幻想郷は全てを受け入れるのよ。それはそれは残酷な話ですわ……いや割とマジで   作:とるびす

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東方儚月抄 完
ギスギス注意


もうスキマには戻れない

 当人以外誰も知ることのない秘密の会合から一夜明け、紫は慌ただしく行動を開始していた。紅魔館へ行き、人里へ行き、最後に幻想郷の重鎮をマヨヒガに集めた。賢者会議の呼び掛けなどまどろっこしいとばかりに、自らの手で場をセッティングしたのだ。

 

 急遽集められた面々は怪訝な表情で互いを窺い見る。ここ最近、全くと言っていいほど動きのなかった紫が不可解な事を始めたのだ。警戒して当然だ。

 しかも面子が面子。権力者たる五賢者と阿求、レミリアと咲夜、幽々子と妖夢、天子と魔理沙。──あの大会絡みでの話なのは間違いない。

 

 レミリアの機嫌は頗る悪かった。何しろ自らの手で計画立案した侵攻計画を、此処にいる何名かに邪魔されているからだ。妨害に次ぐ妨害を受け、計画の延期を余儀なくされている。しかも連中の親玉は紫である。

 もしこの場で月侵攻の断念を要求してくる心算なら、過激な報復も辞さないつもりだった。

 

 そして開口一番に爆弾が投げ込まれた。

 

 

「私、八雲紫はレミリア・スカーレットによる月侵攻を全面的に支持します。ついては貴女方にも最大限の支援をお願いしたい」

 

 

 晴天の霹靂であった。

 これまで断固として月への不干渉を貫いてきた紫が、突然これまでの方針を殴り捨てるかの如き宣言をしたのだ。あまりに電撃的な発表であったことから、決意したのは最近に違いないだろう。

 最高賢者の面々は勿論、レミリアや藍にとってもあまりに急な話だった。

 

「つまり──月の都に宣戦布告する、と?」

「深く介入するならばそれも致し方ないでしょう。しかし月の都とはこれまで何度も争ってきました。今更宣戦布告の有無で何かが変わるとは思いません。あくまで形式上の問題です」

 

 紫の爆弾発言に対して毎回一番に問いを飛ばしてくれる阿求は貴重な存在である。そんな彼女に謝意を示しつつ、紫は当たり障りのない回答をつらつらと並べる。

 

 幻想郷のトップである紫が戦争を決意するのなら、否応無しに自分達にまで影響は波及する。議論は必須である。

 

「……落とし所は?」

「月の都の完全屈服。今後一切、地上に手を出せなくなる程の痛烈な一撃を加える。彼方からの敵意は既に無視できる段階にありません。ドレミー・スウィートや八意永琳の時のような事態は二度と起こしてはならない」

 

 確かに、幻想郷の安全保障において一番の脅威となるのは月勢力であるのは間違いない。ドレミーを利用して幻想郷への侵攻経路を確保していたのも、八意永琳という化け物が幻想郷に潜んでいたのも、到底無視できるモノではなかった。

 手を変え品を変え虎視眈々と幻想郷を狙うアレらの影響力を悉く排除できるなら、外患は取り除かれたも同然といえる。

 大義は十分だ。

 

「何を企んでるかはこの際どうでもいいわ。その言葉、もう撤回は許さないわよ?」

 

 妖しい笑みで圧力をかけるレミリア。

 漸く計画が進み始めたのもそうだが、それ以上に紫が乗り気になってくれた事が機嫌回復の要因である。隣で咲夜が胸を撫で下ろす。また、参加する手筈になっていた天子と魔理沙も上機嫌だ。唯一、妖夢だけが苦虫を噛み潰したような表情を浮かべていた。

 

 紫は澄まし顔で頷く。

 

「言わずもがな今回の戦いの中核は貴女(レミリア)。やれる所までお願いね。運命を操るその能力で勝利に導いてほしい」

「完全勝利か……悪くないわね。少々腰を据えて遊んでやろう」

「確かロケットに技術的な問題が生じてたのよね? 藍、貴女なら解決できると思うのだけど、如何かしら?」

「……畏まりました」

 

