幻想郷は全てを受け入れるのよ。それはそれは残酷な話ですわ……いや割とマジで 作:とるびす
「存外上手くいったものだね。空に出てからは妨害の一つや二つは覚悟していたんだが、撹乱に成功しているみたいだ。慎重に計画を練った甲斐があった」
「ええ。礼を言いますナズーリン」
「賢将冥利に尽きるというものだよ」
二人は甲板に腰を下ろし空を仰いだ。こんなに清々しい思いで風に身を任せるのはいつぶりだろうかと、感慨深げに微笑む。
聖輦船の運航は順調。かつての仲間達も気概十分とばかりに気炎を吐いたり、千年ぶりの再会に花を咲かせている。積もる話も、思いもあるだろう。
だが気を抜くわけにはいかない。作戦の根幹となる部分が達成されるまではあらゆる可能性を考慮し、対応可能にしておかなくては。
やっと巡ってきた機会。千年来の悲願を叶える最後のチャンスなのだ。警戒し過ぎるに越したことはない。
そう。常時臨戦態勢だったからこそ、不意の会敵にも対応できた。
「地底から出る時は危なかったね。まさか霧雨魔理沙とあんな狭い場所で鉢合わせるとは」
「あの方が言っていた要注意人物その3、でしたか。確かに彼女のレーザーを弾けなければ聖輦船の撃墜は免れなかった。出口付近での邂逅で助かりました」
幻想郷での情報収集を生業としていたナズーリンにとって、霧雨魔理沙は現時点において最も気をつけるべき人物だった。
実力はさることながら、異変解決への貢献度が尋常ではない。同時多発的に異変が起きているのだから、自分達にだけ目を付けられるのは非常に困る。余計なイレギュラーを避けたい身として、できることなら別の場所に行ってほしいと願っていた。
結果としては地底の方を優先してくれたので万々歳である。
時代を代表する知恵者達が数年に亘って協議と葛藤を重ねた末に考え出された段取り。そう簡単に対応されても困る話だ。
「しかし……分かっているだろうね? ご主人。我々の『聖救出』という大前提の目標達成は勿論だが、その後の事も考えなければなるまいよ」
「そう、ですね」
ナズーリンの主人。毘沙門天の代理兼神輿、寅丸星は表情を曇らせた。
『その後』とは、自分達の他に達成された異変の事、若しくはその副産物を指している。沢山の人妖が死ぬかもしれないし、財の収奪はきっと起こる。義を重んじる立場として到底看過できるものではない。
聖を救出した後は同盟者との対決が待っている。
異変に与するのも苦渋の末に至った決断だった。自分達の欲の為に幻想郷に住まう者達を危機に晒してしまうのだから。
同調した相手だって、本来なら自分達が討伐しなければならない類いの者どもである。特に天邪鬼の暗躍を放置してしまう事は、毘沙門天の代理として許されざる判断だった。墜ちるところまで墜ちてしまった。
「あまり自分を責めるなご主人。奴等との連帯を考案したのはこの私だ。仮に天罰でも下るのであれば、それは私だけのものに違いない。一輪や村沙は勿論、ご主人だって成り行きで船に乗ってるに過ぎないよ」
「残念だけど、その理屈は通りませんよナズーリン。私の弱さが招いた結果です。私が強ければ、連中に頼ることなく単独で聖を救出できた筈」
「そう思うなら強くあれ。何を犠牲にしても取り戻すと決意したなら、過去を振り返るな。今を省みるな。失った未来を取り戻し、罪を償う事だけを考えよう」
何もかもが中途半端なまま、星は時代の流れに呑まれ続けてきた。
千年前も現在も変わらない。
信じる導を見失ってしまったのだ。
「ナズーリン。私は……大切な物を落としてしまったようです。何を失ったのかすら、もう気付く事はないのでしょう。不甲斐ない私を許してください」
「それでいいんだよ。ご主人はこの地獄のような世界でも"それ"を失わずに生きてきたんだ。それはとっても素晴らしい事だ。──落としてしまっても問題ないよ。私は覚えてるから、忘れた頃に拾ってきてあげるさ」
*◆*
同時刻、稗田邸は大混乱に陥っていた。
次から次に幻想郷を襲う怪現象の報告や、不安を訴える里人達が大挙して押し寄せてくる。それら全てを瞬時に捌くには些か無理があった。
ちょうどマヨヒガを追い出されてウチに居候中だった八雲の式達が居なければ今頃頭を沸騰させて倒れていただろうと、阿求は疲れ目を擦りながら思う。
取り敢えず使用人をフル稼働して人々の不安を取り除くことを最優先とし、阿求は藍、橙と向かい合って齎される情報を処理していく。
「噴き出した間欠泉の原因を探るべく魔理沙が地底に飛び込むと同時に謎の巨船が風穴から飛び出し、今も博麗神社近辺を旋回中──同時に神霊の成り損ないが次々と発生している。元太陽の畑上空に渦巻いている魔力を伴った積乱雲との関連性は不明、か」
「さらに各地で妖怪達が蜂起し暴れ回っています。人里に牙を剥く個体がいるようですが、今のところ自警団がなんとか抑え込んでいます。ただ、先程発生した季節が各地で滅茶苦茶になる異変が起きてからは里内でも不安が広がり始めています。気候変動は生活に直結しますから」
合計で5つの異変が同時発生するなど到底あり得ない話だ。大規模な異変を起こすような存在は癖の強い者だと相場で決まっている。そんな連中が目的の達成の為とはいえ一時的にでも手を組むだろうか?
