肌を粟立たせる凄まじい力。欲の逆巻く先にはどうやらやんごとなき者が居るみたい」

「どんな相手でも私には関係ありません。斬ればそれで終いです」

「確かにそのくらいの心構えで臨んだ方が良さそうね」

 

 いつもなら妖夢の脳筋発言を嗜めていただろう華扇も、今回ばかりは同意を示す。殺気を纏うくらいでないと、かの者と相対する事すらできまい。

 それにこの"古さ"はかつての記憶を呼び起こすには十分過ぎる。

 

 五感に優れた妖夢は、いつからか踏み出された一歩が既に別世界への入り口をこじ開けているのを感じ取っていた。地中深くに入り過ぎたせいで幻想郷の領域から出てしまったのかと思ったが、そうではない。

 華扇は既に欲の中心地に居る人物の正体をほぼ看破していた。

 

 一つの世界を管理する者ともなれば、それなりの格が保証されている。

 何処ぞの賢者共然り、自らの力で構成したテリトリーを根城にする連中は総じて厄介だ。大成した仙人は各々別個の宇宙を持つと聞くが、華扇が言うのなら説得力もまた一入である。

 

「時に妖夢さん。貴女、幻想郷で仙人に遭ったことはありますか?」

「いえ多分ないと思います。どうしてですか?」

「私の役目は貴女を異変の中核に送り届ける事。しかし、とある仙人がこの件に関わっているのだとしたら、介入の度合いは大きく変わる。事前の情報すら持たない貴女では手に負えないでしょうしね」

「私が力不足だと仰りたいようですね。ふふん、普段の貴女がどれだけ強いのかは知りませんが、現時点では万に一つも遅れを取る事はありませんよ。私は強いですからね!」

「よしんば貴女が幻想郷で一番の強者だったとしても、どうにもならない相手とは最低一人ぐらい存在するものです。私だって、霊夢だってそう。……そしてあの邪仙は大体のケースでその一人に食い込んでくるだろうイヤらしい奴ですから」

 

 苦虫を噛み潰したような表情でそんな苦言を漏らす。彼女を知る者なら全員が全員、同じリアクションをとるだろう。あの邪仙はそういう女だ。

 

「奴は悍ましい怪物です。見てくれに騙されて気を抜かないように」

(ふぅむ、そんな怪物を斬ったとなれば幽々子様も大いに満足してくれるかな)

 

 なお妖夢にはあまり響いていなかった。

 

 

 

 少し進むと大きな墓のような物が見えたので、問答無用で斬った。中から大量の神霊が噴き出したのでそれも全部斬った。華扇は引いた。

 

「これほどまでに大規模な廟は久しぶりに見たわ。大和国(奈良県)に建てられてた物と同じ様式だし、どの年代の権力者の為に造られたのか大体分かるわね」

「墓を暴くのは今更ですし、滅茶苦茶しちゃいましたけど怒られませんよね?」

「それ斬ってから考えるの……?」

 

 呆れながらも瓦礫の撤去を淡々と手伝ってくれるあたり、妖夢の奇行に慣れ始めたようだ。このくらい柔軟でなければ身勝手な鬼共や賢者との付き合いなど到底務まらないということなのだろう。むしろそれらと同列扱いされている妖夢の異常性の方が問題なのか。

 

 結局その答えは導き出されることなく、先に異変が大詰めを迎えようとしていた。

 

 じわりと、細胞が静止する。

 心が無意識に『見』を縋ったのだ。

 

 

「同朋、のようですね?」

 

 

 珠のように美しく、強烈な古さを感じる厳かさ。

 その一言一句の度に無秩序の群れであった神霊が大きく震えて、宙へと掻き消えていく。その本懐を遂げたのだろう。如何なる欲も、彼女の魅力の前には些細な物だ。

 

 妖夢は彼女に飲まれなかった。その手に迷いを断つ白楼剣が握られていたからだ。

 全身が逆立つ。

 