 藍は肩を震わせた。

 やはり妨害は筒抜けであったかと、項垂れる。これまでパチュリーの術式を乱したり、ロケットの部位を破損させたり等、あらゆる手を使って足止めしてきた。全ては霊夢を想う紫の為に。しかし現段階ではその行いの全てが邪魔になってしまったようだ。

 紫が何故心変わりしたのかは見当も付かないが、それが主人の望みなら従うのみ。

 

「天子さんと妖夢にはレミリアの補佐と状況判断をしっかりお願いしたいの。引き際を誤らないよう注意深く、ね」

「ぜ、全面戦争なら私なんかより適任がいるのではないでしょうか……!?」

「……月の都が誇る最高戦力の一角に『綿月依姫』と云う者がいます」

 

 問いには答えず、遠い目で在りし日を思い返しながら淡々と語る。

 

「アレを如何に足止めするかが勝利の鍵となるでしょう。そして奴は剣術の達人──言いたいことは分かってもらえたかしら」

「紫。あんまり妖夢を虐めないでちょうだいね」

「本当なら貴女(幽々子)にも色々お願いしたいのだけどね」

「あらそうなの?」

 

 ほんの少しの緊張感を孕んだ静寂。

 居心地が悪くなったのだろう。妖夢の隣で胡座をかいていた魔理沙が手を上げる。

 

「おいおい私には何も無しかよ?」

「勿論、重要な役目があります。戦力としてもそうですし、何より──霊夢のこと」

「お守り役ってわけか」

「貴女がいるから霊夢の件に関しては折れたのよ。私が何を言いたいのか、聡明な貴女なら分かってもらえるかしら」

「……良いんだな? 私としちゃアイツに不足があるとは思えんから喜んで連れてくぜ。なぁ、お前もそう思ってた筈だろ?」

「魔理沙、やめろ」

 

 不満げに紫へと投げ掛けられた視線を藍が払う。霊夢と魔理沙は自他共に認めるライバル兼親友である。霊夢の強さを最もよく解っているのは自分か、若しくは紫だろうと思っていたからこその不満だ。

 紫は明確な回答を避けた。

 

「……霊夢に万が一があると判断した場合は、どんな状況下であろうと退いてもらうわ。それが今回の支援における唯一の条件。いいわね?」

「ん、いいわよ。まあ、その万が一は絶対に有り得ないと明言しておくけど」

「紅魔杯の時も同じ事を言ってたわね」

 

 今度はちゃんとやれよ、と釘を刺す。やはり霊夢の派遣には未だに難色を示しているようで、嫌々な雰囲気は拭えない。許可はするが納得はしてないのだろう。

 だが意志は示した。

 

 後は幻想郷の同意を得るだけ。

 賢者四人に向き直る。各々が違う思惑を含んだ眼差しで紫を見据える。

 

「どうか皆様、賛同いただきますよう──」

 

「反対です」

「反対っ!」

「賛成しよう」

「……賛成します」

 

 多数決を取ると必ず割れるのは最早お約束である。しかしこれは紫自身、半ば予想した結果だった。そしてそれでも問題ないと考えたからこそ今回の動きに踏み切ったのだ。

 華扇は穏健派寄りの中立である為、月への外征など以ての外。はたても基本的に武力による紛争解決を好まない性分であり、かつての後ろめたい歴史が影響している。

 しかし他二人が賛成してくれるなら多数決で紫の勝ちである。隠岐奈と正邪は同派閥の盟友である(と勝手に思っている)為、いわば出来レース。

 情けない声を上げながらはたては崩れ落ちた。

 

「ついに月との因縁に終止符が打てるのだ。ここで動かない手はない。なあ正邪殿? お前もさぞ嬉しかろう」

「あくまで実利を鑑みた上での判断です。私情は一切ございません」

「天晴れな精神だ。さて、段取りを御教授願おうか」

 