過去の異変を鑑みてもレミリア、幽々子、萃香、永琳、幽香にそんな余地があるとは思えない。現実的ではないのだ。
恐らく、敵に超越的なまでの調整能力を持った策士がいる。それも幻想郷の事情に精通していると思われる存在。
「これを計画した奴はそれなりに頭が働くようだな。ものの見事に幻想郷は丸裸だ。此処を落とすと仮定するなら、私もこのタイミング以外に思い付かない」
「最も恐れていた事ですね……」
幻想郷の顔であり最高権力者の八雲紫、異変解決を生業とする調伏の申し子博麗霊夢。あの二人は月に囚われ幻想郷に帰還できない。
二人が同時に幻想郷を空けるタイミングなど想定できるはずが無い。つまり、この状況は偶々ではなく、悪意を以て仕組まれた策謀だろう。
「月の勢力と何らかの話が付いていたのは確実か。因幡てゐか八意永琳の仕業か? いや、古明地さとりの監視を掻い潜るのは不可能……」
「藍さま! 地底への道は岩盤の崩落と謎の結界によって封鎖されてて、現状行き来が出来なくなってます! 結界の解析には時間がかかりそうで他の異変に対応しながらじゃとても……!」
既に下見を終えていた橙が慌てて報告する。結界管理に携わる橙が言うのなら、かなり高度な術式で構成されているのだろうと藍は判断した。
つまり、敵はさとりと魔理沙を地底に封じたのだ。
(異変対応の達人を月と地底で隔離したのか……。謀反人め、中々やりおる)
この規模での異変であれば賢者の関与は確定だろう。そして一番に思い付くのは摩多羅隠岐奈と稀神正邪の二人だ。どちらか、若しくは両方が策動したのであれば幻想郷の弱点や、月面戦争のタイミングを見計らっていたのにも説明がつく。
やってくれたものだと藍は奥歯を噛み締める。
と、藍の放った情報収集用の式烏、そして稗田の使用人が更なる情報を齎す。
『マヨヒガに駐屯していた月の軍勢が無差別攻撃を開始。動植物問わず、生命の存在を許さないとばかりに苛烈な根切りである。現在、天魔の指揮する天狗と河童が必死に押し留めている』
「やはり動くか……!」
「阿求様! 里の一部の者達が略奪と破壊を始めており、此処にもいずれ押し寄せるかと! 急ぎ退避の準備を!」
「そんな!?」
「今は不用意に外に出るな。
顔面蒼白で面食らっている阿求の代わりに藍が指示を飛ばす。里の人間を誰よりも注意深く見守ってきた立場だからこそ、ショックが大きいのだろう。
いくら非常時とはいえ統制されていた人間達が急に暴動を起こすのはどうにも不可解だ。これもなんらかの異変による影響なのかと、深く思案する。
「ら、藍さま……私はどうすれば」
「いいかい橙。いま我々が最も犯してはならない愚行とは、奴らの飽和攻撃に翻弄され全てが後手後手に回ってしまう事だ。悲観するな、幻想郷の全てが敵に回った訳じゃない。紫様の築き上げたモノは簡単に崩れてしまうほど脆弱ではない。絶望的な状況でも確かな糸口を残してくださっている」
藍の言葉は橙だけに当てられたものではなく、完全に参っていた阿求に対するものでもあった。藍は微塵も諦めていない。紫救出に割いていた思考リソースを一度据え置きして反撃の道筋を辿る。
すると見えてくるのだ。紫の作り上げた幻想郷の強さが。
「橙、情報収集だ。既に動いている連中の動向を把握するよ」
「敵方の、ですか?」