「仙人、尸解仙……我が復活に立ち会っていただけるとは、光栄の至り。早速不老不死として蘇った者同士、相手と競い合い(タオ)を極めたいところだが……」

「そんな暇はありません。貴女にできる事は二つだけです。己が立場を詳しく述べる事、そして私に斬られぬよう弁解なり抵抗なりを試みていただく事。──あと私は仙人ではありません」

「ふむ、どうやら私の復活を手引きしたのは貴女達ではないようだ。それにどうやら、想定していた年代とも異なる。……質問に答えたいのは山々ですが、それには些か時と情報が足りない。少し待ってくれないか」

 

 即答以外は戦いの合図だと決めていた。

 性急だが、それでもまだ足りないぐらいだと妖夢は判断した。無闇な接触は足を掬われる事になると、本能が警鐘を鳴らしている。

 刃を抜き放つ直前に、華扇の右腕が妖夢の楼観剣を弾き落とす。妖夢の抜刀スピードと同等の反応速度もそうだが、利敵行為とも取れるそれに強烈な敵意を示した。

 

「……力を落としたと仰ってた割には、随分と動きが良いようですね。騙したんですか?」

「言う必要が無かっただけ。私には元来のモノの他に使える力が幾つかあったの。味方だから安心してほしい」

 

 宥めるように言うと、交渉役に立つ。

 

「私の名は茨木華扇、仙道の大成を志す一人の道士です。貴女もほぼ同類とお見受けしますが、相違ないでしょうか?」

「その通り。私は豊聡耳神子と申します。人は私を聖徳王と呼んだ」

「かの為政者か……確かに、貴女ほどの方が復活するのならこれほどの規模の神霊が発生するのも納得できる」

 

 今から1400年前。妖怪の絶頂期真っ只中の時代に誕生した奇跡の御子。

 ただただ蹂躙されるだけだった人間達を己がカリスマ一つで束ね上げ、国を富ませ、人材を育成し、妖怪に対抗できる程度にまで発展させた人類史最高の為政者。

 華扇の記憶にも根強く残っている存在だ。

 なお妖夢は知らない。

 

「まず一番に申し上げておきたいのですが、我々に貴女と積極的に事を構える心算はない。できれば穏便に話を済ませたいのです」

「その割には、隣の方はそうでは無いみたいだ。闘争への欲が溢れ出しているよ」

「何分、存亡の危機なもので」

「……なるほど」

 

 一を知り十を知る。

 僅かな問答で神子は幻想郷に齎された厄災の概要を把握した。そして、自分の復活がそれに与した形になっている事も。不本意でしか無い。

 自分の存在を利用しようとする者はどの時代でも星の数ほど居るだろうが、そうならない為に保険を用意しておいた筈だ。そう、神子には優秀な部下が居た。

 

「ところで、私の他に人は居ませんでしたか? 共に眠っていた者が何人か居る筈なのですが、何処にも気配を感じない」

「此処も地上も、人っ子一人居ませんでしたよ。拍子抜けもいいところです」

「……もしや」

 

 

「お二人は亡くなりましたよ、豊聡耳様」

「ッッ!」

 

 背後からの軽やかな声に、今度こそ妖夢は刃を抜き放つ。時を切り裂く一閃は須臾を要さず声の主へと到達し、すんでで阻まれた。

 胴を亡き別れにした死体が崩れ落ちる。斬撃は死体を貫通することなく、抑え込まれた。

 

 霍青娥の登場だ。

 

 自分に対して峻烈な殺気を向ける妖夢も、神妙なお面持ちで見遣る華扇も、崩れ落ちた死体も何処吹く風と、神子だけを見ていた。

 対して神子も鋭く目を細める。事の詳細を話せと暗に威圧しているのだろう。

 

「蘇我様は物部様の手引きにより術が失敗し、亡霊となり、数百年前に時の妖怪退治屋に討たれましたわ」

「屠自古が……」

 

 瞳が揺れる。

 形式上、そして政治的な繋がりであったとしても、彼女との間に在った繋がりは本物だったと思っている。その顛末を聞いて平静を保てるほど、神子は人間を辞めてはいなかった。

 沈痛な面持ちで更に先を促す。

 

「物部様は……この通りです」

 