 トントン拍子に話が進む。生じた歪みを、不和を切り捨て、兎に角進み続ける。

 これまでにない、えも言えぬ気持ち悪さを抱えたまま目的へと邁進する。紫にとって初めての感覚。それでもやるしか無いと、疑念を振り払う。

 

 なんとかなると信じて突き進むしか。

 

 

 

 *◆*

 

 

 

 会合が終わった後、一旦八雲邸に戻り身体を休める。朝から幻想郷中を駆け回ってたおかげで疲労困憊よ。精神への負荷も大きい。今回ばかりはあまりにも周りに迷惑をかけ過ぎてる自覚があるからね、頭が下がる思いだ。

 月との戦争自体を悲観してる者は居ないけど、私の変わり身の早さに不信感を募らせてるような気がするわ。良い関係を築けてた筈の阿求やはたてからは愛想笑いを貰った。きっと本心では私の事を罵倒したかったのだろう。

 

 計画通り進んでいるのに、纏まりを欠いている。なんだかんだで今まで一枚岩でやってこれてた奇跡を実感できるわ。はぁ……辛い。

 

 まあ、気を取り直しましょうか。

 望まぬ形で始まる戦争とはいえ、成功すれば私にとってのメリットも大きい。なんと言っても不倶戴天の敵である月の一派を排除できるんだもの! 私の平穏な隠居生活にまた一歩近付くって話よ! それに……霊夢と仲違いする理由も無くなるしね。

 

 何事もなく終わればきっと何とかなる! これまでも何だかんだで上手くいってきたんだし、今回だけ無理に悲観する必要は無いわ! 

 HEKAさんの発破が無くてもレミリアは勝手に月に行ってただろうしね。それの成功率を上げるお手伝いをすれば良いだけだ。霊夢だって、天子さんと妖夢にお任せすれば危険に陥ることもないと思う! 

 

 ヨシ! 段取りを再確認しましょう。

 

 

 まず満月の数日前を狙ってレミリアロケットが打ち上げられる。搭乗するのはレミリア、冷血メイド、霊夢、魔理沙、天子さん、妖夢の6人! これ以上は定員がキツくなるので連れて行く予定だった妖精メイド達はリストから除外したらしい。

 このロケットに乗る面々が第一陣。かつての激戦地である砂浜を目標に降り立つ予定である。奴等も穢れた地上の者どもの都への侵入を許す訳にはいかないだろう。前回と同じく、砂浜で迎え撃とうとする筈。当然、その中にはあの綿月依姫が居る。

 第一陣の役目はこの迎撃部隊の足止め若しくは撃破。そしてスキマ移動の為のポータル式神の設置。これらが不可能なら月の都攻略は諦める予定よ。

 

 成功すれば式神を通して把握した座標にスキマを開き第二陣を侵入させる。このメンバーは紅魔館の面々や藍、オッキーナの部下を予定してる。

 また同時にHEKAさん勢も攻撃を開始! 一気に月勢を押し切ってしまう計画だ。チャットで事前の打ち合わせも完了している。菫子が何事か驚いてたわね。

 ついでに秘密裏に月の都に潜入して後方撹乱を狙う人員も用意しようと思ってるわ。

 

 ふふん、どんなもんよ! これぞ稀代の軍略家、八雲紫の智謀よ! 幻想郷の諸葛孔明とは私の事である。ちなみに仲間はみんな諸葛亮並みの知略を持った呂布ね。

 まあ作戦自体は問題ないだろうと賢者の皆さんからオッケーサイン貰ってるから、まあいいんでしょう! ちなみに私は幻想郷で待機して情勢を見守るわ。

 言い出しっぺでホント申し訳なくなる……! けど私が前線に出ても邪魔になるだけだと思うのよね。分かるでしょ? 藍やオッキーナからも「絶対出てくんな」って念押しされてるし。

 

 かなり大掛かりな幻想郷を巻き込んだ一大作戦。総力戦とまではいかないけど、勢力の垣根を越えて大規模な戦闘を行うんだもの。あの幻想郷に悪名轟かす化け物達が力を合わせる事を鑑みれば、戦争の行方を一々恐れる必要など皆無に思えてしまう。