「いや味方の方だ。こんな混沌としてる状態なんだ、手の早い奴から勝手に始めているだろう。私達はまずあぶれた分、脅威が予想される分から対応していく」
*◆*
「押し留めろ、奴等に山への侵入を許すな! 増援到着まで持ち堪えろッ!」
「中央が保ちません……! 加勢を……!」
「右翼弾幕薄いよ! 何やってんの!」
過去幾度となく戦火に晒されてきた妖怪の山だが、今日もやはり阿鼻叫喚の地獄と化していた。天狗の全員が「この山呪われてんじゃないの?」と思わず思ってしまうほど、厄い出来事の連続である。
月面戦争には全くの無干渉を貫いていた筈の自分達がまさか月の尖兵といの一番に戦う羽目になるとは。はたては自らの不幸体質が招いた惨劇を嘆くのだった。
椛や河童機甲師団の奮戦により今のところ戦線は膠着しているが、月軍は疲れ知らずのようで、前線の戦力をどんどん充実させている。遠隔操作されていると思われる四足歩行の鉄の塊、銃剣突撃を繰り返す玉兎、前触れなく不可視の状態で飛んでくる鉛玉。全てが脅威だ。妖怪の山の水準を超えている。
はたてはふらつく頭を壁に押さえ付けながら指示を飛ばす。紫が敗れてからずっとこの調子だ。憧れであり目指すべき指針だった妖怪が倒れただけでも心労マックスだというのに。
「天魔様如何しましょう!? このままでは
「あの、射命丸様から緊急の連絡が来てます」
「たったいま八坂神奈子氏より面談の申し入れが」
「右翼崩壊! 後詰要すとッ!」
「ちょちょちょっと待ってマジで待って! まず一旦おちおちち落ち着いて、一列に並ぼう。あと文には好きにしろって伝えておいて」
この日ほど聖徳太子を羨んだ事はない。
最近ようやく事務作業を習い始めたはたてに、部下から凄まじい勢いで齎される報告を処理しきるのは不可能だった。しかもその全てが"良くない"報告である為、心がどんどん削り取られてしまう。
紫に倣ってトイレで泣き叫ぼうかと、遠い目をしながら本気で考える程度には参っていた。思わず目が回って机に頭を打ち付けてしまう。
額が裂けて血が流れ出す。
「あ痛ぁ!?」
「ああっ天魔様! どうかお気を確かに!」
「衛生兵はおるか! 天魔様を医務室へお連れしろ!」
「だ、大丈夫だから」
側仕えの白狼天狗の持ってきた消毒済みタオルを頭に押し付けながら、思考を無理やり天魔用へと引き戻す。それにより平静を取り戻すことができたのだが、平時であれば気付けたであろう
各々に指示を飛ばし山の死守を試みる。
しかし最悪は続く。
「犬走様が一斉射撃を受け生死不明ッ! それに伴い士気の崩壊した各所で兵が潰走しております! も、保ちません!」
聞き間違いだと思った。
「椛が……そんな嘘でしょ!? 何かの間違いなんじゃないの!?」
「し、しかし千里眼を使える白狼天狗が確認してまして……。犬走様の倒れ伏した場所は既に軍勢に飲まれており生死を確認できる状態ではないと……」
中世から現代まで凋落を続けた天狗において、犬走椛とは何にも代え難い逸材であった。前天魔が心から欲していた天狗出身の覚醒者であり、その期待を無碍にすることなく実直に成果を積み上げてきた。ヒエラルキーにおいて下位に当たる白狼天狗の星であり、皆に慕われる中間管理職の鑑である。
そんな彼女が倒れたとなれば天狗の動揺は計り知れない。現にはたては自分の目の前が真っ暗になっていくのを感じていた。はたてと椛は大の仲良しであり、互いに心の支えになっていたまである。