 青娥が手に持っていたのは、砕け散った皿の破片。その姿を認めた神子は静かに青蛾へと歩み寄り、皿を受け取る。間違いなく、かの忠臣が依代に選んでいた皿だ。

 神子からすればつい昨日、忠臣の亡骸と一緒に在ったのを見たばかりだ。見間違える筈がない。

 アレほどの傑物の幕引きには、あまりにも呆気なさすぎる。

 

「なんという事か。屠自古……布都まで」

「せめて豊聡耳様と物部様だけはと思い夢殿大祀廟を護っていましたが力及ばず──禁を破られ、この有様。死して詫びる事もできません」

「いや……よい。むしろ師だけでも無事で良かった。して、貴女はどう思う?」

 

 恭しく跪き、徳を示す。

 

「卑しき手段でかの方達を葬った狼藉者、豊聡耳様の復活を阻止しようとした不届者、それらを淘汰し、今再び上に立たれるべきかと存じますわ。妖怪の支配から解放される幻想郷を導けるのは聖徳王たる豊聡耳様しかいないでしょう」

「ほう。そう思うか」

「蘇我様は分かりませんが、物部様であれば大いに賛同いただけたものかと。それに、河勝(隠岐奈)様は既に豊聡耳様の治世に向けて動いています」

「あやつまで居るのか。私が眠っている間、随分と周到に準備していたのだな」

 

 一を知り十を知る。

 全容を掴んだ今、情報は不要。

 

 亡き忠臣達への手向けとして何が最も適当であるか、答えは明白だ。神子は決して判断を誤らない。

 意を察した青娥は何時もの笑みを浮かべた。千年ぶりの再会といえど伝心に陰りなく、互いに相手の思惑を探る術は充実している。

 

 神子は判っていた。

 これが幻想郷において最も手っ取り早い手段である事を。今も昔も変わらない、暴力こそが至高の解決法である。

 

「華扇さん。私はやりますよ」

「はぁ……なんでいつもこうなっちゃうの」

 

 妖夢の拘束を解いた華扇は一足飛びに宙を舞い、青娥へと狙いを付けた。当然、青娥の興味も別次元の力を行使する華扇に向けられている。それに、粗雑に転がっている死体を巡っての因縁もある。

 簪を振り翳した青娥の姿が死体と共に掻き消える。否、下へ逃れたのだ。夢殿大祀廟の更に地下深くへ。

 あの邪仙を生かしておく訳にはいかない。アレはこの世の生けとし生ける者に際限ない災いを自覚無しに振り撒く邪悪な女だ。怪物だ。

 

「幻想郷を統べる賢者として奴は看過できない。なので少し不安は残りますが、聖徳王の相手は貴女の裁量にお任せします。どうかよしなに」

「簡単な話です。任されました」

(ホントに大丈夫かな……)

 

 さも不安げな様子で華扇も穴へと消えていく。

 恐らく、妖夢では青娥に勝てない。同じく、現在の華扇では神子に勝てない。なので最悪でも二局面のうち、どちらか一方でも勝てれば良しとできるように考えた結果の組み合わせだった。

 

 

「さて──師も行った事だ。お急ぎのところ悪いが、少々付き合ってもらおう」

「構いませんよ、むしろ漸くかと言いたいくらいです。難しい話などなんにも分かりませんからね。私には刀を振ることしかできません」

「ふふ、君は私の部下によく似ている。随分と過激で愛らしいところなど特にな。あと死に近いところも」

「故人と一緒にしないでください。私は半分生きてますので!」

 

 すらりと伸びた細い指が腰に下げた宝剣の柄へと伸びる。それに呼応するように妖夢の指もまた、楼観剣の柄を握り締めた。

 自然体な様子の神子に対して、居合の構えを崩さない妖夢。初速の時点で脳の電子信号を遥かに振り切る斬撃に対応する術を持たねば、この時点で詰みである。妖夢の一振りは時を越えるのだから。

 

「正直、無理筋だと思っているのですよ」

「何が?」

「師の言葉がね」

 

 軽く一笑に付した。

 