 あの恐ろしさ悍ましさを身を以て体験してるからこその歪な信頼ね! 年季が違うわ。

 吸血鬼異変の時も、八意永琳の時も暴力で粉砕できた。今回だってきっと大丈夫だと思うことにしよう。いやまあ永琳の時はかなり危なかったけれど。

 

 

 さてと、そろそろ動きましょうかね。

 橙の淹れてくれたお茶を一気に飲み干し、我が式達に外出を告げる。そろそろ出る頃と思っていたのだろう。藍は頷くだけだった。

 

 行き先は博麗神社。

 目的は勿論、霊夢との対話よ。ギクシャクしたままじゃ色々と儘ならないだろうし、皆からもさっさと仲直りしろって言われてるしね。

 気が重い……。

 

 境内に降り立つと、ちょうど参道の落ち葉を掃いている霊夢を見つける。後ろを向いてたので、少しだけホッとした。ほんの少しだけね。

 と、気を利かせた狛犬のあうんちゃんが実体化して灯籠の後ろに隠れた。話に集中させてくれるようだ。逆に目立つ気もするが、好意は素直に受け取っておこう。

 

「おはよう、霊夢」

 

「……」

 

 予想通りだ。霊夢は一言も発する事なく落ち葉を掃いている。とっても悲しいけど、問答無用で攻撃されなかっただけマシなのが実情だ。これは寧ろデレていると見ていいだろう。八雲紫、勝機を見出しましたわ! 

 さて、切り込むわよ! 

 

「今日はいい天気ね。あと一月で境内の桜も芽吹く頃、春告精が待ち遠しい季節ですわ。春になったら花見をするのでしょう? じきに萃香が押し掛けてくるだろうから準備しておかないといけないわね。勿論、私と藍も手伝うわ。ここだけの話、宴会になるたび貴女に負担を掛けてしまって申し訳ないと思ってるのよ。アリスが居てくれればまだ楽だったんだろうけど、あの子ったらまだ魔界から帰ってきてないのよね。怪我もそうだけど、神綺さんと揉めてなきゃいいんだけど。あっ、そうそう懐かしいわね、貴女が魔界に行った時の話。やんちゃし過ぎて神綺さんに怒られて、魔界から出禁になったんだったかしら? いつか謝りに行かなきゃダメよ? 共犯の魔理沙と一緒にね。幽香は……居なかったものとして扱いましょう。そういえば後から聞いたんだけど、太陽の畑で魔理沙と幽香が暴れてた時、霊夢が止めてくれたんですって? ふふ、調停者として申し分のない働きね。素晴らしいわ。おかげで荒廃した太陽の畑の復興も間近よ。これで幻想郷も──」

 

(やかま)しい」

 

 殺気混じりの一声に身体が固まる。これは……もしかしなくても一歩前進ではなかろうか? 霊夢との対話に成功した! 取り敢えず手当たり次第に思い付いた話題をぶつける作戦は大成功のようだ。

 後は霊夢を振り向かせれば勝ちよっ! 

 

「相変わらずで安心したわ。改めて、おはよう霊夢。随分久しぶりのお話ね」

「アンタと話すくらいなら【擬き】の方と仲良くやってた方がまだマシよ」

「呼んでもいいけど、彼女最近疲れ気味みたいだから出てきてくれるかは分からないわよ?」

「別に呼んでないわ。絶対呼ぶな」

 

 AIBOの人気に嫉妬……! まあこんな事で呼び出されても困るだろうし、まだ引っ込んでてもらおうかしらね。あくまで私と霊夢の問題だから。

 あんまりにも巫山戯過ぎて反感を買っても本末転倒だし、本題に入りましょう。

 

「レミリア達に付いて行く件……許すわ」

「そう。切り捨てる準備ができたって事かしら? 早苗にでも跡を継がせるつもり?」

「馬鹿な事を言わないで頂戴。これから起きる月面戦争の敗北条件の一つは貴女よ。もし危害が及ぶような事態になれば、その時点で作戦は終わりです」

「妖怪に大事にされる程落ちぶれちゃいないわ」

「妖怪だけじゃない。幻想郷の宝よ」

 