本部は阿鼻叫喚と化した。
戦いが終わってしまったのは明白だった。
みんなが見ている。私を観ている。
逃げたい。何も知らなかった小娘のまま、天魔の虚像を纏い、薄暗い部屋の中で画面越しに幻想郷を眺めていた頃に戻りたい。
観ているだけで良かったのだ。
何もしなくても紫が全て解決してくれるから。自分はただ、逃げているだけで──。
『責務をやり遂げずして逃げ出す事は許されない。逃避自体を否定しているわけではないわ。寧ろ私は肯定している。……でもね、いま出来ること全てをやり切って、その後存分に逃げなさい。自分は最善を尽くしたと、残した者達に対しても胸を張れるように』
(私は……)
『争いに溺れる醜い残酷な世界で、唯一の安息地たる場所を作りました。天界も地獄も関係ない。悲しむ者、貧する者、苦しむ者……みなを等しく受け入れる。そして、そこに住まうみなが仲良く暮らしていけたらいいな、なんて安直な動機。荒唐無稽な夢です』
「私は! まだ何もやれてないッ!!!」
『!?』
慌てふためいていた天狗達がギョッとして動きを静止する。
ふと思った。
もしこの困難を払い除けることができれば、見えてくるのではないか? 紫と自分が目指した最高の幻想郷が。その夜明けが。
はたては歯を食いしばる。
まだ諦める時ではないのだ。天狗も河童も、みんな必死に戦っている。山のみんなだけじゃない。幻想郷が一丸となってこの苦境を乗り越えなければ。
「私は神奈子様に会った後、すぐ移動する! 里は一度捨てるわよ! ──伝達班は前線のみんなに念話を送って! 内容は『総撤退! 被害を最小限に抑えて私の下に集合!』」
「か、かしこまりました! 天魔様はどちらに移動されるので!?」
「山全体を護る力はもう天狗に残されてない。なら守り易い要衝で敵を迎え撃ち、状況が変わるまでひたすら攻撃を跳ね返す! そう、モリヤーランド! 複雑に入り組んでいるあそこなら!」
「援軍の見込みはあるのですか!?」
「他のみんなも大変だろうけど、幻想郷は強い! きっと誰かが来てくれる!」
策というよりは博打である。確かに山全体を護る事に拘れば全滅は必至、これ以上の損耗は反撃を不可能にしてしまう。
しかし籠城の前提条件とは、長期間耐えられて、かつ援軍が確実に見込まれる場合だけ。はたてのそれは条件を全く満たしていない。
しかし縋るしかなかった。
天狗は賢い妖怪だ。今自分たちの置かれた状況を理解できていない者は誰一人として居なかった。
それに全員見ていたのだ。何百年に及ぶ孤立主義から脱却し、精力的に他勢力と関わりを持とうとするはたての姿を。彼女の願いは伝わっている。
「……天魔様! 私は一団を率いて敵を足止めします! その間に負傷者の退避と、例の場所に移動されてください!」
「っごめん! みんな無事に帰ってきて!」
『ハッ! ご武運を!』
「河童とか山姥とかの妖怪達にも作戦を伝えてあげよう! 山のみんなが一丸になってこの難局を乗り越えるわよ!」
迷えば迷うだけ仲間が死ぬ。
躊躇うな。信じて突き進むしかない。紫のように、天子のように、己を貫き通す強さを!
部下が動いたのを見計らって、はたてはタオルを投げ捨てる。相変わらず血は流れ続けており、いつもなら自然治癒で治っているはずの傷はその気配を見せない。
何かの病気だろうか?