「今の世界は私の統治を望んでおるまい。その欲を全く感じないしね。幻想郷については半々か? ただ青娥と河勝の側ではないのは確かだ。奴等が組んでる時点で胡散臭くて堪らない。どうせ良からぬ狙いがあるのだろう」

「私達に大義があると?」

「『勧善懲悪は古の良き典なり』……それを確かめさせてもらいたいのです。悪の敵が正義など、そんな話聞いた事もない。それに、勝てない戦に全力で加担するのは愚物の極み、亡き腹心達に顔向けできないよ。まあせいぜい最悪の結果にならないよう立ち回ってあげるくらいか。為政者の役目だ」

「どっちつかずってことですよね? 仲間じゃないのなら話が簡単で助かりますッ桜花剣『閃々散華』!!」

 

 生憎、問答の気分ではない。

 

 一瞬の重心の移動と同時に、その場に残像を残して触れ合える程の距離まで接敵、楼観剣を抜き放つ。一振り幽霊千殺の謳い文句の通りに、幾重もの斬撃が同時に繰り出された。

 

 小手調べのつもりなど毛頭ない本気の一撃。というより我慢の限界だった。

 訳の分からないミミズクの講釈に付き合っていられる余裕などハナから存在しないのだから。むしろよく保った方だろうと幽々子や紫なら言うだろう。

 

 

『逆らう事なきを宗とせよ』

 

 

 スペルブレイク。

 斬撃は霧と消え、妖夢渾身の一撃は神子の首筋を断ち切ることなく、ましてや到達することすら能わなかった。意識の硬直。

 神子は何もしていない。身体から溢れ出る徳が妖夢の自由を奪い去った。

 

「……ッ!」

「何も殺し合いを提案しているのではないよ。極力諍いを起こさぬことを根本として励むのが万民が最も平和を享受できる確実な方法なのは言うまでもないでしょう? 私の教えは根付かなかったか?」

 

 空虚な金属音が響く。ぎこちない動きで首を回すと、宙に留まっていた楼観剣の刀身が根元から切断されていた。あてつけのように、鈴仙にへし折られた部分とは違う箇所から。

 神子の抜刀スピードは妖夢に比肩した。

 

「君の為人はよく分かった。認めよう、君の危惧する未来は十分にありえるものだ。青娥や河勝に合力はしない、しかしその結末、幻想郷を如何導くかは私を以て悩ませている。この世界の成り立ちからして万民が等しく幸せを享受できるシステムは存在し得ないのだから」

 

 幻想郷は妖怪の為に存在する世界だ。

 従来通りの運営に拘るのであれば、人間達の不幸はこれからも延々と続く。

 神子本来の目的通り人の為に政治を行うのなら、幻想郷は破綻し、全く別物になる。

 

 何を取り、何を捨てるべきか。神子は妖夢を介して結論付けたかった。

 だが妖夢にそんな考えは一欠片もない。あるのは幽々子の命令を全うする、その一点のみ。それ以外を敢えて頭から排除していた。

 だから神子は結論に辿り着けない。

 

 やはり彼女は、系統こそ違えど布都に近いタイプの思考回路を持っているのだろう。目的の為に自らの行動原理を制限し、思考の単純化を図ることで、(はかりごと)を円滑に進めようとする。

 狂信的なだけならまだ善い。だが彼女らのような人間には神子ですら御しきれない『何か』がある。非常に興味深い。

 

 だがこの場では不要だ。

 

 常人であれば廃人になるだろう徳を受けても、妖夢を数瞬硬直させるだけだった。だが刹那の駆け引きを得意とする彼女には致命的な一瞬。

 根元近くから切断された楼観剣に殺傷能力はもうない。であれば、脇差(白楼剣)に持ち替えるのがセオリーだろう。だが妖夢はほぼ柄と鍔だけになった楼観剣を握ったまま。神子、妖夢共に迷いなどないのだから。

 

「私は折れませんよ」

 

 傍に落ちていた刀身を拾い上げ、切断面を接着するように重ね合わせる。そして刃を素手でギュッと握り締めた。勢い良く流れ落ちる鮮血が楼観剣がまだ生きていることを示してくれている。