 思わず溜息が溢れてしまう。

 霊夢は同じ場所をずっと掃き続けている。

 

「それだけ危険が伴うの。貴女達が相対する敵は、恐らく月の都最強の存在。アレを止めるにはどうしても貴女の力が必要になる場面があると思う。八意永琳を屠った時のような力を発揮すれば」

「それがアンタの勝てなかった相手ってやつ?」

「……そうね。私では勝てなかった」

 

 というより勝負になる筈がない! 月に上陸してから無我夢中で逃げ回ってただけだしー! 多分そんな私の滑稽な姿が目に付いたんでしょうね。そこからまさか何世紀にも渡る粘着を受けようとは夢にも思わなんだ。

 陰湿残忍冷酷。萃香のドス黒さを数百倍にも煮詰めた濃度に至る暗黒成分の坩堝。畜生よ! 畜生! 

 

「お願いね、霊夢。無茶だけはしないで」

 

 歩み寄り、霊夢を抱き締める。

 手の動きが止まった。

 

「大切だからこそ貴女の意思を否定してしまった。正直言うと、今でもやめて欲しいと考えているわ。でも、それは違うんじゃないかって思い直したの」

 

 どう建前を用意しようが、この想いだけは変わらない。これだけは絶対に覆るはずが無いのだから。

 分かってくれなくてもいい。それでもこれだけは伝え続けなきゃいけない。

 

「貴女が無事なら月がどうなろうがどうでもいいの。兎に角何事もなく帰ってきて欲しい。子供の無事を願わない親は居ないわ」

「……」

「いつも酷な役目を押し付けてごめんなさ──」

「そういうの、もうやめてよ。紫」

 

 嘘偽りのない本心からの言葉だった。純狐さんから怒りの報復を受けようが、霊夢を失ってしまう事に比べれば些細だと断言できる。貴女を絶対に喪いたくないのだと。

 けど、その拒絶の言葉は私の想像を絶する程に深刻で、霊夢が心から願っているのだと気付いた。頭が真っ白になってしまう。

 

「心にもないことを言って私の機嫌を取ろうとしても、ただ困るだけよ。本音で話してくれた方が幾分楽になるんだけど、どうかしら?」

「本音、ですって?」

「アンタの優しさは本物で、きっと偽り無いものなんでしょうね。嘘も多分吐いてないと思う。でも、本当のことを話したことは一度たりとも無いわ」

 

 じっとりと、嫌な汗が背筋を伝う。

 

「知ってるでしょ? 私って勘がいいの。時たま知る由もない裏側が見えたりする。隠したい事、公言できない事──全てが」

 

 霊夢は振り返った。

 その瞳は見る者を全てを遠ざける淡い感情を映している。

 

 

「分かるもん。アンタは私の事を『子供』とか、そういう風に思ってなんかない」

 

 

「そんなことはないわ。娘よ」

「違う。絶対に」

 

 刺々しい言葉とは裏腹に、霊夢の顔に色は無かった。とうの昔に導き出した答えに今更動じる必要もない、ということなのか。

 仄かな陽光すら通さない曇天が私達を見下ろしている。身を引き裂くような寒風が吹き付ける。血が巡って頭が痛む。とても熱い。

 

「これ以上、私を弄ばないで。もし本当に私の事をどんな形であれ大切に想ってるなら、もうそんな酷いこと、言わないで欲しい」

「……傷付いた?」

「さあね」

 

 霊夢の顔が綻んだ。でもそれは、歓喜でも安堵でもなくて……諦め。

 乾いた笑みだった。

 

「紫の側にはいつも誰かが居る。だけど……私には最初、紫しか居なかった。アンタしか居なかったのよ。なのに──酷いわね、ほんとうに」

 

 

 風に靡いた髪、揺れる瞳。

 溢れた雫はきっと渇きを齎すのだろう。

 

 深刻な行き違いが生じていると気付いた。私の本心が霊夢に伝わってなかったのならそれは悲しいことだが、少なくとも否定は容易だと思った。彼女への想いを伝え続ければ、きっと分かってくれるだろうと思った。