「へっぽこ天魔様も言うようになったじゃない。感心したわよはたて」
「っ文!」
「とっても立派だけど、そのコンディションで前に出過ぎるのは危ないわ。いつものようにはいかないから、間違って死なれたら天狗はマジで終わるよ」
「……確かに。戦いが始まってからどうにも力が出ない気がしたの」
いつものように気付いた時には側に居てくれた文だが、彼女から齎された情報ははたての『気のせい』を『確信』に変えるものだった。
身体の調子が頗る悪いのだ。力は入らないし、傷の治りがやけに遅い。
文を見ると、彼女も困ったように手を扇いだ。
「もしかしたら今日の朝食に毒でも盛られていたのかもしれないわね。若しくは呪いか」
「けど他のみんなはそんな様子なかった」
「全員に盛ってちゃ途方がないでしょ? 敵は絞って狙ってきてるんじゃない? 私達みたいな『強い妖怪』は特にね」
「じゃあもしかして、椛も!」
「その可能性は高いわ。確認してきたけど、にとりさんやネムノさんも同様だった。こうなれば嫌でも共通点は見えてくる」
いずれも自分や紫に協力してくれそうな立場の妖怪であり、そこらの者達とは一線を画した実力を持つ覚醒者。その悉くが不調に陥っており、今の自分と同じ状態に追い込まれているのなら……。
屋敷を飛び出し、守矢神社に向かいながらはたては唸る。
どのような手段で、誰がなんの目的で、どこまでの効能がある罠なのか。当事者となっていても全容を掴むのは難しい。
だがはたての方針に変わりは無い。むしろこれで肝の部分を遂行するのに踏ん切りがついた。
「これから山の戦力を総動員して死線に臨むわ。だけど、文とにとりには別のことをお願いしたいの。判断は全て文に任せるけど」
「別のこと? 妖怪の山を護る以上に重要なことなんてあったかしらね?」
「あるよ。それに、それが巡り巡って山の為になると私は思ってる」
血だらけの手を差し出す。それを文は躊躇いもなく握りしめた。
「天魔として貴女に課す最初で最後の命令。どうか聞いてちょうだい」
「うん。……仰せのままに」
一方、そんな妖怪の山を侵略している側の月勢だが、此方も此方で突き進むしかなかった。というより、突き進む以外の命令がなかった。
地上浄化部隊の全権限を任された清蘭大将だったが、彼女は軍略に関しては完全にずぶの素人である。全軍突撃以外の戦法を知らない。
そう、彼女は八雲紫を狙撃しただけでここまで祭り上げられてしまった、ただのラッキーラビットなのである。
士官学校時代は鉄砲玉としての訓練しか受けていなかったし、この頃からポテンシャル自体はそこそこ高かったものの、サボり癖により成績は下位。一般玉兎として生涯を終える予定だった。しかし第一次月面戦争を皮切りに何故か清蘭は出世街道をひた進み、今となっては玉兎のトップ。こうして軍団指揮を任されるまでになったが、メンタルはサボり癖のある鉄砲玉玉兎となんら変わりない。
ただ、こうして何の変哲もない全軍突撃で山の妖怪を圧倒している通り、これが月軍──引いては玉兎達にとっての最善手なのである。
玉兎は所詮鉄砲玉。幾らでも補充が効く上、何匹死のうが犠牲にカウントされないのだ。玉兎は畑で取れるのだ。何を気にする必要があろうか。
「この調子だとノルマ達成は確実ね。上から急に通達が来た時はビックリしたけど上手くいって良かったわー。これで地上は我々の植民地ね」
「此度もお見事な指揮です清蘭大将」
「知勇兼備の名将!」
そうかな? そうかも。
清蘭は深く考えるのを嫌い、その賛辞を取り敢えず受け取る事にした。褒められるのは普通に嬉しい。
取り敢えず上層部からの命令は遂行できてるし、現場の士気が高いのは分かったので、あとは行けるところまで行くだけだ。
特注の黒マントを仰々しく翻し、眼前に鎮座する山を払う。
「んじゃ、さっさとこんな山蹴散らしちゃって次行くよ次! 豊姫様が帰って来られるまでに幻想郷どころか大陸くらいは制圧してなきゃ怒られちゃうわ」
「見境無しに戦線を延ばさないでおくれよ。補給班の気持ちも考えてあげな」
「むっ、鈴瑚参謀」