 当たり前だ。もう二度と折れてなるものか。

 

 手を離し再び構える。紅く濡れた楼観剣は、数分前と変わらぬ姿を保っていた。

 握力の熱量で玉鋼を溶かし、手動で接着したのか。

 

 神子は思わず苦笑を漏らした。

 流石にこればかりは真似できまい。いや正確には、そこまではやらない。

 

「貴女は先程、私で何かを確かめたいと言ってましたね。残念ながらそれは到底無理な話です。私に分からないことを他ならぬ私に証明させようなんてそれこそ無理筋というもの」

「ほう。分からないのか? 幻想郷の実態が。お前の上に立つ者共の願いが」

「私は半人前の未熟者! 私が悩み迷える量なんて半人分が限界だ。幽々子様の想いの全容なんて、生涯かけても辿り着けないに決まってる」

「随分と自己評価が低いのですね?」

「そんな事はありませんよ? 私は強いですからね!」

 

 互いに笑みを深め、地を蹴る。初めて豪鉄の打ち鳴らされる金属音が夢殿大祀廟に響き渡った。

 

 時と時の合間を縫った超ハイスピードの攻防。その別次元の戦いは、当の本人たち以外に認識できる術はない。

 重なる刃は可視光線による投影すらも振り切り、白銀の光舞う残滓となって互いを削り合う。

 

「『詔を承けては必ず慎め』──私へと刃を振るうのは並大抵の事では無いのだがな。欲のない霊魂がこれほどまで脅威とは、素晴らしい」

「目がチカチカするのはそのせいですか! ヤケに眩しくて鬱陶しい!」

「偉大な相手というのは光って見えるものだよ」

 

 後光に晒されるだけで皮膚が灼けつくようだ。

 気質だけで周囲にこれだけの影響を与えるのは、もはや神や仏、仙人の範疇から大きく逸脱しているとしか思えない。十欲の幾つかを欠落させている妖夢だからこそ戦闘を継続できているようなものだ。

 

 だが形はどうであれ、神子にとって妖夢は間違いなく脅威と呼べるレベルに達している。

 戦闘の土俵に立てているのなら負ける道理はない。

 

「断命剣『冥想斬』ッ!!!」

「……っ」

 

 未熟であるが故に。

 一途で愚直であるが故に。

 

 ただ一点の信念さえあれば、愚蒙に堕してしまう事は決してない。

 悲観もしないし、絶望なんて以ての外。

 

 自分に斬れない物なんて、何にもないのだから。

 

 




原作キャラキラー娘々(ネタバレ
ただ屠自古は事故。布都ちゃんは復活させてしまうと後々面倒になるので手を打たれました。もし布都ちゃんが健在だったら数話短くなるくらい早く異変が終わってたかもしれない。
あと娘々は豪族組のことが大大大好き! まあ今回は縁がなかったということで……(皿を叩き割る音

人里外は結構な魔境と化しているので、外れに作ってあった墓地は半ば放棄されてます。また命蓮寺が建っている筈もないので、目印になる物が非常に少ない。なので妖夢は最初見つけられなかったんですね(精一杯のフォロー)
ちなみに今のところ自機組の成長回のような今章ですが、魔理沙早苗と違って妖夢は殆ど成長してません。永琳戦での敗北とうどんちゃんとの交流で大分完成してた模様。半人前こそ彼女の最強形態です。


紫→賢者辞めたい
華扇→賢者辞めたい
はたて→替え玉
てゐ→賢者になりたくなかった
阿求→賢者連中みんな嫌い
正邪→あくまで目的のため
隠岐奈→エンジョイエンジョイ甘ったれるな

誰が幻想郷を引っ張るべきかは明白なんですよね……おっきーお前賢者から降りろ。

また最新作についてネタバレしない程度に言及しますと、幻マジ世界では山童は天狗の手によって絶滅しており、虹龍洞は天子の一件で潰れてます。
つまりそういう事ですね。闇市場なんて存在しなかった! 最低だよゆかりん……


次回、久々にあの方が帰ってくる……!?
あと三つの異変の結末も云々らしい。

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