 否定が本音というならそうなんだろう。

 

 言葉は出なかった。

 声無き言葉は泡となって空に溶けた。

 

 私は答えを持ち合わせていない。

 突き付けられた本音が、頭を覆っていた霧を拭い去っていくようだった。

 

 親に飢えた事のない私に親子の情など理解できるはずがなかった。勝手に思い込もうとしていたんだ。

 

 霊夢の事を愛している筈なのに、その愛の名前が分からない。傍から見た関係性で『娘』と公言していたに過ぎない歪な繋がり。

 博麗の巫女の歩む道が苦難の連続であることは知ってた筈なのに、それを霊夢に任せるのに一切の疑問も、苦悶も無かったのを覚えている。

 そうなって当然だからだ。

『物』と言うなら、確かにそうなのかもしれない。だけど『物』に抱くには、この想いはあまりに愛おしく、あまりにも苦しい。

 

 この感情を表す適当な表現は終ぞ思い浮かばなかった。

 

 彼女にとって、私はなんだ? 

 私にとって、博麗霊夢とはなんだ? 

 

 私は徒に霊夢を傷付けて、何がしたかった? 

 否。何もできなかったのだろう。

 

 

 

 

【いい加減になさい。もう終わりよ】

 

 心のうちから込み上げた声にハッとなる。気付けば霊夢はおらず、侘しい境内が私を睨み付けていた。時間の経過すら掴めない。

 震える足で帰路に着く。スキマであっという間に帰るよりも、気を紛らわせたかった。自分と向き合う時間が欲しい。

 

「ねえ、私には答えが分からないの」

【私にも分からないわ。分かるように出来ていないから。でも貴女と霊夢なら……十中八九霊夢の方が正しいのでしょうね】

 

「私は霊夢を……愛していないのかしら」

【それは貴女自身で見つけるべき真実。けど知らない方が二人とも幸せなのは間違いないわね。探究心は色んなモノを奪って行くわ】

 

「知る事って、なんでこんなに苦痛なのかしらね。いつだって、どんな時も」

【知ろうとしていなければ、今の貴女は存在していない。それはとても幸福な事なことじゃなくて? その苦痛が良いものになるかどうかは、これからの貴女次第でしょう】

 

 未来志向なAIBOに思わず笑ってしまった。

 彼女ほど聡明な八雲紫で在れたなら、きっと霊夢を悲しませずに済んだのだろう。

 今は兎に角、悔いるしかない。

 

 

 

 

 数日後、霊夢達を乗せたレミリアのロケットは無事発射され、月へと飛び立った。

 

 

 

 *◆*

 

 

 

「私の部屋を懺悔室みたいに使うのは如何なものかと思うけどね」

 

 不満げにジト目を此方に向けるフラン。外の世界から買ってきたスイーツ分と合わせて機嫌半々といったところか。いやもうね、ここしか無いのよ。

 藍や橙に話しても心配されるだけだし、賢者仲間のみんなに話しても情けない同僚の姿にゲンナリされるだけだろうし、ルーミアの闇からは追い出されちゃったし! 

 その点フランの部屋は良いわよね。カビ臭くて地下深くに位置する此処は今の私にピッタリな場所である。可愛くて優しい女の子が二人もいるしね! 

 

「ならさならさ、お姉ちゃんに相談すればー? 多分、そういうのにめっぽう強いよ! 的確かは知らないけどー」

「私の方に非があるのは明確だから、詰られるだけだと思うのよね……」

「ダイジョーブよ。お姉ちゃんゆかりんにはとっても優しいから!」

「どうかしらね」

 

 カップに入ったバニラアイスを何故か食べる訳でもなく、一心不乱に見つめているこいしちゃん。遠慮しなくていいのにね。

 まあ彼女の言う通り、さとりなら的確な答えを用意してくれるんだろうけど、正直今回に限ってはそれを聞くのが怖いのだ。自分で答えを知らなきゃいけないのだという観念を自身から強く感じる。