ブレーキ役であり、何かと縁のある同期であり、幻想郷進駐軍の頭脳でもある鈴瑚からの制止に眉を顰める。
鈴瑚の言う事通りに事を進めたおかげで今の地位があるのだ。トップに上り詰めた今でも勝利への黄金方程式は依然変わらない。
「豊姫様からの指令は『幻想郷の浄化』だけでしょ。無理に戦火を広げず、まずは山の妖怪を一網打尽にするのが先決だと思うんだけど」
「けど幻想郷はこの通り、どこもかしこも混乱してるわ。戦意旺盛成果不足! なら乗るしか無いでしょ! このビッグウェーブに!」
「……清蘭はなんで急に地上の浄化作戦が始まったのか、疑問に思わない?」
「それ話に関係ある?」
「大いにある」
戦争における最善策とは目先の局地戦に勝ち続ける事ではない。争いの裏にある真意を正確に掴み、それに沿った動きを心掛ける事だ。
鉄砲玉の玉兎には大した情報など与えられないが、キレ者の鈴瑚は少ない情報から都度『最善策』を選択し、清蘭をこの地位まで押し上げてきた。今回も彼女の好む謀略の匂いがプンプンするのだ。そもそも、この戦いの始まりからして不可解である。
「なんでこんな時期に、上はこの穢れた地を欲しがるのかねぇ。しかも完璧な奇襲だったくせして地上の反乱勢力の発起とヤケに噛み合っている」
「さあ? 八雲紫を倒してご機嫌なんだしハイキングでもしたい気分なんでしょ。反乱軍は偶々で」
「多分、私達もまた追い詰められている側なんだと思う。上もなりふり構ってられないんだ」
「それならどっちにしろ、やっぱり私達が頑張らなきゃダメってことじゃん!」
鈴瑚の言葉に納得したのか何も分かっていないのか、平常運転の清蘭大将は更なる突撃を命じた。結局こうなるのはいつもの事なので別に気にしない。肝心なのはその後、如何にスムーズに山の妖怪を殲滅し、山の前哨基地を維持するかである。
それだけをこなせば十二分な成果となる。鈴瑚はそう見ていた。
(都は遷都の準備を進めている……つまり、
都が恐慌状態になるのを危惧してか、あの未曾有の災害は存在が伏せられている。知るのは月の正規軍と上層部、そして耳の良い鈴瑚くらいだ。
フン族に追い出されたゲルマン民族がローマ帝国を滅ぼしてしまったように、幻想郷は食われる側に選ばれてしまったのだろう。
「テーマパークに来たみたいね。テンション上がるわ〜! それ突撃〜!」
天狗達の逃げ込んだ楽しげな建造物が立ち並ぶ集落を包囲し、清蘭大将は十八番の全軍突撃を命じた。穢れた妖怪達にしては立派な墓標だ。
敵は頑強に抵抗を続けているが、此処を陥せばこの戦争もひと段落つくだろう。
「こんなにも圧倒的だと流石に同情しちゃうわ。まあ、先に仕掛けてきたのはあっちだけどさ。恨むなら八雲紫を恨んでもらわなきゃね」
「上が無茶苦茶だと苦労するのは月も地上も変わらないもんだよ。んじゃ、本部に使命達成間近と連絡しておくから引き続き油断しないようよろしく」
「ん、任せた! それ全軍突撃〜!」
「地上の方は順調でなによりです。イーグルラヴィは優秀で助かる。うちの玉兎達にも頑張ってほしいものですが……鈴仙のような者は中々現れない」
「……」
「彼女は逸材でした。あの『災害』が押し寄せてくるたび、今ここに居ないのを悔やんでばかりです。八意様もそう、我々は失い過ぎた」
八雲紫との問答を終えた依姫は姉と見張りを交代し、宮殿上層階に位置する休憩室へと向かっていた。道すがら自分と同じく激務から解放されたのだろう同僚を捕まえて、一方的に悩みを吐露する。
いつもこうなのだ。付き合わされる身としては溜まったものではない。
「それにしても貴女の御息女が立案した計画、実に見事でした。八雲紫と災害が手を組んだと聞いた時は苦戦を覚悟しましたが、それを逆に利用するとは。悲願があっさり叶ってしまった」
「……」
「んんっ、失礼」
穢らわしいワードを呟いてしまったと、依姫は舌を出して喉奥に浄化スプレーをワンプッシュ。桃が香る月人御用達の必須アイテムである。
「それにしても何故御息女が地上に居たのですか? 確かに貴女は地上出身であると記憶していますが、血縁の者を残してきたようなそぶりは一度もなかったので。家庭問題?」
「……そうでない。そもそも娘でも無い」
「しかしあの者は現に貴女との繋がりを持っていた。姿も瓜二つでしたよ」
「八雲紫の仕業でしょう。月面戦争の折に奪われた私の遺伝子情報を悪用されたのだ。それにあの子の正体は月面戦争に参加していた天邪鬼です」
「……ああ、あの時の。……それにしても八雲紫の行動は訳がわからない。盗まれた私達の遺伝子情報だってそうだ、何に使ったのかと思えば地上の巫女に投与していたとは」
天邪鬼の事などどうでも良かったのだろう。興味なさげに話題を取り下げると、代わりに持ち出したのは今なにかと話題の博麗霊夢について。
納得したように頷くと、潤いを求めて水を口に含んだ。次の交代に向けての準備だろうか。滅多な事では喋らないくせに意味はあるのかと依姫は思った。
「コード不明の神降しの正体でしたね。依代としての適性を高めるのが狙いでしょう。
「ええ。しかし霊夢が月の都に残ってくれたおかげで、こうして疑いは晴れ『災害』への備えを充実させる事ができた。姉上と貴女だけに任せてはおれませんので」
「代償は大きいけれども」
「困ったものですよ。霊夢自体は御し易いのですが、何分、あの妖怪から離れないのが厄介極まりない」
紫に手を出そうものなら霊夢は力に身を任せて都を破壊し尽くすだろう。『災害』の対応で手一杯なのだ、都に内憂を抱えるのは何としても避けたい。
いや、そもそも紫を殺し切れるかすら不透明なのが現状だ。
「障害が霊夢だけなら良かったのです。あの子の隙を突いて八雲紫を殺してしまって、月の都を一時的に『災害』に明け渡し、我々は悠々と幻想郷に遷都してしまえばまだ挽回できた」
「あまり考えたく無い仮定ではある」
「しかし今はそれ以前の問題……
「貴女でも、八意様でも成し得なかった偉業、私如きに成せるとは」
「そんな弱気でどうするのですかっ!」
凄んだ勢いで壁に亀裂が走る。依姫の悪い癖である。
「奴を殺さなければ我々は終わりです! 穢れなど関係ない、絶対的な死が待ち受けている! 月も地上も関係ない、全てが!」
「厳密に言えば、アレは死ではない」
「実態は何も違わない。……数万年来の因縁ですよ?」
「タイムリミットは少なくとも……」
「統計に過ぎません。それに、今回の八雲紫はイレギュラーな動きが多過ぎる。早期決着を目指すに越したことはありません」
サグメは物悲しく感じた。常日頃から冷静沈着な依姫だが、あの案件が絡むと烈火の如く怒り狂い平常心を失ってしまう。
狂わされてしまったのだろう。八雲紫という存在の歪さを間近で受け止めてしまったから、彼女はもう止まることができなくなっている。
かつての協力者、ドレミーがどうしようもなく懐かしい。
彼女と一緒に練った八雲紫レプリカ計画は達成目前だった。
申し訳ないことをしたものだと思う。
「豊姫の次は私が行きます。能力が通じるかどうかは慎重に吟味しなくては」
「是非そうしてください。私はもう一度静かの海に、前線に出ます。……まあサグメ様とて、あの妖怪と話して得られるものがあるとは到底思えませんが」
「何を言っていたのですか?」
祇園の刀を小刻みに揺らしながら、依姫は腹立たしげに語る。
「お前が大人しく殺されなければ、此処にいる者達はおろか、幻想郷も一緒に滅ぶことになる、と伝えました。だが奴は私の言葉を一笑に付した」
「ほう」
「そして『何も変わっていない』と言っていました」
「……?」
「第一次月面戦争の時、私を虚仮にした事を言っているのでしょう。誠に……はらわたが煮え繰り返る思いです」
浄化スプレーを中身が無くなるまで吐き出し、残った容器を愛宕の火で焼き尽くす。その後、少し落ち着かないように辺りを歩き、サグメを見ないまま退室してしまった。相当腹に据えかねているようだ。
気持ちは分からないでもない。
第一次月面戦争時、八雲紫を討ち取った依姫は意気揚々と本部へその旨を報告し、警戒を怠ったのだ。結果、復活した紫に都侵入を許してしまい、機密事項である要人5名の遺伝子情報を奪われてしまったのだ。