 

「霊夢って紫が絡むとすぐ弱くなるよねぇ。貴女の居ないところだといつも目をギラギラさせててねー! もう兎に角エキサイティングよ」

「なんとなく分かるわ。やっぱり私が枷になってるって事なんでしょうねぇ」

「いやそれは知らないけどさ」

「私が居ない方がいいのはそうなんだけど、見てないと心配なのよね。今もまだロケットの中でしょうけど、途中でエンジントラブルでも起こって墜落してないか、とか。月に着いてからも心配だし……」

「まあお姉様が居るし大丈夫でしょ。ああ見えて引き際の見極めはちゃんとしてるから。それに霊夢なら宇宙空間に放り出されても多分生きてるわ。多分他の連中も」

「月かぁ。私も今度行こうかなぁ」

 

 やっぱりシスターズと話してると安心するわ。フランはインテリジェンスに私の不安を悉く取り払ってくれる。こいしちゃんは不思議系で可愛い。

 あと何気に二人とも姉への信頼が窺える。特にフランの方はレミリアとの関係改善が進んでいるようでなによりである。私も同じくらい霊夢と分かり合えてれば良かったんだけどねぇ……はぁ……。

 

「ゆかりんってね、無意識的な部分が多いの。だから自分の行動に一々疑問を持たないで済むし、裏に潜むしがらみとか全部取っ払って人と話せる。それってとっても素敵な事だと思うんだよね」

 

 おっと、何やらこいしちゃんが電波を受信したようだ。ニコニコ笑顔で聞いてあげよう。

 

「今回はその無意識で動いたり感じたりしてた部分を巫女ちゃんに穿り出されちゃったから戸惑ってるんだよ。だから自分の無意識……というか、行動原理を一度見直せば自ずと悩みは解決できるんじゃないかな?」

「行動原理……?」

「自己愛だよ! ゆかりんってね、自分のことが大事で大事で仕方ないの。だからみんなに無償の愛を振り撒くことができるの。たとえ自らの命を賭しても」

 

 褒められたりディスられたりね! ていうかちょっと言ってることがよく分からないわ。流石のフランもこいしちゃんの言葉に並ならぬものを感じたのだろう、手に持ったプリンを机に置いて此方を見ている。

 そもそもねぇ……。

 

「自己愛と他者への無償の愛って相反するものじゃ無いかしら?」

「生きる事ってさ、不安やストレスから逃れる等の回避行動の連続だなんて言ったりするけど、時にはそれらに自分から向かっていってしまうこともややあるよね。なんだってそんな行動を取るのか、理解に苦しむことだって。──結局、心を動かすに足るものなんてこの世に一つしかないの。ただそれがどの方向にどう作用するのか、自己と他者のどちらに向けられるのか、たったそれだけの偏差。だって善も悪も区別し得ないのは、元々が一つの起源から始まっているから」

 

 おっと哲学の時間かしら? 

 いやぁ参ったわね。まさかこいしちゃんがこんなにインテリジェンスかつフィロソフィー系の妖怪だったなんて。普段なら私も話に興じるところですけども、今日はもういっぱいいっぱいだから降参よ! 

 曖昧に笑い掛ける。

 

 フランはずっと変わらず、スプーンを咥えたまま私達をジッと見ているだけだった。

 

 

 

 *◆*

 

 

 

 夕餉の時間。

 ほんの数日前までワイワイと活気のあった居間は静まり返って、物々しい雰囲気に包まれている。食卓を囲んでいるのは私と藍の二人だけ。こんな時に限ってルーミアはさっさと帰ってしまい、良い意味でも悪い意味でも盛り上げてくれた天子さんは居ない。

 別に藍とギスってる訳じゃなくて、ついに決戦の日間近という事で私が緊張してしまっているだけの話である。

 

 明朝、ロケットが月に到着する。

 戦端が開かれれば否が応でも対処を迫られる。増派か、撤退支援か。万事藍に任せているとはいえ、決定したのは私の意思だ。どういう結果であれ恙無く終わって欲しいものだが。