途中、侵入に気付いた依姫が駆け付け紫と再度戦闘になり、2回目は散々翻弄された挙句にまんまと逃げられてしまった。
失意の中、事のあらましを報告したのだが、依姫を待ち受けていたのは更なる苦痛だった。
八雲紫の生存を秘匿し、都の住人達には『綿月依姫が八雲紫を討った』と喧伝する事になったのだ。そうしなければ安定が得られないほどに紫は恐れられていた。依姫は住民や部下の玉兎から称賛を受けるたび、自らの罪と恥に向き合う事となった。
さらにそれでありながら上層部からは嘘の報告、そして敗北により信頼を失い、失態とは関係のない姉ともども冷や飯を食う羽目になった。サグメや清蘭が急激に地位を伸ばした一因でもある。
そんな個人的な恨みに加え、紫の歪みを間近で受けた事による負担。そして直近では尊敬する師である永琳が紫に囚われていると聞く。
寧ろあれで済んでいるのが不思議なほどだ。依姫の精神力を褒めるべきだろう。
監視員からリアルタイムで送信される報告に目を通す。やはりというべきか、依姫に比べると豊姫の方がまだスムーズに話せているらしい。
ただ八雲紫の受け答えは少なく、逆に同室に収監されている博麗霊夢と比那名居天子の方との対話がメインになってしまっている。
幻想郷で受けた傷は既に完治している筈なのに、月にきてからというもの体調が芳しくないようだ。弱っている今こそチャンスだというのに。
そうだ、依姫の言う通りなのだ。
かの妖怪が手の内に転がり込んだ以上、彼女を処刑する以外に選択肢はない。それほどまでに紫の業は深く、月の民が為さねばならぬ生まれながらの責務だ。
しかし、それ故にあらゆる選択肢が犠牲になってしまっているのが現状。
もし自分の能力が通じなければどうなる?
情報は得られない。
八雲紫に手を出す事ができない。
災害を止める事ができない。
(如何ともし難い……。ギリギリで掴めた勝利ではあるが、それでもタイミングは最悪だ。八雲紫が手の内に転がり込んだ影響で首が回らなくなっている)
実質、月の都は三正面作戦を強いられているようなものだ。上手くいっているのは地上への侵攻だけで、他二つは完全に頓挫しつつある。よりによって本来どうでもいい地上関連だけが上手くいっても旨味は少ない。地上は最低限の保険なのだ。
まさか、まさかとは思うが……娘を騙る天邪鬼、鬼人正邪はそこまで見越して八雲紫を此方に引き渡したのだろうか。
いや、流石にそこまでは予見してはいないだろう。地上の情勢も逐一確認しているが、ここまで泥沼と化していては幻想郷もただでは済まない。これでは支配もままならないだろう。
幻想郷はどう足掻いでも終わりだ。
サグメはそう結論付けていた。月が生き残るにはその未来しか残されていないから。
酷く草臥れたように項垂れる。そしてかつての故郷と、現れた半身への想いを捨て去った。
*◆*
何も終わってなんかいない。
始まってすらいない。
悪魔の従者は空を覆い、魔力渦巻く積乱雲へと向かう。主人を苦しめる何かがそこにあると判断したから。紅魔館を囲う梅雨と夏日を突破した。
半人半霊の剣士は神霊を斬り払い、幻想郷の奥地へと向かう。冥界の守護を捨て置いても為さねばならぬ主命を帯びたから。難しい事は分からぬと墓石を切断して回る。
復活を遂げた現人神は使命感に胸を膨らませ、宙を泳ぐ宝船を追跡する。
数時間後、サグメは八意永琳より齎された書簡により思い知らされる事になる。
決して侮ることなかれ。
幻想郷の底力を。
ゆかりんが幻想郷に残してきた爪痕の集大成ですね!良くも悪くも!
以下主な異変一覧(ゆかりん&霊夢&さとりは居ないものとする)
東方地霊殿
東方星蓮船
東方神霊廟
東方天空璋
幻想郷上空を覆う魔力積乱雲(輝)
妖怪の山vs月の都地上浄化部隊(紺)
秩序側の大妖怪弱体化(?)
各地で反乱一斉蜂起(輝)
人里で謎の暴動(?)
月の都正規軍vs嫦娥死ね死ね軍団(紺)
地獄かな?(Welcome Hell♡)
次回から異変解決RTA始まるよ〜!多分これが一番早いと思います。だから正邪を煽っておく必要があったんですね(MTR姉貴)
評価して甘やかして♡感想もちょうだい♡