 

「紫様、今日は早くお休みくださいませ。明日からは例の件で私が動けなくなります。ご負担が増える事も予想されます故、何卒」

「そうね。ありがとう」

「……」

「……ご馳走様でした」

 

 前言撤回。どうやらギスっているようだ。

 まるで一昔前の、藍に遠慮してギクシャクしてた頃に戻ってしまったみたいね。実際状況は似たようなもので、藍への申し訳なさや、その他色々な心労で簡単な受け応えも難しくなってるのかも。自分の異常は自分からじゃ気付けないもの。藍に直接「お前ここが変だよ」って言われても傷付くけどね! 

 

 寝よっか。睡眠不足でパフォーマンスを発揮出来ませんでした、なんて洒落にならないわ。いつもはここからチャットやらで夜更かしモードに入るんだけど、HEKAさんとの打ち合わせは十分だし。

 菫子におやすみメールを送るだけにしよう。

 

 きっと明日の私は上手くやってくれると信じて、睡魔に身を委ねた。

 

 

 

 

 

 そして明朝。

 私は地面に這い蹲り、首を垂れていた。

 

 庭を玉兎兵が埋め尽くし、全員が寸分違わず私と藍に銃口を向けている。アレは確かてゐが持っていたのと同種。『対スキマ妖怪専用機関砲』通称『清蘭砲』と言われてるらしいアレか。

 てゐ曰くその兵器の真髄は『異次元から弾丸を飛ばす』能力を持っている点。つまり八雲紫に銃弾を届かせる為に作られた武器。スキマまで貫通して追ってくるらしいのだ。この時点で藍は兎も角、私は詰みである。

 

 そして此方に戦略MAP兵器扇子を向ける忌々しき月人。あの姉妹の片割れ綿月豊姫。

 あの扇子を一度扇げば、素粒子レベルで分解する風が起こる。つまるところ、幻想郷を人質に取られているのだ。

 

 紫のドレスが土に塗れ汚れるのも厭わず、深く頭を下げる。藍の悲痛な叫びが聞こえた。

 

「すべては愚かな一妖怪の所行。一回目も二回目も私が企み実行した計画。地上に住むすべての生き物に罪はない。月に居る者達も同様。どうかその扇子で無に帰すのは勘弁願えないでしょうか」

「ここに住む生き物に罪がないはずがありません。地上に住む。生きる。死ぬ。それだけで罪なのです。しかしその根源の罪すらも遥かに凌駕するのが貴女の業であり、貴女が作り匿った幻想郷の咎」

 

 豊姫が扇子を閉じると同時に玉兎達が動き出し、私と藍の腕を紐で縛り上げる。これは……噂のフェムトファイバーというやつか。

 

 

 

 

 全て筒抜けだった。

 私の居場所はとうの昔に割れており、その気になればいつでも殺せるようになっていた。私は豊姫の掌の上で転がされていたのだ。

 

 何が起きたのか詳細な事は分からない。気付けば我が八雲邸に玉兎が殺到し、下手人である私は完全拘束された。

 明らかなのは二つ。

 

 第二次月面戦争は、またもや地上側が完膚なきまでの敗北を喫した。そして私の命はもう無いのだろう、ということくらいだ。

 




次章『ゆかりん地獄変』

何気にゆかりんも相当な脳筋だから、月の都の宝を盗み出せば判定勝ちなんて発想が出てこなかったんだ。だから滅びた……(悟空)

ゆかりん痛恨のファンブル続きですが、霊夢への対応は過去のもの含めて全て確定ファンブルです。回避できません(無慈悲)
ゆかれいむの関係は第三者からみれば歪だけど親子同然だし、霊夢自身もそう思いたかったけど、ゆかりんの抱いてる情は別物、という話。ゆかりんって分からない事があると無意識に自分の知識内の情報を勝手に当て嵌めたりするので、今回の親子云々も別物だったらしい。
つまりゆかりんが賢くなれば二人の関係性に名前が付く……ってコト!?

次回、幻マジ真の主役達が帰ってくる!……かと思いきや?

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